イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「僕の種がない」読了

2021年12月22日 | 2021読書
鈴木おさむ 「僕の種がない」読了

著者は、森三中の一番大きい人の旦那さんだ。放送作家をしていて小説も書いているということは知っていたが、特に興味のある人でもなかった。なのにどうしてこの本を読んだのかというと、11月に参加した図書館のバックヤードツアーの中で業務体験というのがあって、納品された書籍に蔵書印を押すというのをやった。その本がこの本だったのだ。
このゴム印は僕が押したものなのである。



ここで、図書館に本が並ぶまでの流れを書いておきたいと思う。
まず、毎月、和歌山県立図書館に納品される新刊図書というのは約1000冊だそうだ。今では蔵書は100万冊になるという。どうやって1000冊が選ばれるかというと、基本的に納品元は株式会社図書館流通センターというところ1社だけだそうだ。郷土資料という、和歌山に関する本などは別途違うルートもあるそうだが、この会社が作っているカタログの中から職員が選ぶという流れらしい。ジャンル別に担当者がいるらしく、いわばその人の好みが反映されるということになる。もちろん、選ぶのはカタログからなので担当者のカラーというよりもむしろカタログを作った人のカラーと言ってもいいかもしれない。まあ、一般書店ではないのだから、本屋大賞みたいに、私の好みで選びましたと言われると、公共施設としてのバランスを欠くことになるからこのほうがいいのかもしれない。
この会社名、どこかで見たような気がすると思ったら、ウチの会社からひとり出向しているひとがいる。本業とはまったく畑違いの会社だが、調べてみると図書館の業務委託業界では筆頭らしく、となると、我が社は凝りもせず、今度は図書館の運営受託を狙っているのかもしれない。

図書館に並んでいる本はすべて透明なシートできれいにカバーされているが、これも図書館流通センターでカバーされた状態で納品されるらしい。僕はてっきりこれは図書館の人がやっているのだと思っていた。相当システマティックに運営されているようだ。
納品された本は、「日本十進分類法(NDC)」という分類法に従って背表紙のシールが貼られ、データベースに登録されたあと書架に並ぶ。
出版されてから大体1ヶ月遅れくらいで僕たちが読める状態になるそうだ。


肝心のこの本のあらすじだが、ひとりのドキュメンタリー製作ディレクターとお笑い芸人が主人公だ。
ディレクターは、テレビ業界に携わりたいと、ドキュメンタリーを主に製作している制作会社にアルバイトに入る。そこで出であったドキュメンタリー作品に感動し、自身もドキュメンタリーの製作を志し、独特の感性と突進力で業界でも一目置かれる存在になっていった。
お笑い芸人は元ヤンキーの兄弟。そのヤンキー気質があだとなり、芸人仲間には受けるもテレビ業界からは干される立場である。一念発起で始めた、路上で捕まえたひとを笑わせる動画が人気を集め一流芸人へと登り詰める。
しかし、兄に肺がんが見つかり、余命半年の宣告を受ける。自分の生きざまをさらけ出し笑いに変えてきたと自負する兄は自分の最後も記録に残したいと考え、ディレクターにその撮影を依頼する。普通の闘病記では面白みがないと、ディレクターが提案したのは、まだ子供のいなかった夫婦に子作りを勧めることだった。
しかし、夫婦には子供ができない理由があり、それは兄の無精子症が原因だった。
ディレクターはそれ以前にテレビの企画で無精子症のひとと出会っていた。それでも子を持ちたいという希望、そして生まれてきた子供への感動。そういったものを思い出し、キンタマから精子を取り出す手術を勧める。それに同意した芸人のキンタマから取り出されたたった2匹の精子が奇跡を生む。
そんな内容だ。

偶然だが、この本を読んでいる期間、購読している新聞のコラムで無精子症の患者の話が連載されていた。著者はテレビの業界で働いているだけあって、タイムリーな話題を題材にして小説を書いたということなのだろう。
無精子症というテーマはさておいて、芸人という人たちの生きざまについても厳しいというか、驚きというか、ああいう業界で生き残っていくためには凄まじいエネルギーが必要なのだということを垣間見た。そういった芸人たちを間近で見た人でなければこういった書き方はできなかったのではないのだろうかと思うのだ。
一昨々日にはM1グランプリを放送していたが、ひとを笑わせるというのはそれほどに難しいことなのだろう。自分の身を削り、笑いを絞り出しているのだ。
大分昔、仕事場に設置されているホールの隅っこで、イベントの出演者としやってきていたミサイルマンという漫才師の太い方が、相方に真剣なまなざしで何かを語っていたところを見た。おそらくはどうやったら客を笑わすことができるかということを語っていたのだと思う。ちょうどその頃、COWCOWというコンビが「あたりまえ体操」で全国区にのし上がったころで、同じイベントに出ていた太い方が舞台の隅っこからCOWCOWをにらみつけるような目で見ていたのが印象に残っている。
きっと、うらやんでいるというのではなく、いつかはこいつらを超えてやるという気持ちか、自分たちの方が絶対面白いという自負のまなざしであったのだろう。

常に貪欲に目の前の目標に食らいつくという姿勢は真似ができない。そんな人たちだけに与えられるのが生きる価値なのではないかと思う1冊であった。
結末は落語のオチのようだが、偶然出会った本としてはいい方だったと思う。

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