イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「サイエンス・インポッシブル ~SF世界は実現可能か~」読了

2017年10月31日 | 2017読書
ミチオ カク/著 斉藤 隆央/訳 「サイエンス・インポッシブル ~SF世界は実現可能か~」読了

SF小説や映画に出てくる武器や乗り物は現代科学で実現可能かということがテーマの本だ。要は、アメリカ人が書いた空想科学読本のようなものだ。(もう少しお硬く書かれているけれども・・)

まずは実現度合いを3つのステージに分けている。
実現可能度 Ⅰ:現代の物理法則に則って、科学技術が進歩すれば実現可能
実現可能度 Ⅱ:現代の物理法則の周辺にあるような際どい部分を使わないと実現できない。もし実現できたとしても数千年後の未来になるかもしれない。
実現可能度 Ⅲ:現代の物理法則では実現できないもの。まったく新しい物理法則の発見が必要。
となっている。

Ⅰのステージではスターウォーズに出てくる、ライトセーバー、スタートレックの転送装置、フェイザー銃、シールドなどなど。そのほか、宇宙エレベーターや恒星間飛行が可能な宇宙船などが取り上げられている。念力まで書かれているが、それは科学ではないような気もするが・・・。
Ⅱのステージではデススター、ワープ航法、タイムマシン、インフレーション理論で語られる別宇宙への旅行など。
Ⅲのステージでは永久機関や予知能力が取り上げられている。

どれもこれも途方もないエネルギー量(恒星数個分くらい)をコンパクトにして人が持てたり乗り物に積み込んだりしてできるもので、Ⅰのステージのものでも数十年先、数百年先に実現できるかどうかと書かれている。デススターが本当にできてしまっては困るのだが、今の物理法則に照らし合わせると作れないことも無さそうらしい。ただし、映画のような形ではなく、パルサーという放射線のジェットを噴出している星(超新星爆発を起こした星の残骸だそうだ。)のジェットの向きを変えて破壊したい星に照準を合わせるという方式になるそうだ。
ただ、そのときの人類が持っている科学技術力というのは、タイプⅢ文明という途方もなく高い科学力を持った文明に発展するまで待たなければならないようだ。
文明の進歩段階も4つのステージで分けて説明されているのだが、タイプⅠ文明というのは太陽エネルギーですべてのエネルギーをまかなえるようになった文明。タイプⅡ文明は恒星が持つエネルギーを余すところなく使いこなせる文明。タイプⅢ文明は銀河規模のエネルギーを使いこなせる文明。今の地球は主に化石燃料を燃やしてエネルギーを得ているのでタイプ0文明に分類される。

そのタイプ0の文明の最低ラインに位置している僕から見るとどれもこれも実現不可能に思えるけれども、すでに現在の技術の数々がかつては不可能だと言われてきたものであったそうだ。今までの科学技術の歴史を見てくると不可能やありえないということを克服してしてきた歴史でもあったのだ。
100年ちょっと前までは原子の存在さえも疑われていたそうだ。それが今はその原子を見ることができるようになり原子を構成する素粒子までも見つけようとしている。宇宙の始まりはそんな素粒子サイズだったというところまでわかってしまった。
そしてそれを利用して実際に今の生活が成り立っている。車が自動で走り始めるのも目の前に迫っている。そうなってくると、ここに書かれているとんでもないような乗り物や武器が実現しないとも限らない。

しかし、理論の裏付けと技術が出来上がっても、さて、それを誰のお金で誰のために作るのか。光速を超える宇宙船しかり、宇宙エレベーターしかり、世界の富のすべてを何倍すれば完成するのか・・。地球が亡びようとするとき、その宇宙船に誰が乗るのか。これはもめるぞ。
今でも宗教、民族紛争、格差、イデオロギー、世界の人々を分断する要因はいくらでもある。
だから残念ながらこの本に書いている科学の産物はすべて実現不可能になる可能性が限りなく100%のような気がする。
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台風22号とダウンサイジングとトンガの鼻

2017年10月30日 | Weblog
この週末はまた台風が押し寄せてきた。
しかしながら今回の台風は気圧は大したことがなくて被害はそれほどでもないだろうとは考えていた。

ただ、昨日の勤務中、台風の進路と雨の様子が気になって気象庁のホームページを眺めていると雨は相当降りそうだ。先週のトラウマがあるのと少しのサボりたい心も相まって怠け者と呼ばれようが臆病者と呼ばれようがこれは早く家に帰ろうと有休に切り替えてお昼に会社を出た。
結果的にこれがよかった。

家には午後2時過ぎに到着したので月末5倍ポイントセールをやっている釣具屋にかねてから考えていた船釣りの道具のダウンサイジングを考えるべく新しいリールを買いに行った。僕は真鯛釣りはPE2号、タチウオ、チョクリはPE3号を使っている。しかし、いろいろな人の話を聞くとこれは少々オーバースペックなのではないかと思い始めた。
そこで、真鯛は1.5号、タチウオは2号のPEラインに切り替えてみようと思い立ったのだ。今まで使っていたリールに新しいPEライン2号を巻き直しタチウオ用に、1.5号用に新しいリールを追加した形になる。3号を巻いているリールはチョクリと飲ませサビキでまだまだ使えそうだ。



さて、これが効果を発揮してくれるのかどうか・・・。

家に帰ってテレビを見ていると学生時代からの友人から電話があり、「阪和線が止まっているけど、こんなときはどんなルートで帰るの?」という問い合わせであった。別に僕のことを心配してくれているのではなく、和歌山から大阪に帰らせなければならない人がいて、その手立てを知りたくて僕のところに電話をしてきたというわけだ。
それで初めてJRが止まっていることを知った。あわててパソコンを立ち上げて調べてみると、僕の乗った電車がそこを通過した約1時間後に盛り土が抜け落ちたようだ。



今回は僕の怠け心と臆病心が幸いしたようだ。振替輸送の区間は南海高野線経由で和歌山線利用。あのまま会社に居残っていたらどうなっていたことやら。しかし、相変わらずだが、JRというのは一体どんな了見をもっているのだろう。それは確かに、JRも天気のせいで迷惑を被っているのであろうが、乗客のことを考えたら、橋本経由で和歌山市へ向かえとよく言えるものだと言いたい。

翌日は台風一過。
元々休日だったので船の舫いを解いたついでに以前から見に行きたいと思っていた「トンガの鼻」へ行ってきた。地元のNGOか何かが保全のようなものをやっていたとは知っていたが、雑賀崎のどこかというのはわかるのだが、そこがどこにあるのかということはまったく知らなかった。
たまたまホームページをちらちら見ていたら、小学生のころ父親と水軒一文字に釣りに行くために歩いたルートが「トンガの鼻」らしいということがわかった。
当時、水軒地の一文字に向かうルートは二つあって、船を係留している港付近から海岸線をたどってゆく道、それと今は廃墟のようになっている七洋園という旅館の横から山道を越えてゆく道であった。
確かにこの看板の横にカブを置いて二人でたくさんの荷物を持って木の生い茂っている山道に入って行ったように思う。いつもボラ釣りに連れて行ってもらっていたので大量のヌカを背負わなければならないのだ。父親は小柄な人で体重は40kgそこそこしかなかった。今思えばよくあんなものを背負って山道を歩いたものだ。

 

僕はこの道が気持ち悪くて嫌いだったのだが、海岸線を行くルートは満潮時には通れなくなるのでいつもこの道を歩いた。
防波堤への最後のアクセスはほぼ垂直の崖をロープを伝って下りてゆく。

 

そこは今も変わってはいなかったけれども道中は当時の記憶とはまったく変わってしまっていた。狭い山道は切り開かれ、左には番所の鼻もよく見える。

 

そもそも、“鼻”という名前がついているので岬状の地形のはずだけれどもそこがピンと来なかった。しかし、看板を見ると確かに岬状の地形になっている。
ここの北側はすでに埋め立てられているのでそんなことがまったくわからなくなってしまっていたのだ。



一文字へ下りては行かなかったが、この道を辿ったのは多分40数年ぶりのことだった。
昨日の幸運と今日の新しい発見は新しいリールに光を当ててくれるだろうか・・・。

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加太沖釣行

2017年10月26日 | 2017釣り
場所:加太沖
条件:小潮 3:30干潮 10:33満潮
潮流:7:35転流 11:40 上り2.9ノット最強
釣果:カスゴ 2匹

翠勝丸に乗り込むのはなんと3週間ぶりだ。
秋の長雨と台風が重なりこんなに長くなってしまった。仕事柄一応天気の記録みたいなのをつけているのだが、昨日まで11日間雨が降っていた。梅雨時でもこんなことはないのではないだろうか。おかげでスクリューには何やらたくさんの生物が付着してしまった。またまた速度が遅くなる・・・。



今日は先日の台風21号の危難のおりに救世主となってくれた隣に係留しているN氏とそれぞれ客人を乗せての出港となった。
彼と彼の客人は台風の時のブログに書いた通り、タイラバの達人である。今日はそれを横から盗み見ようという魂胆なのだ。

午前5時45分に出港。今日は久々にお日様を見た。



達人チームは多分僕たちより15分は遅れて出港したはずだがポイントに到着したのはほぼ同時であった。すごい高速だ。指定されたポイントは僕はまず行かないところだ。沖ノ島の遥か南。

  

ここら辺りに船団を見ることはあったけれども多アジを狙っているのだろうと思っていたが、ここは潮が動き始めるのが早いそうだ。今日の潮止まりは午前7時35分。ここからのスタートというのは理にかなっているのだ。



確かにアタリはすぐにあった。舳先に座る客人であった・・・。僕ではなかった・・・。しかしなかなか魚が乗らない。台風の大雨で水が濁っているからだろうか・・。



その後も達人の船にコバンザメのように付きまといながらこのポイント付近を攻めてみるけれどもなかなか魚がハリに乗らない。



潮は上りに転じ始めるのでここで意を決して達人と別行動に転じた。まずは濁った水を避けるべく沖ノ島方面へ。そこの第三テッパンポイントはまだ濁った水が迫ってきていなかった。そこで同乗者が小さいながらチャリコを上げた。
やはり戦略は間違っていなかった。しかしながらここもすぐに紀ノ川方面から流れてきた濁流にのみ込まれてしまった。濁流に追いかけられるようにコイズキまで行ったが今度は潮の速さと強い北風で釣りにならない。水は濁っているが第二テッパンポイントへ移動。しばらくはアタリがなかったが、再び同乗者にアタリ。そして僕にもアタリ。なんとかボウズは免れた。しかしながら客人も僕も型は小さい。真鯛ではなくてチャリコ、カスゴだ。その後潮流が最強になる時刻の少し前に一匹追加して午前11時40分に終了。

港に帰り船の補修。台風の雨が強烈だったのか、エンジン場に雨漏れが発生していたのだ。この週末はまた台風が接近するという予報なのでそれまでにとりあえず手を打っておかねばならない。客人はもっと釣りを続けたいようであったが補修をする作業時間を考えるとこのくらいで港に引き返さないと暗くなってしまう。
しかし、こんな作業は釣りから帰って急ぎの作業をするものではない。マスキングテープを剥がすと所どころ仕上がりに不安のある個所ができてしまっていた。今度の雨を経験してみて再度作業のやり直しをしなければならなくなりそうだ・・・。



記録:


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「超ひも理論をパパに習ってみた 天才物理学者・浪速阪教授の70分講義」読了

2017年10月23日 | 2017読書
橋本幸士 「超ひも理論をパパに習ってみた 天才物理学者・浪速阪教授の70分講義」読了

最先端の物理学を物理学者とその高校生の娘との会話でわかりやすく解説しようというものだ。が、全然分かりやすくない。まあ、文科系の大学しか出ていないのでそれはそれで仕方がないことだとは思うが・・・。

テーマにしているのは、物質は“質量”というものをいかにして得ているか。そんなもののようである。その理由には四次元以上の次元の世界が関係しているという。
物質は原子でできているが、その原子はクオークというもっと小さな素粒子でできている。陽子は素粒子が3個集まってできているらしい。
どうして四次元以上の次元世界が関係しているかというと、低い次元の住人は高い次元の切り口しか見えない。異次元にまで広がっているものは切り口が通り過ぎていってしまうと消えてしまったように見える。そんな風に素粒子の世界をか考えると陽子には質量の違うものがたくさんあったり、陽子を構成する三つのクオークを分離できないとかいうことが説明できるらしい。
実際にそんなように見える現象が実験でも見ることができてきているということだ。

しかしながらこの次元にあるはずの物質が異次元空間で説明できるというのはおかしくないのか?というところから生まれてきたのが超ひも理論と言われるものらしい。
素粒子というのは粒様の形ではなく、ヒモのような形をしているというのだ。そういう風に考えると素粒子(光子)と重力がすぐに説明ができるらしい。
ひもは1次元なのでひらひら揺れる方向は1方向しかない。光が偏光するのはそうだからだそうだ。
そして、輪ゴムになったようなひもは重力を生み出す。ちなみに重力を生み出すのも素粒子で、グラヴィトンという。輪ゴムは右方向と左方向の2方向に波打つことができ、どうしてだかわからないがそれが重力を生み出すもとになるらしい。

登場人物の女子高生はパパの解説でそこそこ理解しているようだが、読んでいるこっちはさっぱりわけがわからない。
まず、頭の中で想像してもまったく形が浮かんでこず、ヒモが僕たちの体の原料というのなら、昔の家の藁と土とを混ぜた壁のようなものを考えればいいのか・・・。それとももっと技術が進んだFRPを想像した方がいいのか・・・。

電車の中で見る、化粧にしか興味のなさそうな女子高生を見て、こいつらは人間のクズじゃないかと思っていたけれども、僕も脳みそのレベルはこいつらとあまり変わらないような気がしてきた。僕はクズどころか、細切れのヒモなのかもしれない。それはあまりにも小さいからきっとホコリとかチリとかそんなものなのだろう・・・。

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台風21号の恐怖と悲しみ・・・

2017年10月22日 | Weblog
台風21号が迫っている。

今日も出勤だったのだがこれ幸いと午後3時に会社をバックれて帰宅の途についた。余裕で帰れると思っていたのだが、阪和線に乗り込んだとたんに和泉砂川駅の雨量計が基準値を超えたので南海電車で振替輸送をするというアナウンスが流れた。南海はどんなときにも運行を続けてくれるはずだったのだが、今回の台風は雨量が半端ではなかったようだ。みさき公園から和歌山市駅の間で線路が冠水して運転を取りやめていると言い始めた。
これはまずいなととりあえず日根野駅で下車してしばし黙考。なんの知恵も出て来ず、運行情報を収集しようと持参してきたタブレット端末をいじくり始めた。電波状態は悪いがJRのwi-fiが一瞬つながって現在の状況をつぶやいてみた。
いつも船のメンテナンスのことでお世話になっているちからさんから、「それなら関空まで行って高速バスという手が残っているよ。」と返信をもらった。そうか、そういう手もあるか!と次にやってきた関空快速に乗り込んだ。しかしながら最後の頼みの高速バスもすでに運行を取りやめてしまっていた。
仕方がない。これはもう、日根野に戻ってタクシーしかない。ところが日根野駅のロータリーは人で溢れかえっている。それに対してタクシーは1台も来ない。もうダメだ・・・。改札の駅員に代行輸送のバスは出ないのかと聞いてもつれない返事だ。こいつらは乗客を目的地まで確実に運ばなければならないという使命感のかけらもないのだと改めて気づかされた。やっぱりJRだ。大企業だからお高く止まっていやがる。

ウチの奥さんに電話をして、日根野駅まできてくれないものか?と頼んでみるとまったくつれない返事だ。「そんなところまで行けるわけない。」しかし、息子も免許を持っている。ひとりで不安なら息子を連れて出向いてくれてもいいだろう。それでも不安なら実家の父親に頼んでみようと考えてくれてもいいだろうに・・・。家族の絆とはこんなものだったとは思わなかった。これからも僕が危機に陥っても多分同じような状況になるのだろう。きっと。
さあ、どうしたものか・・・。見捨てられることの恐怖と悲しみをしみじみ味わった。なんとか怒りだけは抑え込もう。

そこで頭によぎったのは、僕の隣に船を係留しているNさんだった。かれは紀伊駅のそばに住んでいる。日根野からは近いと言えば近い。(和歌山の中心部から比べればだが・・・)ダメ元で電話を入れてみると二つ返事で救援を引き受けてくれた。
ひどい雨の中、風も強くなってくる中、申し訳ないけれどももうこの人にお願いすることしか思い浮かばなかったのだ。
阪和高速も通行止めになっている中、かれは1時間以上かけて不案内の道のり、日根野駅までやってきてくれた。

お互い釣りの好きなもので、帰りの道中はずっと釣り談議でこれはこれで楽しいひと時であった。かれは新しい船を進水させてから短期間で名人級と言えるほどタイラバの腕を上げている。ポイントその他もろもろの秘密情報も教えてもらって何から何までありがとうございました。という感じだ。
同じ職場に勤めていたころ、彼はたまにフラッとあくまで仕事のために(ぜったいヒマつぶしではない。)事務所にやってきてくれてよく釣りの話をしたものだ。職場が変わってからは港で会った時に少し話をするくらいになってしまったけれども今日は恐縮しながらも楽しかった。

家に帰ってパソコンを開くとちからさんからも、「日根野までなら走ろうかと思ってました。」とのメッセージが。みなさん、ほんとうに優しい人ばかりだ。ありがたい。

このブログを書いている間、南海電鉄は羽倉崎駅まで運行区間を伸ばしたようだ。線路が陥没したそうだけれどギリギリのところまで動かそうという心意気がすごい。対してJRは阪和線全線の運転を取りやめている。社会的に見てこんな企業姿勢というのは許されるのだろうか。NHKもそれを忖度してか、交通情報に阪和線の運休を表示しない。誰も問題にできないくらいに巨大な企業なんだろうな。きっと。





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船底塗装

2017年10月18日 | Weblog
今日は小船の船底塗装。

今日まで4連休をもらっていたが、日頃のおこないが悪いのか4日目にしてやっと雨が上がった。



本当は15日は加太へ釣りに行って、16日に船底塗装、18日は安息日と思っていたのが予定がまったく壊れてしまって今日になってしまった。
今日は釣りに行けそうな天気でもあったが11月に入る前にやっておかないと間もなくコウイカが釣れ始めるのだ。
前回は6月4日に塗装をしたのだが、底の平らになっている部分を十分きれいにやりきれなくてフジツボが集中して成長してしまうのですぐに船足が遅くなってしまう。

大潮だったので今回は潮汐力を使って陸上に揚げた。



約2時間で船がほぼ陸上に出現するのだが、こんなのを見ていると、月の引力というのはえらいものだと思う。海水の動きがわかるくらいの速度で潮が引いていく。38万キロメートルの彼方から海の水を引っ張っているのだ。この、引力を発生させる要因は量子力学では素粒子が媒介しているとしている。“グラヴィトン”という素粒子が地球と月の間に充満していてそれが引力の源だというのだ。素粒子が鎖のようにつながって海水の粒ひとつひとつを引っ張っているとでもいうのだろうか。
やっぱりさっぱりわからない。

海水から上がってしまうとそこからは作業は急ピッチだ。気温も低いので体力を十分に温存しながら2時間もかからずに作業は終了。予報では午後3時には再び雨が降り始めるらしいので、船を固定した位置は水際ギリギリにしておいた。と言っても適当に位置決めをしただけだったのだが、復元作業も午後1時には終わることができた。



試しに船を走らせてみると、いつもの滑走状態が戻ってきた。エンジンをフルスロットルにすると怖いくらいに海面を滑走する。今回もその平らになっている部分はきれいになっていないのだがこれでなんとか冬を越せるだろう。

記録:
5:07 満潮 潮位183センチ 11:14干潮 潮位59センチ 
7:15陸揚げ開始 10:30完全に露出


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「限りなく完璧に近い人々 なぜ北欧の暮らしは世界一幸せなのか?」“未”読了

2017年10月16日 | 2017読書
マイケル・ブース/著 黒田 眞知/訳 「限りなく完璧に近い人々 なぜ北欧の暮らしは世界一幸せなのか?」“未”読了

サブタイトルは「なぜ北欧の暮らしは世界一幸せなのか?」となっているが、著者はそんな北欧の国々の制度、暮らしを揶揄して異様にしか見えない。
デンマークは過去の栄光を引きづり、外のことに無関心。
アイスランド人は自分たちが世界の覇者だと勘違いしている。
フィンランドはすでに石油に依存しすぎている。
このあと、スウェーデンの章が続くが、読むのを止めてしまった。
僕は読み始めた本はどんなに面白くなくても最後まで読み切る主義だが、この本は読む価値がないのではないかと思った。

デンマークは元々王国だったが、1500年代からどんどん領地を減らしてきたものの、その頃のプライドをずっと引きずっているというのだ。だからデンマーク人は何にでも国旗を付けたがる。
アイスランドはヴァイキングの国。自分たちが一番力を持っていると勘違いしている。リーマン後の金融危機にも危機感を抱いていない。
フィンランドは石油が発見されたことで国は豊かになったが石油が枯渇した後のことを考えていない。
などなど、スウェーデンに対してはどんな評価を下したのかは知らないが、少なくともこの三つの国に対しては政治だけでなく、国民性に対しても批判の言葉を浴びせている。国民性なんて、その国の人すべてがそうであるわけでなく、たとえそうだとしてもそれを他の国の人にとやかく言われる筋合いはなかろう。

北欧の国々はすべて高い税率と引き換えに手厚い福祉の恩恵を受けている。教育、医療、年金、おそらく普通に生活してゆく分には何の不安もない。しかし、著者はそこに自由があるのかと問いかけている。競争がないところには本当の自由はない。安定した生活の中には革新は生まれないと言いたいようだ。
しかし、自分は自由だと思うためには少なくとも生活の安定が必要だ。そういう意味では北欧のシステムというのは素晴らしいと思うがどうだろうか。

イギリスとデンマークを比較して書かれたコラムを以前に見つけていた。
内容は以下のようなものだった。

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デンマーク人は今あるものに感謝する能力に長けていて、今の状況に満足をしているんだ。もうひとつは、社会が非常に平等だということ。だからこそ誰にでもチャンスがあるということが大きい。北欧諸国では、誰もが高等教育にアクセスできるため、自分がなりたいものになれるというチャンスがある。

これに対して私が生まれ育った英国は、教育という点では劣る。どれだけおカネを持っているか、どれだけちゃんとした地域に生まれたかで、その後受けられる教育が決まってしまう。

ここから世界が学べることはひとつ。すべての子どもに平等な教育の機会を与えることだ。大学教育も含めて。

――あまり幸福感を感じていない日本人が、デンマーク人から学ぶべきことは何でしょうか。

日本人がすぐに幸福感を感じられる国民になるような明確な回答はないが、たとえば小さなことでも感謝する、今あるものに感謝するという姿勢が大事だと思う。何かモノを得て満足を得るのではなく、家族や友達と過ごしたり、自然の中で過ごしたり、高くなくてもおいしいモノを食べたりという、意味のある時間にもっと重きを置いたらどうだろうか。

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この本にも、デンマーク人は集落のつながりを大切にして現状に非常に満足している。と書かれていた。それを別に解釈をすると「過去の栄光を引きづり、外のことに無関心。」となるのであればちょっと著者の心はひん曲がっているように思う。ちなみに著者は英国人だ。

どちらにしても日本の今の状況よりもはるかにいいのではないだろうか。
今は選挙の真っただ中だ、制度は変えることができても文化を変えることはできない。多分、昔の日本も集落のつながりを大切にして現状に非常に満足しながら人々は生きてきたに違いない。
壊れてしまったものは多分、もう元へは戻らない。北欧の人々はきっとそういうことがわかっていてそれを維持するために高い福祉制度を発達させたのであればだれに揶揄さることもないのではないかと思うのである。


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「ノミのジャンプと銀河系」読了

2017年10月15日 | 2017読書
椎名誠 「ノミのジャンプと銀河系」読了

久々に椎名誠の本を読んだ。20年ほど前は読む本のほとんどがこの人の本だったこともある。
椎名誠といえば、20代のサラリーマン生活を描いたもの、怪しい仲間たちと日本中をうろついたエッセイ、世界の辺境を目指した体験、そしてナンセンスなSF、自伝的小説といくつかのジャンルがある。今話題の藤井聡太四段の愛読書のひとつになっていた「アド・バード」は作家の書いたSFだ。

しかし、この作家も御年73歳。この本はそんな作家の集大成のようにも思える。
様々な体験の中で生まれてきた疑問、SFにちなんだけた違いな宇宙の大きさや未来の技術について多分僕も読んでいるような一般向け書籍なんかを参考にして書かれたエッセイになっている。
一般向け書籍を参考にしている脱力感というところが椎名誠らしい。

なんだか、世界の辺境を渡り歩いた船乗りが年老いて、ロッキングチェアに揺られながら昔を思い出している。そして、実際に目にしてきた普通では考えられないけた違いの世界を目の前にいる誰かに自慢するわけでもなく淡々と語っている。そんな感じがする。それはそれで人生の玄冬の頃をこんなに過ごせれば本望なのではないかと思うのだ。

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「キリンの子 鳥居歌集」読了

2017年10月13日 | 2017読書
鳥居 「キリンの子 鳥居歌集」読了

「鳥居」という歌人を知っているだろうか。ネットでの紹介文を拾い集めてまとめると以下のような感じになる。

三重県出身。自殺、貧困、虐待、いじめ、不登校、DV、ホームレスなどの現代日本社会が抱えるさまざまな不幸をその生い立ちに抱えた天涯孤独の少女だ。
2歳で両親が離婚し、小5の時には目の前で母に自殺され、その後は養護施設でいじめや虐待を受け、満足に食べ物や服も与えられぬまま、ついには不登校に。施設を出てからは、親類からの嫌がらせが止まらずDVシェルターへ避難したり、血のつながりのない人の家を転々としたり、ホームレスを経験した。学校に行けなくなってしまったために、養護施設の職員が読み捨てた新聞で文字を独習したのだという。
現実が何もかもいやになった時、図書館で出会ったのが「短歌」だった。短歌の持つ「孤独のにおい」に自分と同じものを感じ、生きづらい現実を異なる視点でとらえるための「短歌」に惹かれながら、すがるように独学でよむようになった。
現代歌人協会の2012年の全国短歌大会で、穂村弘さん選で佳作に選ばれ、短歌界で最も歴史ある「第61回現代歌人協会賞」受賞。
「鳥居」とは、神の世界と人間の世界をつなぐ結界である。このペンネームには現実と非現実、2つの世界の境界を越え、自由に行き来できるような力を短歌に宿したい。同時に年齢や性別を超える存在になりたい、という思いが込められている。
こんな境遇のひとがいるのだということにも驚きであるが、そんな人が短歌を詠むとは・・・。

こんな環境だったので中学は“形式卒業”という形になっていて夜間中学などで再度学びなおそうとしても受け入れてくれないそうだ。そんな境遇の人々というのは歌人のような人だけではなく、不登校を経験した人たちもあてはまり、学びの機会をもう一度得たいという気持ちと、ちゃんと中学を卒業しなければセーラー服を脱ぐことができないという気持ちでセーラー服を着続けて活動をしているらしい。

短歌のことなどまったく分からないけれども、こんな悲惨な境遇を詠んでいるにもかかわらずその雰囲気は淡々としていてむしろ透明感さえ感じる。友人が目の前で電車に飛び込んで自殺をしたという場面を詠んだものもあったけれどもそれさえも生々しさを感じない。
短歌とはこういうものなのだろうか、それともこの歌人だからこその詠み方なのだろうか・・。
それでも世の中を悲観しているふうでもなく、中には家族のすばらしさ、自然のすばらしさを詠んでいるものまである。そういう、何かに光明を見出せる人だからこそこうやって世の中に出ることができたのだとは思う。
僕にはそんな感性があるわけはなく、この歌集に勇気付けられるようには思わないけれども、歌人のように世の中の嫌なこと、嫌いなこと、ついでに嫌いな人にも何かの光明を見つづけて生きたいものだ。
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「外来魚のレシピ: 捕って、さばいて、食ってみた 」読了

2017年10月12日 | 2017読書
平坂寛 「外来魚のレシピ: 捕って、さばいて、食ってみた 」読了

外来生物や外来植物というと、ブラックバスかキリン草くらいしかすぐに思い浮かんでこないのだが、相当な種類がすでに日本にやってきているらしい。
この本は、そんな外来生物のうち、水辺にいる生き物を獲って食べようという企画だ。外来生物といってもほぼ全部魚(ひとつだけカミツキガメというのがあった。)なのでまずは釣りをするところから始まる。
もともと食用に導入されたという過去を持つ魚が多いようで、食べるとけっこう美味しいそうだ。ペットとして入ってきたものでも、カミツキガメは絶品らしいのであなどれない。
そんな外来生物はほとんどが特定外来生物というものに指定されているらしくて生きたままの移動が禁止されている。
大体、淡水の生物は泥臭くて少しの間きれいな水で泥を吐かさないと不味いと言われているが、著者もそれに習ってその場で締めて料理を始めてもかなりの味わいというのだから大したものだ。
僕もブラックバスだけは食べたことがあるけれども、確かに美味しい魚であった。

釣ったものを何でも食べようというのは賛成で、僕も普通の釣り人は持って帰らない魚をよく食べる。サンノジはカルパッチョにするとかなりいけるし、ボラはこのブログに何度か書いたとおりだ。青ブダイは肝に毒があることをあとから知ってあわてふためいたが、煮物もフライもうまかった。カンダイもしかり。タカノハダイはこれが釣れる日は水温が低くてアウトなので仕方なく持って帰る。酢を入れて煮付けにすると美味しい。今はさすがに食べないけれどもギンタも食べた。(ギンタと聞いてその姿を思い浮かべられる人はかなりの魚通なのではないだろうか。)というか、僕の魚釣りのルーツはギンタ釣りだ。小アジの前にギンタ釣りで魚釣りを覚えたのだ。小学校に上がる前によく和歌浦漁港に父親に連れていってもらった。100円で買うオチョコに一杯のゴカイでかなりの数が釣れた。ヌルヌルして小さい魚だけれども母親はやはり酢を入れて煮てくれた。どこの地方かは忘れたが、これの干物は高級品になっているとテレビで見たのはほんの数年前のことだった。そういえば、この魚は最近めっきり見なくなった。どうしてなんだろう・・・。
中には不味いものもある。イズスミはダメだった。あれは苦い。それに切り身にしたとたんに身が見る見る黒ずんでくる。見た目も悪かった。黒アナゴは美味しいけれども骨が多くて食べにくかった。

和歌山の川や池にどれだけの外来生物が潜んでいるのか知らないが、そんな情報があるのなら、僕も一丁釣ってみようかなんて思ってしまう1冊である。
まあ、釣技の無さが最大の問題になってしまうのであるが・・。
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