イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

加太沖釣行

2024年02月29日 | 2024釣り
場所:加太沖
条件:中潮8:42満潮
潮流:6:56転流 10:06上り1.6ノット最強 13:00転流
釣果:真鯛1匹

昨日からサラリーマン生活最後の有給消化をさせてもらっている。昨日は叔父さんの隣からキンカンをもらってきて砂糖煮を作っていた。1.8kgのキンカンの種を3時間かけて取り除いたのだがずっと座った姿勢でいたので腰が痛い。




腰が痛かったからというのでもないのだろうが、防寒着のズボンを忘れて家を出てしまいかなり寒い思いをしてしまった。これは腰が痛いのが原因というよりも、物忘れがひどくなったということだろう。カメラの電池の充電も忘れてしまっていて、1枚撮っただけで動かなくなってしまったし、海の上で帰り支度をするときもスパンカーを閉じる段取りを間違えてしまい船の上で右往左往してしまったのだ。普通にできていることを忘れていってしまうというのはなんとも情けない・・。

幸か不幸か、バイクのカゴの中にヤッケのズボンが入っていたのでそれを穿いて出港した。



今日も上り潮だ。とりあえず四国ポイントでサビキをしてみて反応がなければテッパンポイントに向かおうと考えている。

今日は平日にも関わらず四国ポイントには数隻の船が集まっている。



そしてテッパンポイント方面には帝国軍が集まっている。
四国ポイントの船団に混ざって仕掛けを下ろすがアタリはない。ついでに魚探の反応もない。30分ほどやってみたがまったく反応はない。集まっている船は一向に移動する気配はないが移動を決意。
もう少し北上したかったがテッパンポイントの手前で大きな反応が出てきた。



S邦丸だけがいるだけだがここから高仕掛けに変更して始めることにした。しばらくしてS邦丸はどこかへ行ってしまいこの海域には僕だけになってしまった。それでも魚探の反応は続いていて、この反応は真鯛というよりもアジかハマチじゃないのかと思ってサビキ仕掛けに変更して釣りを続けた。しかし、この反応は一体何なのだろう。これだけ濃い反応があっても一向にアタリはない。そうこうしているうちに仕掛けを根掛かりさせてしまった。オモリも失くしてしまったがこれが奏功した。残りの時間はダメもとで高仕掛けで終えようと思っていたら強烈なアタリが出た。一気に走っていったのでこれはハマチかと思ったが途中から首を振り始めた。ひょっとして真鯛かと思っていたら海の底から知トイ影が浮かんできた。けっこう大きな型の真鯛だ。交通事故みたいな形で得た魚だが、理由は何でもいいとりあえずボウズは免れた。もう1匹あれば叔父さんの家に持って行けると思ったがその後はアタリはなく、魚探の反応も消えてしまった。
潮が緩んできたタイミングでもう一度チャンスがあるのかとも思うのだがズボンを忘れて寒さも堪えて忍耐もそこまでは持つこともなく午前10時を待たずに終了し。

帰り道、四国ポイントではさらに船団が大きくなっていた。



潮が動き始めて魚が釣れているのか、それともここ以外にどこにも船団ができていないところを見るとこれは妥協の産物として少しでも船の集まっているところに雪だるま状に船が集まっているだけなのか・・。
その日の釣果が貧果であればあるほどそんな思いが募るである・・。

このブログはその翌々日に書いているのだが、釣行の翌日はなぜだか堺の街をぶらついていた。
目的は堺伝匠館。先日買った出刃と柳刃の生まれた場所を見たかったのである。



博物館には僕の包丁を鍛えた伝統工芸士の紹介もあった。



その後は仁徳天皇陵へ。途中立ち寄ったビジターセンターのプロジェクションマッピングはなかなかの出来であった。



その後も陵墓をほぼ1周してみたが、こんなに大きいものを重機もなしに1000年以上前によくも作ったものだと感心を通り越して呆れてしまった。堀は三重になっているようだが、当時、作業に駆り出された人たちはきっと、お堀は一重でいいじゃないかと思ったに違いない。

  

かなり前、ここを歩いたことがあった。調べてみると、ちょうど18年前の今頃であった。その頃は外周を巡ることができるような道は付いていなかったように思う。付近にあった大学が移転してその後に整備されたようだ。僕も当時の年齢は40歳を少し超えたほどの年齢であった。時の流れを感じてしまうのである。

堺の街は思っていた以上に大きな街であった。



和歌山も歴史の古い街であるがここにも歴史が詰まっていると感じた。今度訪れる機会があれば自転車を借りて巡ってみたいと思ったのである。

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「海の怪」読了

2024年02月27日 | 2024読書
鈴木光司 「海の怪」読了

この本もタイトルだけを見て借りた本だ。最初、「死ぬかと思った」というような実録ものかと思ったのだが、著者の名前を見てこれはホラーだなと分かった。この人の本は2冊目だ


ネットで検索しても著者の趣味がクルージングやダイビングというのはまったく出てこないが、大型クルーザーやヨットで日本列島のあちこちに出かけるような趣味を持っているらしい。前に読んだ本でもダイビングの描写がすごく詳しかったので本当に詳しいのだと思う。
その知識を生かした、どこまでがフィクションでどこからが実体験かがわからないような物語の進め方だ。それゆえによけいに真実味が増してくるのだろう。うまいストーリー展開だと思うのだが、失礼ながら小説のレベルはどうかというと、印象に残るような一元半句がまったく出てこない。ある意味簡単に読めてしまう。
ホラーだから仕方がないのかもしれないが、“死ぬ”ということを簡単に書きすぎているようにも思える。「命が抜けてゆく」という表現はなかなかうまいとは思ったが・・。
だから、特に思いを込めた感想は書けない。
かなりひがんだ書き方になるが、こんなにゴージャスな船旅をする人たちにはどんどん、幽霊や怨霊やお化けやゾンビやエイリアンが憑りついてくださいと彼らを応援したくなる。
貧乏船釣りライフを人生のすべてをかけて首の皮一枚でつないでいる僕には、どうか憑りつかないでくださいとお願いするばかりである・・。

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「土 地球最後のナゾ 100億人を養う土壌を求めて 」読了

2024年02月26日 | 2024読書
藤井一至 「土 地球最後のナゾ 100億人を養う土壌を求めて 」読了

著者は土の研究者だ。「土壌学」という学問があり、土を資源と考え分類や有効活用を研究するというものだ。著者の志は高く、もうすぐ100億人に達するという地球の人口を養ってくれる肥沃な土を探すことだという。
そもそも、「土」の定義だが、『岩の分解したものと死んだ動植物が混ざったもの』とされている。だから、太陽系だけを見ると、生物が存在する星が発見されていないので今のところ、地球以外には土は存在しないということになる。
ちなみに、砂や粘土の定義はその直径で分類される。砂は0.02mm~2mm、シルトは2マイクロメートル~0.02ミリメートル、粘土は2マイクロメートル以下である。
そして地球上に存在する土(土壌)は最終的には12種類に分類することができる。
著書に合わせてAIにその分類と特徴をまとめてもらうと以下のようになる。

*****************************************************
・未熟土:岩石が風化してできた土。特徴が少なく、肥沃ではない。
・若手土壌:火山灰や砂礫などの新しい物質からできた土。火山活動の盛んな地域に見られる。
・永久凍土:一年中凍ったままの土。極地や高山に存在する。
・泥炭土:水分が多く、植物の遺体が堆積した黒い土。寒冷地や湿地に分布する。
・ポドゾル:酸性で養分が少ない白い土。針葉樹林に多く見られる。
・チェルノーゼム:腐植が豊富で肥沃な黒い土。草原地帯に広く分布する。
・粘土集積土壌:粘土が下層に集積した赤や黄色の土。乾燥地域に多い。
・ひび割れ粘土質土壌:乾燥するとひび割れる粘土質の土。熱帯や亜熱帯の乾燥地域に分布する。
・砂漠土:砂や礫が主な成分の土。乾燥地域に広がる。
・強風化赤黄色土:鉄やアルミニウムが風化してできた赤や黄色の土。熱帯や亜熱帯の湿潤地域に分布する。
・オキシソル:鉄やアルミニウムが酸化してできた赤い土。熱帯雨林に多い。
・黒ぼく土:腐植が豊富で肥沃な黒い土。熱帯や亜熱帯の湿潤地域に分布する。
****************************************************
それぞれの土壌について、本の中に出ていた説明を加えてゆくと、
未熟土は、岩石が風化した土というとおり、すべての土の始まりである。岩の上にわずかばかりの厚さで存在する土壌である。
それらは風や雨に侵食されて流されてゆく。「しんしょく」を漢字で書くと「侵食」であるが、よく間違うのは「浸食」である。僕もきっと「浸食」だと思っていた。
侵食された土壌は山を下って平野部へ堆積してゆく。古い遺跡が土の中に埋まっているのはこの現象が原因である。
山の斜面などに堆積している落ち葉や根を含む腐植層の下に存在する褐色の粘土質の土壌が若手土壌だ。日本では褐色森林土と呼ぶ。
永久凍土はAIの説明では一年中凍ったままということになっているが、学会では「2年以上0℃以下」という基準を満たせば永久凍土と名乗ってもよいということになっているらしく、夏の間、少し地面を掘れば氷が出てくるような土壌も永久凍土と呼ばれている。こんな場所でも、凍土の上には地衣類やコケが生えている。
泥炭土は北半球では永久凍土の地域から少し南に下ったところにある。アラスカの川の水が茶色いのはこの土の成分が川の水に溶けだしているからだ。また、ウイスキーの醸造に使われる大麦を燻すのもこの土を乾燥させたもので、醸造に使う水も泥炭の成分が溶けだした茶色い水が使われるそうだ。「ウイスキーづくりに最適な水はウイスキーと同じ茶色をしている」とも言われているそうだ。イギリスのアフタヌーンティーの習慣も泥炭土から生み出される水の味が不味いから生まれた文化なのだそうである。
ポトゾルは、ロシア語で「灰のような土」という意味である。針葉樹林の根や微生物が放出する有機酸によって粘土のアルミニウムや鉄成分が溶けだして砂だけが残った砂質土壌である。アルカリ成分が溶けだしてしまっているので酸性の土壌になり、農業には適さない。土壌の中では層をなして白い部分が見えるのでそのコントラストは美しくも見える。
チェルノーゼムは黒土とも呼ばれ、最も有名な地域はロシア南部からウクライナ地域だろう。アメリカのプレーリーや、アルゼンチンのパンパもチェルノーゼムだそうだ。
これらの地域は、そこよりも西にある地域から風に乗ってやってくる土砂が堆積し、草原由来の腐植と混ざり合って肥沃な土壌を作る。表土は酸性でもアルカリ性でもなく中性なのだ。基本的に土壌は雨が多ければ酸性に、少なければアルカリ性に振れるものだが、中性の土壌というのは世界的にもまれな土壌なのだそうである。
この土壌が肥沃になる大きな要因は、ミミズとジリスやプレーリードッグといった小動物たちらしい。彼らが低温で乾期があるため、分解しきらない腐植をかき混ぜることで深くまで腐植のある肥沃な土壌ができあがる。
粘土集積土壌はチェルノーゼム地域から北に移動した雨が多い湿潤な気候の地域に現れてくる。カエデやポプラなどの樹木が生い茂る森の下にあり、その場所の土壌は雨が多いせいで酸性に傾いている。地表の粘土粒子は雨によって下層に流され砂の多い表土と粘土の多い下層土の二層構造をしている。下層の土は肥沃なので樹木を伐採し、耕して混ぜ込んでしまうと肥沃な農地に姿を変える。
粘土集積土は熱帯や亜熱帯にもあり、アカシアやバオバブの木が点在するサファリパークの世界の土壌もこれである。
高校の地理の時間に習った、「テラロッサ」もこの土壌に分類される。懐かしい・・。
ひび割れ粘土質土壌はかつて湖の底であったような場所に現れる。土中の粘土質の割合は60%もあり、水や養分を多く保持している。肥料やスプリンクラーのコストが少なくて済む、肥沃で農業効率のよい土壌である。
日本の水田の土もこの土壌に分類される。
この、日本の水田の土だが、かなりよくできているらしい。田んぼは雨が多い地域に多いので土壌は酸性だ。それが、灌漑水を入れることでカルシウムなどの栄養分が補給されることで粘土にくっ付いていた酸性物質が中和され中性になる。水を張った土の中は還元的(嫌気的、ドブ臭くなるなる状態)になり鉄さび粘土が水に溶ける。すると鉄さび粘土に拘束されていたリン酸イオンが解放され植物の養分として利用可能になる。日本の土壌が抱える、酸性と養分不足という問題が一気に解消されるのである。加えて、水を張ったり抜いたりすることで病原菌の繁殖も防いでいる。畑と違い、田んぼはあまり手が掛からないというのもこういう理由があるからなのかと納得した。
砂漠土の定義は、1年のうち9ヶ月以上土が乾き、植物がほとんど育たない乾燥地の土で、こういった乾燥地の土をひとまとめにしている。こういった地域の地下水は塩分が多く、毛細管現象で上昇してきた地下水が蒸発して塩分だけが残るので、舐めてみると塩辛いことが多いそうだ。
強風化赤黄色土はAIがまとめている通りだが、表面は背丈のある大きな樹木で覆われているので肥沃な土壌だと思ってしまうが、巨大な樹木は大量の養分を吸収する。その際に多量の酸(水素イオン)を放出するそうなのだが、その酸は岩も溶かし、深くまで風化した土壌が残るだけとなる。
オキシソルは強風化赤黄色土がさらに風化した土壌だ。熱帯雨林の伐採が進むとこの土壌が増えてくるというのが定説だそうだが、著者の見解では平らな平原に限りこの土壌が生まれ、その他の場所にはほとんど見られなかったということであった。
黒ぼく土は、日本でよく見かける土だ。特に関東以北に多い。腐植の含有量はチェルノーゼムよりも多く、10倍もある。日本の気候だと腐植はどんどん分解されてしまうはずだが、粘土の種類がアフェロンという言われるものが多く、この粘土は反応性が高く、腐植と強く結合することで数千年もの間保存されることになったという。一見肥沃な土壌に見えるが、アロフェンは植物の必須栄養分であるリン酸イオンも吸着し植物にいきわたらせなくしてしまう。それが原因で酸性となり肥沃とはいえない土壌である。ソバは根から有機酸(シュウ酸)を放出してアルミニウムや鉄と結合したリン酸を溶かし出し、吸収することができるので東北地方に行くとソバが名物になっているのである。現在では通気性のよいふかふかの土壌を生かして高原野菜やジャガイモ、サツマイモなどが栽培されている。
この土の黒さは炭素の二重結合が原因である。炭素がこうなると植物は分解できないので最後まで残り、黒さが引き立ってくるということになる。

う~ん、たかが土といっても奥が深い。そもそものことだが、腐った植物が混ざっていないと土とは呼ばれないのだということはこの本を読んで初めて知った。そして、その腐植はただ単に砂や泥の中に混ざっているのではなく、電気的な結びつきや吸着力によって強固に結びついているらしい。粘土はマイナスの電気を帯びていてプラスの電気を持った金属イオン(カリウムやカルシウムイオン)や有機酸を引き寄せる。だから、黒ぼく土のようにたくさんの栄養を蓄えていても植物には栄養がいきわたりにくい土もある。

こういうことを知ると日ごろ見ている土の見方が変わってくる。いつも野菜を持たせてくれる叔父さんの家の畑はほとんどが砂でできている。この辺りは昔、紀ノ川の河口だったと言われている場所で、紀ノ川が運んだ砂の畑なのである。人間が畑を作る前はきっと養分がほとんどない未熟土だったに違いない。それに手を加えて様々な有機物を加えながら畑の土に作り替えてきたのだろうと思うと、先人の努力には脱帽するしかない。最近はどんどん住宅地に作り替えられてしまっているが、それはきっと土と先人に対する冒とくと言わざるを得ない。もったいない話だ。
僕の家の庭の土は堅く締まった赤土だ。去年、そのままミントを植えたら全然うまく育たなかった。きっと粘土集積土の下の方、山の方でよく見る斜面を切り落としたところに見える土だろう。この本を読んでみるとうまく育たなかった理由がよくわかる。今年はその轍を踏まぬよう、まあ、実験的であるが、この前採ってきたワカメのクズを鋤き込み、焚火の灰を撒いてみた。腐植を加え、酸性を中和しようという考えだ。まったくの素人がやることなので本当に効果があるかというのはまったくわからないが、さらに山に行って腐葉土を取ってきて柔らかさを与えてやろうとも思っている。

著者が探している、100億人を養うことができる土は果たして見つかったのか・・?
目下のところ、そのヒントは土の謎とともに土壌の奥深くに埋もれたままだそうだ。
確かに、そんな土の謎が簡単に見つかっていれば、肥沃な土地を奪い合うような戦争も起こりはしない。土壌のプロの前途は多難のようである・・。

中途半端にウケを狙った文章にはあまり好感を持てなかったが取り扱っているテーマにはものすごく興味を持てた。

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「そっとページをめくる 読むことと考えること」読了

2024年02月19日 | 2024読書
野矢茂樹 「そっとページをめくる 読むことと考えること」読了

タイトルが気に入って借りてみたが、この本がどんな内容なのかはまったく知らずに借りた。小説なのか、エッセイなのかもまったくわからなかった。たまにはこういった本の選び方もいいのではないかと思った。

選んだ本は著者が書いた書評を集めたものであった。著者は哲学者だが2017年4月から2019年3月まで朝日新聞で書評を書いていたそうだ。僕も毎週土曜日の書評欄は必ず読んでいるので知らず知らずのうちに読んでいたはずだ。書評に関心があっても、それを書いた人にはそれほど関心を持っていなかった。申し訳ない・・。しかし、それほど純粋に書籍について主観を交えずに書かれていたということだから関心を持たれていないということはある意味書評を書いた人にとっては名誉なことなのかもしれない。
朝日新聞での書評の書き方というのは、まず、担当の記者たちが選んだ100冊ほどの本の中から自分が読んでみたい本を選ぶ。それらを読んでみて書評するかどうかを決める。朝日新聞の書評は400字、800字、1100字の3種類があるらしく、この本は何字で書評しようかと自分で決める。持って帰っても書評しなかった本を別の人が書評したりすることもあるらしい。

たくさんの本の書評が集まった本の感想文というのはどう書いていいのかわからない。取り上げられている本の感想を書くというのもそれを読んでいないのだから無理な話だし、著者の書評のしかたを書評するというのもなんだか変な感じがする。
書評というのはその本の内容を正確に読者に伝えるというのがその使命だが、僕の感想文は特にその本の内容を正確に書き残しているわけでもなく、その本の核心であろうがなかろうが自分の価値観に合っているなと思う部分だけを取り出して書いているだけだから書評の書き方が参考になるというものでもない。
“はじめに”の部分で、『自分と同じ考えが書かれてあるとその本はいい本だとほめて、自分と違う考えが書かれているとこの本はだめだとけなす人』がいると書かれているがそれはまさに僕のことだ。著者はそういう読み方というのはつまらないという。『一度読んだだけではよくわからないというのはチャンスであり、二度、三度と読んでみて本の中に潜っていって、聞こえてくる声に耳を澄ます。』というのが本を読む醍醐味だというのだ。
確かにそう思う時は多々ある。この本、もう一度読んだらもっと内容がよくわかるのにと思うものの、残りの人生、そんなにたくさんの本を読めるわけでもなくとにかくたくさん読みたいと思う気持ち勝ってしまう。不可逆的人生のなかではその本の解釈が正しかろうが間違っていようが残念ながら大したことではない。だからやっぱり今までと変わらないスタイルで本を読み続けるのだと思う。

著者が哲学者だと感じるのは、「子供の難問」という本を取り上げているということだ。書評というよりも読み込んで解説しているという感じであったが、子供の質問のうち、「ぼくはいつ大人になるの?」という文章と、「好きになるってどんなこと?」という文章だ。
その答えは自分自身の存在意義というものにつながる回答のように思えた。あえてこの本を取り上げたというのは哲学者ならではの感覚である。
子供の疑問とはいえ、その回答はう~んとうなされるものであったので簡単にまとめておこうと思う。

「ぼくはいつ大人になるの?」という質問に対しては、『かけがえのないものがあるのだということを知ることである。』と答える。さらに、『そのかけがえのない何かを失い、諦めること』で切なさや懐かしさという感情が生じるのだという。
それが大人になるということらしい。
そういえば、僕にはかけがえのないものなど何ひとつないな~。と、この部分を読みながら思っていたのである。

「好きになるってどんなこと?」に対する答えは、『新しい世界に踏み出すこと。』であると答える。好きな人やものができると、それに対してもっと知りたいと思う。それが新しい世界に踏みだすことだというのだが、ここはなるほどとわかる。じゃあ、「好き」の反対の「嫌い」はどうだろう。あるものを嫌いと思うためには嫌いなところを探さなければならない。と、いうことは嫌いなところを探すために関心を持たねばならない。それはすなわち「新しい世界に踏み出している。」ということになる。ならば、本当に嫌いになるためには「無関心でいなければならない。」という。そのものを自分にとって意味も価値もない状態に据えるのである。なるほどとは思うのだが、これは結構難しそうだ。ある意味修業が必要ではないのかとも思えてくる。
最後に、この回答をした哲学者は、「自分を愛さなくては、人を愛することはできないが、人を愛さなければ、自分を愛することはできない。」と語る。エヴァンゲリオンの中で綾波レイが語る言葉と同じだが、庵野秀明もこの本を読んでいたのだろうか・・。

せっかくの書評集なので、その文章を読んで、僕も読んでみたいと思った本を記録しておく。
「大人のための社会学」 井手 英策 宇野 重規 坂井 豊貴 松沢 裕作
「新しい分かり方」佐藤雅彦
「新哲学対話」飯田隆
「思考としてのlandscape地上学への誘い」石川初
「タコの心身問題」ピーター・ゴドフリー・スミス
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ワカメ採り

2024年02月17日 | Weblog
なんだか今年のワカメ採りはやめておけという神のお告げのようだった。前回の釣行で始動することがなかった船外機だがバッテリーを交換したもののまったく動くことはなかった。今日もうんともすんとも言わない。一体何が悪いのだろう。電気系統が完全に死んでしまったのだろうか・・。
何度もチルトモーターのスイッチを入れていると、エンジンは一瞬だけ息を吹き返しとりあえずスクリューは海水に入った。
おお、これで行けるんじゃないかと思ったらセルモーターも回らない。ああ、これはもう、やっぱり完全に電気系統が死んでしまっているのだ・・。

どうしようもないので修理屋さんに電話を入れてみる。ひょっとしてヒューズが切れているのではないかとアドバイスをもらい、なんとか探し当てることができて点検してみたが異常なし。これで万事休す。今日のワカメ採りはあきらめて修理屋さんの到着を待つ。
約30分あるのでほかに診るところはないかとふとバッテリーのマイナス側の電極を見てみると少し錆びている。試しにドライバーの先で磨いてセットしなおすとエンジンが息を吹き返した!
もともと、プラス側の電極は6年前の台風で浸水したときかなり電蝕してしまっていて、今日も少しだけ磨いておいたのだが、マイナス側は何もしなかった。元々、電極は掃除しておこうと思ったが、家を出るとき、例によって物忘れがひどく、紙やすりと接点復活スプレーを持って出るのを忘れたことでここで手を抜いていたのだ。しかし、端子が少し錆びているだけでこんなに違うのかと驚いた。マイナス側は見た目はそれほどひどいものには見えなかったのだ。古いバッテリーも実は死んでいなかったのだろう。もったいないことをした。
すぐに修理屋さんに侘びの電話を入れて出港。

今日は10:27に満潮だ。小潮なので潮位の変化は少ないが少しでも潮は引いているほうがよい。30分のロスは大きいが仕方がない。
いつものポイントに到着してみると岩場の底に所々に黒いものが見える。



Nさんからはすでにワカメは生えてきていると聞いていたが間違いはない。
早速カネを差し込んでみると小さいながらワカメが上がってきた。しかし、大半は干すにはかなり小さい。少し大きいワカメだけを残して採り続ける。



大きいものだけ選んでいても全体的に小さいのでなかなか嵩が稼げない。まあ、その分やわらかくてよいワカメであるのには間違いはないが。
1時間ほど同じ場所で採り続け少しだけ場所を移動してみるとここは全体的に大きい。もっと早くここに移動しておけばよかった。

もう少しここで採りたいのだが干す作業のことを考えるといつまでも採り続けるわけにはいかないので午前10時前に終了。

お昼までに干し終え、再び港へ。チルトモーターが動かないのでスクリューは水没したままなのである。
セルモーターが息を吹き返したことを考えてみると、チルトモーターが動かないのはきっと電極が錆びて抵抗値が高くなっているのだろうと考え、もう一度磨き直すためだ。ついでにプラス側の電極も取り替えておこう。

結局のところ、チルトモーターが復活することはなかった。久々に港に来ていたFさんに聞くと、セルモーターのほうがはるかに電力を食うので普通ならセルモーターが動けば問題なくチルトモーターは動くはずのだそうだ。まったく認識を間違っていた。

ついでにダンパーの油圧解除の方法も教えてくれたのでスクリューの大半は海面に引き上げることができた。
しかし、このまま放っておくわけにもいかず、結局修理を依頼することにした。
大体の値段を聞いてみたが、10万円くらいはかかるらしい。
なんとも高くついたワカメ採りなのである・・。

Fさんと少し話をしていると、老後の収入についての話題がでてきたのだが、彼の会社は定年後の収入はそれまでの8割は保証されているそうだ。振り返って、僕の定年後の収入はそれまでの半分以下になる。給与ベースもおそらく僕の会社よりも3割は高いようだ。業界の強さの違いと能力の差が如実に出ているというところなのだろうが、そんなことを知ってしまうと今回の修理代がもっと重くのしかかってきてしまうのだ・・。
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雑賀崎沖釣行

2024年02月13日 | 2024釣り
場所:雑賀崎沖
条件:中潮8:46満潮
釣果:アマダイ3匹

定年退職前1回目の連休の最終日も天気がよい。昨日の安息日に続いて今日も安息日にしようと思っていたのだが、あまりにも天気がよいので釣りに出た。気がつけば半月も小船を動かしていない。昼前から風が吹くという予報だったが、それまでなら小船でも大丈夫だろう。
いつものところでアオイソメを買い午前6時半ごろ港に到着。チルトの調子が悪くて、今日もきちんとエンジンが下がり切るかどうかが不安だったのでとりあえずはエンジンを始動させてから必要な機材を大きい方の船から移そうと考え、チルトのスイッチ入れると、うんともすんとも動かない。とうとうチルトモーターが死んでしまったか、それともバッテリーが死んでしまったか・・。仕方がないので大きい方の船で出港した。



ポイントは10日に釣った場所から少し北だがほぼ同じ場所だ。



今日は竿を3本持ってきた。潮が流れなかった場合、キャスティングで広範囲を狙ってやろうと思っている。それにエサ取りがまったくない釣りなので間違いなくエサが余るので出せるだけ竿を出そうという考えだ。エサを捨ててしまうのはもったいない話だし、この釣りはテクニックというよりも確率の釣りだと僕は思っている。竿が多いほどアマダイが食ってくる確率は上がるはずだ。

手持ちの竿を準備し、舳先の竿をセットして、キャスティング用の仕掛けを準備していると手持ちの竿が海に引き込まれそうになっている。いきなり魚が喰ってきたようだ。この連休の釣りはやたらと竿を持っていかれてしまう。
急いで竿をつかみやりとりを始めると、かなり大きい魚だということがわかる。アマダイじゃないんじゃないかと思いつつ、これがアマダイだとかなり大きいはずだとあらぬ期待が沸き上がってくる。去年の夏に釣ったサイズと同じじゃないかとドラグを緩めて慎重に巻き上げてゆく。
魚の影が見えてくると間違いなくアマダイだ。それも確かにかなり大きい。計ってみると限りなく50cmに近い。



船はまっすぐ沖の方に流れているのでアタリがあった場所に戻りたいと思うのだが、この頃からバッチ網の船が多数やってきた。



バッチ網の間を縫って地方へ戻るがアタリはない。何回目かの移動の際、竿を上げてみると小さいながらアマダイが掛かっていた。アタリがあったことにまったく気がつかなかった。魚がいるのは間違いがない。そんな想像すると大きな獲物があったとはいえ2匹では寂しい。なんとかあと2匹と考えているとキャスティングの竿が動いた。先ほどよりも少しましなサイズだ。せっかく持ってきたキャスティングの竿だが、持ってきた仕掛けではテンビンに絡んでしまうことがわかったので船の真下にほうり込んでおいた。
やっぱりこの釣りは確率の釣りであった。竿を出すだけアタリの確率が上がる。
その後はアタリもなくなり午前10時前に終了。
竿を3本出してもやっぱりエサが余ってしまった。これはもったいない。ハーフサイズのパッケージを作ってもらえないかしらと思うのである。

今日感じたことだが、使っている鉤のサイズがどうも大きすぎるようだ。何度かエサだけがなくなることがあった。これはきっと、鉤が大きすぎてエサを飲み込まないのかもしれない。
口の大きな魚だから鉤はなんでもよかろうと使わなくなった大きな鉤を適当に使っていたのだが、今度はもっと小さな鉤で挑もうと思う。


港に戻り、もう一度小船の様子を見てみた。バッテリーが原因だとすると気温が上がって少しは電力が回復しているかもしれない。チルトスイッチを何度か押してみると一瞬だけ動いた。しかし、その後は再び沈黙・・。中途半端に動いたのでプロペラの下が海水に浸かった状態になってしまった。これはまずいことだがどうしようもない。チルトモーターが少しでも動いたのできっとバッテリーが弱っているのだろう。バッテリーの交換だけで済んでくれればありがたいのだが・・。



少し早めに釣りを切り上げたのは「海南サクアス」に行きたかったからだ。



先週の日曜日、「鉄腕ダッシュ」の「0円食堂」のロケがおこなわれていた。今の仕事場は連休明けには手土産を持ってくるというのが慣例になっている。この番組で紹介されていた「蔵出しミカン」はけっこう話のネタになるのではないかと考えた。オープン当初は人が入れないほどの賑わいだったらしいので一度は行ってみたいとも思っていた。
テレビの威力はすごく、紹介されていたトマトと天ぷら専用のにんじんは空っぽになっていた。

 

蔵出しミカンも半分は空っぽになっていたが、きっとここにはテレビで紹介されていた生産者のミカンが乗っていたのだろうと思う。



しかし、ぐるっと店舗の中を回ってみたが、野菜の品揃えはとれたて広場のほうが豊富だし、魚は浜のうたせのほうが多彩な魚が並んでいると感じた。
ほかに買うものはないかと物色していると、番組でも紹介されていた「祝蕾」という野菜があったので買って帰ったが、これは意外にも美味しかった。



家に帰り、スマホに上がってくるニュースを見ていると、今日の日経平均は1000円以上上がっていたらしい。



先週売らずに我慢しておけばよかったと思ってもあとの祭りだ。
大きなアマダイを釣っても嬉しさは半減だ。よく考えたら、そういえば今日はアタリを取って魚を掛けることがなかった。すべての魚は向こうから勝手に喰ってきたものである。
そんなことを思い出してしまうと嬉しさは四分の一に減ってしまった。


アマダイはこと調理については素人泣かせだ。身が柔らかいうえにウロコを残して三枚におろさなければならないので捌くのは難しい。しかも大きいアマダイは脂がすごかった。一番切れる出刃包丁を使ったが、脂がべったり着いて刃が進まない。



加えて大きなアマダイはウロコも大きいのでこれは食べられないだろうとウロコを引こうと思うのだが皮にしっかりへばりついて剥がれない。無理に取ろうとすると皮も一緒に剥がれてしまう。それでも貴重な魚を余すことなく食べるため丁寧に捌くと、残った生ごみは尾びれひとつだけになった。



苦労して捌いたアマダイの兜焼きはゼラチン質のトロっとした部分がすこぶる美味しい。嬉しさは挽回されて二分の一に上昇したのである。


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住金一文字釣行

2024年02月11日 | 2024釣り
場所:住金一文字
条件:7:42満潮 13:22干潮
釣果:チヌ2匹(画像のうちの1匹はもらいもの)

3日連続の釣行というのはけっこうしんどいものだが、今回の連休は晴天続きだ。先週は風が強くて中止になったが3日目の釣りは2回目の住金一文字だ。

集合時間は午前9時。僕の釣行基準からするとかなりというかとんでもなくゆっくりなのでその前に雑賀崎の旧正月の風景を眺めに行ってみた。



何度かは訪れたことはあるけれども、恵美須神社にお参りしたのは初めてであった。漁船に大漁旗が飾ってあるだけかと思ったら神社にも飾りがしてあるというのを、今日釣りに連れて行ってもらうNさんから教えてもらった。というか、この飾りをしたひとりがNさんだというのである。



Nさんは僕より6歳ほど年上の人だが、なぜだかこういうボランティア活動をいろんなところでやっている。ご本人曰く、「みんな何でもワシにやらせようとするんや。」ということらしい。それだけ地元の人に頼りにされているということで、ご本にも進んでそういうことをさられるのでいい意味でのボランティアのスパイラルになっているのだと思う。
定年退職後は再就職せずに悠々自適でボランティア活動と釣りと磯遊び三昧の生活をしているそうだ。僕は経済的にまったく無理なことだが、なんともうらやましく理想的な生き方だ。

午前8時過ぎに恵美須神社に行くと、すれ違いでお膳に御神酒を入れる酒器と小皿を乗せた人が下りてきて、ああ、恵美須さんにお供えをしていたものを引き揚げてきたのだなと思っていた。神殿の前に着くと、板の上乗ったお米にお神酒をふりかけたものがたくさん乗っていて、辺りにはお酒の香りが漂っている。
ここでは恵美須神社にお参りをするときにはこんなことをやっているのかと思っていたら、漁師らしきひとたちが続々と最初にすれ違った人と同じものを持ってやってくる。お米とお神酒の正体はこの人たちが置いていったものらしい。よく観察してみると、お膳には酒器とお米が乗った小皿、小鯛や赤足エビが乗っている。
お参りしていた漁師さんに聞いてみると、ここではこういうお膳を持ってお参りに来るのだということであった。どういう意味がこもっているのだろうかと知りたくなる。古いしきたりが今でも残っているということはなんともいいことであるなと思う。



そういえば、お正月に来た時には何の飾りもなかったのでここでは旧正月のほうが重要な行事だということがよくわかる。隣の田ノ浦や和歌浦では今日はなんてことない普通の日曜日にしか過ぎない感じであったのだからここは正当な伝統を守っている貴重な存在なのである。
水軒なんか、漁港自体が消えてなくなってしまっているのだから大違いだ。

港に戻るとちょうどNさんの友人のNさんがやってきたところであった。今日もNさんとNさんの友人と僕の3人での釣行だ。
さっそく船に乗り込み住金一文字を目指す。意外と波が高く、加太に行っていたらかなり苦戦してしまいそうであった。

仕掛けの準備をしていざスタート。前回の釣行を参考にして今日は装備をいろいろ変えてきた。竿休めためのロッドキーパーをセリアで購入し、船に積んでいる椅子ももってきた。ライフベストは動きが制限されるので以前に使っていたヒップバッグを準備。これで快適に釣りをすることができる、かもしれない。



風と波に反して潮はぜんぜん動かない。前回はものすごかったエサ取りのフグもいない。これは厳しいなと思いながらも、釣果はどうかというよりもフカセ釣りという行為をすることができればそれでいいと思っているのでアタリがなくてもまったく気にならない。
ほかの二人もアタリがないようだが、しばらくしてNさんの友人が魚を掛けたようだ。



魚を掛けたまま移動してきて、「チヌ、いらんか?」と言ってくれるのだが、まあ、僕も釣り師の端くれ、人が釣った魚をもらうわけにはいかない。(と、言いながら1匹もらって帰ってきたのだが・・)この二人は頻繁にここに釣りに来てたくさん釣っているので基本、魚がいらないのだ。ちなみに、夕べは別の場所で夜釣りをしてアジを大量に釣ったらしい。

この時が時合だったのか、僕にもアタリがあった。30cmほどのチヌであった。これで3日連続ボウズを逃れた。朝から初詣をした甲斐があったというものだ。
その後はまた沈黙。ときおりフグが釣れる程度だ。
Nさんは護岸の反対側で釣りをしていたので様子を聞きに行くと、すでに3匹掛けたという。この人も魚がいらないので強引に引き抜こうとしたら途中で切れてしまい小さいのだけ取っているというのでこの魚をもらったというわけだ。
こっちがいいのかと思い、僕も護岸の裏に移動。その頃には干潮時刻になっていて中通しの磯竿では釣りをやりにくい。これは考えものだ。



午後2時が近づいたのでそろそろ帰り支度を始めようと撒き餌ブレンダーを海水に浸けてこびりついたエサをふやかせておこうと思い少し離れた水くみバケツまで持って行った帰り、釣り座のところでピクピク動くものがいる。こぼれ落ちた撒エサをついばんでいる鳥がいるのかと思ったら、僕の竿が海に落ちる寸前であった。ここは表側とうってかわってフグの数がものすごく、釣りをしている時間よりも鉤を結んでいる時間のほうが多いほどであったので仕掛けをほうり込んだままでも問題なかろうと油断をしていた。
僕の殺気が消えてチヌが喰いついたらしい。海面に引き込まれる寸前でグリップを掴んだ。
これも朝から初詣をしたご利益だったのだろう。

急に潮が流れ始め、ひょっとして再び時合到来かと思ったが悲しいかな時間切れだ。合計3匹あれば十分おかずになる。
とにかく、3日連続ボウズではなかったということがなによりも雑賀崎の恵比須様のご利益であった。

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雑賀崎沖釣行

2024年02月10日 | 2024釣り


場所:雑賀崎沖
条件:大潮 7:10満潮
釣果:アマダイ3匹

今でもアマダイが釣れているらしい。時折SNSに画像がアップされているので多分間違いがないようだ。元々、この魚の旬は冬だと聞いたことがあるのでこれはやっぱり一度は行っておかねばと準備した。

まずはエサの購入であるが、いつもの自販機の前で絶句してしまった。ここも値上がりしている。一気に100円の値上がりだ・・。



それに加えて驚いたのが、ここのエサ屋はいつ行っても扉が閉まっているので廃業したのだと思っていたら今日は煌々と灯りが点いていた。値上がりした自販機の写真を撮っているとおばさんが出てきたので、「ゴカイ、値上がりしたんやね~」と聞くと「あら、大分前からやで・・」とのことであった。



大体が夏にしかゴカイを買うことはないので半年ほど前に買って以来だ。そして、多分、このエサ屋は早朝からは営業をしていないのだろう。夏にここに来るのは午前4時ごろだから扉が閉まっていたのかもしれない。今日、ここに来たのは午前6時半。早朝から営業していないエサ屋というのもどうなのかな~とは思うが・・。まあ、ここも昨日の米屋さんと同じく、おばさんがボケ防止に営業しているというような感じなのだろう。

今日のローテーションでは小船の番で、しかもアマダイが釣れるポイントは水深25メートル付近とかなり近場らしいので小船でも十分出ることができる距離なのだが、お昼前から少し風が出そうというので念のため大きい方の船で出ることにした。エンジン場がある分、多少は風よけになって寒さをしのげるかもしれないという思惑もある。



目指すのは雑賀崎の沖25メートル。情報を持っているのは僕だけではないらしく、すでに1艘の釣り船が浮かんでいる。僕も早速準備。いつものとおり前に1本置き竿でスタート。



エンジンを切るのは怖いのだが、どてら流しの釣りだし水深をいちいちチェックする必要もないほどのフラットな地形だ。エンジンの騒音を聞き続けるも嫌だし燃料も節約したいので思い切って止めてしまった。ぱちゃぱちゃという水の音だけが聞こえてその音が心地よい。

仕掛けを下ろしてみるとまったく潮が動いていない。満潮時刻を過ぎて間もなくだったので仕方がないかと思い、これは釣れるとしてもかなり待たねばならないかと思っていたが間もなくアタリが出た。型は小さいが本当に釣れるのだということがわかってホッとした。しかし、その後が続かない。これはやっぱりフロックだったのか・・。
この魚は縄張りに穴を掘って暮らしているので回遊することはないらしい。そこに居なければ間違いなく釣れないので移動することにした。ここよりももっとたくさんの船がかなり沖合に見える。



多分あれもアマダイ狙いだろうと思いそこまで移動。大きいほうの船で出てきてよかった。
しかし、少し沖に出ただけで海況はまったく違う。強い北風が吹いている。スパンカーを広げると船は風上を向くのでエンジン場が風よけになってくれるがどてら流しだとまともに風を受ける。これは寒くてたまらない。せっかくここまで来たけれどもまたもとの場所に戻ることにした。

この時点でもまだ潮は流れない。雑賀崎の漁港が見えるところまで移動してみたり、朝一に釣れたところに移動してみたりと転々と場所を変えてみると、やはり朝一の場所がよかったのか置き竿の方にアタリが出た。少し型は大きくなった。
これで夕食のおかずになる。



まだ潮は流れない午前10時になってアタリもないのでそろそろ帰ろうかと思ったときに再び置き竿にアタリがあった。また型は小さくなったが3匹目だ。これはまだいけるかと延長戦をすることに決めたが今度は風が吹き始めた。置き竿の方は完全に底を切ってしまっている状況だったのでこれを機会に終了とした。

今日は大潮だったがまったく潮が動かなった。これだけ潮が動かないと広範囲に探れないのでアマダイ釣りにとっては不利な状況だろうと思う。いっそのこと、スピニングリールを使ってキャスティングで広範囲を探ってみるのはどうだろうかと考えてみた。
次回、行く機会があれば試してみようと思うのである。

今日の釣果はアマダイを余すところなく使ってみようと骨と皮と頭をす揚げにしてもらった。型が小さいこともあり、少し口の中に残る部分もあるが頭もほとんど食べられる。骨と皮にいたってはこれはきっと身よりも美味しいのはないかと思えるほどである。

さかなクンからの受け売りであるが、アマダイは海底に穴を掘らなければならないし、その中でくねくね動くのでしなやかな体を持っているらしい。だからきっと骨も少し柔らかいのだろう。船の上で内臓を抜いて帰るとほとんどゴミが残らないほどすべて食べられる。



間違いなくアマダイは高級魚であった。

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加太沖釣行

2024年02月09日 | 2024釣り
場所:加太沖
条件:大潮6:08満潮 12:06干潮
潮流:7:20上り3.5ノット最強 11:10転流
釣果:マルアジ?4匹 ガシラ1匹

ここのところ、週末ごとに天気が荒れるので隔週しか釣りに行けていない。いよいよ来月には定年退職ということになるので昨日から少しだけ年休を消化させてもらうことにした。

しかし、その連休に入る前の日、駅まで歩いている途中、後ろから来た車にドアミラーを当てられた。すぐにブレーキを踏んだので相手の車は間違いなく人に当たったということには気づいていたはずだが、そのまま逃げていってしまった。まだ暗い中だし目撃者もいないから逃げ切れるととっさに判断したのだろう。世の中、こうやって罪を犯しても何の咎めも受けずに逃げおおせる輩たちというのは僕が思っているよりもはるかに多いのだろう。悔しいことだ。今の時代にも仕事人がいればいいのにと思う。
幸いにして僕の身体もまだままだ強靭らしくなんともない。その後も、電車の中で座って本を読んでいると前に立っている中学生が振り下ろした腕が僕の本にヒットして危うく落としそうになった。駅に着いてエスカレーターに乗っていると後ろから走って上ってきた男に突き飛ばされなんという日なのだろうとせっかくの明日からの連休に暗雲が漂ってきたような気持ちがしていた。

連休初日の昨日、早速釣りに行こうと思っていたのだが少し風が出そうだった。休みはまだまだあるので翌日に延ばし、車を洗ってから株価の情報を見てみると、お昼前にいきなり日経平均が600円以上上がっていた。



前日はアメリカの株価も上がっていたし企業の決算も好調なようだったのでいくらかは上がるのだろうと思っていたが、異常なほどの上がり方で何があったのかと思っていると、日銀の副総裁が記者会見をして金融緩和を継続すると言ったことがきっかけだったらしい。速攻で投信を売却したのだが、これはまったくの結果往来で何の読みもなかった。僕の同僚たちはこういうことを想定しながら売買をしているのだろうからまったく意味合いが違う。たまたま行ってみたポイントで魚が釣れてしまったというのと同じなのだ。実入りはあっても何の価値もない。

そして今日、天気は少し良くなりそうだ。加太へ向かう。



午前中は僕が好きな上り潮だ。潮が緩み始めるまではアジを狙ってそれから真鯛、潮止り前にガシラを狙うつもりだ。

まずは四国ポイントで反応を見た。



平日なら大体、西脇の漁師がいるのだが、今日は西脇のプロではない2艘が浮かんでいるだけだ。あらまあ、釣れないのかと思うも、とりあえずは様子見で仕掛けを下ろしてみた。
しばらくして底の方の反応が出たと思ったらアタリがあった。けっこう大きなサイズのアジが上がってきた。大きいことは大きいのだがなんだか細長い・・。これはひょっとしてマアジではなくてマルアジじゃないだろうか・・。その割には胸鰭は大きいが・・。よくわからないがとりあえずボウズは逃れた。
その後もピンポイントだが最初に釣れた場所に戻るとアタリが出る。そこを外れるとアタリがない。なんともシビアな釣りだ。
最初はわずかな数の船であったのが気がつくとかなりの数の船が集まってきていた。僕たちが竿を曲げている姿をみた船が集まってきたのだろうが、彼らは遠くからどうやって見つけているのだろうか・・。



あまりにもたくさん集まってきて、ピンポイントの場所に入れなくなってきたしそろそろ潮も緩み始めてきたので真鯛狙いに移動。



テッパンポイントに入ってみたがまったくアタリはない。ここらへんで腹ごしらえと平日には必ず売っている半額になった菓子パンを食べたあと仕掛けを上げてみると真鯛が齧った跡がついていた。結局、これが唯一の真鯛のアタリだったのだが、まじめに仕掛けを操っておけばよかったと悔やんでも後の祭りである。

仕方がないのでガシラを狙いに行ったのだがこれも不発だ。



今日のエサはサバよりもはるかに高級なブラックタイガーを盛ってきた。先日のエサの残りを消化するためでもあったのだが、これを使えば軽く10匹は釣れるだろうと思っていたらえらい違いだ。保険のつもりでいたはずが、ガシラを侮っていた。

今日のマルアジはまったく、突然に高騰した日経平均のようなものだったのである・・・。


今月の末にはチヌ釣りに行きたいと思っているのだが、困ったことにヌカがない。というのも、ここ2年買っていた米穀店が跡形もなくなってしまっていた。



これは困った。釣具屋で買うと米穀店の10倍くらいの値段がする。こういう時はSNSで呟いてみるのがいい。いくつかもらえた情報では無人精米機に置いているとのことであったが、できれば品質のよいヌカがほしい。どこかに洗米店はないかと記憶をたどったら、港と図書館の中間に米穀店があったのを思い出した。精米をしているかどうかはわからないが燃料を補給する前にとりあえず訪ねてみた。
古い店だがとりあえずは営業しているみたいだが、声をかけても返事がない。店の奥を覗いてみるといきなり居間があって(ついでに流し台もあった・・)、お婆さんが昼寝をしている。しかし、何度声をかけても起きてくれない。反対の奥を覗いてみると大きくて古い精米機が据え付けられているのでヌカはありそうだがこれは縁がなかったのだとあきらめて店を出ると奥の方で電話が鳴りだしてどうも婆さんが目を覚ましたみたいだ。もう一度店に入ってみると確かにばあさんは起きていた。
「ヌカが欲しいのですが」と言うと、50円で分けてくれた。もう、いくらでもいいという感じであった。



最近はヌカを買える店が少なくなってしまったので探すのに苦労をしていますと話すと、この店もご主人が去年交通事故で亡くなり閉めようと思ったが、ボケ防止に自分ひとりで営業をしているとのことであった。壁に据え付けられた精米機は「イチドビキ(どういう字を書くのかがわからない。)」という方法のもので、和歌山市にはもう二つしか残っていないと言っていた。この店にも昔は釣り人がヌカを買いに来ていたらしい。
僕もあと2、3年でチヌ釣りは引退だと思っているのでなんとか続けてほしいと思うのである。

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「サヨナラどーだ!の雑魚釣り隊」読了

2024年02月07日 | 2024読書
椎名誠 「サヨナラどーだ!の雑魚釣り隊」読了

雑魚釣り隊の前身は怪しい探検隊という集団だったのだが、その人たちを知ったのはいまからおそらく40年近く前のことだったと思う。(実際は、その前身に「東日本なんでもケトばす会」というのがあり、それが怪しい探検隊になった。)椎名誠という作家の名前を知ったのも、同じタイトルのエッセイだったと思う。テレビが先ではなかったと思うが、毎週日曜日の朝、椎名誠を中心にした中年近い人たちが大勢でキャンプをするという内容の番組が放送されていた。日曜日の早朝にテレビを観ていたということはきっと社会人になってからのことだったのだろうから、本を読み始めたほうが早かったはずである。(そんなことはどちらでもよいが。)それから先、師と椎名誠の本ばかり読んでいた頃もあった。
山賊(というか、海岸べりばかりでキャンプをしていたからどちらかというと海賊だな。)のように適当に集まり、組織立ってはいないが何となく分業しながら何事もグイグイ進めてゆくというひとりひとりの距離感と団結が面白かった。もちろん、アウトドアという舞台にも惹かれていた。

いつかは、どこかにあるそんな集団に加わりたいと思いながらキャンプ道具もいっぱい集めた。しかし、それらは今になってはほとんど使うことなく朽ち果ててしまった。家族ができればキャンプに行けると思ってもいたが、それも儚い夢であった。子供の嗜好というのは絶対的に母親の嗜好に従うのだということをついぞ知らなかった。
テントは友人が貸してくれというので1度だけ他人の手で張られただけ、タープはいまだ広げられたことがない。コールマンの大型のランタンにも未だ灯が燈ったことがなく、ツーバーナーは能登の地震をきっかけにして災害の時にはきっと役に立つだろうと使えるかどうかをみるために引っ張りだしてみると、すでに壊れてしまっていて使えなくなってしまっていた。

よくよく考えたら、小さい頃から集団生活になじめず、遠足も運動会も雨が降って中止になってくれないかといつも願っているような性格だったのでたとえ山賊のような緩やかな集団の中でさえなじめなかっただろうから、大量のキャンプ道具は最初からそうなる運命だったのである。
それに加えて、旅に出ることも嫌いであったのだからどうしようもない。行くのはいいが行ったら必ず帰ってこなければならないというのが面倒だったのである。ついでに後片付けをするのも面倒だ。
何人分ものキャンプ道具を管理するなど最初から無理なことなのである。
無理というと、経済的にも社会的にもやっぱり無理だ。
雑魚釣り隊は「つり丸」という雑誌の企画でスタートし、週刊ポストの連載として引き継がれてきたのだが、当然だが取材費用が出ていたであろう。コーディネーターも存在する。経済的にも根回しにも問題はない。
そして、メンバーの紹介欄を読んでみると、自分の仕事に自信を持っている人たちばかりのようにみえる。みんなクリエイティブな世界の一線で活躍しているようなひとたちばかりだ。原因と結果というものはいつの間にか入れ替わっていることがあるが、一流の仕事ができるから遊びに全力で打ち込むことができ、遊びに全力で打ち込めるから一流の仕事ができるものである。前年踏襲と逃げ腰のサラリーマン生活では遊びも全力で打ち込めないのだとこの本を読みながらしみじみと思うのである。
悲しいけれども、人知れず小さな焚火の炎を眺めるのが関の山ということだ。
それでも、こういった本を読んだり、SNSに投稿されている、河原や自宅でおこなわれている豪勢なバーベキューを見るとうらやましくてしかたがなくなるし、電車に乗りながらビジネス街が近づいていくにつれ、日経新聞を広げている一流ビジネスマンが増えてくる。その間に座って、こんな本を読みながらグフグフ笑っていると、こうなるのもっともだと思うのである。

雑魚釣り隊の釣行記はこの本で最後だそうだ。掲載されている釣行記の連載期間は2019年の始めから2023年の始めまでということで、スタートはコロナ禍が日本中に広がりつつあったころである。僕も自粛はしなかったが雑魚釣り隊も自粛とは無縁の人たちであったようだ。とはいうものの、椎名誠もすでに80歳近くになっていて、なかなか自由に動くこともやりにくくなっていたようである。しかし、大本営として自らはほとんど動かずとも配下の隊員やドレイたちからの報告を素に面白おかしくその状況を描写している。昭和軽薄体は令和の時代でも健在であった。

雑魚釣り隊は三度どこかの雑誌に引き継がれるのか、それともこのまま消滅してしまうのかはわからないが、椎名誠がその中心にならないかぎりはもう二度とこんな集団は現れないだろう。そう思うと残念で仕方がない。
ここでも時代がひとつ終わったということか・・。
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