イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「男子厨房学入門」読了

2014年09月28日 | 読書
玉村 豊男 「男子厨房学入門」読了

タイトルだけを見て買ってみたがいったいどんな人が読むために書かれたものなのかよくわからない。
一応、ビギナーのための入門書となっているが、とくに入門書とは思われない。まあ、そんなことを思いながら読む本ではなくて、玉村豊男が書いた本だということでこの人のファンが読むものだというところか。


いちばん共感したのはあとがきだ。
「男の進化論」と題された論理には、高度経済成長とは、自分自身の生活環境を自分自身の手で整えようとする方向に背を向けて、国のため、社会のため、家族のため・・・つまりすべて“他人”-自分以外の人々-のために自分の力と時間を注ぐことに専心するようになった結果を生み出し、衣食住にかかわる人間にもっとも大切な部分を他人にやらせるようになり、日々の暮らしを営む行為そのものが利潤を生まないものとして軽視されるもとになったものである。
だからいまこそ男は進化しなければならないのだ。再び、他人本位の生活から自分本位の暮らしへ、外の生活よりウチの生活を大切にする方向へ脱却をはかるべきだ。と、説かれている。
これにはうなずかされてしまう。西暦2000年を前にして書かれた文章であるが、2014年の今にはもっと真剣に考えられなければならない論理ではないだろうか。

しかし、たまに魚を釣ってきたときだけ、この魚はこんな料理で食ってみようと思索をめぐらせるだけで、毎日まいにち献立を考えている奥さんには絶対にかなわないとあらためて思い知らされる一冊であった。
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紀ノ川沖、加太沖釣行

2014年09月28日 | 釣り
場所:紀ノ川沖、加太沖
条件:中潮 7:14満潮
潮流:6:02 転流 9:50上り最強2.7ノット
釣果:タチウオ9匹 サゴシ1匹

今日の友ヶ島の潮流は最高だ。時刻、流速、方向、申し分なしだ。日曜日で帝国軍もかなり出撃しているだろうけれども行かねばなるまい。

ポイントへは午前7時前に到着していれば十分なので朝はゆっくり寝ておこうと思ったのだが、季節はずれの蚊が耳元でうるさくて午前3時に目を覚ましてしまった。
せっかく早く起きてしまったのでタチウオを狙ってから加太へ向かうことにした。

午前4時半ごろ家を出ていつものスーパーへ向かう途中、火事?みたいな光景に遭遇してしまった。



民家の庭が真っ赤だ。こんなときは急いで駆けつけて状況を確認して119番なのだろうな。でも消防車が来るまでずっと待っていないとだめなんだろうな。そうすると出港時間が遅くなるな・・・。と思うものの、社会人の義務として火事のときは通報しなければならいだろうと意を決して原チャリから飛び降りた。
家に近寄ってみると、ホースを持ったおっさんが火のそばで番をしていた。しかし、けっこう広い範囲で燃やしてしてかなり高くまで炎が上がっていた。まったく人騒がせだ。まあ、危なくなればあのおっさんが自分で通報するだろうといつものスーパーに向かった。原チャリにまたがってすぐに自転車に乗った団塊の世代と思しきおっさんが僕に声をかけてきた。「あそこ、火が出てるけど大丈夫か?」と聞いてきたのだが、このおっさんも怪しいといえば怪しい。こんな時間に自転車に乗って何をしているんだ。
もう、こんな時間に起きている連中は新聞配達と釣竿を持っているおっさん以外はみんな怪しい。真夜中のスーパーでポリ袋に大量に氷を入れている僕も大概怪しいので人のことは言えないがやっぱりみんな怪しいのだ。
念のため、スーパーを出てもう一度現場に引き返したら、炎は小さくなっていたので一安心して港へ向かった。

出港時刻が少し遅くなって、一文字の切れ目を越えたころには東の空が少し明るくなってきていた。今日はエンジン場の灯りを点さなくても釣りができそうだ。
沖に出て仕掛けを下ろすとすぐにアタリがあった。それに今日は沖の一文字と新波止のつなぎ目で2艘の船がタチウオを釣っているので沖に出ずに地方で粘ることにする。
しかし、この海域で3艘もぐるぐる回っていると危なくて仕方がない。アタリもあまりない。やっぱり曲がり角を曲がった先にはいいことがあるに違いないのか・・・と紀ノ川側へ移動。う~ん。やっぱりいいことがあった。
こっちのほうがアタリが多い。最後には指三本を少し超えるサイズが二連でヒットした。

朝日が出てきたのでタチウオを終えて加太へ針路を変更。



今日の潮では僕のテッパンポイントがいいはずだ。
しかしここはあまりよくないのか、帝国軍はおろか同盟軍もこの海域にはほとんどいない。相当沖に出ている。



でも、僕には自信がある。自分を信じてこの海域で粘ることにする。
魚探にはかなり反応があるが、この反応は真鯛ではない。多分アジだろう。ゴカイを持ってくればよかったと思ったがあとの祭りだ。今日はここで作戦ミスを犯してしまっていた。
かなりこまめに移動を繰りかえして漁礁の上を丹念に攻め続けた。

午前9時くらいまでは穏やかな北風と適度の日差しとまったくないアタリのおかげで睡魔が押し寄せてくる。このまま寝てしまいたい・・・。



最初のアタリは午前8時半。やっぱり時刻どおりだ。しかしこれはすぐに離されてしまった。その間も魚探の反応は続くので舳先でチョクリの仕掛けを下ろしてみた。
何度かの移動のあとにこのチョクリにアタリが出た。サゴシだ。ボウズを逃れたといえば逃れた形になった。
真鯛のアタリはなかなか出ない。時々アタリはあるのだがフッキングまでには至らない。ビニールだけ取られたり、キズがついて上がってきたり。



これはどうも真鯛ではないようだ。

今日の最初で最後のフッキングは午前9時半。あまり大きくはないが間違いなく真鯛の引きだ。道糸を手繰りこんで幹糸に手を掛けてしばらくしてバレてしまった。残念。アタリが少ない日は食い込みも悪いようだ。
ロスタイム20分粘ってみたが今日はこれまで。木曽の御嶽山の噴火が原因か、台風17号が原因か・・・。言い訳はたくさんありそうだが、やっぱり作戦ミスが最後まで尾を引いた釣行になってしまった。

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名草戸畔をめぐってみる。

2014年09月26日 | Weblog
いつぞやの新聞で名草戸畔という人物のコラムが掲載されていた。

日本書紀によると神武東征で進軍中だったイワレヒコ(のちの神武天皇)との戦いで戦死した女性の長だったそうだ。多分、和歌山の卑弥呼みたいな人だったようだ。そのときに頭と胴体と足に切り刻まれて3箇所に葬られ、それぞれそこで神様として祭られている。
日本人は古来、打ち倒したり殺したりした相手を神様として祀ってきた。たとえば菅原道真なんかはその典型で、祟りを恐れたり相手の力が強大であればあるほど祟りを恐れ、また守護してもらえる力も強大であると考えたそうだ。
名草戸畔が殺されたあと、紀氏(日前宮の宮司となる一族)が紀伊の国を統治したが名草戸畔を遠縁に位置づけることで、統治に対する正当性を主張したそうだ。

この話はほとんど神話に近い話なのだろうが、梅原先生の論理を借りると縄文人の名草一族が弥生人である神武に駆逐されたいう文化の交代という出来事を象徴しているものなのだろう。


今日はそこをめぐってみようと考えた。
低気圧が通ったあとで波が残っているだろうし、昨日は送別会で呑み過ぎ、早朝に起きることができないだろうし、体重計に乗ってみると74キロを超えてしまっていた。これは一大事なのだ。
といういくつかの理由で今日は自転車に乗ってめぐることにした。

結果的には1箇所間違って訪ねてしまったので完遂は次回に持ち越しになってしまった。


まずは胴体が祀られているという杉尾神社。毎年生石山に山菜を採りにいく途中にある神社だ。

 

いつもこの看板を見ながら、「なんでお腹なの?」と疑問をもっていたが、こんな理由があったということだ。
訪ねてみると、これは相当荒れ果ててしまっている。というか、手入れがされていないという感じだ。

お腹つながりだろうか、しゃもじがいっぱい奉納されている。お腹の病気から救ってくださいというよりも食いっぱぐれがありませんようにという願いなのだろうか?



次は頭を祀っているという宇賀部神社だ。
ここはものすごく有名な神社だ。受験の頃が近づいてくると最後は神頼みでみんなここにやってくる。頭の神様はやっぱり得だなと思うのだ。



そこから足守神社へ向かったのが、ここを間違えていた。伊太祁曽神社のそばに足の神様があると知っていたので、ここがその、足が祀られているところだと思い込んでしまっていた。
実際は、灌漑用の池である大池(今の大池遊園)を作るための工事に携わった人々の足の痛みの治癒を願うために建立されたものだそうだ。ここはここできちんとした由来があったのだ。

ここは足の神様というだけあって、わら草履がいっぱい奉納されていた。絵馬には陸上競技の選手のものが多かった。う~ん、お腹がかわいそうだ・・・。



本当に足が祀られているのは海南市の千種神社というところらしいので、次の機会に訪ねてみようと思う。
間違った方向にいったおかげできれいな田園風景の中を走り抜けることができた。刈り取られた田んぼのあぜ道には彼岸花がきれいに咲いている。

  

弥生の文化は稲作の文化なので名草戸畔の時代にはなかったであろう風景だ。しかし、高カロリーで保存が効くコメの生産は経済格差を生み、更なる効率化と生産性を求めて自然破壊につながっていった最初の一歩だと考えるとそれはそれで考えさせられるものがあるのだ。


今日の総走行距離は31キロ、帰宅後体重を測ってみると72.2キロまで落ちていた。少しだけホッとした走行であった。





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水軒沖釣行

2014年09月20日 | 釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 3:41満潮
釣果:タチウオ9匹 サゴシ2匹

今日も午前3時に起床。一服して、さあ家を出ようと勝手口を開けてみたら雨が降っていた。今日は第三翠勝丸を動かす予定にしていたので残念だ。
仕方がないので布団に戻ってボ~っとしていると外で虫の声がずっと鳴っている。う~ん、雨はそれほど強くならないのかもしれない。
布団に同化してしまいそうな体をむりやり起こしてボロ服を着なおしていざ港へ。


一文字の切れ目を抜けて仕掛けを下ろしてみたがアタリはない。いつもの通り新々波止の沖へ向かっていたが、タチウオ狙いらしき船は沖の一文字と新々波止の交差したあたりで釣りを続けている。
そこへ行こうか、はやり沖へ行こうか。

アン・シャーリーの言葉を借りると、
「曲がり角をまがったさきになにがあるかは、わからないの。
でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。」

ということになるのだが、「トオクハツレール」の法則はこういう人間が本来持っている本能から導き出される法則なのであろうか。
あの灯台を曲がった先にはきっとタチウオがうじゃうじゃいるに違いないと思う心と、アフリカを抜け出してあの川を越えた先には、あの山を越えた先にはきっといちばんよいものがあるに違いないと思いながら南アメリカの先っちょまで到達した人類の祖先の心には何の違いもないはずだ。

と、いうことでやっぱり先っちょを目指して船を進めることにした。
アタリが出たのはやっぱり新々波止を越えたところだった。アタリが出た周辺をぐるぐる回りながら魚を追加していったが今日は型が小さい。
辺りが完全に明るくなってからも先の船は同じ場所で釣り続けている。あそこも釣れているのだろうかと最後に回ってみたら1匹アタリがあった。こんなに明るくてもアタリが出るのだから、曲がり角を曲がった先でなくてもよかったのではないかとも思うが、やっぱり僕は、「トオクハツレール」の法則に縛られてしまうのだと思う。

この時点で午前6時15分。
今から急いで家に帰って朝の連ドラを見なければならない。来週が最終週。いよいよクライマックスだ。絶対に見なければならない。
いつも見るのは午前7時半からのBS3だ。それで、この時間に合わせて見ているうちにその前に放送している、「カーネーション」も面白くなってきた。こっちも来週が最終週。いよいよクライマックスだ。
モンゴメリも「赤毛のアン」も別に日本で有名な作家や物語というわけではなかったそうだ。ひょっとしたら、カナダでもありきたりの物語のひとつであったのかもしれない。それが訳者の生きがいになり、命を掛けて守り抜くものになる。
何か、人生というのは運命の出会いとか天命とかを求めるのではなく、ありきたりのものに出会い、それを大切に生きてゆくだけでいいのだと悟らされる。
人も、モノも、生き方も・・・。
じつは、魚釣りも僕にとって、そんなありきたりのものだったのかもしれないとおもうクライマックスになりそうだ。
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「君は弥生人か縄文人か」読了

2014年09月18日 | 読書
梅原猛 中上健次 「君は弥生人か縄文人か」読了

タイトルを見るとなんとなく血液型で人の性格を占っているような本ではないかと思ってしまうのだが、対談がこの二人ならそんな単純なことではなくて、濃厚な日本人論だ。
西から勢力を強めてきた弥生人が縄文人を西へ追いやり、わずかに残った縄文の文化、地方に根強く残っている縄文の文化を紐解きながら対話が進んでゆく。

縄文の文化はアニミズムの文化だ。神が自然のいたるところに存在し、畏れ敬いながら生きてゆく。かたや弥生の文明は合理的に自然を利用しつくす。いまの世の中を見てみると弥生の文明が優勢のようだ。
著者達は日本人としては弥生と縄文の適度な混同が日本人独特の文化をかもし出すのだ、どちらかが強くてもダメだと結論付けている。

会話は熊野、アイヌ、日本文学とどんどん飛躍しながら進んでゆく。残念ながら僕みたいな凡人には理解の壁を超えている。

ただ、僕は熊野に行くとなんともいえない安らぎというのかワクワク感というのかを覚えるのは、僕はどちらかというと縄文人なのかとものすごく単純なことしか考えが残らないのが悲しいところだ。
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紀ノ川沖、加太沖釣行

2014年09月16日 | 釣り
場所:紀ノ川沖、加太沖
条件:小潮 5:23干潮
潮流:5:16 下り最強2.4ノット 8:39転流 12:29上り最強2.6ノット
釣果:タチウオ5匹 マルアジ1匹 


今日の起床時刻は午前3時だ。会社の同僚が夜釣りに行っていて、獲物があれば分けてあげますよというので午前3時に電話を入れることになっていたのだ。
半分意識を失いながら電話を入れてみると、まったくアタリがなかったとのこと。う~ん。美味しい食材を逃してしまった。
しかし今の職場の釣り人口密度は前の職場の数十倍はある。それに自宅が漁港のそばという人が多いので魚の話題にことかかない。和歌山県というのは、人口が集まるところ=港という図式になってしまっているようだ。

そいうことで港への到着が異常に早かった。雲量も多くてなかなか夜が明けてこない。スローに引っ張っていてある程度安全なのであろうが視界が利かないのはやっぱり怖い。
暗いうちはアタリがないのはわかっているが明るくなってきてもアタリがない。たまにアタってきてもすぐにはずれてしまう。白い潜行板を透かしてみる水の色はかなり濁っている。釣れない原因はこれなのかもしれない。

ここで粘ってもダメだろうと、まだ薄暗い中加太を目指して針路を変更。
日の出を迎えたのは田倉崎を越えてからだ。今日も朝焼けがきれいだ。



アン・シャーリー風に表現すると、「朝はどんなあさでもよかないこと?今日一日、どんなことがおこるのかわからないもの。」
さて、今日は釣れるだろうか・・・。
とにかく、朝はどんな朝でも美しい。


今日もタチウオを狙ってから真鯛という二段戦法だ。
帝国領内を中央突破して北上。小潮とはいえ中の瀬戸を通過するときは緊張が走る。



この前、テレビで見た場所を目指してさらに北上。紀淡海峡の本線航路が見えてきた。



すでに回りの景色は今までに見たことのない島の配置になってしまっている。遠くへ来てしまった・・・。

   


沖に見える船団はタチウオを狙っているのかと思い、近寄ってみると、水深があまりにも浅い。40メートルほどだ。最低でも60メートルはないとダメだと認識しているのでどこで釣っていいかわからない。ここは真鯛を狙っているのだろうか?



家に帰って調べてみると、どうやら「オコセ」というポイントらしい。覚えておこう。


さらに沖に別の船団が見えるが、あれはあまりにも遠すぎる。淡路島のほうが近くなってしまうではないか。
仕方がないので水深50メートルのところまで移動してテンヤを下ろしてみた。
アタリはすぐにでてきた。
1発目はイワシだけがボロボロになって上がってきただけだった。しかし、アタリがあったのは救いだ。



その後も少しずつアタリがあるが、誘い方、合わせ方がわからない。適当にやりながら3匹を釣り上げた。
そろそろ潮止まりという時間になって、まったくアタリらしきものがなくなってしまった。
真鯛を狙うには少し時間がある。それに、魚探の浅いところに映る反応が気になる。この映像はアジかもしれないと思いチョクリの仕掛けを下ろしてみたら本当にアジが1匹釣れてしまった。これはうれしい獲物だ。
その後はアタリがなく真鯛を求めて場所を移動。上り潮になるので中の瀬戸の南で仕掛けを下ろしたがさすがに小潮だ。全然動かない。日差しも強くなってきて釣れそうな感じがしない。
タチウオの仕掛けを引っ張って、タチウオテンヤをやってチョクリをやって高仕掛けではどうも集中ができない。
沖の船団が気になって移動してみたところ、オレンジのビニールにアタリがあったがハリには乗らず、再びタチウオテンヤに切り替えて1匹追加で暑さもあって午前10時半に終了。




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水軒沖釣行

2014年09月13日 | 釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 8:54満潮
釣果:タチウオ 14匹

今日は加太に行くにはすごくいい潮回りだが突然出勤しなければならなくなった。う~ん。残念。
せめてタチウオだけでもと昨日の芋拾いに続いて2日連続でエクストリーム出社を敢行してみた。



一文字の切れ目から沖へ出て、すでに明るくなってしまっていたのですぐに仕掛けを下ろした。
今日はアタリが出るのが早い。
ここで粘るべきか、もっと沖を目指すべきか・・・。いつも迷ってしまう。
で、「トオクハツレール」の誘惑に負けて沖を目指してしまう。なので新々波止の先の方に達するまでアタリがなく、貴重な時間をロスしてしまった。
紀ノ川側はもっと釣れるのではないかという誘惑にかろうじて耐え忍び、なんとか14匹。
少し型がいいのが救いだ。

空の朝焼けは雲の境目の陰影がすばらしかった。



風はなく、空気も澄んで田倉崎がくっきり見える。本当ならいまからあそこに向けて出撃するのだが、紀ノ川から、水軒から、毛見方面から次々出撃してゆく同盟軍を横目に帰港の途についた。

 
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加太沖釣行

2014年09月09日 | 釣り
場所:加太沖
条件:大潮 5:54満潮
潮流:6:43上り1.8ノット最強 9:47転流 12:57下り3.1ノット最強
釣果:真鯛 56センチ 1匹


今日は今シーズン最初の加太への釣行だ。
大潮だが朝の潮はゆるいので最初はタチウオを狙ってその後で真鯛のダブルヘッダーで臨んでみた。

中秋の名月+スーパームーンで港の潮が異常に高い。月の潮汐力、恐るべし。道中アカテガニが道路を横断していたがなにやらいつもと違う朝の風景だ。

 

これでは船に乗り込むことができないので4艘先の船から乗り込ませていただいた。
出港のときも橋の下を通るときは冷や冷やものだ。




紀ノ川を越えたあたりまでは無風状態で今日はいい釣りができそうだと期待をしていたが友ヶ島に差しかかった頃にはものすごい風と波だ。これでは水深100メートルで底を取ることができないだろう。その前に本線航路までたどり着くことができなさそうだ。



せっかくイワシのエサをもってきているし、真鯛の時合にもかなりの時間があるので水深40メートルでテンヤをおろしてみた。しかし、これではダメだ。
時合にはまだまだあるが高仕掛けに変更。今シーズンの秘密兵器は鈴鹿市の指定ゴミ袋だ。これを教えてもらってからは、もう、このゴミ袋がないと釣れないのではないかという強迫観念にさいなまれていた。
たまたま友人が鈴鹿市に住んでいることを思い出し、急いで連絡して送ってもらっていた。

風が強くてまっすぐ仕掛けが落ちていかない。
我慢の釣りを続けていたが転流時刻を迎えたころから少しずつ風が穏やかになってきた。
このときは中の瀬戸で釣りをしていたのだが、沖から流れてくる潮の色がどうもよくないのでコイズキへ移動してみた。
もう風がなくなっていたので本線まで出てタチウオ釣りを再開。潮はやっぱり強く3回ほどテンヤを下ろして真鯛に変更。
しかし、こっちも潮の色が悪い。悪いというよりどう見ても土の濁りが混ざっている。長く続いた雨の濁りが瀬戸内海を漂っているのかもしれない。



これは素人が見ても釣れないだろう。ただ、潮の混ざり具合がよく見える。なんとダイナミックな光景だろう。こんなところで育つ魚は美味しいのに決まっているということにあらためて納得した。


(画像ではよくわからないが、濁った水と済んだ水がまだら模様になっている。)

少しでも潮の済んだところを探しながら仕掛けを下ろしていると午前11時を回ったころにやっとアタリ。それもかなり大きい。
ドラグが滑ってどんどん道糸が出て行く。これは多分青物だなとやり取りをしていたが、魚の影は真鯛だ。かなり浅いところでヒットしたので最後まで走り続けたようだ。
2色のビニールを付けていたが、食っていたのは鈴鹿市のほうだ。恐るべし鈴鹿市。やっぱりホンダのお膝元だけはある・・・。

なんとかボウズを免れた。潮流はどんどん速くなり釣りにならなくなってきたので午後12時半で終了。
魚はまぐれかもしれないが、1匹は1匹。今日は凱旋だ。


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紀ノ川沖釣行

2014年09月06日 | 釣り
場所:紀ノ川沖
条件:中潮3:12満潮
釣果:タチウオ 13匹


当初の予定では今日は加太へ向かおうと考えていたのだが、いつも野菜をもらう叔父さんの家から小芋の収穫を手伝うように要請がきた。お月見用に親戚に配るためのものなのだが、叔父さんが7月に骨折してしまい力仕事ができる人間がいないのだ。
予報もあまり芳しくないのでタチウオだけ釣って畑に向かうことにした。


フェリーの出口に向かう途中、西の空が雷で光っている。雨も少し降ってきた。わざわざこんな日に釣りに来なくてもいいのにと気弱になってしまう。それにタチウオを釣っている船が全然見えない。土曜日だというのに・・・。余計にへこんでくる。しかし、畑に行くのは午前6時半。今帰港するとものすごく待ち時間ができてしまう。なんとか我慢をしながら仕掛けを流し続けるがアタリは出ない。雲が多いのでなかなか夜も明けてこない。
やっとアタリが出たが型はものすごく小さい。これは海にお帰り願った。
少しだけ明るさが出てきてアタリも出始めた。30分ほどアタリが出続けて13匹。5時半過ぎに終了。写真を撮って急いで港に戻った。



今日も針を1本ロスト。エダスの根元から切られてしまった。
どうも今年のタチウオは凶暴なのかやたらと仕掛けを落とす。糸のヨリはしっかり取っているはずだが、魚がやたらと暴れてラインに当たってくるようだ。


港のそばの畑に行って小芋堀りを開始。今年は雨が多かったので株が大きくなったそうだ。



湿気をたっぷり含んだ空気と草の香りは里山の香りだ。



風のない朝のひと時は何故だかホッとする。何かに守られているという感覚というのだろうか・・。
多分、日本人というのはずっと昔からこんな環境で生活をしていて、僕の体の中にもこういう朝を求める遺伝子が組み込まれているのかもしれない。

葉っぱを鎌で刈ってツルハシで株を掘り起こす。
一気に汗が吹き出てくる。汗は上司に叱られて出てくる粘っこいものではなくサラサラの汗だ。気持ちがいい。
ホコホコの砂を掘り返して株から芋をむしりとっていく。
いい感じだ。窓のない事務所の中でパソコンのキーボードを叩いているより数百倍こっちのほうがいい。
石の墓場のような都会とはよく言ったものだ。
ホワイトカラーのふりをしてブツブツ言っているよりも、「やってるぞ~。」という気分になれる。

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紀ノ川沖釣行

2014年09月03日 | 釣り
場所:紀ノ川沖
条件:長潮 6:15干潮
釣果:タチウオ 6匹 サゴシ1匹

さて、今日は船の陸揚げの日だ。
タチウオを狙ってから直接桟橋に向かう計画だ。

バッテリーが上がってしまってから最初の出港になる。一応、エンジンが始動することは確かめているが、安全に離岸できるだろうか・・・。
バッテリーの周りにはなにやらよくわからない配線がいっぱいむき出しになっている。



なにやら、ミレニアムファルコン号のエンジンルームのようで気持ちがそそられる。
今の自動車なんかはボンネットの中をカバーで覆ってしまうような仕上げをしているが、やっぱり機械は配線が縦横無尽に走っていないと感じが出ないのだ。
始動は一発だ。いつもと変わりがなく始動できた。航海灯も魚探も異常なし。
電圧は約28ボルト。逆に高すぎではないのだろうか?



沖の一文字を出てすぐに仕掛けを流してみるとすぐにアタリがあった。
今日は調子がよさそうだ。沖のほうにはもっと魚がいるのではないかと思い、新々波止を目指した。
途中で大きなアタリ。今度はかなり大きい、指3本以上はありそうだ。
これからだと思ったのだが次の魚を釣り上げたとき針が3本切れてなくなってしまった。

ガンダムは体を半分なくしてもジオングと戦うことができたが、いかんせん僕はニュータイプではない。針が2本では極端に効率が落ちてしまうのだ。
今使っているラインが最後のほうになっていて、ボビンの一番下のほうの巻き癖の強い部分で仕掛けを作っているので魚が掛かったまま幹糸に巻きついてしまうようだ。
結局それからは1匹だけ釣り上げて今日は終了。
午前5時45分。そのまま桟橋に向かったのだが、道中、午前6時ごろにもタチウオを釣り上げている船があった。
やっぱりとことん粘らないとだめだというのを改めて思い知らされた。


今日の東の空は珠玉の光景だ。朝焼けの綺麗さはすばらしい。こんな光景を見ない人は人生のいくらかを損しているのではないかと思えてくる。半径10キロでしか生活をしていない僕が偉そうに言えるものではないのだが、その半径10キロを差しい引いてもすばらしい。



陸に上がった船底は例年になくフジツボが少ない。冬がかなり寒かったのと、夏の日照時間の少なさだろうか。しかし、これだけしか付着していないのに推力が3割近くも落ちてしまうのには驚きだ。多分、船底の貝よりもプロペラの貝のほうが推力に影響するんだろう。



船を桟橋に預けて徒歩で港まで移動。水軒の旧の南海線沿いは松を植えましょう運動ですっかり様変わりをしていた。知らない間にフィールドアスレチックが出来上がっていた。
歩道らしきものも長く続いている。子供の頃はこんな場所では決まっていろいろな虫を見つけることができたが今ではそんなことができなくなってしまった。目線が地上から高くなってしまったのか、老眼のせいなのか、それとも純粋な心が失われてしまったからなのだろうか・・・。とにかく後戻りができないのは悲しいものだ。

 

散歩の時間は約40分。家に帰って体重を計ってみると夕べから2.3kgも減っていた。ヘルスメーターが壊れているのではないかと思うほど体重が乱高下する。
健康的にはどんなものなのだろう・・・。






工場のメカニックのおじさんに先代の翠勝丸の消息を教えてもらった。今は四国にお嫁に行っているそうだ。築港の橋から見ることができていたのが数年前から見えなくなり、廃船の憂き目に遭ってしまったのだろうかと気にしていたが、ボートパークに移動してずっと乗られていたそうだ。今年に入って四国まで自走してお嫁に行ったそうだ。
僕がオーナーでは絶対にできなかった紀伊水道横断という大冒険の末に新しい居場所を得てくれたという知らせはなんともうれしい。進水してからちょうど30年くらいだろうか、まだまだ現役でがんばって欲しいものだ。


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