イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「安楽椅子の釣り師」読了

2018年07月29日 | 2018読書
湯川豊 「安楽椅子の釣り師」読了

安楽椅子の釣り師=アームチェアフィッシャーマンとは、何かの事情、例えば、天気が悪い、怪我、病気をしている、お金がないなどなどで釣りに行くことができない釣り師が家で釣具を前にしながらいままでの様々な思い出に心をめぐらせて時間を過ごす人のことを言う。
この本はそんな人たちがアームチェアに腰掛けながら読むためのアンソロジーである。

多分、司書が抜き忘れたのであろう、前の人の貸出票がそのままはさまれていた。日付を見ると、ちょうど1年前。確かに去年のこの時期、台風が連続して日本に接近していた。おそらくその釣り師殿は本当に家の中でアームチェアフィッシャーマンとなっていたようだ。

夏に読む本というわけではないだろうが、いくつかの文章は幻談めいた内容になっている。山深い渓流に分け入った釣り師が出会う様々な霊なのかもののけなのかどうも判別がつかない、そんなものが登場する。
釣りの文学というと、現代ではどうなのだろうか。知識と情報が豊富でないからなのだろうが、それほど秀逸というようなものに出会うことが無いような気がする。今では紀行文かギミックを駆使したハードボイルドかアクションもの、ハウツーものにしかならないような気がする。
山の奥はGPSで特定され、海の底は魚探で丸裸だ。ウエアは郷愁を誘うことなども思いもよらないカラフルさでしかも快適だ。道具もよほどのことがない限り折れたり切れたりということがない。そういう意味では幻想や山の奥深さ、海の底の深遠さ、そんなものを表現するにはあまりにも世の中が明るくなりすぎたということだろうか。

最近はフィッシングという言葉の接頭語として”スポーツ”なる言葉がくっつくようになった。釣りは運動として楽しむものになったらしい。まず、釣りという言葉が“フィッシング”という言葉に置き換わったということも時代の大きな流れだ。
師はよくエッセイやインタビューの中で、「釣り師は心に傷があるから釣りに出てゆく。しかしその傷がどんなものであるかを知らない。」という一節を使った。今ではそういう感覚もなくなってしまい、釣り番組を見ていても魚をヒットさせたあとでバカ笑いをしながら魚とのやり取りをしている。なぜだかそれに違和感を感じる。魚釣りというのはもっと厳粛であるべきものではないのだろうか。そして釣られた相手に敬意を表してきちんと食べさせていただく。それでなければならないと思う。

この本のほぼすべてはそんな古きよき時代の釣りの香りが残っている。僕の釣りもまったくもって、”スポーツ”とは程遠いものではないかと思っている。和歌山でいう、”おいやんスタイル”だ。だからこれらの物語にもフムフムとうなずくことができる。
いまどきそれでいいのかどうかはわからないけれどもまあ、それしかできないので仕方がない。
去年この本を借りた人も、僕と同じおいやんスタイルの釣り人であったのだろうか・・・。
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「食彩の文学事典」読了

2018年07月28日 | 2018読書
重金敦之 「食彩の文学事典」読了

著者は週刊朝日の編集者だったそうだが、このデータベースの豊富さには驚かされる。退職後は食と文学をメーンにした会合の代表をしているそうだから豊富な情報を持っているのは当たり前だとしても、取り上げられた本をすべて読んでいるというだけですごい。当然難がそれよりもはるかに膨大な著作のデータが整理されているのであろう。

本書はそんなデータベースを駆使して様々な食材、料理ごとにそれにまつわる一節を紹介している。
小説を読むとき、食がテーマになっている本以外は食べるシーンを気にして読むことはないけれどもこれを読む限りとんでもなくたくさん出てくるようだ。確かに人間の欲望で最後の最後に残るのは性欲と食欲だ。人間の本質に迫ろうとすればするほど必ず必要になる場面である。

その小説家が一流かどうかは食べることをどこまで表現できるかで決まるとはよく聞く話だ。確かにこの本に取り上げられているような一流の作家はたった一節を抜き出されただけでもその臨場感としずる感が伝わってくる。

タイトルに「事典」と書かれていることには偽りがない。
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イレグイ号は1/3000なり・・・。

2018年07月27日 | Weblog
あと3ヶ月ほどで僕の車は車検を迎える。乗り始めてから15年もの年月が経ってしまった。その間、僕のライフスタイルも変わり今ではほとんど乗らなくなってしまい、どうしても必要なときというのは年に1,2回の田辺への釣行と春の山菜採りくらいになってしまった。船の釣りではもっぱら三輪車が活躍してくれている。
奥さんも軽自動車を乗っているのでそれにたまに乗らせてもらえればそれでいいかと思い車検のタイミングで手放そうと考えた。
船が2艘、三輪車1台、それに車、バブルの頃の正義のヒーローではないのだからこんなにたくさんの乗り物を持っているというのもちょっとおかしいのではないかとも思い始めたのも一因だ。

車検も含めて自動車を持つということはほとほとお金がかかる。自動車税は13年目を境に金額が上がりいまでは年間5万円以上を払っている。任意保険は3万円ほど、車検は1回に15万円ほどかかっているからこれだけで1年あたり約15万円、軽自動車を置くために駐車場も借りているのでそれが年間約5万円、僕の車がなくなるだけで年間約20万円の節約になる。

しかし、この車検、どうしてこんなに高いのだろうか。車検というのはその時点で保安基準を満たしているかどうかのチェックをするだけなのに、点検費用だとか、重量税だとかんとかそのお金は何のために必要なのかと思う。
保安基準に適合しているかどうかなんて、エンジンかけてウインカーが点灯してその他の警告等が点灯すればそれだけ見ればいいだろう。多分3000円でできるのではないか。
(そう思うと船の点検のほうがもっとボッたくっているけれども。)
あとは自分の意思で必要な部品を交換すればいいじゃないか。今の車はそう簡単には壊れない。ぼくは15年間、バッテリーとタイヤ、ブレーキパッド以外交換したことがないけれども、今でも踏み込めば軽く時速180キロは出てくれるほどだ。
大体、自分でそんなこともわからないやつが車に乗ってはいけないのだ。

調べてみると、車検制度自体、1951年に決められたものがいまだに続いているらしい。その当時は車の性能にも信頼性があまりなかったからこういう制度で性能を担保する必要があったのだろうけれども、今の車はそんなに簡単には壊れない。僕の車がそれを証明している。そして車検を含めた自動車整備業界の売上高はなんと年間5兆円を超えているらしい。百貨店の年間売上が6兆円を割り込んでしまっているのだから車の整備だけで一大産業になっているということだ。
おまけに、この車検を牛耳っているのが、日本自動車整備振興会連合会という社団法人=民間団体だ。僕はプレジャーボートなんていうのは贅沢品だから、日本船舶振興会が僕たちを喰い物にして私服を肥やすというのもむかつくが仕方がないと思っていたけれども、自動車なんていう生活のインフラにまでこんな悪どいシステムがはびこっているとは知らなかった。重量税は印紙で納めるらしいが、その手数料がこの団体にガッポガッポと入ってくるシステムになっているそうだ。要は天下った役人の食い扶持とそいつらに群がる寄生虫を養う(養うどころか、ぶくぶく太らせているのだ)ための構造にほかならない。そういえば、あの、交通安全協会というのもものすごく胡散臭い。警察OBを養っているだけの意味しかないとしか思えない。
与党も野党も政治家はみんなそんな輩にぶら下がっているのだからこんな無駄な制度に異を唱えることもなく安穏としている。そんなことでいいのだろうか!トランプもこんなところをもっと突いてくれたら日本でも人気が出るし、アメ車でも買ってくれるご奇特なひとも増えてくるのではないだろうか。日本のメーカーだってそうだと思うけれども、これはどうも部品の売れ行きにも影響するらしく異議を唱えないそうだ。なんと身勝手な・・。
マスコミも自動車メーカーは大切なスポンサーだからこれまたどこも異議を唱えない。
これを民主主義の国といえるのだろうか。

そして、登録から13年を超えた車の地方税がアップするという制度にも納得がいかない。なんで長い間大切に乗ってきた車に対して古くて邪魔だから早く買い替えろというような仕打ちをするのか。物を大切に使い続けるというのは人間の美徳ではないのだろうか。とにかく人をいじめて新しい車に乗り換えさせようという魂胆にしか見えない。これもメーカーと整備業界が結託して庶民をいじめて私服を肥やそうとしているとしか思えない。

しかしまあ、こんなことはごまめの歯軋りにしかならないのはわかっている。
だからこんな圧力に屈して車を手放そうと考えたわけだ。僕はずっとマニュアルミッション車に乗ってきた。それはクラッチの付いていない車は車ではないと思っているからだ。そしてフェラーリに通じる赤い車にあこがれていた。40歳を超えて赤い車を買うと頭がおかしいと思われるのではないかとギリギリ39歳のときにこの車を買った。やはり魚釣りをするためには荷物を載せなくてはならない。それもスポーツカーらしい姿勢で車に乗りたいのでステーションワゴンがぼくにとっての最適の選択肢であった。当時でもマニュアル車でのステーションワゴンで商用車っぽくないとなるとほとんど車種が限られていた。結局、まだまだ値引き幅が大きくて、フロントグリルまで真っ赤だったこの車を買ったのだ。
確かによく走る車だ。シートもよくできていて、腰痛持ちの僕でもほとんど腰が痛くならずに長距離の運転もこなせたのだ。高野山の大門まで1時間という記録はこの車か最初に買った86トレノでしか記録できないであろう。(まあ、いい歳こいてこんな走り方をしていたらしまいにひどい目に遭ってしまうという恐怖心も車を手放そうという動機でもあったのだ。)

しかし、今のこの時代、こんな希望をかなえてくれる車がない。ましてやガンダムかトランスフォーマーの顔みたいな車にはシンパシーが持てない。はたまた、1台300万、400万となると僕の甲斐性をはるかに超えてしまっている。ショールームに置かれている330万円と書かれたワンボックスカーを買える人というのはどんな人たちなのだろうか・・・。僕には想像ができない。それに、新車を買って、傷をつけてはいけない、常にきれいに乗らなければと気を使うモチベーションが保てなくなってしまった。

だから、車はただ移動するだけのものだ。そう割り切って奥さんの車をちょっと間借りするのでいいやと思っていたところにとある車の発売が発表された。
ムム、この車は面白そうだ。奥さんをたぶらかして2台の車を下取りに出してこれを買ってもいいのではないかと思い始めた。
早速ディーラーに行って下取り価格を聞いてみると、なんと僕の車は1,000円だった。(奥さんの車も1,000円・・・)ブラジルのインフレではるまいし、15年で1/3000になってしまうとは・・・。
セールスマン氏曰く、こんな大きなサイズのマニュアル車でおまけに真っ赤なんて、もとから値段がつきにくくてその上15年経過している。1,000円つけば儲け物・・。とのことだ。
なんだか僕の人格までも否定された気になってしまのだ。僕の嗜好は世間ではマイノリィティどころか天然記念物以下の存在であるらしい。道理で世の中と上手く付き合えないはずだと変に納得してしまった。

さて、ぼくはその面白そうな車に乗ることができるのか・・・。
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腰が痛くても芋拾いはできる・・。

2018年07月26日 | Weblog
今日は魚釣りを休んで叔父さんの芋畑の収穫の手伝いをやってきた。毎年この頃の恒例になってきた。
お昼前には3ヵ月に1回の整形外科の受診に行くわけで、一応ヘルニア患者であるのだが、こんなことをしているときはほとんど腰痛というものが気にならない。これはどういうことなんだろうな~。自分でもよくわからない。会社では歩いている姿が変だと言われるほど痛々しい感じがするのであるが・・・。

作業は暑くなる前におこなう。集合時刻は午前5時半だ。トラクターで掘り起こしたサツマイモをコンテナに回収してゆく。親戚も集まって総勢6名でコンテナ20個分のサツマイモを1時間ほどで今日の収穫分を終了。



僕もその前に突然出現した台風12号への備えをおこなう。係留用の古い鎖を撤去せずに放っておいたら錆で腐ってしまいこんなことになっている。



舳先のフェンダーがえらくささくれ立っていると思っていたら、どうもこの部分が当たっていたようだ。これは台風が来る前に撤去しておかねばとサンダーで切り取ってやった。ロープも増やしてあとは運を天にまかせるのみ。





芋は持って帰ってきて水洗いをするのであるが、これが気持ちいい。野菜洗浄機という機械に大量に水を流して洗うのだが、地下水をくみ上げているのですこぶる冷たい。体中が濡れるのも気にせず半分水遊び状態で洗い続けるのだ。

家に帰って市長選の不在者投票を終え、



そのまま病院へ。
待合はいつも人で溢れているけれども、今日はひっそりしている。受付を済ませてから診察が終わるまで30分とかからなかった。
きっと気温が高いのでご高齢の方々は病院に来ないのだろう。そこでふと思うのだ。じゃあ、いつもここに座っている人たちの半分くらいは喫緊の事態に陥っているというものでもないのではないかと。



医療費が無駄に使われているという現実をまともに見てしまったような気がした。

今回から担当の医師が代った。前の人はどこかへ行ってしまったそうだが、今回の医師は信用していいのかどうか・・・。
診察室に入るなり、貧乏ゆすりをしていた。この人、手術中でも貧乏ゆすりをするのだろうか。そして、いつものとおり湿布の処方箋をもらったのだが、そこには股関節に貼り付けると書いてある。僕は腰痛なのだが・・・。
僕は彼にとってはone of themにすぎないのはわかっている。しかし、目の前に表示されているカルテくらいちゃんと見てくれよと突っ込みたくなってしまった。腰の手術だと思っていたらお股を切られていたというのはシャレにもならない。

そして僕はこのブログを書き込みながらじわじわと迫って来た腰痛に相変わらず悩まされている・・・。




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紀ノ川河口釣行

2018年07月23日 | 2018釣り
場所:紀ノ川河口
条件:若潮 2:15満潮
釣果:ボウズ


いつもの友人から聞いた話だが、彼の職場には去年の春くらいからやたらと外国人の買い物客が増えているそうだ。大半は転売目的なので大量に買い物をする。そんな外国人(そういうことをするのは全部中国人だが・・。)はなんとか安く商品を仕入れようと様々な割引券を持ってくる。そんな割引券のひとつに株主優待カードというものがある。
本当は株式を持っている名義人とその家族しか使えないことになっているのだが、名義人が日本人の名前でも自分の家族の券だと言い張るので仕方なく使ってもらっている。

そんななかで事件が起きた。精算した後、その割引カードを返してもらっていないというのだ。カードを取るのを忘れたことに気がついてすぐに戻ってきたら無いじゃないか。そっちが失くしたのだろうと言い張って聞かない。こっちのスタッフは間違いなくお皿につり銭とカードを乗せて中国人の前に差し出したと言う。状況を聞いていると、隣にもうひとり中国人が座っていたので間違えて持っていったのではないかということになった。これは困った。どうしようもないじゃないかとなったが、カードの持ち主とその横に座っていた中国人はどうも仕入れ仲間のようでラインみたいなもので連絡が取れる間柄らしく、問い合わせたが知らないといっているということだ。やっぱりそっちが失くしたのだろうとまた言いがかりがヒートアップしてきた。こうやって問題がこじれてから彼のところに報告が上がってくる。

さて、どうしたものか。どちらにせよこっちには非がないということで逃げ切らなければならない。それも毎度の事ながら社内からは何の手助けも期待できない。自分に降りかかってくる火の粉は自分で振り払えというのが彼の会社の流儀だ。

そこで彼はまずは相手に揺さぶりをかけるため、そのカードは名義人か家族しか使えないはずだから、再発行の手続きをさせてもらうので名義人の住所と電話番号を聞き出すように現場に指示を出した。当然ながら中国語しかしゃべれないのに日本人の苗字はおかしいので相手も姉の知り合いから借りてきたとか訳のわからないことを言い始めた。
大体こういう買い物には消費税の免税の手続きが付きまとうのだが、免税というのは個人が個人として使用する場合しか認められない。転売目的で買ったものは免税ができないのだ。そう意味では彼らはものすごくグレーな買い物の仕方をしている。だからこんな揺さぶりをかけるとあきらめて帰るかもしれないと考えたのだがこいつは下っ端のようでそんなことも理解もしていないようだったらしい。

それならば、彼のいくつかのくだらない経験から導き出した対処法、「こんなときは相手よりももっと大騒ぎするべし!」という作戦でいくことにしたそうだ。
自分で転んでちょっとした怪我をした人でも、ここにこんなものが置いてあるからお前のところが悪いのだとわめく人がいる。そんなときはすかさず、「お体大丈夫ですか!!すぐに救急車を呼びますので横になっていてください。」と大騒ぎをすると、因縁をつけたがるひとに限っておとなしくなるものだ。
だから今回は、警察に盗難届けを出しましょうということで交番まで引っ張って行った。警察が盗難届けを受理してくれたらこっちは関係がなくなる。盗られたのだからこちらには非はないということだ。実際こちらが失くしたという事実も証拠も無い。
彼自身も交番まで同行して警官に対して、こいつはやばい買い物の仕方をしているやつらだとそれとなく訴えたりしてこっちの見方につけようとがんばったそうだ。

結局、こいつが再び、隣にいた中国人に今警察に来ていると打ち返したらすぐに、自分が持っているから返すと言ってきて、彼の意図する終わり方ではなかったが一件落着となった。
結局、本当にその隣に座っていた同朋が盗んでいたのだった。

まあ、警察官の方々にはとんだ手間をかけたが助かった。彼はいままでいっぱい交通違反をして警察には多額の寄付をしているのでそこは許してもらおう・・・。と思ったが和歌山県警にはたくさん寄付をしてきたけれども、大阪府警にはまだ寄付をしたことがなかった。申し訳ない・・・と心のなかでつぶやいたそうだ。

しかし、中国人とは恐ろしい。自分の面識のある人間の持ち物でも平気で盗みを働くことができるのだ。
以前にもスーツケースを盗まれたと騒ぎ出した中国人がいて、どうした、どうしたとあたふたしていると、そのスーツケースを引っ張った女がみんなの前を通り過ぎていったということがあったので、こんなことは彼の国ではひょっとしたら日常茶飯事なのかもしれない。
尖閣列島や南沙諸島を平気で自分達のものだと言ったり、外国の技術や文化を平気でコピーするというのも、彼らならやっても当然というか、やるのが当たり前だと考えていると思える出来事であった。
こっちで網をかけていれば盗難カードが使われたというのはすぐにわかるのだ。そんなリスクを知って知らずか、堂々としたものだ、尖閣や南沙も歩が悪くなるとすぐにすまなかったと引き上げてしまうのだろうか?

もうひとつ驚くのは、その盗られた本人は怒ることもなくカードが帰ってきてニコニコしていたらしい。日本人ならそんなことをした相手に怒りを覚え、それこそ、警察に被害届を出して、あいつを捕まえろ!ということになるはずであるのだが・・・。

それにはこんな話がある、「中国人は量で考え、日本人は質で考える。」というのだ。中国人は小銭の貸し借りにはかなり無頓着で借りたコーヒー代を返さなくてもお互いなんとも思わないそうだ。そのコーヒー代が自分にとって些細な額ならどうでもいいらしい。ただし収入が少なくてそれが自分にとって大きな金額だとなるとえらい剣幕で返せ!となるそうだ。列に割り込まれても、列を待つ時間にそれほど大きな影響がないのなら全然平気らしい。日本人なら額がどうであれ借りたものを返さないとお互い気まずいし、たとえ2時間待つ列でも前にひとり割り込んできただけで前の人も後ろの人も怒って締め出すだろう。これが“量”と“質”の違いということらしい。

盗られたこいつも、カードさえ戻ってくればよくて、後から怒り心頭して相手に文句を言う時間はもったいないという考えだったのだろうかというように思ったそうだ。

絶対にこんな民族とは相容れることはできないと彼はあきれながら言っていた。


なんとも与太話が長くなってしまった。
今日のローテーションは小船の日。

毎年、この頃から紀ノ川河口ではタコのチャンスがある。あるといってもこの2年、まったく釣ってはいないのであるけれども・・。
まずはスズキを狙うべくルアーをキャスト。最初は青岸の灯台の前で投げていたのだが、対岸の釣り客がうるさい。ぼくはかなり沖の方に停泊しているので彼らに迷惑をかけているはずはないのであるけれども、「邪魔」「あほちゃうか」というような声が聞こえてくる。僕にしてみれば船を持っていないやつらのひがみだろうと受け流したいところだがあまりいい気はしない。どちらにせよアタリがないのでいつものテトラ帯へ移動。鉄板バイブレーションに変更して数投目でいきなりアタリ。めちゃくちゃ大きい。しかし走らない。ああ。これはきっとエイだ。せっかくだからなんとかデッキの上に引き上げたい。5号のリーダーで持つだろうかとドラグを調整しながら引き寄せるとこんなのが釣れてきた。



エイヒレなんていう料理があったり、煮凝りを作ったりできるのだろうが、やっぱりこの魚はグロテスクすぎる。毒針も気になるのでさっさとお帰り願った。

朝日も昇ってきたのでタコ釣りに変更。



すでに引き潮にかかっているけれども若潮だからだろうか、流れはさほどきつくない。手作りテンヤでも底が取れる。
これは期待ができるとがんばってみるけれどもアタリがないままエサをすべてロストして午前6時半に終了。
やはり小潮回りで夜明けに満潮の途中という潮でないと釣れないものなのだろうか・・・。

錨の先っちょにはゴカイが巻き付いて上がってきた。なかなか豊かな海域だ。だから魚はたくさんいるはずなんだけれども・・・。





いくら暑いとはいえ、まだこの時刻は涼しさが残る。

エンジンを全開にして海面を疾走するとなんとも心地いい。
寝苦しい夜を過ごすよりやっぱりこっちの方が気持ちがいい。




家に帰って歯の掃除。船の底も半年経つとえらいことになるけれども、歯茎の周辺も半年経つと歯石がまとわりついてくる。歯が抜けてしまうのは髪の毛が抜けてしまうのと同じくらい怖いことだ。すでに歯茎の周りの骨はかなり溶けてしまっているらしいがなんとか死ぬまで持たしたいと考えている。



なんだかヨタばかりの日記になってしまった・・・。




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初島沖釣行

2018年07月20日 | 2018釣り
場所:初島沖
条件:小潮 6:17干潮 
釣果:カスゴ 2匹 ホウボウ 1匹 サバフグ 1匹 (以上タイラバ)
   サバ 26匹 (チョクリ)

月初の大雨のあとは太平洋の高気圧がグッと張り出してずっと天気の日が続いている。天気が続く限りはどうしても釣りに行ってしまう。まあ、寝苦しい夜を過ごすよりも風を切って海面を疾駆する方が気持ちがいいのだ。

なんとかブリを釣りたいので今日も初島沖へ。作戦は前回の釣行と同じ仕立てである。

午前4時に出港したが日の出が遅くなってきたのと雲が多いので真っ暗だ。港内をゆっくり航行すると引き波が怪しく輝く。気温が高いので海水温も高くなって夜光虫が大発生している。怪しい輝きは地の島の付近まで続く。例年ならこんなに沖まで光ることは無いと思うのだが。



怪しい輝きの昼間の姿はこんな感じ。



これはこれでもっと怪しい。

沖ノ島の西側に到着して魚探を見るがイワシの反応がない・・・。じっと待っているとやっと反応が出てきた。静かにサビキを落とすとイワシが乗った。さて、あとはブリが掛かるのを待つだけだが、そんなに甘くはない。イワシの群れは小さいようで、すぐに画面から消えてしまう。



次の作戦、タイラバを準備。こっちはすぐに答えが出た。小さいながらカスゴが釣れた。今日はこっちの方がよさそうだ。さらにサバフグがヒット。

再びイワシの群れが出てきたのでサビキに変更と、変幻自在の作戦を繰り広げるがその後が続かない。
北面に移動するとここではホウボウがヒット。僕は帝国軍とは真っ向から対決をしたいと考えているので高仕掛けの技術をもっと磨きたいのだが、タイラバは多彩な獲物がヒットするのが魅力だ。とうとう専用のリールまで買ってしまった。



ああ、どんどんダークサイドへ引きずり込まれてしまう・・・。


午前8時になると今日も暑すぎる。も少し獲物がないと叔父さんの家に行きづらいのでチョクリをすべく沖へ向かった。わずかに走ったところ、45メートル付近で何やら反応が出てきた。ここで釣れるのなら儲けものだとすぐに仕掛けを下すといきなりアタリが出た。鯖ばかり5匹ほどが掛かってきた。その後は怒涛のアタリラッシュだ。10匹もあれば十分と思っていたけれども、15分ほどの間に20匹近くを釣り上げたので帰りたいと思うのだが、仕掛けを糸巻に回収するために下すとそれにまた食ってくる。もう、わんこそば状態だ。やっと仕掛けを回収した時には26匹になっていた。その間、30分もなかっただろう。1丁だけの仕掛けだったので2丁下して2時間もやっていたら軽く100匹を超えていたのではないだろうか。まあ、そんなに釣っても入れて帰るクーラーがないのではあるけれども・・。今日も家に帰る頃には持って行った氷は全部溶けてしまっていた。次回の出撃の時にはクーラー一杯の氷を持って行かねばならない感じだ。
普通なら今の時期、船の底が汚れて速度が出ないのでこんなに沖まで行くことがない。だからこんなに氷が欠乏するということも初めての体験だ。

しかしながら、いい加減休みの日にゆっくりしないと疲れが溜まり始めた感じだ。会社でゆっくりしよう・・・。






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「センス・オブ・ワンダーへのまなざし~レイチェル・カーソンの感性 」読了

2018年07月19日 | 2018読書
多田満 「センス・オブ・ワンダーへのまなざし~レイチェル・カーソンの感性 」読了

「センス・オブ・ワンダー」という言葉はレイチェル・カーソンが提唱した、神秘さや不思議さに目を見はる感性が人が生きてゆくうえで絶対的に必要である。ということを表現したものであるけれども、この本はこの言葉をさらに掘り下げ、人は自然とのかかわりの中でどうあるべきか、そしてどう生きるべきかということを論じている。

第一儀の「センス・オブ・ワンダー」はカーソンが提唱したとおりであるが、それをさらに発展させて、内なる自分の感性への働きかけ、そして外部とのかかわりの中でのセンス・オブ・ワンダーまで発展させなければならないと言う。

この本の著者もやはり東日本大震災と原発事故に言及している。とくに原子力発電というおそらくは自然界の中においてまったく異質なもの、それは「沈黙の春」の中に出てくる化学合成された農薬や殺虫剤と同じであるけれども、そういうものに対して警戒感を抱く感性を持たなければならないと警鐘を鳴らす。人は原子力というような、「外部性」というような、生態圏に属するものの存在原理では決定不可能であるというようなものに不安や恐れをもたらさないわけにはいかないという。殺虫剤、遺伝子操作というものも同じような位置付けである。

そして人と人とのかかわりの中での生き方、そういうものにも言及している。
人は人とのかかわりがなければ生きてはいけない。これを、地球上でこれほどまでに繁栄した人類は、「物」も「心」も分かち合って他者への思いやりをはぐくんできた。それゆえ、われわれ一人ひとりの人格もまたその半分は他者なのである。という表現で表している。そこにはお互いを敬愛する心、そういうものが必要だと説いている。

しかしながら、この日本で、すべての場所でこのようなことが実践できるのか。エネルギーというものは人が快適に生きてゆこうと思えば思うほど必要な分量が増える。電気自動車が本格的に普及し始めたとき、世界中でどれだけの電気が必要になるのだろう。それを再生可能エネルギーでまかなうことができるのだろうか?ほとんどの人たちは総論は賛成だろうが、各論的には不便な生活を強いられたくないと思うのではないだろうか。

人とのかかわり、これも会社組織なんかに所属していると敬愛の心を持って、れわれ一人ひとりの人格もまたその半分は他者なのである。というような認識で生きるということがいかに難しいものかということを思い知らされる。家族でさえもどこまで信じていいのかが分からなくなっていうこの現状で・・。


多分、すでに社会という単位があまりにも大きくなりすぎて人がセンス・オブ・ワンダーという感性をのびのびと発揮できる広さを超えてしまっているのが原因だと思う。人が生きる範囲としてはグローバル=地球規模というのはあまりにも広すぎるのだ。
著者の目は大気圏、さらに宇宙までにも広がってゆくけれども、縦にはどれだけ高くなっても人のセンス・オブ・ワンダーは働き続けることができる。心の問題も自らの心の内それは宗教の部類にも入るのかも知れないけれどもどれだけ深くなってもやはり感性を働き続けることができる。しかし、横への広がりには限界がある。僕はよく、自虐的に半径10キロメートルで生きていると言っているけれども、実はその距離感と人間関係くらいまでしか自分らしく生きていける範囲はないのではないだろうかとつくづく思うのだ。
縄文以前の昔から、人々は自らが歩ける範囲の中で生活し、そこで何百年と暮らした後にその中の数人が(それは変人だったのかどうかは知らないが。)新天地を求めて旅立った。新しいものを手にいれるためには旅立ちというものが必要であるということはよく解るけれども、世の中のすべての人たちがそうしなければならないと方向付けられてしまうとセンス・オブ・ワンダーどころではなくなってしまう。

仕事のできないサラリーマンの言い訳でしかないのもよく解るけれども、まったく方向違いのことを言っているわけではないとも思っているのだ。
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浜の宮沖釣行

2018年07月16日 | 2018釣り
場所:浜の宮沖
条件:中潮 8:03満潮
釣果:キス 28匹

今年は色々な釣りを試していたので初めてのキス釣りが今日になってしまった。
まあ、キスも年々釣れなくなってきているようで食指が動かないというのもあるけれどもやはり天ぷらを食べたいのだ。

朝は早い目に出て双子島のワンドでルアーをキャスト。まあ、これは釣れなくても仕方がない。



辺りが少し明るくなってきたので浜の宮沖へ移動。小船でのここまでの遠征は初めてのことであるけれども、今日は天気がすこぶるいい。海の上を快走してゆく。体に当たる風が気持ちいい。

いつものとおり亀ノ川の沖合からスタート。最初の仕掛けを入れて2本目を作っている最中にアタリが出た。それも一荷だ。今日は絶好調じゃないかと思いきやそんなには甘くなかった。
しかし、たまにアタってくるキスの型はかなり大きい。肘たたきまであと少しというところだろうか。



朝日が昇るころまでに数匹を確保し、型も大きいのでぎりぎりおかずの分はなんとかなりそうだ。そして今日も暑くなりそうな予感だ。



少しずつ数を稼ぐも満足するような数ではない。キス釣りは2本の仕掛けを自転車操業のようにして釣るところにだいご味がある。そんな釣りも長いことやってない。
活性が悪いのか、鉤を飲み込んでいる魚も少ない。

満潮時刻を迎えてまったくアタリがなくなった。午前8時半まで頑張ってみたところでここに見切りをつけて新和歌浦の沖へ。



ここではまったくアタリがなく双子島荘の沖へ移動。ここでも2匹しか釣れずに今日は終了。




港の中には巨大な戦艦が停泊している。「いずも」というそうだ。この戦艦は来年以降、ジェット戦闘機が離着陸できるように改装するのだということで物議をかもした戦艦だ。全長248メートル。去年も同じような戦艦が停泊していたが大きさが全然違う。(去年の戦艦は「おおすみ」という輸送艦で全長は178メートル)確かに大きいけれども戦闘機の滑走路としてはあまり長くはないような気もするが、本当に空母に生まれ変われるのだろうか。
まあ、実戦に投入されないことは祈りたいものだ。



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初島沖釣行

2018年07月12日 | 2018釣り
場所:初島沖
条件:大潮 4:48満潮
釣果:マルアジ、サバ 30匹くらい タチウオ 2匹 サバフグ 1匹 エソ 1匹

多分食べてもあまり美味しくはないのだろうが、イワシ飲ませでブリを釣ってみたい。去年はあと一歩というところまで追いつめたので今年はなんとしてもという思いだ。

今日のプランも前回と同じく、持てるだけの仕掛けを持っても出撃だ。まずはチョクリでおかずを確保しその後イワシ飲ませ、イワシがいなかったらタイラバでなんとかという作戦だ。

沖ノ島の少し手前まで来てもアジサバの反応がない。仕方がないのでとりあえず仕掛けを下してみる。やはりアタリが出ない。アジサバの反応はないけれどもどう見てもイワシの大群というような反応が出てきた。これは急いで初島まで行かねばとあっさり作戦を変更。
沖ノ島の西側で仕掛けを下すがイワシは鉤に乗るけれども大物の反応はない。エソだけが釣れた。悲しいかな、このエソが僕のイワシ飲ませの一番最初の獲物になってしまった・・・。聞くところによると、イワシの反応は縦に長くなければ大きな魚に追われている状態ではないそうだ。今日のこんな反応では大物はいないということだ。



う~ん、どんどん作戦が失敗してゆく。今度はタイラバを試してみる。これもすぐにアタリがあったがなぜかタチウオだ・・。



まずいな~と思いながら、ふと携帯電話を手に取るとCメールが1通入っていた。救世主の菊新丸さんからだ。
今日も出ているらしい。早速電話をして教えを乞うと、チョクリはめちゃくちゃ釣れてるで~とのこと。それもサバ混じりらしい。え~、僕は全くだったのだが、聞けば水深60メートル付近まで出張らないとダメらしい。僕も早速移動。沖ノ島からは10分ほどの距離だ。確かに水深55メートルを超えたあたりから反応が出始めた。早速仕掛けを下すと釣れるは釣れるは30分ほどで30匹余りを釣り上げた。



小さいものはリリースしてもこれくらいだから真剣に釣ると軽く100匹は行きそうな勢いだ。とりあえずは今日はおかず分にとどめておいて再び初島沖へ舞い戻るがイワシの反応はほとんどなくなりタイラバで勝負するけれどもサバフグとタチウオのみ。午前8時を回ると暑さがかなりなものになってきた。




まあ、おかずはあることだし、これでいいやとそのまま終了とした。

今日も菊新丸さんがいなければえらいことになっていたという釣行であった。しかし、その情報力にはたまげてしまう。今日は沼島方面までの情報を保有していたらしい。魚釣りは腕前の前に情報を制することが先決になってきたようだ。
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水軒沖釣行

2018年07月10日 | 2018釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 3:06満潮
釣果:ボウズ

台風8号が接近中。海はきっとうねりがある。そしてローテーションからいくと今日は小船の出動日。紀ノ川は降り続いた大雨でダメだろうから双子島を目指した・・・。
だが、一文字の切れ目に接近すると想像していたよりももっとうねりがある。小船ではちょっと危険な感じだ。針路を変え地の一文字の北端のテトラ前でルアーをキャスト。
まったく釣れる気配がなく、新々波止に沿って移動するが、ここもうねりがある。



結局、これくらいの時間から、



これくらいの時間までで終了。



安全第一・・・。

紀ノ川河口は意外と濁りがない。
次はちゃんと釣りをしよう。
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