イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

水軒沖釣行

2024年07月28日 | 2024釣り
場所:水軒沖
条件:小潮5:32干潮
釣果:ボウズ

今日は芋掘りだ。その前に小船のエンジンを回しておかねばならない。午前6時に畑に集合という指示だったが例年、大体午前5時半には叔父さんがトラクターで芋を掘り出し始めるので、それを考えると釣りを終えるのは午前5時だ。
当初は紀ノ川河口まで行こうと思っていた。しかし、今日は朝は雲が多く、なかなか明るくならない。夏至からひと月とはいえ、午前4時でもこんなに暗い。




危険を避けるためゆっくり走っていたらキリンクレーンの前に差し掛かったときすでに午前4時20分を回っていた。これでは紀ノ川河口まで行っているとほとんど釣りをする時間はないと考えて沖の一文字と新々波止の間の水道に目標を変更した。



これが悪かったのかどうか、それともどこに行ってもそうであったのか、アタリはまったくなく、そういえば僕がこの釣りをするとき、5分ほどやってみてアタリがないとすぐに飽きてくるのだということを思い出した。それなら最初の方針のとおり紀ノ川河口まで行っておけばよかったと思うのである。5分で飽きたあとは、地の一文字の付け根に移動してみたがやっぱりダメで港に帰ってきた。

予定通り、午前5時半に畑に行くと誰もいない。結局、芋を掘り始めたのは叔父さんが言っていたとおり、午前6時からだった。



これだったらやっぱり紀ノ川河口まで行っておけば全然釣れなくても少しは諦めがついたのではなかったかと思ったのである・・。
帰りのクーラーにはサツマイモしか入っていないのだが、これはこでれよしとしておこう・・。


1日後、パリオリンピックの女子柔道。兄妹で金メダルだと意気込んでいた妹の方が2回戦敗退というニュースが流れていた。ビックリするほどの大声で泣いていたが、目標を達成できなかったとき、これだけ泣けるほど何かに打ち込んだことなどこれまで人生で何もなかったと思った。負けたとはいえ、この人の生き方が羨ましくなった。自分の子供のような年齢だが・・。待ちに待った舞台などどこにもなかったし、今日の船の上もやはりそんな舞台ではなかった・・。一度くらいはそんな舞台に立ちたかったと思ってもそれを目の前にしたらきっと尻込みしてしまうのが僕の人生なのだろうなと悲しくなるのである・・。

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紀ノ川河口釣行

2024年07月27日 | 2024釣り

場所:紀ノ川河口
条件:小潮4:28満潮 10:27干潮
釣果:キス18匹 キビレ1匹 ハゼ2匹

今週は船に乗って釣りに行かねばならない。しかし、沖に出たくてもかなり風が吹く予報だ。紀ノ川ならば南の風が吹いても大丈夫だろうと考えて今日はキス釣りに出かけることにした。キスも7月いっぱいというのが一区切りだろう。

風がないうちにある程度数を釣っておこうとアダは早く出たかったのだが今日はパリオリンピックの開会式の日だ。始まりは午前2時半というのでは見ないわけにはいかない。全部を見ると夜が明けてしまうので日本の選手団の入場まで見て港に向かう。



オリンピックなんて通常のテレビ番組が吹っ飛んでしまうのでべつにやらなくてもいいんじゃないかと思うのだが、今回はセーヌ川が開会式の会場だというのでちょっとだけ興味があった。選手たちは船に乗って行進するのだが、その船がなんとも多彩だ。これらを見ているだけでも面白い。
観光船を使っているということだったがこんなにいろんな船がセーヌ川を行き来しているんだなと思うと日本は水に囲まれている国だが船のバリエーションは少ないなと思ってしまう。というか、セーヌ川は川沿いの建築物や橋の形もかっこよすぎる。この国と比較すること自体が間違っているのだ。

そういうことで、出港時刻は午前4時半を回り、かなり明るくなってからになってしまった。



紀ノ川河口はまったく穏やかで、



これなら住金一文字まで行けたのではないかと思ったが、そんなことを想えたのはほんのわずかですぐに慢性方向からの風が強くなってきた。潮は満ち潮なので川の流れと満ち潮が打ち消し合ってまったく流れていない感じだ。船は風に流されて川の流れと直角になってしまっている。



これは前回のキス釣り釣行とまったく同じである。行く日を間違っているような感じだ。

これはダメだと思っていたらいきなり1匹キスが釣れたけれどもあとが続かない。アタリがあったと思ったらギンタかハゼが掛かっている。潮が動かないからか、キスもあの小気味よいアタリが出ずに魚だけ掛かっているという感じだ。
少し場所を移動してもまったく同じような感じで、エサが無くなるまで頑張ってみようと思ったけれども午前時半を待たずに終了とした。

最後に河口のテトラ帯の前でもやってみたがここはゴミが多すぎる。



およそキスが棲んでいそうな感じがしない。やはりキスはもっと上流でやるべきだということがよくわかった。
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住金一文字釣行

2024年07月21日 | 2024釣り
場所:住金一文字
条件:大潮4:21満潮 11:39干潮
釣果:チヌ2匹 アイゴ4匹 木っ端グレ1匹

今年の夏も暑い。今日の和歌山市の最高気温は32.7℃だったそうだ。(昨日は33.4℃だったので少しは涼しかったはずだが・・)
昨日は住金一文字沖で飲ませサビキをやってみてトンガの鼻の草刈りに参加するつもりであったが午前2時半に起きてみるとかなりの風が吹いている。夏の朝にこんなに風が吹いているというのはめずらしい。リアルタイムの友ヶ島灯台の風速は10メートルになっていた。天気図を見てみてもそんなに風が吹くような感じではないがとにかくこれでは船を出すことはできない。もう一度布団に戻ってからトンガの鼻へ向かう。



今日は新しい道具として左利き用の鎌を持ってきた。



いつもは剪定用のハサミを借りて道のわきのアセを切り倒しているだけだがそれも毎月やっていると気温が高くなってきてもそんなに茂ってはきていない。
これを使って道に設けられた階段の周りに生えている雑草を刈ってやろうと考えたのだ。鎌も借りることができるが右利き用ではまったく使えない。世の中、ジェンダーレスとかセックスレスとか身体的な差別はダメだなどと叫ばれているけれども、左利きの人たちが使いやすい道具は少なく値段も高い。物差しも60年間、どうも使いにくいなと思っていたら、あれも右利き用に目盛りが打たれているというのを最近知った。日本には左利きのひとが約1割いるそうだが、この数字は性同一性障害のひとよりもはるかに多いだろう。社会はもっと左利きの人に親切にすべきだと僕は思うのだ。

午前9時に集合であったがすでに暑い。最初にとりかかったところは谷になっていて風が全く吹かず汗が噴き出してくる。おまけに蚊がいっぱいだ。耳の周りで高周波を発しているので気持ちが悪い。その時に蚊取り線香を持ってくるのを忘れていたことに気がついた。正確には、そういえば草刈り用に買っていたじゃないかというのを思い出した。もう、あとの祭りだ。ダメもとでダニ除けにと思って持ってきていたドクダミスプレーを頭の周りに吹き付けてみると、これは明らかに効果があった。こんなものは大した効果がないだろうと思って作ってはみたものの使わずに置いていたが、「らんまん」の物語は嘘をついていなかったのである。


翌日はNさんたちと住金一文字へ。この暑さで防波堤に乗っての釣りというのは地獄でしかないと思うのだが、せっかく誘ってくれたし、こいつは気候のいい時にしか来ないのかと思われるのも嫌だし、なにより、先週はイサギと真鯛が釣れたというのだから暑いからといって尻込みしている場合ではない。二日連続でこんな炎天下のなか行動をすることができるのもあと数年しかないだろうし・・。

集合時刻は午前6時。もっと早くてもいいんじゃないかと思うが郷に入っては郷に従えだ。
その前にカブトムシの調査だ。昨日、ブルーベリーの木に逃げ遅れたカブトムシを見つけたので今年もいっぱいいるんじゃないかと思ったら1匹もいない。そういえば去年はクヌギの木から樹液が溢れるように出ていたが今年はまったくそれがない。



空気にもあの甘酸っぱいような匂いが感じられない。まあ、獲ったからといって何をするわけでもなく、姿を見たかっただけなのであっさり森を抜けだしエサ屋に向かって午前5時半に港に戻ってきた。

イサギと真鯛が釣れるポイントはパイルの横だそうだが、船が着く場所からは距離があるし、Nさんともう一人のゲストが入るだろうから僕は前回の場所に入った。あそこでイサギが釣れるのならここでも釣れるだろう。と、いうのは甘かった。
撒きエサを投入して潮の流れを見てみるとほとんど動いていない。おまけにわずかな流れは当て潮だ
水温が高すぎるのか、エサ取りもいない。しかし、今日で5回目の住金一文字だが、過去4回とも獲物を持って帰っているので今日も必ずアタリはあるだろうとエサを撒き続ける。
少し状況がよくなったか、水面下にウマズラハギが見えてきた。同時にフグも増えてきた。これがいなくなると大きい魚が集まってきたサインだ。そしてその通りなった。勢いよくウキが入ったあとに上がってきたのは40センチほどのチヌであった。
その後はフグのあとにアイゴやチヌが喰ってくるという感じであった。前回、前々回に比べて明らかに見えている魚が少ない。anothreNさんの話では、大潮がよくないのかなとのことであった。引き潮になっていくので流れは基本的に陸に向かう。どちらかというと沖に向かってしっかり流れてくれるというのは確かに必要だと思う。
フカセ釣りは撒きエサと刺しエサの同調が大切というが、まったくその通りで撒きエサの筋の中に仕掛けが入っているとアタリがある。そういうのが高い位置から俯瞰して見えるのではっきりわかる。



少し棚を深くするとチヌが喰ってくるし、まったく教科書通りの釣りの展開になる。これを南紀の磯で実践することができればもっと魚を釣ることができるのにと悔しくなる。

AnotherNさんの竿を畳む姿が見えたので僕もそれを機に午前11時前に終了。



しかし、今日も暑かった。Nさんたちはその後も釣りを続けていたので1時間近く防波堤の上で待ち続けたのだが隠れるところがない。

 

この時間は風が吹いていたのでそれでもまだましであったけれども朝一は風がまったくなかったので仕掛けをセットしているだけで汗が噴き出してくる。
もう、この時点で、やっぱり今日は来てはいけない日だったのだと悔やんでしまうのだが、その反面、今日、耐えることができれば僕もまだまだやれるのだというある意味実験的な場にもなるのだと自分を奮い立たせた。

2日連続炎天下の中での活動を乗り越えられたというのは確かにある意味自信になった。Nさんたちは僕よりも7歳年上だが、もっとタフな釣りや遊びをやっている。明らかにこの人たちとは体力的に劣っていてかなわないと思っていたが、昨日と今日は対等にやれたではないか、まだまだ僕もやれるぞという自信である。
体重も久々に70kgを切っていた。これもいい傾向だ。



夕方からは魚のアラを捨てるために港に行き、ついでに花火を鑑賞する。そうはいってもやっぱり疲れているのか、半分くらいの写真はピンボケであった。




翌月曜日、花火を見に行くと寝る時間が遅くなり翌日の出勤は辛いなと思ったので休みを入れていた。ちょうど船舶検査の通知が来ていたのでこの日予約を入れていたのである。平日に休むためには何かと理由が必要である。
検査は知床の事故のあと、かなり厳しくなったと聞いていたがいい人に当たったのか10分ほどで終わってしまった。ライフジャケットの反射板が欠落しているとか、消火器が古すぎるとかという指摘があったけれども改善の指示もなく、「ほかの人には言わんとってね。」とすんなり合格にしてくれた。



次を急いでいるのか、この暑さではやる気も起きないのか、どんな理由でも簡単に終わってくれるのはありがかった。
検査が終わって免許の更新へ。ここも5分も待たずに新しい免許証ができあがった。

 

土日の休日にはなれつつあるが、平日にしかできないことも多いのである意味不便だ。
3日間、やっぱり疲れた・・。
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「夢ノ町本通り」読了

2024年07月20日 | 2024読書
沢木耕太郎 「夢ノ町本通り」読了

このエッセイ集は著者がこの30年ほどの間に書いてきた書物にまつわる文章を集めたものだ。以前に読んだ、「銀河を渡る」は著者が交わってきた人々について書かれたエッセイであったが、この本と対をなすものとしてまとめたものだということだ。

半径10kmの範囲でしか生きてこなかった身にとっては、この人の紀行文なら読むことはできなかったけれどもそうじゃないエッセイなら読めそうである。
前作同様、この人の書く文章はすばらしいと思った。そして、今回は「書籍」を題材にしたエッセイということで、僕もこんな文章を書いてみたいと切に思うのである。しかし、当たり前のことであるが、持っている知識、知性、記憶力、何を取ってもはるかに劣っていると痛感してしまう。

取り上げられている書籍はただ1冊を除いて読んだことのない本ばかりだった。半径10kmの範囲でしか生きられない人間と世界中を旅してきた人とではこれだけ読むものが違うのかとやはり痛感してしまう。かなりの紙幅は時代小説の書評や解説、感想に使われていて、そこは僕が好きなジャンルではないというところもあるが、それ以外のジャンルの作家でもほとんどが知らない作家ばかりである。
だから、この本で取り上げられている作品を読むこともないだろうが、ほんの少しずつあらすじが紹介されている時代物などは時間の余裕があれば絶対読みたいと思ってしまう。老後の楽しみに取っておこう。

沢木耕太郎は自身でも時代小説を書いているが子供の頃から貸本屋で時代物を読んでいたというほど好きなようだ。だからこの本にもたくさんの時代物が取り上げられている。時代物ではないが、「春に散る」という沢木耕太郎原作の映画を観たが、これもなかなかよかった。ストーリーとしては格闘技物によくあるプロットだったけれどもそのハードボイルド具合がなかなかよかった。原作を読んでいないのでなんとも言えないが、エッセイを読んでいても確かにハードボイルドの感じがする。きっとそういう部分が、こんな文章を書いてみたいと思わせる部分なのだと思うのである。

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『「笑っていいとも!」とその時代』読了

2024年07月17日 | 2024読書
太田 省一 『「笑っていいとも!」とその時代』読了

「笑っていいとも!」が終了して10年経ったそうだ。著者が言うには、『戦後日本、とりわけ戦後民主主義が持つ可能性を最も具現化した番組』であり、この番組を多面的に深堀りすることで戦後日本をとらえ直すことができるというのである。それはあまりにも大仰な話であるように思うが、確かにこの頃のテレビは面白かった。

「笑っていいとも!」は1982年10月に始まったそうだが、「オレたちひょうきん族」はその前年、そして1982年は中森明菜や小泉今日子たち、「花の82年組」のアイドルがデビューした年でもある。これだけ見てもこの時代の凄さがわかる。
僕は今でもテレビが点いていないと死にそうになる人間だが、この頃も受験生でありながらいっぱいテレビを観ていた。「ザ、ベストテン」はもとより、「突然ガバチョ」「久米宏のTVスクランブル」などなど。まあ、これだけテレビを見ていたら受験に失敗するはずだ。
それに比べて今のテレビは面白くない。民放のゴールデン帯の番組というとどの局を見ても同じようなバラエティー番組ばかりだ。これは面白いと思っても1年ほど観ていると飽きてくる。歌番組に出てくるアイドルも全員名前がわからない。日本人なのかどうかさえもわからなくなっている。
歳をとってきて時代の嗜好に合わなくなっているのも確かだがここは主観的な感想を書いても誰にも迷惑をかけないだろう。平日の民放の地上波はまったく見る気がしない。(笑点と鉄腕ダッシュはいつも見ているが、平日ではない・・。)

「笑っていいとも!」がスタートする前に放送していた番組は、「笑ってる場合ですよ!」だったが、これも面白くてなんで終わるのだろうと思っていたが、この本にはその真相が書かれていた。両方の番組のプロデューサーは横澤彪(ひょうきん懺悔室で牧師をしていた人)だったが、漫才ブームに乗った超人気者の出演者に対し、観客が何をやっても笑うようになり、そこには知性が感じられないという危機感を抱きこの番組を終わらせようと考えたそうだ。
横澤彪は笑いというものに対して、『笑いというのはパロディにしろナンセンスにしろ基本は凄く知的なもの』と考える人であった。そしてそうした知的な笑いを担えるのはタモリしかいないと考えていた。
「今夜は最高」という番組は「いいとも!」の1年前に始まっていたが、タモリが昼の番組に出てきたときにはオールナイトニッポンも必ず聞いていた僕も多くの人が思ったようにこの人はテレビでもラジオでも夜のタレントではないのかと思ったものだ。
しかし、やっぱりタモリという人は確かに普通のお笑いタレントとは違う知性を見せていたと思う。こんな思い出がある。「いいとも!」が始まった年、僕は浪人生活を送っていた。一応、予備校にも行っていたのだがなぜだかお昼は家でこの番組をよく見ていて、「試食の部屋(正確には、「タモリの試食の部屋」と言ったとこの本には書いていた。)」というコーナーに「あなたの番組は面白くない・・。」というような内容の投書をしたらそのまま採用されたのである。あんなネガティブな内容の投書を採用してくれるというのは知性とウイットに富んだタレントであるという証であるのだろう。まあ、投書に対する感想もウイットに富んでいるというか、お昼の番組で話すようなものではなく、「字が汚い。これでは来年も浪人するな・・。」というようなものであった。
それでも侮辱されたというような印象はなく、後年になってわざわざスタジオアルタを見学にいったほどである。それはきっとタモリの心の大きさのせいだったのである。



現在のテレビに対する世間の批評や当の出演者たちの批評ではコンプライアンスの基準が厳しくなって面白いことができなくなってしまったという意見が多いが、その前に、番組を作る人や出演している人たちに知性が無くなってしまったからなのではないなと僕は思っている。確かに、知性の表現の現れ方には他人を貶めたりするようなものもあるかもしれないが、別の表現の仕方もあるだろう。それができなくてどこかで観たことのある番組の焼き直しばかりをやっているようにしか見えないのである。もっとも、知性のある番組を作ったとしても、それを理解できるほどの知性が視聴者にも求められるはずであるがそれも怪しくなっているのが今の時代なのであろう。

著者は、タモリと「いいとも!」の特徴を、タモリの信条である、「自分の主義主張だとか、思想、建前をもって人と会わない。いつもフラットな気持ちで、無の状態で人と会えば、本当にわかり合える。」という言葉から分析する。
その司会の方法は、「仕切らない」「誰でも受け入れる」というところに特徴があったという。そしてそれが、「いいとも!」という広場的な空間を生み出し、誰でもが自由に入ってくることができ、また、出ていくことも自由な場となったのだと著者は考える。
1960年代から1980年代の終わりまで、高度経済成長がもたらした「一億総中流」意識が日本全体をある種壮大な「内輪」と化し、テレビにおける「笑い」とは結局は一定の範囲での内輪の笑いに過ぎずそれに気付かずに過ごせたということが“広場”の機能とマッチしたのである。テレビの中だけを見ていればみんな満足であったということだ。
コンプライアンスが厳しく言われるようになったのは、こうした疑似的な内輪の空間が大きく揺らぎ、亀裂が入ったこと、そこにモラルや法律、社会規範といったテレビの外側の視点が生まれたということがあったと分析しているのである。

たしかに、ジャニーズ問題などというのはきっとこういうことが表面に出てきたものと思うが、それはテレビ業界全体のことであり、「いいとも!」がそれを象徴しているのだというのはあまりにも極論だろうと思う。

「いいとも!」は何でもありの広場的な位置づけてあったのだけれども、インターネットが生み出した空間は「いいとも!」よりももっと広場的な空間でありそちらのほうが支持されてしまったことがテレビの衰退につながったのだとしたら、それは納得ができる結論であった。そうは書かれていなかったが・・。

2022年、タモリは、毎年の暮れの恒例である「徹子の部屋」への出演の時、来年はどんな年になるという黒柳徹子の質問に対して、「新しい戦前になる」と答えたそうだ。著者はその意味をこの本の内容に沿って、「戦後史における大きな存在であったこれまでのテレビが終わったのだ。」と解釈できるのではないかと書いているが、これはあまりにも無理なこじつけであると感じた。けっこうこういう感じの論調の部分が多く、そういう部分はかなり違和感が残った。
僕はむしろ、「あたらしい戦前」というのは、ナショナリズムの台頭や体制の違いによる対立が二度の世界大戦がはじまる前の時代に限りなく近づいているのではないかということを言っているのだと思う。政治的な発言をほとんどしないタモリのギリギリの言葉が「新しい戦前」であったのだと思うのである。
この本の内容とはまったく関係がないが、トランプ前大統領が狙撃されたという事件はその前兆であり、世界を駆け巡った写真はその象徴ではないのかという気がする。



だから僕は、この本については、「多面的に深堀り」された部分よりも、ああ、「笑っていいとも!」ってそんな番組だったよなということと、自分もそこに一瞬だけ参加したことがあったなという懐かしい部分が楽しめたというところで十分であったのである。

著者は、「テレビと戦後日本、お笑い、アイドルなど、メディアと社会・文化の関係をテーマに執筆活動を展開」している人だそうだが、32年間も放送していたテレビ番組の隅から隅まで、よくぞ調べたものだと、そこだけは感心してしまうのである・・。
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住金沖~加太沖釣行

2024年07月14日 | 2024釣り
場所:住金沖~加太沖釣行
条件:小潮6:06干潮
潮流:3:37転流 6:49下り2.1ノット最強
釣果:ボウズ

海の日の3連休、当初の予報では3日間とも雨であったが直前の予報で好転してきた。土曜日は気分の転換が間に合わず見送ったが今日は出船することにした。

去年、住金沖でハマチを釣ったのは8月の終わりだったが、先々週の住金一文字の沖には飲ませサビキをやっているらしき船が集まっていたのでとりあえず様子を見に行こうと考えた。

好転しているとはいえ元々の予報が雨だったので空は雲に覆われている。その分明るくなってくるのが遅く、木曜日の大雨の後では流木も警戒せねばならないとなるとその前にカブトムシの様子を見に行ってみた。
去年は今頃、すでに姿を見ることができたが今年はまったく見ることができず小さなカナブンが地面を這っているだけであった。




大雨の影響だろうか、それとも去年があまりにも多すぎたのであろうか・・。

港に到着して出港したのは午前4時40分。ちょうどいい感じの明るさである。



流木には十分注意していたつもりだったがやってしまった・・。紀ノ川の濁りの中、徐々にスロットルを開き始めた矢先であった。ウワァっと思ったが幸いにしてスクリューを曲げるほどの衝撃ではなかったようだ。とりあえず船は異常な振動を見せていない。

釣り公園の角に差し掛かった時、水面に波紋が見えた。ボラではなさそうな感じであったので禁断の仕掛けを流してみるが不発。そのまま住金一文字へ。



ベイトの具合はどうかと魚探を見てみると水面下は真っ赤だ。



さっそく仕掛けを下ろしてみるが鉤には乗らないのですぐに小型のサビキに変更してエサを確保。釣れてくるのはサバとイワシだ。どちらもすぐに死んでしまうのでいまいちだがこれを飲ませサビキの仕掛けに引っかけてアタリを待つ。すぐに前アタリがあったがこれはエサを盗られただけで終わった。
サビキでエサを釣って仕掛けを取り替えてアタリを待つの繰り返しをしていたが釣れたのはエソが2匹だけである。

住金一文字に沿って釣りを続けているとNさんたち一行がやってきた。今日は55センチの真鯛と40センチのイサギ、グレとアイゴは数えきれないぐらい釣ったそうだ。
帰りに立ち寄って魚を貰って帰ればよかったと思ったのである。



僕のここでの釣果というと、小アジが3匹だけだった。試しにサビキ仕掛けを海底まで下ろしたら3匹いっぺんに喰ってきた。エサにするには大きいけれども10匹もあれば干物にできるともう一度海底まで下ろしてみたがこれだけであった。
3匹だけではなにもできないのでこれはいつかやりたいと思っているタコ釣りのエサとして冷凍庫に入ってもらう。

ベイトの反応も鈍ってきたので下り潮の時間に合わせて加太に移動したが波が高い。本当はコイヅキに行きたかったけれども行ける感じはしない。そして西の空の黒さが余計にしり込みをさせる。



それに加えて朝の流木のヒットが尾を引いている。遠くへ行くのはあきらめて四国ポイントで仕掛けを下ろす。



魚探の反応はまったくなく、アタリもない。たまにアタリがあってもチャリコだ。これではやる気も起こらず午前9時を待たずに終了。

家に帰って図書館から100均へ。血合いを掃除するブラシを作るためのお風呂ブラシを買ってきたのだが、品質がどんどん落ちている。最初、1束あたりの毛の数が少なって、今度は毛の長さが短くなってしっまっていた。



原材料のコスト高に対抗して100円で売るための涙ぐましい努力をしてくれているのだと思う。どうせ、毛足を短く切って使っているのだからその手間が省けていいのだが、この分でいくと遠くない先には品揃えから消えていってしまうのだと思う。今日も逃げ切れない不都合を見つけてしまった・・。


そして翌日、水密が弱くなってきた時計のケースを新調してみた。



ずっと、タッパーの底をくりぬいてポリカの板を張り付けたケースを使っていたのだが5年の月日でケースが劣化してしまってボロボロになってしまった。



同じサイズで蓋が劣化してしまったタッパーを保存していたのでそれを使ってみたのだが、劣化したもの同士、蓋の密閉がうまくいかず最初からケースの内側に水滴が付いていた。
100均をうろついていると手ごろな大きさの水筒があり、水筒だから水密は完璧だろうと思ってケースに利用してみたらまずまずの出来で仕上がった。僕の指揮官であるシャア専用ザクの鎮座する場所が無くなってしまったのは残念であるがとりあえずこれで耐久性を見てみたいと思う。しかし、肝心のデジタル時計であるが、これもすでに100均の店頭からから姿を消してしまったようで同じものを見なくなった。せっかく専用のケースを作っても、これが故障してしまうとケースを作った意味がなくなる。ここにも逃げ切れない不都合な真実があったのである・・。

どんどん不都合な真実が増えてゆく・・。

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「量子力学は、本当は量子の話ではない 「奇妙な」解釈からの脱却を探る」読了

2024年07月11日 | 2024読書
フィリップ・ボール/著 松井信彦/訳 「量子力学は、本当は量子の話ではない 「奇妙な」解釈からの脱却を探る」読了

タイトルを見て、これはきっと読んでみてもまったく理解できそうにない本だろうなと思ったけれども、まったくその通りの内容であった。

タイトルのとおり、量子論の中で語られる物質のふるまいというのはまことに奇妙だ。量子力学の数学が表す物質の奇妙な性質は、
・量子物体は波動と粒子のどちらでもありえる。(これを波動と粒子の二重性という。)
・量子物体は一度に複数の状態を取りうる。(言ってみれば、“ここ”と“あそこ”のどちらにも存在できるのである。)
・ある量子物体のふたつの性質を同時に正確に知ることはできない。(これを、「ハイゼンベルク」の不確定性原理という。)
・量子物体はどれだけ離れていても互いに瞬時に影響を及ぼすことができる。(いわゆる、「不気味な遠隔作用」である。「量子もつれ」「量子エンタングルメント」などと呼ばれる。)
・対象がなんであろうとそれを乱すことなく測定することは不可能である。ゆえに、人間の観測者を理論から除外することはできない。したがって、避けがたく主観的になる。
・起こりうる物事は実際に起こる。この主張にはふたつの意味があり、「量子電磁力学」と呼ばれる理論と「多世界解釈」である。
というものである。これらはこれまでに読んできた本のなかにいっぱい出てきた事柄だ。
量子論というのは、こういうSFチックなとところが面白いのだと上っ面だけ読んでいる文系の人間は思っていたのであるがこの本はこれを真っ向から否定している。それどころか、「量子力学が何を意味しているかを言えるものはいない。」とまで言っている。
著者はその根拠を350ページを使って述べているのだが、そこのところがまったくわからない。

ここから先はまったくデタラメかもしれないが、何を書いているかわからないので僕がこう思ったということを書いてみるしかないのである。
著者がこういう誤解を生むようになったのは「コペンハーゲン解釈」にあるという。コペンハーゲン解釈というのは、「量子力学での、粒子の存在に関する世界観の一つ。粒子の位置や状態は観測されるまで特定できず、空間の各点ごとの存在確率の大小としてしか把握できないとするもの。」というものである。コペンハーゲンを中心に活動したボーア、ハイゼンベルクらが提唱したことからこう呼ばれている。
これはある意味、「物質には実体はないのだ。」と言っているようでもあり、コペンハーゲン解釈では「それ以上はわからない世界だから知らなくてもいいのである。」と言っているようにも僕には見えてしまう。そういう、「色即是空」的なところもSF的で面白いと思っていたのだが、著者は、このコペンハーゲン解釈というのは、物質の根源の部分の表面に現れる現象だけを見ているに過ぎなくて、その下には本当の物質の姿が隠れているのであると言っているように思えたのである。だからその現象の現れかたが、あるときは粒のようであり、ある時は波のようでもあるのである。と・・。こう考えると、古典物理学(ニュートン物理学に代表されるような、僕たちが現実に見ている世界の物理現象)と量子物理学が見せる奇妙な世界を分断することなくつなげることもできるのではないかと著者は言っている。

例えていうなら、水面のウキの動きでその下に魚がいるというのはわかるがその水面下ではどのように魚が泳いでいて、海底の状態はどのようになっているのかはさっぱりわからない。ウキが右に沈んだり左に沈んだり、ぴょこぴょこしたり、様々な動きをするのは確率的なのである。こういうものかもしれない。ウキの動きがコペンハーゲン解釈で、海面下の世界が物質の本当の姿なのである。のかな・・。水面で隔てられた水の世界と空気の世界はひとつにつながっているということと同じ・・、なのかな・・。

もっと研究が進むと、コペンハーゲン解釈を超えた解釈が生まれるはずであるというのが著者の考えである。
そして、そうなったとき、今ではSFの世界でしか実現していない光速を超えた移動や恒星規模でのエネルギーの利用が実現するのではないかと僕は期待しているのである・・。
その時、僕は間違いなく死んでいるのだろうが、この世にはうんざりしているにも関わらず、こういう世界を見てみたいとはいつも思っているのである・・。

350ページのわりに感想文は短い・・。
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水軒沖釣行

2024年07月07日 | 2024釣り
場所:水軒沖
条件:大潮 6:21満潮
釣果:ボウズ

少々疲れているとはいえ、まだ終わってはいない。
小船のエンジンも回しておかねばならないし、夕べのアジのアラも捨てに行かねばならない。奥さんが目覚める前に敷地の中から消し去っておかないと嫌な顔をされる。
布団に入ってから2時間足らずで起き出して今日の釣りの準備に取りかかる。目が覚めなければ諦めて寝ておこうと思ったがそれは杞憂でしかも残念な結果である。



港までの道中、どこに行こうかと考え、ここで1匹釣りたいと思っている地の一文字の付け根に行ってみた。



波は意外と高く、小船ではゆっくり走るしかない。これと決めていたトップウォータープラグを投げてみるがこの波では期待薄だ。
すぐにここを見切って一文字の切れ目へ。



しばらくルアーを投げていると雑賀崎の漁師と思われる人がやってきて潜り始めた。



これではだめだとまた場所を移動。
しかし、この漁師、見た目では多分70歳を超えている感じだが、潜って漁をするというのはどれだけ元気なのだろうと感心してしまう。僕が今、これをやったなら、数分で海底に沈んでゆくだろう・・。

次は新々波止と沖の一文字の境目に移動してメタルジグを投げてみるが何のアタリもなく午前6時半に終了。



家に戻って干物の準備。夕方には美味しそうに干し上がったが、ここに来るまで、とにかく疲れた・・。



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水軒一文字釣行

2024年07月06日 | 2024釣り
場所:水軒一文字新々波止
条件:大潮 20:02満潮
釣果:アジ たくさん(多分30匹くらい) セイゴ3匹

そして夕刻水軒一文字新々波止へ。
その前に仕掛けの準備から。サビキで釣るというのは聞いていたがどんなサビキを用意すればいいのかというのをNさんに聞いてみると、枝素が3号、幹糸が5号というかなり太い仕掛けだった。ときたま、真鯛やハマチが喰ってくるというのでその対策らしい。しかし、その値段に驚いた。1個500円近くする。



予備として数枚とアミエビを買えばかなりの出費だ。これは自作するしかない。幸いにして父親が残した釣り針の中にほぼ同じ号数のアジ鉤が残っていた。教えてもらった仕掛けのキモは“夜光”だと考えたので夜光パウダーで飾ってみた。



アミエビも結構な値段になっていて、物価が上がっているのは食料品だけではないと痛感した。ここにも逃げ切れない不都合な真実が横たわっていた・・。
エサと道具とタコ焼きを買って午後5時30分に港に集合。今日はもう一人のゲストと合計4人で新々波止へ向かった。
手前の沖の一文字へは高校生の頃夜釣りに行ったことがあるが新々波止に乗るのは今回が初めてだ。僕の小船の元のオーナーであった“西浜のおいやん”に連れられてチヌを狙いに何度か行った。すでに40年以上も前のことになってしまっていて、その頃にはまだこの新々波止は影も形もなかったのである。

午後6時前には防波堤の上に乗り、まだまだ明るいがとりあえず仕掛けを準備して下ろしてみる。



買ったサビキはもったいないのでまずは自作のサビキでスタートした。
釣れるのはもっと暗くなってからだと思っていたらいきなりアタリがあった。最初のアタリは鉤に乗らなかったけれどもまたすぐにアタリがあり小さなアジが上がってきた。期待に反してかなり小さいが「明るいうちは魚が小さい」というNさんの言葉を信じて仕掛けを下ろし続ける。その間もどんどんアジが上がってくる。釣れたアジを締めるため仕掛けを水面近くに垂らしておいたら30センチくらいのセイゴが掛かってきた。3号の仕掛けが必要なわけである。

暗くなるにつれて少しずつ型がよくなってきた感じがする。

 

それでも20センチもないサイズだ。ごくまれに20センチを超えるアジが釣れてくる程度だ。クーラーにはどれくらい入っているのかわからないがあまりたくさん持って帰っても捌くのが大変だからこれくらいの時間から小さいものは放流しながら釣りを続ける。

かなり暗くなってきて、時合が過ぎてしまったのか、それとももう一人のゲストが集魚灯を入れてしまったからか、ほとんどアタリがなくなってしまった。僕はこういうものはまったく効果をなさないと思っているのだ。
元々、時合は短いとは思っていたのでまあ、こんなものだろうと思い始めると、早く帰らねば夜なべになると焦ってくる。そんなことを思っていると隣のゲストが竿を畳んでいる。それを機に自然とみんな竿を畳み始めて午後8時過ぎに終了となった。

手作りサビキの結果だが、総数では多分他の人には負けていただろうが、潮上に釣り座を構えてしまったことを考えると大負けではなかったようにも思う。もとより、これ以上釣ってもあとがしんどいだけだから一応は合格としてもいいのではないかと思う。買った仕掛けは保険として取っておこうと思う。

家に帰ったのは午後9時過ぎ。そこから魚を捌き始める。小さいものは南蛮漬け、中くらいのものは干物用、大きいものはフライ用にと仕分けをしながらさばいてゆく。魚を捌き終わったのが午後11時45分。風呂に入って干物用を調味液に漬け込み終わったのが午前0時半を回っていた。

加太に行けばもっと巨大なアジが釣れるのだからこんなにしんどい思いをして小アジを釣らなくてもと思っていたが色々なサイズの魚が釣れるといろいろな料理に使える。そして小さいながらけっこう脂があり、特に鯵フライには大きなアジよりもこれくらいの大きさのアジが適していると思ったのである。

とりあえずは疲れた・・。

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水軒沖釣行

2024年07月06日 | 2024釣り
場所:水軒沖
条件:大潮 4:00満潮
釣果:ボウズ

今日はダブルヘッダーを考えている。Nさんたちはこの辺りのことを知り尽くしていて、一文字の新々波止では夜釣りでアジが入れ食いしているらしい。それも30センチクラスの大物だというと一度は行かねばと便乗をお願いした。

その前に朝は船のエンジンを回すべく軽く行っておこうという考えだ。例年ならこういう場合、チョクリ釣りが最適なのであるがずっと書いているとおり今年もまったくダメなので近場で勝負ができるアマダイを狙いに行くことにした。

早く帰ってこようと今日も暗いうちから船を出したのだが、チョクリ釣りで普通に釣果があった頃とは違い夜光虫がまったく見えない。



碇のロープを引っぱったり船の移動で水面が動いたりしたとき、きれいな光を放っていたがここ数年はまったく見なくなった。

同じ頃、沖の方でよく見た赤潮も見なくなった。プランクトンが異常増殖できるほどの栄養分がこの海からなくなってしまったのか、これらもそのひとつの顕れなのか、実際それが影響しているのかどうかわからないが、間違いなくこの辺りの環境が変わってきているのだろう。しかし、相変わらず港の周りは水が濁っていて、浄化されているという印象もなく中途半端だ。わずかな環境の違いが生態系を変えてしまうほど僕たちは絶妙に調整された世界を生きていてそれをいとも安易に壊しているというのが現状なのだろう。

いつものとおり双子島沖の35メートル付近から仕掛けを下ろしてみる。



流れは少しあり、加えてクラゲはもっといた。水面下に見えるクラゲはいつものワイン色の筋が入ったハクションクラゲではなくてエチゼンクラゲのような大きな白いクラゲだ。これも環境が変わってしまったという証のひとつなのだろうか・・。それが仕掛けにいっぱい絡みつく。仕掛けを巻き上げてきたときに絡んでいるのは仕方がないが、下ろしているときに絡んでしまっていては絶対に魚は喰いついてこない。
だから、ここをあきらめて北上することにした。そこには数隻の船が集まっていたので少し離れたところから仕掛けを下ろし始めた。



ここにはクラゲはいないようだが、流れもほとんどない。わずかな流れは風向きと違った向きのようで、仕掛けが船の下に潜ってゆく。これではだめだと思い、夕方に向けて体力を温存すべく午前7時半に終了。

翌日の情報では水深50メートルを超えたところでよく釣れたそうだ。遠いとはいえ、ここからなら10分ほど全速で走れば到達できるほどの場所である。毎度のことだが、テクニックの前に情報がものを言うのは何事も同じであると思い知った。

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