イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「鯖」読了

2019年12月27日 | 2019読書
赤松利市 「鯖」読了

毎年年末は毎年めったに読まない小説を借りて読むことにしている。今年も宇江敏勝の本を借りようと郷土資料の本棚を物色していると「鯖」と表紙に大きく書かれた本を見つけた。小説の本棚にあったので小説だとは分かったが、中身を見ずにタイトルだけが気に入って借りてしまった。
ストーリーを紹介するとこれから読もうと思う人に申し訳ないが、さわりの部分だけを少し書きたい。

登場人物は、紀州は雑賀崎の漁師。その中で、日本中を船団を組んでその場その場で漁獲を売りながら暮らす人たちだ。漁法はもちろん一本釣りだ。カッタクリと書かれているけれどももうこれはほぼチョクリ仕掛けだろう。まあ、チョクリ竿を使った釣りではなさそうなのでカッタクリということになるのだろうけれども、せっかくだからチョクリ釣りという言葉を採用してもらいたかった。
そんな時代遅れ(と書かれている)な漁師たちも一人減り、二人減りし今では船団と名ばかりの1隻での操業だ。旅から旅への漁では先がないと見た船頭はなけなしの資金をはたいて日本海に浮かぶ小島を買い、そこを拠点にした。
一本釣りでは早朝におこなわれる市場のセリに間に合わない。そんなときに拾ってくれたのが地元の料亭の女将であった。そこへ中国からやってきたビジネスウーマンが鯖のヘしこビジネスを持ちかけてくる。
へしこの漁獲とビジネスウーマンの過去、船団を復活させたい統領や女将の思惑が交錯し物語は進んでゆく・・・。という感じだ。
著者は作家でありながら「住所不定」だそうだ。エリートサラリーマンから実業家そしてホームレスへと転落し、1週間で書き上げた短編が大藪春彦新人賞を受賞した経歴を持っているそうだ。「金と色に狂った人間を書き続けたい。」という言葉通りのストーリーである。

そして、物語の語り部であり主人公の名前は、「水軒新一」。“ミズノキシンイチ”と読むけれでも、この名前はまさしく僕が釣りの拠点にしている水軒の集落がもとになっているにちがいない。作家は香川県出身とのことで雑賀崎ともましてや水軒という土地に何の縁もなかったのだろうけれども、きっとここにロケハンに訪れてこの変わった地名に気付いてくれたのに違いないと思うとうれしくなる。「雑賀丸」という船名や「海の雑賀衆」と言葉にもそそられる。
しかし、主人公たちを雑賀崎の漁師にしてみようとどうして思い立ったのだろう。それも知りたい。
日本人も食べない(こともないだろうが・・)マイナーな食材がビッグビジネスなるのかとか、貧乏漁師が島を買えるのかとかということと和歌山弁をしゃべらない雑賀崎漁師に違和感があることはさておいて、登場する漁師の面々の無頼さや土曜ワイド劇場っぽいストーリーはちょっとわざとらしいけれども普通に面白い。
和歌山が舞台の物語ではないけれどもこの書架になければまずは読むことのないジャンルだ。この本をここに分類してくれた司書に感謝だ。
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「生き物の死にざま」読了

2019年12月23日 | 2019読書
稲垣栄洋 「生き物の死にざま」読了

生き物がその寿命を終えるその時を追いかけている本である。その死に方は壮絶で、まさに「死にざま」である。
そして、その死にざまを見せるときというのはオスであってもメスであっても次の世代に命をつなぐ場面であるというのが自然界の掟のようだ。

ハサミムシのメスは卵を守り子供が生まれると自分自身を最初のエサとして子供たちに提供し生きながら死んでゆく。タコのメスも卵を産むと絶食状態で守りきり孵化を見届けて息絶えるそうだ。
メスの最後というのは壮絶さの中にも神聖さが感じられる。それに対してオスというのはなんとも悲しげだ。
カマキリのオスはすべてではないがメスに頭を喰われながらでも交尾をやめない。アンコウはメスの体にとりついたのちそのまま溶けて精巣だけが残る。アンテキヌスというネズミは成熟すると男性ホルモンの分泌が過剰になりひたすら交尾できるメスを探し回り、交尾したいというストレスのせいで毛が抜け目も見えなくなるほどになるそうだ。
ちなみに、カマキリのオスはやり得で逃げ切れるやつもいるそうだが、オスを食ってしまったメスの卵は食べられなかった時よりも2倍の大きさの卵塊を生むそうだ。メスも必死だし、子孫を残すという意味ではオスも食べられた方が本望ということらしい。
こう見てみるとオスというのはかなり損な役回りをしているような感じがするのだがこれが自然界では一番効率がいいからそうなってしまっているのだという考え方があるそうだ。メスは交尾のあとも卵を産まねばならないがオスは精子さえ手渡すことができればもう体は必要ない。そんなところだろうか。これは人間にも言えそうでなんだか寂しくなる。

どちらにしてもオス、メスとも次の世代に命を手渡すことができればあとは死を待つだけ。それがまさに「死にざま」であるというのがこの本の本質である。

生物が子孫を残す戦略にはふたつある。大量に子供を産んで生き残る数を増やそうという戦略。子供を産む数は少ないがそれを丁寧に育てて子孫を残す戦略。大半の生き物は前者の戦略を取るのだが哺乳類、究極は人間だが後者の戦略だ。
そして著者は、後者の戦略は、生き残る価値のある強いものだけにその権利が与えられると書く。これは手厳しい。人間の中にもその格差が存在しているのだということを暗に示しているかのようだ。はたして僕はどっちなのだろうかと不安になるのだ。

著者の職業は生物学者だそうだが、文章はかなり文学的だ。以前に読んだ、「鮭サラー その生と死」を思い出した。昆虫にそこまで感情がないのはわかっているけれどもきっとそう思いながら死んでいっているのに違いないと思えてくるような臨場感のある文章だ。
特に、「蚊」が命がけで家の中に侵入し人の血を吸って卵を産む行為が書かれた章はあまりにもリアルだ。そう思っていても夕べ、季節外れのこの季節、僕の血液を狙って顔の周りに危険を冒しながらも飛んできた蚊には敬意を払うことなく殺虫剤をおみまいしてしまうのだ。
少なくとも人間以外の生物の世界には“老衰”というものはない。それが必死で生きる生き物の世界なのである。

しかし、動物の中には、人間のエゴというか欲望というか、そういうもののために命を落としてゆくものもある。この本に掲載されているのはブロイラーと実験用のマウスである。彼らは次の世代に命をバトンタッチするために死ぬのではない。また、ゾウが持っているかもしれない生死観、老化しないハダカデバネズミを例にあげて、ヒトは死に対して本当に正しい感覚を持っているのだろうかと疑問を投げかける。


僕もこういうことには興味があるほうだからこの本に出てくる生物の大半についてはその死に方を知っていたけれども、題材の編集と文章力の前に僕の知ったかぶりは吹き飛んでしまったのだ。
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「ほろ酔いばなし 酒の日本文化史」読了

2019年12月20日 | 2019読書
横田弘幸 「ほろ酔いばなし 酒の日本文化史」読了

日本酒にまつわる文献や言い伝えをエッセイ風にまとめたものだが、なかなかいろいろなものが盛りだくさんである。古事記の時代から現代の日本酒事情までよくぞこれだけ調べられるものだと思う。

酒は百薬の長として、1日に摂取するアルコールは20グラムが健康を保つには最適でまったく飲まないよりも飲んだ方がいいというのが今までの定説だったそうだが、最近の論文では飲まないに越したことはないそうだ。
今年の5月に血圧が高いと言われ、これではお酒が飲めなくなるのではないかと温存している高価なお酒(と言ってもワインは1500円、日本酒は2000円までなのであるが・・)から飲んでおこうみたいなことを考えているけれどももうここまで来たら別にあとはどうなっても構わないだろうとも思ったりもするので、僕はきっと医者から止められてもこそこそ飲んでいるのだと思う。
葛西 善蔵と言う作家は、「酒は美味しくていいものだ。実に美味しくて毒の中では一番いいものだ。」と言ったそうだ。まさしくそのとおりだ。

お酒を飲んで衣服が乱れるほどどんちゃん騒ぎをするのは日本だけだそうだ。もともとアジア人種だけが酒に弱いというところもあるのだろうが、ヨーロッパではまずそういうことがないそうだ。そういえば、昔BSでやっていた、「世界入りにくい居酒屋」と言う番組でも、ヨーロッパの国ではどれだけ酔っている人でも相手に酒を押し付けているシーンは出てこなかった(飲まないなんて残念だというようなことを言う人はいたけれども。)。

「無礼講」などというくだらないものを始めた人は後醍醐天皇だったそうだ。隠岐の島に流されたあと、再度北条家が牛耳る鎌倉幕府打倒を画策したとき、臣下の腹の内を探ろうと身分の上下なく自由に何でも話せる場を設けたということだが、要は裏切り者は誰かを知りたかっただけのことであった。何かしゃべらせようと無理やり飲ませる習慣がここから始まりそれが延々と続いているのが会社でやってる宴会ということになるのだろうか。腹の探り合いをしながら飲むお酒の味なんて想像するだけでお酒に申し訳ない。逆に、二宮金次郎は献酬を禁じたそうだ。人によって飲める量はまちまちだ。人から注がれるより自分で適量を飲んだ方がお酒は美味しくいただける。まったくそのとおりで、おまけに仕事の話をしながら飲むお酒なんてどう考えても美味しくない。

こんなにたくさんのお酒にまつわる本を読んでおきながら僕は相当お酒には弱い。和歌山県では下戸の割合が約50.3%で全国では43位であるという統計があるそうだが、悲しいかな僕はその半分の確率に入ってしまっているので宴会の席で人から注がれるのが迷惑なのだ。そしてそう思っているから人に注ぐことをあまりやらない。そうなってくるとこういう場合は孤立状態ということになってしまうのでよけいに困ってしまうのである。
ちなみに上戸、下戸というのは律令制の時代の家が大きいかそうでないかの違いを表す言葉であったそうだ。男子がたくさんいて収入が多い家は上戸、逆が下戸。お酒をあんまりたくさん買えないから下戸となる。
宴会のテーブルにはたくさんのビール瓶が並ぶけれどもビールはお腹がすぐに膨れるからあんまり飲みたくない。人と飲むなら趣向が同じで尊敬できる人と飲みたい。あこがれは「竹林の七賢」だ。血圧を意識し始めてからはなおさらだ。
しかし、この血圧が高いので経過を見ているというのはいい口実になる。
家で毎日、コップに一杯分のお酒をちびちび飲んでいるというのが一番なのである。

今のように澄んだ品質のよい日本酒が造られ始めたのは室町時代のころからだそうだ。「諸白」と言い、麹も酒米もすべて白米を使うようになってからだそうだ。これは米の生産量が増え、お酒造りに回せる米が増えてきたからという理由なのだが、せっかくいいお酒が造れるようになったのに、当時は「飲み比べ」というような、味わうという趣向のまったくない飲み方も流行したそうだが、以来、その飲み方については500年以上まったく変わっていないというのがこの国のお酒の飲み方のようだ。戦後は三倍増醸清酒というような粗悪品が生まれたのもこういう、味わいとか趣というようなことをともすればないがしろにするという国民性は昔から変わっていないような気がするのだ。
流されたくないものだ。
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「同窓会に行けない症候群」読了

2019年12月10日 | 2019読書
鈴木信行 「同窓会に行けない症候群」読了

50代を中心に同窓会に行けない人が増えているという。どうしてそういう人ができてしまうのかということを現代の日本の労働環境の分析を交えて書かれている。ただ、著者は、「宝くじで1億円当たった人の末路」というなんだか月刊宝島風のタイトルの本を書いているような人だから中身はあまりたいしたことがなさそうだ。

同窓会に行けない人はこんな人だということで四つの類型を取り上げている。
①会社で出世できなかったから。②起業して失敗したから。③「すき」を仕事にできなかったから。④「仕事以外の何か」をみつけられなかったから。という理由でそれがどんな原因から生まれるかというのが以下のとおり。

①の、「会社で出世できなかったから」については、バブル崩壊以降、企業の年功序列の制度が崩れた。上司が年下ですとはなかなか言えない。②の「起業して失敗したから。」については、日本では、一度失敗したら二度と立ち直れないほど復活するのは難しい。贅沢を覚える暇もないほどの猛スピードで爆発的な成功を遂げる起業成功者もいるけれどもそれは例外中の例外でその裏には何倍、何十倍の鳴かず飛ばずの例がある。③の『「すき」を仕事にできなかったから。』では、好きなことを仕事にして十分な収入を稼ぎ続けられる職業は限られていてそこで従事できるのは才能に恵まれた一部の人だけである。④の『「仕事以外の何か」をみつけられなかったから。』では、そもそも日本では労働時間が長くて趣味や家族サービス、子育てなどに割ける時間が諸外国に比べれば極端に少ないのだ。

と、なるのだが、これらの理由そのものがこの国の社会構造や労働環境の問題点を表しているのだというのがこの本の大まかな趣旨である。

そして、そこから導き出せる同窓会へ行けない人の心理状態というのが、承認欲求が満たされていない。または、自信を失っている。ので、「今の自分を見られるのが恥ずかしい。」という言葉でくくられる。
ここのところはなかなかうまい分析だとは思う。僕がこの本を手に取ってみたのはまさに僕自身が『同窓会に行けない』人間だからなのであるが、こうやって具体的に文章に書かれてしまうと、うなだれるしかない。高校時代の同窓会というのが5年に1回実施されているらしいのだが行ったことがない。必ず正月2日に実施されるので、仕事がありますとうまい理由を作って必ず断っているのだが、本心のところはまさにこのとおりだ。出世もしていない、かといってひとりで飯の種を得る能力も度胸もない。釣りは好きだがそれが仕事であるわけではなく浪費の種でしかない。子育てなんて面倒くさかっただけだから今では他人のようだ。
そう思うと、同窓会に行って、僕の今はこんな感じですなんて人に言えるものがない。それに、当時から記憶力というものがまったくなかったのでクラスメートでさえ名前と顔が一致しない。というか、名前さえもほとんど思い出せない。たとえ出席したとしても会場の中で呆然と経ちつくすしかないのである。だからやっぱり同窓会へは行けないのだ。

そしてそんなひとがどうしたら同窓会に出席できるようになるかという回答が、自分は自分、他人は他人という動じない心=「悟り」を開きなさい。となっているのがこの本の月刊宝島っぽいと思う所以なのである。
そして、ところどころ、コラムと称して「○○な人の末路」というのが出てくる。とりあえずは本題に関連したようなコラムにはなっているのだが、よほど“末路”が好きな人らしい。
同窓会に行かないと孤立化や老齢クレーマー(これは現実に僕も悩まされたことがあるが・・)になってしまうという恐れがあるという指摘のところでは身につまされながらも、読み物としては何の知性も感じられず、図書館に蔵書するほどの価値は絶対にないのではないかと思う本であった。

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「裏山の奇人: 野にたゆたう博物学」読了

2019年12月08日 | 2019読書
小松貴 「裏山の奇人: 野にたゆたう博物学」読了

著者は、以前に読んだ、「絶滅危惧の地味な虫たち」の著者である。“好蟻性昆虫”を研究する学者なのだが、その研究フィールドが在学していた長野大学からほんのわずかな距離の雑木林が中心であったそうだ。“好蟻性昆虫”とは、その名のとおり、蟻と様々な関係をもって暮らしている昆虫である。蟻の巣に住み着いて食べ物をもらったり、巣の周りをうろついて蟻の食べ残しをあさるコオロギ、シロアリをハントするカゲロウ。卵を産み付けて蟻を生きたエサにする蜂。そんな昆虫を研究している。
そんな不思議な生き物を奇人と称し、そんな地味な虫を研究する自分自身も奇人であると書いている。
子供の頃から昆虫の観察が好きでその時間が欲しいため学校は授業が終わるとすぐに帰宅し友人との交流する時間を惜しんで観察にいそしんだそうだ。その興味をそのまま大学まで持っていき研究者となった。
自らを「人ぎらい」、「中二病」だと書き、出張中に貴重な昆虫の飼育を頼める人がいないから新幹線に乗せて一緒に出張先まで持って行ったというエピソードも載せている。
しかし、その研究の中では得難い研究者や上司出会いがあったということではどうも「人ぎらい」というのでもなさそうだ。自分の興味のある分野についてはとことん行ってしまうという、そんなひとなのだろう。

この本を読んでいる途中に、「ボクの自学ノート」というドキュメンタリーを放送していた。北九州の高校生が小学校の時の課題として始めた自習ノートを卒業してからも中学卒業まで続けたという話だ。小学校の時は先生が読んでくれたが卒業すると読んでくれる人がいない。それではと周辺の図書館や博物館の司書や学芸員にむりやり読んでもらいながら交流を続けたという内容だった。一見変わった中学生で、しかし見ようによってはひとつのことに集中できるすごい才能がある子供であると見ることができる。
ドキュメンタリーでは、こういう生徒の評価を下げるのではなく、個々の才能を伸ばす必要性みたいなものを強調していた。
彼も著者と同じく、人づきあいは苦手なようで、学校は行くだけで、放課後になるとさっさと家に帰り、自分の興味のあることに熱中する。その間に学校では自分の知らない同級生間の交流ができていて浮いた存在になったしまったというようなエピソードが盛り込まれていた。

人ぎらいでもひとつの才能に振り切れたらそれはそれでよい。そこでまた人との交流が生まれ一見社会に対してなんの役にも立っていなさそうでもどこかで貢献していて生活の糧を得ることができるし世間も承認してくれる。
僕が子供のころも家の周りは舗装している道路が少なく、道端にはアリの行列がいっぱいいた。しかしそれを眺めるだけで巣の中はどうなっているのかとかその中に共存している虫がいることなどついぞ知ろうともしなかった。あそこの穴の中にもコオロギが潜んでいたのだろうか。ちなみコオロギを漢字で書くと「蟋蟀」と書くそうだ。
しかし、中途半端はいけない。この人たちと僕の共通点は、“学校が好きではなかった。”ということだが、それが就職すると、“会社が好きではない”となる・・。仕事はやらねばならないことはやるけれどもそれ以上のいわゆる、「パーソナルコミュニケーション」というものにはからっきし興味がない。確かに浮いた存在になってしまっているのだろうが、これといった才能がないからただ浮いてしまっているだけだ。
もっと、これだ!!という才能があって何かの研究者にでもなれていればもっと別の人生があったのではないだろうかと思っても今となってはあとの祭りだ。それをなんとかひた隠しにしてサラリーマンをやり遂げるしかない。まあ、ひょっとしたら、仮面をかぶってサラリーマンをやり遂げるというのもひとつの才能であったりするのかしらと肯定的に思わなければやりきれない。

著者は自分になぞらえて南方熊楠の生涯を紹介している。ここで残念なことが・・。熊楠は金物屋の貧しい家庭に生まれたとなっているけれども、造り酒屋の大金持ちの次男坊として生まれたのが正解だ。著者としてはやはり貧しい家庭で育ち、世間からは注目されなかったが晩年、もしくは没後に新たな評価を受けたのだと思いたいのだろうけれども、せっかく科学についての著作なのだからそこのところはちゃんと調べてほしかったのだ。

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「日本の食文化 4: 魚と肉」読了

2019年11月26日 | 2019読書
藤井弘章/編 「日本の食文化 4: 魚と肉」読了

日本の食の習慣や歴史をまとめたシリーズ本の1冊だ。
最初はやはり食材で気になる「魚」を取り上げているこの本を手に取ってみた。しかし、書かれている内容はそれほど目新しいものではなく、僕でも知っているような内容ばかりであった。
ただひとつ、これは面白い見解だと思えたのは寿司についてだ。

寿司のルーツは魚を塩漬けにしてご飯を仕込むことで乳酸発酵をさせ、魚の部分だけを食べる鮒ずしであるが、それが今の寿司の形になっていった原因が、“めんどうくさいから”であったと説明している。
米を乳酸発酵させるためには数日の日数が必要である。それが面倒くさい。その前に、米も食べたいという要望から、箱に米も入れて発酵させるなれずしが生まれた。しかし、今度は切るのが面倒くさいとなって一口ずつを植物の葉っぱで包む柿の葉寿司のようなものができた。ただ、日数を待たねばならい面倒くささが残っている。それを解消するために酢酸(=米酢)を使って米に酸味を与える寿司ができたというのである。
まあ、これが本当かどうかはわからないけれども、人が歴史を積み重ねれば積み重ねるほど多様な食の文化が生まれるとおうことであろう。

また、魚尻線、刺身限界線というのも興味が湧いた。


そして、もうひとつ、感心し、かつうれしいのは、和歌山の食材と食文化が多数紹介されているということだ。
最初の章では、「カケノイオ」という風習が紹介されていた。



和歌山市の漁港でおこなわれている風習で、神様を船に招き入れる神事だそうだ。お膳には必ず対になった鯛の干物を添えるそうである。具体的な港はどこであるということは書かれていなかったのでネットで調べてみたが、かなり局所的な風習なのか出てこない。わからないともっと知りたくなるのが性である。で、SNSにこの画像をアップして知っている人がいれば教えてもらえませんかとコメントを入れたら、雑賀崎に住んでいるひとから、「見たことがあります。」とコメントをいただいた。雑賀崎は旧正月を祝う風習が今でも残っているところだからきっとこういう風習もあるのだろうと納得した。
ただ、コメントをくれた人も「見たことがある。」という感じだから、多分、どんな意味合いがあってそれが行われているのかということはご存じないのだと思う。
ほかにも紀伊山地で食されるジビエの話やそれこそなれずしの話など、やっぱり和歌山というところは古くから人が住み、いろいろな食材を手に入れることができる素晴らしい場所であったということが証明される部分だ。というか、これほど食材が豊富だったので人々が古くから住みついたともいえるのだろう。きっと。

僕らみたいな根なし草のように生活をしている身では、古くから残っている伝統を持っているというだけでうらやましいと思う。なにか、拠って立つものを持っているというのは心強い気がするというのは自分に自信が持てないからの裏返しという気もするのであるけれども、こういう風習はぜひ残していってもらいたいと思うのである。


このシリーズは合計6冊あるのだが、最初に書いたとおり、それほど目新しいことが書かれているわけではない。ただ、ところどころには、おぉ!と目をみはることが書かれている。読みたい本が途切れる合間を縫ってすべて読んでみたいと思うのである。



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「RED ヒトラーのデザイン」読了

2019年11月21日 | 2019読書
松田行正 「RED ヒトラーのデザイン」読了

ネットか新聞で、こんなタイトルの本があると紹介されていた。
ヒトラーを、デザインを通してみてみようというものだ。この本には、ヒトラーは、
「メディアの重要性、それのともなうデザインの重要性を誰よりも認識していた。ナチ党のイメージ戦略を担ったアート・ディレクターであり、イメージディレクターであり、クリエイティブディレクターであった。
また、映画が好きで、プロパガンダのための動画の有効性というものに一早く気づいていた。シンボルマークという静止画(グラフィック)も旗やバナーにつけて大量にたなびかせることで動きを与えた。ナチスは、政治と芸術を合体させて「国家」をアートにしようとした。アートを、意味とは関係なくカッコいいと思ってしまう感性を手玉に取ったのだ。」と書かれている。
あれほどドイツ国民を煽動することができた要因のひとつがハーケンクロイツやその他のマーク、軍服、演説会場などのしつらえにあったというのである。
最近では欅坂46や氣志團の衣装がナチスに似ているといってユダヤ系人権団体から叩かれていた。古くはYMOの舞台装置がナチスに似ていたそうだ。ショッカーの怪人のベルトには鷲のマークがついていたりそれっぽいいでたちの幹部がいたりしたけれども、これはそもそも設定がショッカーはナチの残党が集まって作った組織だったそうである。
スターウォーズの帝国側のキャラクターたちもそういうイメージなのである。
まさに意味とは関係なくカッコいいと思ってしまう感性がここにある。
ちなみにユダヤ系の人権団体は「サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)」という名前だそうである。

ヒトラーの略歴はこんな感じだ。
1889年(0歳):オーストリア・ハンガリー帝国のブラウナウ地方でバイエルン人の税関吏アロイス・ヒトラーの4男として生まれる。
1900年(11歳):小学校を卒業。大学予備課程(ギムナジウム)には進めず、リンツの実技学校(リアルシューレ)に入学する。
1904年(15歳):シュタイアー実技学校入学。
1905年(16歳):シュタイアー実技学校中退。以後、正規教育は受けず。
1906年(17歳):遺族年金の一部を母から援助されてウィーン美術アカデミーを受験するも不合格。以降、下宿生活を続ける。
1908年(19歳):アカデミー受験を断念。下宿生活を終えて住居を転々とする。
1909年(20歳):住所不定の浮浪者として警察に補導される。独身者向けの公営住宅に入居。
1911年(22歳):遺族年金を妹に譲るように一族から非難され、仕送りが止まる。水彩の絵葉書売りなどで生計を立てる。
1913年(24歳):オーストリア軍への兵役回避の為に国外逃亡。翌年に強制送還されるが「不適合」として徴兵されず。
1914年(25歳):第一次世界大戦にドイツ帝国が参戦するとバイエルン軍に義勇兵として志願。
1918年(29歳):マスタードガスによる一時失明とヒステリーにより野戦病院に収監、入院中に第一次世界大戦が終結する。最終階級は伍長勤務上等兵。
1919年(30歳):革命中のバイエルンでレーテ(ドイツ革命前後のドイツにおいて発生した兵士と労働者による評議会組織)に参加し、大隊の評議員となる。革命政権崩壊後、ミュンヘンを占領した政府軍に軍属諜報員として雇用され、ドイツ労働者党への潜入調査を担当する。
1920年(31歳):ドイツ労働者党の活動に傾倒し、軍を除隊。党は国家社会主義ドイツ労働者党に改名される。
1921年(32歳):党内抗争で初代党首アントン・ドレクスラーを失脚させ、第一議長に就任する。Führer(フューラー:総統)の呼称がこの頃から始まる。
1923年(34歳):ベニート・ムッソリーニのローマ進軍に触発されてミュンヘン一揆を起こすが失敗。警察に逮捕される。
1924年(35歳):禁錮5年の判決を受けてランツベルク要塞刑務所に収監。12月20日、仮釈放される。
1926年(37歳):『我が闘争』出版。党内左派の勢力を弾圧し、指導者原理による党内運営を確立(バンベルク会議)。
1928年(39歳):ナチ党としての最初の国政選挙。12の国会議席を獲得。
1930年(41歳):ナチ党が第二党に躍進。
1932年(43歳):ドイツ国籍を取得。大統領選に出馬、決選投票でヒンデンブルクに敗北して落選。しかし国会選挙では第一党に躍進してさらに影響力を高める。
1933年(44歳):ヒンデンブルク大統領から首相指名を受ける。全権委任法制定、一党独裁体制を確立。
1934年(45歳):突撃隊幹部を粛清して独裁体制を強化(長いナイフの夜)。ヒンデンブルク病没。大統領の職能を継承し、国家元首となる(総統)。
1936年(47歳):非武装地帯であったラインラントに軍を進駐させる(ラインラント進駐)。ベルリンオリンピック開催。
1938年(49歳):オーストリアを武力恫喝し、併合する(アンシュルス)。ウィーンに凱旋。ミュンヘン会談でズデーテン地方を獲得。
1939年(50歳):チェコスロバキアへ武力恫喝、チェコを保護領に、スロバキアを保護国化(チェコスロバキア併合)。同年に独ソ不可侵協定を締結、ポーランド侵攻を開始、第二次世界大戦が勃発する。以降大半を各地の総統大本営で過ごす。
1940年(51歳):ドイツ軍がノルウェー、デンマーク、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フランスに侵攻。フランス降伏後、パリを訪れる。
1941年(52歳):ソビエト連邦に侵攻を開始(独ソ戦)。年末には日本に追随してアメリカに宣戦布告。
1943年(54歳):スターリングラードの戦いで大敗。また連合軍が北アフリカ、南欧に攻撃を開始、イタリアが降伏する。
1944年(55歳):ソ連軍の一大反攻(バグラチオン作戦)により東部戦線が崩壊、連合軍が北フランスに大規模部隊を上陸させる(ノルマンディー上陸作戦)。7月20日、自身に対する暗殺未遂事件によって負傷。
1945年(56歳):エヴァ・ブラウンと結婚。ベルリン内の総統地下壕内で自殺。

ヒトラーは結局、優生思想を中核にして祖先であるアーリア人の帝国を築こうとしたわけだけれども、デザインからひも解くとそれは歴史や伝統などにはほぼ関係がない寄せ集めであったことがわかる。
鉤十字(ハーケンクロイツ)や親衛隊の「SS」マークこそ、ゲルマン人が使っていたルーン文字というものを図案化しているけれども、制帽の上の鷲のマーク(アドラー)はどこの国にもあるし、軍服は一次大戦に敗戦したドイツ軍の残りにインドやイギリスの様式を取り入れている。カッコよければなんでもよかったらしい。またハーケンクロイツの国章の黒、白、赤の配色は敵国であったロシアからのイメージだそうだ。
あのハーケンクロイツは45度傾いているけれども、あれは傾かせることで高揚感というか、躍動感を醸しだす効果を狙っているそうだ。そしてルーン文字というのも現代では呪術で使われるような古い文字であり、ナチスはそういうことも利用して神秘性や正当性を演出した。

もともと文化というものは他のところから新しいものを取り入れながら移り変わってゆくものだからそれはそれでいいのだろうけれども、なんの根拠もないものをあたかもつかってイメージだけで自分たちの民族が優位にあると言うためにでっち上げてしまったというのははやり稀代の悪党であるということしか考えられない。そして簡単にそんなことに民衆は騙されてしまうのだということも恐ろしいことだ。

しかし、ヒトラーもその出自をみてみると、そう、立派な家系ではないのがわかる。そういう人がのし上がってゆくにはそれはもう、何もかも利用しなければならなかったのだろう。ほんとうにつぎはぎの張りぼてという印象だ。そもそも、この人はドイツ人ではなかったというのが驚きだ。
僕は階級社会を肯定するつもりはないけれども、悲しいかな、世の中は体制が違ってもそうなっている。上に立ち国民を引っ張る人たちは貴族であるべきというのは確かなことではないだろうか。もちろん、正しい見識を持った貴族であるという条件付きであるけれども。
僕の友人に社長をしているやつがいて、学生の頃、彼の家で暇をつぶしていたとき、そこのおやじさんが突然息子に説教をしはじめたのを聞いて、どんなことを言っていたのかは忘れてしまったが、ああ、帝王学ってあるんだな。としみじみ思った。
それなりの階級にはそこの階級の帝王学があって、そういうものを身に着けた人たちが民衆を正しく導くというのが一番いい社会なのではないだろうか。
成り上がりの張りぼてではすぐにメッキがはがれてしまうということだろう。
フランスも、革命の後、結局また皇帝をいただいて国を創ったというところにもそれが現れている。まあ、ナポレオンとて貴族とは名ばかりだったので失脚をすることになるのであはるけれども。

日本の国でも、肉を配ったとか、ジャガイモを配ったとか桜を見るのに人を呼びすぎだという話題でワイドショーは持ちきりだけれども、攻めている方も政権を目指すといいながら烏合の衆で張りぼて組のような気がする。繰り返して言うけれども、張りぼてが悪いわけじゃないけれども、実際張りぼてが作った政権は何もしないまま終わってしまった。それが現実というものだろう。
しかしながら、世襲を繰り返して、現代版の貴族の位置にある人たちはその奢りに有頂天になって、やりたい放題だ。この人たちには “noblesse oblige” という言葉や、“韜晦”という意味への理解と誓いみたいなもののかけらもないのだろうかと思う。だからこれらの人も人を導くような資格はないのである。
自分たちが国民を導く立場にあるという自覚があるのなら、このふたつの言葉にもっと誠実になってもらいたいと思うものだ。これも対峙する側の張りぼて組つぎはぎ組がなめきられているからで、もっとしっかりしろよと言いたい。花見を責める前にもっと攻めなきゃならないものがあるだろう。こんなことをしていて国民がかっこいい!と声援を送ってくれるとでも思っているのだろうか。

宇宙のすべては混沌とした世界に収束してゆくというのが物理学の法則だそうだが世の中の仕組みもそういう運命にあるのかもしれない。

バカな花見をやってるくらいなら、温泉マークでもいいからシンボルマーク貼りつけたバナーを垂らして「ハエル!アベちゃん」ってやってる方が気が利いてるんじゃないかと同じくバカな頭で考えてしまうのである。
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「僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた」読了

2019年11月01日 | 2019読書
アダム・オルター/著 上原 裕美子/訳 「僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた」読了

この本は、「行動嗜癖」というものについて書かれている。「行動嗜癖」とは、何らかの行動に依存しすぎて日常生活を送ることができない状態になったことをいう。
スマートフォンを通して入ってくるゲームやSNSがその行動嗜癖を引き起きしているというのである。

こういうたぐいのものは巧妙に人々を依存症に導くように作られているというのが著者の分析だ。スティーブ・ジョブスは自分の子供にはiPhoneを持たせなかったそうだが、大元を作ったひとはそういうことを承知していたということだろう。

依存症というと、麻薬に溺れて廃人同様になってしまうようなことを想像するけれども、この本を読まなくてもビデオゲームやオタクアニメにのめりこんでしまった人たちの末路のようなものがときたまニュースやワイドショーで取り上げられているのでさもありなんというところである。
脳のなかで依存症の原因となるものは、「ドーパミン」という物質で、これが脳の中に広がると幸福感を感じることができる。様々な刺激がドーパミンの分泌をうながすけれども、薬物だけでなく、ある種の習慣や刺激もドーパミンの分泌を促すことがわかってきた。そのなかのいくつかがインターネットからもたらせるものなのである。

ドーパミンは出すぎるとよくないので脳は自動的にそれを抑制しようとするのだけれども、依存症をもたらす刺激はそれを超えてしまう。そうするとドーパミンが効いているハイの状態と、そうでないローの状態の落差が激しくなる。のめり込んでいる状態があまりにも心地よいと脳はドーパミンの量を少なくしようとしながら、一方では快楽を得られるためにドーパミンが少なくなった状態への対処法を必死に探し出す。これが依存症である。

薬物などの刺激が与えられると必ず依存症になるものではないとこの本には書かれている。それに加えて、心理的な苦痛を和らげたいという要因が加わる必要があるというのだ。満ちたりた状態でヘロインを打たれてもそうそう中毒にはならないらしい。まあ、完全に満ちたりた人なんて世界に数人しかいないのだろうからほぼ誰でもそうなるのだろうとは思う。
そして、そういう性質は生物が持っている生存のための本能がそうさせるそうだ。育児に対する意欲や、恋人を求める欲求がそうらしい。苦労や困難の前でもなんとかしようとするのがドーパミンなのである。しかし、パチンコしてて、子供を車の中で熱中症で死なせる母親というのはどっちの動機でドーパミンを出しているのだろうか?どうもこの説は本当に正しいのかと思えてくる。

後半、依存症を引き起こすテクニックが紹介されている。過去から現在まで、ビデオゲームやSNSのほぼすべてにその要素が含まれているらしい。
それは、
① 小さな達成すべき目標がある。
② 確実な報酬よりも予測不能なフィードバックがある。
③ 進歩の実感
④ 難易度のエスカレーション
⑤ クリフハンガー
⑥ 社会的相互作用
この六つである。
①の代表的な例としてマラソンランナーのタイムが挙げられている。マラソンランナーのタイムというのは切りのいい時間の直前を記録する人が多いそうだ。例えば、3時間30分や4時間という手前の時間だ。何としてもこの時間を切ろうと人は頑張れる。また、記録の積み重ねもそうである。毎日ランニングを続けているひとは継続の記録が続くほどそれを途切れさせないでおこうと体調が悪くても走り続けようとする。そして、目標が走ることから記録を伸ばし続けることが目標になってしまう。目標に依存してしまうのだ。明日はそれを少しだけ上回ろうという少し上の目標をと考えるのは人間の本能なのである。
それをこの本は慢性的な敗北状態にあると書いている。常に新しい目標を求めずにいられないというのは敗北感の裏返しなのである。ギリシャ神話に、山の頂上まで石を運んでは神様にその石を麓まで落とされ続ける男の話があるけれども、遠い昔からひとはそうであったようだ。
②の予測不能なフィードバックについてはこんな実験が紹介されている。ハトに押したらエサが出てくるボタンを押させる実験で、必ずエサが出てくるボタンより、ランダムにエサが出てくるボタンの方を押すらしい。確率を50~70%に設定するときが一番猛烈につつく。これが10%まで下がると心が折れてやめてしまう。これは人間がギャンブルの不確実性に惹かれるということと同じ現象であると著者は言う。
③、④ではスーパーマリオブラザーズとテトリスが例として挙げられている。最初は易しい場面から始まるが、ステージが上がっていくにつれて少しずつ難しくなっていくということで次の場面に行かざる終えなくしてしまう。これはフローという心の状態である。

⑤は崖っぷちという意味だが、連続ドラマの各回の終わりやバラエティー番組のCM前は、次に期待を持たせる終わり方をする。それだ。ネット配信のドラマではビンジ・ウオッチングという連続再生の設定がされているらしく、次を観たいという欲求が止められなくなる。ユーチューブも次から次と関連する動画が再生されるけれどもこういう効果を狙っていたんだと納得してしまう。
⑥は、人間が持っているという、ほぼみんなと横並びでいたい。そして少しだけ抜きんでていればなおのことよいという心理だ。これは集団の中でしか生きてゆけない人間のもっている本能のようなものである。抜きん出すぎると村八分になるけれども少しは人から良く見てもらいたいと願う気持ちというのは確かによくわかる。それを、「いいね!」の数で判断したくなる。「いいね!」で数値化されてしまうというところが恐ろしいところなのである。

ここまで読んでいて、あらら、僕もそれに乗せられていることが多々あるじゃないかと気づいてしまった。
これ、魚釣りは④までは相当に当てはまる。
魚を釣るという目標があり、釣れる日もあり釣れない日もあるというのが釣果というものだ。やっているうちには腕が上がってくるし、もっと難しい釣りに挑戦もしたくなる。そしてインターネットで⑥番が加わる。釣った魚の画像をフェイスブックにアップしてちょっとだけ褒めてもらいたい。ほかの人の釣果も気になる。同じ日に釣行していた人よりも少なければ少しは残念に思うし、多ければうれしくなる。
また、このブログもそうであるが、記録をつけ続けることで昔と比べて少しは上手くなったのではないかと小さな自己満足もあるし、年ごとの釣行回数が左の列に出てくると、去年は50回行ったから今年はそれよりも回数を増やしたいとやたらとボウズの積み重ねをしてしまうのだ。ちなみに読書もそうで、去年よりもたくさん読まなくてはと熟読することなく読み飛ばしてしまう本も少なくない。もったいないことだ。パソコンがあるとそういうことが簡単にできてしまう。
著者はそれを、「おせっかい」という言葉で表現しているが、確かに頼みもしない(でも僕は、記録を残したくてせっせとキーボードを叩いているのであるが・・)のに色々な情報が向こうからやってくる。
と、いうことは、僕もネットを通して魚釣りの依存症になっているということだろうか・・・。

まあ、どちらにしても、依存症になってしまったのなら仕方がない。この歳になってそれをどうこうしようとも思わないのであるが、この本にも、そういった依存症から抜け出すための方法ということが書かれている。

ひとつには、依存症の元になっているものから意識的に遠ざかれというものだ。スマホを枕元にまで置いておくなということだ。もうひとつは、依存の根源に対して、それをすることによって自分は幸せなのか、また、そこから得られる利益はあるのかということを自問せよ。というものだ。依存症に陥っている人たちのほぼすべては、そういうことに罪悪感をもっている。そこに深く向き合えというのだ。
アメリカには、実際に薬物ではない依存症に陥った人たちのための厚生施設もあるそうだ。
また、依存症を克服するためのデバイスもあって、たとえばフェイスブックにアクセスしたら電気ショックが流れるというようなブレスレットなるものがあり、一部で活用されている。
また、著者はゲーミフィケーションというものを提案している。この、依存症を引き起こす仕掛けを利用して苦手な学科を克服したり、社会問題を解決しようというものだ。
ゲーム形式の勉強は学生たちの興味を引くと言う。最近の学校ではタブレットを使って授業をするなどと聞いたことがあるけれども、ゲームの依存症が危険だというテーマなのに最後にゲームは有効だという論が出てくるとはどういうことなのだろうか。また、ゴミ問題ではゴミを分別してきちんとゴミ箱に放り込んだら得点ボードの点数が上がったり、なかなか使ってもらえない駅の階段にはピアノの鍵盤のように音の出る仕掛けを盛り込んでみる。(これらは実際に行われている施策だそうだ。)
これはゲームも使い方次第でいい方向にも利用できるのだと、ゲームを作っている人たちに恨みを買わないためのフォローなのだろうかなどと訝かんでしまう。それとも、結局、またゲームに逆戻りしてしまったというのは、人はもうこういうものから永遠に逃れることはできないのだよと皮肉たっぷりにからかわれているのだろうか。

電車の中で吊革につかまりながら周りを眺めてみるとスマホの画面を見ていないのは老人か僕だけという場面も少なくない。朝っぱらから動きの激しい画面を見ていてしんどくないのだろうかと心配になるのだが、もうひとつ、この人たちはみんな依存症なのかという心配も生まれてしまった。

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「銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎」読了

2019年10月23日 | 2019読書
ジャレド・ダイアモンド/著  倉骨彰/訳 「文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎」読了

発売当時、かなりのベストセラーになった本だそうだ。その上巻である。
現在の世界は中国が勢力を拡大しているけれども、少し前までは欧米諸国が世界の覇権を握っていた。それにつながったのはヨーロッパの国々の植民地政策であるけれども、それがどうしてヨーロッパの国々であったのか、なぜ中米やアフリカの国々がヨーロッパの国々を植民地にできなかったのかということを食糧の確保、増産という面から分析しているという内容になっている。
著者は生物学者だそうだが、ニューギニアでのフィールドワークを通じてどうして覇権をもったのがニューギニアではなかったのだろうかという疑問からこの考察を始めたということだ。

ヨーロッパ諸国が世界に植民地を持つことができたのは、他の地域に先駆け鉄と銃を手にし、伝染病に対する免疫を持つことができたからであると考えた。そしてそれを可能にしたのが、狩猟採集生活から栽培農業への移行を他の地域よりも先に成し遂げたからだと結論付ける。
銃はもちろん武力で制圧できるものだし、意図的ではなかったにせよ、自分たちには免疫がある伝染病の病原菌を持ち込むことによって支配しようとしている地域の住民を弱体化させることができた。

どうしてそれを成し遂げられたのかというと、たまたま栽培農業に適した植物と家畜になる可能性があった動物がそこにあったからだという地理的な要因にたどりついた。
先んじて世界を制覇した側は、自分たちは神に選ばれた存在であると考え、支配や差別を正当化し、他の人種よりも有能なのだと考えてきたのだけれども、それはたまたまであって、運が良かっただけなのである。人間としては優劣はないのであると著者は強調したかったのだろうと読みながらそう思った。著者はユダヤ系のアメリカ人だそうだが、とくにそう考えたというのもよくわかる。

文明が最初にはじまったメソポタミアの肥沃三日月地帯では、現在でも栽培がされている小麦、大麦、エンドウ豆などの原種が自生していた。また、牛や、豚、羊なども野生動物として生息していた。それらを品種改良や飼いならすことで食料の増産を劇的に増やすことができたのだが、とくにそれらは突然変異がしやすく、また、その形質を安定して次の世代につないでいけるという性質があった。他の地域でも同じように栽培農業を始めているところがあった。中南米やアフリカの一部でも野生種を人工的に栽培していたが、たとえば、トウモロコシの原種というのは今のトウモロコシからは似ても似つかぬ形をしており、最初は小さく皮も硬かったため食べられる部分がほとんどなかったという。相当な時間をかけなければ人間が食べられるものにはならかなった。加えて、肥沃三日月地帯には、自家受粉する植物が多く、突然変異で得られた形質を保つことができた。家畜についても適した動物が多かった。羊、山羊、牛、豚、馬は西南アジアが原産である。対してアフリカのシマウマは、馬は馬でも性格が荒っぽくて家畜にはできなかったそうだ。そうやって時間をかけているあいだにヨーロッパの国々はどんどん力を蓄えて征服者になったのだ。その時間差は5000年くらいあったと考えられている。
そういう被支配地域では農業に適した作物が導入されれば一気にそれが広まっていった。それは被支配地域の人々が怠慢で劣っているということではないということを証明している。
ここでひとつ疑問が生まれる。植民地政策をとったのはヨーロッパの国々だが、農業が生まれたのはメソポタミアである。ちょっと場所がずれているけれども、これは作物の伝搬は水平移動しやすいということから証明できる。日照時間や気温は地球上で緯度が似かよっていれば大きな違いはない。対して経度に沿って移動しようとするとそれが大きく異なってしまう。せっかく持ってきてもうまく作れないのだ。アフリカやアメリカは大陸が南北に長く、ユーラシア大陸は東西に長い。それも征服者のほうに味方した。


しかし、こうは考えられないだろうか。じゃあ、肥沃三日月地帯のメソポタミアよりも5000年早く中南米の国々が農業を始めていたら世界の覇者になれたのではなかろうか。この地域の人々はアフリカからユーラシアからアラスカを経由して苦難の旅を続けてここまできたのだから、メソポタミア人よりもたくさんの経験と知恵があってもおかしくはない。そういう人々が遅れをとったのはどうしてか。

熱帯雨林なんて食べるものにことかかないからいろいろなことを工夫しなくても手の届くところにいっぱい食べ物があったのだよ。だから何もしなくてもよかったのだよ。といわれるかもしれない。しかし、メソポタミアにはたったひとり、ひとりのアイデアマンがいて、種をとってきて畑のようなものを作って撒いてみたらたくさん実がなった・・・。
歴史のなかではこの人を見つけることはできないのだろうけれども、たったひとりのイノベーションが世界を変えたと考えることのほうが人種に優劣があるのだという考え方に対抗できるいい考えのような気がするのだ。

さて、下巻はどんな内容になっているのだろうか・・。
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「超訳 ニーチェの言葉」読了

2019年10月12日 | 2019読書
白取春彦 「超訳 ニーチェの言葉」読了

いい歳をしてそれも人生の第4コーナーへシフトダウンして減速しながら入ってこうというときに生きる意味を問い直しても仕方がないことなのであるけれども、今まで生きてきたことがせめて赤点(僕が通っていた高校では平均点の半分が赤点の基準であった。)を取るまでにはいっていないのではなかったかというようなことをなんとか納得したいと思うのだ。
以前に読んだ本のなかに、ボルネオ島に住む原住民の生き方がニーチェの考え方に似ていると書かれていたので僕ももう少しニーチェについて知ってみようと本を探してみた。ニーチェの著作をいきなり読むのは絶対に無理なので解説本から探してみた。かなりある解説本の中、アマゾンのランキングで上位に入っている本がこれだった。
1ページにひとつ、ニーチェの著作のなかから抜粋されたらしい一節を箴言のような雰囲気で紹介されている。
なので、日めくりカレンダーのようだ。そこからはなかなか、あの本に書かれていた「永遠回帰」「大いなる午後」というようなヒントは得られない。ほかにも本を探さないと本当のニーチェには近づけないようだ。

その1ページごとにはう~ん、確かに含蓄があるな~。という言葉が書かれている。ただ、ニーチェの生涯を調べてみると、けっして幸福な人生を送った人のようには見えない。まあ、それだから逆に、「こうしておけばよかった。」というような思いが出てくるのだろうか。
部下に配布する書類に、『もしくわ・・・』と書くような知性のない上司にペコペコしながらでも箴言は生まれるだろうか・・。などと考えながら読んでいたが、そんなことはない。やっぱりそこは天才でなければ生まれてこないものなのだろう。

せっかくなのでその中で気になった箴言を集めてみた。

・自分を尊敬すれば、悪いことなんてできなくなる。人間として軽蔑されるようなことはできなくなる。
・自分の評価など気にするな。なぜなら人間というのは間違った評価をされるのがふつうのことだからだ。
・1日の終わりに反省しない。疲れ切ったときにする反省などすべてウツヘの落とし穴でしかない。
・1日にひとつ、何か小さいことを断念する。最低でもそのくらいのことが容易にできないと、自制心があるということにはならない。
・自分に対してはいつも誠実であり、自分がいったいどういう人間なのか、どういう心の癖があり、どういう勘かえ方や反省をするのか、よく知っておくべきだ。
・1日を良いスタートで始めたいと思うなら、目覚めた時に、この1日のあいだに少なくとも一人の人に少なくとも一つの喜びを与えてあげられないだろうかと思案することだ。
・学ぶ途上にある人はそれをすることをとても嬉しがる。楽しみというものは半可通人の手にある。
・懸命に行動しているうちに、不必要なものは自然と自分から離れていく。
・いつもの自分の生活や仕事の中で、ふと振り返ったり、遠くを眺めたときに、山々や森林の連なりやはるかなる水平線や地平線といった確固たる安定した線をもっていることはとても大切なことだ。
・飽きるのは自分の成長が止まっているからである。自分自身が成長し続けない人ほど飽きやすいことになる。
・親友関係が成り立つとき、それは、相手を愛しているのは当然だが、その度合いは自分を愛するほどではない。また、抜き差しならぬ親密さの手前でとどまっている。
・様々な対立する感情や感覚はその程度の差を表しているにすぎない。多くの人の悩みは現実もこのように対立していると思い込んでしまうことである。
・他人をあれこれと判断しないこと、他人の値踏みもしないこと。人の噂話もしないこと。
・自分の人生をまともに生きていない人は他人に憎悪を抱くことが多い。
・憎悪、嫉妬、我執、不信、冷淡、暴力、そういう悪や毒こそが人に克服する機会と力を与える。
・持ち合わせの言葉が貧しければ、表現も貧しくなっている。語彙の少ない人は、考えも心の持ち方もがさつになる。
・たまには背をかがめ、あるいはできるだけ低くなるようにしゃがんで、草や花、その間を舞う蝶に間近に接した方がいい。
・すべてのよい事柄は、遠回りの道を通って、目的へと近づいていく。
・最悪の読者とは、略奪をくり返す兵士のような連中のことだ。彼らが盗んだもののみ(彼らが何とか理解できるものだけ)を、あたかもその本の中身のすべてであるというように大声で言ってはばからない。

最後の箴言はなかなか痛い。本を1冊読むたびに記録を残しておこうとこのブログにグダグダ書いているわけだが、まさしく、自分に都合のいい部分だけ切り取って書いているのである。書かれている本の内容の本質を見抜けているとはとてもじゃないけれども思えない。
こういう人はやっぱり愚民の行動をきちんと見破っているのだ。幸せな人生であったかそうではなかったかということは人生を見抜くということとは全く別のものであるのだ。
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