イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

加太沖釣行

2015年01月20日 | 2015釣り
場所:加太沖
条件:大潮6:35満潮 12:09干潮
潮流:11:11転流 13:30下り2.0ノット最強
釣果:真鯛1匹 サバ1匹

今日は大寒だそうだ。潮はいまいちでしかも1年で一番寒い日なのだがやっぱり釣りに行くのだ。
朝は少し風と波が残るということだったのでお昼前の下り潮にかけてみた。
朝は午前7時に家を出て、8時過ぎに港を出た。風も大分治まってきていた。



今日の作戦は、転流時刻まではガシラを狙ってそのあと真鯛狙いに切り替えという流れだ。
しかし、田倉崎を過ぎるとテッパンポイントにたくさんの船が出ている。この時間でも魚が釣れているのだろうかと思うとここでやってみたくなる。
「今日は行きますよ。」と言っていた会社の同僚の船を見つけたのでそのそばからスタート。いまの職場では釣り船のオーナーということがマイノリティではないのだ。



開始10分ぐらいでアタリがあった。それも仕掛けを下ろしていく途中に食ってきた。青物かと思ったら真鯛であった。
今日はかなり活性が高いらしい。もっと早く来ればよかったと悔やまれる。
下ろしていく仕掛けにアタるのなら今日はチョクリだと思い船首に竿をセットしてサビキの仕掛けを下ろしてみたら、すぐに魚が食ってきた。今度は本当にサバだ。
今日も美味しい魚が釣れた。
午前10時を回ったのでそろそろガシラ狙いだと考えて沖ノ島の南側に移動。今日はすこし沖にあるシモリを打ってみようと考えて水深30メートルのラインで釣りを開始。魚探を見ると中層に魚の反応がある。
これはチョクリだと考えて仕掛けを下ろして釣り座に戻ると、うん?竿がない。たしかイスの前に置いたはずだが・・・。どこかで記憶が間違っているのかと思いあちこち眺め回すが小さな船の上で捜すにしても限界がある。エサのついた仕掛けを下ろしていたのでどうやら魚が食って持っていかれたようだ・・・。なんと・・・。ガシラ釣りに尻手ロープはいらんだろうと思ったのが間違いだ。海の上では小さな油断が大きな事故につながる。何度も経験した教訓だが今日もやってしまった・・・。竿は30年ほど、リールは10年ほど前からの愛着ある道具だっただけに非常に残念だ。

正直者の釣り師なら、女神様が出てきて、「これはあなたが落とした竿とリールですか?」なんて言いながら僕の竿とリールを持って水面に浮かび上がってきてくれるのだろうが、俗悪にどっぷり浸ってしまっているこの身にはそんな女神様の祝福はない。

竿がなくなってしまっては仕方がない。まだ潮は動き始めていないがコイズキへ移動して真鯛狙いに変更。最初は2艘ほどしか船がいなかったが、次第に船が増えてきた。



しかし、潮はどんどん早くなり底が取れないほどになってきた。底潮は動いていないようで、根掛かりを頻発させてしまった。多分こんな潮できちんと底を取って釣りができないと加太では一人前と言えないのだとあらためて痛感した。
3度目の根掛かりで道糸から高切れしたのを機に気力がなくなってしまった。
もう少し頑張ってみたかったが午後1時に終了。

築港の湾内には今日も海王丸が停泊していた。
殺風景な港の光景がこの1隻で華やかに変わってしまう。僕のボロ船とは大違いだ。



トラブル続きの1日ではあったが、船にトラブルがあったわけではなく、それだけでもよかったと思っておこう。
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「笑う魚 釣魚大全以後」 読了

2015年01月17日 | 読書
森秀人 「笑う魚 釣魚大全以後」 読了

著者はアイザック・ウオルトンの「釣魚大全」の翻訳者として有名な人だ。
僕が知らないだけかもしれないが、釣技だけにこだわらないエッセイというのはなかなか見なくなった。ましてやその文体にすごさを感じるものはもっと少ない。
著者はこの本の中で師のことを、畏友と呼んでいるが、この世代までの人でないと魚釣りに関しては文学というものを生み出せないのだろうか。
この本も残念ながらうなるほどの文章ではなかったがやはりこれは釣り文学だ。(おこがましいが・・・)

ただの技術書か文学かははやり釣果にこだわるかどうかだ。「食い渋って、エサが目の前にあっても、エサに飛びつかない魚を、何が何でも釣ろうというのは愚かなことだ。」と著者は語っている。
本当に魚釣りが好きかどうかということにも共通することではないのだろうか。
年末に見た映画の登場人物のセリフに、「勝つか負けるかではない、大切なのは好きかどうかだ。」というのがあったが、それでいくと、僕は本当に魚釣りが好きなのだろうかと自分を訝かしんでしまう。
僕は釣りに行っても魚が釣れなければ面白くはない。だから釣れないとすぐに帰りたくなる。風情とか感慨とかいうのもはそこにはない。

なぜだかそんなことを考える1冊であった。
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水軒沖釣行

2015年01月09日 | 2015釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 14:35干潮
超過:ボウズ

今日の天気は微妙だ。
加太に行こうと思えば行けそうだが気圧配置は冬型・・・。
結局乗り気にはならずに朝からえべっさん参り。



そして昼からはずっと後回しにしてきた後ろのデッキのオーニングの張替えをおこなった。
今のオーニングは相当古くなっていて、雨漏りはしかり、タモの柄なんかが当たるとビリッと嫌な音がなる。ほとんど繊維としての強度を残してはいないかのようだった。

ずっと後回しにしてきたのは出来上がってしたオーニングがどうもサイズが大きいのではないかという不安があったからだ。会社の取引先のとある人を介して業者さんを紹介してもらい、そうとう値切ったら、条件として僕が採寸してデータを渡すということになった。オーニングの枠の内寸を渡したら、ほぼそのサイズに出来上がってきたのだ。普通は張りを持たせるためにちょっと小さめに作るのではないかと思うのだが、採寸を失敗していたらシワシワになってしまう。
それを解消するためには角材を削って屋根をかさ上げしたりしなければならない。それが面倒臭かったのだ。

しかし、出来上がってきたものは仕方がない先に延ばしてもサイズが小さくなるわけでもなく、午後もあまり風が吹いていないので作業をするのには最適な日だということで作業に踏み切った。
そんな心配をよそにサイズは計ったようにぴったりだ。一応、計ってはいるのだが・・・。
前のオーニングは枠とシートの間がかなり開いていたが、今回は隙間がない。



寸分の狂いもないとはこのことだ。プロというのはこういうものを作る人なのだと感じいった。


こんなにボロボロだったものがこんなにきれいになった。
 → 



まったくの自己満足だが、少しすっきりして気分がよくなった。また次の釣行が楽しみになるのだ。





作業がはかどったので小船のほうを駆ってイカ釣りに出かけてみた。
昨日の散髪屋さんのマスターの話では湾内で大きなアジが釣れているらしいのだが、エサを買うのが面倒くさい。
イカは仕掛けだけ持っていけばすぐに釣りができる。ついつい楽なほうにいってしまう。

そんなことだから集中力も長続きせず、波も風もやはり強く30分ほどでやめてしまった。
今日はそんな日だった。まあ、海に出ることができたというだけで幸せだとしておこう。

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加太沖釣行

2015年01月05日 | 2015釣り
場所:加太沖
条件:大潮 6:47満潮
潮流:07:15 北流3.4ノット最強 11:03 転流
釣果:サバ 2匹

今年の初釣りは会社の同僚が同行だ。誰かと初釣りに行くというのは何年ぶりだろう。多分このブログを書き始めるもっと前なのではないだろうか。かと言ってロンリーマンの僕は実は単独行動のほうがうれしかったりする。ましてや今年の1年を占う最初の釣行だ。自分の力だけで自分の1年を決したいものだ。しかし事務所の掲示板に休日の予定が書いてあり、「この日、行くんですか?」と聞かれて「ひとりで行きます。」とはなかなか言えないもので、「じゃあ、一緒に・・・」となってしまう。僕も少しは大人になったのだ。

というわけで去年の暮れと同じメンバー合計4名での釣行になった。
午前6時20分出発の予定にしていたがひとりが手袋を買いに行っていますとのことで出船は6時4分頃になってしまった。



しかし、結果的には僕にとってはこれが幸運に働いた。

今日の船団は僕のテッパンポイントにできていた。早速、殿に位置して釣りを開始。今日の潮だと開始から1時間が勝負だ。展開はそのとおりで、舳先で開始した2名がいきなり連発で釣りあげた。恐るべし鯛カブラ・・・。その後も前のメンバーが1匹追加。ハマチも。後ろの鯛カブラと僕の高仕掛けにはアタリがまったくない。船の釣りでは舳先が有利というのは真実なのだろうか・・・。

その後はアタリが途絶えてしまい僕は禁断の虫エサに変更。この虫エサ、釣具屋に向かったメンバーに買ってきてもらったものだ。ふと思いついて、ついでに買ってきてくれませんかと電話を入れてみた。
この虫エサ作戦で潮がゆるくなり始めた午前9時にサバがヒット。昼からは恒例のひとり初詣に行きたいので午前11時までに魚の処理と撮影を終え、もっと釣りたいはずのメンバーに気を使ってあと30分ロスタイムいきますと声をかけた僕にだけもう1匹サバがヒット。

こんな仕掛けがまっすぐ下に下りるような状態で魚が釣れるのは虫エサのおかげだろう。手袋を忘れたメンバーに感謝だ。




午後からは給油を兼ねてひとり初詣に出発。
ひと柱めの訪問先はなにやら怪しいおっさんたちが集まってなにやら・・・。今日は仕事始めなのでスーツのおっさんたちも初詣らしい。マイクで景気がどうとかなんとか演説をしている。前の道には数台の黒塗りのセダンも。ここは県庁の近くなので役所関係とその利権に群がる輩たちなのだろうか本殿への参道を埋めつくし参拝できる雰囲気ではない。僕の信仰の自由を妨げるとはもってのほかだ。



その後は矢の宮神社から港のそばの氏神様、雑賀崎、田ノ浦の恵比寿神社から和歌浦経由で参拝をして帰宅。

   

田ノ浦の恵比寿様では先代の翠勝丸を造った造船所の奉納品が無造作に置かれていた。無造作とはいえ、ここにもわずかだがかかわりがあるのかと思うと少しうれしくなった。



そしてやたらと人懐っこい猫も。ひょっとして僕に魚の気配を感じてしていてくれているのだろうか。これはひょっとして大漁の吉兆なのだろうか・・・。



和歌浦では玉津島から塩竃神社、ふらふら散歩をしながら見つけた縁起の良さそうな社へ。

   

玉津島神社の入り口にある鏡山から見える片男波はかつてはきっと本当にきれいな景色だったのだろとあらためて感じ入った。



わけのわからない建造物は必要ないのだ。

実力ではなく幸運の連鎖での釣果だが港の近くの叔父さんの家にも1匹届けることができたのでまあ、初釣りとしては及第点としておこう。

きずしも美味しかったし。



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「新訂 古事記」読了

2015年01月01日 | 読書
武田祐吉/訳注 中村啓信/補訂・解説 「新訂 古事記」読了

年末、古事記を読んでいた。
もちろん、古語では読めることもないので現代語訳の部分だけを読んでいた。

この本には選民思想の大元だとか帝国主義を国民に植え付けたとか問題視する人々もいるようだが、思想的なことは別として、この国土は伊耶那岐命と伊耶那美命ことが作り人間に引き継がれた。さまざまな人間に有用な植物も神様から発せられたという神話を思うと、我々はただ、この国や自然を神様から預かっているだけだ。そう考えると自然をどう利用してゆかなければならないかということがもっとわかるのではないだろうか。


僕の住んでいるすぐそばにも古事記ゆかりの場所がある。ここは竈山神社。



この神社は、神武東征の際、大和の国の那賀須泥毘古から矢傷を受けた神武天皇の兄、五瀬命が命を落としてお隠れになった場所だそうだ。
神話の世界ではあるが、現実の世界がそれにつながっているのはなにやらうれしいものがある。
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