イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

加太沖釣行

2016年10月30日 | 2016釣り
場所:加太沖
条件:大潮 6:02満潮 11:53干潮
潮流:6:30 上り2.6ノット最強 10:00転流
釣果:カワハギ 2匹

今日はカワハギとアオリイカのリレー釣りに行ってみた。
どちらも大して釣れる自信がなく、ひとりで玉砕するのは悲しいなと思っていたら、元の職場の同僚がフェイスブックの書き込みで、明日は休みっぽいようなことを言っていた。
一緒に来てくれないかな~。とメールを送ると、よしよし、と了解してくれた。
結果としては本当に玉砕してしまったのでこれは大変申し訳ないことをしてしまった。

そんなこともあろうかと、朝は早めに出て保険のタチウオを釣ってみたがこれも6匹では保険にならない。



すっかり明るくなってしまったので加太へ向かって移動した。



彼は情報が豊富なのでそれも期待して声をかけたのだが、地ノ島の南岸がいいということなのでそこまで直行。この海域ははじめての場所だ。急激な駆け上がりでいい感じの場所だったが残念ながらアタリはなく、前回にも入った帝国軍神殿前に移動。
ここへ到着する前、水深を眺めていると、水道の最大深度は約50メートル。神殿側も急激な駆け上がりになっている。必ずロックオンされるような場所なので来ることはなかったが、真鯛も期待できそうな場所だ。急襲をかける価値のある場所と見た。

アタリは渋く、エサ取りもたまにしか食ってこない。そんな中、間違いなく大型のカワハギと思えるアタリは3回。獲れたのはそのうちの1回だ。
1.5号の枝素では細すぎるのかもしれない。1回は巻き上げている途中で切れたしアタリがあってすぐに切れてしまっていることも数回あった。自動ハリス止めを使っているがそれも問題のようだ。
まだまだ考えることが多い。
しかし、1匹でもこれくらいのサイズだとかなりの薄造りになる。今日のカワハギは肝も大きくて、その肝和えはまさしく絶品、真鯛もいいがこちらの方が絶対に美味しく感じる。

アオリイカは、これはまったく釣れる気がしなかった。
一応、たくさんの船が集まっているところを流していたので多分ポイントとしては間違いがないはずだが、どうも性に合わないというかなんというか・・・。一度アタリらしきものはあったがそれも怪しいものだ。
当分悩む日々を過ごしそうだ・・・。


港の近くにあった造船所がとうとう更地になってしまっていた。ここは先代の翠勝丸が誕生した場所だ。とうの昔に造船は止めていたが、通称❝ゲンやん❞という大工さんが、今までにたくさんの船を造ってきたのでそれの修理に回るだけでけっこう忙しいのだと言いつつも日がな一日ここで野菜を作ったりなんやかやしながら過ごしていた。たまに訪ねると必ずリポビタンDを飲ませてくれる。
最近見ないなと思っていたが病気にでもなったのだろうか。
また一人僕の父親世代のひとがその場所から離れてゆく。寂しいかぎりだ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水軒沖釣行

2016年10月28日 | 2016釣り
場所:水軒沖
条件:大潮 5:27満潮
釣果:タチウオ 18匹

予報が雨だったので今日の朝はゆっくり寝ようと思っていたが、昨日の予報で朝のうちは曇りに変わっていた。
これはまた釣りに行かなければならない。小船も長らく乗っていないのでタチウオとアオリイカを狙ってみた。

まだタチウオは釣れているらしく、新々波止の沖には船が出ている。僕は地の波止と旧波止の間を抜けてすぐに仕掛けを下す。今日は途端にアタリが出た。しかも3匹付いている。
型は小さいがアタリはコンスタントに出る。新々波止に近づくより旧波止の前の方がアタリが多かった。
明るくなって、午前6時にはアタリがなくなりこのあとはイカ釣りに行こうかと思ったが、先日、同じ港のオジイやんズに教えてもらった湾内のコンテナバースの沖に行ってみた。
ここは水が濁っているので明るくなってもアタリがあるのと、型が大きいということだった。実際そのとおりで港内で6,7匹を追加した。型も大きかった。
港内の滞在時間は15分ほどで双子島沖へ。
アオリイカはいつものとおりアタリはなく、午前8時に終了。

今日はキス釣りに使おうと思って買ったリールを初めて使った。キスを釣るにはもったいないのでルアー用として使おうとPEラインを巻いた。
やはり、釣り道具はそこそこのものを買わなければだめだ。これも参考上代は1万円を少し超えるくらいだが、ここ数年で買った5000円以下のリールとは雲泥の差だ。
まあ、道具がいいから魚が釣れるというわけではないが、使い心地というのは大事だ。はやりこういうところはしみったれていてはダメなのだ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「平松洋子の台所」読了

2016年10月24日 | 2016読書
平松洋子 「平松洋子の台所」読了

ここ1年で好調な小売業というのはし○むらとセ○アだそうだ。
もちろん一生懸命売れるものを企画して品揃えをしているから売れているのだろうが、印象としては今だけ着ることができればいい、今だけ使えればいいというものだ。

この本はその対極にある。周りにある品々、特に台所周りでこだわりを持って著者が集めたものを紹介している。
別段、超高級品でもなくラグジュアリーブランドでもなく、ただ、人の手から直接作り出されたもの。そして機能的。そして存在感。そんなものが手に入れたいきさつを交えて綴られている。

マキタスポーツという芸人が、SMAPの解散に寄せてこんなコラムを書いていた。
芸能界には第一芸能界と第二芸能界というのがある。第一芸能界というのは巨大な経済圏。コマーシャルに起用されたり、スポンサーのいる番組に出たりできるのでかなり儲かる。第二芸能界というのはまさしく芸を見せてお金をもらう世界。そしてあまり第一より儲からない。
第一で生きる芸能人の最大の条件は好感度。だから不倫なんかで好感度がなくなるとどん底に落ちる。でも、第二芸能界の人は芸を売っているのだから好感度がよかろうが悪かろうが芸がよければお金をもうけることができる。SMAPはいままでは好感度が先行していたが、芝居や司会なんかで十分実力があるのだからこれからは第二芸能界でがんばればいいのだ。
というような内容であった。

ここに来て、百貨店がまた不振に陥っている。このコラムになぞらえてみると、百貨店は第一小売業界というところだろうか。
ブランドという高感度に乗っかって商売を続けていたけれども、その好感度が世間に受け入れられなくなるとまたたく間に不振にあえぐ。
最初はそんなことはなく、高価だが職人が丹精を込めて作った、“いいもの”を売っていたに違いない。
それがどんどん規模が大きくなった結果、実体のない好感度(ブランド)に依存し、業界の人たちがそれにあぐらをかき続けた結果が今の状況なのだろう。

その間に第二小売業というべきし○むらとセ○アなどが勢力を伸ばしてきた。

しかし、人が生きてゆくうえでは実は、こだわりや粋みたいなところが絶対に必要で、それを守りきれなかったのは第一小売業の怠慢のせいなのであろうが、それを許さないほどに世間の景気が悪くなってしまい、また、そういうことを理解できないほど日本人が白痴化してしまったのもその要因ではないだろうか。
政治の世界でもいうではないか、「政治は国民を映す鏡。」だと。
結論としては、人が人らしく生きてゆけるのはごく小さい経済圏で、巨大化すればするほど人は不幸になる。グローバリゼーションを第一のように考える今の社会ではひとは幸せにはなれないということだろう。

僕にはこんな粋な生き方をできるほどの経済力がなく、やっぱりまずは100均を覗く生活だ。
著者は、「始末のよい暮らしとしみったれた暮らしの狭間はなんとも微妙なものだ。」と書いているが、きっと僕はしみったれた生活者ではあるが、海の上でだけはしみったれたくないものだと思っている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加太沖釣行

2016年10月24日 | 2016釣り
場所:加太沖
条件:小潮 7:11干潮
潮流:6:40 下り2.1ノット最強 10:00転流
釣果:サゴシ 1匹 カワハギ 1匹

今日の潮ではタチウオ狙いといきたいのだが、予報では北風が強そうなのであえなく断念。乗合船の釣果を見てみるとかなり釣れていたようだが、僕の船では本線航路を横切るのは至難の業だ。

出航の時は風をまったく感じないほどの好天で、田倉崎までは快調な航行であった。
しかし、東の空には今日のアクシデントを予感するかのような不気味な色の雲・・・。まるでダンテが描く地獄のような形だ。

 

撮影をした場所までは穏やかだったが、田倉崎を越えると一気に風が強くなった。画像ではわかりにくいが、水面に水玉が走るほどだ。



あまり遠くに行きたくないので大型漁礁の周りでオキアミを使ってマアジ狙いとした。
今日もこの場所にはいつもの漁船が出ている。タモを入れているところを見ると何かが釣れているようだ。
僕も早速船団のそばからスタート。船を操るのが下手だから事故が怖いのであまり船団には近づかない。しかし、アタリがない。やはり漁礁には限りなく近づかなければならないようだ。
意を決してぎりぎりのところまで近づいてみると大きなアタリが出た。
アジにしては強い引きで上がってきたのはサゴシだ。
とりあえずボウズは免れた。

その後もプロの艦隊運動のしっぽにくっ付いて頑張ってみたがアタリがない。



テッパンポイントまで行きたいが風が強いので躊躇してしまう。
午前8時で終了し次はカワハギ狙いだ。帝国の神殿(淡島神社のこと・・・)沖で釣りを始めるが風が強いのですぐに船が流される。しばらくしてアクシデントが・・・。
帝国領内に侵入しすぎたことで神殿の神様を怒らせたか、スパンカーのブームを固定するロープを通すプーリーが落ちてしまった。



船を購入したときに新しい細引きに取り換えて以来交換をしていなかったのでそろそろ限界かと思っていたのだがとうとう切れてしまった。
やはり洲本には行かなくてよかった。

船が安定しなくなるので田倉崎の南側に移動。少しは風を避けることができる。
ここで型のいいカワハギがヒット。しかし1匹。あとはベラとチャリコとオセンの猛攻だ。それも潮止まりになるとぱったり止んでしまい今日は終了。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「世界遺産 吉野・高野・熊野をゆく 霊場と参詣の道」読了

2016年10月17日 | 2016読書
小山靖憲 「世界遺産 吉野・高野・熊野をゆく 霊場と参詣の道」読了

著者は熊野古道が世界遺産に認定されたときに推薦書の作成に携わった人らしい。
古道の成り立ちと著者が実際に歩いた感想が書かれている。

熊野古道は紀伊半島の海岸沿いから近露を通る中辺路や海岸沿いの大辺路は有名で、本当の古道ではなくても国道を伝ってそのルートを実感できるが高野山からの小辺路、吉野からの奥駆道なんかどんなに地図を前にして想像してもあの山の中に人が通れる道があるとは思えない。グーグルマップをどれだけ拡大しても道路がないんだ。昔の人はすごかったということだ。もちろん、海岸沿いの道さえも、あの距離を歩き通すなどというのも想像しがたい。だいたい、行ったら帰ってこなければならない。それはもっとつらい。

僕も約10年と少し前、思い立って熊野古道を歩こうと陸路の出発点、大阪天満の八軒茶屋を出発してみたが、あえなく和泉府中で挫折した。まあ、本人としてはまだ挫折したとは思っていないのだが・・・。そう思うと、すごい距離だ。

また、奥駆道については途中、前鬼という場所を通るが、昔よくこの付近を釣りのために訪れていた。ブラックバスを釣るための池原ダム湖への釣行だったのだが、このダム湖へのインレットのひとつに前鬼川があった。当時は何の知識もなく、変わった名前の川だとしか思っていなかったがあのとき少しでもそんな知識があれば釣りの帰りにでも車で(あくまでも車だが・・・)古道に近づけるだけ近づいてみたのにと思うと惜しいことをした。

また、いつか、熊野古道を歩くことはあるだろうか・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「見仏記3 海外編」読了

2016年10月17日 | 2016読書
いとう せいこう みうら じゅん 「見仏記3 海外編」読了

見仏記も3冊目でとうとう海外進出してしまった。といっても20年ほど前の出版ではあるのだが・・・。
韓国→タイ→中国→インドと日本に仏教が伝来したコースの逆をたどる旅だ。

大陸の仏像はきらびやかで日本人の感覚からするとリアリティがないように見える。対して日本の仏像はひなびた雰囲気と日本人からすると本当にいるんじゃないかと思わせるリアルさがある。
内集団バイアスというもので、自分の側のほうがいいという身内びいきなのだが、やっぱり日本のほうがいいのではないかと僕には思える。
金ぴか天然色では心が落ち着かない。

仏像を見るとき、信仰の対象としてみるのか、美術品として見るのか。著者のふたりは大陸の仏像は日本に比べて信仰の対象として見られているので形がデフォルメされていようと少々雑な作りでもいいのではないかと想像する。
もちろんそこには使われている素材、石と木の違いも大きいということもあるようだが、そう思うと、日本人のほうが信心がちょっと足りないんじゃないかとも思えてくる。

しかし、日本のサブカルチャーのリーダー的存在のふたりはそんな見方を超越した鑑賞を続ける。
これがこのシリーズの面白さだ。正当な(宗教的価値や美術的な価値)見方をする人々からはぜったいに、けしからん!!と言われそうな内容なのだろうが、やはりそれが面白い。
生きることの苦しさにどう折り合いをつけて生きてゆくのかということが仏教最大の命題ではあるのだが、そういう深刻なことを笑い飛ばすことこそが本当の生き方なのだと教えてくれているような気がするのは僕だけだろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「仏像―心とかたち 」読了

2016年10月14日 | 2016読書
望月 信成 , 佐和 隆研 , 梅原 猛 「仏像―心とかたち 」読了

多分、梅原日本学というのはこの本から始まったのかもしれない。梅原猛が仏教に造詣を深めるきっかけになったのが50年ほど前にNHK教育テレビで「仏像-心とかたち」という番組の進行役を務めたことだという。その内容を書籍化したものがこの本だ。

日本に仏教が伝わり、そこでどのように変化し、どの部分が特化されていったかという検証をさまざまな仏像を通しておこなっている。
如来、菩薩を取り上げているのが上巻だ。

如来編では、釈迦像のうち苦行時代の像が少ないこと、これは自分が苦行するより人々を助けようという気持ちが強く表れた名残りであり、薬師如来という現世利益を求めた信仰の流行もこの人々を助けなければという気持ちのあらわれで、その後の阿弥陀信仰の高まりはそれでも助からない人々の支えとして来世を夢見させなければならなかった。
そんな生きづらい世界を生きた人々の願いの変遷が見られると説明している。

それと平安以降あまり省みられなくなった大日如来。
大日如来は梅原猛にとって非常にこころ引かれる仏像らしい。それは日本のアニミズムと強く結びつき、仏教が移入される前の日本人の一番最初の心がそこに残っているからという理由だ。
貴族の仏教であり、また、呪術をつかうという胡散臭さが民衆へは受け入れられてこなかったが、現代、再び高野山が脚光を浴び、密教の神秘さ、思想が見直されてきたというのは日本人が日本人らしさを忘れてしまったことの反作用なのではないのだろうか。
梅原猛は、真言密教は鎌倉仏教とは異なり、「来世に期待をするのではなく、今を力強く生きよ。」と教えているという。
どちらの生き方がよいのか・・・。

菩薩編では聖観音が十一面、千手観音へ変化しながら大衆へ浸透しなければならなかった理由を、時代背景を追いながら解説されている。
もっと助けてほしい、しっかり受け止めてほしい、そんな願いがさまざまな利益を授けてくれる菩薩を作り出し、観音様は顔を増やし、目を増やし、手を増やして衆上を見守り受け止める。異形に変化していったことこそが、広く民衆に浸透していた証だということだ。
そこには大胆ではないものの、やはり梅原猛独特の検証が見られるように思うのだ。下巻を読むのが楽しみだ。

しかし、しんどいのはいや、すぐにご利益がないとこれもまたいや・・・。なんだかわがままばっかりの感じだが、逆にいうと、このサービス精神の旺盛さが日本のテクノロジーやおもてなしの精神を生んだ要因になっているようにも思う。

別の面で考えると、日本の文化や習慣というのは往々にして仏教の教えがベースになっているのは間違いのないことで、その文化を生み出した根源は生きてゆくことの苦痛や悩みなどネガティブなことばかりであったように見える。
いくつかの本を読んで、人が生きてゆくことは困難と苦痛ばかりで、それがなければただの平べったい無味乾燥した世界が広がっているだけになってしまうのだということを知ったが、それはそれでなんだか辛いような気がする。
そうなると、世界平和や社会に渦巻くいろいろな問題、小さくは僕の会社の無理、難題なども何をどうしてもどうなるものではなくて、それでは放っておいてもいいのではないだろうかということになる。でもそこに少しでもかかわるのが生きることを実感することになるのなら、いやだな~と思う気持ちをどこか別のところに置いておいてそんなことにも手を付けるというのが正しい生き方であったりするのだろうか。
そういえば、会社の中で飄々と仕事をこなしている人たちを見ると、嫌なことや、叱られるようなこともあまり意に介していないように見える。
こんな人たちはきっと何度かの輪廻の末に悟りを持った人だと思って僕はあきらめるとしよう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加太沖釣行

2016年10月14日 | 2016釣り
場所:加太沖
条件:大潮 4:31満潮 10:46干潮
潮流:8:45転流 11:50下り 2.8ノット最強
釣果:マアジ 1匹 マルアジ 1匹 イサキ 1匹 サゴシ 1匹 サバフグ 1匹

今日は加太へアジ狙いだ。
今の船に乗り始めたころ、まだ高仕掛けで真鯛を狙う術を知らなくてオキアミをエサに加太で魚を釣っていた。
しかし、この時期のマアジはすこぶる美味しい。脂ノリノリでコリコリなのだ。
そして、今日はそれを再びやってみようと試みてみた。


午前6時過ぎに田倉崎沖に到着。



洲本まで行くようになってからはここ、田倉崎沖に来るのがなんでもなくなってしまった。屁でもない感じだ。

勝負は転流してからだと思っていたが、アタリはすぐにやってきた。いい型のマアジだ。
そしてまたアタリ。こんどはイサキだ。いままではウリボウに毛が生えたくらいのものしか釣ったことがなく、こんなに大きなサイズを釣ったのは初めてだ。
ひと流しで2匹。いい感じだ。
ふた流し目でサゴシとマルアジ。これもいい感じ。

しかし、好調もここまで。10時まで粘ったがサバフグが1匹。
今日は本当の五目釣りになった。これが2匹ずつだとうれしいが、そんなに甘くはない。北風強くなりそのせいで水温が下がったか、まったくアタリがなくなった。
お昼の転流時刻まで粘るつもりでいたが、午前10時で集中力がなくなってしまった。

捌いてみるとアジもイサキもやっぱり脂ノリノリ。
今夜は刺身の三種盛りだ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

洲本沖釣行

2016年10月11日 | 2016釣り
場所:洲本沖
条件:若潮 8:06干潮
潮流:5:15転流 9:05下り2.2ノット最強
釣果:タチウオ 4匹

潮が小さくなってきたので再び洲本沖へ向かった。
かねてから声を掛けられていた前の職場の同僚ふたりと同行である。

朝はほぼ無風。秋晴れの空の下を順調に友ヶ島へむかった。



しかし、中の瀬戸を越えたら今日もやっぱりひどい波だ。本線航路を越えたころには体中潮だらけになってしまった。


今日は下り潮。しっかり潮流表を見ていたので前回より少し北の地点からスタート。
前に座る同僚はさっそくタチウオを釣り上げた。今日はいけると思ったが僕にはアタリがない。その間にも彼らは次々に釣り上げる。
特にスピニングのジギングタックルにテンヤを付けて釣っている同僚にはどんどんアタリがあるようだ。
その間も僕にはまったくアタリがない。初めての魚は水面まで来たもののあえなくバラシてしまった。

どうしてこんなに差がでるのか、さっぱりわからない。彼のリールには当然だがカウンターがついていないので底を取るのが難しいはずだ。僕の魚探も底を捉えることができなくなってしまっているので水深も伝えていない。いったいどうやって釣っているのか、どこに差があるのか想像ができないでいると、彼から、「20メートルくらい切ってじっと待っているんですよ。」とのアドバイス。情けない。船頭が乗客から指導をしてもらうとは・・・。
しかし、ここは素直にアドバイスに従う。少しアタリが出るようになったが止めている仕掛けではどうやって合わせるかがよくわからない。おまけに触ってくるがすぐに放してしまう。
相変わらず同僚はどんどん釣り上げている。デパ地下の高級イワシがいいのだろうかと原因を自分の腕前以外に求め始めてしまう。(僕はいつものディスカウントスーパーの不揃いなイワシだ。)

釣れない僕を見かねたか、釣り上げたタチウオを差し出して、「これ、持って帰ります?」・・・・。
これでガラス細工のような僕のプライドは木っ端みじんに打ち砕かれた。今日は立ち直れない。
終了間際までになんとか4匹を釣り上げたが、3人の中では最低の釣果で終わってしまった。

船から降りて今日の竿頭の同僚にいろいろ聞いてみた。
彼は今日、ほとんど底が取れていなかったそうだ。それでわかった。僕も2匹目の魚はテンヤを回収する途中、水深50メートルくらいで食ってきた。今日はそれが正解だったんだ。
魚はかなり浮いていたということだ。実際のところ、彼は20メートル切るどころか、多分、水深の真ん中くらいの棚で釣っていたのだ。
そんなに浅くまでは普通は誘い上げない。結局、言い方は悪いが、底を取るテクニックがないことが功を奏したということだ。
砕け散った僕のプライドのかけらはそれを知ってドロドロに溶けて消えてしまったのだった。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水軒沖釣行

2016年10月08日 | 2016釣り
場所:水軒沖
条件:小潮 5:09干潮
釣果:タチウオ 14匹

今日は加太に行ってみようと思っていたが、気象庁の予報では波が3メートルになってくるとなっていた。風も南からということなので無理はやめて水軒沖でタチウオを狙ってみた。
朝は早い目に出発しようと真っ暗の中港に到着するとオジイやんズとタチウオ名人のユウイッチャンも出撃準備をしている。オジイやんズは昨日も出ていてなんと60匹も釣ったらしい。それも型揃いだったそうだ。
これは期待が持てる。

段取りが遅いので殿での出発となった。

南寄りの風なので紀ノ川の方に出たかったが早く仕掛けを下したいのでやっぱり今日も地の一文字の切れ目を通って沖へ出た。波はどうかというとこれが全然ない。風も穏やかでこれでは加太に行けたのではないかと悔やみながら新々波止の方に向かっていった。
アタリはなく、新々波止の沖にさしかかったときにやっとアタリが出た。ちょっと型のいいタチウオだ。それからはコンスタントにアタリが出る。潮は地方に向かって流れているらしくそれに逆らって船を進ませるとアタリが出る。
しかし、辺りが明るくなって日の出を迎えるとアタリがぱったりとなくなり今日は終了。



オジイやんずに聞くと、型のいいタチウオはコンテナバースの前がいいそうだ。それも明るくなってからでも釣れるらしい。水が濁っているので明るくても水の中は暗いというのがその理由だそうだが、これはこれでちょっと残念な気がするが、次回は試してみようと思う。


港に帰り祈るような気持ちでスカッパーの蓋を開けてみる。前回修理した生け簀の水漏れのチェックだ。
残念・・・。まだ漏れている。



一箇所だけのようだがそれでも漏れていては元も子もない。
「どうしたもんじゃろかの~。」と思案しても名案は浮かばない。こんなときはじっくり観察することだ。小さな点のような穴から水は漏れている。それではここに栓のようなものを突っ込んで水が止まっているあいだにコーキング剤を盛ってやればどうだろう。この方針で再修理をすることにした。
今日も港にとんぼ帰りだ。
栓に選んだのは小さなネジ。それにボンドを塗って点に突っ込むのだ。が、そんなに事は甘くない。ネジを突っ込んでも水は滲みだしてくる。
再び、「どうしたもんじゃろかの~・・・・・。」
次はもっとプリミティブに指にボンドを付けて押さえこんでボンドが固まるのをまってみた。ゴム系ボンドを持ってきているので水が滲みだす前に乾燥して止血をするように止まってくれるかもしれない。
何度か繰り返すと少しづつ滲みだしが少なくなってきた。これはいけるかもしれない。最後山盛りボンドを塗って手で扇くと、なんとなく止まったようだ。その上にコーキング剤を盛って様子をみた。
30分ほど同級生の渡船屋の船頭としゃべって時間をつぶしたあとで見てみるとこの時点では水が止まっている。
今日はここまで。
なんとかこのまま止まってほしいものだ。

おしゃべりをしている間に南の風はかなり強くなってきた。沖に出ているとかなりしぶきをかぶりそうな感じの風だ。朝は悔やんでみたが、やはり天気予報は信じなければならないと実感した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする