イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「そして、ぼくは旅に出た。 はじまりの森 ノースウッズ 」読了

2019年07月31日 | 2019読書
大竹英洋 「そして、ぼくは旅に出た。 はじまりの森 ノースウッズ 」読了

著者は、アメリカ ミネソタ州にひろがる、「ノーザンウッズ」といわれる森林地帯を拠点にして撮影活動をしている写真家だ。
この本は、著者が写真家を目指すきっかけになった写真家、ジム・ブランデンバーグを訪ねるため、ノーザンウッズを生まれて初めて乗るカヌーで旅し、その後この場所で送った数か月間を綴った紀行文だ。

著者が写真家を目指すきっかけになったのは、ある日、オオカミの夢を見たことだった。一ツ橋大学在学中、ジャーナリストを目指すけれども、人々に恐怖や不安をあおる報道が多い中、ワンダーフォーゲルを通して知った自然の素晴らしさを伝えたいと思うようになった。そんなときにオオカミの夢を見た。すぐに図書館に行き、オオカミの写真集を手にした。その著者が、写真家であるジム・ブランデンバーグである。自分も写真家になりたいと思った著者はジム・ブランデンバーグこそその手本となるべき人だと思い立ちナショナルジオグラフィック社経由で弟子入り志願の手紙を書くけれども返事がなく、いっそのこと、直接会ってその気持ちを伝えようとミネソタ州イリーの町を目指す。

この町は最果ての町で公共交通もない。行けるところまで行った町のユースホステルでオーナーにそんな話をすると、それは“スピリチュアル・クエスト”だと励まされる。その後、このオーナーの助けや様々な人たちの助けによって出会いを果たす。
やはりそこはアメリカだ。これが日本なら、夢に出てきたことを信じてはるばるやってきたと言えば、「何を血迷ったことを言っているのだ、悪いことは言わないからすぐに帰った方がいい。」となるのがオチである。

著者はオーナーに車で送ってもらえればイリーまで行けるところをわざと遠回りをするように8日間のカヌーの旅をして目的地へ向かった。それはそうしたほうが自分の思いが写真家に伝わるのではないかと考えたからだと書かれている。そうしてますます自然写真家になろうという決意を固めてゆくのである。
果たしてそのとおり、そういう思いではるばるやってきた著者はとりあえず歓待を受け、また世界的な冒険家であるウイル・スティーガーを紹介され、そのふたりから写真家になるための心構えを学ぶ。
そのなかで、冒険家が言った、「put your boots on and start walking」という言葉は、きっと人生を無駄にせずに生きている人の象徴なのだろう。
おしんも同じようなセリフを言っていた。「月々決まったお給金をいただけるのはありがたいけれども、何かこう張り合いっていうのかな、そういうもの持ってないと人生つまんないんじゃないかと思ったの。」そういう生き方が理想なのはわかっているけれども、現実は“会社ゾンビ”になりさがってしまっているのだ。

この本を図書館で手に取ったのは、星野道夫のようなひとが本を書いているなと思ったからである。たしかに、この本には星野道夫や植村直己、レイチェル・カーソンについて、写真家と冒険家が実際に出会ったエピソード、カーソンについてはその書作について書かれている部分がある。
僕も3人の著作には感銘を受けた。“スピリチュアル・クエスト”というとおこがましいけれども、偶然にこの本を手にしたといのも何かの縁であったのかもしれない。

アメリカ北部のカヌー旅というと、数か月かけて千キロ以上もの長い川下りを思い浮かべるけれども、著者の辿ったルートを見てみると、ちょうど和歌山市を1週するくらいの広さだった。



アメリカの原生林とまではいかないけれども、半径10キロ、僕も臭い長靴を履いて小さな驚きを求める生活は続けてゆきたいと思うのだ。
数年後にしようと思っていた、軽の貨物をキャンピングカーに改造する計画を少しは前倒しをしてみようと思うのである。そして、掘り出し物があれば中古のシーカヤックを手に入れてその半径10キロを探検してみるのも面白そうだ。
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水軒沖釣行

2019年07月30日 | 2019釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 3:57満潮
釣果:タチウオ 25匹

今日は27日の仕切り直しだ。
28日は港まつりだったので4年ぶりに花火見物をしてきたのだが、花火の最中に護岸でタチウオを釣っている親子がいて、さすがにボンボン鳴っている最中には釣れないだろうと半分バカにして見ていたら、2匹釣りやがった。
やっぱり今年はタチウオが多いのかもしれない。
今日はそれを証明するためでもあるのだ。(証明することに何の意義もないけれども・・・。)



朝の目覚めは午前2時。毎日体重を計っていると、どうも周期的に減ったり増えたりすることがわかる。これは食べる量に限らず、何か月の満ち欠けに沿うようなものなのだろうか。そして増加傾向にあり、体重がピークに達するときにときたま下痢をもよおすことがある。それが午前2時であった。

目覚ましは午前2時半にセットしていたのでもう2度寝はできない。ゆっくり支度をして午前3時を少し過ぎてから家を出た。少し早いかと思ったが途中でガソリンを買ったらちょうどぐらいかと思ったが、気が付くと夏至から1ヶ月以上経ったこの時期では午前4時前の出港では辺りは真っ暗だ。



しかし、このご時世、真夜中に携行缶にガソリンを入れているオッサンなんて怪しいとしか言いようがない。「船のエンジン用です。」と言っても釣竿も持たずだからますます怪しくなる。身体検査をされたらナイフにペンチにピックに双眼鏡がでてくるのでこれはもう、間違いなく任意取り調べの対象者だ。嫌な時代になったものだ。



一文字の切れ目を越えると、波がかなり高い。小船ではかなり厳しい高さだ。予報通りすでに風は西になっている。これでは魚が掛かったとしても船の上に立ってのやり取りは危険である。狭くなってしまった新々波止と新波止の間を通り抜け青岸の沖に出た。こっちは新々波止のおかげで静かなものだ。しかしアタリがない。最初のアタリが出たのは午前5時前頃だろうか。1匹釣り上げたけれども仕掛けを縺れさせてしまった。これで3匹くらいは損をしただろう。5分ほどかかってやっと復旧。それからはアタリがどんどん出る。ほとんど2匹以上で上がってくる。そして型が大きい。さすがに指5本というのはないけれども洲本サイズと言っても過言ではない。そして20本くらいは釣っていただろうか、今日も仕掛けを切られてしまった。鉤が4本無くなってしまった。もうこれだけ釣ったら十分かと思ったけれどもやれるところまでやってみようと残った1本で仕掛けを流しているとそれでも食ってくる。じゃあ、かなり錆びついてしまっているけれども、予備の仕掛けを取り出して流してみるとやっぱり食ってくる。もう、何でも食ってくる感じだ。幹糸を噛まれるのも多分三又目指して食いついてくるに違いない。それだけ海の中に魚が充満しているということだろう。まっさらの鉤を付けていたのにもったいない・・。

午前5時半を過ぎるとアタリは遠のき、終了。しかし、やっぱり今年は間違いなくタチウオが多い。釣れるかどうかわからないスズキを追いかけている場合ではない。そういえば今日の一発目のアタリの時に船べりで外れてしまったけれどもセイゴが掛かっていた。タチウオだけでなくその他もろもろ多そうな予感がする。



今日も暑くなりそうだ。少し太陽が顔を出しただけで汗がしたたり落ちてくる。当分早朝のみの釣りになりそうだ。


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芋を掘る。その前に出港・・

2019年07月27日 | Weblog
毎年この時期に年に1回だけだが、叔父さんの畑でサツマイモの収穫を手伝う。



今年は日照不足と雨が多いので出来はイマイチだそうだ。が、僕には美味しそうなサツマイモに見えるけれども、プロの目からみると満足がいかないらしい。



同じ農家に嫁いだ叔父さんのお姉さんも手伝いにやってくる。毎年、「お母さんは元気でやってるか?」という会話から始まる。1年も経っているけれども、前の会話がついこの前のようだったと思えてしまう。これも歳をとったからだろうか?
ちなみにこの人の息子はアウディに乗って趣味でハコスカを所有している。農業は意外と儲かっているのだろうか・・?

耕運機で芋を掘り起こしている時間は雨が降っていなかったけれども収穫の最後あたりにはポツポツ。



そして作業場に戻って芋洗いをする頃には土砂降りに。台風を甘く見ていた。

甘く見ていたというと、今日は年に1回しか会わない人たちがやってくるので、当初はちょっと格好をつけて、畑に集合する前にタチウオを釣ってその人たちに配ろうと考えていた。
台風が接近しているというのはわかっていたが、紀伊半島の東側を通り、気圧もそれほど低くない。朝起きて空を見てみると雲の動きはそれほど速くない。これは行けるのではないかと港に到着すると渡船屋さんは休業。



それでもとりあえず船を出すとやっぱり北風が強い。エンジンをニュートラルにするとすぐに風で舳先が押し戻される。これはダメだと鉄工団地の入り口のところで退散。



自然を甘く見てはいけないのだ・・・。
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水軒沖、初島沖釣行

2019年07月23日 | 2019釣り
場所:水軒沖、初島沖
条件:中潮 4:03干潮 9:42満潮
釣果:ホウボウ 4匹 カスゴ 1匹 ガシラ 1匹

朝、家を出ようとしたら空のあちこちで雷が光っている。これはなんだか気持ちが悪い。ゴロゴロと音がしないので落雷ということはないのだろうけれども、何もない海の上で帆柱の先端には金属の金具が付いているとなると感電してしまうということもありうるのではないかと不安になる。しかし、もたもたはしていられない。タチウオを釣るには夜明け前には出港しておかねばならない。幸い、渡船屋は営業している。万が一の時には助けにきてくれるだろう・・・。きっと・・・。

一文字の切れ目を出てすぐに仕掛けを下す。かすかなアタリがあったが鉤には乗らない。やっぱり昨夜の雨が悪いのだろうか。
新々波止まできて針路を西に変更。ここでもたまにアタリがあるけれども鉤には乗らない。エソが1匹来ただけだ。大きなアタリがあって、今度こそと思いきや、仕掛けの鉤2本目から後ろが無くなってしまっていた。アムロ・レイなら、「たかが鉤を3本やられただけだ!」と闘志をみなぎらせるのだけれども、残念ながら僕はニュータイプでない。そそくさと仕掛けを回収して初島へ向かう。また、イワシ飲ませのあの豪快なアタリを味わいたいと思ったのだ。

新々波止の前からでは沖ノ島が見えないほど曇っている。半分くらいの道程のところでやっと島の影が見えてきた。



沖ノ島に到着してみると、雲はどんよりと垂れ込め、潮も動いていない。



気持ちも条件も厳しい。そして、お目当てのイワシの大群も映らない。やっぱりこれも昨日の雨の影響だろうか・・。
仕方がないのでタイラバを落としながら時を待つ。加太の潮流表を参考にしてみると、今は下り潮だがそういう動きが全然ない。こういう時は、自分が一番しっくりくる場所で勝負するのがいい。灯台の下からわずかに流れる潮を釣る。そうしたらアタリが出た。2回目のアタリだっただろうか。小さいながらホウボウが来た。少しだけ潮上に移動すると再びアタリ。そして3匹目。ここはきっとホウボウの巣になっているに違いない。4匹目もここであった。
タイラバではホウボウかコチが釣れればと思っていたのでこれはこれで本命なのだ。

ホウボウもこれだけあれば十分だ。上りの潮を待つために大磯の沖に移動。ここにはテッポウを引いている船もいたので期待が持てるが、イワシの群れは映らない。タイラバにもアタリはあるけれどもフッキングには至らない。やっと小さなカスゴが1匹だけであった。

朝はどうなるのだろうかという空模様であったけれども、午前8時を過ぎると真夏を思わせる天気に変わってきた。午前9時には暑くてたまらなくなってきた。潮の予想からするとも少し粘れるかもしれないが、この辺が引き時と退散した。


帰りはもう、これは完全に梅雨明けしているのじゃないかと思うような好天。海もまだおだやかで快調な帰途であった。




前回の加太の釣行でアタリがあれども鉤に乗らないということが続いた。竿の弾力が魚に違和感を与えているのではないかと思い、今日は巻き取りスタイルを少し変えてみた。竿のグリップを肩に当て、竿先が水面下に入るほど下げてほぼ竿の弾力が効かない体勢で通した。
ホウボウは鉤を飲み込むほどの喰いこみであったけれども、大磯の前では完全に鉤に乗ったと思うアタリを外してしまった。これがいいいのかどうか、もう少し続けてみようと思う。
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「金剛の塔」読了

2019年07月22日 | 2019読書
木下昌輝 「金剛の塔」読了


四天王寺の五重の塔は現在まで七度建て替えられ、現在は八代目だそうだ。そして、その八代目を除いて建築を受け持ったのが金剛組である。
仕事場が近かったのでよく四天王寺を訪ねた。この写真は去年の大晦日のものだ。



今の仕事場からは遥か遠いのでもう、そういうこともないだろう。


ウイキペディアを見てみると、
『日本の建設会社である。578年創業で現存する世界最古の企業である。
創業から1955年の法人化を挟んで2005年まで金剛一族が経営してきたが、同年11月より髙松建設(現髙松コンストラクショングループ)の子会社(現在は孫会社)へ移行している。』
とある。
2008年に解散するまで、1430年の歴史を刻んだ日本最古の会社組織だそうだ。そしてその初代金剛重光は聖徳太子の要請で朝鮮半島からわたってきた渡来人である。

ちなみに、現在の五重の塔は鉄筋コンクリート製なので金剛組の出る幕はほとんどなかったそうだ。そういうことが全国的なトレンドになって、伝統的な宮大工の仕事が激減したということも会社が立ち行かなくなった要因になってしまったそうだ。そういう意味では、この会社も時代に即して変化をしきれなかったということか。しかし、これだけ長い歴史を持ってくると、こういう会社を振り落した時代の流れのほうが悪いのではないかと思えてくる。

この物語は、初代を含めた8回の建設のうちの6回の建設場面の物語を、聖徳太子の絵が描かれた木札と東京スカイツリーのストラップが時空を超えて案内をするというものだ。
七つの短編がつながったような構成になっていて、技術的な面を強調していなくて、人情劇のような流れなのでなんだか講談っぽい。

ただ、それぞれの時代の大工たちがこんな感じで建設に情熱を傾けていたのだろうなとは想像ができるのである。


五重の塔は、戦や落雷で燃え落ちたことはあるけれども、地震で倒れたことはない。その大きな理由には、心柱の存在があるという。この心柱、塔の本体とは接しないまま五層目まで伸びていっているそうだ。だったら必要なさそうなものだが、なぜだか必要だそうで、東京スカイツリーもよく似た構造を持っているそうだ。(これは五重の塔を真似たものではなく、質量付加機構という構造で心柱とはまた別の論理で成り立っているらしい。)しかし、現在でもこの柱が構造上、どんな役割を担っているのかということがはっきりわかっていないそうだ。その理由が、本物を壊して実験することができないからだというのがこれまたおもしろい。
そして躯体に対しては大きな屋根も特徴であるが、この屋根は上の層を支えている柱の重みを使って梃子の原理で支えているそうだ。いわば巨大なモビールのような構造になっていてそれが地震の揺れを逃しているらしい。そして、大きな屋根が必要なのは雨が多い日本で本体を腐らせないために大きな庇が必要ということであの荘厳なスタイルができあがった。

この二つの構造は、雨が少なくて地震がない大陸での建設には必要のないものだ。この本にも、空想ではあるのだろうけれども、初代がそれに悩む場面が出てくる。そしてこれらの構造は日本の地に渡来してから考え出したものということになっている。
科学技術が発達したこの時代でもその原理がよくわからないものを、1400年も前の人たちがどうやって考え出したのだろうか・・・。
そんなことを考えると、本当に聖徳太子が時空を超えて彼らにその技を教えたのではないかと考えられなくもないのである。
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「そして、バトンは渡された」読了

2019年07月17日 | 2019読書
瀬尾まいこ 「そして、バトンは渡された」読了

この本は、今年の本屋大賞を受賞した作品だ。4月の初めごろに貸し出しの予約をしてやっと順番が回ってきた。

テーマは「家族とは・・」という感じだろうか。主人公は幼少のころ、母親の死をきっかけにして両親が合わせて5人も入れ替わるという経験をする。
しかし、そこには悲壮感というものは漂ってはこない。
主人公も周りの人たちもすべてよき人という設定だ。いうなれば「朝ドラ」の乗りである。
まあ、こんなにうまくすべてが運んでいくというということはありえないのではないかというのが素直な感想になってしまう。
文学とは「不条理」と「独白」だと思っている僕にとってはそんな感想になってしまう。
だから、なんだか、ケーキ屋さんが使うヘラのようなもので表面だけをす~っと切り取って、それを壊れないように慎重にトレイの上に置いたようなイメージなのである。

おそらくは“血縁”というものを排除したその先での家族の姿はどんなものだろうかという、「なつぞら」と同じテーマを追いかけているのだろう。
なっちゃんのセリフに、「なんでも言い合える家族なんだ。」というのがあったけれども、本当にそうなのだろうか、「人は心の中で思っていないことは言わない。」そうだ。人類補完計画が実現していないこの世界では家族といっても個々の人間だ。その一言で相手が何を考えているのかがわかってしまう。そしてそれが人の本質を非難するような言葉であったとするならそれでもすべてを許すことができるであろうか。

この物語の登場人物たちは言いたいことを言っているように見えて、じつはそれぞれが相手の気持ちを傷つけることに対して慎重になりながら言葉を選んでいる。「本質に触れずにうまく暮らしている。」と言われればそれまでだけれどもこの本は逆説的に家族にはそれが必要なのであると語っているような気がしたのである。

最後には大団円を迎えるわけだけれども、はたしてこの物語がテレビドラマになったとしたら、やっぱり主人公は広瀬すずに決まりで、最後に父親になる人はやっぱり若い頃の内村光良に違いないと思ってしまうのでこれは限りなく朝ドラっぽいのである。
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水軒沖~加太沖釣行

2019年07月16日 | 2019釣り
場所:水軒沖~加太沖釣行
条件:大潮 5:11 満潮
潮流:5:41 上り 0.7ノット最強 8:02転流

加太の真鯛は秋から冬にかけてが美味しいと思っているので夏の真鯛を加太に釣りに行ったことがないと思うのだが、Nさんが一昨日、二人で30匹以上釣ったと聞いたらとりあえず行ってみたくなる。しかし、梅雨とはいえ、休みのたびに雨が降らない。今日も安息日だと考えていたのだが、雨が降らなくて波も穏やかだとなると行かないわけにはいかない。疲れる・・。

まずは保険にと水軒沖でタチウオ。
今日も好調だ。5匹あればと考えていたけれども、20分ほどで14匹。仕掛けを回収している最中でもどんどん当たるし、半分くらいは腹を喰われている。これはきっと下から別のタチウオが共喰いしに来ているのだ。いくらでもいる感じだ。
真剣に釣れば50本も夢ではないのではないだろうか。そして今日も型が大きい。

田倉崎の沖に到着したのは午前5時15分。



まだ潮が上っているのでポイントはここかと思ったがアタリがない。すぐにテッパンポイントに移動。ここでまず1匹。

小さいチャリコは来るけれども生け簀に入れられるようなサイズが続かない。そうこうしているうちに午前7に近づいてきたので沖ノ島北側に移動。



しかしここでもアタリがない。Nさんはどこで釣っていたのだろうか・・・。

午前9時ごろ、そろそろ下りの潮が効いてきたのか、アタリが出始めた。しかし、鉤には乗らない。なんとかキープできるサイズは2匹で終わった。う~ん、自作の竿では限界があるのだろうか・・。アタリがあったときに竿の弾力が邪魔をして魚がラバーを放してしまうのだろうか・・・。

そして30分もしないうちにアタリはなくなり、エネルギーの補給にと椎の実を炒ったものを海水で味付けして食べながら釣りを続けていたけれどもここまでが限界。暑くなる前に退散とした。



皮をむいて少しのあいだ海水に漬けておくとなかなか美味いのだ。

帰りの道中はもうすでに夏の様相だ。



梅雨が明ければ今日のような釣りは難しくなるのだろうな・・・。




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水軒沖釣行

2019年07月13日 | 2019釣り
場所:水軒沖
条件:若潮 2:50満潮 10:01干潮
釣果:タチウオ 14匹

一昨々日、沖縄に出張していたちからさんからこんなおみやげをいただいた。



これ、名前をドラゴンフルーツというそうだ。なんとサボテンの実らしい。

中身はこんな感じ。



一晩冷やして食べてみたのだが、ほんのりと甘くてサクッとした食感は、「たとえて言えば」と言ってみてもなかなかたとえるもののない味であったのだ。そして、その“ドラゴン”にあやかってタチウオを釣りに出てみた。
もちろん、まったく勝算がなかったわけではない。港に船を泊めているTさんから釣れ始めたという情報がもたらされたのだ。過去5年ほどさかのぼってみたけれども7月にタチウオを釣りに出た記録がない。
果たして釣れるだろうか。

午前4時過ぎに出港。夏至から約半月、少しは夜明けが遅くなっているのだろうかというよりも、これは曇っているだけだな、きっと。

一文字の切れ目から新々波止の近くまで行って仕掛けを下すと間もなく本当にアタリがあった。Tさんの情報は正しかった。型もまずまずだ。
それから新々波止に沿って移動するとどんどんアタリが出る。数回は一荷でのアタリもあった。これはもう最盛期の当たり方だ。午前5時を過ぎるとアタリはなくなってしまったので45分ほどの釣りであったけれども、こんなに早いシーズンにこれだけ釣れれば十分だろう。

大きい方の船のスタンチューブを入れ替えてから叔父さんの家に寄っていつものスーパーでアイスクリームを買って、道具とクーラーを洗っても「おしん」の放送に間に合うという超ファースト釣行であった。

しかし、今年は雨が多い。予報では1日中曇りであったけれども、港に帰る道中は雨が降っていた。午後からも降ったり止んだり。東京では日照不足だそうだが、和歌山も多分日照不足になりつつあるのではないのだろうか。
それでも、ここ2回は釣りをしている時間には雨は降らない。幸運が続いているという感じだ。

今日の獲物でチーズのカリカリ焼きを作ってみた。タチウオが釣れれば一度作ってみようと考えていたレシピだ。これはなかなお手軽で美味しいレシピだ。惜しむらくはもっとタチウオを贅沢に使うべきだった。



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「人生複線の思想― ひとつでは多すぎる」読了

2019年07月11日 | 2019読書
外山滋比古 「人生複線の思想― ひとつでは多すぎる」読了

本好きがいよいよ読む者がなくなってくると、電話帳を読みなじめるという。本好きというような偉そうなことは言えないけれども、ぼくも手持無沙汰になったときなど活字がないとたまらなく寂しくなる。
この本も、目当てにしていた本の貸し出し予約の順番が近づいてきたのでそのつなぎにという感じで借りたものだ。

著者は「思考の整理学」という本の著者だ。

「新潮45」などに掲載されていたエッセイをまとめたもので、その内容は英文学者としての英語教育についての一言、戦時中、敵国語としての英語を勉強することの困難さ、年齢を重ねてからの様々なことに対する思いと多岐にわたっている。

特に、経験を積むことの意味、朝の効用についての独特の見解にはなるほどこういう考えもたしかにあるなと思わせられる。
「経験は最高の教師なり。」というけれども、お手盛りの経験ではダメなのだ。そう思っていたはずなのに自分経験不足の面があったことを、はたと気付かされる。
「朝の仕事は良質で見事な仕上がりであることが多い。」良質で見事な仕上がりではないにしても朝は気持ちがいい。僕の休日はいつも早いが、なにも釣りに行きたいがためだけではない。早朝というのは何かどこか日常とは異なる感覚があるのだ。けっして24時間営業のスーパーのパンが半額になっているからうれしいのではない。

タイトルにもなっている、「ひとつでは多すぎる。」そのあとには「ひとつでは元も子もなくなる。」と続くそうだ。逆説的に解釈すると、ひとつのことに執着していると失うものも多いということだろうけれども、これは本当に正しいのか、この意味のとおりなのか、それこそもっと歳を経ないとわからない。釣りの世界では、あれこれやっちゃうとどっちつかずになってしまう。僕は確かにそれに陥っている。しかし、寿命が長くなっているこのご時世、ひとつのことにこだわるには長すぎる。それは最後の最後にやっとわかることなのかもしれない。それを心に留めながら白秋から玄冬を生きてゆくということが必要なのだろう。

当時の「思考の整理学」感想を読み直してみると、勤務場所が近くなったら改めて読み直してみようと書いている。出たり入ったりで2回目の勤務になったのだから、蔵書のパッキンの中から探し出してもう一度読み直してみようかしらと思うのだ。
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初島沖釣行

2019年07月09日 | 2019釣り
場所:初島沖
条件:小潮 5:33干潮
釣果:サワラ 1匹 真鯛 2匹 マゴチ 1匹

今日もウキを拾ってしまった。港内を走っているときに見つけたやつは縁起をかついで拾わなかったけれども、一文字から初島へ向かうちょうど中間点、どうしてだかこんなところにウキが漂っていた。神様は僕にどうしてもウキを拾わせたいらしい。そして、悲しいかな、貧乏性が僕にその行動をさせてしまう。



しかし、今日はいつもと違う。そのジンクスに打ち勝って釣果があった。


三日ほど前の天気予報では曇りであったが、昨日の朝ウエザーニュースの予報を見てみると1日中雨になっていた。ああ、これは停滞かと思っていたが、午後の予報では午前6時からお昼くらいまでが曇りになっていた。
午前3時に起きてみるとやはり雨。それもかなり降っているようだ。仕方がないので二度寝して午前4時半に起きてみるとどうも雨が降っていないようだ。よし、出港だ。行けるかどうかわからなかったもので竿とリールの準備をしていなかったので急いで準備をして午前5時過ぎに家を出て、沖ノ島への到着は午前7時前。



潮はほぼ動いていない。これは厳しい。タイラバとイワシ飲ませの2本立てで臨んだが、タイラバにはまったく反応がなく、イワシ飲ませも1度だけイワシが乗ったけれどもアタリがない。
それから約3時間半、午前9時頃にタイラバにアタリがあったきりであった。今日もウキの祟りかと諦めてしまっていた。それでも午前9時半を回った頃に少し潮が動き始めた感じだ。大磯の沖に回るとまたイワシの反応が出てきた。ダメ元でイワシ飲ませの仕掛けを下すとすぐにイワシが乗った。ふと考えが浮かんで、掛かったイワシを一度引き上げて鼻にハリをセットしなおして再び仕掛けを沈めてみた。唇に掛かったイワシはすぐに外れてしまうがこうしておくと少しは長い時間ハリに掛かったままになる。これが正解であった。間もなく大きなアタリがあった。引きが強いので竿がのされる。なんとか引き上げてみると大きなサワラだった。ハリスは10号だがそれでもサワラの歯に当たると一撃で切れてしまう。だが、うまくカンヌキに掛かってくれていた。
そしてしばらくあと、またイワシの群が近づき、同じようにやってみるとまた大きなアタリ。今度は真鯛だ。真鯛もイワシを食べているんだね~。そりゃタイラバに食いに来ないはずだ。目の前にごちそうがどっさりあるんだから。
イワシの群れが去ったのでタイラバに切り替えると幸運にもアタリ。小さけれども真鯛だ。そして次はマゴチ。ちょうどこの1時間が時合だったようだ。
魚がそこそこ大きかったのでクーラーもほぼ一杯になり、午前11時半に終了。

梅雨の合間のわずかの天気。午後にはまた一瞬土砂降りになったけれどもこの時間は波も穏やかですこぶる気持ちのよい帰途になった。


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