イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

紀ノ川河口釣行

2024年06月16日 | 2024釣り
場所:紀ノ川河口
条件:若潮1:29満潮 8:40干潮
釣果:キス33匹

二日連続の釣行は普通でも辛いが、昨日は戦力にもなっていないが一応は草刈りに精を出していたので腰が痛い。しかし、そんなことは言っていられない。今週末には梅雨入りするらしく土日は雨の予報だ。小船にも気がつけば先月の10日以来乗っていないのでとにかくエンジンを回しておかねばならない。
例年なら7月に入って梅雨明けとともに始めるキス釣りであるが5月くらいから釣れ始める魚であるので調査のつもりで出てみた。チョクリもダメでアマダイばかりも芸がないとなるとほかに釣るものがないというのが本音のところでもある・・。

夕べは雨が降っていたようで、午前2時半に起き出して新聞を取りに外へ出るとまだ少し霧のような雨が降っていた。あらまあと思って雨雲レーダーを見てみると間もなく消えてゆくようだったので出発の準備をすることにした。
テレビを点けると「NHKスペシャル」の再放送をしていた。



“人間の欲望”がテーマで、今回は“人はなぜ殺し合いをするのか”という内容であった。それは、「オキシトシン」の作用によるというのであるが、“愛情”ホルモンと言われるものがどうして憎しみを生んでしまうのか?それは愛ゆえに同胞を守るために仲間以外のものを排除するという行動を起こし、その果てには仲間に尽し自己犠牲もいとわないという心理を生み出すというのである。
そんなことを見ていると、僕はきっとオキシトシンが不足した人生を送ってきたのではないかと思えてきた・・。寝起きに見るには重すぎる内容であった。


昨日は出遅れたので少し早い目に家を出たのだが今日は雲が多くて出港した時はまだまっ暗であった。



明るくなるまで一文字の前でルアーを投げてみて何もなしで紀ノ川へ。



今日の釣行には一つの問題を抱えていた。今まで竿を何本出していたのかという記憶がなくなってしまったのである。2本だったか、3本だったか・・。ただ、もうひとつの記憶の中ではゴカイの300円のパック買えなくなってからとにかくエサが余ってしまうということがあったのでエサを消化するためにという理由であやふやな記憶を頼りにせず3本持っていくことにした。
と、なると、どうもリールをひとつ失くしているという新たな問題が浮かび上がってきた。古いリールで紀州釣りに使っていたものだが、かなりガタがきていたので捨ててしまったか・・。いや、そんなことはない。長く使った歴戦の勇者をそんなに簡単に捨てることはない。じゃあ、どこにいってしまったのか・・。記憶はどんどん消え去っていってしまっている・・。
オキシトシンの不足も問題だが、海馬の劣化も問題だ・・。


今日は若潮だからなのか、すでに引き潮の時間に入っているのにあまり流れはない。速すぎるよりも釣りやすいというのはあるが、川でこれくらいの速さというのはほとんど流れていないのと同じだからなのか、アタリがない。正確にはアタリはあったのだが、最初は小さなキビレで次はギンタだ。その次もギンタ・・。やっとキスが釣れたのは30分以上あとだった。その後もアタリは散発的で、活性が悪いのかアタリがあっても鉤に乗らないことも多かった。キスは複数の竿に自転車操業のようにアタリが出なければ面白くない。そういうことはもう何年も経験していないが・・。

そして状況はどんどん悪くなってきた。船の姿勢は安定せずフラフラ揺れるし、とうとう船が上流に向かうようになってしまった。



画像ではよくわからないかもしれないが、錨のロープが下流方向に伸びているのである。川の流れがなくて西からの風に船が流されているという感じだ。アタリがあっても掛からないのは、川の変な流れのせいで仕掛けがまっすぐ流れていなかったからかもしれない。
それでも時々はアタリがあるので釣りを止めることができず、エサがなくなる午前10まで頑張った。とにかくエサは使い切った。
釣りをしている間の大半は雲が多くて過ごしやすかったが時折日が出てくるとすぐに暑くなってくる。今でもこんなに暑いとこの先いったいどうなってしまうのだろうかと不安にもなってくる。



今年の夏もきっと暑くなるのは間違いなさそうだ。やっぱり自転車操業で午前8時台には終わりたいものだ。

竿は2本か3本かという問題であるが、これは間違いなく2本であった。小さな船の上で3本の竿を操ってみて、こんなに雑然とした釣り方は今まで絶対にやっていないというのがその結論だ。



そうなってくると、失くしたと思っているリールはもっと前から使わなくなっていたということになる。やっぱり記憶の彼方に行ってしまっているほど前に処分してしまったのだろうか・・。
船の上ではあぐらをかいた姿勢で釣りを続けていたので腰の痛さが倍増してしまった。港に戻ってやっと気がついたのだが小船には折り畳みのイスを積んでいた。これを使えばこれほどの腰痛にならずに済んだのであった。
人間の海馬には忘れてしまったと思っている記憶のかけらがいつまでも残っていて、それが思い出せないのはその記憶を引っぱり出すための紐が切れてしまっているからだそうだが、僕の海馬の記憶を手繰り寄せるための紐はやっぱりズタズタになってしまっているようだ・・。

キスは片男波でも浜の宮でもそれほど釣れていないらしい。海水浴場を維持するために砂を掘ったり入れたりしたりしていることが原因だと言われているが、水温や海況の変化というものもあるかもしれない。マルアジやゴマサバが釣れなくなったというのは昨日のブログに書いたことだ。イカも釣れなくなった。アマダイやグレが釣れるようなったとはいえ、その代償としてこれらの魚を生贄にしたというのであればなんとも割に合わないような気がするのである・・。

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