イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

この1年を振り返る。

2017年12月31日 | Weblog
今年もあとわずか、この1年を振り返ってみる。

本年のボウズの回数は16回。60回の釣行で狙っていた獲物が釣れずにほかの魚が釣れた回数を加えると3回に1回はボウズということになる。そう思うとなんとも悲しい結果だ。ちなみに英語でボウズのことをスカンクと言うそうだ。

毎年同じではあるけれども、紀ノ川河口のスズキ狙いは厳しい。行けども行けどもスズキが釣れない。なんとかシーズンの最後にものすごく小さいけれども1匹を釣り上げることができたのはなんとも幸運であった。



次に磯釣りだが、これはかなり好調であった。
田辺には2度出撃し、それなりに釣果を得て、秋には初の初島釣行でグレは釣れなかったものの、脂の乗ったチヌを釣ることができた。

 



しかし、まあ、田辺の釣行で同じ磯に乗った釣り人から、「おっちゃん」と呼ばれたのはショックだった。まだまだ若手だと思っていたけれども他人が見ると普通に「おっちゃん」になってしまっているらしい。
頼むから心の中で思っていても口には出さないでくれ・・・。

そして磯の釣りでは道具がどんどん劣化してゆく。長く使い続けているのもあるけれども、行ったとしても年に1回か2回。樹脂製の物は使い続けなければ劣化が早い。今さら新しいものを買いそろえてゆくのはもったいなく、紀州釣り用のバッカンは代用品を考えたが、



ウキケースやソフトクーラーとなると考えてしまう。

 

もう、磯釣りを引退しなさいということだろうか。しかし、しぶとくも劣化した磯竿のグリップはうまく修復できた。まだまだだ。



船の釣りはどうだろう。前半は厳しく、夏以降は洲本のタチウオはダメだったものの、

 

水軒沖のタチウオや真鯛(今のところ)はそこそこいけたのではないだろうか。これもまあ、僕の隣に係留をはじめたN氏にはまったくかなわないけれども・・。

   

   

チョクリ釣りもあんまり釣っていない。けっこう釣ったのはこの2回くらい。

  

あとは貧果がばかりだった。

  

キスも厳しかった。こんな状態がもう何年も続いている。再び盛り返すのはいつになるだろうか・・・。

 

コウイカも今のところかなり厳しい。

 

新しい釣りも体験した。
初島の飲ませ釣りはあっけなく針をのばされたが、来年はもう一度挑戦してみよう。



ヒコーキのツバスも面白い。

  

季節が進むごとに大きくなっていくのだ。

そして行動範囲も広くなった。
初島の沖ノ島。加太でも北は非武装ポイントから南は大和碓ポイント。引き出しは少し多くなった。

  

タイラバもN氏の導きでステージが上がった。

  (N氏の愛艇)

来年はもっと洗練することができればいいのだが、タイラバはどうも釣れる気がいまだにしない。まだ高仕掛けのほうが優位にあるような気がする。疑似餌はまず釣れると思い込むことが大切だ。そこまで到達するにはもっと時間がかかりそうだ。アユ釣りというのはすでにトーナメンターのほうが職漁師よりはるかに釣る数が多くなってしまっているそうだ。それは仕掛けに投資する額の違いにも要因があり、漁師が1メートル何千円もする金属糸や数十万円もする竿を使っていては割りに合わないのだ。それに倣うとタイラバもしかりなのだろうか?。コストの問題もあるだろうが、漁師は乱獲を防ぐために究極を目指さないのかもしれない。そんな持続性も考えられてのことならば、僕は高仕掛けの方を極めたいと思うのは時代についていけないことの言い訳になってしまうのだろうか・・・。




ギミックには新しいものが加わった。長らく乗り続けた原チャリを乗りかえた。

 → → 

荷物の積載量は大幅に増え、快適になった。積載量が増えても魚の分量は全然変わらないのではあるけれども・・。
そして、今年のベストショットはそのギミックに関するものだ。



これはいつもお世話になっているちからさんと同時に船を上架したときの画像であるが、船のメーカーも同じで乗っているバイクも同じ。というか、バイクについてはまったくちからさんをコピーしてしまったのだ。
こんな感じで撮影するとなんとなく、出撃を待っている戦隊ヒーローの秘密基地に見えないだろうか。ふたりとも絶対におっちゃんと呼ばれてしまう年齢なのだが、こんな遊びが普通にできてしまうのはうれしくもありありがたくもある。

今年は台風にも悩まされた。10月にふたつの大きな台風が襲来し、2回とも会社から家に帰れないという事態に陥ってしまった。家族の助けというものが幻想であるということを思い知り、流木を3回も引っ掛け、船の状態は今、すこぶる悪い。次回上架したときに顔面蒼白にならなければいいのだが・・・。

さて、来年は一体どんな年になるのだろうか。釣果は二の次、とにかく安全第一でいきたいものだ。
そして来年の最大の目標は大物を手にすることではなく、今年見つけた、まだ誰にも盗られたことがないのかもしれないこのタラノメにアクセスすることなのだ!



薄くなってしまった潮時表を捨て、2017年の潮流表をデスクトップから削除し来年に備えよう。















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加太沖釣行

2017年12月29日 | 2017釣り
場所:加太沖
条件:中潮 3:10満潮 8:40干潮
潮流:7:50転流 10:30 下り1.8ノット最強
釣果:真鯛 58.5センチ以下 3匹

今年最後の釣行は60回目となった。幸いにして天気はよさそうだ。
しかし、寒い。今年の冬はなんだかいつもの冬より寒い気がする。そんな中、擦り切れた靴下と防寒仕様でもなんでもない長靴で釣りに出ていると指先がこんなになってしまった。



痛いし、痒いし、春まではどうしようもなさそうだ。

暗いうちに出港し、とりあえずはイカが欲しいので水軒沖でスッテを下してみたが、紀ノ川方面からどんどん出撃してゆく同盟軍をみていると居ても立っても居られなくなってしまった。

今日の朝日は逆天使の梯子のようだ。上向きの光線はなんだか縁起がいい。



今日は下り潮。非武装ポイントで勝負だ。到着したときは潮止まり。N氏が教えてくれた止まり潮でもアタリがあるという小島沖からスタート。そのN氏も出撃している。



遠くから眺めていると、タモを持っている。さっそく魚を釣り上げたようだ。こんなのを見せられると焦ってしまうのだ。しかし年の最後の釣りである。なんとか獲物がほしい。そこは冷静に目の前の仕掛けに集中する。
一度だけアタリがあったが残念ながらフッキングまでにはいたらなかった。その後はアタリがなく、N氏も移動してゆきもう1艘いた船も移動してしまった。
僕も当初の計画通り、非武装ポイントの奥深く帝国軍領域まで移動。そこでやっとアタリ。仕掛けを下している最中にアタリが出た。50センチ弱の真鯛だ。なんとかボウズは免れた。魚探の反応はかなりありアタリもあるのだが、ビニールの先っちょをかまれるだけでなかなか鉤に乗らない。そんな中、仕掛けが底に着いた直後にアタリ。これは大きい。あまり食い込みがなかったのでちゃんと鉤にかかっているのか心配で、また、3.5号の枝素が耐えられるか、慎重にやり取りをして上がってきたのはかなりの大物。58.5センチの真鯛だ。あと、1匹釣れば今日は十分。潮が行き切る前にアタリがほしいところだ。最後のアタリは典型的なビニール仕掛けのアタリであった。型は小さいが3匹目。

その後、午前10時ころから風が強くなってきて仕掛けが安定しなくなってきた。この状態ではダメだ。この状態で仕掛けを安定させる術がないと数を稼げないのはわかっているのだが、なかなか難しい。風を避けるため地ノ島の南に移動したけれども魚の反応は皆無。潮流の最強時刻を過ぎたので今日はこれで終了。

天気もよく、釣果もあって、最後はなんとかいい形で終えたと言えるのではないだろうか・・・。

 

家に帰って燃料と鏡餅を持って港に引き返し、お供えをして今年も終了。

 

記録:

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「僕たちはガンダムのジムである」読了

2017年12月28日 | 2017読書
常見陽平 「僕たちはガンダムのジムである」読了

筆者は元リクルート社員で「労働社会学」という学問の講師や労働に関するコメンテーターなどもやっている人だそうだ。
今年の流行語にもなった、働き方改革の真っ只中にいる人のようでもある。

タイトルが面白くて読んでみた。タイトルにある、「ジム」というのは機動戦士ガンダムに出てくるロボット兵器で、主人公が搭乗するガンダムは連邦軍のプロトタイプなので機能的にも優れているしその主人公も最終的にはエスパー並みの能力を発揮して連邦軍を勝利に導く。対して、「ジム」はガンダムをベースに量産型として製造されたもので搭乗者も一般兵であり兵器としての能力もガンダムに比べるとかなり劣っている。物語の中ではやたらと数は出てくるものの大して活躍することも無く、赤い彗星のシャアにはボコボコにされるという役回りを演じている。仮面ライダーでいうとショッカーの戦闘員という感じだ。

日本のサラリーマンは、過酷な就職戦線を勝ち残り(この本の初版は2012年の出版なので、まだ就職氷河期の時代を引きずっているころだ。)その自信から一度は自分はガンダムであるという錯覚に陥り、夢を見るけれども大半は主役でもなくエスパーでもない、その他大勢の「ジム」であると言っている。だから、ジムはジムらしい世の中の渡り方をするべきだ。そういう内容の本である。

ひとの人生をガンダムになぞらえるとうのも奇をてらいすぎているとは思うのだが、そこは新書の悲しさ。もっと若い人、自分はガンダムでありたいと思いながらも現実はジムであると認識せざるおえない人たちが読むべき本ではあった。
すでに自分はジムであり、悩み終わったおじさんサラリーマンには郷愁でしかない。もっとも僕はジムよりもっと弱そうな、ミジンコがデザインの元ではないかと思える「ボール」という兵器程度であったのだが・・・。

僕がそう悟ったのはいつごろだっただろうか、大きな転機は上司が亡くなったことだった。このブログにの何度か書いたけれども、いつも一緒に釣りに行っていた上司が癌で入院してから半年ほどであっけなく亡くなった。最後の釣行の時には、最近背中が痛いので病院へ行かなければと言っていてそのまま入院して退院することはなかった。まだ若くて50歳にはなっていなかった。父親ほども歳が離れていない人で身近にいた人が亡くなるというのはショックだった。人は死ぬのだという当たり前のことをはじめて思い知った。その頃、職場ではたくさんのトラブルを抱え込み、毎週日曜日に新聞に入るアイデムをよく眺めていたものだ。その反面、死ぬということを目の当たりにしてやりたいことをやれずに、それもそのバイアスが会社であるのならそんなアホらしいことはない。まずは自分のやりたいことをやらなければもったいない。
その後、自分より先に昇進してゆく同期を見ながら、やっぱり自分はダメだなと思いながら、リストラの陰に怯え、それも50歳を越えると今度は開き直ってくる。休日も出勤して仕事をしている彼らを見ていると僕にはとてもじゃないけど真似ができない。
著者は社畜という言葉をこの本の中でよく使っているけれども、僕は社畜にもなれなかったということだ。まあ、それでもここまで首にならずに来ることができたし、多分、社畜にもなっていない。これから先は一体どうなっていくのかはわからない。まず、これ以上の昇進はあるはずもなく、また、昇進させられて休みが無くなるのはご免だ。役員と面と向かう度胸も能力もない。今の状態で余力を残して流してゆくのが得策でもある。
それを許してくれてきたこの会社にもある意味感謝をしなければならない。
その分、給料は限りなく安いわけではあるけれども・・・。
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水軒沖釣行

2017年12月26日 | 2017釣り
場所:水軒沖
条件:小潮 11:59満潮
釣果:ボウズ(スカンク)

天気予報を見ていると、今日は釣りに行けないはずだったのだが、朝起きて友ヶ島灯台の風速情報を見てみるとなんとも風は穏やかなようだ。



これは行けるのではないかと急いで準備をして水軒沖に向かった。
出港は午前9時前。確かに風は微風。港内は大して波もない。ポイントに到着しても少し波はあるけれども十分やれる感じだ。潮も流れている時刻なので期待は十分だったのだが、すぐに風が吹き始めた。

我慢をして続けていたが西からの風に船が流されて沖の一文字の捨て石の上まできていたようで仕掛けを根掛かりさせてしまった。



予備の仕掛けを下す気力もなくなり実釣時間20分ほどで終了してしまった。
何をしに行ったのやら・・・。
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「R帝国」読了

2017年12月25日 | 2017読書
中村文則 「R帝国」読了

筆者は「教団X」という小説の作者だ。本書も人気があるらしく、図書館で9月に貸し出し予約をしてやっと順番が回ってきた。僕の後にも4人の貸出待ちの人がいる。

内容は極端な監視社会になり、国民の思想までもコントロールされてしまっている「R帝国」が舞台のデストピア小説である。

あらすじを書いてしまうとこれから読もうとする人に申し訳ないので書かないで置くが、小説ほども極端ではないにしろ、多分、これからほとんどの国が向かっていくかもしれない状況を予測しているかのようである。

現実の世界ではその芽はいたるところで小さく芽吹いているようだ。世界はグローバル化への道を突き進んではいるけれども、その実、ナショナリズム、個人の利益などどんどん反対方向に向かっていっているような気がする。ヘイトスピーチや従軍慰安婦問題なんかもその一端かもしれない。アメリカをはじめとするナショナリズムの台頭。スコットランドやカタルーニャの独立問題。数えてゆくといくらでも出てくる。

小説ではこれらもすべて仕組まれたものであるという設定で進められてゆく。対立する国として「Y宗国」「C帝国」「B国」などが出てきてテロの仕掛け合いをするけれどもそれさえも裏でそれぞれの国が糸を引いている。現実の世界でもそうなのだろうか。実はそうやって世界は均衡を保ち、テロが起こって人が死ぬことで利益を得る人たちがいるのだろうか。

そうではなくとも、この小説のなかにもこんな内容を話す登場人物が出てくる。
すでにこの国でも虐げられたどこかの国の人たちの犠牲があって成り立っている。しかし国民はそれを認めたくない。罪悪感を鎮める情報が欲しいのだ。

今のマスコミもそうではないだろうか。弱いものをとことん叩き潰す。それで人々は溜飲を下す。それが誰かが意図しておこなっているとしたら恐ろしい。

一見、きれいな国に見えてもベリッと一皮剥けばそういうドロドロしたものが渦巻いている。それを飲み込むのが政府というものだ。政治家が汚いのではない。その政治家や社会に癒されている民衆が汚いのだ。
それを否応なしに見せつけ、警鐘を鳴らそうとしているのがこの小説であるような気がする。

ただひとつの希望があるとすれば、著者がそれぞれの国をアルファベットで表しているということではないだろうか。自分が所属している国や組織はアルファベットのような記号でしかない。ただの記号でしかないのだ。人の生き方というのは記号に左右されものではない。されてはいけないのだというメッセージと受け止めたい。
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加太沖釣行

2017年12月21日 | 2017釣り
場所:加太沖
条件:中潮 8:27満潮 
潮流:5:10転流 9:20 下り3.3ノット最強
釣果:ハマチ 7匹

先週はひどい天気であったが今日は久々に釣り日和と休みが合わさった。
先週乗船していただいた岩さんは昨日、ハマチをたくさん釣ったそうだ。僕もその10分の1でいいからと思い出撃した。

風は北西からで水しぶきを浴びながらの航行で、

 


波も大したことがなく順調にポイントまで到達できたと言いたいところだが、相変わらず船の振動はひどく不安をぬぐえない。やっぱり流木をひっかけた時にスクリューをゆがめてしまったのだろうか。

早朝は上り潮なのでいつものテッパンポイントを目指すと帝国軍の艦船で完全に制圧されてしまっている。



これは厳しいが、ポイントの端っこからスタート。すると2回目の巻き取りでいきなりアタリがあった。ハマチが2匹上がってきた。岩さんの情報どおりだ。
その後すぐにアタリ。しかし、魚もアタックしてくるが帝国軍もアタックしてくる。この3匹目を引き上げている最中にロックオンされしまった。



一応、ロックオンされたらすみやかに戦線から離脱するというのが僕の中のルールだ。ここ二日、読むものがなくなってしまい聖書を読んでいたのだが、その中にも、「わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」と書かれているではないか。
しかし、今日の帝国軍は執拗だ。別の艦船がやってきた。しかたがないのでポイントから遠く離れて仕掛けを下してみるけれどもアタリがない。
我慢して釣り続けていると、ふと眺めた第二テッパンポイントががら空きになっている。



これはチャンスと移動して3匹追加。

あまりにも釣りすぎてもあとの処分に思案しなければならない。今年の課題としてタイラバのマスターがあるのであるが、ちょうどよい機会なので後半戦はタイラバを試してみるも、やっぱり慣れていないものはダメだ。疑似餌というのは、それが効果を発揮する前に釣れると思う確信が必要だということを改めて思い知る。念力というのは現代科学ではまったくオカルトの世界ではあるけれども魚釣りの世界ではまったくオカルトでも何でもない。確信だ。

潮は止まりつつあり、帝国軍も移動を繰り返している。今日のおかずは十分釣れたので午前10時半に終了。

今朝の和歌山市はこの冬の最低気温だったそうだ。
僕もバカだけれども鉄工団地の護岸に並ぶ人達も相当なバカだ。



でも、魚釣りというのは楽しいのだ。

記録:

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「酒談義」読了

2017年12月20日 | 2017読書
吉田健一 「酒談義」読了

吉田健一という小説家を知っている人はかなり少ないのではないだろうか。この人のことを知らなくてもこの人の父親はそこそこの年齢の人なら必ず知っているのではないだろうか。吉田茂元首相である。ちなみに曾祖父は大久保利通らしい。

もちろん、僕も詳しいわけではまったくないが、何かの釣りの本(だったと思う)を読んでいたときに、この人の「海坊主」という短編が紹介されていたことで覚えていた。その後、この短編を立ち読みで読んだことがあるけれども、不思議な文章を書く人だと思った。

これも何かの書評で読んだのだと思うが、やたらと長い文章書く人だということが不思議な文章という印象を持った原因でもある。まあ、うみぼうすがのそっと2階の座敷にやってきて酒を呑んで何のことも無くまた帰っていくというストーリー自体も不思議ではあったが・・・。

本書は著者が酒について書いた文章を集めたものだ。別に薀蓄を語るわけでもなく、自分の酒へのこだわりをひけらかすわけでもなく、こんなシチュエーションで飲んだお酒は美味しかったとか、昔の飲み屋のはしごの仕方だとか、そんなことがその独特の文章で書かれている。その文体ゆえに少し霞がかかり、なんだか確かにしらふで読んでいるのだがほろ酔い気分になってしまっていうようなそんな読後感である。
多分、著者もほろ酔い気分でこれらの文章を書いていたのだろう。


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「空海密教の宇宙―その哲学を読み解く」読了

2017年12月19日 | 2017読書
宮坂宥勝 「空海密教の宇宙―その哲学を読み解く」読了

本書は、真言密教思想や哲学を、両界曼荼羅を通して解説したものだ。
曼荼羅とは、物質的、思想的両面から宇宙、世界の広さを表したものである。なぜ、そう言うものを明示しなければならなかったか、それは自分の今いる場所、座標といってもいいかもしれないが、それがわかると自分が進むべき方向がわかるからではないだろうかと僕は考えた。自分の居場所と世界の広さを比較することで自分がどこまで大きくなれるかということが判断できる。言い換えると、世界を狭く認識してしまうとそこまでしか大きくなれない。半径10キロの世界しか知らないとそれなりの人間にしかなれないということだ。

だから曼荼羅を理解するということは宇宙と同じ大きさにまでなれるということだ。修行をするというのはきっとそういうことなのだろう。
真言密教の本尊、大日如来は宇宙そのものである。そして人の心には必ず仏心(大日如来)が隠れているけれども、人々がそれに気付かないのは様々な曇りのようなものに隠されているからである。そんな秘密にされた心の奥底をあらわにするために修行に励むということが、密教が密教という名前であるという理由のひとつでもある。

しかし、ヨーロッパの宗教には創造主が必ずいて世界を創造するわけで、それは唯物的な思想であるのに対して、仏教は観念的な思想であるので創造主がいない。すなわち形のあるものは創られなかったと考える。せっかく世界の広さがわかれば自分の立ち位置がわかるというのにその世界に形がないとその世界がわからないというので曼荼羅が作られたのだ。
そして、そこには様々なものが包含されている。清濁すべてだ。愛欲もあればそれを焼き尽くす劫火もある。
これはたしかに宇宙だ。そして生きることのすべても表されていると思う。浄土思想は死んでから極楽にいくためのことだけを考えるし、禅宗は欲望を捨てることで人生を楽に生きる方法を考える。しかし、密教は今をどうやって、何もかもに折り合いをつけてどうやって充実して生きるかという、他の仏教にはない現実的な思想であるように思う。

しかし、煩悩が渦巻く世界で自分の中の秘密の仏性を見つけ出すということは至難の技に違いない。
師がよく使った言葉に、「釣り師は心に傷があるから釣りにでかける。しかし彼は、その傷が何であるかわからない。」というものがあるが、これの意味がやっとわかった気がする。
これは釣り人自身が自分の仏性に気付かない様を言い表しているのだ。心の傷を修復できる唯一のものが仏心なのだろう。そして釣りに行くこと自体が修行であると言っているのに違いない。

それが的を射ていると考えた理由のひとつは、金剛界曼荼羅の真ん中の枠、ここは「成身会」というそうだが、千人の菩薩様が並んでいる四角の東西南北には釣り鉤、釣り糸、鎖、鈴を象徴した菩薩様がお座りなのだ。もちろん、魚を釣っているわけではなくて、迷える衆上を鉤で引っ掛け、紐でたぐり寄せ、鎖で縛り、鈴でその喜びを表しているというのだけれども、それの手段が魚釣りの道具というのはなんとも運命的ではないか。
ぼくの今年の釣行回数は60回に近づこうとしているけれども、仏性の陽炎も自分の中に見つけることができない。いったいどれだけの釣行を繰り返せばいいのだろうか・・・。

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水軒沖釣行

2017年12月18日 | 2017釣り
場所:水軒沖
条件:大潮6:48満潮
釣果:ボウズ(スカンク)

今日も休みだというのに風が強い。しかし前回の休みほどでもないようなので今日も海に出てみた。正月の食材としてストックしておきたいのでコウイカ狙いだ。
港に向かうとやはり風が吹いている。まあ、出られないほどではあるまいと湾内に出てみるとやっぱり風と波はそこそこある。小船だと余計につらい。いつもの一文字の切れ目から出るのは危ないのではないかと思い青岸からでてみた。
風は我慢できそうだが波が高い。30号のオモリがあればなんとか底を取れそうなので仕掛けを下すと間もなくアタリ。おお、やっぱりいるではないか。それも大きい。竿は思い切り曲がっている。よしよしとリールを巻いているとフッと軽くなってしまった。まさかこの状態でバレることはなかろうと思いながら仕掛けを引き上げるとスッテの結び目が切れている。思えば、この仕掛けを作ったのは一昨年で、去年はほとんど釣れなかったのでそれ以来仕掛けの糸を張り直していなかった。
なんという失態だろう。今日は早く切り上げて1ヵ月遅れの整形外科への受診に行かなければならない。予備の仕掛けをもってはいるものの、使い古したボロボロのスッテだ。相当やる気は失ってしまっているけれども獲物はほしい。仕掛けを取り替えて下すとすぐにアタリがあった。やっぱりイカはいるのだ。

ところが風と波はどうしてだか強くなってきた。予報では徐々に治まってくるはずではあるが・・・。



船べりを乗り越えてくる波を2回までは我慢したがあまり心地よいものではない。湾内に逃げ込めなくなる前に退散した。

トンガの鼻から見た海もやはりざわめいている。



家に帰って道具を洗っている頃からだんだん天気がよくなってきた。そこは予報通りだ。



なんとも不運だ。あと3時間、天気の進み具合が早いか整形外科に行く必要がなければもう少し頑張れたのかもしれない。おまけに奥さんがどこかへ出かけていて、電話をしても出てくれない。診察券と健康保険書の在り処がわからず結局病院に行くことができなかった。
毎度毎度なんとも運の悪い日が続いているのだ。
嫌になってくる。

記録:



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加太沖釣行

2017年12月14日 | 2017釣り
場所:加太沖
条件:中潮 9:38干潮
潮流:7:20転流 10:10 下り1.9ノット最強
釣果:ボウズ

今日はおだんごクラブの会長である岩さんをお誘いしての釣行であった。岩さんとは2009年以来の釣行である

おだんごクラブとは、紀州釣りの愛好家たちが集まって情報交換をするサイトなのだが、僕も紀州釣りは年に1回、2回ほどしか行かなくなっており、まったくサイトへの訪問もしなくなってしまっていた。
ただ、会長の岩さんと管理人の土さんとはこれもフェイスブックだけであるが近況の交換などをやっていた。そして、岩さん、土さんの最近の釣行先に加太の海がちょこちょこ出てきていた。と、いうか、岩さんにおいては相当な腕前なのだ。
そう、岩さんは何を隠そう、帝国軍の腕利き傭兵のひとりなのである。「僕も自分の船で加太に行っているんですよ~。」と書き込みをしていると、一度行きませんかと声をかけていただいた。僕もまさしくわたりに船だ。ブログで偉そうに鯛を釣りましたと書いてはいるがこれがまったく我流なのである。ビッグフィッシングの画像でポイントを想像し、フェイスブックのグループの皆さんから教えてもらったことだけで今までやってきた。言うならば、通信教育で空手を習っているようなものなのだ。ここはひとつ、岩さんに一緒に乗ってもらって本物の加太の漁師の技を盗み取ろうという魂胆だ。そして、今日はキャンセルになった土さんと岩さんは元小学校の教員でそれぞれ木のおもちゃ作家、息子さんと共同経営する喫茶店で釣った魚を使ったピザを焼く職人として第2の人生を過ごしておられる人生の達人でもあるのでそういうお話もおうかがいできればうれしいと思うのだ。

しかしながら風と波はずっと強いままで午前10時には撤収となってしまった。
その不運は昨夜から始まっていた。帰宅の電車は直前を走る特急電車が人と接触事故を起こして1時間遅れ、3時間もかかってやっと家にたどり着いた。今朝は渡船屋が臨時休業で港はまったくの無人状態。風が強いこんな日に港に誰もいないというのは不安が一層募るのだ。



今日の天気予報では早朝は風が強いが徐々に治まってくるということであった。
田倉崎を越えると波と風が強くて前へ進むのが困難になってきたのでとりあえず大型漁礁で様子見とした。



潮はあまり動かないので仕掛けはなんとか安定している。なかなかアタリが出ず、岩さんも一服と後ろに来てくれたので誘い方とかプロの船頭との操船方法の違いとかを教えてもらっていると僕の竿にアタリがあった。誘いをかけていなかったのと引きが強烈だったので多分ハマチであったのだろう。ドラグの調整をまったくしておらず、前回の釣行でリールを洗った時にドラグを締めたままだったので竿を引き込まれてしまった。思わずクラッチを切ったらフッと緩んでバレてしまった。
今日のアタリはこれだけ。岩さんも1度だけアタリを捉えたようであったが残念ながらフッキングに至らず・・。



風は穏やかになる気配もなく、ここから移動できそうにもなく、これ以上は危険かもしれないと判断して終了。
昼から給油のために港に戻ると港の中まで風波が入ってきている。岩さんには申し訳ないけれどもやっぱり今日は早く切り上げるのが正解だったのかもしれない。



そして不運は続く。
図書館は休業日(通常は月曜日が休館日なのだ。)、シラスを買いに行くと注文品だけでいっぱいで売れないとつれない返事。ビニールシートを買いに釣具屋に行くとなぜだか二重扉になっていて奥の自動ドアは僕に反応して開くけれども手前のアルミサッシの引き戸に鍵がかかっている・・・。

今日はこんなのばっかりだ・・・。

記録:





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