イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

この1年を振り返る。

2010年12月31日 | Weblog
今年もあとわずかで終わってしまう。
この1年をふり返ってみたい。
総括すると、今年は出だしが好調。あとになるほど尻すぼみというものだった。

1月、2月は加太で念願の真鯛を釣り上げることができた。
 

キスはかなり不調でアジ、サバは絶好調であった。
キスと青物はどうも裏と表の関係にあるようだ。
 

磯釣りは情けないことにたった3回しか行けなかった。というより行かなかった。いよいよ土日休日の弊害が顕著になってきた。せん○くんという僕にとっては何のありがたみもない邪魔が入って休みが大幅に減ってしまったことも要因なのだが・・・。
釣果もぱっとせずに終わってしまった。あまりにも回数が少ないから自分の道具箱にどんな道具が入っているのかも忘れてしまっている。もともとへたくそなのにわずかに残った勘もどこかに消えうせてしまった。もう本当に情けない。

(これはボウズの日。)
 
(これはわずかながらの釣果。)

秋、タチウオとイカは絶好調だったが、加太での釣りはまったく振るわなかった。去年はそこそこの釣果だったが、あれはきっとビギナーズラックだったのだと確信してしまった。当分苦悩の日が続くことだろう。しかし、趣味でやっている釣りだからその苦悩も楽しみたいと思う。ブログの画像も海の風景ばかりになってしまった。
 
 

残念だったのは大物の青物。チャンスは2回あった。1回は加太で、1回は田辺の磯で・・・。

加太ではハリがひん曲がり、田辺ではスプールの糸がすべて出てしまったあげくにハリスが飛んでしまった。
来年もなんとかチャンスが訪れてくれないかと切に願うばかりだ。今度こそは・・・。
船にまつわる度重なるトラブルも気になる。
係留用のロープを二度スクリューに巻きつかせてしまったり隣の船の錨のロープも巻きつかせてしまったこともあった。スパンカーの支柱を船の行き会いで折ってしまいもした。最後は走行中にビニールシートを巻き込んでしまいえらい目にあってしまった。
自分の責任でやってしまったり失敗不可抗力、他人の責任、幸いなことに大事にならずに済んだことばかりだったが来年こそは大事なくいきたいものだ。

最後の釣行は12月19日。その後は何度か釣行を計画したが気持ちが乗らなかったり天候が不順だったりで尻切れトンボで終わってっしまった。まったく今年の僕を象徴するような幕切れになってっしまったのが本当に悔やまれる。


ここからは僕の偏見と無知と自分のことを棚にあげた私見だが、
今の○カ女子高校生は「自分がきれいになりたいノート」というのを作っているらしい。勉強のためにノートを作るのではなく、△△というモデルは△△と言う化粧品を使っていて○□というブランドの服を着ていて、自分もいついつまでにこんな人になりたい。などと決意まで書き込んでいるらしいもっとほかにすることはないのだろうか?

○カが○カの真似をするために一生懸命になっている。ぼくはそんな○カ女子高生に化粧品なんかを売る仕事を2年間続けている。こんなところに商品を卸している化粧品メーカーも、○カモデルや○カ芸能人をキャラクターに使うと商品が売れるから店頭は、まつ毛モリモリ髪の毛モリモリ、たれ目メイクで半分口を開いてどこを見ているかわからない視線で左に少し頭を傾けたパネルで埋まっている。
こんな店が世間に氾濫するからどんどん○カが増えてくる。化粧やファッションにしか興味がないから賢くならない、賢くならないから就職できない。頭の中が化粧とファッションしかないから仕方がない。うちの店にも大好きな化粧品に囲まれて仕事がしたいという応募動機でやってくるやつがいっぱい来る。そのわりに何が気に入らないのかすぐにどこかに消えてしまう。
時給800円では携帯電話の通話料を払ってしまうとそんなに手元に残らないだろう。いったい彼らは何を楽しみに生きていくのか。化粧品が好きだといってもそれ以上の高級ブランドの化粧品なんか永遠に手にできないだろう。まさにデフレスパイラスだ。
どんどんワーキングプアを生産しているのだ。社訓にある、「地域の発展、繁栄に貢献します。」というのが聞いてあきれる。
ワーキングプアの生産だけではない。万引きを誘発して街の治安も乱しているのだ。
おまけにこれだけ○カだと結婚して子供ができても子供に何を教えられるわけでもなく、大きくなっても○カのコピーができるだけだ。国際的な競争力が落ちるのはあまり大したことではないが、日本の伝統的な文化もどんどん消えていってしまう。文化もデフレスパイラルしていきそうだ。僕はこんなやつを量産する片棒を担いでいるのだ。与えられた仕事とは言えなんとも因果だ。
日本がこんな国になったのは携帯電話とコンビにだとぼくは断じて信じている。
仕事が充実していないと充実した釣り生活を送れないというのはわかりきったことなのではあるが、いやはや、いやはや・・・。

何はともあれ、僕は来年も春になればチヌを釣り、タラノメを採り、夏になればキスを釣りアジとサバを釣り、秋になればまたチヌを釣りタチウオを釣り、冬になればイカを釣り、あわよくば鯛とハマチを釣りたいななどと思いながら1年を過ごすと思う。
ドラッカーはイノベーションと変革が必要だと説いているが、何も変わらず生きていけるのも大切なのではないだろうか。

釣法のイノベーションはこれからもあればいいなと思っているが。

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大晦日

2010年12月31日 | Weblog
今日も朝から出勤だ。
去年もそうだったが、別に今日やらなければならない仕事ではないと思うのだが、なぜか今日やらなければならいのだ。郷に入っては郷に従えだがどうも???なのだ。

恒例となった(といっても2回目だが・・・)出勤前の神社仏閣めぐりをやってみた。あまりの寒さにちじこまりながら天王寺から谷町九丁目に向かって歩いた。去年は開高健の文学碑と真田幸村殉死の寺を見てきたのだが、今年は落語シリーズで巡ってみた。まずは生國魂神社へ、ここは大阪落語の始祖といわれる米沢彦八という人が落語会を頻繁に開いていたというところだ。


朝からのすごい嵐で境内のテキヤの屋台が全壊していたのには驚いた。神様は守ってくれなかったのだろうか?



続いては高津宮へ、ここは古典落語のネタの「高津の富」の舞台になったところだ。桂枝雀の落語全集の1巻目の最初のネタがこれだった。大阪市の市歌は「高津の宮の昔より~」という歌詞から始まるというのは誰も知らないだろう。



生國魂神社は神武天皇、高津宮は仁徳天皇にゆかりがある神社らしい。今、僕の勤めている会社の周りには由緒あるある神社仏閣がたくさん集中しているのだ。

天王寺から谷町九丁目に向かう途中に不思議な表示があった。赤穂義士の墓がと書いてあるのだ。大阪で赤穂浪士か??ととりあえず入ってみると四十七士の石像があった。


どうも胡散臭いと思って家に帰って調べてみると、この吉祥寺の住職であったひとが赤穂藩出身で、大石内蔵助たちが切腹したあと、足軽の寺坂吉右衛門が四十六士の遺髪、遺爪、鎖かたびら等に銀10両を添えて義士の冥福を祈る碑を建ててくれるよう吉祥寺に依頼したという、正真正銘のお墓があって、しかも全国で一番最初に建立された墓だそうだ。
う~ん、疑ってすまなかった。
しかし、どうして46人分なのだろう?もう一度行ってみて調べてみよう。


仕事のほうは午後1時過ぎに切り上げて船の注連飾りを飾りに港へ急いだ。こんな天気の日はぜひとも荒れ狂う海を見てみようといつもの観測スポットへ行ってみるとこんな曇りにもかかわらず、水平線の上のわずかにできた晴れ間から沈んでいく夕日がくっきり見ることができた。
2010年最後の日の入りだ。大していいことのなかった年だったが、すべてのことを浄化して沈んでいってくれと祈るばかりだ。最後の最後にいいものを見ることができた。


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「不肖・宮嶋&忍者・大倉一撮入魂!」読了

2010年12月27日 | Weblog
宮嶋茂樹、大倉乾吾「不肖・宮嶋&忍者・大倉一撮入魂!」読了
最近、お笑い系の戦場カメラマンさんが人気だが、元祖お笑い戦場カメラマンはこの本の著者のひとり、宮嶋茂樹だろう。
不肖・宮嶋シリーズはかなり面白い本だった。

この本は2002年の出版ということで取り上げられているニュースや話題は懐かしいものばかりだ。今からすると10年前から25年前の出来事が収められている。
貴ノ花と宮沢りえの婚約騒動やオウム事件のその後、英田サーキットで走ったアイルトン・セナの話まである。よく覚えているニュース、全然覚えていないものいろいろだが、えらい時間がたってしまったな~。と感慨深くよんでしまった。
貴ノ花も宮沢りえもふっくらで、セナは次のレースで逝ってしまったそうだ。雅子さまもご成婚前はこんなになってしまうとは夢にも思っていなかっただろう。

今年もいろいろな出来事があった。今年のニュースは10年後にはどんなに変化しているだろうか。
管さんはもっと笑いものになっているのだろうか。海老蔵は相変わらずアル中なのだろうか。まあ、麻央ちゃんはかならず愛想を尽かしてどこかへいっているのは間違いないだろうな。中国は日本を征服しているだろうか。北の帝国はまだ存続しているだろうか。
一番の気がかりは我が百○店業界が生き残っているかどうかだ。これは僕の生活と日本の文化の存続にかかわる重大な問題だ。10年後にはファストファッションとコンビニは跡形もなく消えてしまっていることを切に願うのだ。

来年こそはいい年でありますように・・・。

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「鮭サラー その生と死」読了

2010年12月26日 | Weblog
H・ウィリアムスン/著田中清太郎訳「鮭サラー その生と死」読了
開高健が講演のなかで、お勧めしたいということで紹介されたいた本を見つけた。「サラー」と名づけられたアトランティックサーモンが幸運を携えながら、いくつかの苦難を乗り越え生を全うするという話だ。
動物を主人公にした物語というのはいくつか読んだことがあるが、ほとんどが人間のような感情を持った主人公の冒険物語というもので、ちょっと子供向けのような物語ばかりだったが、この本はサラーの一生が淡々と語られている。だから余計に普通一般的に鮭というのはこんな苦難を乗り越えて魚生?を生き抜くのだという感動が迫ってくる。
最後のサラーが死を迎えるシーンも淡々としたした表現で書かれているが、君たち人間もいつかは死ぬ運命にあるわけで、それまではただ自分の役割を淡々とこなして静かに最後を迎えなさいと諭されているようでもあった。

こんな話を読んでいると、「魚は釣ってはいけない。彼らも一生懸命生きているのだ。」などとついつい思ってしまう。
釣り上げた魚を〆ているときには僕の姿は彼らの目にどんなふうに映っているのだろうとも考えてしまう。
魚の頭にナイフを突き刺したり、コンクリートブロックに頭をぶち当てたり、あげくには背骨にワイヤーを通してギコギコやりにくるやつというのは悪魔以上の悪人に見られているのだろう。
魚には痛いと感じる神経がないというのを聞いたことがあるが、それも本当かどうか・・・。ひょっとしたら、喜びも悲しみも怒りも痛みもちゃんと彼らは認識できるのではないだろうか。

前回の釣行がボウズでよかったとなぜか安心させてくれる一冊であった。
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カシュー塗料

2010年12月25日 | Weblog
前回の釣行の際、目の前でウキを流してしまったのでやっとウキ取りパラソルを買う気になった。
ケースまで買うのもアホらしいので自分で作ってみた。糸を巻いてある部分にカシュー塗料を塗ったのだが、このにおいを嗅ぐと昔の釣具屋さんのにおいがする。
僕は漆のにおいと言うものを知らないが、ウキの塗装にカシュー塗料や漆が使われていたからなのだろう。

父親に連れられて初めて釣具屋さんというところに行ったのは多分幼稚園のころかもっと前だったのかもしれない。このブログを読んでくれている人は一人も知らないと思うが、和歌山市の高松というところに「ルナ」という熱帯魚屋さんがあって、(ここは今でもある。)そこを少し南に戻った路地を西に入ると昔で言う長屋が並んでいた。その中の一軒が釣具屋さんをやっていて屋号なんかは全然覚えていないが父親は「おばはん」とこ(和歌山弁で“ところ”)と呼んでいた。確かにおばあさんが店番をしていた。
本当に民家のような、いうか多分普通の家だったような気がするが、入り口はたたきの土間になっていて、右側が座敷。そこにケースがあってリールなんかが並んでいた。土間の奥に石粉(昔の紀州釣りは砂の替わりに石粉を大量に使った。)やヌカが置いてあったような気がする。僕の住んでいた家にそっくりといえばそっくりだった。
そこを出ると次は「ルナ」に寄って熱帯魚を見るというのが楽しみだったような気がする。
そうやって僕は父親から魚釣りを好きになるように仕向けられていったのかもしれない。

八百屋さんや駄菓子屋さんと同じく、こんな釣具屋さんも無くなって久しくなってしまった。
この近くの神明神社のそばにも釣具屋さんがあって、そこでは初めて紀州釣りをするためのリールを買った。上州屋に買い取られてしまったリョービが始めて作ったスピニングリールだった。これはベアリングがお粗末ですぐに壊れたが・・・。
うちの近所でも毎日ウキを作っているおじさんのいる釣具屋さんがあったがすでに無くなってしまった。
そういえば、和歌浦の明光通りという商店街の中にあった釣具屋さんはまだあるのだろうか?

今でも頑張っている釣具屋さんもある。「おばはん」の店からもうちょっと北に行くとお米屋さんが経営している「小松原釣具店」がある。ここは今でもやっているが、紀州釣りをするために二間の長さの竿を買ったし、浪人時代はお小遣いが手に入るたびに寂しさを紛らすためにルアーを買いに走ったものだ。開高健の「オーパ!」に出てくるルアーがたくさん並んでいた。ヘドンやラパラやダーデブルなんていうのがあった。今思うと絶対釣れないだろうな・・と思うものばかりだったような気がする。
いわさき釣具店や南海釣具も営業中だ。僕の元上司の奥さんの叔父さんがやっている和歌山フィッシングセンターもオヤジさんはかなりもうろくしていてすぐにつり銭を間違うが奥さんがしっかりしているから頑張ってくれている。

頑張って生き残っている釣具屋さんと消えていった釣具屋さんをみてみるとそこにもマーケティングの妙のようなものが見えてくるような気がする。
本当はこんなお店がちゃんと生き残れる社会がほんとうの社会なのだと思う・・・。
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加太沖釣行

2010年12月19日 | Weblog
場所:加太沖
条件:条件:大潮5:36満潮
潮流:5:59上り最強3.3ノット 10:02転流 12:23下り最強1.8ノット
釣果:ボウズ

前回のトラウマを解消すべく、加太へと向かった。風は微風で北東。リハビリには最適の天候だ。
今日はエンジンの回転数も2200回転に抑えてゆっくり加太へ向かった。一文字を出る前にケーソンを打ち込むためのクレーンが狭い水路に入っていて、アンカーのロープが水路をふさいでいてどこを通ればいいのかわからないハプニングかあったが無事に加太まで到着できた。
過去2回ボウズが続いているので今日は何とか釣果を得ないとと思い、背水の陣で臨むため保険の釣りは一切なし。コウイカの仕掛けも、無駄に思えるカワハギ仕掛けも持って行かない。今日は高仕掛けオンリー(のはずだったのだが・・・)だ。
今日も田倉崎の南側で釣りをスタート。
潮流表を見てみると朝一番にアタリがなければ厳しいので集中して仕掛けの上げ下ろしをするが今日もアタリがない。
10時を回って潮が緩みきってしまい、高仕掛けはかなり厳しそうなのでリアクション?で喰わせることができるかもしれないと仕掛けをチョクリに変更。10時半ごろアタリがあったがハリには乗らず、今日もやっぱりボウズだった。

去年の今頃は少ないとはいえ魚を家に持って帰ってきていたのだが今年は散々だ。やっぱり去年はきっとビギナーズラックというやつだったんだろうなと納得してしまった。
“釣り師は100の言い訳を準備して水辺に立たなければならない。”というのは開高健の言葉だが、家族に「無事に家に帰ってくるのが一番大切なのだ。」などという言い訳の中でも最低の部類にはいるもをほざいている自分が本当に悲しくなってくる。
う~ん、また新しいトラウマが出現してしまった。
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ボイジャー1号

2010年12月16日 | Weblog
最近のニュースでボイジャー1号が4年後に太陽系を脱出して外宇宙に出るというのがあった。
ボイジャーが撮影した木星の写真や土星の写真には感動した。たしか、木星にも輪があるというのを発見したのもこの探査機だったのではなかっただろうか。

今のところ、太陽から174億キロにあるそうだ。174億キロというのはいったいどのくらいの距離なのだろうか??
僕の愛車、イレグイ号の現在の走行距離は約3万3千キロ。計算すると527,273倍だ。イレグイ号は納車から7年。このペースでいくと、174億キロを走行するには3,690,909年と11ヶ月かかる。やっぱりよくわからない。

昔、スタートレックという映画があった。あの、ミスタースポックが出てくる映画だ。シリーズの1作目は、このボイジャーが長い長い旅の果てに異星人の改造を受けて地球に戻ってきて問題を起こすという物語であった。
映画の設定ではボイジャー6号という架空の探査機だそうだが、ボイジャー1号もあと何百年かしたら異星人の情報を持って地球に帰ってくるなどということがあるのだろうか。

どちらにしても壮大な物語だ。自分の日常が顕微鏡で探しても見えないほど小さなものに見えてくる。
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獲らぬアジサバの皮算用・・・

2010年12月12日 | Weblog
今日も停滞。
僕の家ではアジやサバを釣ってくるとよくバッテラを作る。
普通に作るとご飯が多くなるので半円形のバッテラを作る道具を作ってみた。
料理が上手な人はスノコで巻いてチョチョイと作るのだろうが、僕も奥さんも全然ダメなのだ。

しかし、肝心のネタが釣れないことには・・・。
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トラウマ

2010年12月11日 | Weblog
朝5時に起きて玄関から見える化学工場の煙を見てみるとちょっと強めの南西方向からの風。船を出そうかどうかと迷うような風向きだったが行けないことはなさそうだった。
しかし、先週のシート巻き込みの一件がトラウマになって今日は釣りに行けなかった。


このトラウマから脱却する方法はないものだろうか。
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「対談 美酒について―人はなぜ酒を語るか 」読了

2010年12月11日 | Weblog
開高 健 / 吉行 淳之介 「対談 美酒について―人はなぜ酒を語るか 」読了
ふたりの作家による他愛のない対談録だが、それでも芥川賞作家の対談だけに含蓄あるものだ。まさしく、「男」の酒の呑み方だ。僕も、こんな酒の呑み方をしたいものだが、そんな脳みそも肝臓もないのが残念だ。その前に、片道2時間の通勤ではそんな時間もなく、生来の性格で人との交わりも苦手だからやっぱり遠い世界だ。

今は家で自分で肴を作ってひとりで呑むことばかりだが、海外のパブやバール(と言うんだったか)なんかを紹介したテレビを見ると、こんなところで時間を忘れてゆっくりお酒を呑みたいなと思ってしまう。
前回読んだ本の著者の渡辺裕一も、「思うに、人間はたわいもないはなしをしながらいきていく動物なのではないだろうか、どうでもいいことをああでもない、こうでもないと話すことが、食事をとることの次くらいに必要なことなのではないだろうか、世界中に星の数ほど酒場が存在するのも、そんな理由からではないだろうか。」と書いているが、きっとその通りなのだろうなと思う。

僕は一生そんな酒場を知らずに生きていくと思うとちょっと残念だ。
せめて、どこかの酒屋さんでシェリー酒でも買って釣りたての魚をあてにひとり寂しくだが、ゆっくり呑んでみよう。
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