イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「変身願望」読了

2016年02月27日 | 2016読書
西村京太郎 「変身願望」読了

まず自分で選んで読む本ではないのだが、会社の事務所で、Eテレの「100分で名著」が面白いという話から、あの番組で取り上げられていたカフカの「変身」はこうやって読むのだというのがわかったという話になり、その子が、家に「変身願望」って本がありますよと言ってくれので一度読んでみようと借りてみた。

西村京太郎というと、十津川警部が時刻表とにらめっこして事件を解決するという土曜ワイド劇場しか知らないのでどんな物語だろうと読んでみたら、なかなか、人間のエゴとそのなれの果てをたっぷりのアイロニーを込めて書かれた短編集だった。
昭和40年代の後半から50年代の前半に書かれたものだが、受験生時代、深夜ラジオが始まる前の時間帯のラジオドラマのシナリオのような感じの物語であった。

会社に初めて導入されたNECのパソコンにリセットボタンというのがあった。押すとウインドウズが再起動するというもので、これを見ながら人生のリセットボタンってないのだろうか?なんていつも考えていたが、たとえ変身できたとしても結局は今の生き方が一番いいと思うに違いない。奥さんも、それは長澤まさみが家にいて、「今日の晩御飯はおでんやで~。」って言ってくれるとうれしいがやっぱり和歌山弁をしゃべる長澤まさみはちょっと気持ち悪く、今の奥さんがちょうどいいとしておいた方が無難なわけで、この本はこんな感じの内容であった。
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加太沖釣行

2016年02月27日 | 2016釣り
場所:加太沖
条件:中潮 8:43満潮
潮流:6:30転流 9:50 上り 1.9ノット最強
釣果:ボウズ

 連続の釣行になるけれども天気はよさそうで潮流も朝が上りなのでいい感じが、唯一の懸念材料は午後から出勤しなければならないということだ。今年もすでに2回目の出勤前の釣行だが、釣りに行ってから釣行できる環境がありがたいのか、休みでも出勤しなければならないのが悲しいのか。世間では休日返上で業務に邁進するのは当たり前のようだが、僕にはどうもピンとこない。今日の出勤理由は3月から始まる新しい人事制度についての説明を聞くことであった。その骨子は“目的意識をもって業務に邁進し、成果を上げたものに手厚く待遇する。”というものらしいのだが、どうも目的意識というものが出てこない。資料、資料、作文、作文で、役員さんの一言でそれが倍増している毎日では目的意識どころではないだろう。

 だからやっぱり、釣りに行ってからでも会社にたどり着ける今の環境はありがたいのかもしれない。


午前6時15分出港。すでに明るくなってしまっていた。夜明けも少しずつ早くなっている。



しかし、寒い。港までの道中も相当な寒さだったが海上でも防寒着に浸み込んでくるような寒さだ。夜明けが早くなりつつあるとは言え、はやりまだ2月なのだ。

今日の船団は前回釣行した位置から少しナカト向きにできていた。僕もその中に混ざって釣りを開始。それほど船団は過密ではないのに嫌がらせのように異常に接近してくる帝国軍がある。異常も異常、僕が動かなければ間違いなく衝突している。スパンカーの支柱がほとんど接触していた。ここは間違いなく帝国軍の領内なのでなんとも言えないが、事故を起こしても厭わないのだろうか。それともそっちがぶつかってきたのだろうとでも言うつもりなのだろうか。腹がったたのでこっちがカメラでロックオンしてやった。こいつはいつも同盟軍の戦士にこんな嫌がらせをしているに違いない。



この船のほかにもう1隻、それと反社会的勢力の方々が乗船しているのか、40フィートクラスのクルーザーが船団の中を全速力で疾走してゆく、僕のすぐ後ろを通ったものだから引き波でデッキまで海水が上がってくる。もっと小さい船だったり船外機船だったらエンジンを止めてしまうかもしれない。どうも今日の海上はギスギスしている。

潮流はいい感じなのだがアタリはまったくない。まあ、本格的な時合はもうすぐ先のはずなので移動を繰り返しながらその時を待っていたがなかなか来ない。ふと気が付くと横にウミネコが浮かんでいる。どうも僕の船に並んで移動をしているようだ。
しばらくいなくなったが、移動をした先でまた横についてきた。(多分同じウミネコだと思う。目の周りの汚れ方が同じに見えた。)



そしてしばらくすると僕の船の舳先に飛び乗ってきた。



なかなか人懐っこいウミネコだ。船を移動させて逃げられるのもったいないので鳥船長に指揮権を譲って僕は釣りを続行。20分くらい休憩していただろうか、こいつに付き合ってもおこぼれはもらえないと割り切ったのだろう、田倉崎の方に向かって飛び去ってしまった。
その直後、待望のアタリがあった。一瞬、グッと竿先が持ち込まれそれっきりだった。ビニールに食み跡がなかったので毛糸に喰ってきたようだ。9時40分ころ。潮流が最強になるころだ。周りの船のいくつかも魚を揚げている。多分この時が時合だったのだろう。僕も再度集中力をアップして頑張ったが残念ながら帰宅の時間になってしまった。
午前10時30分に終了。

帰港の道中、南風が強く吹き始めた。いつものルートでは波しぶきをもろにかぶってしまう。紀ノ川河口経由で帰ったが着岸の時も苦労した。係留している船が全部北に寄ってしまっているので隣の船の碇のロープが僕の停船位置にかぶさってしまっている。ここでモタモタしていると船が流されて停船場所に入れなくなる。一気にスロットルを開いて突っ込んだがやはり船底を隣のロープにこすってしまった。大事な塗料が剥げてしまった。夏場でもこんなに吹くときには出船しないので今日は突発な風とはいえまあ、釣れなかった言い訳のひとつとしておこう。



もう長く運転されていない隣の船のオーニングが風にはためいている。これ以上剥がれると僕の船にとばっちりをうけるかもしれないので応急処置をした。この船も買うと新造船で買うと数百万はするものだ。もったいない話だ。




今日は本当はワカメを採りに行こうと考えていた。暖冬でワカメの生育も早いのではないかと考えていたが、前の休みのときの調査ではとても採れるような大きさではない。
ワカメが育っていればボウズが1回少なくなったのに、残念だ。



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加太沖釣行

2016年02月23日 | 2016釣り
場所:加太沖
条件:大潮 6:58満潮
潮流:7:35 上り2.9ノット最強 11:05転流
釣果:真鯛 2匹

ホッとした。このままでは今月、魚を釣ることができずに終わってしまうのかと思っていた。
天気は十分釣りに行けそうだが潮流のマックスは7:35分、暗いうちから出撃してもベストな時間は1時間ほどしかなさそうだ。

なんとか獲物を獲りたいと思い、今日はふたつの新兵器を準備した。ひとつはいつもブログを通していろいろな教えを乞うているサワッチさんに教えていただいた毛糸の疑似餌。もうひとつはマルニシのビニール14番(薄いオレンジ)だ。これは日差しが強くなってくるときっと薄い色が効果的だろうというぼくの勝手な判断で選んでみた。

午前6時に出港。今日は田倉崎のすぐ沖に船団ができている。僕もこの船団に侵入。釣りを開始したのは午前7時前。最初の一巻きでいきなりアタリが出た。やはり今が時合のようだ。しかしこれはバレてしまった。
何に食ってきたかを見てみるとどうも毛糸のようだ。ビニールには食み跡がない。これは期待が持てそうだ。すべてのハリに毛糸をセットして再開。間もなくアタリが出た。
よかった。ひと月半ぶりの獲物だ。2匹目も間もなく。その後はかすかなアタリがひとつあっただけで午前8時を過ぎるとまったくアタリがなくなった。
まったく時刻通りの展開だ。あと30分早く到着していればもう1匹は獲れていたのではないかと思うと少しだけ悔しさが残るがなにしろひと月半ぶりの獲物だ。文句は言わないでおこう。

潮が止まる前に一度メバルを狙ってみようとハゲ皮を付けて田倉崎の際に出張ってみたがこれは全くの不発。ポイントも釣り方も勘だけでは釣れるはずがなく、午前9時半に終了。


しかし、鯛釣りに使う疑似餌はビニールのゴミ袋からとうとう糸くずのようなものまで落ちぶれてしまった。去年もこの時期、毛糸を使った疑似餌を使ったが、一応ティンセルを足してみたり首元を細糸で縛ったりそれなりに手を加えていたが、今日は使う毛糸はわずか3センチ・・・。しかし、このシンプルさがいいのかもしれない。



恐るべしアクリル毛糸・・・。


今日の天気は日差しはないものの風はわずかに北から吹いているだけ。船の前も後ろも穏やかなことこの上ない。

 



家に帰り、燃料補給のついでにワカメの生育具合を見に磯の際に出てみたがまだまだ採れるような大きさにはなっていない。今年は水温が高めに推移してるからそこそこ大きくなっていると思ったが3月までお預けだ。

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「午後の愉しみ―開高健対談集」読了

2016年02月18日 | 2016読書
「午後の愉しみ―開高健対談集」読了

久々に存在を知らなかったの師の本をみつけた。状態がよいとはいえ、1974年出版、41年前の本だ。
釣りと食、文学、戦争の三つのテーマに分かれた対談集だが、さすがにすべての人が彼岸の先に行ってしまっている。しかしながら語られている内容は少しも古くないように思う。釣り師の心、文学が求めるもの、戦争が生み出す人の心の変化・・・。

40年前からは情報が豊富になりコミュニケーション手段も増え、問題や悩みを解決する選択肢は格段に増えているはずだが、それも効果がないのか41年後の現在も同じようなことどもが繰り返されている。

釣りと食のテーマはたわいもないこと。これは僕も今では40年以上の釣り歴だ、師の言っていることもなんとなくわかる気がする。ただ、「釣り師は好色だ。」という論理は果たして本当だろうか、それとも僕が好色でなさすぎるからいつまでもヘッポコなのだろうか・・。これは多分死ぬまでわからないだろう。

文学、これは正直どこまでも理解できない。もっと知りたいと思うが僕の頭脳と知識ではこの方々にはついてゆけない。ただ、あの闇の三部作の生い立ちはこうだったのかという思いもかけないエピソードを知ることができた。

戦争、それに打ちのめされる人、おっとどっこいとうっちゃる人、そこから創作をものにする人、様々だ。極限の世界からはすべてをそぎ落としたものが生まれて来るに違いない。生きるということの本当の意味が浮き出てくる世界なのであろう。
残念ながら人はそうやってしか生きることの意味を知ることができないものなのかもしれない。だから戦国時代の武将たちの生き方というのは現代の人々からも尊敬の念をもって受け入れられているのだろう。

この対談で交わされる会話はあらかじめテーマを決めて事前にネタを仕込んでいるのかもしれないが、言葉の往復のなかの知識の深さには驚かされる。いったいどこまで知っているのか。そして経験してきたのか。
師の言葉に、「知ることの苦しみ。」というものがあるが、この本を読み切るにはもっと“知”が必要だ。最近はちょっと貧血気味で血も足りないが脳みその“知”も足りない。
まだまだ知らなければならないことがいくらでもある。そして酒を酌み交わしながらこんな会話をすることができるようにいつかはなりたいものだ。



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オイル交換

2016年02月18日 | Weblog
今年は約1か月早いオイル交換だ。
いい天気なので釣りに行きたいが、午後1時からくだらない会議がある。これが午後2時だったら加太まで行けるのだが今日は無理だ。
それに、オイルゲージのオイルの位置が徐々に下がっているのも気になっていたのでさっさと交換しておこうというところだ。

日差しは強くなってきたが朝はかなり寒い。港の駐車場の草にも霜がびっしり降りている。この霜に朝日が反射してこれはこれでやはり春の景色だ。



オイル交換のほうは1時間もかからずに済んでしまった。エレメントの交換をしなかったことに加えて段取りもうまくなってきた。これも経験値の効果だ。
腰のほうを気遣いながらの作業だが今日はなんとか乗り切れた。少しずつだが回復しているのだろうか。それならありがたいことだ。




ついでにワカメ採りの準備。碇のロープにも少しだがワカメの影が見えてきた。



春が待ち遠しい・・・。

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加太沖釣行

2016年02月10日 | 2016釣り
場所:加太沖
条件:中潮13:33干潮
潮流:12:10転流 14:35下り2.2ノット最強
釣果:ガシラ2匹

昨夜からの風が強いので今日は少し遅い目に出港。
昼からの潮にかけてみた。

とりあえず午前5時に起床はしてみた。自宅の西にある科学工場の煙突の煙は真横に流れている。やっぱり朝一はダメなようだ。もう一度寝床に入りなおして午前7時に起床。BSの「あさが来た」を見て家を出る。
真鯛を狙うのは午後の潮と決めていたのでそれまでは保険のガシラを狙ってみた。
いつもの沖ノ島の南側。まだ潮は流れているのでここも予想以上の流れだ。船はアッというまにながれてしまう。油断するとすぐに根掛かりをしてしまう。仕掛けとオモリを4個落として戦意喪失。

コイズキに移動して高仕掛けを下すがアタリがない。風が治まってきたのでコマサキまで移動してみたがアタリがない。下りの潮が早くなってくると北から泥の混じったような潮が流れてきたので、再びコイズキに戻って潮流の最強時刻まで頑張ってみたがやはりアタリがない。
今日はこれで終了。


朝の道中は潮を被るほどの荒れた天気だったが、お昼前頃になると風も穏やかになり日差しも出てきた。
2月は別名、“光の春”と呼ぶと新聞に載っていたが、まさしく日差しの春だ。空気は冷たいが画像だけを見ていると春真っ盛りという感じだ。ロシアの言葉だそうだ。仏頂面のイメージしかない人々だと思っていたが寒い国で春を待つ待ち遠しさがにじみ出ているような気がする。そして季節の小さな変化にも敏感でそれにふさわしい言葉を紡ぎだしている。こんな感性を持ちたいものだ。




1週間ほど前から腰痛がひどくなってきた。ずっと腰痛があり悩みの種であったが、今度の腰痛はそれと比べ物にならない。とにかく歩くのさえもしんどい。今までは痛いのは腰だけであったが太ももまでも痛くなってきた。そんなときはまったく足に力が入らない。釣りをしている途中までは大したことはなかったが後半戦、再び痛みが増してきた。
なんとか無事に帰港したがこれから先が思いやられる。ワカメ採りに山菜採り、乗っ込みチヌ。春はやりたいことがいっぱいあるが今年はどこまでやれるか心配だ・・・。
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「梅原猛、日本仏教をゆく」読了

2016年02月02日 | 2016読書
梅原猛 「梅原猛、日本仏教をゆく」読了

梅原猛が四十二人の仏教者について解説をしている。
聖徳太子からはじまり仏教文化を花開かせた僧、現代に仏教を広めたひと。四十二人。知っている人、名前だけ知っている人、全然知らない人。総ページ数は300ページを超えるがひとりひとりの解説が短すぎるのがもったいない。もっと知りたい。でもこれだけでは少ない。おまけに日本史をほとんど勉強してこなかったので時代の流れをつかめない。承久の乱、建武の新政・・。とりあえずタブレットを片手に読み進んだが赤点ギリギリで高校を卒業した頭ではなかなかわからない。
あのころ、こんな本が片手にあればもっと日本史に興味を持てたのではないかと思うと惜しい気がする。まあ、この歳になったからこんな本が面白いと感じているということも事実であるのだが・・・。
それだけ日本の歴史の流れは仏教の各宗派の隆盛と衰退に沿っていたということだ。文化や習慣も同じことで、仏教から生まれた芸術や習慣が貴賎を問わず生活文化の背骨のように横たわっている。


天台宗はもとは密教ではなかったとか、近鉄奈良駅の広場に立っている銅像は行基だったとか、初めて知ったこともあったし、和歌山県にゆかりのある人物も多く取り上げられていた。
空海しかり、役小角はお母さんのお墓が六十谷にあったり、明恵上人も和歌山の生まれだ。浄土真宗の総本山も仮とはいえ一時期和歌山にあったのだ。

もっともっと知りたいと思わせる1冊であった。
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