イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

初島沖~水軒沖釣行

2022年06月30日 | 2022釣り
場所:初島沖~水軒沖
条件:大潮 6:06満潮
釣果:ボウズ

そろそろ初島にのませサビキの釣りに行かねばと思い、去年の記録を見ていたら全部6月の釣行であった。アマダイばかりに行っていたらまったく気が付かなかったのである。
当たりはずれの大きい釣りではあるが、釣れると大きいし面白い釣りである。

そんな計画を立てていたら、一昨日の火曜日に、住金の一文字でも飲ませサビキでハマチが釣れたという情報が舞い込んできた。
さて、どちらに行くべきか。住金なら近いうえにここがダメでも加太でアジを狙うことができる。初島は遠いけれども個人的には実績がある。

前日には加太にも行けるように高仕掛けとサビキの仕掛けの入った道具箱を準備していたが、結局、釣れても釣れなくても一度はのませ釣りのために初島に行っておこうということに決め、のませサビキの入った袋とタイラバ仕掛けの入った袋を持って家を出た。

道中の時間を考え、なるべく早く出港すべく、午前4時に船を出した。
今日も暑くなりそうだが、雲が全くない夜明けの光景は美しい。



オレンジ色からブルーへのグラデーションはこの世が持っている色の半分はすべてこの場所から生まれたのではないかと思えるほどなのである。英語では「dawn(dˈɔːn/dɔːn)」という言葉で表されるが、この言葉が昔から好きであった。発音がなんだか神秘的に感じるのだ。夜明けという意味のほかに”兆し”という意味もあるというので縁起もよさそうだ。

しかし、今日の兆しは期待のある兆しではなく、悪い兆しであった。
沖ノ島に到着し、さっそくベイトの群れを探すが全然見えない。



イメージとしては、水面がバシャバシャするほどのイワシの群れを期待していたが目視でも見えず、魚探を見てもパラパラ何かの影が見えるだけだ。時々大きい反応が見えるのだがすぐにどこかに行ってしまう。群れが小さいのだ。

毎回そうなのだが、ベイトの群れを探しながら一方ではタイラバをやっている。のませサビキはベイトの群れが来ないと手持ち無沙汰だ。その間がもったいないのでタイラバをやっているわけだが、一昨年まではこんな兼業でホウボウが釣れたりしていた。
去年はそういう実績がなかったのだけれども、またいつかは釣れる時が来るのを信じて同じことを繰り返している。
しかし、今日は、ベイトの群れが小さく、反応がなくなったのでタイラバの竿に持ち替えようと魚探の前を離れて戻ってくると反応が出ている。急いでのませサビキの仕掛けに持ち替えると群れが消えているという繰り返しであった。あたかもベイトの群れは僕の殺気に気が付いているかのようなのである。
今日は新しく買った(それも新品で。)リールの初陣であったのだが、あまりにも気負いすぎていたのだろうか・・。



こんなことを数回繰り返しているとさすがに嫌になってくる。このままここでボウズで終了するのは嫌だと思い、いろいろ考えを巡らせる。アマダイはタイラバで釣れるので、このまま水軒沖まで戻ってそれをやってみようと考えた。
せっかくなので今までと違う場所でやってみようと、前回流した場所からさらに南のほうで試してみるもダメ。やっとアタリがあったかと思えばサバフグだ。



これだけ持って帰っても仕方がないので撮影後にお帰り願った・・。

ほかの船が釣りをしている場所に移動してみると、今日もちからさんが浮かんでいた。



今到着したばかりということでしばし同じ場所で流してみるも、やはりエサがないと釣れる気がせず30分も持たずに終了とした。
結局、住金方面に行っておけばこれほど燃料を無駄に使うことはなかったのである・・。

叔父さんの家に寄り、置いてもらっていた洗濯機の背面パネルを引き取ってきた。
これを使ってある実験をしてみようと考えている。前回の船底塗装の時に考えた、ペラコートの代用品の実験だ。この塗料は、素材の撥水力を利用してスクリューやシャフトなどの金属部分をフジツボから守るものなのだが、やたらと値段が高い。船体の底に塗る塗料には金属イオンが含まれていてそれを金属の部分に塗るとひどい電蝕を起こして素材を蝕んでいくので使えない(舵の部分にはずっと使っているのだが、これは大丈夫なのだろうかといつも考えている・・)。そこでこういった特殊な塗料を使わなければならないのであるが、セールの時に買っても1個4000円ほどする。それをケチって2回に分けて使っているというのが現状なのだが、その主剤の臭いがコーキング剤そっくりなのだ。もともとシリコンを主成分にしているようなので同じくシリコンが主成分のコーキング剤と基本的には機能は変わらないのではないかと考えたわけだ。
もし、それが本当なら費用を大幅に削減することができる。コーキング剤は建材の高騰や原材料の高騰のあおりを受けてかなり高額になってしまったが、それでも1本買えば10回くらいは使えそうだから費用は一気に50分の1になる。

いきなり自分の船で試すのは怖いのでまずは実験からだと思い、適当な大きさの金属製の板を探していたのである。この前、アマダイを届けに叔父さんの家に寄ったとき、ちょうど洗濯機を解体していて、そのパネルを置いてもらっていたのである。本当はスクリューと同じ素材の真鍮板が欲しかったのだが贅沢は言えない。

コーキング剤は石油に溶けるらしく、自宅のポリ缶に残っていた石油で溶かしてこの鉄板に塗ってみたのである。



これを3ヶ月ほど海水の中に漬けておくと結果がわかる。まったくフジツボを寄せ付けないか、もし付着していたとしても指で軽く触れる程度で落ちてくれれば合格だ。
金属イオンなどは入っていないだろうから電蝕については心配もないだろう。あとは付着力を強化するプライマーを探せば自家製ペラコートの完成である。

しかし、ここまで準備をしておいて何なのだが、今までこんなことを考えた人というのは山ほどいたに違いないのである。ネットが普及したこの時代、誰かがこんなことを試して効果的だったとして、それがどこかで密かに続けられているのみであるということは考えづらい。試しにやってみた人は数多いたけれどまったく意味がなかったので全然広まらなかったというのが真実だろう。
だから、僕も実はあまり期待はしていなくて、こうやってブログのネタになればそれでいいと思っている程度だ。
まあ、また9月の終わりころにこれをネタにブログを書ければそれでいいのである。

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水軒沖釣行とキーボード交換

2022年06月27日 | 2022釣り
場所:水軒沖
条件:大潮4:22満潮
釣果:アマダイ6匹 クチ1匹

最後に小船に乗ったのは先月の末であった。気がつけばほぼひと月乗っていない。船底塗装をしたときもエンジンを始動させなかったし、釣りに出ても大きい方の船ばかりに乗っていた。これでは小船に申し訳ない。絶対に次の休みは小船に乗るのだと決めて今日を待っていた。
とはいうものの、天気予報を見てみると風が吹きそうだ。安全パイなら大きい方の船だが今日は小船に乗るのが前提だ。風を避けて紀ノ川河口へという選択肢もあるが、六十谷の陸橋から見る水の色は相当濁っているように見えるので最初から負け戦というのも御免だ。

そう思いながら予報を眺めていると、ほんの少しだが風と波が小さくなる予報に変わってきた。
元々、双子島の沖にアマダイを狙いに行こうと考えていたのだが、ギリギリ行けそうな気配だ。一文字の切れ目を出て危険そうなら引き返して大きい方の船に乗り換えて出撃という条件付きで出てみることにした。

今日は大潮で三日月。金星とのコンビが美しい。



しかし、これはまったく雲がないということでもあり、暑くなる前兆でもある。
ここ数日は雨が降らず、このブログは翌日に書いているのだが、今日、早くも梅雨明けしたそうだ。

ゆっくり準備をしていると出港は午前4時半になってしまっていた。夏至を過ぎてまだ1週間、夜明けは早い。もう少し早く出たかったものだ。
一文字の切れ目を出るとやはり風と波がある。大きい方の船ではなんのことはないが小船ではけっこう厳しい。しかし、どんぶらこと揺られながら微速での航行ならなんとかいけそうだ。まずは恒例の禁断の仕掛けを試してから沖へ。
前回のチョクリ釣りで調べておいた水深30メートルくらいの場所まで行きたいところだがこの波ではちょっと厳しそうだ。双子島を過ぎたところでここが限界と仕掛けを下す。

置き竿が効果的だというのは経験でわかってきたけれども、小船ではロッドホルダーを使えない。どうしたものかと竿を細引きで支柱にくくり付けてみたりしたがどうもしっくりいかない。ふと考えたのは錨の重さを利用することだ。シャフトとデッキのすき間にグリップエンドを突っ込むとこれがまたうまくフィットする。



世間ではこういうものをシンデレラフィットというらしい。さて、これはひらめきなのか、直感なのか・・・。後帯状皮質が働いたのか大脳基底核が働いたのか、自分の脳みその中の現象ではあるがまったくわからないのである・・。

そして、しばらくするとアタリがあった。小さいがアマダイが上がってきた。昨日、この辺りに釣行したひとたちはほとんど釣果がなかったらしいので心配したが、とりあえずボウズは逃れた。
その後も立て続けに置き竿にアタリ。午前6時までに3匹をクーラーボックスに収めた。

しかし、この時間くらいから潮が動かなくなってきた。今はまだ引き潮の流れがあるはずだが、風の向きと潮が引いていく向きが逆なので船の位置が変わらないという感じだろうか。
アタリがある時間帯は道糸も斜めになっていたけれども、今は25号の錘に交換しても仕掛けは真下に降りるし、双子島の島影も全然見た目が変わらない。



それでもなんとか1匹追加した頃、和歌浦方面から船が1艘こちらに向かって進んできた。ひょっとしてあれはちからさんの船ではないだろうかと思うと間違いなくその通りだ。大きく手を振ってみるとこちらに気がついてくれた。今日は友人を乗せてきたらしい。



ここら辺りで4匹釣れましたと報告してしばらくはランデブーしながら船を流しているとちからさんのほうでも魚がヒットしたらしい。
ほぼ釣りつくされたと言われているようだが、なかなかどうして、まだ魚はいるようだ。鉱脈は枯渇していない。

とはいうものの、頻繁にはアタらない。それはそうで、この釣りは間違いなく、魚の居る場所をエサが通過しないと食ってはくれない。船が動かなければ魚のいない場所に居続けるだけである。
ならば自分で動いてみようかとオールを取り出してみたが、5分ほど漕いで見て、これは絶対間抜けだと思いすぐに止めてしまった。



こういう時のためには、オールを漕ぐよりも投げ釣り用の竿を準備した方がよさそうだ。
その後、少し船が流れ始めたタイミングでまたアタリがあった。やはり潮の流れでも風でもいいから船が動かないことにはアマダイは釣れないというのは間違いがないようだ。

今日の釣りは遅くとも午前9時までと思っていたが、ちょうどこの時間にエサがなくなり南風も本格的に吹いてきたので危険な状態になる前に撤収とした。
しかし暑い。風が吹かなかった間は午前6時という早朝であってでさえ、日差しはたまらなく暑い。帰途に着いている間の運転中、普通なら海面上の空気は意外と温度が低く、顔に当たる空気も心地よいのだが今日はそれさえも熱く感じる。
週間予報を見てみると、おそらく梅雨はすでに明けているのだろうけれども、まだ6月でこの暑さだ。7月8月は一体どんなことになるのだろう。ちょっと心配である。

今日の合計7匹のうち、手持ちの竿で釣り上げたのは1匹だけであった。それもパンを食べながらボ~としていたときで誘いも何もしていないときだった。もとより、どんな誘いがよいかなどまったくわからないのだが、数回の釣行の経験で言えることは、どうも置き竿の方が魚がよく釣れるということだ。
変に誘いをかけない方がよいということだろうが、そうなってくるこの釣りは至極退屈な釣りということになる。食べると美味しい魚なのであるがこれはこれで困ったものだ・・・。


食事を済ませて今日のもうひとつの大きなミッションを開始。
ノートパソコンのキーボードを交換するのだ。このパソコン、元は古くなった自宅のデスクトップパソコンのバックアップ用として中古で買ったものだ。今の会社に出向となってからは会社で使っている。わざわざ自分のパソコンを持ち込みたくもないのだが、会社が貧乏なのか、個人で自由に使えるパソコンがない。かといって何もしないでよいかというとそうでもなく、止むを得ず持ち込んだというところだ。そこのところはうまくできているというかなんというか、今時、個人所有のパソコンを会社で使うなどというのはあり得ない話だが運営が杜撰なことを象徴するように誰からも咎められない。
事務所ではなぜだかフリーWi-Fiの電波が飛んでいるということは書いたことがあるが、そのおかげで暇な窓際生活を紛らわすいい相棒になってくれているのである。
3万円で買ったとは思えないほどサクサク動いてくれることは動いてくれるのだが、いかんせんそこのところは中古だ。物理的に作動しているキーボードが壊れたのは去年の9月

そのときは同時期に壊れたデスクトップパソコンとともにメーカー(というか、中古パソコンの販売会社)に送り返して修理をしてもらった。しかし、交換されたキーボードも、一見新しそうであったがやはり使われていたものは中古品だった。それなりにきちんと文字を打ててはいたが、ここひと月くらいでスペースキーの調子が悪くなってきた。片方が沈んだままのようになっていたのだ。




あれ、まあ、結局1年も持たなかったかと残念に思うが、放っておくわけにもいかない。かといってまた販売会社に送り返すのも費用と時間がかかりすぎる。そのとき、ふと思い出したのが釣りを通して知り合ったFさんのことだ。ジャンク品のパソコンを買ってきてそれらを組み合わせて1台の正常に動くパソコンを作ってしまうような人だ。ちなみに船外機の修理もほぼ自分でやってしまうらしい。
メールで、こんなことになっているんですよと質問をすると、まずはキートップを取り外してパンタグラフという部品を見てみなさいと、外し方を教えてくれた。



言われたとおりにやってみると、キーボードの基板というのだろうか、どうもそれが変形しているらしく、パンタグラグがペシャンコになっている。変形した部分をクリアファイルの刻んだもので底上げしてパンタグラフを復元したものの、2回ほど取り付けたり外したりしたときに取り付け部分の爪を折ってしまったので元へは戻らなくなってしまった。



しばらくは両面テープで貼り付けてしのいでいたが、スペースキーは使用頻度の高いキーなのでもすごく不便だ。またFさんに、こんなになっちゃいましたと報告をすると、それなら交換しかないですねと交換方法の説明とキーボードの入手できる先を知らせてくれた。
えぇ・・、自分で交換できるのですか・・?と恐る恐る聞いてみると、意外と簡単、案ずるより産むが易しというものですよとのこと。まあ、失敗してもブログのネタにはなるかと早速キーボードを注文して今日の作業に挑んだ。さすがに会社でこんな工作をするわけにもいかず、一度家に持って帰っての作業だ。

もらったマニュアルを何度も読みかえして僕の脳みその壊れかけの短期記憶メモリーに手順を詰め込み、筐体の裏のねじを取り外すところから始めた。



キーボード面のカバーを外し、キーボードも取り外す。しかし、ノートパソコンのキーボードというのはこんなものだったのだというのを今回の作業で初めて知った。えらく薄っぺらなものだ。



本体とはフラットケーブルでつながれており、それも取り外していよいよ新しいキーボードと交換。



一番心配していたフラットケーブルの接続もすんなり終え、ここできちんと作動するかのテスト。パソコンの電源を入れ、パスワードを打ち込むとデスクトップ画面が現れた。うまくいったようだ。



カバーを元に戻し、ネジを締め完成。一応、新品と書かれていた通り、キートップのテカリもなく、このブログの原稿もノートパソコンを使って書いているが、まことに気持ちよく文字を打てるようになった。これで、Windows10のサポートが終了するまでは使い続けることができそうだ。
今回の費用は税込みでもたった2000円。前回の修理の依頼には送料も含めて5000円ほどかかったがそれに比べると信頼性も上がり費用も半分以下で終えることができた。
最初に壊れたときにはこんな作業が素人にできるものだということが頭の片隅にさえ思い浮かばなかった。
これは直感だったのかひらめきだったのかはわからないが、よくFさんのことを思い出したものだ。そして、Fさんの後押しがなかったらこんなことを自分でやろうとは思いもしなかった。窮すれば通ずとはよく言ったものだが、ありがたい。
わからないことがあれば、自分で調べなければというのは当然だが、いろいろな人に教えを乞うてみるというのも大切なのであるということを改めて思い直したのである。

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「もの忘れと記憶の科学」読了

2022年06月26日 | 2022読書
五日市哲雄/著 田中冨久子/監修 「もの忘れと記憶の科学」読了

何度もこのブログには書いてきたが、とにかく物忘れがひどい。それは年齢が進むにつれてひどくなってきたというよりももっと若い頃からの症状であった。
そもそも、このブログを書き始めたきっかけというのも、あまりにも記憶力がなく、いつ、どんな魚を釣りに行ってそれが釣れたかどうかということや、どんな本を読んだかということをまったく覚えていることができないので忘備録として残しておこうと思ったのが最初だった。
一番愕然としたのが、一度読んだことがあった本を、それと知らずにまた買って読み始め、最後のページをめくるまで前に読んだことがある本であるということに気付かなかったことだ。
今年のコゴミ採りでは採ったコゴミを現場に置き忘れてきたという失態も演じてしまった。

それだけではない、釣りに行くときにはとにかく忘れ物をする。最大の忘れ物は磯釣りに行って磯竿を持っていくのを忘れたことだ。忘れたというか、赤い袋に入った竿をロッドケースに入れて出かけたら、それは船用の竿であったという間違いだったのだが、これも、ひとつの記憶まちがいだろう。僕のブログの検索窓に「忘」という文字を打ち込んで調べてみるとおそらく無数の書き込みがヒットするに違いない。
そして、そんな日に限ってなぜだか魚が釣れてしまい、忘れてきたものがないので難儀するというパターンに陥るのだ。
ひとの名前も覚えられない。社内でよくすれ違う、一昨年一緒に仕事をしていた人の名前さえ思い出せない。まあ、あの頃の記憶というのは思い出したくもないので思い出せないのだろうとも思う。ずいぶん前、30年近く前だろうか、すごく世話になった上司の名前を古い記憶は呼び起こせるかとこの本を読みながら思い出そうとしたのだが、相当恩義を感じていながらも思い出せなかった。電車に乗っているときに不意に思い出せたのは幸いであったが・・。
こんな調子なのである。

僕がもっと記憶力がよかったならば、もっといい大学を出てもっとお金を稼いでもっと裕福な暮らしをしていたに違いない。100円でオイル交換を済ますために2時間も待つことはなかっただろうと、人生は不可逆だから何とでもいえるのだが、自分の無能さを憂うのである。

このタイトルの本を見つけた時、ひょっとしてこれを読めば僕のそういった性質を今からでも改善できるのではないかと期待したのである。


本の最初はギリシャ神話に出てくる記憶を司る女神「ムネーモシュネー」から始まる。ムネーモシュネーはゼウスとの間に9人の娘を産んでいる。「ミューズ(文芸、芸術を司る神)」「カリオペー(歴史や英雄詩を司る神)」「メルポメネー(悲劇・挽歌を司る神)」「エウテルペー(抒情詩を司る神)」「エラトー(独唱歌・舞踊を司る神)」「テルブシコラー(合唱・舞踊を司る神)」「ウーラニアー(天文・占星術を司る神)」「タレイア(喜劇を司る神)」「ポリュムニアー(幾何学・修辞学・瞑想・農業を司る神)」であるが、こういう神様が存在すると考えられていたということは、古代ギリシャの時代から、記憶こそが精神の創り出すあらゆる事の基盤であり、諸学問の根源と考えられていたのである。だから、記憶力のない僕はポンコツなのだとこれはこんな時代から定められていたということになるのである。

人間の頭の中でおこなわれる記憶というものは、いくつかに分類されて考えられている。”頭の中”と断りをいれているのは、例えば、文字を書くこと、これも記憶の一部であり、コンピューターのメモリーに様々な情報を保存するのも記憶の一部であるからだ。
分類の方法は大きく分けて保持時間で区分する方法、記憶するものの内容によって区分する方法がある。

保持時間での区分は三つ。
ひとつ目はごく短時間記憶する「ワーキングメモリー」。作業記憶、作動記憶とも呼ばれる。保持時間は数秒から数十秒である。日常生活での言動は主にこの記憶が利用されている。情報処理能力が含まれることから記憶容量には限界があるとされている。
ふたつ目は、ワーキングメモリーよりも少し長い時間記憶する「短期記憶」。この記憶の持続時間は数十秒から数十分、あるいは数か月程度とされている。この記憶も情報処理能力によって記憶容量に限界があるとされ、一度に記憶して操作できる情報の数は7個前後であると言われている。このふたつの記憶というのは、コンピューターに例えるとメインメモリーの中で働いている記憶というところだろうか。
これはおそらく、バイクなんかを運転していて、「次は漁港を出て右に曲がって家に帰るのだが、その前に逆方向に曲がってスロープの使用料を払ってから帰ろう。」という手順を記憶するというようなものなのだろが、それを5秒前の記憶を忘れて途中を飛ばして右に曲がってしまうとなると僕は7個どころか、ひとつしか記憶を保持できないということになってしまうのだろうか・・。
三つめは「長期記憶」である。この記憶は短期記憶を固定化して、永続的に保持し貯蔵されるものである。

内容による分け方では、「陳述記憶」と「非陳述記憶」に分けられる。陳述記憶がいわゆる「頭の記憶」である。非陳述記憶とは、意識化できない、その内容を想起できない、言葉で表現できない記憶のことである。
それぞれはさらに分類することができる。
「陳述記憶」は「エピソード記憶」すなわち、時系列が組み合わさった記憶で、いつ何々をしたというような記憶と、「意味記憶」すなわち、もの事の説明としての記憶である。
「非陳述記憶」は、「手続き記憶」という、車の運転や箸の持ち方など、一度覚えたらなかなか忘れられない記憶で、「体の記憶」とも呼ばれている。そのほか「プライミング」というとっさの時の行動に対処する記憶や「意味づけ記憶」という条件反射などである。

物事を記憶してゆく段階は三つの段階を踏む。ひとつ目は、ものを覚える過程=記銘(入力)、ふたつ目は、覚えていること=保持、三つ目は、覚えていることを思い出すこと=想起(再生)である。まあ、入力はとりあえず目も耳も大丈夫だから、僕はあとのふたつの工程に何か欠陥を抱えているに違いない。

脳の中ではどのような形で記憶がなされているのかということだが、こんな書かれ方をしている。『外界からの様々な感覚情報、例えば、見たり、聞いたりした情報、さらに、その物がどこにあるのか、そしてその物が何か、という情報は、後頭葉の感覚野や感覚連合野で感覚され、ついで前頭葉の背外側部に送られます。さらにその後、前頭葉の前頭眼窩皮質という脳部位に送られて、それぞれを活動させます。感覚野や感覚連合野の記憶は「感覚記憶」とも呼ばれますが、瞬間的で、1秒以内に消失します。
感覚記憶で興味があるとされる情報は、消える前に大脳辺縁系になる海馬に送られます。海馬は一時的な記憶の保管場所でここで長期に記憶されるべき情報とそうでない情報に選別し、記憶されるべき情報は記憶の保持、貯蔵庫とされる側頭葉などの大脳皮質に送られます。』ちなみにこの選別には1か月ほどかかるらしい。
何が何だかさっぱり分からないが、要は目や耳から入った情報は、あたまの中を回りまわって最終的には海馬というところにもたらされ、長く覚えておきたいものはまた大脳皮質に戻ってゆくというのである。記憶のキーマンは海馬なのである。

そして、大脳皮質では新たなシナプス結合が生まれ「エングラム」と呼ばれる記憶結成時に活性化したニューロン集団という記憶痕跡という形で保存される。なんらかのきっかけでその一部のニューロンが活動すると、合わせてニューロン全体も活動する。その結果として記憶が呼び起こされるのである。
はて、昔お世話になった上司の名前を思い出させたのはどんなきっかけだったのであろうか?

ここからが問題なのであるが、記憶力を上げる、もしくは物忘れをしないようにするにはどうしたらよいかということが書かれている。
まず、記憶力を上げるにはというものだが、神経回路は物理的、生理的にその性質を変化させる能力を持っている(これをシナプスの可塑性という)のだが、あるニューロンから次のニューロンに繰り返し信号が送られると伝達効率が上がるという実験結果があり、そういうことをやればいいということだが、学生のころからそういうことを当たり前のようにやってきても結果が出ないから苦労しているのである・・。
記憶力のアップというのは諦めて、次はど忘れを防ぐ方法はあるのかということだ。
まず、ど忘れというものはこう定義される。「過去に記憶として覚えていたものが、意識に上がらないことや、言葉にならないこと」である。
この原因というのはまだはっきりしていないが①「記憶のフック」による記憶の希薄化、または、②「脳のゆらぎ」による記憶想起のタイミングの悪さ、というふたつの説があるそうだ。
「記憶のフック」とは、情報の既知感と、後になって、その情報を正確に思い出すことができるという思い込みであると定義される。ど忘れした単語や言葉など、それらをあまり使用することがなくなり、記憶が希薄化したため、あるいは、希薄化した記憶になっていることに気がつかずに容易に思い出せるという錯覚に陥ってしまっていることで、思い出せるはずなのに思い出せないというジレンマが発生するのである。僕の場合、人の顔は思い出せるのだが、その名前が出てこない。これは顔という映像が記憶のフックになるのであろうが、文字としての名前が希薄化しているのでそこでギャップが生まれているということなのであろうか・・。
「脳のゆらぎ」というのは、同じ刺激に対して脳のニューロン回路の情報伝達経路はその都度変わり、同じにはならないという現象のことであるが、そうした別のニューロンの組み合わせが信号の行き先を間違わせてしまい記憶の想起につながらないというのである。

また、ワーキングメモリーの機能低下によっても物忘れが増えると書かれている。これは、シナプスにある、神経伝達物質のドーパミンの受容体の働きが阻害されるとこの機能が低下してしまうことである。ワーキングメモリーというのはごく短期間の記憶保持に関わるメモリーだが、次に何をしなければならないかという記憶も含まれている。それが保持できていないと、「あれ、次は何をするんだったっけ?」となる。まさに信号待ちの5秒間で左に曲がるのを忘れるというのはドーパミンが少ないからに違いない。

そして、ストレスも物忘れの要因になる。ストレスによって数多くのホルモンが分泌されそれが海馬に影響を与える。海馬はストレスに対して脆弱なのである。
例えば、糖質コルチコイドはストレスホルモンと呼ばれ副腎皮質から分泌されるが、脳の中で最もたくさんの受容体を持っているのが海馬なのである。そして怖いことに、海馬はストレスに慣れることによってそれはストレスではないと記憶し、本人はストレスではないと感じるようになる。監禁された人や戦争に行く人がそういった状況に慣れてしまい逃げることも抵抗することもできなくなってしまうというのはそういったメカニズムが働くからなのである。

逆に、海馬を活性化させて記憶力をアップさせることも可能かもしれない。海馬のニューロンは新生することが知られている。ニューロンは増えれば増えるほど脳神経のネットワークが大きくなるということだから記憶力も増強されるはずである。
そしてそのためには、①運動や学習行動が必要であること。②性ステロイドホルモンの環境が必要であること。③アセチルコリンの分泌を促すこと。らしい。アセチルコリンとは副交感神経から分泌されるリラックスを導く神経伝達物質である。運動や学習行動が必要というのはわかるが、性ステロイドホルモンの環境というのは、ずっとエッチなことを考え続けるということだろうか・・。
しかし、これは若い時にこのような環境にいなければならず、18歳を過ぎると神経幹細胞は存在するもののニューロンへの分化はほぼ起こらないと言われているそうだ。
10代に一生懸命勉強して運動もして、なおかつスケベなことを考え続けろというのが物忘れを予防する最大の方法であるというのがこの本の結論であるらしい。

まったくそういうことに無縁であった僕が現在、極度の物忘れに悩むのは当然のことであったのである。唯一今でもやれることというと、リラックスをしてアセチルコリンの分泌を促すためによく寝ることくらいである。残念・・・。

認知能力が衰える病気の代表的なものにアルツハイマー型認知症というものがある。これは脳細胞の周辺にアミロイドβというたんぱく質が堆積することにより神経間の情報伝達が阻害されるものであるが、発症する人ではアミロイドβの蓄積はすでに40代から始まっているそうだ。それと知らずに日常生活を送り次第に症状が出てくる。と、いうことは、すでに僕の脳みそもアミロイドβに汚染されている可能性がある。これは困った。この物忘れもそれの兆候であってほしくはないものである・・。

最後に、「ひらめき」と「直感」について書き留めておく。これは物忘れの対極にある、発揮できればできるほど人生がばら色になりそうというものであるが、よく似ていながら全然違うものらしい。そもそも、脳の中でひらめきが起こる場所というのは大脳皮質の後帯状皮質というところであり、直感が起こる場所は大脳基底核というところで、まったく違うのである。
大脳基底核というところは大脳皮質の幅広い範囲からたくさんの情報を仕入れて処理をしている場所だそうだ。直感というのはそういう意味では、脳の中に蓄積された経験を基盤に発揮されるものである。いっぽう、ひらめきというのは、保存していた多くの陳述記憶やエピソード記憶の中に埋もれていたある記憶を呼び起こし、直面する難題と巧みに結びつけるとことによって解決するための答えを導き出すものである。
直感はある程度意識下にある記憶を使い、ひらめきは無意識下の記憶を使うのである。
特にひらめきは脳の中のデフォルト・モード・ネットワークという、脳が無意識な状態にありながら作り上げている広範なネットワークを利用している。これはヒトが意識的に何かの課題に取り組んでいるときは働かず、いわば、ボ~っとしているときに活発に働き始めるネットワークである。いわゆる、3上(馬上、枕上、厠上)でひらめくというやつである。

どちらにしても、すでに脳の中に蓄積された記憶がどれだけあるのかということがものをいうのにはちがいなだそうだ。
「人は移動した距離の違いでその大きさがわかる。」と言ったのは師であるが、移動した距離がすなわち経験であり記憶であるのならまったく納得できる箴言であるのだ。
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「FACTFULNESS(ファクトフルネス)  10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」読了

2022年06月23日 | 2022読書
ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド/著 上杉周作、関美和/訳 「FACTFULNESS(ファクトフルネス)  10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」読了

この本は医師が書いた統計に関する本である。「10の思い込み」と書いている通り、
日頃から見ているニュースを正しく見るためには思い込みのうえでデータを見ていてはいけないというのである。

これはまさにそのとおりで、わが社の役員から、つい最近もメールとともに数字ばかりが入った表計算のシートがメールで送られてきた。僕はただの傍観者でしかないのでそれを基に何か議論に参加するというものでもないのだが、この人の言っていることとこのデータはきちんと整合性が取れているのかどうかと疑わしいなと思ったのでもっと見やすいようにグラフに加工してみた。



そもそも、クライアント相手にプレゼンするのに数字を羅列した表を見せて説明するということ自体がおかしいと考えないのがおかしいとも思うのだ。
そのメールの内容の一部はこんなものであった。
『いつもお世話になりありがとうございます。
OOOOOO事業開発部担当の××でございます。
期間中の○○来館者と、△△来館者、期間の大阪府コロナ感染者の比較表です。・・・・・今回の前半と後半の感染状況と△△の来館者には明らかに関連性が見て取れます。・・・・』
赤い点線がコロナ感染者数の推移で△△の来館者というのが緑の線だ。△△というのは同じ建物に入居している大型商業施設である。
曜日で来館者数が上下するので移動平均をとってプロットしてみると、△△への来館者というのはこの期間では感染者が増えようが減ろうがそれに対しては大して影響されなかったというのがよくわかる。残りの2本の線は僕が関わっている観光施設○○の来館者だ。こっちは感染者の減少とはあきらかにリンクしている。
△△と観光施設では規模が大きく違う(このグラフはその規模の差を修正して人数の変化を比較しやすくしている。)ので元々来館者が多いのだという先入観と、この役員としては、「感染が落ち着いて△△への来店客が増えている。その商業施設とはコネがあるからいろいろ働きかけて宣伝や送客をしてあげる。」といい顔をしたいがためにクライアントに言いたいわけだ。
まさにこの本のとおり、「思い込み」なのである。
僕も露骨に「あなたの分析はおかしいのではないか。」とは言わないけれども、こんな数値の変化がヴィジュアルで見ることができますと返信をしてしまうから上司に嫌われてしまうのだろうとこの本を読みながら思ったのである。

この場合、感染が落ち着いても商業施設は客数が変わっていないということは感染前も感染後も来る人は同じ人ばかりでそういう人は元からこの観光施設には興味がないということだ。もともと小売り業界では斜陽産業の部類の業種で、相当なロイヤリティをもった客しか来なくなってしまっているのだから普通ならそういう結論はすぐにでてくる。そうは思いたくないというのも人情ではあるが、それさえも思い込みである。
客数を増やそうと思うのならもっと別の市場にアプローチすべきだし、興味がない人を無理やり振り向かせようとするなら、ふたり目無料くらいのサービスをする必要があるということだ。

そして、この本にはそういった思い込みのパターンが10個取り上げられている。
主要な著者であるハンス・ロスリングは医師ではあるが、長い期間のアフリカでの診療活動から、経済発展と農業と貧困と健康のつながりについて研究するようになった。そこで感じたことは、様々な援助策や政策を決めているリーダーたちでさえ知識不足と思い込みで間違った認識のもとにそれらをおこなっていて、それでは資源を無駄遣いするだけでなく、貧困にあえぐ人たちを救うことができないと考え、財団を立ち上げ「事実に基づく世界の見方」を広めるという活動に従事した人であった。そのリテラシーの目を「ファクトフルネス」という言葉で表している。そのために統計資料を重視しているのである。
この本は特に、筆者の経験から、いまだ発展途上になる国々の現状を例に挙げながら論が進められてゆく。世界の国々の豊かさをレベル1(貧困)~レベル4(裕福)に区分けし、例えば、世界中の1歳未満の子供が何らかの感染症の予防接種を受けている人数は全体の80%もあるそうだが、おそらくほとんどの人は世界の人口の半分くらいは貧困層だという思い込みからこういう質問を受けるとレベル4のほとんどの国のリーダーたちはもっと低い接種率であると考えている。世界で貧困ではないひとはすでに全体の91%まで増えているのが今の世界の現状である。
そんな人たちが適切に資源の投入をできるわけがないというのが著者の考えだ。そしてそれは様々な思い込みが原因であるというのだ。それが10個の思い込みなのである。
どんな思い込みがあるのかというと、
①分断本能「正解は分断されている」という思い込み
②ネガティブ本能「世界はどんどん悪くなっている」という思い込み
③直線本能「世界の人口はひたすら増え続ける」という思い込み
④恐怖本能(危険でないことを、恐ろしいと考えてしまう)という思い込み
⑤過大視本能「目の前の数字がいちばん重要だ」という思い込み
⑥パターン化本能「ひとつの例がすべてに当てはまる」という思い込み
⑦宿命本能「すべてはあらかじめ決まっている」という思い込み
⑧単純化本能「世界はひとつの切り口で理解できる」という思い込み
⑨犯人捜し本能「誰かを攻めれば物事は解決する」という思い込み
⑩焦り本能「今すぐ手を打たないと大変なことになる」という思い込み
という10個である。
なるほど、言われてみれば僕にも心当たりがあるものがたくさんある。
例えば、もう、10年近く前だろうか、中国のひとというのはこんなに現代的な生活を送っているんだと驚いたり、これはつい最近だが、国民一人当たりの所得は日本より韓国のほうが多いのだということにも驚いた。
これなんか典型的な分断本能ゆえの思い込みであった。
まだまだある。CDってずっと売れているものだと思っていたらレンタル屋さんにも置かれなくなっていたのを見て驚くのは直線本能のゆえだろう。
この本は、世界の情勢を正しい統計資料と正しい目を持って見ていきなさいというものだが、身近なところにいくらでもこのような例が転がっているのである。

世界情勢を憂うほど奇特な人間でもないし、もとより会社の未来を憂うこともない。しかし、あんなメールを読んでしまうとこの会社も先は知れているなとか、相手の会社にはかなり見下されているのだろうななどとは思ってしまう。
この役員はこの10個の中のどんな本能の思い込みをしたのだろうかと、あれこれ考えてみたのだが、本能以下のアホさ加減だから当てはまるものが無いんじゃないだろうかと思ってしまう。しいて言えば、こう言っておかないと後にストーリーが続かないと思い込んでいるという点では7番の宿命本能というところだろうか。
だからなのだろうが、景色が売り物の施設で、エスカレーターを昇ってきたらいきなりウルトラマンが見えるというようなレイアウトをよく考えたものだとも思うのである。これには呆れてしまった。




もうすぐ参院選がある。野党の人たちはこのままではこの国は大変なことになると連呼するわけだが、そういうことも4番とか10番みたいな思い込みだけで言っているのかもしれない。いざとなれば自分たちもなすすべを持たないのに・・。もっと具体的に数値を出して説明をしてほしい。あなたの政策にどれだけお金がかかって、そのお金はどこから生まれて、誰がどれだけ助かるのか、それが知りたい。アホな候補者は「汗をかきます。」としか言わない。人間は何もしなくても汗をかくのだ。汗をかかなければ死んでしまうのだ。

ウクライナの戦争で何もかもが値上がりしているが、他の国ではもっと急激に物価が上がっているそうだ。(これもニュースの受け売りにすぎないし、その国の所得の伸び率も知らないのだが。)それに比べれば日本の上昇率は穏やかで、直近の物価高を憂いて自殺した人がいたというようなニュースを聞かない。そうなってくると、日銀の黒田総裁が言った、「値上げを受容している。」という意見もとんでもない発現ではなかったのかもしれない。もちろん、ミクロ的には僕自身、この値上がりは困ったものだと思ってはいるし、このままでは釣りに行く回数を減らさねばならないと思い始めてもいるのだが・・。
そうなのだ、この本に書かれていることもすべてはマクロ的な見方であるということも忘れてはいけないということでもある。
ただ、その話は本当にそうなのかと疑う心は確かに持ち続けなければならないのは確かなことであるというのには納得するのである。
ウチの役員さんもそんな気持ちになってくれないものだろうか・・。

この本を読んだきっかけというのは、翻訳者のひとりである、関美和という人が訳した本を読みたかったという理由からだ。かなり人気のある翻訳者らしく、翻訳した本はどれもベストセラーになっているそうだ。この本も貸し出し予約をしてから2ヶ月ほど待ってやっと借りることができた。
内容が容易であるというのもあるのだろうが、翻訳書としてはかなり読みやすい本であったのは確かだ。

そして、統計学というものの面白さというのもよく分かった。わが社の数値分析でもそのとおりだが、簡単に統計を取るだけでも言っていることと全然違うというようなことを見つけられてしまうというのは面白い。大学時代、「経済統計学」という授業があり少し興味をもっていたのだが、教授が厳しい人だというので選択をしなかった。今思うと残念なことをしてしまったものだ。あの頃からひたすら楽をしたいと思っていたらしい。

次に生まれ変わったら絶対に経済統計学の授業は受けようと思う。
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北港釣り公園前~水軒沖釣行

2022年06月21日 | 2022釣り
場所:北港釣り公園前~水軒沖
条件:小潮6:14干潮
釣果:アマダイ7匹 ハモ1匹

今日は夏至。日の出の時刻は午前4時48分だそうだ。ひとりで出るときは日の出前よりもかなり早く港を出るのであるが、今日はお客人を招いているのでさすがに午前4時に来てくださいとは言いづらいので今日の出船は午前5時とした。

今日のお客人は、おだんごクラブの会長さんだ。この方もネットで知り合った方なのだが、今よりももっと紀州釣りに熱中していた頃からいろいろな情報交換をさせてもらっていた。ヌカだんごを投げている人たちの集まりだから「おだんごクラブ」なのである。
今では紀州釣りよりも船に乗って様々な獲物を求めておられる。
定年退職後は息子さんと都会を離れたところでカフェを経営されており釣った魚のほとんどはピザとしてメニューに出されている。アマダイも、今年はすでに60匹あまり釣ったそうだが自分で口にしたのは1匹だけだそうだ。すべてはピザのトッピングに回してしまうらしい。

以前にも書いた通り、最初にアマダイの情報がもたらされたのはこの方からであった。湯浅湾までというのは僕の行動範囲ではないのだが、近場でアマダイが釣れ始めた頃、いちど船に乗せてくださいよとずっと声をかけてくれていた。カフェは火曜日から木曜日が定休日なのだそうだが、僕はその曜日が休みにくい。今日は母親を病院に連れて行く日に当たっていて、それも午後遅くからなのでこの日なら声をかけても大丈夫と2週間ほど前にお誘いをしていた。

梅雨に入り、1週間ほど前から天気予報をチェックしてきたのだが、これが目まぐるしく変わる。サイトによってもまちまちの予報だ。この時期の天気予報はよほど難しいらしい。
5日ほど前は曇りだったがその後はほぼ1日中雨の予報になり、前日は午前8時前後だけ雨という予報に変わった。それも大して降らないようで、とりあえず出港の時に降っていなければ大丈夫と出撃を決定した。雨は嫌いなのでそんな日はまず釣りには行かないのだが、船を出す時間に降っていなければ大丈夫。出てしまえばなんとかなるものなのだ。

予定より5分ほど早く出港。



今日も目指すは釣り公園前だ。道中、紀ノ川沖から水軒沖にかけてちらほら船が見えているが住金沖には3艘ほど浮かんでいるだけだ。



情報では釣り船はかなり広範囲に散らばっているということであったがその通りらしい。
以前よりも釣れる魚の数は相当減っているらしく、ガリンペイロたちは鉱脈を掘りつくして新たな鉱脈を探し回っているということだろうか。
この時間帯はまだ潮が動いているはずなのでとりあえずここからスタートして、アタリがなければほかの船が浮かんでいるところまで移動しましょうかということで準備にとりかかった。
会長さんは帝国軍の傭兵でもあるので準備は手早い。僕がテンビンに仕掛けをくくり付けている間にすでに2本の竿を出し終えている。



さて、釣れるだろうか。前日に出た人たちの釣果はかなり厳しかったようだ。おまけに潮の色が悪い。梅雨に入って紀ノ川の濁りが入っているのもあるだろうし、水温が上がってきたか、赤潮も混ざっている。
そういう状況なので、なんとか最初に1匹釣り上げてもらわねばといきなり焦りが出る。
潮は流れていると思っていたが、ほとんど動いていない。周りに船もいないのでここで粘るのは得策ではないと考えすぐに移動を決断。紀ノ川河口の真沖まで移動。



ここも潮の色が悪い。少しでも色のよいところを探して釣りを再開。

そして、最初のアタリは僕の方に出た。小さいながら本命だ。最初は客人に釣ってもらいたいところだが運命には逆らえない。まあ、魚がいることを証明できたのでホッとはしていた。
あとは会長さんに頑張ってもらうだけだ。
その後間を置かずに会長さんにもアタリ。本命らしい。しかし、仕掛けをたぐり寄せ魚の姿をみたところであえなくバラしてしまった。
この魚は大概が鉤を飲み込んで上がってくるものだが、今日は食いが悪いのかその後も唇に掛かっているということが多々あった。

その後もアタリはポツポツあるのだが集中してはこない。ここを流してみてどちらかに1匹、別のところを流してみてどちらかに1匹、そんな感じだ。
雨は降ったり止んだり。幸い風はないのであきらめずに釣りを続ける。
そろそろ終了時刻が近づいていたので最後のひと流しということで思い切って誰もいない少し浅い海域に移動した。



もちろん根拠がなかったわけではなく、前日のSNSの投稿で、「いつものポイントの南、意外と浅いところでも釣れる。」というコメントがあり、それが気になっていた。
“トオクデツレール”と“フカイトコロハツレール”というのは釣りの世界の2大迷信なのであるが、きっとそんなことはない。事実、こんな高級魚がこんな近くで釣れるのだから。

そして、その勘はけっこう当たったりしていた。
もう、完全な水軒沖、新々波止の赤灯台から少し南の沖辺りで僕の置き竿にアタリがあった。釣った魚を締めていると放ったままにしておいた手持ちの竿にもアタリ。
きっとここにはコロニーがあるに違いないと思い、再び元の場所に戻ると今度は会長さんにもアタリ。規模は小さいがこの辺りにはやはりコロニーがあるらしい。

しかし、この時点で午前10時半。病院に行く段取りの予定よりも30分オーバーしているし、気がつけば南からの風も強まってきた。会長さんも有終の美を飾ってくれたことだし、ここで終了とした。
結局、僕は7匹、会長さんは6匹。



ふたりで5匹釣れれば御の字と思っていたので、それに比べればかなりの釣果にはなったし、帰りには雨も本降りになってきた。ちょうどよい時間に上がったというところだろう。



しかし、前回は3時間余りで11匹、今回は5時間を要してこの釣果だ。かなり効率は悪くなっている。はやくも鉱脈は枯渇してしまったというところだろうか・・。


持ち帰った魚はいつものムニエルにせずに、甘鯛めしと松笠揚げというのにしてもらった。一所懸命骨切したハモは天ぷらだ。

 

甘鯛めしは鯛めしに比べるとさっぱりした味で上品だ。松笠揚げは料理番組で見るようにウロコが立たない。これにはけっこうプロの腕前が必要なようだ。しかし、ふわっとした身の食感とパリッとしたウロコの食感のコントラストは絶妙だ。

やはりこの魚は美味しい。
僕は鉱脈が枯渇しても川底を漁って砂金を採る落ちぶれたガリンペイロのようになってもアマダイを狙い続けるのかもしれない・・。

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「火の賜物―ヒトは料理で進化した」読了

2022年06月20日 | 2022読書
リチャード・ランガム/著 依田卓巳/訳 「火の賜物―ヒトは料理で進化した」読了

この本は人類の進化について書かれているのだが、ダーウィンの自然淘汰説から導かれる進化の理由というのは、環境の変化に対応できた種だけが生き残ることができるというものだけれども、原人がヒトに進化したのはヒトが「料理」を覚えたからであるというのがこの本の趣旨である。
ヒトの直系の祖先はホモ・エレクトスと言われているが、それまでの猿人、アウストラロピテクスやホモ・ハビリスとの違いをあげてゆくとこんな感じだ。
小さな顎、短い腸、大きい体、大きい脳。そんな感じだ。脳の大きさというのが最大の違いだが、その要因になったのが「肉食」だという。この頃から我々の祖先は肉を食べ始めたという。
それまでは樹上生活をしながら、消化しにくい植物を食べていたので、植物をすりつぶすための大きな顎と消化のために長い腸が必要であったという。
肉というのは、カロリーが高く、タンパク質も豊富だ。それを食べることによって、体が大きくなり、肉を手に入れるために協力し合い、それが知能を発達させてきたというのである。
そして、植物を食べるよりも消化が早いから腸が短くなる。
僕の家の食卓にはあまり肉が上らない。特に牛肉は皆無といっていい。だから体力と知力がないのだとこの本の冒頭ですでに納得してしまったのである。

それまでがホモ・エレクトスの進化なのだが、さらにホモ・サピエンスに進化するための原動力になったのが「料理」だったというのである。
人類(の祖先も含めて)火を使ったという証拠が残っているのは約79万年前だというが、それ以前の地層からも焚き火のような跡がみつかることもあるので、不確かだがもっと古い時代から人類は火を使っていた可能性がある。それがホモ・エレクトスの時代なのである。

肉も植物もだが、そのまま食べるよりも組織を破壊するともっと消化吸収がよくなる。それは石器を使って食材を叩くという作業なのであるが、そういった作業の途中、肉を叩き損ねて石と石がぶつかったときに火花が散る。それが焚き火の最初であったかもしれないというのには興味と共感を得る。初期の、焚き火の痕跡と間違いなく考えられる場所にはたくさんの火打ち石の化石(石も埋もれていると化石というのだろうか・・)が残っているそうだ。
僕も最近、火打ち金と火打ち石を使って火を熾すことを覚えたが、彼らもきっと、火を熾すということの楽しさを知ってしまったということなのであろう。

火を使い、食材を加熱=料理するとどんな効果を得られるか。そしてそれがヒトの進化にどんな影響を及ぼしたか。
その端緒は消化吸収がさらによくなったということである。それに伴いホモ・エレクトスはもっと腸が短くなってきた。加えて、消化に要するエネルギー量も少なくなった。現在のヒトの基礎代謝と同体重の動物の基礎代謝にはそれほどの違いはないと考えられている。消化に要するエネルギーが減った分、それがどこに回ったかというと、脳に回すことができたという。ヒトの脳の重量は体重の2%しかないけれども、基礎代謝の20%は脳が使っているというほど脳はエネルギーを使う。使えるエネルギー量が増えたことで脳は大きくなってゆく。

また、消化に要する時間も節約できるようになった。それは獲物を探して行動する時間が増えたということである。植物を生で食べる動物が食事に費やす時間がいかに長いかということは極端な例かもしれないが、牛をみればわかる。しかし、そこには料理を作ってくれる人の存在が必要になるということでもあった。いくら料理をすることで消化する時間が節約できても料理をするには手間がかかる。そして、ホモ・エレクトスに比べて体躯が大きくなったヒトはそれなりにエネルギーを必要とする体になってしまっていた。一日中獲物を探し、ねぐらに帰ったときにすぐに料理を食べて翌日に備えるということが一番効率のよい生活だったのである。

そこで分業というものが生まれる。体力的に非力な女性たちは料理をしたり、集落の周りで食料になる植物を採ったりするようになった。この植物たちも確実に獲物を獲れるとは限らない環境では貴重な食材にはなったのである。
こういった、性別による分業、男女が異なるやり方で補完的に生活を送るという行為が結婚へとつながる。動物というのは常に奪い合うものである。そこで、体が弱く奪われやすい食料を持った女性は誰かに守ってもらわないと安全に生活ができない。その安全を担保するために結婚という形態が生まれたというのである。もちろん、その頃にはすでに集団で生活をするという形態も出来上がっていたので集団で安全を担保するという方法もあったのだろうが、より安全を確保するためには特定の男女が結びつくほうがよかったのである。
結婚という形態は、男が自分の遺伝子を確実に残すためのものであるというふうに思っていたのだが、実は、そこにはエネルギー問題というものが絡んでいたという発想が面白い。
しかし、料理が男女の結びつきを促進したのであるが、女性にとっては男性の権威に対する弱さを飛躍的に増大させることにもなった。「淑女(レディ)」という言葉は、”パンをこねるもの”という意味から来ているし、「主人(ロード)」という言葉は、”パンをもつもの”という意味からきているという。
つまり、男性のほうがより大きな利益を得、女性に男性優位の文化が新たに押し付けられるという従属的な関係ももたらしたのである。料理は男性の文化的優位という新しい制度を作り出し、永続化した。筆者はこれを決して美しい図式ではないという。

そういうことをふまえて、もし、結婚がエネルギー問題から発生したと考えると、現代の結婚しない男女というものがその裏返しとして必然的なものであるということが浮かび上がってくるように思う。
安全な世の中になり、男に守ってもらう必要がなくなれば女性としてはわざわざ男性に料理を作ってまで守ってもらおうとはしないだろうし、男性も、外食できるところがあればそこで食べればひとり分の食費だけ稼げば済むのだからあくせくして働かずとも楽ができる。
お互いに楽になるのだからわざわざ共同生活をする必要はないということだろう。自分の生活を考えると、奥さんに対して僕の権威を増大させているということなど全くなく、むしろその逆じゃないかと思っているが世間一般ではそうでもないらしいが、こんな理屈を考えていると、田辺市に住んでいた日本で最高齢助産師という人が語った言葉にも納得がいく。


日本政府は人口減少対策にいろいろなことをしてお金も使うことを考えているようだが、こういった進化論的な観点、すなわち、国民も生物であるというところから考えてゆかないとまったく何の効果も発揮しないのではないかと思う。
以前にも書いてみたことがあるが、やはり、コンビニが国内に2万店もあるということを何とかしなければならないのじゃないだろうか。
まずは離婚をした男女と結婚しない男女のコンビニ利用頻度と既婚者のコンビニ利用頻度の比較をしてから政策を立案しなければならないはずである。
少なくとも僕は完全に奥さんの料理に支配されているというのは間違いがない・・。

もちろん、こういった共同生活の解消ということもヒトの進化のひとつであるとするならばそれは仕方がない。地球に生物が生まれて40億年だそうだが、いまだかつて絶滅を経験していない生物はいないという。ヒトも生物ならいつかどこかの時点で絶滅する運命であるのならこれからがその始まりかもしれない。

しかし、男女の関係は料理が決めたというのもひとつの仮説にすぎないのも確かである。だって真実は過去にしかなく、それを確かめることは永遠に不可能だからだ。この説も確かにすごく説得力があるけれども、例えば、ヒトの体に毛がない理由はどういうふうに考えられているかということについても様々な説がある。
この本では、火を使えるようになったので体毛を頼りに暖を取らなくても済むようになったからだと書かれているが、以前に読んだ説では、獲物を狩るために長距離を移動する必要が汗を効率よく発散させる薄い体毛を生んだと書かれていた。この前見たテレビでは、集団生活するようになり、シラミやダニに悩まされそれを防ぐために体毛がなくなったと言っていた。
こうやってひとつのことに対して様々な考えがあるのが考古学であるのだからひょっとしたらこの料理説も実は事実と異なっているのかもしれない。と、いうよりも全ての説が複合的に組み合わさって今のヒトの姿があるというのが正しいのかもしれない。
そうすると、ヒトの絶滅の運命というのも違った方向に行くのかもしれないとも思うのだ。



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水軒沖釣行

2022年06月17日 | 2022釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 7:23満潮
釣果:サバ10匹 マルアジ、マアジ計9匹

今日はアマダイをひと休みして、チョクリ釣りに出てみた。ひとつはあの、禁断の魚は狙って釣れるものかということを試してみたいのと、もう一度サバの燻製を作ってやろうと考えたからだ。燻製器を改良したのでそれがうまく機能するかどうかを試してみたいと思っているのだ。

来週の火曜日、21日は夏至だそうだ。今日も曇り空だが夜が明けてくるのは早い。午前4時21分ですでにかなり明るくなっている。



早く出港するのはいつものことだが、今日もまずは禁断の仕掛けを試してみたいからだ。
前回は流し始めた直後にアタリがあったので今回も期待したのだが、そんなに世の中は甘くはなかった。水軒一文字の前を1往復だけして沖へ向かう。

水深50メートルくらいのところまでは魚の反応を追いかけてみようと考えてはいたけれども、結局反応は得られず。
仕方がないので適当なところで潮目を見つけて仕掛けを降ろしてみた。

まあ、こんな感じだからアタリはない。どの釣りでもそうだが、最初にアタリがないと不安になる。とくにこの釣りは短時間でいかにたくさんの魚を釣るかというところに主眼が置かれるのであるからなおさらだ。

アタリがないのでとりあえず移動をしてみることにした。船は南の方に流されているので少し北上してみる。
こうやってさまよい始めるとこの釣りは先が見えているのだが、もっと悪いことに、前から行き違いで船がやってきた。



仕掛けはまだ下していないようだがおそらくチョクリ釣りの船だろう。魚探の反応を見ても魚がいないので動き回っているに違いない。
そんな方向に船を進めても仕方がないと思いそこで停船。

釣れても釣れなくてもここが最後の場所とした。
しばらくしてやっとアタリ。ちょっと大きめのアジであった。これで「なめろう」を作ることはできる。最低限のおかずは確保できたが、こんなにアタリがないのでは面白くない。その後も、少し魚探に反応があったと思ったらアジが1匹という感じで時間だけが過ぎてゆく。
そして、ちょっとだけ大きな群れがやってきたか、濃い赤の部分が見えたかと思った直後に大きなアタリ。それも水平に走ってゆく。おお!これはひょっとして禁断の魚か!と船の前に置いているタモを取りに行き戦闘態勢に入る。といっても、あのときの魚に比べるほどの引きではない。しかし、海面まで現れた魚をみてみるとかなり大きい。ちょっと色が異なるが禁断の魚かと思ったけれども大型のサバであった。それも2匹ついている。よく引くわけだ。
サイズは軽く50センチは超えていそうだ。普通にスーパーに売っているノルウェー産塩サバ特大1匹780円という感じのものである。
これで叔父さんの家に持っていく分も確保できたので午前6時半に終わることにした。

運が良ければアタリがあるだろうと仕掛けを降ろしたまま魚を締め始めると本当にアタリが出た。それも一度に6匹ほどの魚が掛かっていた。同時に後ろの竿にも掛かっていて一気に10匹近くの魚を追加することができた。一発逆転というのがこの釣りでもある。

さらに仕掛けを降ろしたまま魚を締めていると、後ろの竿にまたアタリがあった。
結局、終わってみると全部で19匹。良くはないが、悪くもないという釣果で終わった。
大きな2匹のサバが救いだ。

今日の目的であった、禁断の魚はやはり狙って釣れるものでもないということがわかり、釣れたサバはすべて、燻製にするにはちょっと大きすぎだ。また、全部マルアジだと思っていたアジの中に、マアジが混ざっていたようだ。家に持って帰ったアジは全部で3匹だけであったのだが、うち1匹はお腹のなかにたくさんの脂を蓄えていた。
マルアジとゴマサバはこの時期、産卵の季節らしく卵巣と精巣が大きくなっているのだが、マアジはそういう時期ではないようで、加太でも今はお腹の中にたっぷりと脂を蓄えた鬼アジが釣れる。このマアジも同じものなのだろうと思う。だから、加太で釣れるとこれは鬼アジになるのだ。
その他2匹は卵をもっていたのでおそらくマルアジなのだろうけれども、それにしては体高がある。マアジとマルアジの見分け方というのは、体高があることと胸鰭の長さの違いなのだが、この2匹はマルアジにしては体高が高く、マアジにしては胸鰭が短い。こういった魚にはハイブリッドがあったりするのだろうか・・。よくわからない・・。

もって帰ったサバは全部塩サバにして、1匹は焼きサバーガー(焼きサバのハンバーガーのこと。)にしてもらった。



いつもはフランスパンを使うのだが、今日はベーグルでやってもらっただけのことだが、これは裏切られない味だ。
アジの方はこれも定番のアジフライにしてもらったのだが、はやり裏切られない味だ。

こんなアジを釣ってしまうと、本格的に加太にオニアジを釣りに行きたくなってくる。
燃料代が高騰しているので加太ばかりには行ってられないのだが・・。

                                                                     
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船底塗装

2022年06月13日 | Weblog
そろそろ梅雨入りが近い。おそらく明日には近畿地方も梅雨入りかというのでやり残してしまっていることを集中的にやらねばならない羽目に陥ってしまった。

今日の最大のミッションは小船の船底塗装だ。
手動のウインチを使うようになってからは大潮の直前の中潮くらいの日に作業をすると潮位的にいちばんよいというのが経験的に少しずつわかってきたのだが、今日は大潮の真っ只中だ。急いで作業を終えなければ潮が引きすぎて船を進水できない。大きい障害物として上架用の船台が乗っていたレールの残骸が残っているのだ。昔はここにも船を上架するための設備が整っていたのだ。

だから今日は家を午前5時半に出て港に向かった。満潮時刻は午前4時28分。ほぼ満潮時刻に港に到着したので、案の定スロープはほぼ海面下に沈んでいる。それでも船体の半分は引き上げられるであろうと思い準備にとりかかる。
この季節の特徴なのだろうか、今日のタイドグラフを見てみると、お昼前の干満差がかなり大きい。



確かにそのとおりで、コロやブロックを運んだりウインチの固定をしている間でもちょっと大げさかもしれないが目に見えて潮が引いてゆくのがわかる。
今日は風もないのですべてを人力でやり通そうと係留場所からスロープまでの移動もオールを使ったのだが、その間にも潮は引き続け、船体を引き揚げるころには艫がわずかに水没するくらいにまでになっていた。



完全に露出するまではコロの上に乗せたままフジツボを掻き落とすのだが、今年は一体どうなっているのだろうかと思うほど船底には何も付着していない。側面にわずかにフジツボの子供が付着している程度だ。



この船には「水和分解型」という塗料を使っている。成分で貝類や海藻を寄せ付けないのではなく、付着したそれらを塗料自らが剥離してゆくことによって落としてゆくというものだが、剥離しているような部分は見当たらず、見た目ではその塗面はきれいなままだ。なにもせずに海に戻してもいいのではないかと思うほどである。大きい方の船もそうであったが、船底を見ている限りでは今年はまったくの「沈黙の春」なのだ。
貝を掻き落とす手間ははぶけるのだが、結局は残った塗料を少しでも剥がさねば抵抗になる。これが、貝がいっぱい付いていると貝と一緒に個体として剥がれていってくれるのだが、塗料だけだとドロドロしたものになる。これはこのタイプの塗料の特徴なので仕方がないが、体が汚れそうで気持ちが悪い。
潮が引いてきたので船をコンクリートブロックの上に乗せる作業もしながら約1時間で掻き落とす作業が終わったのだが、この時間では太陽が出ていないのと意外と気温が低ことで、なかなか船底が乾かない。どんどん潮が引いていくので焦りはあるが仕方がない。その間に何度もトライをしている生け簀の水漏れ補修にとりかかる。しかし、今回も失敗したようだ。進水と同時に水が漏れてきた。これは諦めるしかないのだろうか・・。

まだ生乾きの部分はあるけれども急がねばと思い塗装を開始。20分ほどでこれも終わり、午前8時半にはすべての作業を終えてしまった。
あとは塗料が乾くのを待つために時間潰しに円卓会議に出席。午前9時半ごろに港に戻りコロの上に乗せる作業。
しかし、この時点で例のレールは完全に露出してしまっていてそのまま船を降ろしてゆくと完全にこれにぶち当たる。これは困った。潮が満ちてくるのを待つと夕方になってしまう。



3000年前のエジプト人も直線方向だけで石を運んでいたわけではあるまい。いくらかは方向を変えなければピラミッドを造ることはできなかっただろう。何か方法はあるはずだと無い知恵を絞りだしていると、ふと、コロの向きを変えてやると船も方向を変えるのではないかと思いついた。これでダメなら夕方まで待つのは仕方がないと早速トライをしてみた。



そうすると、何ということでしょう、船は平行移動しながらレールの軸線上から離れていくではありませんか!!
やったぞ、これは火事場の馬鹿力ならぬ、とっさのバカ知恵だ。
少しずつワイヤーを延ばし、デコボコの上に乗って止まってしまうところは手で押しながら約8メートルの距離をゆっくり移動させてゆく。水際のところはコンクリートがさらにボコボコになっているのでコロが通過するたびにジャッキで船体を持ち上げ位置を変える。
ワイヤーを延ばしきる直前になんとか船体の3分の1までを海に入れることができた。
あとは力任せに一気に進水させる。
この間約40分。時速に直すと約12メートル。スペースシャトルが発射台へ向かう速度の133分の1という遅い速度である。

進水してからはまたオールの力で係留場所まで移動して今日の最大のミッションは終了。



家に帰って最後に1本残った植木の剪定。これも雨の季節までに終わっておかないと庭が鬱蒼としてくる。もともと面倒だし、剪定をしたからといって何の益にもならない。ただ、元に戻るだけだ。最初に松を刈ってからふた月ほどかけてやっとすべてを終えた。



そして最後に物干し台の改造。これも母親から何とかしろというお達しを先延ばしにしていたが雨が降って来る前にやっておかないと真夏になってしまう。
人間というのは歳を取ってくると高いところに手が届かなくなってくるらしい。物干し台もそれに合わせて背を低くしろというのである。
これも、グラインダーの軸のボルトが緩まなくてカップワイヤーからカッターへの換装に難儀したのだが、ふと、そのヘッドの反対側を見ると、小さなポッチが付いていて、それを押すと軸がロックされてカップワイヤーが簡単に外れた。もう、20年近く使っているが、こんな機能が付属されていたというのを始めて知ったのであった。いままではプライヤーをねじ込んで何度も失敗をしながらヘッドを交換していたのだが、あの苦労は一体何だったのかと思えてしまう。

無知というものは悲しく、バカ知恵というのは頼りになるというのが今日の教訓であった。

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「アニメと戦争」読了

2022年06月12日 | 2022読書
藤津良太 「アニメと戦争」読了

アニメに限らないことだが、アクション映画を観ていても次々に人が死んでいく場面がいくらでも出てくる。僕は心優しい善人でもなんでもないが、ここで死んでいく人たちの人生というのは一体何だったのだろうといつも思ってしまうのだ。主役を殺すために戦いにいくのはきっとそれがこの人の仕事だからなのだろけれども、ずっとそれをしているわけではなく、たまの休日にはひょっとして魚を釣りに行くこともあるだろうし、実は相当な釣りバカであったりするのかもしれない。主役に頭を打ちぬかれたばかりにそれが突然途切れてしまうというのはあまりにも不条理ではないかと思うのである。
同時に、戦争に参加する兵士というのは上官に絶対服従で、あそこに行けばきっと撃たれるとわかっていても命令ならば行かねばならない。それを拒否すると犯罪に問われ悪くしなくても死刑になる。そういうことに唯々諾々と従える人の心理とは一体どういうものなのだろうかとまったく会社に対して忠誠心を持てない自分はいつも疑問に思っていた。

ひょっとしたら、そういう疑問がアニメを通して解けるのではないかとこんな本を借りてみた。
それと、つい最近だが、リメイクされた「宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち2202」というアニメを観ていたのだが、この物語では、最強兵器である波動砲を撃たない主人公たちとそれを嘲るように容赦なく攻撃を加える敵、そして結局それを使ってしまう主人公たちの姿を観ながら、ああ、これは核兵器を持ちながら絶対に使えない核保有国を揶揄しているのだろうなと思いながら、こんな表現をして大丈夫なのかとアニメの奥深さを実感したというのもこの本を借りてみた理由である。

著者は、戦争を題材にしたアニメの分類を、時間軸、シチュエーション軸のふたつに分けて分類している。
時間軸では、「状況」の時代、「体験」の時代、「証言」の時代、「記憶」の時代の四つの区分としている。これは戦争がどのように語られたかということに従った分け方なのであるが、制作に携わった人たちがどの年代を生きてきたかということに大きく関わっている。
状況の時代はまさに戦争が「状況」として語られた時代だ。「体験」の時代とは、戦争体験を持った世代が、同じような体験をした世代に語り掛けていく時代。「証言」の時代は、体験者が体験を共有していない世代に語りかけていくもの。「記憶」の時代とは、様々な戦争の語りを統合することで、「集合的な記憶」を社会の中に形成してゆくことである。
シチュエーション軸では、歴史的―非歴史的、みんな―個人というグリッドでアニメを分類している。
時間軸では「状況」の時代というのは戦前のプロパガンダのために作られたアニメということなので僕の世代とはかけ離れてしまっているが、「体験」「証言」の時代というのはまさにリアルタイムでテレビにかじりついていた頃だ。
「体験」の時代とは制作側の人たちが戦争を体験した世代の人たちだ。この本では「少国民世代」と書かれているが、『敗戦直後の「将来への希望の喜びと過去への悔恨、つまり、解放感と自責感がわかちがたくブレンドしてながれていた」世代の人たちである。その中で、とくにアニメ制作の世界で活躍した人たちは1930年代に生まれた人たちであるという。
「ゲゲゲの鬼太郎」「サイボーグ009」「宇宙戦艦ヤマト」などがこれにあたる。もちろん、すべては空想の世界が舞台なのではあるが、いたるところに太平洋戦争の影が見えるという。特に、「ゲゲゲの鬼太郎」は何度もアニメ化されているので同じ原作を扱ったエピソードを追いかけてゆくと時代の変化が見て取れるという。「妖花」というタイトルのエピソードでは、最初は生まれてすぐに出生していった父が戦地で白骨になるという設定であったが、現時点で最後にアニメ化されたものは戦地へ行ったのは祖父となり、主人公たちは戦争というものについて解説を受けるという設定に変わっている。それだけ戦争というものの実感が薄れていっているということが如実にわかるという好例である。
また、「宇宙戦艦ヤマト」では原作の西崎義展は、『アジア・太平洋戦争に至る背景には西洋文明崇拝があり、皇国史観やアメリカ的物質文明崇拝も、こういった趨勢のなかで、とくに強く表れた風潮だった。私たちは今、世界を見た目で、西洋文明だけが人間を幸せにする道なのだという、日本の現代を形成した選択には誤りがあったと批判しなければならない。逆に、日本人の勤勉さや、緻密さ、複雑さに、民族としての長所を認め、世界全体がもっと幸せになれるように指導性を発揮してほしいと要望されている。』というようなことを言っている。このアニメは、一方では戦争賛美だという批判もあるそうだが、確かにナショナリズム的な考えが根底にあるというのはよくわかるし、クルーがすべて日本人であったというのもそういった理由からではなかったかとも思えてくる。アニメの監督・設定デザインをしたのは松本零士だったが、この人は同じ少国民世代ではあったけれどももっとロマンのある、戦争色のない宇宙大航海物語にしたかったというので相当な対立があったという。
艦首には菊の御紋が絶対に必要であるという西崎に対して、それを嫌った松本は、波動砲の砲門のライフルマークを目立たせ、これで正面から見ると菊の御紋に見えるだろうとしたというのは嘘っぽくもあり本当っぽくもある。また、地球から発進するときに流れていた音楽は当初は軍艦マーチであったそうだ。このエピソードを読んでみても、「解放感と自責感」のせめぎ合いというものが見て取れるような気がする。「宇宙戦艦ヤマト」もリメイクされたけれども、おそらくこの考えは変わることなく根底にあったのではないかと「・・・2202」のストーリーを思い出していた。

時代が進み、1980年台のアニメの代表は「機動戦士ガンダム」だ。この時代になると、戦争を絵空事を通してしか考えることができない時代になってきたという。そして、戦争自体も個人の視点からそれを見るという世界観に変わっていく。ぼくはそこまでと思わないが、戦争は良心の傷まない「ごっこ」に変わっていったという。
「宇宙世紀」という時代設定はもちろん非歴史的であるし、ストーリーも戦争の是非というよりも主人公のアムロ・レイの成長譚ともいえなくもないのでやはり戦争が絵空事、もしくは後方に下がってしまっているのかもしれない。こういうのは、そもそもそういったプロットで企画されたという側面もあるのだろうが・・。一方ではロボットが登場するとはいえ、戦車や戦闘機が登場するというのは戦争の「体験」や「記憶」を引きずっているといえるのかもしれない。
原作の富野由悠季は1941年生まれということなので、戦後は知っていても戦争は体験していないし、キャラクターデザインの安彦良和は1947年生まれということだから戦後の混乱も知らないということになる。しかし、この人は、学生運動の筋金入りの活動家だったそうだからパーソナルな部分での反戦というところでは相当な持論を持っていたのかもしれない。

1980年代になるとさらに戦争は忘れ去られてゆき、戦争や戦闘というものがサブカルチャー化し、単なるコンテンツとして消費されるだけとなってくる。その象徴が「超時空要塞マクロス」だ。アイドルが最前線で歌を歌い、それが戦況を決定づけてしまうというのだから荒唐無稽すぎると言えば荒唐無稽なのである。

結局、この本はそれぞれの時代のアニメが本当にあった戦争からどれくらいの距離感で描かれたかということが分析されているものであって、最初に掲げた僕の疑問というものに答えてくれるものではなかった。
しかし、いろいろなメディアで簡単に再放送などを見ることができるようになった今、こういうことを前提にして見直すというのもまた視点が変わって面白いのかもしれないと思うのである。

この本の分類でいうと、「体験」の時代以降、日本人は本当の戦争を体験してはいない。戦争は文学や動画を通してしか知ることができない。そして、それらはすべて生き残った人たちが語ったものであり、アニメも主人公は絶対に玉に当たらないし死ぬことはない。
そういったコンテンツばかりを見てきた僕を含めた人たちはウクライナのどう見るのだろうか。リアルな戦争でも画面を通して見てしまうとそれはアニメと変わらない印象がある。どれだけ爆発が起きても自分は死の恐怖に怯えることはないし当然死なない。

日本でもこういった情勢を受けて軍備の強化が取り沙汰されてはいるが、いざ、本当に有事という状態になったとき、僕たちは戦えるのだろうか。人間には基本的に自分だけは安全だという「正常性バイアス」というものがある。それが、絶対に死なない主人公ばかりを見ていると、自分は絶対に死なないという絶対的な先入観しか残らないのではないだろうか。そんななかでもし戦場に放り込まれたとして、気が狂わずに戦い続けられるのだろうか・・。ひょっとしてこの国は全員が戦争に耐えられない民族になっているのではないだろうか・・。一方では、防衛費を増やすべきだと8割弱の人が思っているという世論調査の結果があるそうだ。僕も中国やロシアの脅威を思うと同じように思うけれども、自分が戦場に出なければならないという想定はそこにはない。

危機感がないと言われればそれまでだが、どうしようもない。ただ言えることは、いざ、どこかの国に攻め込まれたとしたらウクライナみたいに100日も持たずに占領されてしまうだろうなということだけである・・。

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北港釣り公園前釣行と燻製作り

2022年06月10日 | 2022釣り
場所:北港釣り公園前
条件:中潮 8:28干潮
釣果:アマダイ 11匹

アマダイブームはまだ続いている。
今日もアマダイ狙いだ。なぜこの魚が湧いて出てきたかというのは未だ持ってわからない。この場所に昔からいたのか、それとも海況の変化でどこかから移動してきたのか・・。
当初、紀北方面では湯浅湾で釣れているというのが発端だったが、誰が火をつけたかこの場所が脚光を浴び始めた。そんな噂が出始めてまだひと月も経っていないのではないだろうか。少なくとも、僕がこういうことを耳にしたのはそれくらい最近のことだ。昔から密かに誰かがこの魚を釣り続けていたのだろうか・・。すべては謎だ。しかし、釣れるのは事実だ。
ターゲットが高級魚であるということ、そして何よりインターネットの情報力が災いしたか、今日は平日にも関わらずおそらく20艘はこの海域に集まっていた。



このアマダイであるが、生態を調べてみると、まったく回遊魚ではない。海底に相当大きな穴を掘ってその周辺を縄張りにして生活をしているそうだ。
こんなでかい穴を掘って住んでいるのならそうそう別の場所に回遊していこうなどとは思わないだろう。



大体直径200メートルくらいの範囲で集団で棲息しているとのこと。確かに今日はそうだと納得する場面もあった。
産卵期は別のところに移動するらしいが、卵巣も精巣も見当たらないので今はその時期ではなさそうだ。だからここは普段の住処であるといえる。
そんな魚がにわかにこの海域で目立ち始めたというのはまったく謎だ。
とにかく、回遊魚ではないのだから釣りきられてしまうともぬけの殻になってあとからは入ってこないのかもしれないから釣るのは今しかない。
この船の集団とアマダイの習性を総合すると、今はまさにゴールドラッシュということになる。金鉱が掘りつくされる前に釣らねば・・。やはり乗り遅れてはいけないのだ。

今日はアマダイのほかにもうひとつの高級魚、禁断の魚も狙ってみようと朝は午前4時に出港。



以前、このアマダイポイントのもう少し沖辺りで釣ったことがあったので夢をもう一度というところだ。もちろん、禁断の魚なので釣っても放流ということになるのだが、まあ・・・。
しかし、禁断の魚のほうはまったくアタリなし。これでは水軒沖でハマチを狙った方がよかったのかもしれないと思っても引き返すことはできない。

仕掛けを回収し、この辺りの水深をみてみると32メートル。ひょっとしてこの辺りにもアマダイがいるかもしれないと思い、仕掛けの準備をする。
仕掛けを下してスパンカーの準備をしていると放っておいた竿にアタリが出ている。これは幸先がよいと思ったがハリスがすっぱり切られていた。これは間違いなくフグの仕業だ。去年も加太ではサバフグが猛威を振るっていたがこの海域はほぼ加太と言ってもいいところだから、今年もこれの集団がやってくるのだろうか・・。

この場所にはすぐに見切りをつけて本来のポイントへ。



ここを通過した位時間帯には船が1艘だけ(それは無灯火だったが危険なことだ。)だったがすでに4、5艘にふえていた。そしてあれよあれよという間に先に書いたとおり、20艘以上の船がこの海域にあふれてきた。

前回調子がよかった住金一文字の南からスタートしたのだが、アタリはすぐにあった。今日も調子がよさそうだと思ったがあとが続かない。しかし、30分ほど過ぎた時くらいだろうか、それからは怒涛のアタリラッシュだ。今日は大きい船に乗ってきているので舳先に置き竿もセットしているのだが、この竿にもかなりアタリがあった。おそらく半分はこの竿に来たのではないだろうか。2本バリに一荷で掛かることがあったり、置き竿に掛かった魚を回収している間に手持ちの竿にアタリがあったこともあった。



これを考えると、縄張りを持っているとはいえ、狭い範囲に集団でいるというのは確かなようだ。そこにうまい具合に入ると数を稼げるというのがこの釣りのキモなのかもしれない。
アタリがあった場所ではすぐに引き返してまた仕掛けを下すと再びアタリがあるのかもしれないが、僕の操船技術ではそれは難しいので結局は運を天にまかせるしかないのである。

午前7時半を回った頃くらいだろうか、潮が動かなくなってきた。この海域の特徴だろうか、潮が緩んでくると流れが渦のように巻いてくるようだ。船がクルクル回る。この場所に魚探のついた船にのってきたのは初めてだったが、この海域は周りの海域に比べて2メートル程度の深さの窪みになっているようだ。防波堤の位置や紀ノ川の流れの影響で渦を巻いた潮が海底も掘り下げているのかもしれない。そこに魚が集まっているというのがこのポイントなのかもしれないと推理してみた。

少しでも潮の動くところを探そうと、紀ノ川河口の続きに移動してみたがここも潮の動きがない。しかし、調子のいい時は釣れるものだ。ここで2匹を追加。とうとう二けたを超えてしまった。
今日のエサは前回の小エビに加えてアオイソメも持ってきていた。前半はどちらがよく釣れるという差は感じられなかったが、魚の数が増えるにしたがって、アオイソメが優勢になってきた。最後の方はほぼアオイソメだけを頼りに釣りを続けたのだが、午前8時ごろとうとうエサが尽きてしまった。
まあ、これだけ釣れれば十分だし、こんなに船が増えてくると新しいポイントも開拓しておかねばと新々波止の沖に移動してみた。ここは水深28メートル。釣り公園の前とそれほど変わらない深さだが、ここも潮が流れないからなのか、それとも小エビのエサが悪いのか、20分ほど試してみてまったくアタリがないので午前8時半終了とした。

家に帰って、午後からは燻製作り。
熱源を本格豆炭に変更してから着火に手間取るようになったので今回は着火用に木炭を使ってみた。これはこれでうまく着火してくれたのだが、相変わらず煙が出ない。熱源とチップのトレーの間が開きすぎているのかと思い、新たにトレーを作ってみたのだが、それでもダメだ。これは根本的に燻製箱の設計ミスかもしれないと思い始めている。



また、魚を釣ってから1週間。乾燥は3日間でよいので3日間ソミュール液に漬けるため塩分濃度を薄くしたのが災いした。出来上がった燻製は明らかに塩味が薄い。あとから思ったのだが、こんな時は逆に塩分濃度を濃くして保存性をよくして水出しをしたほうがよかったのかもしれない。
燻製を作り始めて9年目。慣れが出てきたというかなんというか、どの工程に対しても慢心が出てきたということだろうか・・。
どれにしても、火加減と塩加減というのはまことに難しいと感じたのが今回の燻製作りであった。



コメント (3)
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