イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

水軒沖釣行

2023年07月30日 | 2023釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 2:49満潮
釣果:ボウズ

今日はキス釣りに行こうと思っていたのだが、三日ほど前、叔母さんから電話があり、日曜日に今年最後の芋掘りに行くことになった。
釣りは魚の機嫌次第で獲物を手にすることができるかどうかが決まってしまうけれども、畑の作物は逃げない。僕の作物ではないが、確実に手にするという実感が持てる。
釣りをすることができる時間が30分足らずに超短縮されたので予定を変更して水軒一文字のすぐ前でジギングをしようと考えた。運がよければヤナギがアタってくれるかもしれない。

その前に今日もカブトムシを見に行く。
2年前、13年ぶりに紀美野町に向かったのが、今日、畑にやってくる叔父さんの甥(僕とは血縁関係はまったくない)の孫にクワガタムシを獲ってきてやるという大義名分が生まれたからである。クワガタがなくてもカブトムシでもよかろうと、今日は虫かごを携えて目的の木に向かった。
今日も居る居る。



お楽しみのところ申し訳ないがつがいでカゴの中に入ってもらい、他にも木がないかどうか辺りを見回してみると、少し奥にすごい木が立っていた。

  

いったい何匹止まっているのだろう。カブトムシだらけだ。これはすごい。大きいオスだけを選んで虫かごに入れて港に向かう。

出港時刻はなぜだか今日も午前4時23分。なにやら嫌な予感がする。
午前5時には釣り場を離脱しなければならないので本当に30分しかない。
まだ辺りは暗いのでトップウォータープラグから始めた。
それにしても今日の朝焼けはきれいだ。風がほとんどないので雲の形は崩れずにその色だけが刻々と変わってゆく。ブルーからオレンジへのグラデーションが美しい。

  

この雲の形と色はこの瞬間だけ。永遠に同じものを見ることができないものだ。AIでも再現ができまい。家に帰ってAIに夜明けの画像を生成してもらったけれどもやはり本物の景色のほうがすばらしい。



そして釣りのほうは、アタリはあった。3回。しかしすべてはエソであった。



しかし、ジギングで魚を釣るとなぜだかうれしい。本命の魚ではなかったので海に帰ってもらってポイントを後にした。

集合時間の午前5時半ちょうどに畑に到着。これから約1時間半。ひたすらサツマイモを拾い続ける。芋掘りと言っても掘るのは機械でそれを拾ってコンテナに入れてゆくのが僕たちの仕事だ。



サラリーマンとしての仕事はまったく味気ないものだが、こういう労働は直接的で働いている感があるので気持ちがいい。やっぱりやるなら農業か漁業だ。食べ物を作ったり捕まえたりする仕事というのが世界最強だとこういうことをしながら思うのである。

イモ洗いを手伝い終わって港に戻り燃料補給。帰り道、港の近くの向日葵は大きな花を咲かせていた。あと半月は暑い日が続くのだろう・・。

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水軒沖釣行

2023年07月29日 | 2023釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 9:24干潮
釣果:ボウズ

暑いし、燃料代が高騰している。



これでは加太まで行けない。そしてSNSではアマダイがたくさん揚がっている。これは再度アマダイ調査だと決めてしまった。
来週はさらにリッター3円の値上げになるそうだ。
そしてなんだかまったく根拠のない自信もそれを後押ししてしまった・・。

まずは梅雨が明けてから恒例になったカブトムシの調査だ。今日もたくさんのカブトムシが幹にへばりついている。



しかし、これを獲ったからといってもう、貰ってくれるところもないので観察するだけに留めておいた。誰にも邪魔をされなければ次の世代に命は引き継がれるだろう。と、思ってはいたが、この木にカブトムシがやってくるのを知っているのは僕だけではないらしく、先週はなかったトラップが仕掛けられていた。早晩、ここも不毛地帯になってしまうのかもしれない。



港に向かい出港の準備。時刻は午前4時40分。かなり明るくなっていた。



禁断の仕掛けはあきらめて沖の方へ向かう。少し南に向かい水深38メートル付近で仕掛けを下ろす。



釣れているとは聞いていたが他に船はまったくいない。しかし、まったく根拠のない自信はこの時点でも健在である。絶対に釣れると思い込んでいた。
いつものとおり2本の竿を出し、おまけに今日はタイラバの仕掛けも持ってきた。完全に弁慶の七つ道具だ。大体だが、こんな満艦飾の日は釣れないのだ。まったくアタリはない。午前8時には終了だと考えているので途中から一気に北上。去年よく釣れた場所だ。



しかしここでも全くアタリはない。
午前7時45分。これが最後だと思いアオイソメを付け替えて仕掛けを下ろすといきなりアタリが出た。根拠のない自信はやっぱり確かかと思ったが上がってきたのはマルアジだった。
干物にするにはちょうどよいと思ったが1匹だけでは意味がない。そして魚に絡まった仕掛けを外しているときに海に帰っていってしまった。
時折、魚探に映る反応はマルアジだったのかもしれない。チョクリの道具を持ってくればよかったと思ってもあとの祭りだ。

午前8時になったので今日は終了。
やっぱり根拠のない自信はまったく根拠がなかったのである・・。
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『続・釣りの名著50冊 古今東西の「水辺の哲学」を読み解く』読了

2023年07月24日 | 2023読書
世良康 『続・釣りの名著50冊 古今東西の「水辺の哲学」を読み解く』読了

「釣りの名著50冊」の続編である。前回同様、それぞれの本をぜひとも読んでみたいと思うほどそそる書き方だ。著者はフリーのライターだから雑誌などへの掲載が多くて著作を調べてみてもあまり出てこないが、なんだかもったいない気がした。
あらすじの紹介もそうだが、それぞれの著者にまつわるエピソードやその本が書かれた背景などものすごいデータ量である。どうやったらこんな情報を手に入れることができるのだろう。
気になったエピソードは最後の方にまとめておきたいと思う。

そんなデータの紹介も魅力だが、50冊の著者がどうして釣りに向かうことになったのか・・ベタな表現では、「釣り師は心に傷があるから釣りに行く。しかし、彼はそれを知らないでいる。となるのだろうが、人生にとん挫したとき、釣りに出会い、または釣りを思い出し、臥薪嘗胆、雌伏の時を過ごし新たな光を見出して成功へと導かれてゆく。
そのストーリーが魅力でもある。

著者はあえて、一部の作者を除いてそでに物故している人の著作を取り上げている。確かに、現代の釣りを取り巻く環境では人生の支えとして釣りを描くのは不可能かもしれないと僕は思っている。道具、テクニック、効率・・、今の釣りはとかくドライな感じがしてしまう。人生の入り込む余地はないように見えてしまうのである。
これは、僕自身も釣りの本というと古本屋で漁ったものばかり読んできたということもあるかもしれないが、図書館の書架でも文学と言えるような釣り本が見当たらないので当たらずとも遠からずなのだと思っている。
加えて、今の日本では雌伏の時から芽を出そうにも格差が固定されてしまっている。底辺に居る人は底辺から這い出るすべはなく、高級クルーザーを駆る人は生まれながらに高級クルーザーを駆るべくして生まれてきているのだ。貧乏でもなんとか船を持って釣りをすることができている僕などは圧倒的なマイノリティである。それでも人生のすべてを船の維持に捧げることでやっとボロ船を維持できているのだからまあ、そんなものである。

しかし、現代でもいろいろな悩みを抱えながら釣りに頼っているひとがいることも確かのようだ。この本を読み始める前、NHKの「ドキュメント72時間」の再放送で24時間使える釣り公園にやってくる人たちのインタビューが流れていた。途中から見たのだが、引きこもりの息子をもつ親は唯一の共通の話題が魚釣りだったという理由で息子と釣り糸を垂れる。フリーになったイラストレーターは昼夜逆転した生活とプレッシャーから発作的に釣り具を買ってここに来たという。
この人たちにとって釣りとは一体何だったのであろうか・・。次のステップへ進むためのよりどころとなったのであろうか・・。
僕は釣りに対して一度もそういうイメージを抱いたことはなかった。嫌なことがあってもそれを引きずるだけ引きずって擦り切れて落っこちてしまうまで放っておくしかなかった。
もし、魚釣りが不遇を耐え忍ぶための材料であると思えることが成功するための十分条件なのだとしたら、僕はそういった条件を持ち合わせていなかったことになる。
でも、そのことで釣りというものが僕の中で別の意味を持ってくれているとするならばそれはそれでうれしかったりするのではある。

収録されているなかでブログに書いた本を挙げてみると。
森秀人「荒野の釣師」
榛葉英治「釣魚礼賛」
開高健「私の釣魚大全」
の3冊があった。ヘミングウェイ「二つの心臓の大きな川」はブログを書き始める前に読んだことがあるので合計は4冊だ。

ほかに、著者の別の本を読んだことのある作家は
伊藤桂一 
山本素石 
盛川宏 
福田蘭堂 
井伏鱒二 
佐藤垢石 
矢口高雄は本人の書作ではないがライターが書いた本を読んだことがある。
ほとんどの本は三国ヶ丘の古本屋で買い求めたものである。あの古本屋にはなぜか釣り本がよく並んでいた。いまでも営業してくれていればもっとたくさんの釣り本を手にすることができたと思うと残念だ。

注目の内容は、ポール・クイネットという臨床心理学者が書いた「パブロフの鱒」という本に書かれている、「フィッシャーマンとは正直者に生まれつき、それを克服した人々だ」という言葉だ。
これは、裏を返せば「フィッシャーマンは生まれついての嘘つきだ」ということになる。
著者はその理由は、「彼が自分自身に嘘をついているからだ」だそうだ。
「他人には釣れなくても、今日の俺様には必ず釣れる!」「秘蔵ポイントを知っている」「朝はダメでも夕方には釣れる。それでもダメなら明日がある。」と言い聞かせて釣りに行くというのである。
納得だ。


師と福田蘭堂とのかかわりは「フィッシュ・オン」にコ〇ドームの疑似餌についてのくだりがかかれているとあったので早速調べてみると本当に書かれていた。読んだことのある本だが、そんな記憶はどこかへ飛んでしまっていた。
もう一度読み返してみたいとは思うが、図書館で探せば見つかるかもしれないがやはり古さは否めない。それに、たくさんの本を読む方ではないので、これから先、何冊の本を読めるのかはわからないが、もうちょっと新しい本を読んでいきたいと思うのでなかなかそこまでたどり着けそうにもないのである。
そこが残念でもあるのである・・。

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加太沖釣行

2023年07月23日 | 2023釣り

場所:加太沖
条件:中潮 3:19干潮 9:06満潮
潮流:4:35下り1.9ノット最強 7:41転流
釣果:マアジ 1匹

今日は4年ぶりの花火の日だ。これは見に行かねばと思うが、翌日また朝早く起きねばと思うと躊躇してしまう。それを打開するには月曜日を休みにするしかない。そうなると気持ちに余裕ができてくるので今日も釣りに行けるのである。(まあ、そうでなくても、天気がよければ結局行ってしまうのだろうが・・)

昨日は小船での釣りだったので今日は大きいほうでアジ狙いだ。先週釣ったアジはすごく美味しかった。夏はアジが美味しい。
出港時刻は偶然というかなんというかまったく同じ午前4時23分だ。これは吉兆なのかそれとも不吉の前兆か・・。



とりあえずは水軒一文字の前で禁断の仕掛けを流してみる。ここでサゴシが釣れてくれればすぐに終了できるのだが、そんなの世の中甘くはない。しかし、そこ数年はこの時期、必ずここでサゴシが釣れたものだが、今年はどうしたことだろう。何かがおかしいのかもしれない。
ここで獲物がなかったのでそのまま加太へ向かう。ポイントはいつもの四国ポイントだ。
今日も船が出ていることは出ているが、まったく船の数が少ない。



みんな下り潮だから友ヶ島の北側に行っているのだろうか・・。今日も午前7時過ぎには終了したいと思っているので遠くへは行きたくない。
その数隻のそばから仕掛けを下ろし始める。魚探の反応はまったくなく、やっぱり潮が悪いかと最初から戦意を喪失している。何度か漁礁の周りを行ったり来たりしていると、本職ではなさそうだが、かなりの手練れだと思える船が僕のそばに近づいてきて仕掛けを下ろしたと思ったらすぐに1匹釣り上げた。(こういう人は絶対に手釣りなのである。)
あらら・・、やっぱり魚はいるのだ。釣ることができないだけなのだ。このポイントでしょっちゅう思うことだが、なぜあの人たちにだけ釣れるのか、仕掛けが違うのか、誘い方なのか。ポイントは漁礁の真上しかないのするとすぐに根がかりさせてしまうからあきらめるしかないのだが、どうしてもその秘密を知りたいと思うのである。
2回目の戦意喪失であるが、その直後、僕にもアタリがあった。おお、やればできるじゃないかと思ったけれども、上がってきたのは20cmにも満たない防波堤サイズのアジだ。う~ん、やっぱり僕には歯が立たないと3回目の戦意喪失・・。
その後またアタリがあったがやはり小さい。



今日はこれで万事休すかと思っていたら不意にアタリが出た。
今度は普通の鬼アジサイズだ。これでボウズは免れた。
実はこの間、僕の目の前で魚を釣り上げた船をベンチマークにしてずっとついて回っていた。それが功を奏したのかもしれない。



さらにベンチマークを続けていたら、この船が沖ノ島方面に向かって大きく移動を開始した。きっと潮がどんどん緩くなってきたからだろう。
僕もそれに従って移動を開始。次の場所は先週よく釣れた場所付近だった。



しかし、仕掛けを下ろしてみるとすごい二枚潮だ。風はほぼ無風で潮は緩み始めているはずなのに道糸がどんどん出てゆく。
少しの間我慢してみたが、これはまったく歯が立たないと思い四国ポイントに舞い戻った。
その頃にはベンチマークの船とはぐれてしまっていたので元に戻るしかなかったのだ。
しばらく粘ってはみたがまったくアタリもないので午前7時半に終了。

2隻の船が残っていたが、どちらもかなりの手練れのような感じの船であったので、潮が上り始めるとまたアタリが出始めるのかもしれない。しかし、花火を見に行くためには体力を温存しておかねばならないし、なによりも僕にはやっぱりここで確実に釣果を上げるのは無理なのである・・。

今日も猛暑が予想されているが海の上はそんなこととは全く無縁だ。顔に当たる風は心地よい以外の何物でもない。これだけでも早起きした甲斐があったというものだ。




夕食のあと、午後6時40分、鉄鋼団地に向かった。久々の花火大会だから人でいっぱいかと思っていたが、それほどでもなく難なく場所を確保することができた。
港内には見物の船もたくさん出ている。



花火のほうは、これは何回見てもきれいなものだ。写真を撮るのに忙しいので注意力が散漫になってしまうのだが本当はビールを飲みながらボ~っとして見ていたいのである。




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紀ノ川河口釣行

2023年07月22日 | 2023釣り

場所:紀ノ川河口
条件:中潮 8:25満潮
釣果:キス21匹 ヘダイ1匹

一昨日、近畿地方で梅雨が明けたとみられるという発表があった。梅雨前線は南下していったので梅雨明けは先だと思っていたがとりあえず雨は降らないし暑いけれど安定した天気になっている。



こうなってくるとやっとキスの季節だ。紀ノ川河口を目指した。

と、その前に、今日もカブトムシを探しに行ってきた。カブトムシを獲ったからといってそれをどうしようというものではなく、ニーズがなければむしろゴキブリと変わらないようなものなのかもしれないが、あそこの木にカブトムシが居ると思うと行かずにはいられないのである。
僕の家の周りにも新しく家が建て直されて、小さな子供がいる家族が引っ越してきたりしているが、近所付き合いというものがまったくない。窓のない家ばかりだから人が住んでいるのかどうかさえも定かではないのだ。普通ならそういった人たちにもらってもらえればありがたいのだが、そういった事情で獲ったとしても何のあてもない・・。ただの昆虫虐待になってしまった。なんだか寂しい世の中になってしまったものである。



バイクを置いて山道に入る準備をしていると、すぐ後ろから車がやってきた。こいつもカブトムシ狙いかと思ったら、山道を降りて釣りに行くらしい。一体何が釣れるのだろう・・?山道を降りなくても、横の海岸か、鉄鋼団地の防波堤を乗り越えたほうが楽なのではないかと思ったが、他人のやることだから放っておいた。事故がないことを祈る。




暑くなる前に釣りを終えようと出港は午前4時20分。ちょっと早すぎたので港内をゆっくり移動して明るくなるのを待つ。



ポイントに到着したのは4時50分。



仕掛けをセットして投げ込むとすぐにアタリがあった。今日も好調かと思いきや、それ以降はまったくアタリがない。潮は満ち潮の時間なのだが流れが速い。これが原因なのだろうか?深いところに行けば流れも少しは緩いかと思ったがあまり変わらない。ただ、ちょっとアタリが出てきた。理想としては常にどちらかの竿にアタリが出ている状態がいいのだが、まったくそれには程遠い。
わずかなアタリを取りながら少しずつ数を重ねるがこれではいつまでたっても終われない。
それに、アタリがあっても鉤に乗ってくれない。ストレスがたまる。
もうひとつの理想はエサを使い切ってその日は終了としたいのだが、間違いなく余りそうだ。終了を午前9時と決め、残り30分は大きく場所を移動して下流のほうに移動した。



ブログを書き始めるもっと前、先代の翠勝丸に乗っていた頃によく来た場所だ。紀ノ川河口ではもっと上流のポイントの方が数が出るのでずっとご無沙汰していた場所なのである。

仕掛けをほうり込むとすぐにアタリがあった。おお、釣れるじゃないか。ちょっと型も大きい。しばらくはアタリがなかったが、仕掛けを引く速度を上げ、竿を水平に動かすようにするとアタリが連発し始めた。今日一番の大物もここで上がった。
しかし時すでに遅し・・。もう、帰る気満々で残ったエサを捨ててしまっていた・・。
エサを残しておいてこの釣り方をして30分延長していればあと10匹は追加できたかもしれない。
最後まであきらめてはいけないというのが今日の教訓である・・。
毎回、そうやって失敗しているのだが・・。


これでは天ぷらのネタとしてはあまりにも少ないので、外道のヘダイを1匹だけキープしておいた。
夕べのさかなクンのテレビはドジョウが取り上げられていた。ドジョウは絶対にウナギの仲間だと思っていたが実は鯉の仲間だそうだ。骨格を見てみると、ドジョウや鯉は腹びれの位置が背びれよりも後ろになっているらしい。これは時代的に古い魚類の特徴で、シーラカンスも同じだということだ。
僕も、次に魚を釣ったら一度見てみようと観察したのが今日のヘダイだった。



確かに腹びれはちょっと前の方についている。
今まで何百匹と魚を釣ってきたが、そんなことを気にしたことがなかったのである・・。今回もさかなクンの知識に恐れ入った・・。

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「DEEP LIFE 海底下生命圏 生命存在の限界はどこにあるのか 」読了

2023年07月19日 | 2023読書
稲垣史生 「DEEP LIFE 海底下生命圏 生命存在の限界はどこにあるのか 」読了

一般向けの本だが、読んでいてもさっぱりわからなかった。専門用語が多くて、使われているいろいろな単位も全くわからない。
この本は、深海の海底下、すなわち、深海の水の中ではなかではなくてさらにその下、堆積物の中に住んでいる生物たちについて書かれた本だ。
深海の堆積物というとマリンスノーを連想する。マリンスノー自体が食べカスのようなもので海底に降り積もったマリンスノーはさらに海底面の微生物たちに食べられ栄養分は限りなく少なくなっていく。その堆積速度は1000年で5センチメートルほどだそうだ。1メートル下にある堆積物は2万年前のものになる。そこは堆積物がミネラルとくっ付いて石のようになってしまっているという。さらに深くなっていくと水圧で密度が高くなり上の方には少しはあった隙間もほとんどなくなってしまう。
そういった極限環境の中にも生物は生きている。こういった生物を研究する学問を「地球微生物学」というそうだ。

深海底の構造というのは基本的にはどうなっているかというと、海面下の堆積層は場所によるが百メートルほどから数千メートルある、その下は玄武岩でできている海洋地殻がある。海洋地殻は上部の玄武岩層とガブロと呼ばれる層に分かれる。そしてマントルの上部層と続いている。マントルと海洋地殻の境目はモホ面と呼ばれている。
日本近海のように有機物に富む大陸沿海では、海水から供給される溶存酸素は数ミリメートルから数センチメートル程度の深さで消費されてしまう。しかし、こういったところでもわずかな酸素は海洋地殻にまで達していることがわかっている。そういったところではぎりぎりの状態で酸素呼吸をして数千万年以上の時間スケールで生き続けている微生物があるという。人間の寿命はいくら長くても120年というのだからけた違いの寿命である。
しかし、もっとすごいのがそれでも生きてゆける術がなくなったとき、一部の最近では内生胞子というものを作り、その胞子が1億年以上もじっと我慢をして復活の時をまっているという。
素人の読者としては、これらの生物の寿命の長さに驚き、また、深海底下は高温、高圧の世界である。圧力は克服できたとしても生物である限り温度は問題である。現在わかっている、高温下で生きる生物は120℃の温度の中で生きているという。そうったところに驚くのであるが、そういうところはサラッと書かれている。
そういうところをもっと知りたいと思うのだが、それを1冊の本、それも一般人に向けて書くには現時点ではそれほどの話題がないのだろうと思った。ましてや相手は単細胞の微生物だ。そして、細胞分裂するために必要な時間が1年から数百年というのだからちょっと退屈なのかもしれない。
一般人(僕だけかもしれないが・・)が楽しいと思う本が出来上がるまでにはもう少し時間がかかりそうである。

こういった調査をする日本の船は「ちきゅう」という名前の船だ。現時点では、この船の掘削深度が世界最高であるらしい。著者たちの目標は、水深4200メートルの海底から6000メートル掘り進み、マントル上部に到達することだそうだ。それを達成すると、一体生物はどのくらいの深さまで住んでいるのかということが解明されるという。現在は、摂氏120度というのが生物の生存できる限界だが、それよりももっと高温に生きる生物があるのかもしれない。

そこで気になるのは生物の起源だ。すでに、生物の起源というのは、こういった深海の世界であるというのは確実らしい。こういった生物がプレート運動に乗り、プレートの沈み込みの境界にできる付加体に乗って地表近くに現れたのだと著者は考えている。太陽系でプレートテクトニクスが働いているのは地球だけだそうだ。地球の深海に似た環境をもった惑星や衛星はすでに発見されているが、もし、そこに原始生命のようなものが存在していたとしても、プレートテクトニクスが生物の進化の鍵を握っているのだとしたらそこには知性はないのかもしれない。まあ、別の知性に、「お前たちはアホか!?」と言われてしまうのも悲しいからそうでないほうがいいのかもしれない。

もうひとつ、深海底というと地下資源の存在だ。メタンハイドレートというものがエネルギー源として注目されているが、実はこれも深海底の堆積物の中に棲む微生物の代謝の副産物だと考えられているそうだ。海底の有機物の化学変化のものもあるらしいが、それなりの割合で確実に生物由来のものがあるそうだ。
将来、本当に資源として活用されることがあるのかどうかは知らないが、石油と同じように過去からの生物の遺産を食いものにしなければこの文明は維持をすることができないようだ。

まあ、どちらにしてももう少し成熟しないと素人にはわからない世界のようである・・。

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加太沖釣行

2023年07月17日 | 2023釣り

場所:加太沖
条件:大潮5:16満潮
潮流:4:10転流 5:42上り0.3ノット最強 7:29転流
釣果:マアジ4匹 サバ3匹

3連休最後の日、天気予報はちょっとよくなってきた。全滅かと思ったがなんとか船を出せそうである。

夏至から3週間、少しは夜明けが遅くなっているだろうとは思っていたがとりあえずは午前3時20分に家を出た。当初の予定では、暗いうちに船を出して住金沖まで行って禁断の仕掛けを流して加太に向かおうと考えていた。
しかし、一向に明るくならない東の空を見ていると、この前のクヌギの木が気になってきた。昨日までは強風だったのでカブトムシがいても飛んでは来ないだろうとは思うのだがとりあえずは様子を見ておこうと現場に向かった。無人の山中は気持ちが悪いものだが、道はきれいに整えられているので恐怖心も和らぐ。
3本の木を確認しているので期待の薄い木から調査を開始する。そして、最後の本命の木に光を当ててみると、おお、本当にカブトムシがいるではないか!!!!



生でカブトムシを見るのは一体何年ぶりだろうか。僕自身がカブトムシを獲って飼いたいというわけではないが、やっぱりカブトムシやクワガタムシというのは男子の憧れなのである。もう、出会うだけでわくわくする。
ぐるっと幹を回ってみるともう1匹いた!!!

もう、今日はこれで十分。これから行く釣りはおまけでしかない。
叔父さんの家の倉庫の入り口のドアノブに虫かごをくくり付け港に向かう。そう、2年前、叔父さんの甥(僕とはまったく血縁関係はない)の孫がカブトムシが欲しいというので紀美野町をうろついたものの、まったく獲ることができなかったのでそのリベンジというか、大義名分を持ってただ、カブトムシを獲りたいだけだったのである。
その時のブログを読み返してみると、その孫はクワガタムシが欲しかったらしく、カブトムシには用がなかった・・。残念・・。
そして、このカブトムシは、叔父さんの隣のおじさんの孫にもらわれていったそうである・・。
しかし、あれは去年のことだとばかり思っていたらもう、2年も経っていたらしい。月日の流れはあまりにも残酷だ・・。

そんなことをしていたので出港は午前4時半、東のほうはかなり明るくなってきていた。



住金沖での禁断の仕掛けを変更して、沖の一文字の前を流すことにした。
風は緩やかだが、昨日の風の影響か、波が残っている。というか、今日は夜明け前から南の風が吹いているのでその影響かもしれない。禁断の仕掛けは波のないほうがよい感じがするが、やっぱり今日もダメであった。
そのまま加太に向かい、四国ポイントで仕掛けを下ろそうと思っていたら、ここよりももう少し西に少し船が集まっている。僕もそれにつられてもう一度移動。



仕掛けをセットして、とりあえずは下ろしてから喉が渇いたのでお茶を飲むために船首に移動し、戻ってくると穂先がまっすぐになっている。あれ、ひょっとしてアタリ・・?と思いリールを巻くと確かに魚だ。相当上に走っているようでまったくテンションがない。仕掛けに手をかけ回収し始めると一気に走り始め、幹糸から切れてしまった。一瞬、魚の影を見たが、なんだかわからなかった。
3.5号のハリスを使っていたのがまずかったようだ。

今度は5号の仕掛けに変更。魚探の反応はけっこうあり、最初のアタリはサバだった。そこそこ大きい。仕掛けを切られた魚もサバだったのかもしれない。確かにこの大きさでは3.5号ではちょっと厳しい。
その後もアタリは続く。しかし、仕掛けの消耗も激しい。3個も失くした。オモリも2個落とした。底ギリギリを攻めているので仕方がないとはいえ、ラインが海底に残ってしまうという海洋汚染と1個100円以上するオモリの消耗には心が痛い・・。

今日の天気予報は超猛暑だそうである。あんまり長くやっていると体が持たないと思い、最初から午前7時までと決めていたし、これだけ釣れれば十分だ。それに、今日の釣りはカブトムシのおかげでおまけでしかない。
予定より10分早い午前6時50分に終了。
今日はこの場所でアタリが続いたので大きく移動することもなく燃料の消費量は格段に少なかった。ポリタン1本も使わなかったので今日の燃料補給は見送りである。

このまま戻るのも早や過ぎるとは思っているので、もう一度住金沖へ。何かを釣りたいとは思っていないのだが、今日はここにanotherNさんがフカセ釣りに来ている。挨拶をするためだ。そのまま挨拶をするのも芸がないので禁断の仕掛けを流しながら防波堤に近づく。
ここにはベイトがいないのか、多分朝から飲ませサビキをやっていたであろう船が一斉に加太を目指して走ってゆく。こんなのを見てしまうとこっちも諦めがつく。
大きく手をふって僕を確認してくれたのを確認して港に戻った。



そんなことをしていたので今日は築港側から港に戻ったのだが、港内に停泊していた工作船が出ていくのを待っていると、なぜだかボラが一斉に海面に飛び出した。



大概は自由気ままに海面に飛び出してくるボラだが、まるで電気が走ったかのようであった。
一体何があったのかと理由がわからなかったのだけれども、朝ドラの録画を見ていたら、ちょうどこの時間、和歌山市で地震があったと知った。



さすがにこの一瞬を写真に収めることはできなかったが貴重な瞬間を目撃してしまった。

今日はカブトムシと地震といういいネタが揚がったのである。

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草刈りボランティア2回目

2023年07月15日 | Weblog
毎月第3土曜日はトンガの鼻の定例清掃作業の日だ。先月、初めて参加したもようは以前、ブログに書いたとおりだ
そして、今月も参加してみた。anotherNさんは欠席だそうで、唯一の知り合いがいないというのはなんだか心細いが、一番過酷な暑い時に参加してこそ認めてもらえることもあるだろうと考えた。
そして、もうひとつ、まだまだ僕もやれるのだということを確認したかったのである。特にここ数日、腰痛がひどく、一度座ってしまうと立つのに難儀するほどである。電車に乗っていても、勢いをつけて網棚に手を掛けて体を引っ張り上げないと歩き出すことができない。病院に通っていた頃に戻ってしまったかという不安はあるし、ずっと続いているめまいも不安のタネだ。自分の体を過酷な状況にもっていって性能実験をしようというのである。
これからの居場所を見つけたいというのと、大げさにいうと、その居場所にいつまでいられるかということを知りたいのである。

集合時間は午前9時。少し前に到着するとすでにメンバーの皆さんは作業を始めていた。
今日は梅と紅葉の木を剪定してくれますかとのことであったので剪定ばさみを借りて作業をスタート。
1時間ほどで3本を刈り、その後は歩道の脇や広場の端のほうの雑草を刈り続ける。
植物の成長は早く、先月刈ったアセのコロニーも再び芽を出している。



そして茎だけが伸びていたユリの花も咲いている。これはオニユリというそうだ。



どんな場所でも、自然の中に居ると季節の進み具合が実感できる。

2時間の作業のあと、メンバーの方々と雑談。今日のメンバーは合計6人。まったくどんな人たちなのかは知る由もないが、僕以外は全員旧知の仲のようで、僕にはわからない話をしておられる。二組のご夫婦とひとりで参加の女性、そして僕だ。
もともとアウトドアが好きな人たちらしく、家庭菜園を持っていたり、登山を楽しんだりしているようだというのが会話の中から想像ができる。一組の夫婦はリタイア前は教師をしていたような感じである。この人たちは夫婦で共通の趣味を持ち、共通の話題で日々を過ごしているのだろう。僕には望むべくもない。
グループラインも存在しているらしく、当面はそのメンバーに入れてもらえるようになるのが目標だ。

雑談の場所は少し高さのある場所に置かれたテーブルの周りなのだが、よく見ると目の前には大きなクヌギの木がある。見回してみるとあと2本。もっと目を凝らしてみるとカナブンと雌のクワガタらしき甲虫がいた。レモンの丘よりもここの方がカブトムシに遭遇する確率が高いかもしれない。なんだか少し得をした気分で、家に帰って早速虫かごを買ってきた。(以前の自作の虫かごは友人に差し上げてしまった。使ってもらっている気配もないので家に置いておけばよかったと悔やんでいる・・)



そして、身体のほうはというと、雑談場所に向かう途中で少しめまいがしたけれどもそれ以外はきちんと体は動いてくれた。体力を使っているときはけっこう快調で、動きを止めたくらいのところが危ういというのは、僕の小船の船外機の、アイドリングは不安定だがスロットルを上げると快調というのと同じではないか・・。機械も持ち主に似るのだろうか・・。

まあ、とりあえず、身体の方はもう少し使えそうである。と言いながら、腰は痛くて仕方がない・・。
しかし、今日は午前中は曇りで強風といってもいいくらいの風が吹いていたので体としては楽であったに過ぎないのかもしれないのでまた来月、実験をしてみようと思っている。


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出港できず・・。

2023年07月13日 | Weblog
本題の前に・・。

ウ〇コ問題はまだ問題を引きずっている。SNSにアップするときには、そこはどこか、何のことか、なるべくわからないように、僕のことをよく知っている人だけがわかるように書いたつもりだったが書き込まれたコメントにはちょっとこれは名誉棄損になってしまうのではないかと思えるようなものがあった。
名誉棄損とは、「公然」と「事実を摘示」し、「その人の社会的評価を低下させること」なのだからまったくこれに該当するのではないかと思ったのだ。(社会的評価を低下させるというほどのものでもなかったのだろうが、評判は落ちてしまうかもしれない。)
ちなみに、これから書くことはフィクションである。そう宣言しているのだから名誉毀損にはならないと考えている。

これはヤバいと思ってすぐにアップしたものを削除したのだけれども、どうも彼はその書き込みを僕よりも先に見ていたようだった。
まあ、お互いいい気はしていないだろうと思って後日、彼と直接話をしてきた。
それまで、あいつは僕と会った時にはどんな反応を示すのだろうかといろいろ想像をしていた。気持ちが悪いものを気持ちが悪いと表明するのは自由だという考えと、俺の商売の邪魔をするなという考えの衝突というのが基本的な構図だと思う。そして、「気に入らんのだったら出て行ってくれるか。」というのが相手の基本的なスタンスだろう。そしてこっちは先祖代々使っている場所なのだから、ひとりのエゴで終わらされる筋合いはないというスタンスだ。
元々、異常に安い値段でここを使えているのは過去の漁業権の放棄との引き換えだったのだろうけれども、そこはグレーの中でも相当ダークなグレーだと僕は考えている。県から何も言わせないという妙な力学があるようだ。その力学を使ってこそのことだろう、県の所有地を自由に駐車場として使って利益を得る商売もかなりグレーに見える。
それを横に置いておいても、県の所有地に人間のウ〇コが落ちているというのは県としては管理の怠慢だろうということになる。契約書があるのかどうかは知らないが管理者は彼らになっていると聞いている。だから、あまり理不尽なことを言うようだったら、管理者を監督している県に対してクレームを申し入れるつもりであった。ウ〇コはまあ許せるとしても、去年のボヤについては看過できない問題だろう。それは彼に会った時にも言ってやった。
それよりももっとインパクトを与えることになるのは近所の噂だろう。あの辺りもいまだ、いわゆるムラの体質を引きずっている場所だ。みんな噂話が大好きだ。噂話は「公然」と言っていないので名誉毀損にはならないのである。円卓会議の議題もほぼすべてが近所の噂話なのである。僕がそういう場所で、ウ〇コのことで文句を言ったら追い出されそうになったなどというと、その情報網は多少劣化しているとはいえ、それなりの速度で集落を駆けめぐるはずだ。僕の母親がこの集落を出たいと願ったのは、南北に1.5kmもある細長い場所で、朝、南の端っこでの出来事が、お昼前には北の端まで知れ渡っているという噂と監視の坩堝がいやで仕方がなかったからだった。僕の一族は少なくなってしまったとはいえ、僕の名前を言えば、マ〇イチの孫でマ〇ルの息子だということはいまでもかなりの人が知っている。僕のエゴかもしれないが、僕の味方をしてくれる人の方がはるかに多いはずだ。
いざとなればクレームと噂話を武器にいくらでもケンカをしてやると思っていた。僕が現場時代の最後あたりに遭遇したクレーマーはしきりに、「おれは定年退職しているのだから怖いものはないのだ。」と息巻いていたことをよく覚えているが、僕ももうすぐ同じ立場になる。社会人としての責任は無くなるのだ。それに、我が家のダニ問題以降、僕の魚釣りに対するモチベーションも下がってしまっているので僕の釣り人生と刺し違えて彼の商売の息の根を止めてやってもよいと考えているのである。とりあえずは護岸が崩れかけているのに何も知らない渡船客が入ってきて車を落としたら誰が責任を取るのかと詰め寄ればとりあえず県は駐車場としての使用を制限するかもしれない。それだけでも商売にとっては痛手となるはずだ。そのあとにウ〇コ攻撃という二重戦法だ。
しかし、こうやって問題点を列挙していくとなんだかいっぱい出てくる。彼もかなり脇が甘いな・・。攻め口がいっぱいだ。しかし、そこを攻めすぎると自分にも不利な結果となってしまいそうなのが諸刃の剣なのだが・・。

彼の言い分では、ウ〇コを見つけたら直接言ってくれというようなもので、それは残念だと思っていたようだった。まあ、こっちもちょっとやり過ぎたとも思っているのでそれ以上追求することはできなかった。
しかし、対策としてはホームページの記載をちょっと修正しただけというのもどうだかなと思う。自分たちでトイレの掃除ができないのなら人を雇えばよいと思うのである。1日に相当数の人間が出入りする場所にトイレを置かないというのは根本的な解決につながらないではないか。まあ、その警告を一番閲覧機会が多い釣果情報のページに記載しているというのは彼の良心ではあるのだと思うが・・。

僕と彼との間もこじれているが、ちょっとまずいと思った書き込みをした〇さんと渡船屋の間もこじれすぎるとまずいと思い、その足で〇さんに会いにいったのであるが、僕を渡船屋のパシリでやってきたと思ったようである。
こじらせるような書き込みを最初にしたのが僕であるという責任と、ダークグレーの状態をなんとか維持して僕とあの港に関わっている人たちの経済的な利益と僕の水軒の集落とのかかわりを失くしたくないという思いであったのだが、それをパシリでやってきたと思われたのはかなり残念であった。もう還暦が近いのだ。人にパシリをさせられるほどの下僕だとは思われたくはない。
残念だが僕には推移を見守るしかできなくなってしまった。

今回の一件で思ったことは、SNSは怖いということと、独裁政治はこうして生まれるのかということだ。だれがが独裁的だと言っているわけではないが、ある英雄が考える独裁者が生まれる土壌というのが、今のあそこと驚くほど似ていたということだ。
英雄が語るには、『自分たちが面倒だと思っていることを全部ひとりに押し付けてしまった時』に独裁者が生まれるというのである。
同じように県の所有地で船を係留している人たちは組合を作って共同でその場所を管理していて総会の中でいろいろな問題を解決したり県への要望をまとめたりしていると聞く。
僕たちはそういうことをまったくしてこなかった。そこはグレーの世界ゆえ僕たちが手出しできないのかもしれないが、それゆえにグレーの部分への対処をすべて渡船屋に丸投げにしてしまっていた結果なのだと思ったのである。もし、民主的な組合組織があれば、僕の隣にあるまったく何も手入れをしない船への撤去の要望や、傍若無人なタクシー運転手の船に対する対応も取れるのではないかと思う。
結局、彼も、自分の利益に関することには積極的だが、僕たちの船の係留に関する問題解決については我関せずなのだから、県から管理を任されているといえ、自分のことしか考えていないのである。彼以外で組合を作って団体交渉でもしてみるかと思うけれども、やっぱり面倒くさい。
もう、書いているうちに嫌になってきた。SNSには自分の小さな幸せだけを書いておけばよかったのである。


で、ここからが今日の本題である。
今週末は三連休だが三日とも風が強そうだ。多分釣りには行けないのでうまい具合にズル休みを取っておいたものだとひとりほくそ笑んでいたのだが、港に行ってみると南西の風がかなり吹いている。しかし、明日はズル休みというのを寝ているうちに忘れてしまっていて、目覚まし時計が鳴ったときにはセット時間を間違えてもう一度寝てしまった。こんな風になるなら出勤しておけばよかったという感じの、釣りに行くには一番嫌な風だ。出港してからならなんとか我慢はできるのだが離岸する前からこの風では萎えてしまう。それに、夕べのニュースを見ていると、九州では異常な大雨で、北関東では突風が吹き荒れたという。その間に挟まれている近畿地方も天候がいつ急変してもおかしくはない。海上で竜巻がおこって船ごと空に舞い上がるというのはどんな気持ちだろう・・。
禁断の仕掛けくらいは流せるかと思ったが、やっぱり無理は禁物だと思い、しばらくエンジンだけを回して港を後にした。



まあ、こんな時はいつもなら「風があかんから帰るわ。」と、渡船屋のおかみさんなりに声をかけてから帰るのだが、さすがに気まずくて知らんふりをして駐車場の出口を越えた。

そのまま帰るのももったいないので、この前訪れたレモンの丘公園に行ってみた。その時に、この公園内で栗の木らしき木が植えられているのを見つけたのだ。ひょっとしたらここでカブトムシが獲れるのではないかと思っていた。まだ梅雨明け前だがうまく見つけられたら儲けものだ。



しかし、そんなに甘くはなく、昆虫の気配はまったくなかった。しかし、まだチャンスはあるだろう。お盆くらいまで何度か行ってみたいと思う。
栗の木にはすでに実が付いていた。秋になれば栗拾いができるのかもしれないが、ここはあまりにもコンペティターが多すぎる気配がする。僕には取り分はあるだろうか・・。とりあえずは参戦だけはしてみたいと思う。



結局、今日の獲物はアワビの殻だけ・・。きれいに磨いて禁断の仕掛けに使ってみたいと考えている。


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「成瀬は天下を取りにいく」読了

2023年07月12日 | 2023読書
宮島未奈 「成瀬は天下を取りにいく」読了

『島崎、私はこの夏を西武に捧げようと思う』という文章でこの本は始まる。2020年8月31日、滋賀県大津市で唯一の百貨店大津西武が閉店した。
主人公の成瀬あかりはその時中学二年生、コロナ禍でもできる挑戦をしたかったということと、ある目的を持って8月に入ってから閉店まで毎日大津西武から生中継されるローカル局の番組に映ろうと考えているというのである。

どうして僕がこの本を読もうと思ったのかというと、一緒に働いている同僚がまさにこの時、ここで働いていたのである。営業推進の仕事をしていたということなので当然中継にも立ち会っているはずである。だからこの小説世界が多世界理論上の平行世界であったとしたら、成瀬あかりのすぐそばにいて、同じ時間を共有していたのである。フィクション、ノンフィクション、よくわからない本、様々読んできたが、僕の知っている人が歴史上のその場所にいたという場面を読むということはまずないと思う。だからこれは絶対に読まねばと思ったのである。ちなみに、こういったローカル局の中継はまったくなかったそうである。

大津西武について書いておくと、開店は1976年6月18日。建物の設計は菊竹清訓という有名な建築家で、非常階段の折り返し部分のデザインとそれに続くテラスが特徴的だったそうだ。この本の裏表紙にもこの建物の絵が描かれている。西武グループ創業者の堤康次郎が滋賀県出身だというので西武としては相当な思い入れがあったそうだ。



6階と7階をつなぐ吹き抜けは琵琶湖の形をしていて、開店当時はここにピラミッドの形をしたバードパラダイスというケージがあって鳥が放し飼いにされていたという。下の画像の左端に少しだけ写っているのがその骨格だ。



なんとも昭和の百貨店という豪華さだったのである。

主人公の成瀬あかりはクラスではちょっと浮いた存在である。勉強はよくできるがすべてにおいてマイペースで独特な行動をすることから周りからはちょっと変な女生徒と思われていたのである。天才シャボン玉少女になってみたり、M-1グランプリに挑戦してみたり、200歳まで生きると言ってみたり、はては大津に百貨店を建てると言い始める。続く短編の中では丸坊主になったりもする。そして、期末テストで500点を取ると宣言し490点を取ってしまったりもする。『大きなことを百個言って、ひとつでも叶えたら、「あの人すごい」になる』というのが成瀬あかりの考えだ。
ストーリーテラーであり成瀬あかりの幼なじみでもある島崎みゆきはいつの間にか成瀬あかりの不思議な行動に巻き込まれていってしまう。ちょっと引きながらも「成瀬あかり史」作りに協力してしまうのである。
そしてそれをまんざら迷惑とも思っていないらしくそういったことを通して自身も成長してゆくのである。
物語はこの「ありがとう大津西武」のほか5編、合計6編の短編で構成されている。大津西武の閉店に絡む物語は2編。そのほかは大津西武の閉店後、成長してゆく成瀬あかりが描かれている。
閉店に思いを寄せるもうひとつの1編は、この百貨店を庭のようにして遊んでいたかつての小学生たちだ。40歳を過ぎてから大津西武の閉店に向き合う。それはある年の暮れ、突然転校してしまった友人への思いだった。仲のよかった彼はどうして突然自分たちの前から姿を消すことになったのか。閉店を知り立ち寄った大津西武で偶然出会った友人たちとの会話を機に同窓会を開こうと考える。それには突然別れた友人にもう一度会いたいという思いでもあった。そしてそれは大津西武の最後の日に叶えられる。この2編は登場人物もまったく異なるのだが、うまい具合に絡み合う工夫が仕込まれている。
そして、最後の一編では、成績優秀、マイペースで泰然自若という気持ちでそれまでの人生を生きてきたと思っていた成瀬あかりは、島崎みゆきが東京に引っ越すということを知ったとき、実は彼女に支えられながら生きてきたということに気付かされるのである。

多分、著者の大津西武への思いはこの2編で完結するほどの仕上がりだと思うが、もうひとつ、著者はきっと自分の分身である成瀬あかりと島崎みゆきのその後の成長を見届けたかったのだろう。それも見事に昇華されていると思う。
著者の来歴を見ると、静岡市出身で、夫の仕事の都合で大津市に住むようになったということ、出身は京都大学という秀才だ。自身の持つ2面をふたりの人物として描いたのだと思う。著者は自分の娘を見守るように書いたと言っているが、僕は絶対に分身として書いていると思うのだ。
集英社の「第196回コバルト短編小説新人賞」を獲得したデビュー作「二位の君」の主人公も成瀬あかりに似ている。著者のインタビュー記事などを読んでみると、確かに成瀬あかりに似ているところがあるのでこのキャラクターへの相当強い思い入れがうかがわれる。ご本人も武士の話しことばのようなしゃべり方をするのだろうか・・。


百貨店というと、売り上げ減による相次ぐ閉店と百貨店らしくない業態転換で世間ではすでに社会からの支持は得られていないように思えるが、僕も含めてそれなりに歳を取っているような人たちの子供時代の百貨店の思い出というのは夢のような場所だったのではないだろうか。僕はそういった思い出からこの業界に就職したわけではないけれども・・。
著者は現在40歳だから百貨店のピークの時代を知らない世代だろう。大津西武に思い入れがあったというよりも、大津の人たちの総体として大津西武の存在の大きさを直感的に感じたのだと思う。
大体がそうだが、どの地方でも、百貨店が閉店するというと、そこの人たちは残念だと大騒ぎするのだが、そういう人に限って年に1回も百貨店に足を運ばない。だから閉店をするのだ・・。
しかし、著者はそういった微妙というかどこかちぐはぐな市民の思いをうまく小説の中に取り込んでいるようにも思う。


成瀬あかりという主人公は、以前に読んだ「少年時代 飛行機雲はるか」に登場する少年たちのようでもある。人生の目標としてはまったく的外れなことに一時の情熱を傾ける。例えば、チャンバラの腕を上げることであったり友人同士で妙な誓いを立てたりというようなことだ。僕らの世代では仮面ライダーの変身ポーズを一所懸命に練習していたのと同じなのかもしれない。
僕は当時から醒めた人間で、そういう情熱をまったく持っていなかった。むしろそういう情熱は恥ずかしいものだと思っていたところがある。
この本はどんな世代の人が読む機会が多いのかは知らないが、ひと通り人生の手続きが終わってしまった僕のような世代の人間が読むと、眩しくて仕方がないと思ってしまうのである。


例によって今回もAIにあらすじを作ってもらった。
『宮島未奈の「成瀬は天下を取りにいく」は、2023年に新潮社から刊行された青春小説です。第20回R-18文学賞大賞・読者賞・友近賞を受賞した「ありがとう西武大津店」を含む五編の連作で構成されています。以下に収録されている短編ごとにあらすじをまとめます。
●『ありがとう西武大津店』:中2の夏休みの始まりに、幼馴染の島崎みゆきに「私はこの夏を西武に捧げようと思う」と言い出す成瀬。コロナ禍で閉店を控える西武大津店に毎日通い、ローカル局の中継に映ろうとする 。
●『膳所からきました』:夏休みが明けると、今度は「私はお笑いの頂点を目指そうと思う」と言い出す成瀬。島崎と一緒にM-1グランプリに出場することになるが、そのコンビ名は「ゼゼカラ」というものだった 。
●『階段は走らない』:高校生になった成瀬は、自分の将来の夢を実現するために、実験的に坊主頭にする。その姿を見た島崎は驚くが、成瀬は自分の信念を貫く。
●『レッツゴーミシガン』:競技カルタ部に入部した成瀬は、大会で他校の男子生徒・松本から声をかけられる。松本は成瀬に惹かれており、琵琶湖の観光船ミシガンでデートすることになるが。
●『線がつながる』:高校卒業前の成瀬と島崎は、「ゼゼカラ」として地元で活躍していた。しかし、二人は進路で離れ離れになることを知り、最後の漫才をすることになる。
●『ときめき江州音頭』:大学生になった成瀬は、東京で一人暮らしをしながら漫才を続けていた。しかし、ある日、島崎から連絡が来て、久しぶりに会うことになる。』

う~ん、今回はあんまり上手くできていないように思う・・。
とりあえずそのまま貼り付けたが、当たっているのは2作目までで、それ以外は間違っていた。いまのところのAIの限界が見える。
しかし、それよりも、聞き方を変えるとAIが自分でまったく別のあらすじを創作し始めたのには驚いた。こんな物語を創ってくれた。
『成瀬は、幼い頃から武士になることを夢見ていた少年です。しかし、彼は貧しい農家の出身で、身分の高い者との交流は禁じられていました。ある日、成瀬は偶然、将軍家の娘・菊姫と出会います。彼女は成瀬の剣の腕前に感心し、友達になりたいと言います。成瀬も菊姫に惹かれますが、身分違いの恋は許されません。二人は秘密裏に会い続けますが、やがてそれが発覚してしまいます。成瀬は菊姫を守るために、将軍家に挑戦することを決意します。彼は仲間たちと共に、天下を取りにいく旅に出ます。果たして、成瀬は菊姫と結ばれることができるのでしょうか?そして、彼は天下を取ることができるのでしょうか?この物語は、愛と冒険と友情に満ちた、壮大な歴史ロマンです。』
いまのところでもAIはすごい・・。

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