イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「脳の意識 機械の意識 ― 脳神経科学の挑戦」読了

2022年04月28日 | 2022読書
渡辺正峰 「脳の意識 機械の意識 ― 脳神経科学の挑戦」読了

この本は、前回読んだ、「無と意識の人類史」に紹介されていた本だ。

まえがきは、『もし、人間の意識を機会に移植できるとしたら、あなたはそれを選択するだろうか。死の淵に面していたとしたらどうだろう。たった一度の、儚く美しい命もわからなくはないが、私は期待と好奇心に抗えそうにない。機械に移植された私は、何を呼吸し、何を聴き、何を見るのだろう。肉体をもっていた頃の遠い記憶に思いを馳せることはあるのだろうか。』という言葉で始まる。

僕自身が自分の意識を機械に移植したいと思っているかどうかというのは後にして、僕が好んで読んでいる種類の本の中には「意識」という言葉がよく出てくる。しかしながら、厳密にその意味というものは実は知らないでいる。一般的に「意識」というと、怪我をした人の意識があるかないか、そんなところで使われる言葉なのだから、何かを問いかけてとき返事を返せるかどうかというのが意識なのだろうかとか、クラッチのない車に乗っていながら、時々、唐突に左足を踏み込んでしまうというのは無意識の行動なのだろうけれども、この、「無意識」というのは「意識」の一部だったりするのだろうかとか、そんなことが堂々巡りしている。

この本では、そんな「意識」の本質はどこにあるのか、そしてその意識を機械に置き換えることはできるのだろうかというようなことについて、著者の研究課程とともに書かれている。
意識の本質はどこにあるのか、結論を先に書いておくと、それは未だにわからないそうである。その理由がどこにあるのかということもこの本には書かれている。もちろん、そういったことを知りたいとも思うけれども、知ってしまったら知ってしまったでなんだか恐ろしいことが起こりそうで、知らなくていいことは知らないでおくほうがいいのではないかとも思ったりする。

まずは「意識」の定義であるが、この本では、「感覚意識体験(クオリア)」というものが意識の本質であるとしている。
クオリアとはどういったものかというと、目や耳などの感覚器官を通して入ってきた信号を加工する行為である。意識を持った生物は入ってきた信号をありのままに受け入れているわけではない。ありのままの信号というのは、視覚でいうとそれは単に”見えている”というだけで、自分なりにそれに加工を加えることで”見ている”ということになる。典型的な例がそこにあるはずのない四角形が見えるというような錯視だ。これは目を通して入ってきた映像と自分の過去の経験を統合することで見えてしまうものなのである。



著者はクオリアの中でも視覚効果のクオリアから意識の本質に迫ろうとしている。だから、この本に出てくる意識の例は全部視覚に基づく意識を取り扱っている。様々な実験をしながらその結果を基に意識の存在する場所、そしてそれが何でできているかということを探ろうとするのだが、その実験の意味するところは文科系の凡人にはまったくわからない。
おぼろげにわかることというと、外部から入ってくる情報に左右されずに何かを考えている脳の部分を見つけることができれば、そこが意識の存在する部分であるという。
なんだかやっぱりわからないが、そういう部分のことをNCC(Neural correlates of consciousness:固有の感覚意識体験を所持させるのに十分な最小限の神経活動と神経メカニズム)というらしい。
視覚効果でいうと、目が何かを見たとする。その情報は神経の中を通る電気信号としていくつかの視覚野を通り抜けてそのものが何であるかということを認識するのだが、先に書いた、錯覚も含めてそのものを認識している部分だけが意識を認識している部分だというのである。
著者はその例えをアニメのAKIRAに例えている。1970年生まれと僕よりはるかに若い科学者は例えるものの対象も若い。その後にはマトリックスやトランセンデンスといった映画の一場面なども例えに使っている。このアニメに出てくるAKIRAは脳みそだけの存在なのだが、外部からの刺激がなくても脳だけで思考と想像ができるとなっている。それこそがNCCであり、意識の存在する場所であるとしている。
こういった存在は、映像で作られた画像であっても実体がある映像であっても同じ経路で入力されれば区別がつかなくなるだろうと想像されている。まさしく心のコアの部分といえるのかもしれない。
著者はこれを総じて、「我思う、ゆえに我あり。」という言葉でくくっている。

こういうことを前提に、ネズミやラット、サルを使って脳の中で外部からの信号に影響されずに視覚をつかさどっているのはどこなのかということを探しているというのが著者の研究らしい。
しかし、脳の中の信号のやりとりをしているシナプスというのは、数千億カ所にものぼるそうだ。そんなに大量にあるものから、ここからここまでが「意識」です。なんてとうてい見つけることはできないのではないかと思うのだが、いつの日か人間はそんな核心を見つけることになるのであろうか・・。
現在、著者の実験を通して考えられる結論は、「意識と無意識が、脳の広範囲にわたって共存していて、意識と無意識の境界は、脳の低次側と高次側を分割するような形で存在するのではなく、それぞれの部位の中に複雑なインターフェース(界面)を織り成しながら存在している。」可能性が高いという。
もう、何を書いているのかさっぱりわからないのである・・。

次に意識は機械に移植できるかという問いかけについてだ。DNAの二重らせんを発見した科学者のひとりである、フランシス・クリックは後に「意識」に関する研究を始めたそうだが、「あなたはニューロンの塊にすぎない。」という言葉を残している。これは、人の意識というものは、生体でできた電気回路の中に生じただけのものなのだから、そのメカニズムを解明することはできるはずだと言いたかったのだろうが、著者はそこにふたつの意味を見る。ひとつは「我」のおおもとは所詮こんなものにすぎないというそのままの意味であり、もうひとつは、所詮こんなものにすぎないニューロンの塊が「我」を生じさせているという畏怖の念である。

もし、超高性能なコンピューターが存在していて、人間の脳細胞の代わりをすることができるとして、意識を移植する実験がおこなわれたとする。その実験が成功して、そこに意識が移植されたかどうかということをどうやって確認するかだが、こんな方法が考えられているらしい。
脳の中の意識をつかさどっている部位の細胞を少しずつコンピューターに置き換えていき、それでも当の本人の意識に変わりがなかったらその部分は機械に置き換わったとみなすことができるというのである。それをどんどん繰り返していけばいつのまにか自分の意識は機械の中に移動している・・というのである。オカルトだ・・。

そして、機械には意識はあるのかという疑問に対してもこんな実験が提案されている。
脳というのは、右半球と左半球に分かれており、右と左で独立した意識を持っているとされている。その独立した意識が脳梁を介してひとつに統合されているらしい。
そこで、「人工意識の機械・脳半球接続テスト」というものが考えられた。これは、片方の半球を機械に置き換えることができたとして、その状態で意識が成立しているとしたら機械にも意識があるとみなされるというものだ。これもかなりオカルトチックである。
この、生物以外にも意識はあるのかという疑問については、「情報の二層理論」という考え方があるそうだ。もう、科学の域を超えて哲学の域に達しているような感もあるが、意識は情報であるというひとつの定義を決めた時、それに則って考えると、すべての情報は、客観的側面と主観的側面の二面を持っているという。この、「主観的側面」から見てみると、月の裏側に転がっている石ころさえも意識を持っているということになるという。これは、たとえば、サーモスタットという機械があるが、温度の変化によって端子が曲がったりまっすぐになったりしてスイッチのオン、オフするという動きは、外部からの情報によって自らの動きを主観的に変化させているのだからそれは意識とみなされるというのである。
客観的に見ると、ただ、温度の変化によって金属が曲がったり伸びたりしているだけのようにしか見えないのだが・・。
これは、大分昔に読んだ、「ブラインド・ウオッチメーカー」に書かれていた、生物を生物たらしめている最大の特徴である自己複製は生物だけのものではなく、塩が同じ立方体の結晶を作り続けるように、無機物でも同じことをやっているのだという考えに似ている。
もう、生物と無生物の境目がどんどん無くなってきているようだ。
一方で、意識とは情報ではなくてアルゴリズムであるという考えもある。情報はただの情報であって、それを加工して認識するプログラム=アルゴリズムこそが意識なのであるという。
こうやって様々な考えがあるということは、未だ意識というものがなんであるのかということはまったくわかっていないということを如実に語っている。

その解決策として著者は、意識の存在についての自然則を発見しなければならないという。自然則とは、宇宙のどこにあっても不変な法則のことをいう。例えば、光速は秒速30キロメートルであるとか、E = mc2の方程式であるとか、そういった物理学の根幹となるものだが、意識についても、人類が誕生してから出現したものではないはずなのだから宇宙共通の自然則が必ず存在するはずだというのである。物理法則と心は別物だとも思うが、もしそうなら、どこかにいるかもしれない宇宙人とも意思疎通が可能であるということを言っているのだろうかとなんだか夢を感じる。しかし、そんな自然則が存在すると、その辺に転がっている石ころが持っている意識とも通じ合えることになるのだから、火打ち金でコンコンやってたら、「こら!痛いじゃないか!」と怒鳴られそうにも思うから、やっぱりそんなものは存在しないのじゃないかと凡人は思ってしまうのである。はたして、真実はどちらなのだろうか・・。

最終章は意識の機械への移植が本当にできるかどうかという内容だ。
どんな手法が考えられるか。著者の考えた手順はこんな感じだ。これはもちろん、脳のニューロンを再現できるほどの高性能なスーパーコンピューターがあったと仮定して話は進められてゆく。
まずは、脳のニューロンとコンピューターを電極でつないでその活動を記録する。しかし、そのニューロンだが、先に書いたとおり、人間の脳の中には数千億個もあるというので至難の業だ。極端に細い電極を顕微鏡を使って繋いでゆく必要がある。
また、記憶はコピーできるのかという問題もある。もしそれができたとしても、その実験の志願者が50歳だったとして、50年生きてきた人の記憶を短時間でコピーできるのかという疑問もある。少なくとも、映画のように体の外からモニターして意識なり記憶なりを移植するというような単純な行為では絶対に無理らしい。
加えて、個人的に思うことなのだが、機械はおそらく、忘れていた記憶を唐突に思い出したり、逆に、「あ~、カムカムエブリバディの前に放送していた連ドラのタイトルがまったく思い出せない・・。」とか会社ですれ違った人の顔は覚えているけれども名前がまったく出てこないなどというようなことにはいくらなんでもならないだろう。そうなれば、やっぱり機械の中に再現された僕の意識は僕の意識には似ているが僕よりもはるかに高精度な意識と言えることになり、そんなことになったら本来の僕の意識はものすごい嫉妬に狂ってしまうだろう。だから、最初の疑問、僕は機械に意識を移植したいと思っているかどうかというと、嫉妬に狂いたくはないから僕はそういう誘いに対しては絶対にお断りをするというのが結論なのである。

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山菜採り2回目

2022年04月25日 | Weblog
前回の山菜採りから10日間も間が開いてしまった。休日の取り方がおかしかったり病院に行かねばならなかったりなので仕方がないのだが自然はそんな僕の都合を待ってくれるわけではない。多分、何もかもが大きくなりすぎているのだろうなと思いながら生石山へ急いだ。

それでも天は僕を見放してはいなかった。昨日は雨が降り、明日も雨の予報で今日だけがぽっかり雨が降らない日になってくれた。
しかし、昨日の雨の影響はしっかり残っている。
今朝の朝一の気温は22℃。



モワンという暖かさと共にすごい湿度だ。湿気というよりも、空気中に納まりきらない湿気が水滴となって空気中を漂っている。
午前5時過ぎには生石山に到着したいので自宅は午前4時に出たのだが、ヘッドライトには空気中を漂う水滴が反射し、フロントガラスにも見る見るうちに水滴が貼りついてゆく。
でも、これは明らかに雨ではない。霧のように曇ってもいない。こんな日は経験したことがない。

生石山に到着すると景色はすべて乳白色に飲み込まれてしまっていた。幻想的な景色だ。



ここもおそらく湿度は100%を超えている感じだ。(100%を超える湿度は存在しないのだろうが、感覚としてはそんな感じである。)
コンデジとスマホはこの湿度で機能を保つことができるのだろうかと気にしながら準備をする。しかし、これだけの水分を抱え込むことが高原独特の生態系を維持することにつながるのであろう。

高原に入ってゆくと、ワラビもゼンマイもクモの巣もみんな水滴で覆われている。空気と水の境界が不鮮明で混沌としたような世界はまったく嫌いではない。むしろ楽しくなる。

  

まずはいちばん気になっているコシアブラの木を見に行った。水分をたっぷり含んだ幹はいつもと違う色をしている。



普段はうっすらと斑が入っている程度にしか見えないがそれがはっきりと浮き出ている。気になる芽のほうはというと、やはりすでに大きくなりすぎていた。



あと、4、5日早く来るべきであった。食べられそうな芽は半分もない。
なるべく小さいものを選んで次は王家の谷へ向かう。

ワラビはまだまだいけるだろうと思っていたのだが、そのワラビが少ない。この辺りもそれなりに生えている場所であったのだが10歩歩いてやっと1本見つけるというような具合だ。これも灌木を伐採された影響なのかもしれない。
歩ける範囲を探って正面の駐車場に移動。
ここからはイタドリとヤマウドメインで探してゆくことにする。キャンプ場の斜面も刈られているのでヤマウドの株があらわになっているかもしれない。
しかし、そこは貴重な山菜だ。そんなに簡単に見つかるわけではない。ここで見つけた株はひとつだけであった。



ただ、この株が大きかった。偶然か誰かの故意か、この株は腐葉土に埋もれていて、それをはがすと白い大きな茎が出てきた。それも大量に。



もう、これだけで今夜の食卓には十分じゃないかと思えるほどであった。
しかしここにもワラビは見えない。若干の救いはゼンマイがよく目立つことくらいだ。今年はゼンマイが優勢なのか、単に下草が刈られて目立っているだけなのかそこのところはわからない。ゼンマイも大半は大きくなってしまっているが、その下から生えている小さな芽だけを摘み取りながら前進する。



高原の上の方まで出て、別のコシアブラの株を見に行く。こっちもほとんどが大きくなってしまっていた。なんとか食べられそうなものと、お昼ごはんのパスタに入れるために3本ほど大きくなりすぎた芽も採る。
そこから一度下り、イタドリのポイントからまた稜線の散歩道まで上がってゆくのだが、そこにたどり着いた頃には息が切れて動けなくなってしまった。ちょっと座って休憩をしたいところなのだが、下草が湿ってしまっているので座ることができない。散歩道に沿って打たれている鉄筋に手をかけて息を整える。

最後にヤマウドのポイントに向かうが、眼鏡が霧で濡れているからなのか、まだ薄暗いからなのか、まともに株を探せない。どちらにしても歳とともに目が見えにくくなりこういった行動が鈍くなる。ここでも見つけることができた株はひとつだけというありさまだ。
あとで森に暮らすひまじんさんに話を聞いたところ、土曜日にかなりの人が入っていたので盗られつくしたのではないだろうかとのことであった。
なるほど、昨日は雨だったが、やはり週末明けの月曜日というのは山菜採りにはあまり適さない曜日なのかもしれない。今度は、木曜日か金曜日を選んで来ることにしよう。そうなると、今年はやっぱり4月22日というのが最も山菜採りに適した日であったようだ。

 

フキも探してみたが、これはまだまだ小さい。それと、一番たくさん採れるはずのヤマウドポイントの縁が工事用の土砂で埋められていてあまり採れない。今年はフキの佃煮はごく少量になってしまいそうだ・・。
前回のブログにも書いたが、生石山はどこもかしこもこんな有様で山菜採りの僕からするとひどいことになってしまっているとしか思えない。県立自然公園といいながらその自然がどんどん蹂躙されてしまっている・・。
はたして、再生までどれくらいの時間がかかるのだろうか・・。

山菜を採りながら石をふたつ拾ってきた。



生石山の基本的な土壌は石英でできているらしく、露出している岩も真っ白の石英だ。おそらく、石英が摩耗してできた水はけのよい土壌が地面の下の方まで水分を通し、たくさんの水を保持して植物の生育を助けているのであろうが、ひょっとしてこの石は火打ち石として使えるのではないかと考えた。
僕が買った火打ち石セットにはメノウが入っていたが、モース硬度では石英のほうが若干ではあるが更に硬いそうだ。じゃあ、組織が風化して脆くなっていなかったら十分火打ち石として使えるのじゃないだろうかと前回の山菜採りのときに思ったのである。
家に帰って試しに叩いてみるとちゃんと火花が出る。チャ―クロスを当てて再度火花を散らしてみるとちゃんと火が乗り移った。ばっちりだ。石英以上の硬度の岩石というと、ヒスイなどもそうらしい。どこかを旅したときにいろいろな石を物色しながら火打ち石のコレクションをするというのも楽しいかもしれないと思った。




日本ではどこもそうなのかもしれないが、和歌山県は少し場所が変わるだけでその土壌がまったく異なる。
船を係留している場所は緑色片岩という、火成岩が断層の摩擦で層状の模様を作った石だ。和歌山市では青石などと呼ばれている。残念ながこの石は柔らかいので火打ち石にはなりそうにないが、ここは中央構造線が走っているところだからこんな石ができるらしい。田辺に行くと、湾内の磯は砂岩で沖に出ると礫岩になるが、この辺りは昔から浅い海が広がっていたからだそうだ。
田辺を越えて南に行くとまた磯の石質が変わる。多分あれは泥岩というやつだろう。それが地殻変動でねじ曲がってさらに浸食されて険しい磯ができたそうだ。
橋杭岩はその岩の間にマグマが入り込んでその岩だけが浸食から免れてあんな形になったらしい。
石英というのは、地層の中に熱水などが入り込んでその中に含まれるケイ素が結晶化したものだそうだ。1400万年前、紀伊半島に巨大なカルデラができたという話は前に書いたことがあるが、熱水の痕跡が残っているということは、ここもそんなカルデラの一部であったのだろうか。
山菜採りをしながら想像はどんどんふくらんでゆくのである。
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「美味しい進化: 食べ物と人類はどう進化してきたか」読了

2022年04月21日 | 2022読書
ジョナサン・シルバータウン/著 熊井ひろ美/訳 「美味しい進化: 食べ物と人類はどう進化してきたか」読了

タイトルと本の中身を読んでいると科学ライターの著作なのかと思ったが著者は進化生物者だそうだ。プロローグにも書かれていたが、生物の進化についての本というのは山ほどあるのでちょっと切り口を変えて書いてみたというのだが、確かに面白い切り口だ。食材がたどってきた道と人類がたどってきた道をごっちゃに書いているというような部分もあってわかりにくいところもあるけれども、人間が食べるものを確保するために自らが食材に合わせて進化してきたこと、もしくは、食材を進化させてきたことなどが書かれている。

目次を追っていくと、人類が火を使い始めたきっかけ。何を食べながらアフリカから南米まで移動したか。栽培農業のはじまり。味覚、嗅覚、動物の家畜化。栽培植物の進化。糖、発酵食品としてチーズと酒。狩りと社会形成。未来に向かう食べ物の進化。
こんなことが書かれている。

人類によるアフリカから南米までのグレートジャーニーは海岸線を伝いながら成し遂げられたわけであるが、その時の人類の主食は貝であった。そのルートのいたる所に貝塚があることでわかるらしい。だから、内陸を目指した人類は途中で途絶えることになり、狩猟や栽培農業が発展するまでは人類は内陸へ進出することはできなかった。
この旅は氷河期の終わりころ、海面がまだ低かったころにおこなわれたわけであるが、その頃の地球には貝がふんだんにあったと考えられている。今は海に行っても一番獲るのが難しいのが貝なのかもしれないし、そもそも漁業権で縛られてしまっているから獲っているところを捕まると犯罪者になってしまうのだから5万年前の人たちはある意味、環境のよい世界を生きていたのだとも思うのである。
そして、この旅に出発した人たちというのはアフリカの角と言われる地域からアラビア半島に移動したほんのわずかな数の人たちで、残りの人たちのほとんどは砂漠化が進むアフリカ大陸の中で死んでしまい、ほんの少しの人たちが南アフリカなどに逃げ延びたということだが、このことによって、現代の世界中の人類は遺伝的多様性が乏しいものになったそうだ。リスクを冒して一歩踏み出した人たちが命を永らえた結果が現代である。

グレートジャーニーからさかのぼること150万年。人類が初めて火を使ったというのがこの頃だ。火を使えるのは人間だけだということで、ホモ・サピエンスが火を使った最初で最後の人類だと思われがちだけれども、その祖先、ホモ・エレクトスが火を使った痕跡を残している。果たして彼らは火を熾すことができたのか、それとも偶然に山火事などのもらい火を持ってきただけなのかというのはよくわかっていないらしいが、少なくともその火を使って食材を焼いて食べたということは確からしく、相当古い時代から人類は火を使った調理をしていたのだ。
僕が自分で火を熾して食材を始めて焼いたのはついこの前・・。僕は150万年遅れていることになる。

当時は狩猟採集生活が基本だったのだが、人口が増えるにつれ獲物が足らなくなってくる。これはNHKの受け売りだが、人類が移動した先では必ずそこにいた大型動物たちが絶滅してきたそうだ。元々、食べられる以上に獲ってしまうというのが人間が持っている基本的な性質らしい。それをこの番組では浪費型人類と表現していた。
当初は大型動物ばかりを獲っていた人類も新石器時代に入り、農耕栽培が始まる直前ではウサギやネズミなどの小さな獲物も獲らざるおえなくなってきた。
そこで必然的に始まったのが農耕や牧畜の生活である。その歴史はどちらも意外と浅く、今から約1万年前だったそうだ。一番最初に栽培された植物はエンマーコムギという麦だったということがわかっている。エンマーコムギはその前から食べられてはいたが、それは野生のものであり、栽培されたものではなかった。確実に食料を得られる栽培農業が浸透しなかったというのは、野生の麦でも大量に収穫することができ、それで事欠かなかったからだそうだ。
じゃあ、どんなきっかけで麦を栽培するようになったのかというと、人口問題ということもあるけれども、一説では、ビールを作るためであったのではないかとも言われているそうだ。

そうやって野生の植物や動物を栽培種の野菜として、また、家畜として食料の安定的な確保に乗り出してきた人類だが、その過程で様々な能力も身につけてきた。
食材を味わう味覚や嗅覚、それまで消化できなかったものを消化する能力である。ただ、味覚や嗅覚というのは一部退化した部分があるという。味覚は5種類、嗅覚は400種類の味と匂いしか識別できず、他の動物にも劣っている。それでも約1兆種類という風味を識別できるのは、レトロネイザルという口の中から鼻にかけて匂い成分が移動するという経路のおかげだ。加えて人間の発達した脳細胞が5つの味、400の匂いの強弱を加味してありとあらゆる風味を識別する。

新たに獲得した消化能力のひとつはミルクに含まれている乳糖だ。乳糖を消化する能力をもっているのは赤ちゃんのころだけで、大きくなるにつれてその能力は失われる。そもそも、どうして消化しにくい乳糖がミルクの主成分かというと、たとえば、人間でも簡単に消化できるブドウ糖が主成分だとありとあらゆる雑菌に汚染されることになるので赤ちゃんの死亡率が高くなり、それを分泌する母親の身体も雑菌に汚染されてしまう。それを防ぐためにわざわざ汚染されにくい乳糖を主成分とし、母乳を摂取する期間だけそれを消化する能力を身につけていたというのだが、酪農が始まり、大人たちもそれを食料として使うようになったとき、ラクターゼという乳糖を消化できる酵素を離乳後も持ち続けることができる突然変異(ラクターゼ活性持続症)が現れた。それが約7500年前だと言われている。
ヨーロッパ人の90%はそのラクターゼ活性持続症を持っているが、酪農が始まったといわれる南西アジアではそういう人はもっと少ない、それはどうしてかというと、同じころ南西アジアではヨーグルトやチーズを作る技術が生まれていて、人為的に乳糖を分離できるようになり、ミルクをじかに飲む必要がなかったからというのが進化の不思議である。
もうひとつはアルコールだ。アルコール発酵の起源は1億5000年から1億2500万年前と言われている。アルコール発酵は酵母菌が糖をエタノールに変換する反応だが、これはライバルの細菌が糖を消化するのを妨げるものだ。このちょっと腐った実を食べるために人類は類人猿のころからこのアルコールに対する耐性を持っていたという。これだけ古くから持っている能力なら、人類が生きていくうえで必須の能力だったと思うのだが、現代では特にアジア人の中では酒が飲めない人というのが多い。これは低アルコール濃度でアセトアルデヒドに分解してしまうため気分が悪くなるからだというが、どうしてアジア人だけがそういう風に退化してしまったかというのは今でもわからないらしい。

植物の風味にはどんな目的があるのかというと、それは外敵から自分の身を守るというためである。キャベツ、ブロッコリー、ラディッシュ、クレソン、ルッコラ、ワサビ、ホースラディッシュ、これらすべてはアブラナ科の植物だが、共通するのはグルコシノレートというカラシ油のもとになる成分を持っているということだ。カラシ油は昆虫や細菌にとっては有害だが、ほ乳類では腫瘍抑制効果があるとされている。しかしその進化は9000万年~8500万年前に起こったことでありそれから1000万年の月日が流れた後からはモンシロチョウたちも解毒能力を備えて今に至っているので叔父さんの畑では年中モンシロチョウが飛んでいる。叔母さんはいつも捕虫網を振り回して駆除しているが、それを見るたびに、きっと無駄じゃないかと思うのである・・。その畑で確かに思うのは、アブラナ科の野菜というのはやたらと種類が多い。
ハーブ類も同じく、自分の身を守るために様々な香りの成分を出し人間はそれを楽しんでいる。しかし、それは植物には相当な負担となる。たとえばトウガラシはカプサイシンを作らなければもっと種を生産できるようになるそうだ。そんな生存競争の結果を人間は利用してきたことになる。

家畜はというと、これも変化が現れている。家畜化症候群というものがあって、外見では巻き上がった尻尾、ぶち模様、たれ耳、鼻が小さい、脳が小さい、などがそうなのだが、同時に、おとなしくて従順であるという特徴も同時に現れる。体の特徴と性格が従順だというのは一見関連性がないとも思えるのだが、胚の段階で現れる神経堤という部分に、これらの形質のほとんどを決定づけるものがあり、それは人間が飼育しやすい性格の家畜を選別してきた結果なのだそうである。

こうして人間たちの食卓には多彩な食材がいっぱい並ぶようになった。そして、その結果、進化は社会の領域に踏み込んでゆく。
食料を増産し、保存するというのは、利他行動という、飢餓に備えるという人間の知恵なのだろうが、別の理由もある。それは地位欲である。
北米太平洋岸北西地区には「ポトラッチ」という習慣があり、これは相手に豪華な贈り物をすることによって相手よりも高い地位にあることを誇示するというような習慣なのだが、こういったものは途切れることがない。贈り物への返礼としてもっと高価な、もっとたくさんのということが繰り返される。空腹は満たされればそれを制御する調節回路が働くけれども、人間の地位に対する関心にはそれがなく、エスカレートするばかりである。
それは、旧石器時代の狩りの収穫がどのように分配されるかに対する注目から始まったのだと著者は考えている。たくさんのモノを持つことができればたくさんの贈り物もできる。確かに、この時代、NHKテレビが言うように、大型哺乳類が狩りつくされ、いく種類もの動物が絶滅している。
そして、人間の白目が拍車をかけることになる。白目があることによって相手がどこを見ているかが分かるようになった。目は、進化によって、見るだけでなく、見ていることが外から分かるように設計されている。私たちは目を使って、ほかの人を見ているという合図を出しているのである。実験的な証拠に基づけば、社会的な駆け引きが存在するとき、相手を見つめていれば嘘をつかれずに済むからというのである。

突き詰めると、人間社会の様々な矛盾はその地位欲を満たすためにもたらされ、それは人類の進化の結果なのである。
自らの進化が自らを滅ぼしかねないというリスクを抱えながら人類は進化してゆくしかないのかもしれない。

火を熾して料理を作ろうと思い立ったのは去年からだし、地位欲はあまりなさそうだし、そこだけ見ていると僕は人類の進化から取り残された人類なのかもしれないと思ってしまう。唯一進化してしまった部分は酒にそれほど強くないということと、牛乳を飲んでもお腹を壊さないということだけである。
そんなところは別に進化してほしくはなかったのであるが・・。
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加太沖釣行

2022年04月18日 | 2022釣り
場所:加太沖
条件:中潮 6:57満潮
潮流:5:14転流 7:51 上り1.2ノット最強 10:41転流
釣果:ハマチ5匹

今日はうちの奥さんが車を使うというので山には行けない。次の休みも病院に行かねばならないので今週は山菜採りに行けないことになる。コシアブラの芽がどんどん大きくなってしまうじゃないかと焦りながら今日は海に行くことにした。

加太では目立った釣果は出ていないようだが、とりあえず行ってみないことにはわかるまい。

今日も夜が明けきらない前に出港しようと思っていたら太陽の動きの方がはるかに速い。「明易」という言葉は去年初めて知った言葉だが、まさしく夜明けは僕の感覚を超えて早くなっている。
午前5時過ぎに船を出したのだが、その頃には航海灯もいらないんじゃないかと思うほど明るくなってしまっていた。



今日の戦略だが、潮流表では中潮の割りに潮は動かない。春先は午後からの潮はよく動くのだが、朝の潮は緩い。これくらいの潮の流れだと潮が加速している最中でもサビキは使わずに全編高仕掛けで大丈夫だろうと決めた。
しかし、山菜採りや撮り溜めしたビデオを観てばかりいたせいで仕掛けの製作が間に合っていない。予備はひとつだけだし、前回使った仕掛けも船の上で応急処置をして使っていたものを修復していなかったということに船を出してから気がついてしまった。結局は、その修復をしていなかったことが釣果に繋がったのだからこれはこれで結果オーライだったのではあるが・・。

加太に到着したときは潮が動き始めた時刻だ。上り潮なので今日はテッパンポイント付近がねらい目だろうと思っているとほかの船もそう考えているのか、平日にも関わらずかなりの船がテッパンポイントから第2テッパンポイントにかけて集まっている。
僕もその端の方に船を停め釣りをスタート。



周りの船を見ていると、時々タモを入れている。今日は釣れているようだ。僕も期待を込めて仕掛けを操るがまったくアタリがない。魚はいるはずなのに何が違うのか考えを巡らせる。
ひと流しめが終わり元の場所に戻った時点で、ビニールの疑似餌のうちのいくつかを毛糸に交換してみた。そろそろ毛糸も終わりかと思っていたのでビニールでスタートしたのだが、アタリがないのなら交換してみるしかない。残りの手立てはこれしか持ち合わせていないのだから・・。

そして答えはすぐに出た。仕掛けを下した1回目、オモリが海底に届く前にアタリがあった。よく引くのでこれは間違いなくハマチだ。そしてしっかり毛糸に食いついていた。



マッチザベイトとはよく言うけれども、魚もそんなに頭がいいわけではないはずで、目の前にユラユラ揺れているものがあれば思わず喰ってくるものだろうといつもは思っているのだが今日は認識を改めた。こんなに効果が変わるものとは・・。

そしてまたアタリ。今度はかなり大きい。なかなか魚が上がってこない。今日使っている補修をしていない仕掛けだが、元は幹糸が4号、枝素が3.5号の仕掛けだ。前回の釣行で2本切られていたのだが、道具箱に入っていた枝素のスペアが5号のものしかなったのでそれに取り替えたままになっていた。仕掛けの体裁としてはアンバランスなので本来ならば全部3.5号に戻しておかねばならなかったのである。
魚が掛かっているのはどちらかというのは当然ながらわからない。3.5号の枝素だとそうとう慎重にやり取りをしなければ切られてしまいそうなほどよく引く。魚もある程度弱らせておかないと仕掛けを手繰るときに走られるとこれまたまずい。
ゆっくり引き上げてくると、魚は一匹ではなく、2匹ついていた。だからよく引いたのだ。そして魚を取り込んでから仕掛けを見てみると、3.5号の枝素が切られていた。魚は3匹掛かっていて、5号の枝素に食いついた魚2匹だけを取り込むことができたというわけだ。
全部3.5号の枝素だったら下手をすると全部切られてしまっていた可能性もあったのかもしれないと思うと5号の枝素を残しておいてよかったということになる。だから結果オーライだったのである。

その後も同じ場所を流してみるのだが、時折仕掛けにアタってくる反応はある。まだこの海域に魚はいるのだと思って期待を込めていたけれども、そんな中、帝国軍が迫ってきた。
怒鳴ることもせず至近距離に船を寄せてきたのだ。その距離は4、5メートルというところだろうか。しばらく様子を見ていたが潮の流れに乗ってどんどんその距離は狭まってくる。



これは危ないと仕掛けを回収して引き上げる準備をし、このまま黙って逃げるのは癪にさわるのでいつものとおり、カメラを取り出しシャッターを切ってやった。そのとき、船頭がはじめて大きな怒鳴り声を上げていた。「なに写真撮ってんのじゃ~。」って向こうが喧嘩を売ってきたのだから「何を言ってんのじゃ~。」という気持ちと、こんな恰好のブログネタはあるまいと思っているのだから写真を撮らないわけがない。

大体、怒鳴られるときというのは、周りが全部帝国軍でそんな中にフラフラ入っていったときで、そんなときはさすがに怒鳴られても納得するのであるが、今日は帝国軍も同盟軍も入り乱れているような状況だった。そんな中、どうして僕だけ(ではなかったのかもしれないが・・)がロックオンされるのか。もともと、怒られやすい性格であったり、目をつけられやすい性格であったりであるというのはうすうす感じてはいたのだが、こんな大海原でまで引っ張ってこなくてもいいだろうと情けなくなる。こんなことは会社の中だけでいいのである・・。
和船で、しかもひとりしか乗っていないと文句をつけやすいのか、それとも、一応、意識して船団から少し離れてひとりポツンと船を流していたので目をつけられたのか、それは定かではない。しかし、乗船している傭兵の方々も迷惑な話だ。楽しく釣りをしたいと思っているのに、こんなに広い海なのにどうして別の船を目の前にして釣りをしなきゃならないんだと思うだろうし、怒鳴り声を上げている船長を見ていてもいい気がするまい。
船名はしっかり記憶していたので帰ってからホームページを見てみたら、かわいそうなことに、僕の釣果とあまり変わらないくらいしか魚を釣っていない。人に嫌がらせをする前にちゃんと客に魚を釣らせてやれよと他人事ながら思うのである。12000円払ってこれだけじゃあ元も取っていなんじゃあないだろうか。
住所が書いてあったら写真を印刷して送ってあげようかと思ったが、たびたびそんな苦情をもらうのか、残念ながら掲載されてはいなかった。磯釣りの渡船屋ならホームページには必ず住所が載っているのだが、彼らはよほど後めたいことがあるに違いない。ちなみに、おだんごクラブの会長さんたちが利用している正しい加太の遊漁船のホームページにはきちんと住所が記載されていた。加太の遊漁船にもいろいろあるようだ。

生石山の一件もそうだが、確かに、第三種漁業権というものでこの海域は守られているというのはあるのだから権利のないやつは出て行けという論調もあるのだとは思うけれども、じゃあ、その権利を設定するときにどんな手続き(大きく言えば国民の総意・・。そんなもの得られることはないだろうが・・。)がなされたかが問題だと思う。海というのは本来公的な場所であるはずだ。そこに勝手に漁礁を沈めて、「これからこの場所は俺たちのものだ。」と主張するのはウクライナへ攻め込んだロシアと同じじゃないかと思うのである。
自然というものは一体誰のものであるかということを考えなすべきだと思う。もちろんそのためには利用するこちら側も節度と理解というものを持たないといけないのであるが・・・。

そんなことがあったのでこの後はもっとほかの船から離れて釣りを続けた。再び一荷でハマチが釣れたがそれが最後で早くも午前9時に終了とした。

早く切り上げたのにはいくつか理由があり、ひとつは母親に昼食を作ってやらねばならないということ。もうひとつはトウガラシの苗を買いに行かねばならないということだ。

奥さんは実家に行っているので、母親はひとりでも簡単な料理ができるとはいえ、まあ、放ってはおけないと思っている。午前9時に釣りを終えて魚を締め、叔父さんの家で野菜をもらって帰って帰宅したのがちょうど午前11時。お昼までには時間があるので道具を置いてそのまま園芸屋さんへ。
韓国トウガラシを売っているのは僕が知る限り1件だけ。例年、ゴールデンウイークまでに買っておかないと売り切れになってしまう。もう4月も中盤を過ぎてしまっているので急がねばあわや売り切れということになってしまうのだ。
この時期は誰もが野菜の苗を買うらしくこのお店もカゴを抱えたひとでいっぱいだった。お目当ての韓国トウガラシに加えてバジルの苗も買っておいた。



苗も少しづつ値上がりしているのか、韓国トウガラシは98円、バジルにいたっては198円だ。別の店だが、バジルは100円で買っていたのでこれは予想外の値段であった。レジの前で今更いりませんとも言えずそのまま買って帰ったけれども、いつも買うお店で買えばよかったと後悔した。それとも、あのお店でも値上がりしているのだろうか・・。

お昼を食べて魚をさばいて叔父さんの家に舞い戻りトウガラシの苗を預ける。ハバネロは叔父さんの隣の家のおじさんが去年の実から種を取っていてくれていて苗を作ってくれた。さすがプロの農家だ。ひょっとして韓国トウガラシも種を保存しておけば苗ができるのだろうか?今年はいちど試してみようと思う。もちろん、試してもらうのは叔母さんなのだが・・。

港の近くのホームセンターに寄ってみるとシソとミントの苗が売っていたのでそれも購入し、必要な苗のすべてをそろえることができた。今年のミントはちょっとお高かったがキューバで栽培されているミントだそうだ。これで本場のモヒートを作れる。POPに負けてしまったというところだろうか・・。



山菜採りに行けないうちにどんどん季節は進んでいってしまっているような気がする・・。
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「学名で楽しむ恐竜・古生物」読了

2022年04月16日 | 2022読書
土屋健/著 芝原 暁彦/監修 谷村 諒/イラスト 「学名で楽しむ恐竜・古生物」読了

この本は、「アノマロカリス解体新書」の著者と同じ人なのだが、そんなことはまったく気にしていなくて、生物の学名についての蘊蓄の本が新聞で紹介されていたのだが、その本がなかったので似たような本を借りてみたということだ。

恐竜や地質時代に生きた生物を、あいうえお順に並べたという辞書形式になっている。
それぞれの名前がどういった由来で名付けられているかということが簡潔に書かれている。

学名というのは、属名と種小名というふたつの単語で構成されている。これは人間でいうと、姓と名前のようなものらしい。例えば、ホモ・サピエンスの「ホモ」の種族の「サピエンス」という種類となる。そして、その名前を付ける時には、その生物の何らかの特徴を表すことが望ましいと一応は推奨されている。
また、名前を付けた人がそこに自分の名前を盛り込むというとはまずやらないとか、同一の生物に別の人が異なる名前をつけたとすると、先に付けた名前が優先されるという、命名の先取権というものがあり、のちの研究でその名前がまったくその特徴を表していない場合でも最初の名前がずっと使われるという、ちょっとおもしろい結果になったりすることもあるらしい。
たまに人の名前が入っている生物があるが、これは献名というもので、その分野で功績があった科学者に対する敬意を込めて名付けられている。命名の先取権によっては、どう見てもイカだけれども、エビという名前がついていたり、あとから調べたらほ乳類なのに爬虫類を表す「サウルス」という言葉が入っている生物がいたりするのである。

まあ、結局、名前なんてただの符号のようなものだから何でもいいのだということなのかもしれない。人も名前で仕事をするわけではないのである。

この本には世界各地で発見された生物の名前が掲載されているが、日本で発見された生物には必ずと言っていいほどその化石が発見された場所の名前が付いているということに気付く。例えば、有名なフタバスズキリュウ(学名は、フタバザウルス・スズキイ)は福島県にある、双葉層群というところから発見された。ちなみにスズキイというのは鈴木直というひとが発見したからだが、この人が命名したわけではないのでこの名前が献名されているというわけだ。ほかにも、ニッポンという言葉が入っている名前も多かったりする。
ほかの国で見つかった生物には、確かにその特徴を表すような「大きな顎」だとか、「トカゲの王」というような名前が付けられているだけでどこで見つかったかみたいな名前はまず出てこない。まあ、トカゲの王というのも相当抽象的ではあるけれども・・。

やはり、そこにはなんだか日本人的な、お国が大切であるというような感覚であったり、地元に錦を飾りたいであったりというような気持が強く出ているなと思うのである。

まあ、名前を付けられた彼らも、自分がそんな名前であったということも知らずに絶滅していったわけで、どちらにしてもたかが名前なのである。

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山菜採り

2022年04月14日 | Weblog
いよいよ今日は満を持しての山菜採りだ。生石山への最初の基準日は大体4月15日前後としている。この職場に来てからは15日というのが休みを取りづらいものだから今年は4月14日に休日を入れ、ひまじんさんには早々と14日に行きますとお伝えしてこの日を待っていた。

しかし、数日前から眺めている天気予報では雨模様だ・・。しかし、春の天気予報は刻一刻と変更される。そして、大体のパターンが、雨の予報でも降らない予報に変わってゆく。まだあきらめるわけにはいかない。例年のこの時期の気候というのは朝晩はまだまだ肌寒く感じるものだが、今年はここ数日汗をかくほどの暑さが続いている。こうなると焦ってくる。もともと冬が寒かったのでタラノメの採り頃は遅れていたものの、コゴミはすでに標準的な時期に採り頃になっていて季節は追いついた感があった。その勢いで季節が追い越して行ってしまった感じがするのがここ数日であったのだ。前回の休日には今日は雨模様だということがわかっていたので早めに行っても追い越した季節に合わせて山菜も芽を出しているかもしれなかった。それをあえて今日に引き伸ばしたのでどうしても今日、生石山に行きたかったのだ。
幸いにして最後に見た天気予報は午前7時頃からお昼過ぎまでは雨が上がっているというものだった。



天気予報を信じて午前4時に起床して雨雲レーダーとにらめっこしながら予報の精度を確かめる。確かに、午前5時過ぎの雨雲が通り過ぎれば雨はなさそうだ。小雨の中必要な道具を車に詰め込みいざ出発。
道中、霧の粒がフロントスクリーンを濡らすが空は明るい。

生石山に到着した頃にはすっかり明るくなっていたのだが、道中、大規模な工事がなされていて山道が様変わりしていた。なんだか嫌な予感がしていたのだが、それは的中していてヤマウドのポイントの上にもかなりの盛り土がされてしまっていた。そして、春先のポイントである南の斜面に向かうと・・。
ここも土木工事をされているわけではないけれども、高原周辺の灌木が根こそぎ刈り取られてしまっている。



まずは王家の谷に入って数本生えているタラの木を見てみようと思っていたのだがその木も跡形もなくなってしまっていた。
タラの木があったであろう場所を探してみると、無残に切り倒された木が残されていた。



ここから南の駐車場の前にかけてのエリアは灌木や枯れススキに守られたベッドの中で早くからワラビが成長しているのだがその姿もほとんど見えない。
生えていることは生えているがほんのわずかだ。



いちばん数の多い駐車場の前のエリアはわずかに灌木が残っていたが、逆に入って行ける道が消えている。これは想像なのだが、毎年僕が入っていく道というのは獣道だったと思う。しかし、周りが刈り取られてしまったおかげで獣たちもわざわざ草の深いところを通らずに歩きやすいところを通るようになったのではないだろうかと思うのである。せっかく期待していた場所だっただけに落胆は大きい。
仕方がないので正面の駐車場に戻り、ほかの場所はどうなっているかを確かめに出かけた。

中心部に向かっても高原のいたるところで灌木が切り倒されてしまっている。高原の東端にも灌木があり、この中にもワラビがあるのだがそれも根こそぎなくなってしまっている。そのまま歩いてゆくと皮肉な看板が佇んでいた。



草花を大切にせよと書いておきながらその草花を根こそぎ切り倒してしまうというのはどういった思想を持っているのだろうか。ちなみにこの先の灌木もことごとく刈り取られていた。ここにも数本のタラの木が生えていて、イタドリもたくさんあったのだ。この看板を立てた人たちにとって、山菜や灌木は草花ではないということだろうか?それでは明らかに自分たちが愛する植物とそうでない植物を選別しているということになる。これは極端かもしれないが選民思想につながるものであるとあえて言いたい。ここを管理しているのはどういった素性の人たちか知らないが、何か特別な権利、たとえば対象物に対して生殺与奪の権利を有するような立場に立った人間が必ず芽生えさせてしまうような考えだ。もっとあえて言うなら、これはナチスドイツ、ウクライナに攻め込んだプーチンとまったく同じではないかと思うのである。
ひどいものだ。何の抵抗もしない植物たちを自分の好き嫌いで選別して嫌いなものを根絶やしにしてしまおうというのだから優生思想という人類で最も下劣な思想にかぶれた輩たちだと言われても仕方があるまい。ついでにこいつらは山漆の木にかぶれてしまえばいいのである。ちなみに、こいつらはそれが怖いのか、王家の谷に残されていた一本の木は山漆の木であった・・。

たまにすれ違うここの管理者たちは山菜採りの姿をした僕たちに対しては冷たい視線を投げかける。一度は、「そんなもん、腰からぶら下げてええと思てんのか!」というような言葉を叩きつけられたこともある。山菜を採るだけでまったくお金を落とさない僕たちを憎むあまりそれを引き寄せる山菜を目の敵にしているのかもしれない。
ここは我々の土地だからお金を落とさないよそ者は出ていけという思想は加太の帝国軍とまったく同じ考えである。自然は誰のものであるのか、これはもう一度問い直されなければならない問題であるはずだ。
そして、こいうった場所を刈り取るという行為に一体何の意味があるのだろうか。そもそも、ロープを張ったルート以外は立ち入り禁止としているのだから、これらの場所も普通の人が行くことはなく、見通しを妨げるようなものでもないので景観上も刈り取る必要はあるまい。むしろ、根を張る植物が枯れてしまうことで保水力が無くなり大雨が降ると土砂が流れ落ちてくるのではないかという危惧を覚える。

そもそも、ここは県立自然公園に指定されている場所なのにこんな行為が許されるのだろうか。この場所は確かに、適度に人の手を入れることによって維持されている環境であるが、おそらく江戸時代、もしかしたらもっと前から続けられてきた山焼きはやらずに植物だけ刈り取るというのはまったく歴史と伝統と植物のライフサイクルを無視しているとしか思えない。僕も山菜を摘み取っていく人間なので偉そうなことは言えないが、それはきっと自然が現状を維持できる範囲内での行為であると思っているし、全部採ると枯れてしまう芽はかならず少し残すようには心掛けているつもりだ。それに比べると、機械を使って根こそぎ切り倒してしまうという行為は許せない。

愚痴と怒りが長くなってしまった。

こうやって高原を一周してからひまじんさんと合流してヤマウドを探す。例年なら枯れ草の中をまさぐって小さな芽を探すのだがここも刈り取られてしまっていて地肌が露出してしまっている。株を探しやすいといえば探しやすいがなんだか味気ないし、雨が降った直後にも関わらず土がむき出しになった地肌は乾燥し始めている。こんな状態ではヤマウドもまともに成長してくれないのではないだろうかと心配にもなる。



その後、ワラビがたくさん生えている秘密の場所に案内していただき、大逆転でワラビも大量に採ることができた。しかし、この場所、迷路のような山道を走った末に現れる小さな場所だが、採れるワラビはとにかく大きい。誰も盗らないから大きくなるのか同じワラビでも大きくなる系統があるのか、大きいものなら全長が50センチ以上ある。それも、根元の方まで柔らかい。実際のところ、もう一度そこへ行けと言われるとまったく道がわからないので僕にとっては幻の桃源郷のようなところなのだが、道に迷って遭難してでももう一度行ってみたい場所である。
そしてコシアブラのポイントへ。去年はもうかなり大きくなってしまっていたけれども、今年はまだ葉が開き切っていなかった。いわゆるプレミアムサイズという一番いいサイズなのだが、これがあるということは半分くらいの芽はまだ小さいということだ。
ヤマウドも、これは採るに忍びないというサイズもあり、季節はこの数日で山菜の採り頃を追い越していってしまったかと思ったが、それは一部の場所のことであり、全体の季節はやはり寒い冬を引きずったままになっているようだ。山頂のコシアブラもまだほんの少し芽を出したところであった。



自然というものは人間のように気まぐれではないはずで、山菜たちも何かの法則に従って芽を出していると思うのだが、それは一体何に従っているのか、それがわかるとやきもきしながら採り頃を占うこともないのにといつも思うのである。

季節は寒さを引きずっていると書いたものの、今日は特別暑い日になった。朝起きた時も雨が降っているにも関わらずまったく寒さを感じず、帰り道でも車の温度計は25℃を指していた。
また例年の話をすると、高原に到着した時点で寒さが体中に浸み込み、指先は手袋をしていても感覚がなくなるほどなのだけれども、今日はヤッケを着ているとサウナスーツのようである。切り倒された草の上を歩くのはけっこう体力を使い、汗が滝のように流れてくる。山菜料理をたらふく食べても今日の夜の体重は久々に73㎏を下回った。

 

三寒四温とはいうけれども、なんだか極端すぎるような気がする。明日からはまた気温が下がるそうだ。
フィールドもおかしくなり、気候もおかしい、なんだかおかしい春なのである・・。

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水軒沖釣行

2022年04月12日 | 2022釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 4:29満潮
釣果:ボウズ

一昨日の夜、あまり気持ちのいいものではない夢を見た。
昔よく一緒に釣りに行っていた、かつての上司と取引先の営業マンの人と3人で磯釣りに行く夢だ。僕は何故だか途中で会社に呼び戻され、スーツの裾を濡らしながら会社に戻り、多分やりたくもない仕事をやらされているうちに渡船の営業時間が終わってしまった。
港に戻って船頭に、僕と一緒に釣りをしていた人たちはどこへ行ったかを聞いている。
僕の心の中では、この人たちが見つからないと僕の釣り道具がどこに行っていしまったかわからなくなる。そんな気持ちで焦っているというような内容だった。
人の行方よりも道具の行方を気にするというのはなんとなく自分らしいところがあると思うのだが、肝心なのはこのふたりのことだ。おふたりとも20年以上前にすでに亡くなっている・・。目を覚ます直前までそれに気付かず、どうしよう、どうしようと悩んでいて、そこでやっと、この人たちはすでに亡くなっているので僕が一緒に釣りに行けるわけがない。これは夢に違いないと夢の中で気付いたのである。
しかし、そんなひとたちが一度に夢の中に現れるというのは何かよからぬことがおこる前兆だったりするのだろうか・・。
そんなことを思いながら今日の釣行の準備をしていた。

さて、今日、釣果はどうでもいい。約1ヶ月乗っていない小船の性能維持だけが目的だ。せめて2週間に1回は乗ってやらねばと思うのだが、元々この時期、これは僕の腕前と情報量の限界が要因なのかもしれないが、水軒沖ではまったく釣れるものがなく、ワカメを採ってしまったら進んで乗るという機会がないのである。ワカメのほうも例年なら3月末くらいまでは採るところを、今年は早々と採ってしまったので1ヶ月のブランクとなってしまったのである。
もともと不機嫌なエンジンで、アイドリングが不安定、冷却水はパイロットウオーター(ションベンともいうらしい。)を見ている限りちょっと少なそう。チルトモーターはケースがさび付いて爆発寸前という状態だ。もっと良好な状態を維持したいのだが、いつも修理をしてくれるおにいちゃんに、ちょっと見てよと頼んでも動いているなら大丈夫だろうという頼もしいのかそうでないのかよくわからない答えが返ってくる。大きい方の船を診てもらっているタカシさんも同じようなスタンスなので、過剰な整備をひとの弱みにつけ込んで半分脅しながら押し付けてくるメカニックよりもユーザーに対して優しいのだと理解はしているのだが、そこから先は自己責任となってしまうのが怖いのである。
お兄ちゃんの忠告は、「2週間に1回はエンジンを回すこと。」「暖機運転はしっかりやること。」であった。だからこの1ヶ月というブランクはあまりにも長すぎるのである。
本来なら、次の休みは雨模様の予報に変わってしまったこともあり、それならば山菜を採りに生石山に行きたいところなのであるが、お昼前には病院に行かねばならないということもあり船外機の状態の確認を優先させた。

狙う獲物はメジロだ。今でも渡船屋の釣り客はルアーで大きい魚を釣り上げている。禁断の仕掛けを流してみると万にひとつでもブリがヒットする可能性があるかもしれない。
朝は少し明るくなるのを待って出港。



エンジンは快調そのもの、セルを回すと一発で始動。それじゃあ、わざわざエンジンを回しに来なくてもよかったのじゃないかということになるのだが、今日、回していなかったら、明日、突然不機嫌が極まってしまうということもあるかもしれないのだからこれはこれでよしとしておかねばならない。
ションベンは相変わらず死の直前の老人のようだが・・。

一文字の切れ目から仕掛けを流し始め、新々波止をくるっと1周してもとの場所に戻ったがまったく異常なし。朝日も顔を出してきて、エンジンの性能維持としてはこれだけ回せば大丈夫だろうと帰投した。

   

港に戻ってきた時間は午前6時を少し回ったくらい。さすがにそのまま家に帰るのはもったいないと、今日も焚き火の準備をしてきた。暑くなってくると焚き火というのもつらいものがあるだろうから、今日が最後かもしれない。今日からは少しずつ調理実習へ入ってゆく。第1回はホットサンドメーカーを使って調理パンを温めることである。まあ、これが調理といえるかどうかはかなり微妙なところであるが・・。


以前、南風が強かった日に港に流れ着いていた枝を燃やしてやろうと思ったが、かなり水分を含んでいるようだったので断念。事前に秘密の場所に保管していた薪と防風林に入って取ってきた枝をミックスして使う。
着火はお手の物になってきた。今日はマグネシウムのファイヤースターターを使ったのだがきちんと火を熾すことができた。



着火剤はいつものススキの仲間を取ってきて、それに加えてコゴミを採りに行った時、杉の葉を取ってきていた。



松の葉よりもボリュームがある分、よく燃えてくれる。小枝をくべながら火を大きくして港に来る前に買っておいたウインナードッグパンを挟んで火にかけてみる。



同時にコーヒーを沸かすためのお湯を沸かすのだが、やはりこの焚き火台はサイズが小さい。ふたつを乗せるとそれで一杯になってしまう。せっかく優雅に焚き火を楽しんでいるのだからもうちょっと余裕が欲しいというものだ。



焚き火の火力というのは思いのほか強く、少し強くなりはじめた南風に煽られながらもものの5分もしないうちに焦げ目がつき始めた。
もうちょっと温めてやろうと火にくべ続けると今度は少し焦げすぎてしまったが、表面はカリっとしていてなかなか美味しい。



次は鉄板を持ってきて肉でも焼いてやろうかしらと密かに考え始めるのである。
こんなことをやっていると面白くて仕方がない。どんどんはまってしまいそうだ。というかすでにはまってしまっていて、伐採した枝が積み上がっているのを見たり、ススキの枯れ穂が集団で生えていたりすると無性に火を着けたくなってくる・・。
放火犯の心境というのはかくあるものなのかもしれないと思うのである・・・。

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「同志少女よ、敵を撃て」読了

2022年04月11日 | 2022読書
逢坂冬馬 「同志少女よ、敵を撃て」読了

なかなかタイムリーな本を読んでいる。アガサクリスティー大賞という賞を受賞したというのは宣伝に書かれていたが、読んでいる最中に「2022年本屋大賞」を受賞したというニュースが流れていた。この賞は今ではおそらく芥川賞や直木賞よりも影響力があるのではないだろうか。僕が貸し出し予約をしたときは17人待ちだったが、すでに36人待ちにまで膨れ上がっている。
また、舞台が、時代は違えどもロシア(旧ソ連)であるというのもタイムリーな話だ。

物語はというと、少女のスナイパーが活躍するという、アニメの原作になりそうなストーリーである。しかしその合間には戦争というものの悲惨、非情、不条理、狂気、そういったものが随所に盛り込まれている。現実ではロシアがウクライナに侵攻し、この物語とまったく同じことがおこなわれているのだということを考えると恐怖と悲しさを感じるのである。

舞台は第二次世界大戦の最中、独ソ戦の3年間である。この戦争ではロシア側の兵士は2000万人、ドイツ側は900万人の兵士が戦死したそうである。
主人公は狩猟が得意なセラフィマ18歳の少女だ。少女が住むイワノフスカヤ村というのどかな村に突然ドイツ兵がやってきたことから物語が始まる。ドイツ兵たちは村民をパルチザンと決めつけ蹂躙する。それを狩りから帰る途中に目撃した主人公親子は離れたところから様子をうかがうが、村人を助けようと銃を構えた母親はドイツの狙撃兵に狙い撃ちにされる。
ドイツ兵たちの前に引き出された少女は凌辱の危機に陥るけれども赤軍の登場によって救われる。しかし、すでに村民全員が殺された中、悲嘆で精神が錯乱している少女に向かい、この赤軍の上級曹長という女性は、「戦いたいか、死にたいか。」どちらかを選べ。と選択を迫る。戦いたければ自分について来いというのである。
自分が住んだ家もろとも母親の死体までも焼き尽くしてしまった隊長に対しての恨みと母親を狙撃したスナイパーへの復讐を胸にその隊長についてゆく。
この隊長は狙撃訓練学校の教官であり、家族を失った女性ばかりを集めて訓練を繰り返していた。こういった部分はフィクションなのだろうけれども、第二次大戦でソ連だけは女性が兵士として従軍したそうだ。その中には狙撃兵もいたのかもしれない。
この教官がどうして家族を失った女性ばかりを狙撃兵として育てたのかということは後になってあきらかになってゆくのであるが、そのイリーナという名前の教官は厳しく、かつ冷酷に生徒たちを指導し一流の狙撃兵に育て上げる。そして、「戦いたいか、死にたいか。」という言葉と、「お前たちは、今どこにいる?」というふたつの言葉がこの物語の進行に大きくかかわってくることになる。「お前たちは・・」という言葉は、本来の意味では狙撃兵として標的の位置と角度を正確に把握するための訓練の一部としてランダムに決められたその場所に自分が立ちに行くというゲームの中から生まれた言葉であるが、それが後々になって別の意味を帯びてくるのである。
そして、主人公の少女はこの訓練校でこれから運命を共にしてゆく女性たちと知り合う。自分が貴族の出身であることを恥じているシャルロッタ、カザフスタン出身の猟師であったアヤ、自分の子供や夫を殺されたヤーナ、NKVD(内務人民委員部)という裏の顔を持つウクライナ出身のオリガ、この5人に看護師のターニャが加わり第三九独立小隊(後に第三九独立親衛小隊)としてそれぞれにそれぞれの戦う意義を胸に秘めてスターリングラード、ケーニヒスベルクと転戦してゆく。そして、教官であるイリーナも自らの戦う意義を胸に従軍するのである。

その戦いはまさに劇画タッチだ。文学と言えるかどうかはわからないがやはりこういう文章は読んでいて面白い。射撃の腕が抜きんでてトップであったアヤは早々と戦死してしまうが、その他のメンバーはイリーナの指導の下どんどん腕を上げ、冷静かつ冷徹なソ連軍内でも一目置かれる狙撃集団となってゆく。
最後の戦いの舞台、ケーニヒスベルクではセラフィマの理智と射撃のテクニックが思う存分発揮されいくつかの危機を乗り越え宿敵である母の仇、イエーガーを撃ち取ることができるのであるが、物語はそれでは終わらない。そして、仲間の死と戦場の悲惨さを体験する中、セラフィマの中の戦う意義だけは少しずつ変化を見せてゆく。自分の母を殺したスナイパーへの復讐は変わらないけれどもそれに加えて、戦争で弄ばれる女性を守らなければならないという気持ちが芽生えてゆく。それが、後になって、「お前たちは、今どこにいる?」という言葉と重なってゆく。この辺りはこれから先この小説を読む人のために詳しくは書かないでおこうと思うが、ドイツ軍だけではなく、ソ連軍内でも戦時下での女性の虐げられ方というのは悲惨なものであったようである。

この小説が本屋大賞に選ばれた理由というのは、こういった劇画タッチの展開に加えてソ連が内に抱える民族主義的な矛盾や行き過ぎた社会主義の亀裂のようなものを織り込んでいるからなのかもしれない。そしてそれは今のウクライナ侵攻につながっているのではないかということがたくさんの支持を集めたのだと思ったりもする。
狙撃兵たちそれぞれの戦う意義・・・。
アヤはカザフスタン出身である。もともと遊牧民として暮らしていた民族であるが、ソ連の社会主義政策により定住を強制されることになる。そういった境遇から自由を得るためには軍人として出世をするしかないという思いで狙撃兵としての訓練を受ける。
シャルロッタは貴族の出身である。ロシア革命によって多くの貴族は迫害を受け国外に逃れるかその身分を隠して国内に留まるしかなかった。シャルロッタも自らはどうしてプロレタリアートではなかったのかというコンプレックスを持ち、その気持ちがソビエト連邦のために貢献したいという目的になる。
一番年上のヤーナは自分の子供たちが戦争によって死んでしまったことにより純粋に子供たちを戦争から救いたいという考えを持っている。そして後にドイツ軍の少年兵を助けるため自らが大きな負傷を追うことになる。
オリガは軍内の反革命分子の取り締まりという役割を果たしながら、ウクライナという地域がソ連からひどい扱いをうけてきたということを常に心に中に持っているようである。
ウクライナという地域は、古くから周辺各国が争奪戦を繰り広げた地域で様々な国の支配下に置かれてきた。一時期はキエフ大公国という国家も成立したが間もなく滅びる。
「コサック」という人々はそんな時代、この地域で自治組織として暮らしてきた人々のことを指し、ソ連に支配された後、コサック兵たちはソ連軍の先兵として扱われ、徐々に自治権も奪われてゆき、多くの政治家や知識人たちも弾圧されることになる。物語ではオリガもウクライナのコサックの名誉を取り戻すために戦うのだと表面上は仲間に打ち明ける。
プーチンも、ウクライナはロシアに隷属して当たり前で、NATOに加盟してそれを背景に対等の位置につこうなどとはおこがましいと思ってこんな戦争を仕掛けたのであればそれはあまりにも馬鹿馬鹿しいことではないかと思うのである。

物語は終局に向かい、歴史と同じくナチスが倒れソ連の勝利が近づく。かつてイリーナと同じ戦場で戦った英雄、リュミドラ・パヴリチェンコは、戦争が終わった後、狙撃兵としての生き方しか知らない自分はどう生きればいいのかというセラフィマの問いに、「愛する人を持つか生きがいを持て。」と答える。それは一体どういう意味なのか、当初は戸惑うセラフィマなのだが、イリーナの本心を知り、村民全員が死んでしまった村に戻り、イリーナと共にこの村を再興する中でその意味を知ることになるというのがこの物語の結末だ。

本屋大賞の受賞が決まったというニュースが流れたのと同じころ、「カムカムエブリバディ」も終盤を迎えていた。この物語も戦争に翻弄されてきた三世代の女性の物語であるが、コゴミ採りの帰り道、ラジオからはこのドラマにも出演していた浜村淳が、「戦争というのは人の運命を弄ぶのだ。」と語る言葉が流れていた。
もう、この言葉に尽きるのではないかと思った。ある英雄は内乱下のクーデター派との戦いにおいて、「まもなく戦いが始まる。ろくでもない戦いだが、それだけに勝たなくては意味がない。勝つための算段はしてあるから無理をせず気楽にやってくれ。かかっているのはたかだか国家の存亡だ。個人の自由と権利に比べれば大した価値のあるものじゃない。それでは、皆そろそろ始めるとしようか。」と言って戦いの火ぶたを切る。
国家の存亡に比べれば個人の自由と権利のほうがはるかに大切なのだということだが、他人からのあれこれで自分の生き方を邪魔されたくないと常に思っている僕はそういったことをよけいに強く感じるのである。

テレビやネットではどこどこの都市では市民が何人殺されたとか簡単にアナウンスされてはいるが、当然だがその人たちにも人生があったはずだ。戦争がなければそれは今も続いていたはずであり本当のところ、それは誰も止める権利はない。
5月9日というのはロシアでは独ソ戦の戦勝記念日だそうだ。その日までに勝利宣言をしたいというのがプーチンの思惑だそうだが、よく考えれば、この日というのは、ドイツに侵略された自分たちの国を多大な犠牲を払いながら必死で守り抜いた結果迎えた日であるのなら、今度は立場が逆で侵略者となった自らがその日を祝おうとするのはあまりにも矛盾しているのではないかと思うのである。
ウクライナの人々は過去の歴史から、自国を守らなければならないという意識と気概が他国(特に日本人などよりも)強いという部分もあるのだろうが、その気持ちに答えてロシア軍は早く撤兵してくれないものかと願うばかりなのである。

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コゴミ採り

2022年04月09日 | Weblog
一昨日くらいからちょっと風邪気味になってきた。加太に行った日あたりから喉の調子が悪いなと思っていたら咳と鼻水が出てきて昨日は関節が痛くなってきて少しばかり頭痛もしている。仕事場にある体温計で測ってみると37度を超えている。
今、このブログを書いている最中も頭がボ~としている。
このご時世、風邪気味で熱があるというだけで白い目で見られるというか、危険人物として扱われる。昨日も、熱でボ~としながら職場で発生した感染者の報告書を書いていたが、このままじゃあ次は僕の名前がここに載ってしまうことになるじゃないかと恐怖を覚えた。窓際とはいえ、一応やらねばならないことがあるので長期に休むわけにはいかない。自由に休むためにはもっと窓際に追いやられなければならないのだ。仮面ライダーやデビルマンではないが、このことは人に知られてはいけない・・。こういう考えが頭の中に浮かんだのは初めてのことである。
それよりも、明日からの予定をどうするかということが問題だ、明日はコゴミ採りの基準日であり、そのためにこの日に休みを入れたのであり、今年は季節が遅れ気味とはいえSNSで調べる二川ダムの桜の開花状況はコゴミが採り頃になっていることを示している。(しかし、世の中便利になったものだ。自宅にいながら遠い場所の季節の進行がリアルタイムでわかってしまう。)
いよいよ本格的な山菜の季節に入っていく中で1日たりとも無駄にするわけにはいかない。次の休みには長らく動かしていない小船のエンジンの調子を見るため海に行かねばならないし、その後は生石山に行こうと考えている。季節は僕が風邪をひいているからといっても待ってはくれない。しかし、今のままの体調だととうてい無理だ。しかし、行かねば・・。

こういう時はとにかく寝るに限る。家に帰って夕食も食べずに風呂にだけ入ってそのまま布団に入った。翌日は午前3時半に目覚まし時計をセットしてその時の様子で行くか行かないかを決めることにする。
やはり体調は思わしくなく、目覚まし時計が鳴ってから布団を出るまで40分ほどかかってしまった。
しかしながら、幸いにして関節の痛みはなくなっている。頭痛は少し残っているが、これくらいなら車の運転はできるだろうと急いで準備にとりかかり午前5時前に家を出た。

ポイントには午前6時過ぎに到着。重機に荒らされた地面からも新しい芽が出ていた。これは期待ができるとさらに奥に進むと採り頃になったコゴミがたくさん生えている。



軸の太いボリュームのある芽を選びながら採ってゆくが、そこかしこに先に盗られたあとが見られる。これは去年までにはなかったことのように思う。とうとうここも誰かに見つかったかという落胆はあるけれども、コゴミは株が生きていればつぎから次へと生えてくる。大集団でも押しかけてこないかぎりは大丈夫だろう・・。と思いながら元の場所に戻ってくると、釣り人らしき人が車を停めコゴミを採っていた。地元の人は無頓着でもこういうひとが目ざとく見つけて盗っていくのだろう。と自分のことは棚に上げておいて残念に思うのである。



この場所を後にして次のポイントへ。ここでも盗られた跡がある。先行の人間たちは随所に現れているらしい。しかし、ここもエリアとしては広大だ。大集団でも押しかけてこないかぎりは大丈夫だろう。
と、ここでひとつ忘れ物を思い出してしまった。この辺りは麓に比べると桜の開花が遅い。基準日の今日はこの辺りの桜が散り始める頃でもある。せっかくなので今日は散りゆく桜を見ながらカップ麺でもすすろうとコンロの準備などをしてきたのだが、お箸を持ってくるのを忘れたことをここで思い出したのだ。熱でボ~っとしているのが理由ではなく、何をする時でも忘れ物をするのは常のことなので自分のバカさ加減を情けなく思うのだが、今日はそのバカさ加減がそのバカさ加減に輪をかけたバカな忘れ物を救ってくれることになるということがあとでわかるのである。

コゴミを採りながらお箸になるような小枝を切り落として籠の中に入れて車に戻り、桜のきれいな場所まで移動して小枝を取り出そうと思ってリアゲートを開くとその籠がない・・。籠を車に積むのを忘れてここまで来てしまったらしい。これがバカさ加減に輪をかけたバカな忘れ物なのである。
来た道を15kmほど逆戻りすると、幸いなことにそのカゴは僕が置き忘れたままそこに佇んでいてくれたけれども、もしお箸を持ってきていたら、リアゲートを開かずにカップ麺を食べて家まで戻り、家の駐車場でリアゲートを開いたその時になってやっと籠を乗せ忘れたことに気付くという事態になっていたはずなのだろうから今日はお箸を忘れたことをよしとしなければならないという情けない結末になってしまったのである。

   

もうひとつ問題が残っていた。それはガソリン問題だ。家を出るときにはすでに目盛りが残り三つになっていたので普通なら市内で燃料補給してから山に向かうのだが、最近は24時間営業しているガソリンスタンドがめっきり減ってしまった。ここにも働き方改革の波が押し寄せているのだろうがこんなときは不便だ。しかたがないのでそのまま山へ向かい、帰り道、集落のスタンドが開いていたのでとりあえず5リットルもあれば家に帰れるかと思ったら往復30kmの無駄な走行をしている間に燃料補給のメッセージが出てきた。前の車だとガソリンの補給ランプが点灯してもここから家までの距離くらいだと余裕で走れるはずなのだがこの車は普通車に比べるとタンク容量が圧倒的に少ないのでどのくらいの余力を残してメッセージが出るのかということがわからないのだ。



家に帰って取説を見てみると、この車のタンク容量は27リットル。途中で給油をしなかったら貴志川のスタンドまでたどり着いた時点で残量は約2リットルであったということがわかった。
おそらく、残り7リットル、平均的な燃費で計算するとあと98km走れる時点でメッセージが出るようである。
これが、余裕があったのかそうでなかったのかということは判断が分かれるが、F1マシンのゴール後のタンク残量よりも多いのは確かである。とりあえずはガス欠で立ち往生ということだけは回避することができた。しかし、貴志川町は燃料代が安い。どこでも150円台半ばの価格の看板が出ている。全国的に見て比較的安いと言われている和歌山市内と比べても8円から9円は安い。もっとタンク容量が大きければたくさん詰め込めるのにと思うけれども、そうなってくると絶対的な支払額は多くなってしまうので、結局、車にはできるだけ乗らないということが一番の節約なのであると気付いてしまうのである。



なんとかと煙は高いところが好きだというわけではないが、僕の今の仕事場というのが異常に標高の高いところにある。所在地の標高とビルの高さを合わせるとおそらく300メートル前後ある。ここでの勤務が約1年になるが風邪をひいたのが今回が初めてで、エレベーターで下の方と行き来すると耳が痛くなる。おそらく耳と鼻をつなぐ管(たしかエウスタキオ管とか習った覚えがある。)が炎症を起こして気圧の調整ができなくなっているのだろう。
体調が崩れると弱いところに負担がかかってくるものだろうが、この1年間に気圧の変化を受けすぎて鼓膜やそういった管も弱ってきているのかもしれない。これはこれでやっぱり困ったものなのだ。

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加太沖釣行

2022年04月06日 | 2022釣り
場所:加太沖
条件:中潮 8:13満潮 15:10干潮
潮流:7:14転流 9:41 上り0.8ノット最強 12:03転流
釣果:マアジ 1匹

タラノメ採りばかりしていて、気がついたら2週間近くも船に乗っていない。小船にいたってはひと月近く乗っていないことになる。小船のエンジンもかけてやらねばならないが港の周辺では釣りものがまったくなく、今日はとりあえず大きい方の船で加太を目指すことにした。

午前5時半の出港でまだ暗いうちかと思ったらこの時間では完全に明るくなってしまっている。知らない間に夜明けが早くなってしまっているというのもこの季節、毎度のことで、まったく学習能力がないということを露見してしまっている。



そして、これも毎年の春の潮流の特徴なのだろうが、中潮なのに午前中は上り最強で0.8ノットしかない。そういうことにも学習能力が働かないので毎年驚いているような気がする。

何はともあれ、今日の予定は潮が動き始めるまでの間はコイヅキでアジサバを狙って、上りの潮が効き始めてから秘伝の仕掛けを試してみようと考えていた。

午前6時半過ぎにコイヅキへ到着。



間もなく潮は止まる予定だがここは下りの潮がけっこう流れている。これはいい感じじゃなかろうかと僕は思っているのだが、一般的にはそうは思われていないのか、ここには誰もいない。ひょっとしたら僕がここの魚をひとり占めしちゃうんじゃないだろうかという超楽観的認知バイアスに包まれる。しかし、そんなに世の中甘くなく、さっそくサビキ仕掛けを下すがすぐに根掛かりをさせてしまった。
一瞬でやる気がなくなり、新たなサビキを出すにはこれから先、釣れるかどうかわからずに鉤だけを錆びさせるのはもったいないと考え始めた。まあ、この時点で今日の釣果はこんなものになるのだったのだろうということが予測できる状況になってしまっているのだ。
さて、どこに行こうかと迷うところだ。まだ潮は下りだし、秘伝の仕掛けを試しに行くには早すぎる。ここから眺めると、ラピュタ前にたくさんの船が集まっている。



あそこも根掛かりが凄まじいけれども、このくらいの潮ならやれないこともないだろうと移動先を決定。
これから先はしばらくの間、正統高仕掛けを使う。

この場所はめったに来ないので底の状態を知らないのだが、コイヅキに向かって徐々に浅くなっているというのが大まかな海底の地形だ。そして、そのかけ上がりに一瞬にして仕掛けを取られた。それも道糸ごとだ・・。失った道糸は約30メートル。かなり使い込んでいるのでこのシーズンが終わったら前後を入れ替えてやろうと思っていたが、頻繁に使う部分はかなり強度が落ちていたようだ。
仕方がないので新しい仕掛けをセットしてもう少し海底の平坦な場所に移動。ど特に理由はないのだが、真鯛はおるまいと半ばあきらめながらパンでも食べようと仕掛けを下したままの竿を置いてミヨシのほうに置いているクーラーボックスのほうに向かおうとしたときにアタリらしきものがあった。確かに魚は掛かっている。頭を振るわけではないのと、大きさからしたらこれはアジだ。30センチほどだがとりあえずボウズは免れた。
魚がいるとわかると少しはやる気が出る。ピザパンをかじりながら仕掛けを操っていると食いあげるようなアタリがあった。鉤には乗らなかったけれども、やはり魚はいる。
「冷えたピザ」というのは「不味いもの」が転じて「まったく魅力のない人間」を意味するらしいが、小渕首相の時代から24年が経って食品の製造技術も向上しているらしく、けっこう美味しい。



そして間もなく大きなアタリがあった。相当走るのでこれは間違いなく青物だと思った。これ以上走られると、枝素は3.5号なので切られてしまうと思ったがそこはうまくあしらうことができ、仕掛けをつかむところまで引き上げた。魚は上から2番目の鉤に掛かっており、水面下に姿を現している。けっこうなサイズのサゴシだった。う~ん、これはやばいぞ・・。掛かりどころが悪かったら一発で枝素を切られる。しかし、ここまで来るとどうすることもできない。運を天に任せて幹糸を手繰るだけだ。しかし、今日は僕の周りには幸運の女神は飛び交っていなかったようだ。魚が一気に反転し、あっけなく枝素は切られて海の底に消えていってしまった。
目の前で逃がす魚ほど惜しいものはない。しかも、それがものすごく美味しい魚だったりするともうダメだ。今日2回目のやる気喪失だ。

ここを見切ってテッパンポイントで秘伝の仕掛けを試してみようとナカト経由で移動しようと転進。
ナカトを通り抜けると魚探に反応があった。帝国軍の姿も少ないので一度ここでやってみようと仕掛けを下す。



小さい反応が時々現れるが、アタリはない。ナカトの西、東を転々と移動してみるがアタリがあったのは1回だけだ。しかもすぐに放されてしまった。点検をしてみると毛糸に喰ってきたようだ。ならば即合わせをしてみるべきだったか・・。しかし、それは後の祭り。そこから先はまったくアタリもなく、秘伝の仕掛けを試す機会も噂のハマチボイルを見ることもなく午前11時に終了。

潮の流れは本当に小さかったが風もなく穏やかな天気で今シーズン初めてヒートテックなしでやってきたがそれでも寒さを感じない。



これで釣れていれば言うことなしだけれどもそんなに甘くはない。惜しむらくはあのサゴシを獲っていれば・・・。

港に戻り接岸前。桜はまだ散り始めの直前。これも毎年のことではあるが、章魚頭姿山はこぼれ落ちそうなほどの桜が咲いている。



海抜0メートルのこの位置から桜を見ることができる人間は限られている。今日はそれを見に来たのだったということにしておこう・・。

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