イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

加太沖釣行

2013年09月29日 | Weblog
場所:加太沖
条件:長潮8:10干潮
潮流:4:17転流 8:12下り最強2.2ノット 11:23転流
釣果:真鯛 1匹 タチウオ2匹

あまちゃんも終わったし、船底の塗装も終わったので、今日から秋のシーズンの幕開けだ。
ドラゴン級のタチウオを釣りたい。

まずは保険の紀ノ川沖のタチウオを狙ってみる。しかし、今年は厳しいのか、腕が悪いのか、全然釣れない。今日もアタリが3回で釣れたのは2匹だ。
紀淡海峡の潮流の最強時刻が8時過ぎなので急いで田倉崎の沖へ向かう。タチウオを狙う前に真鯛もやってみたい。
今日はこちら方面には全然漁師が出ていない。お気に入りのポイントにもまったく船は出ていなかったが、今日はかなり南のほうに船団ができている。どのみちこのあとは友ヶ島の沖を目指すので沖のほうからスタートした。
準備が間に合っていなくて、ビニールのストックがほとんどない。オレンジは2本だけだ。もうちょっと準備万端にしておかねば・・・。

流し始めてまもなくアタリがあった。
小さいながらも真鯛が釣れた。時刻は7時ごろだった。
とりあえずボウズは免れた。
このあと、タチウオポイントの近く、沖ノ島の南に見つけた漁礁で釣りを再開。
なにやら小さな魚が掛かったが途中でバラシ、これを期に僕の唯一のタチウオポイントへ向かったのだが、今日はものすごいうねりだ。
船が異様に傾く。



画像では分かりにくいが、波の山と谷の差は3メートル近くありそうだ。

結局この波に勝つことができずに10時に退散。

最初は間単に釣れてしまったタチウオだが、その後はまったくもってさっぱりだ。
運がないのか、腕が悪いのか・・・。
苦悩の日々が続きそうだ。

友ヶ島から見ているとタチウオらしき船団は大型船の航路をはさんではるか淡路島側にできている。
今日の波ではあそこまで行くことは僕の肝っ玉では無理な話だ。もともと遠くまで足を延ばしてまで釣りをする気はないのだが、どうなんだろうな~。
行ってみたいな~。

田倉崎に戻るとこちらはいたって平和そのもの。快適なクルージングだ。



船底がきれいになった船はすべるように海面を進んでいく。



これでもう少し獲物があれば万々歳なのだが・・

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「100分 de 名著 老子 あるがままに生きる アンコール放送」

2013年09月23日 | Weblog
日本放送協会/編集 NHK出版/編集 蜂屋邦夫/著 「100分 de 名著 老子 あるがままに生きる アンコール放送」読了

難しい本を読んでもわからないので、たまたま再放送を見たのでテキストを買ってみた。

無為自然に生きる=水のように生きる これが老子の真髄だ。

無為とは何もしないのではなくて作為的なことはしないこと。自然とはあるがままに生きること。それを水のように生きるのだと説いている。水というのは自由に形をかえて作為的なことをしなくても自然と重力にしたがって下ってゆく。

老子には国を治めるための指針もたくさん記載されているそうだが、水のように生きるということを国の統治のヒントにもしている。大海はたくさんの川を集めて大きくなっている。それは一番下にいるからで、大国は小国に対してへりくだっているのがいちばん安泰であるのだ。ということだ。
これは会社の組織にもあてはまるのだろうと思った。部下にたしいてはへりくだって対応しているくらいが伸び伸びやってくれるのだろう。
しかし、これがなかなか難しい。老子の時代は何もしない、何も考えないでいると間違いなく死んでしまうような社会だっただろう。だから最低限の生き延びるための何かはだれでもやっていたはずだ。
今の日本は憲法で最低限の生活は保障されているし、サラリーマンもそこそこ身分の保障はされている。そんな中では無為とはいいながらどれだけのことができるだろう。

それでもいちど、無為自然にやってみたいと思う。
こんなことをやったらどうだろう・・・。他の会社ではこんなことをやっているそうだぞ・・・。我々は遅れてはいないか・・・。いつもそんなことを考えて、自分で勉強もしてみたけれども、老子の教えではそういうことも争いを生む元凶でしかなく知恵をつけることもよくないそうだ。
これも無為自然。

う~ん。本当にこれでいいのだろうか?
ひょっとして、「生活する。」と「生きる。」この二つは分けて考えないとダメなのではないのだろうか?

しかし、テレビの中ではバカボンのパパの考え方は限りなく老子に近いのだと言っていた。
だからやっぱり、これでいいのだ。

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水軒沖釣行 船底塗装

2013年09月20日 | Weblog
場所:水軒沖
条件:大潮6:22満潮
釣果:ボウズ

今日は船底の塗装のために上架の予約を入れていた。
しかし、今日の「NHKあさいち」のプレミアムトークは能年玲奈ちゃんが出演になっている。これは困った。これを見てから船を持っていってもいいだろうかと電話を入れてみると、後ろが詰まっているから早く来てくれないとダメ。とのつれない女社長の返事。一応、午前中どうしてもはずせない仕事があるのですが・・・。とお願いしてもダメだった。

再び困った。かくなる上は午前7時半までに帰宅すべくタイムスケジュールを組んでみた。どうせ朝が早くなるのでついでにタチウオの調査も兼ねてみよう。

午前3時半   起床
午前4時    出発
午前4時15分 船へ荷物を搭載
午前4時20分 桟橋まで原チャリで移動、徒歩で港まで引き返す
午前5時    出港 釣りを開始
午前6時半   ふたたび桟橋へ
午前7時    帰宅
午前7時半   BSであまちゃん
午前7時45分 マリンフレンドシマへ電話 桟橋へ船を係留していることを知らせる
午前8時    地上波であまちゃん
午前8時15分 あさいち

という具合だ。
夜明け前の港湾は活気がある。
鉄橋の下の水面はなにやら風情があり、



夜の工場は萌え、



中央市場は人とトラックでいっぱいだ、



港を出ると海に沈みつつある中秋の名月は水面に光の道を作り、



反対側には穏やかな夜明け。



魚は残念ながらエソが1匹。
しかしアタリはいくつかあり、仕掛けの幹糸には多数のキズがついていたのでタチウオの気配はあったのかもしれない。
湾内は台風で流れてきたゴミがたくさん漂っていたので港外に出るのに時間がかかったためつり始めるのが明るくなってしまっていたのが残念だ。
しかし、今日は徒歩で3キロあまりを移動したのでそれは仕方がない。
次に期待しよう。



船底の塗装が終わると、あまちゃんの大団円とともに僕の秋のシーズンがスタートするのだ。
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「おら、「あまちゃん」が大好きだ! 」読了

2013年09月16日 | Weblog
あまちゃんファンブック 「おら、「あまちゃん」が大好きだ! 」読了

あまちゃんの放送がない日曜日は全然面白くないぼくにとっては絶対に読まなければならない1冊なのだ。物語の解説に加えて画面のあちこちに出てくる小ネタの解説が面白い。

この物語はある意味、1984年から始まっているのだが、当時、僕はちょうど20歳。大きなテーマのひとつになっている、アイドル全盛時代をテレビの目の前で過ごした。同じ頃からだろうか、深夜テレビがどんどん面白くなってきて、バラエティだけではなくドラマも始まった。そんなドラマはストーリーもさることながら、出てくる小物やストーリーとはまったく関係ないエピソードにものすごく凝っていた。それがおもしろかった。僕は「季節はずれの海岸物語」や「心はロンリー、気持ちは・・・(これは深夜枠ではなかったが、)」なんかを面白く観ていた。ホイチョイプロダクションの作る映画も面白かった。
この本はどちらかというとそういう、サブカルチャーの歴史の流れをベースにドラマのディテールを語ってくれている。寄稿している人々はそんなサブカルチャー的な人ばかりではなく、富野由悠季、原色の岩手県知事、甲斐よしひろなど錚々たる方々もおられるのでオタクっぽくはなっていないのがなかなかのバランスのよさだ。

それにしてもこのドラマは面白い。
喜劇的な面白さはもとより、登場人物からは人生の生き方のようなものを教えてくれているかのようだ。
禅宗では今の状況に満足して生きてゆきなさいという。老子は身の程を知って生きてゆけという。しかし、何か新しいもの、ひとつ先を見ていかないと進歩がない。ある意味、人間はその欲望があったからこそ世界の隅々まで進出し、繁栄を勝ち取ることができた。馬鹿笑いしながらあまちゃんをみることができるのもそのおかげだ。
アキちゃんとユイちゃんは、お互いに交互に身の程を知る立場と、野望と欲望と未来に向けてがんばる姿を見せてくれる。正宗さんと春子さんもそうだ、勉さんとミズタクさんもそうだろう。人は片方の。その間をうまく見極めながら生きてゆきなさいというのが、宮籐さんのメッセージのように思える。そしてそれは”無用の用”や”不易流行”というような考え方に行き着いていくように思う。

とはいっても、やっぱりこのドラマは小ネタを楽しみながらほっこりして観るのが一番楽しい。
僕も小ネタを愉しむべく、

ウキ玉に顔を描いてみたり、



あばずれの食べ物を作ってもらったり、



I miss you と砂に書いてみたり、



スナック梨明日みたいな看板を探してみたり、



琥珀を磨いてみたり・・・。



昨日17歳になったばかりの息子に、「どうしてお前はアキちゃんみたいなかわいい女子高生じゃないのだ?」といじってみたりしているのだ。

そしてぼくはやっぱり勉さんのような生き方にあこがれてしまうのだ。

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水軒沖釣行

2013年09月07日 | Weblog
場所:水軒沖
条件:中潮7:04満潮
釣果:エソ 3匹

気がつけば前回の釣行は8月16日、半月以上も釣りに出ていない。
以来休みは8日間、この釣りに行かない日々はなんと穏やかなことだったろう。特に9月に入ってからは朝が涼しいものだから朝の楽なこと。
しかし、こんな生ぬるい生活をしていると体がそれに慣れてしまう。これではダメだ。臨戦態勢は常にとっておかなければならない。休みの朝は必ず夜が明ける前に起床して空の様子を確認するくらいでなければ。

と、いうことで、魚が釣れるあてはないのだが、例年なら釣れているはずの太刀魚を狙いに船を出してみた。速度は限りなく遅くなり、おまけにターボのシャフトから煙が出てくるようになってしまった。
ボルトを締めてみるが改善の様子はなく、どれくらいのトルクまで締めていいものかわからないのでどうしようもない。だから水軒の沖に出るのが関の山だ。

船はまったく出ていない。新々波止の切れ目から紀ノ川河口方面にそれらしき船の影は見えるだけだ。普通、土曜日で釣れ盛っていたら大量に船が出ているはずだ。きっと釣れていないのに違いない。意気消沈していても仕方がないのでいつもの仕掛けをいつものポイントで流してみるとさっそくアタリが出た。おや、釣れるじゃないか。ぼくもやるじゃないか。と勇んで仕掛けをたぐり寄せると、残念、エソだ。その後、新々波止を越えて紀ノ川河口方面に攻め込んでみたがこちらはまだ雨の影響が残っているのか、かなり水が濁っているのでもとの場所へ移動して仕掛けを流し続けるがアタリがあるとエソだ。
3匹目のエソを釣り上げて空がすっかり明るくなってしまったので今日は終了。



BSのあまちゃんを観るべく、急いで港に引き返した。

帰り道、いつも前を通る自動車の修理工場の前に懐かしいクルマが停まっていた。いすゞの117クーペだ。たしか、ジウジアーロのデザインではなかっただろうか。免許を取り立てのころ、憧れのクルマのひとつだった。
これからレストアをはじめるのだろうか。仕上がっていくのを見るのが楽しみだ。



家に帰って毎年船底の塗装をお願いしている工場に上架できる日の相談に出向いてきた。ほんとうなら今回の連休中に上架するつもりだったのだが、桟橋を改修中で無理だったのだ。次の上架の予約可能日は9月20日。
今月は行くあてもなくさまようことになりそうだ・・・。
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「完本 私の釣魚大全」読了

2013年09月06日 | Weblog
開高健 「完本 私の釣魚大全」読了

前回の1冊に引き続いて師の単行本を読んでみた。これも、文庫本には掲載されていないイラストがたくさん入っていて、確かに"完本"の趣がある。
イラストは本文にはほぼ関係のないような、ヨーロッパの古い釣具と思われるペン画のイラストだが、これは本家の「釣魚大全」を意識しているのだろうが、師の遊び心が面白い。

文中に出てくる釣具の中に、「ダイヤモンドのマイコン」というリールが出てくる。
これは懐かしいリールだ。大阪にあった大森製作所という会社が作っていたものだが、僕も大好きなリールだった。

今、家に残っているのはこのリールを含めて3台だが、うちの1台はまだ現役で使っている。


このリールは多分、中学生の頃に買ったものなので、すでに35年は経過しているのだが、作動にはまったくの問題がない。

この機種のもう少し前は、インスプールタイプと呼ばれるローターがカップ状になっているものがあったそうで、本文に出てくるものはそのタイプのものだろうと思う。
もともと、ミッチェルのOEMなんかもやっていたメーカーで、調べてみるとそっくりのモデルもあったそうだ。
アブとか、ミッチェル、フルーガー・・・懐かしい名前だ。僕も必死になってお小遣いを貯め、アブのカーディナルを1台買ったが、ボディの蓋を開けてみると歯車の数は国産のもののほうがはるかに多く、今考えて見るとすでに国産リールのほうがはるかに性能的にはよかったように思う。しかし、ルアーの釣りにものすごい憧れと興味をもっていたアホな子供の目にはダイワやオリムピックの釣具というのは目には入らなかった。
ダイヤモンドリールは価格のわりに作りが精巧で滑らかな使い心地だった。紀州釣りにも使っていたが1日に何度も巻いては糸を出しを繰りかえしてもトラブルを起こすことはなかったし、ベアリングが錆びてしまうようなこともなかった。
いいものがそのまま世間に受け入れられることもかなわず、1990年ごろに会社は無くなってしまったそうだ。当時の2大メーカープラス1に挑戦すべく、同じようなスペックのリールを作り始めたのが不運の始まりだったようで、どの時代もいかに独自性を発揮してゆくかがニッチで生きる一番の考えどころのようだ。



最後の章には石器時代の釣り針を使って魚を釣りながら古代史の研究をしている人が出てくる。先月訪れた博物館で見た展示品の中には、ルアーとして使ったものもあったらしい。


(一応、撮影禁止だったのだが、こっそり撮らせていただいた。)

遠い昔は僕が住んでいるこの場所も海だったそうで、数千年前にもここで魚釣りをしていた人々いたというのはなんともうれしい。その時代の人々も食べるためだけに釣りをしていたのではなく、「釣ることが面白い」から一所懸命針を磨いていたのだと思いたい。

やっぱり魚釣りはどの時代も面白いはずなのだ。
そう思うと、魚釣りを教えてくれた父親には感謝をしなければならないのだ。


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