イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

紀ノ川河口釣行

2021年02月26日 | 2021釣り
場所:紀ノ川河口
条件:大潮 6:25満潮
釣果:ボウズ

一昨日までの天気予報では朝から冷たい雨が降るという予報だったので今日の休みも停滞かと思っていたが、昨日の午後の予報では午前9時ごろまでは雨が降らないというのに変わってきた。相変わらず風は強い予報なので船を出せるかどうかはわからないがとりあえず朝はいつものとおり起きてみようと考えた。久々に小船を動かさねばならない。

午前4時半に起きていつもの煙突を見てみると煙は大きく南の方向にたなびいている。ああ、やっぱりこれではダメだと思いまた布団の中へ。
しかし、最近は特に1回目を覚ましてしまうとなかなか寝付けない。布団の中でまんじりとしながら外の雰囲気を覗っていると新聞を配達するバイクの音や風の音(実際はまったく聞こえないのだが・・)になんだか穏やかさを感じる。もう一度布団から這い出して煙突の煙を見てみると西へか東へかはわからないが風向きが変わってきた。
よし、これなら船を出せるかもしれない。どうせそんなに沖へは行かない。紀ノ川の河口までだ。それに意外と寒さを感じないということも背中を押してくれる。

急いで準備をして家を出る。これも歳か、目を覚ましてからかなり時間が経たないとウ○コが出ないので今日も腸のなかにそのまま残しての出港になる。

港に到着してみると渡船屋夫妻は珍しく手持ち無沙汰にしている。雨の予報のせいだろうか、珍しくお客がゼロ。もう少し待って誰も来なければ今日は休業にするらしい。

僕も明るくなる前には河口まで到着したいので急いで準備。まずはエンジンを始動させ、大きいほうの船から禁断の仕掛けとタモを持ってきて出港。
日の出の時刻まで約45分、雲が厚いせいか東の空さえも明るくなってこない。



暗さが続いているというのは好都合なので港内は危険回避のため安全運転でゆっくり航行。
紀ノ川河口に到着したころはまだまだ薄暗いという感じだ。この時期にはこういう釣りは向かないのかどうか、今日は1艘も船が出ていない。まあ、平日ですぐに雨が降ってくるとなると船も出ていないよなと納得する。仕掛けを降ろして土入川に向かって川をさかのぼり対岸に移動して川を下り、また元のほうに戻り同じ岸壁を下って終了。

 

まあ、いつものとおりだ。幸いにして風も波もなく海面はわずかなさざ波があるくらいで船はきれいに滑走してくれる。気温も低くはないので顔に当たる風も心地いい。

港に戻り、帰りの支度をしている頃に雨が降り始めすぐに本降りになってきた。



渡船屋夫妻も帰ってしまっていて静かな港の1日が始まったという感じだ。




気温は夜明け前よりも下がっている感じだ。家に帰って釣具屋に行ったり図書館に行ったりしていたが、その時間にはもっと気温が下がっている感じで、バイクを運転していると冷たさが身に染みる。僕は本棚を見ると便意を催す癖があるのだが、今日もきっちりここで済ますことができた。


港から出たすぐのところには公園っぽいところがある。ここは元は駅があったところなのだが廃止になり、ホームと線路があったところに水軒の松林を復活させるために植林をしているNPOの人たちが公園っぽいものを作ったのだがそこに河津桜が植えられている。ふと見たらその木が満開になっていた。2月は寒かったり暖かかったりと気温がひどく上下したが春は間違いなく近づいているようだ。



春になると会社では人事異動があるのだが、今年もまたそれに引っ掛かってしまった。ここ3年は毎年だ。これじゃあまるで職業体験だと思えてくる。どこの部署でもよほど使い物にならないのだろう。今度は子会社の人材派遣会社へ出向だそうだ。だからほかのひとよりも早く内示が出たというわけだ。
事業拡大で、来年度から墓石に見えるビルの最上階にある展望台の運営を受託するんだそうだ。僕はどんな業務に行かされるかというのは知らないが、このご時世、せっかく事業拡大で業績を伸ばそうと思っているのなら使い物にならないと思っている人間を行かせるよりももっと仕事ができると思っている人間を行かせればいいのにと思うが、本社も自分の身がかわいいのでポンコツを行かせるのか、はたまたよほど人材がいないのか、どちらなのだろう。
まあ、どちらにしてもとりあえずは給料と休日をきっちりもらえれば文句は言えまい。それに、悪臭漂う事務所から逃げられると思うとホッとするのである。
多分、片道切符で本体に戻ることはもうないのだろう。大概、こういう場合には自分のプライドが傷つけられて悔しい思いをするというのが一般的なのだろうが、不思議となんとも思わない。今の職場も大概屈辱的な職場だというのがそういう感情にならない要因だと思う。なにしろここはクズ箱だ。クズ箱からゴミ箱に移るようなものだ。会社もそういう意味ではショックを徐々に和らげるように配慮をしてくれているのだろうか。目くそ鼻くそを笑うというようなものなのだろうか。ちょっと違うか・・。クズ箱からゴミ箱なら、ゴミの中にはまだ取り出して加工すれば役に立つものが見つかりそうな感じがする。
じゃあ、クズからゴミへちょっと出世したとでも思っておこう。
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「資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐」読了

2021年02月25日 | 2021読書
マルクス・ガブリエル/著、マイケル・ハート/著、ポール・メイソン/著、斎藤 幸平/編「資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐」読了

編者はひと月ほど前にNHKの「100分で名著」でマルクスの資本論の解説をしていた人だ。大阪市立大学の准教授で哲学と経済思想史の研究者だそうだ。そのときの話し方の歯切れがよかったので著作を探してみたらこの1冊が見つかった。

海外の著名な哲学者や政治学者との対話形式で現代の資本主義の矛盾点やその先のポストキャスタリズムといえる提言を論じあっている。

まず、近代の歴史の流れが簡単に説明されている。第二次世界大戦後の民主主義は社会民主主義から新民主主義へと変わってきた。高福祉社会から緊縮政治による競争を促す政治への転換だ。日本では小泉内閣が郵政民営化をはじめいくつかの改革をおこなった。その結果、格差、貧困という問題が生まれてきた。
それに対して未来の方向転換をどのようにしたらすべての人が幸福になれるのかという論証がなされている。
僕がそれらを読んで結論付けたのは、それらは確かに理想的ではあるが、おそらく実現することができたとしても長続きはせず、どこかで破綻をきたすに違いないということだ。そもそも実現はできないとも思う。
それは、「人間が人間である限り」ということにほかならないと思ったからだ。
三人の知識人が登場するが、哲学者やジャーナリストだ。哲学とは往古から形而上学的な思想で語られるし、ジャーナリストはまあジャーナリストだ。それを脱することはできないのだなと冷めた考えしか浮かばなかった。

最初の登場人物はマイケル・ハートである。この人も哲学者だそうだ。
この人のポストキャスタリズムへの考えは、「コモン」という考えだ。生活の基盤となる産業資本、例えば電力などを共有財産としていこうという考えだ。さらに発展して、ベーシックインカムという制度の導入も提唱している。それをすることで格差という問題が解消されるのだという。
資本主義の行きつく先は、すべてのものを価値に置き換えその価値(利益)を生むために天然資源のあらゆるものを食いつくそうとする。労働者もその労働力を価値に置き替えられ、資本家は利益を極大まで拡大しようとするから労働力という価値はどんどん低く買いたたかれる。これはマルクスの資本論の考え方の一角であるが、そうならないための対策が「コモン」と「ベーシックインカム」であるというのだ。
どうも社会主義的な考え方のように思えるが、マイケル・ハートによれば全員がアントレプレナー精神(起業家精神)を持って労使協業してゆく社会が生まれるのだという。社会主義はすでに失敗したと歴史的には考えられているが、マイケル・ハートは過去の社会主義との違いは現代の資本家と労働者の協業は、「下から」自律的に発生してくることが多いという。
う~ん、しかしどうなんだろう、社会主義の失敗は人間というのは基本的になまけものであるというところだったのではないだろうかと僕は思っているのだが、世の中のすべての人間がアントレプレナー精神をここにきて持つようになるとはとうてい思えない。自分自身を見つめてみても自律的にアイデアを生み、実践しているとは思えない。マイケル・ハート自身も楽観主義と語っているが、その通りではないだろうか。

次に登場するのはマルクス・ガブリエルである。この人も哲学者だ。この人、どこかで名前を聞いたことがあると思ったら、NHKの「欲望の資本主義」という番組に出演していた人だ。
この人は「ポスト真実」というものについて語っている。これは、情報テクノロジーの発展にともなって夥しい数の「真実」が生産されている中でつくり出された概念であるが、そのような状況のなかでは、普遍的な真実、これは倫理的なものと言い換えることができるかもしれないが、そういうものがわからなくなってしまう。そんな環境の中から次の世界をどうやって切り開いてゆくかという提案だ。
まず、現代はどんな時代であるかというと、「相対主義」の時代であるという、これは、「自明の事実」に向き合うことができなくなってしまった「ポスト真実」の時代に、その中で開き直るのが、「相対主義」である。本当の真実がわからないのなら、今の立場から相対的に考えられるものを真実と考えてしまおうという思考だ。
これは、世界のどこでも通用するような普遍的な意義のある概念なぞは存在せず、合理的な対話を行うための共通の土台を失ってしまった状態である。トランプの支持者などがそれにあたる。分断」というのも相対的に相手をみてしまうことから起こるのだという。
そこでマルクス・ガブリエルが考えたのが、熟読型民主主義である。現実を知っているものが“熟議”することが民主主義をよりよいものにするという考えである。これは新実在論という概念に基づいた新しい民主主義の進め方である。新実在論とは、相対主義に対して真実に対してそれをそのままに相対せよという考えである。
しかし、すべての世界の人が、あるひとつのものに対してまったく同じ価値観で相対することができるとは思えない。また、“現実を知っているもの”という定義を誰が誰に対して行えるのか。それを決める時点で真実はゆがめられ相対主義になってしまっているのではないだろうか。

最後に登場するのは、ポール・メイソンだ。このひとは経済ジャーナリストだそうだ。
ポール・メイソンが考えるポストキャスタリズムとは、情報テクノロジーの時代には資本主義が死んでいく世界だという。
テクノロジーが進化してゆく効果とは、限界費用のゼロ効果によって利潤の源泉が枯渇し、オートメーション化により仕事と賃金は切り離される。正のネットワーク効果により生産物と所有の結びつきが解消され、情報の民主化により生産過程も民主的なものになってゆく。要するに強制的・義務的な仕事から解放され、無償の機械を利用して必要なものを生産する社会となる。資本主義社会が消滅しユートピアをつくり出すことができるという考えだ。。
しかし、それを妨げる障害は多数存在している。現在の経済状態を維持したいと考える資本家やそのために無理に生き残らされているゾンビ企業たちであるという。(う~ん、僕が給料をもらっている会社も多分この類なのだろう・・)
しかし、この考えも、そんなに高度なテクノロジーが近い将来実現するのだろうか。宇宙戦艦ヤマトの船内ではオートメーションでコスモタイガーが作られていたが、あれは西暦2199年の社会だ。この本ではもっと早い時期に実現しないと社会構造は崩壊すると言っている。

3人の提言と予言はまさに理想だろうと思う。おそらく世界中の人たちが平等に幸せになれる。しかし、ナウシカの風の谷や未来少年コナンのハイハーバーくらいの規模の単位ならきっと実現可能で人々は幸せに暮らすことができるのかもしれないが、マイケル・ハートとマルクス・ガブリエルの考えは、これだけグローバル化した世界で実現するとはとうてい考えられないように思う。ひとは必ず隣の芝生を青く見る。そうすると集団間でいさかいがおこり征服者と被征服者が現れる。そして封建主義が生まれ共和制に移行し資本主義が生まれる。これは歴史が何度と繰り返したことだ。また、ポール・メイソンの考え方にしても、情報を握っている階級はお金も握っている。その利権を他の人々のために簡単に手放すだろうか、情報は見えない。見えない力は大半の人が気付かない。それを使ってかならず利権を守ろうとし、守れるだけの資金もある。対する側には何もない。どうやってそれを覆すことができるのか。人は一度利潤を得るとますます利潤を欲しがるのが性だろう。


この本はコロナショックの前に書かれた本である。ネットワークは世界中をカバーしているが人の流れはリージョナルなレベルにまで落ちてしまった。そういう世界はひょっとするとこの本の登場人物が予言していた世界に近づく一歩になってゆくのだろうか。
もし、ここで政府が給付金ではなく、ベーシックインカムを導入したら公平な世界が生まれるのかもしれないような気がしないでもない。しかし、マイケル・ハートはこういった変革は社会運動が政治化して変えてゆく必要があるという。日本でもしかり、他の国でもそこまでラディカルな社会運動はおこっているのだろうか。もしくは力のある政党がそんなことを言っているのだろうか。
ひょっとして、もう少しテクノロジーが発展し、もしくは社会運動が成熟した近未来にコロナウイルスがやってきていたら一気に世界は変わったのだろうか。そんなことを思い浮かべた。

地球環境は2030年までに人類が考え方を改めないと破滅に向かうという。この本でも、このままでは2050年までこの状態が続くと資本主義は限界を迎えるのだという。
さて、いったいこの30年の間に本当に世界中の人たちはそんな大変革を受け入れることができるのだろうか。そんなに人間が賢い生物であったなら今、この時代でももっと生きやすい時代であったのではないだろうか。
おそらく僕はその頃にはこの世にいないか、生きていたとしてもそういうことが何を意味していたのかということを理解する脳細胞は残っていないだろう。
まあ、そんな先のことはどうでもいいから、それまでは飢えずに生きさせてほしいものだと思うのだ。


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「ヒロシのソロキャンプ-~自分で見つけるキャンプの流儀」読了

2021年02月22日 | 2021読書
ヒロシ 「ヒロシのソロキャンプ-~自分で見つけるキャンプの流儀」読了

数年前まで、「BE-PAL」というアウトドア雑誌を30年以上も購読していた。なんだか自分には合わなくなってきたなと思って購読をやめてしまったけれども、読み始めた当時、アメリカンなスタイルのキャンプ情報なんかが中心で、オートキャンプというものが紹介されていた。ちょうどRVというジャンルの自動車も人気が出始めていた(SUVという言葉はまだ生まれていなかったように思う。)頃で、僕もものすごくあこがれた。
四駆のRVには乗ることができなかったが、ステーションワゴンを乗り継いだのも釣りのためということもあったが、オートキャンプにもあこがれていたからだったのだと思う。
もともと道具類が好きなのも相まって、就職して自由になるお金ができてくるといろいろなものを買い漁った。コールマンのツーバーナーはいちばんの憧れで真っ先に買った。しかし、家族ができて、さてオートキャンプだと意気込んではみたけれどもこういうのは奥さんが乗り気でないと成立しないということをその時気付かされた。
何回かは日帰りで出かけてみたりもしたけれども、僕の奥さんはいつも大きなつばの帽子をかぶり、寒くもないのにマフラーを首に巻き付けUV手袋をつけたまま野菜を切ってくれていた。どうして?と聞くと、「日焼けするじゃない。」という答えが返ってきた。ああ、この時点で僕のオートキャンプの夢は溶けてなくなってしまったのだ。

コールマンのツーマントルランタンはいまだに灯したことがなく、燃料さえも入れたことがない。同じくテントもタープも友人が貸してくれといって持って行ったことがあるだけで、僕自身は一度も立てたことがないというありさまだ。焼き肉用の鉄板は値札が貼り付けられたままである。
それでも道具類は好きだからその後も食器のセットを買ってみたり、テーブルを自作して真ん中を丸くくりぬいて七輪をセットできるように改造したりしてみたりもした。
そういえば、「イグルー」という、これもアメリカのブランドだが、雰囲気だけはキャンプっぽいがあまり保冷力のない巨大なクーラーボックスも物置に眠っている。これは冷蔵庫を買い替えた時に食材を一時保管するのには役立った。奥さんはこれだけは褒めてくれた。

そんな感じで時は過ぎてゆき、誰も、僕さえもキャンプというものに何の興味も示さなくなっていて、これらの道具たちはきっと大地震が来た時に避難生活をするのに役立つ時を待つだけになってしまったのだ。

以前にもブログに書いたが、最近、芸人のヒロシがソロキャンパーとして人気が出ていると知ってユーチューブを見てみた。そこには小さなテントを張ってひとりでキャンプをするヒロシの姿があったのだが、それはあまりにもかっこよかった。
突然100均の貯金箱でストーブを作ったのもこの人の影響だ。



いつも持ち歩いているバッグの中にはファイヤースターターと火吹き棒を忍ばせている。ほかにもペンチやナイフ、双眼鏡なども入っているが僕は決して怪しい人間ではない。はずだ・・。


ひとりぼっちなんていうと、社会生活の不適合者のようなイメージがつきまとうが著者はそれを堂々と楽しんでいる。実際はテレビ番組に出演をして自分で会社も作ってとなると全然ひとりぼっちでもなく社交性もないというものではなくてそれはキャラクターなのかもしれないが、あとがきにはこんなことが書かれていた。
『これまでの僕の人生は「みんなで」という言葉に振り回されてきた。』小学生の頃、みんなで班を作ってという先生の声におびえていた。自発的に声をあげられない、人気もない著者はいちもあぶれる側の生徒であった。『なんでみんなで班を作らなきゃいけないのだろう? ひとりでよくない?』と思いながら、いかにもあぶれたことなんて気にしてませんよという表情や姿勢を必死につくりながら恥ずかしさと惨めさを感じながらじっと立っていることしかできなかった。自分の興味のないことでも、空気を読んでグループに入ること。やりたくないことでも、誰かがなんとなく与えてくるポジションを演じること。異論があっても黙って従う協調性のこと,著者にとっては「みんなで」は負の言葉でしかなかった。
「みんなで」という言葉は平和でどこか正義めいたものにすら感じるのだろうが、著者にはずばり同調圧力という印象しかなかった。
これには僕も同じ思いがある。もともと社交性のない僕も同じ気持ちで小学生時代を過ごし中学生になり高校時代も変わらず社会人になってしまった。そして今も社交性のなさを引きずって生きている。
著者はグループでキャンプをすることにも違和感を覚えていたが、ある時思い切ってひとりでキャンプをしてみて満足感を得る。
『「みんなで」という無駄な装備を捨てて楽になり自然体の自分を取り戻したのだろう。毎日が楽しくなった。精神的にも健全になった。』と書いている。
著者の言葉はそんな僕になにか肯定感を与えてくれているような気がする。
別にひとりでもいいじゃないか・・。

釣りに行くのもひとりで行くことがほとんどだがきっとそんな子供の頃の感覚がそうさせるのかもしれない。もっとも、周りに釣りをする人がいないというのと、これもその子供のころの感覚を引きずっているのだろう、釣りをしたことがないひとを無理に釣りに誘うということにものすごい違和感を感じるのだ。

著者はタレント仲間と「焚火会」というグループを作っている。集まってキャンプをする時も、「みんなで」ソロキャンプをして過度な交流をしないそうだ。そんな会が成立するのは、『メンバー全員、それぞれどこかで「みんなで」を捨ててきた人たちなんだと思う。』からだそうだ。
しかし、やはり「みんな」を欲するというのはどこかに人間というのは集団の中にいないと不安になるということの現れではないのだろうかと思う。そこに葛藤が生まれるのだ。

これはなんだか船の釣りに似ている。船の上ではひとりぼっち(ではない人たちもいるが)で、海上で出会う知り合いの人たちとも当然ながら海水という隔たりがあるので過度の交流ができないというほど良い距離感がある。それでもいつも知っている船の姿が見えないかと周りを探してしまう。

肩ひじを張って本格的にアウトドアをするのだというのではなく、見た目だけかっこいいスタイルを楽しむのだというやりかたに共感を覚えた。
料理も本格的につくるのではなく現地のスーパーで出来合いのものや冷凍のものを買ってきて暖めるだけというものも多い。
火を熾したり、お気に入りの道具を眺めたり、それだけだ。時間だけがゆったり過ぎてゆく。

これなら家族を巻き込まずにひとりで楽しめるのではないかとなんとなく楽しくなってきた。幸いにしてキャンプ道具は大小山のようにもっている。ソロテントを買えばすぐにでも出かけられるくらいだ。
ただ、そこで、僕は意外と出不精であるという問題が生まれてきた。当たり前だが出かけると帰ってこなければならない。それが面倒くさい。近場でキャンプができるところはないかと考えてみると、港があった。去年から渡船屋は月、火曜日が休業でこの日はほぼ人がやって来ない。薪の材料は近くの防風林に腐るほどある。この時を利用して護岸で船を眺めながら一泊するというのはどうだろう。嫌になったり、火を熾すことができなくてもすぐに帰ることができる。
これはいい。このブログを読んでくださっている皆さま、夜中に港で焚火をしている不審者を見ても警察には通報しないでくださいませ。どうぞよろしくお願いいたします。

そしてもうひとつ大きな野望がある。家の車をキャンピングカーに改造することだ。
軽バンのサイズはまさしくソロキャンプのサイズだ。僕は密かにそんなことをやりたいと思ってこの車をごり押しして買ったのだ。今のままでも大人ひとりなら十分寝ることができるが、床を高くしてそこにできた空間に収納を作って、壁に折り畳み式のテーブルを備え付ければ立派なキャンピングカーだ。あとは持っているキャンプ道具を積み込めばどこへでも行ける。ここまでやったら出不精を乗り越えて紀伊半島を脱出してみたい。まあ、リタイア後の楽しみになってしまうだろうが・・。

とりあえず、このブログを書き終えたら著者が持っているような焚火台をアマゾンで注文してみよう。


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加太沖釣行

2021年02月21日 | 2021釣り
場所:加太沖
条件:長潮 11:11満潮
潮流:6:30転流 9:14下り1.3ノット最強 12:07転流
釣果:マアジ 5匹 ガシラ2匹

昨日からまた気温がグッと上がってきた。太平洋に高気圧がやってきたからのようだが、強烈な南風が吹く心配もなさそうなので久々に釣りに行くことができる。

今日も潮流が最強迎えるまではアジサバを狙ってみてその後は真鯛を狙おうと考えている。

夜明けは少しずつ早くなり、午前6時前で辺りはすっかり明るくなってしまっていた。



春というにはまだ早いのかもしれないが春霞のかかった朝日は惑星タトゥイーンのようだ。(あそこは太陽が2個あったが・・)



遠くからでは船団が見えなかったが大和堆ポイントに近づいてゆくと今日もそこそこの数の船が出ていた。



僕も船団の端のほうで準備をして釣りを開始。サビキを下して間もなくアタリ。幸先がいいじゃないかと喜んだが小さなガシラであった。
その後はアタリがない。そして潮がまったく動かない。さすがに長潮の日というところだろうか。
このままでは多分魚は釣れまいと思い、移動する先はないかと見渡してみるとコイヅキにも船団ができている。潮流の最強時刻を待って移動しようと考えていたのだが早い目に移動。

船団ができていたのはコイヅキというよりも銅板ポイントの南のほうというようなところであった。



まあ、どこでもいい、船団ができているということは何か期待が持てるということだろう。そしてそのとおり、すぐにアタリがあった。引きは強かったがすぐにバレてしまった。多分大型のマアジが口切れしたのだろう。そしてしばらくしてまたアタリがあった。今度もさきほどと同じくらいの引きだ。バラさないよう慎重に巻き上げているとどんどん引きが強くなってきた。かかった魚がけっこう大きくてそいつが暴れはじめたかもしくは巻き上げている途中に別の大物がサビキに食らいついたのかもしれない。なんとか魚を取りたいとドラグを調整しながらやり取りをするがまったくリールが巻けない。道糸はどんどん引き出されてゆく。魚の移動している方向に船首を向けて巻き取るがすぐにまた糸を引き出されてしまう。ドラグは少し強い目に調整してあったが、ビュッ、ビュッ、という感じで道糸が引き出されてゆく。ここは水深約50メートルだがすでにラインはすでに60メートルも出ている。これ以上糸を出されるとまずいと思いドラグを強めに締めて少し強引に巻き取りを開始。こういう展開は間違いなくバラしだなと思ったら案の定バラしてしまった。
そしてなぜだか申し訳なさそうにもっと小さなガシラが1匹くっついていた。かわいそうのあのやりとり翻弄されてしまったのだろう目玉が飛び出してしまっていたのでとりあえずクーラーボックスに入れる。
仕掛けを点検してみると枝素が1本飛ばされ、鉤が2本曲がってしまっていた。メジロクラスのハマチだったのだろうが、3匹も掛かっていたらそれは無理だ。釣りあげることができる魚だけ掛かってくれと天を仰ぐのだ。




ここもすぐに潮の流れがなくなってしまい本当にコイヅキへ移動。



この時刻にはかなりの船団が出来上がっていた。僕も高仕掛けに変更して船団の中に入ってゆく。
この画僧はその船団を遠くから眺めたものだが、スパンカーの帆柱がなんだか旗指物を背中にくくりつけて合戦に臨んでいる野武士のような感じがする。これが帝国軍だと船の大きさも大体同じだし、船と船との間隔も均等に操船されるので統制が取れた軍団のように見えるが同盟軍は船の大きさもまちまちでけっこうあらくたい操船だし、今日は風もあまりないので船の向きもバラバラだ。だから寄せ集めの雇われ野武士の集団にしか見えないのだ。



小さなアタリを取って小さなマアジを2匹釣ったがこれでは面白くない。偉そうなことを言うつもりもなく、釣れるものを釣るという主義には変わりはないけれどもやはり加太に来たら真鯛を釣りたい。
それにこの船団の中は危険なほど密集している。かねてから考えていた通り、前回スズキを引っ掛けたポイントへ移動。



ここは下りの潮が入ると沖ノ島のかけ上がりの浅いほうへ潮が流れるのでいい感じだと思っていたのだが今日の潮は沖ノ島に当たらずにそこをかすめて沖に向かっている。
しばらくやってみたがやはりアタリはなく、またコイヅキへ戻ってきた。船団の中で3匹マアジを釣ったが完全に潮が止まっている。転流時刻にはまだ1時間ほどあるけれども潮は上りになっている。多分潮流が渦巻いていて反転してきているところに入ったのだろう。これではダメだと思い、もっと潮のながれているところはないかと考えラピュタ前へ移動。



ここは少しの潮でも底が取れないくらいにいつも流れが速い場所だが今日は簡単に底が取れるほど潮が遅い。ここでも少しだけやってみてあきらめてしまった。すでに転流時刻を迎えていたのでダメ元でまったく船の影が見えないが田倉崎の前に移動。魚探にはポツポツと反応が出ているがやはり船がいないということは釣れないということだ。ひょっとして潮が上りに変わると釣れる可能性もあるのじゃないかと思ったけれども午前中に終了するのが僕の主義なので簡単にあきらめてしまった。

多分だが、サビキ仕掛けのままでコイヅキで粘っていたらもう少しアジが釣れたのかもしれない。しかし、今日はというか、今日も加太へ来たら真鯛だろうという気持ちの方が強かった。これはこれで覚悟の上の貧果ということで納得しなければならない。しかし、小さいマアジ5匹ではアジフライを作って家族4人で食べるには物足りない。やっぱり釣れる魚を釣るというのが一番大切だということも実感してしまったのだ。

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「この世界を知るための人類と科学の400万年史」読了

2021年02月20日 | 2021読書
レナード・ムロディナウ/著 水谷淳/訳 「この世界を知るための人類と科学の400万年史」読了

人類の創世から始まる科学史の本というのは似たり寄ったりに内容だが、読み物としては面白い。とくにこの本の著者は物理学者であるとともにスタートレックの脚本家のひとりということなので日本語訳になっていても文章としては面白い。
人類が直立歩行を始めてから量子論を発見するまでの400万年という時間を三つのパートに分けて書かれている。

第一部は、『直立した思索者たち』として類人猿からアリストテレスまでの数百万年という期間。
第二部は、『科学』として、ローマ時代からガリレオ・ガリレイ、ニュートン、ダーウィンまでの数百年の期間。
第三部は、『人間の五感を超えて』というタイトルでアインシュタインから量子論の発見までの数十年の期間を書いている。

人類の祖先である哺乳類が地上の征服者になるきっかけは6500万年前(この本では6600万年前と書かれている。)に巨大隕石が地球に衝突したときに始まる。それが猿になり、木の上から地上に降り立ったのが約320万年前。
それぞれ、人類史での大きなエポックを区切りとしているが、その期間が加速度的に短くなっているというのがこの本のひとつのミソでもある。この約6000万年に対して、人類の文化的進化は1万年であり、そこから現在まではさらに短い時間で文明を発展させることになる。

その人類が他の動物たちと異なりどうして都市を作り文明を創ったか。まずはそこから考察が始まる。
僕が教科書で習った文明の発達というのは、狩猟採集生活から定住生活に移行し、物質的に余裕ができたあとで宗教や都市が生まれたという歴史の流れであったが、著者は、トルコにあるギョベクリ・テペ遺跡を例に挙げ、人類が狩猟採集生活をしていたころにはすでに宗教心を持っていたはずだと書いている。
この遺跡は約1万1千年500年前の新石器時代の遺跡だそうだが、周りには人が定住した痕跡はなく、おそらく数百キロという広範囲から人間がやってきてこの遺跡を築いたのだろうと考えられている。この遺跡はなんらかの宗教的儀式のためのものと考えられており、人間は定住生活に入る前から何かしらの宗教心をもっていた証拠なのである。
人類はそういった巨大な宗教施設を建てるために定住生活をする必要ができた。当時の狩猟採集生活と定住の農耕生活をくらべると、狩猟採集生活の栄養価のほうがはるかに高かったそうだ。それを捨ててまで定住生活に変化したというのは、よほどそうしないではいられない衝動があったということであろう。
その宗教心を持つようになるきっかけはやはり脳の発達であった。そして、その脳の発達が人間に“死”を認識させた。そこから宗教心が生まれ、ひいては都市を作り文明をつくる。それは、新石器時代の精神的でかつ文化的な革命であった。
そして元々、人間には疑問を解明したいという欲求が備わっていた。人類は「なぜ」を解明するために文明を発達させた。疑問を発する行為は人類にとって極めて重要であったのだ。そしてその「なぜ」が文明をさらに発展させた。
その過程で、自然世界も人間社会も何かの規則に従って動いている、もしくは動かねばならないという考えが生まれた。当時はそれをすべてひっくるめて“law(法)”という概念で考えられていた。三大文明が芽生え始めた時代だ。

時代は進み、ギリシャ時代になる。そしてアリストテレスの哲学が生まれる。アリストテレスの哲学は多岐に渡り、自然科学の分野では物理学については天動説や物体が移動するためには後ろから押し続ける何かの力が必要だという考えや化学では土・水・空気・火の四元素論、生物学では自然発生説などである。

アリストテレスの自然科学は現在ではもちろん否定されているが、1000年以上の間その考えが正しいと信じられてきた。
著者の考えでは、アリストテレスを否定する歴史が現代にまでつながる科学史あるというのだ。それはまた、この世界は神が創ったものであるという考えを否定するものであった。そしてその先にアリストテレス以下歴史上の誰もが考えもつかなかった量子論につながっていくのである。

物理学の分野ではだれでも知っているであろうガリレオ・ガリレイとニュートンが天動説、慣性の法則、万有引力の法則を発見した。
この本の中ではニュートンは科学分野の革命の中では最重要人物として書かれているが、けっこうオカルト的なこともやっていて、錬金術や宗教の研究にも情熱を燃やしていた。聖書の研究からは世界の終わりを西暦2060年から2344年と分析していたりするそうだ。環境問題や人口増加の問題を鑑みるとこれはけっこう当たっていそうな気がする。
それだけ、ニュートンの時代は神と自然法則が混沌としていた時代であったということなのだろう。

化学の分野では、僕自身はまったく知らなかったが1774年イギリス人のプリーストーリーという神父が酸素を発見し元素の考えが一新されたということが化学の分野でのエポックとなっている。酸素という言葉はフランス人のアントワーヌ・ラヴォアジエが名付けたものであったがこれを発見するに至る実験や考え方の基礎はプリーストーリーが築き上げ、そこからロシア人のドミトリ・メンデレーエフの元素の周期表につながってゆく。
ラボアジェは貴族の出身で莫大な遺産を引き継いだがそれを運用するために徴税請負人の仕事に投資をした。それがあだになり、フランス革命のときに共和政権によって処刑されるという悲しい運命をたどった。都市伝説らしいが、人間は首を切られた後でも意識があるのかということを自ら実験するため、生きている限りまばたきをし続けるのでそれを観察してくれと言ってギロチン台に上っていったそうだ。そしてその観察を依頼されたのが、ガンダム世界でスペースコロニーの建設が行われた、月と太陽と地球の引力が釣り合う地点、ラグランジュポイントに名を残す、フランス人のジョゼフ・ラグランジュであったと言われている。う~ん、そこまで科学に徹しきることができるとはすごい。

生物学の世界では、イギリス人のロバート・フックとオランダ人のアントーニ・レーウェンフックの2名が開発した顕微鏡に端を発する。ロバート・フックはニュートンとの確執で有名な人だそうだが、教科書では細胞の発見と命名者として載せられている。レーウェンフックの顕微鏡はフックの顕微鏡よりもさらに精巧で植物や動物の微細構造をつぶさに観察したそうだ。レーウェンフックという人は織物商で繊維の品質を確認する虫眼鏡を改造して顕微鏡を作ったらしい。
アリストテレスは、『すべての生物は神の知性によって設計されており、死ぬと体から離れる、あるいは消滅する特別な真髄をもっていると考えた。その生命の設計図の頂点にいるのが人間である。』と考えたけれども、フックやレーウェンフックが見た微細な世界にも精巧な構造があることがわかってきたのである。
それに続き、イタリアの医師のフランチェスコ・レディが腐敗の実験からアリストテレスの自然発生説を否定した。
そして、ダーウィンの進化論により、生物は環境下の自然選択により進化してきたものだという考えによって、人間は神が特別な設計図を基に作り上げた特別な存在であるという考えも完全に否定された。

こういった様々な研究は当時、教会に対して不信を抱く考えだと非難されるものでもあった。ニュートンやダーウィンはそれを恐れ、発表をためらうようなこともあった。ニュートンは、『神は言葉と業の両方を通じて自らの存在を示すのだから、宇宙の法則を研究することは神を研究することにほかならず、科学に対する熱意は宗教的な熱意のひとつにすぎない。』と信じていたが自分が生まれた年に亡くなったガリレオ・ガリレイの運命を知っていたのかどうかは知らないが発表をためらい、ダーウィンも種の起源の出版の際には同様であった。


著者の両親はユダヤ人でナチスの迫害を受けた人々のひとりであった。母は、ナチスの兵士が一列に並べたユダヤ人を何の根拠もなく思いつきのように頭をピストルで撃ちぬいていった。母親は列に並ばされていてたまたま生き残ったという。父も同様な体験をした。子供の頃からそういった話を聞かされていた著者はきっと神を含めた固有の意識が選択する未来の不公平さのようなものを感じていたのだと思う。そして、すべての出来事には理由があるという因果応報という考え方よりも、科学はいかなる目的にも従っていない(冷淡で無常である)世界のほうを好んだように思える。これは著者だけに限ったことではなく、人ならだれでも同じ感覚を持っているのかもしれない。
著者は、新石器時代の編で、『元々人間には、疑問を解明したいという欲求が備わっていた。』と言い、アインシュタインは、『かなたに見えるこの巨大な世界は、我々人間には関係なく存在していて、我々の前に大きな永遠の謎として立ちふさがり、我々の観察や思考では少なくともその一部しか理解できない。この世界について思索することは束縛からの解放のように魅力的だった』と言ったそうだが、長い人類の中で誰もが持っていたであろうその理不尽と思う心が、何の意思も存在しない自然の法則、『単純で決して破られない数えるほどの抽象的な法則によって、電子レンジの仕組みから周囲の世界に見られる自然の驚異まで宇宙のすべてを説明できる』といえるようなものを本能的に求めてきたのではないだろうか。
その理不尽との闘いがこの本の400万年の歴史に収められている本質のような気がしたのである。


僕は原子や量子について、かなり間違った解釈をしていたことがわかった。
元素と原子、量子論と量子力学という言葉だ。それぞれ同じようなものだと解釈していたが、言葉の使い方と発見、解釈された時期はまったく違っていた。

元素と原子についてであるが、元素は酸素や窒素といった純粋な素材の名前で、上で書いたプリーストーリーからはじまる様々な発見が最初だ。原子というのは元素を構成する一番小さな単位である。
原子の概念は1897年、イギリス人のジョゼフ・トムソンの電子の発見から、1911年同じくイギリス人のアーネスト・ラザフォードの惑星モデル、さらにデンマーク人のニールス・ボーアが提唱した、電子には軌道があることと、それぞれの軌道に入ることができる電子の数が決まっていること、電子が軌道を移動するときに電子は電磁波を発するという高校時代に文系の学生が習うモデルが確定された。
だから、元素と原子は一見似ているようだが発見時期も大きく違うのだ。
そして、原子というものが本当に存在するのだということを証明したのはアインシュタインだった。1905年に発表された有名な3本の論文のひとつにブラウン運動に関する論文がある。その運動こそが原子が本当に存在するという証明になった。
しかし、それからたった40年ほどで原子爆弾を作ってしまうのだから科学者たちというのはすごいと思う。40年という月日は長いか短いか・・。
ちなみに残りのふたつの論文というのは、光量子仮説という、光は粒であるという考えと、相対性理論だった。アインシュタインのノーベル賞は光量子仮説に対してであった。

量子論と量子力学についてだが、量子という概念はかなり古くかあり、1900年、マックスプランクが、「原子のエネルギーは無限に分割できない。」ということを発見し、量子という言葉を作ったということだ。アインシュタインよりも古い。
量子というのは、エネルギーでもあり、電子・中性子・陽子などの粒子のことも指し示す。量子論というのは、そういった量子がみせる奇妙なふるまいを説明したものなのである。ここに、ハイゼンベルクやシュレーディンガーが登場する。
この二つの言葉も似て非なるものだったのである。
僕の頭の中の科学史では、原子の構造が解明されたあと、アインシュタインが相対性理論を打ち立て、量子論の時代に入ったと思っていたのだが、これらはアインシュタインを中心にして一斉に理解が進んだというのが事実だった。

これらの量子論を組み立てていった人たちは戦争の波に呑み込まれていった人たちでもあた。
量子論を打ち立てた科学者たちにはユダヤ系やドイツ、オーストリアなどで研究を続けた人たちが多く、ナチスからは『ユダヤ人の物理学』であると迫害を受ける。そしてほとんどの科学者は迫害を逃れるためアメリカやイギリスに逃れる。
オーストリア人のヴォルフガング・パウリやラザフォードは亡命科学者の支援に動いた一方、プランク、ハイゼンベルク、ドイツ人のパスクアル・ヨルダン(初期の量子論の研究者のなかで唯一ノーベル賞をもらえなかった。その理由はナチ党に参加していたからである。)はドイツに残った。ハイゼンベルクやガイガーカウンターで有名なハンス・ガイガーはドイツの原爆開発計画にも参加していた。
逆に、爆撃機に搭載された爆弾の殻の中に隠れて命からがらスウェーデンからイギリスに逃げたボーアは後にマンハッタン計画の顧問となった。
著者は、こうした有能な科学者たちが運命に翻弄されてきたことを思うことで、さらに単純な法則のみに支配される世界を理想の世界であると考えたのかもしれないと思うのだ。

なかなか読みごたえのある本であった。
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ウミエラの続き。

2021年02月18日 | Weblog
力さんが送ってくれたウミエラの画像があまりにもきれいだったので拝借した。
こんな感じで海底に住んでいるらしい。

サンゴの仲間で、エラに見える部分はポプリの群体だそうだ。僕の仕掛けに引っ掛かってきた部分はここから下なのだろう。よく見ると模様がよく似ている。

 

体の全体が残っていれば全長は5、60センチはあったということだろうか。かなり大きい。

スズキがウミエラを引っ掛けて泳ぎ回っている間にポプリの群体がバラバラになって軸の部分だけが残った結果のようだ。全体が残っていたらこれはかなり不気味だが奇麗な生き物のように思う。
英語ではシー ペン(sea pen)、海の羽ペンと呼ばれているそうだが納得の命名である。

似たような生物にウミユリというのがあるが、こっちはウニやヒトデの仲間になるらしい。おそらく魚がたちがこの地球上に泡われる前、カンブリア紀からこんな生き物が海底に棲んでいたのだろう。三葉虫といっしょに見える光景はどんなものであったのだろうかと想像をすると限りがない。

ありきたりな締めくくりになるけれども、海の中は知らないことが山のように横たわっている。


このブログを書いていた時、夜のニュースで「魚博士」の少年という話題を取り上げていた。和歌山県内のいろいろな場所で釣り上げたり採集したりした珍しい魚を持ち込んでは展示されたり標本を作ったりしているそうだ。いままでに200匹は持ち込んでいるらしく、学芸員のアドバイスで論文も執筆したことがあるそうだ。
将来は海洋生物の研究をしたいらしい。10年に1回メールで問い合わせをしているのとは大違いだ。やるならここまで突き抜けねばならないということだろう。
もう、死ぬまでそんなに情熱を燃やすこともないのだと思うと、なんだか悲しくなってくるのだ・・。

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竹串を飲み込んでいた生物は・・。

2021年02月17日 | Weblog
10年前と同じウミエラという生物なのだろうなと思ったのだが、前回の釣行で引っ掛かってきた奇妙な生物について、今回はかなり細くてそれに竹串を飲み込んでいるというのが気になったので和歌山県立自然博物館に問い合わせをしてみた。竹串がなかったら巨大なゴカイのようにも見える。

問い合わせ方法は10年前とは違い、メールではなくてフェイスブックのメッセンジャーが窓口となっていた。時代は進んでいるようだ。

丁寧な返信をいただき、これはやはりウミエラの一種だったそうだ。そして、気になっていた竹串だが、これは骨軸というものだそうで、ウミエラにとっては体を支えている脊椎のようなものらしい。
そういえば試しに折ってみた時、片手で簡単に折れてしまったのだが、竹ならそう簡単には折れないし焼き鳥の串にしては長すぎる。夜店の屋台の串焼きならこれくらいの長さの竹串を使うかもしれないが、船の上でそれを食って海に捨てる奴もいないだろう。ただ、この海域は瀬戸内海でも有数の海洋ゴミの漂着スポットだから誰かが夜店で買ったものを捨ててここに流れ着いた可能性は否定できない。
そこまで竹串にこだわるのは、この骨があまりにも直線的に見えたからだ。生物ならもっと曲線的な骨を持っていそうだが、これはどう見てもまっすぐだ。先端の体の部分がちぎれて露出している部分の色を観てみるとやっぱり竹串にしか見えなかったのだ。

ちなみに、ウミエラはこの写真のうち、からだのつるつるしている部分を海底に突き刺して住んでいるそうだ。そして先端の丸くなっている部分を膨らませて錨のようにして体が流されないようにしているらしい。たまに海底から這い出して動き回ったりもするそうだ。けっこう合理的な構造をしている。

しかし、人知れず名前もつけてもらえず海底に潜んでいるこんな生物だが、おそらく未来永劫、この海の水が干上がることがない限り観察されることはないはずだ。コペンハーゲン解釈によると、(人に)観測されないものは存在しないと考えても差支えがないということになっているが、この生物は確かに存在し、おそらく何らかの形で加太の海域の生態系の形成に寄与しているはずだ。
そうなってくると、やはりコペンハーゲン解釈は間違いでその先にある量子力学についてももう一度考え直してもらわねばならないのではないかと思うのである。

 
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加太沖釣行

2021年02月12日 | 2021釣り
場所:加太沖
条件:大潮 6:46満潮 12:17干潮
潮流:7:45 上り3.3ノット最強 11:28転流
釣果:マアジ6匹 サバ1匹 ハマチ1匹 スズキ1匹(これは釣果といっていいかどうか・・)

今日も天気が穏やかな予報だ。僕の奥さんはどうも釣りに行きすぎだと思っているようだが、去年の2月も加太には3回釣行しているのでペースとしてはそんなに変わらない。年末年始からの大寒波に比べて2月は比較的暖かいというのがそういう印象を持つのだろう。

ただ、予報はそれなりに暖かいというものだったが日差しがなかった分そんなに暖かいということはなかった。それが災いしたのかどうか、今日もパッとしない釣果であった。

今日の予定は、潮流が最強時刻を迎えるまではサビキをやってそこから真鯛を狙ってみようと考えている。最近は他の人に倣ってアジサバを釣ることが多くなったが、やはり加太では真鯛を釣りたい。真鯛があっての加太への釣行なのだ。

まずは大和堆ポイントへ。



潮流はほぼ最強を迎える時刻だ。確かに潮が速い。仕掛けが一気に流される。これはつらいなと思っているときっちり根掛かり。しかしこんなに速いものなのかと思っていると、スパンカーを広げるのを忘れていた・・。
いつも最初にやる作業なのに、早く釣りたいという意識が強すぎたのかそれとも痴呆が始まったか・・・。情けない失態だ。35号の錘をひとつ失くしてしまった。

気を取り直してスパンカーを広げるとなんとか釣りになる。しかし、このスパンカーという装備はこんなにも効果があるのかとあらためて思い知らされた。

なんとか釣りはしやすくなったけれどもまったくアタリがない。魚探の反応もない。アジサバは1時間ほどと決めていたので焦り始める。少なくとも場所を変えないと埒があかないと周りを見ていると四国沖ポイントに船団ができはじめた。ダメ元で移動だ。実際に船団ができていた場所は四国沖ポイントから少し離れた西側だった。



漁礁も突起物もないようなところだが本当に釣れるのだろうかと疑心暗鬼になる。
これは人の心理なのか生物(というか、細胞)が持っている本能なのかわからないが、何か危機的状態がおこると集まるという習性がある。南方熊楠が生涯の研究対象にした粘菌は、飢餓状態になったときに単細胞のものが集合してまったく違う形の子実体というものを作り出す。この船団も、“釣れない”という危機的状態が引き金になって発作的に集まっているだけなのかもしれないと思ったりしてしまうのだ。
しかし、多くの釣り人は僕とは違う。少なくとも船を持とうという人たちは僕とは違い、いつ、どこで魚が釣れるか知っている。そして僕にもアタリがあった。ハマチだ。これでなんとかボウズを逃れた。
しかし、あとが続かない。続かないというか、1時間と決めているので焦っているだけなのかもしれないが・・。今日はKさんも出ていると聞いていたので一度電話をして状況を聞いてみることにした。すると、僕と同じように朝一には大和堆ポイントに入っていたそうでアタリがないので銅板ポイントと第2テッパンポイントを探ってみるとのこと。しばらくして電話があり、銅板ポイントでアタリがありますよとのこと。僕もすぐに移動。

 

到着後すぐ確かに魚群の反応がある。
さっそく仕掛けを下すと小さいながらマアジが上がってきた。生け簀を開けて魚を放り込んでいる最中に置きに竿アタリがあったらしく、コックピットに戻ると竿が水没していた。尻手ロープは必需品だ。今度はサバだ。
その後2匹釣り上げたもののあまりパッとしない。僕が到着したころには群れはほぼ消えてしまっていたようだ。この時点ですでに午前9時半を回ってしまっている。転流時刻まであと2時間。ここを汐に真鯛釣りに変更。仕掛けを高仕掛けに変えてテッパンポイントに向かう。途中で反応があったのでとりあえず仕掛けを降ろしてみるがアタリはない。すぐにテッパンポイントの中心地点まで移動して再開。たまに小さなアタリがあるが鉤に乗るまでにはいかない。潮流はかなり緩くなってしまっているので徐々に北上。この場所では北風に押されて船は南に流れている。



そしてアタリがない。どんどん北上してナカトも越えてしまった。
普通ならいきなり帝国軍にロックオンされてしまう海域だが、今日は旧正月の元旦のせいなのか、艦船はすくない。ベトナム戦争の頃にたとえるならテト休戦というところだろうか。
僕も水深50メートル付近に陣取り釣りを再開。



遠くを眺めてみると、Kさんもこの海域にやってきていた。

ときおり魚探には反応があり、アタリがあるがここでも釣れるのはマアジだ。それもやっぱり型が小さい。
転流時刻を過ぎたころだがここはすでに潮が下り始めている。そろそろ終わりにしようと考えていると大きなアタリ。アタリ方と引きからするとハマチだ。これをなんとか取り込んだら叔父さんの家に持っていける。しかし、掛かりが浅かったかドラグを緩め過ぎていたかあえなくバラしてしまった。その後、Kさんから電話があって、60センチの真鯛が来ましたよとのこと、それならば僕もあと30分延長しようと決断。そしてその直後、アタリがあった。真鯛特有のアタリっぽいがなんだか様子が違う。ググッという叩く感じがない。とりあえず合わせを入れてリールを巻きにかかるが、ここでもなんだか様子が違う。魚っぽいのだが重いだけなのだ。それもかなり重い。何らかの理由で魚の動きが封じられているのならかなりの大物だ。Kさんは60センチだったそうだが、この雰囲気ではゆうに70センチは超えていそうだ。仕掛けに手を掛けて手繰り寄せてみるとただのゴミだ。なんだか変なオレンジ色の物体と海藻が絡まったものが上がってきた。



たったこれだけのゴミでこんなに重いのかと見てみるとそこから先に糸がつながっている。重かったのはこの先に魚が付いているいるに違いない。ゆっくり引き上げてゆくと巨大な魚の影が見える。これが真鯛だったらかなり大きいと思ったが影がはっきりしてくると魚体が銀色になってきた。何だろうと思うとこれがスズキだった。
70センチくらいはあっただろうか。おそらく魚がヒットして高切れしたか、根掛かりをした仕掛けにスズキが食いついたかどちらかだろう。錘がすでに無くなっているところをみると後者かもしれない。糸を引きずったままで疲れた魚が疲れて海底で休んでいたところに海藻と得体のしれないオレンジ色の生物が絡まり、潮が動き始めてなんとか力をふり絞って海中に漂い出たところに僕の仕掛けが絡まったという感じだろうか。鉤の腐食具合から見ると2、3日は経っていそうな感じだ。



きっと浮上と休息を繰り返していたのだろう。
これは、前の釣行で帝国軍に獲物をかすめ取られたことを哀れんだ神様が、「お前がかすめ取られた獲物は大きな真鯛か?それともこのスズキか~?」と姿を現してくれたのかもしれない。正直者の僕は、「これで十分です。」とありがたく頂戴することにした。
だから、このスズキは釣り師としては自分の釣果だと言うのは矜持にもとるということになるのだ・・・。

すでに時刻は午後1時を回っている。もう1匹小さなアジを追加して終了とした。
家に帰って他の人の釣果を見てみると、サワッチさんは大和堆ポイントで粘って大きなマアジをたくさん釣り上げていたようだ。真鯛を狙って北上していたとき、大和堆ポイントに再び船団ができていたのできっとあの時間に釣果があったのだろう。僕も少し迷ったが今日は真鯛を狙おうと決めていたので仕方がないし、そこに行ったところで釣れていた確証はない。こういうのは諦めが肝心だ。次回はまた頑張ろう。


海藻と一緒に上がってきたオレンジ色の生物だが、よく見ると竹串の周りに成長している。というか、竹串を飲み込んでいると言ったほうがいいのかもしれない。竹串の腐敗具合からみるとこいつが竹串を飲み込んだのはそんなに前ではないような感じだ。同じような色の生物は以前にウミエラという生物だったということがわかったがこいつも仲間なのだろうか。しかし、何を好き好んで竹串を飲み込んでいるのだろうか?焼き鳥のタレが好みだったりして・・。

  

港に戻り船を乗り替えワカメの調査に出てみた。
マリーナシティではすでにワカメが成長しているらしく、磯場では成長が遅いとはいえひょっとしたら味噌汁の具にするくらいは手に入るかもしれないと思ったがカネを突っ込んでみても何の手ごたえもない。早すぎたようだ。カガミで海底の様子をみてみると岩盤は丸裸だ。しかし、目を凝らして見ると小さなワカメの芽がところどころに見える。これらが成長するまであと10日ほどはかかるのだろうか。まあ、不作ということはなさそうだ。



すぐに港に戻り今度は小船の係留用の錨を1本追加する作業。親の錨は少し北に放り込まれているのだが、それで南風が吹いてくると隣のTさんの船の当たってしまっていた。Tさんは船を大切にしている人なのでそれを防ぐために大きなスチロバールを浮かべてくれているがいつも申し訳なく思っていた。かといって錨を南側に移動させると北風が強い日が大潮の干潮時などに重なると浅瀬に乗り上げてしまいそうになる。対策としてはもう1本小さな錨を放り込んで南風に対処するのが最善だと考えた。幸いにして池○マリン行ってみると親父さんが2000円で結構新しい錨を売ってくれた。敷地に転がっていたやつだから1000円でもよかったのだけれども・・。
チェーンはサワッチさんに譲ってもらって準備はできていたので風のない今のタイミングでやっておこうというわけだ。
適当にやってみたのでかなり投入ポイントが近くなってしまい、またやり直さないといけないがこれでTさんに迷惑をかけることは少なくなりそうだ。もうすぐ春一番が吹くけれどもそれくらいの風ならこれで耐えられるだろう。



小船で港に戻るとN氏が港にやってきていた。久しぶりに会ったので会話が弾み港を後にしたのは午後4時に近くなってしまっていた。
叔父さんの家に魚を持っていき、この冬最後の野菜をもらい、近所のスーパーに寄って今日の夕食の食材を調達して家にたどり着いたのは午後4時半を回っていた。
いそいで魚を捌く。今日のメニューはスズキをフライにしたフィレオフィッシュとアジは型が小さいのでぜんぶエスカベッシュにするつもりだ。
スズキを解体して奥さんに渡し、フライの準備をしてくれている間にアジを捌く。中骨を毛抜きで抜く作業が苛立たしい。もっと早くできる方法はないものだろうかといつも思うのだ。
すべての作業を終えて食事が始まったのが午後7時。
なんとも疲れた。しかし、スズキを釣った時の定番のフィレオフィッシュは何年ぶりかで食べたがやっぱり美味しい。使ったサニーレタスはもちろん畑からの採りたてだ。
エスカベッシュもソースがなくなってしまったので今日の一皿が最後になる。



気がつけば昼食抜きで遊び続けていたのだが体重はほとんど減らず、そこは残念だったのだ。


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「量子力学の奥深くに隠されているもの: コペンハーゲン解釈から多世界理論へ」読了

2021年02月11日 | 2021読書
ショーン キャロル/著、塩原 通緒/訳 「量子力学の奥深くに隠されているもの: コペンハーゲン解釈から多世界理論へ」読了

いつもブログの読書の感想を書くときは、大体半分くらい読み終わった頃からどんな作文にしようかと考え始めるのだが、“量子”とか、“宇宙”とか、“物理”とかいうタイトルが入っている本はどうやって書いていこうかと悩んでしまう。読んでいてもまったくわからないのだ。(まだ、寝てしまわずに文字を追えているだけ我ながら立派だと思う・・)
それでも、この奇妙な世界には興味があってつい手に取ってしまう。

この本のタイトルになっている、「奥深くに隠されているもの」とは、量子論の中の不確定性原理から導き出せる「多世界理論」だ。この理論に基づくと、物質を形作っている素になっている量子は、(人に)観測されるまでは一体どんな状態でいるかということがわからなくて、観測されることによってはじめてその位置と運動方向がわかる。(ニュートンの古典力学ではすべての物質には位置と速度が決まっているとされている、)
観測されるまではどの方向に向かっているのかということは確率の世界になっていてそれぞれの確率が合わさった状態になっている。そして観測されたとたんに確率として重ね合わさった別の世界が生まれるというのだ。これは「シュレーディンガーの猫」というパラドックスで有名だが、このパラドックスに例えると、箱の中を見たとたんに生きている猫の世界と死んだ猫の世界に枝分かれするということになり、そのどちらかが自分が生きている世界になる。もちろん、猫が死んだ世界にももう一人の自分がいることになる。そしてそんな枝分かれがいろいろなところで無数に起こっているのである。
しかし、この、多世界理論のもとになっている『波動関数』から導き出せる世界はまさにこのような世界らしいのである。というか、この世界は波動関数がシュレーディンガー方程式を使って解かれる数式の世界であるというのだ。

このような確率の世界というのは、波のような状態で振動しているという。それが、観測が行われた瞬間に収束して実態を表すというのだ。波が漂っている場所を「場」と呼び、このような考えを、「場の量子論」と呼ぶ。アインシュタインはそれに対して、『月は我々が見ていないときには存在しないのか?』と言ったそうだ。もちろんこれは量子単位のミクロの世界での話のことになるのだが、このミクロな粒子が集まって人間があり、月があるのだからそんなに考えてしまう。
僕は確かに人生を波のように漂っているのだが、場の量子論からいくと“波のように”ではなく、“波”なのだ。そして誰かに見られた時だけ僕という実体を現す。

そして「奥深くに隠されているもの」を発見することこそ、この奇妙な世界と古典力学の世界=現実のこの世界をつなぐことになるのだというのがこの本の趣旨である。

多世界理論は量子力学の学問の中ではコペンハーゲン解釈と言われているそうだが、ちょっと無責任で、『観測は原理と心得よ、波動関数は観測された時点で収縮するのであって背後で何がおこっているのかは考えなくてよい。』という考えだそうだ。
アインシュタインはこれに反対し、『事象の背後で何が起こっているのと問うことが物理学の義務である。』として、月の例えを持ち出したそうだ。

では、著者はどう考えているか、『量子力学は奇妙なものに見られるかもしれないが、これは、微視的な世界についての現時点での最上の理論である。』と言いながらも、量子力学を『古典力学がそうであるように量子力学も一つの枠組みであり、その枠組みの中で様々な物理系を論じることができる。』と定義し、この理論から導き出せる様々な不思議な世界も頭の中で考えることができる世界のひとつでありそれが現実の世界の法則を示しているとは限らない。分岐した無数の世界が実在したとしてもそこを覗き見ることは不可能だと数式レベルでも証明されているらしく、『私たちの生き方をなんら変えるものではない。』とも言う。確かにその通りだ。いままでそんな世界からの干渉を受けたことはない。(幽霊というのはひょっとしたらそんな世界からの訪問者なのかもしれないが・・)
こういうことを前提として、量子力学を、『人工的な形而上学』だと決めつける人もいるそうだ。
たくさんの物理学者が様々な宇宙のモデルを作っている。その中には普通の感覚ではまったくそれはあり得ないだろうと思うようなものもあるけれども、それもただ、方程式を作ってみたらこんな世界ができちゃったということだ。
最も信じられている、世界は波でできているとか、弦でできているとか、はたまた量子のもつれはたとえどんなに距離が離れていても一瞬で情報が伝わるのだとかいうようなことも、現実にそんなことが本当にあって、遠い将来、人類がそれを自由に操れるようになれば一体どんな世界になるのだろうとわくわくするのだが、それはやっぱりSFの世界でしかないのかもしれない。
これはちょっと皮肉が強すぎるかと思うが、去年の今頃読んでいた本には何千億円もかけて宇宙の謎を解き明かそうという行為は、単に科学者たちを養うための手段にすぎないと書かれていた。しかし、それもあながち嘘ではなさそうな気がしてくるのである。
しかし、こういった考えがもとになってGPSが機能し、この文章を書いているパソコンができているのも事実だ。奇妙な世界は実在するのだという。
著者もそういいながらこの不可思議な世界を不可思議なりに数式で解明しようとしている。
まるで、「アルキメデスの大戦」の主人公のようだ。

そして誰が文句を言おうとも、『私たちが世界を見たときに見えるものは、実際にあるものとは根本的に違って見えるのである。』というのが一応の通説となっている。その違って見える部分をこの本はなんとか繋ごうとしているのだが、果たしてそんな世界は本当に存在するのだろうか・・。最先端の科学者でもわからないことが文系の塊である僕にわかることがなく、自分の生き方が特に変わるものではないのなら、SF小説を読むときにちょっとだけそういう知識があるぞという程度でいいのかもしれない。

そして、もし可能なら、あの大物を逃した時に世界が枝分かれしていたのなら、別の世界でその魚を取り込んだ僕となんとか入れ替わってくれないものだろうかとやっぱりSF的なことしか思い浮かばないのである。

いっそのこと、僕はこう考えた。数学が使えないので、この世界とはシイタケであると考えた。シイタケはホダ木の中に張り巡らされた菌糸がひょんなことでホダ木の上にシイタケとして生え出してくる。シイタケは1本だけではなくいっぱい生えてくる。このしいたけひとつひとつが“多世界”で、それらの世界は菌糸でつながっているというのはどうだろうか・・。これで量子のもつれも説明できる。多世界はホダ木の中でつながっているのだ。
まあ、シイタケは宇宙だと考えるよりも食べたほうが美味しい・・。

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加太沖釣行

2021年02月07日 | 2021釣り
場所:加太沖
条件:若潮 4:09満潮 8:34干潮
潮流:7:21転流 9:59 下り1.4ノット最強 12:47転流
釣果:ガシラ1匹 カスゴ1匹 マアジ8匹

今日は潮が小さく、大師匠のバイブルにはこんな日は家族サービスの日に当てなさいと書かれている。しかし、サービスをしても喜んでくれるわけではなく、次の休日は少し荒れそうなので今日も船を出してみた。

今日は朝一からコイヅキでサビキをして潮流が最強を過ぎてから高仕掛けに切り替えて真鯛を狙ってみようと考えている。潮流は遅いがとりあえず釣りをしている時間はずっと潮が流れているはずだ。
コイヅキを目指して船を進めていると大和堆ポイントにも大きな船団ができていた。



潮はほぼ止まっている時刻だがこれだけの船団ができていれば釣れているのかもしれないと思い針路を変更。少しやってみてだめならすぐにコイヅキに移動すればよい。

仕掛けを下すと早速アタリがあった。サバでもなくアジでもなくタイでもなくガシラが上がってきた。ここは友ヶ島からは遠く離れていて砂地の場所なのかと思っていたがゴロタ石があるのかもしれない。
そしてまたアタリがあった。今度は大きい。多分大型のハマチだ。幸いにして船団から少し離れて流していたので周りには邪魔をされる船はない。船を魚が走る方向に動かしながら糸を切られないように慎重にやり取りをする。そして意外と簡単に上がってきた。これは取り込めるかもしれないと思ったが仕掛けに手をかけた直後に走り始めた。とっさに糸を繰り出すことができずにあっけなく幹糸から切れてしまった。今日も5号の糸では太刀打ちできなかった。6号の仕掛けも必要なのだろうか・・。
仕掛けを交換して釣りを続けるとカスゴがヒット。サビキでも鯛が釣れるのだ。

その後はアタリがなく、遠くコイヅキの方を見てみるとあっちにも船団ができている。潮はそろそろ動いている頃だろうから移動を決断。他の船も同じような動きをしている。
ここは相変わらず帝国軍の船が多数いるので注意をしながら船団から少し離れて釣りを開始。潮流は最強に近づいているはずだがほとんど動いていない。



高仕掛けに変更して釣りを続けるがアタリはない。フッと仕掛けが軽くなり、根掛かりでもなく何事かと思ったら仕掛けとリーダーをつないでいるスナップサルカンのところから切れてしまっていた。切り口は剃刀で梳いたように斜めになっていたのでこれはきっとサゴシがサルカンに食ってきたのだろう。新品の仕掛けを使っていたのにもったいない。
サゴシがいるのならサビキのほうがよかろうと仕掛けを変更。しかしその後はアタリがない。
この場所でこんなに穏やかに船が流れているというのはめったにないのだろうかと思うほどだ。それが悪いのかもしれないともっと潮が流れている場所を探そうと少し沖に出てみる。
水深はどんどん深くなって70メートルを超えた。それでも底を取ることができる。そしてやっとアタリを捉えた。マアジが2匹。これでなんとかおかずは確保できた。
この辺りはそれなりに潮流があり、あっという間に50メートルを切る水深の場所まで流される。もとの場所に戻って仕掛けを下すとまたアタリ。どうやらこのかけ上がりにアジがついているようだ。かけ上がりの場所は狭くてひと流しして1回アタリがあるかどうかという感じである。
しかし、このサビキ、いろいろな人にアドバイスをもらいながらオリジナルで作ってみたが、この3回の釣行でそこそこ釣れることがわかってきた。今まではプロトタイプとしての参戦であったがこれからはレギュラー仕掛けに昇格させたい。

途中でまた大物が掛かり枝素を飛ばされたりしながらなんとかマアジを9匹。風が強くなり底を取れなくなってきた。そして潮は下っているはずだが船は北を向いて流れている。おそらくここは潮が渦を巻いているのだろう。沖を下っている潮がこの辺りで反転しているようだ。そんな感じがする。この状態では水深70メートルで釣りを続ける自信がない。もう一度大和堆ポイントに戻り潮が止まるまでと思い移動。
しかし、こっちはアタリがない。ほぼ潮が止まってしまっているのが悪いのだろうか、今日も魚探にはものすごく大きな反応が出るがそれでも食わない。これは鉤に掛かる群れではなくてシラスか何かなのだろうか。ひょっとしたら潮が上りに変わると釣れ始めるのかもしれないがもうすでに正午を回ってしまっている。
ちょうど錘を根掛かりでロストし、叔父さんの家に持っていける数もあるのでこれで終了。

9匹のうち1匹はかなり小さかったので放流したが、これを鉤に付けて飲ませ釣りをするとブリが釣れることもあるらしい。そんな釣りもあるのだと家に帰ってパソコンを立ち上げてから知った。なんだか夢がある感じがする。

今日も暖かい天気になった。



少し冬型の気圧配置の予報だったので風が出るのではないかと心配し、実際海保のリアルタイムの風力情報も時間を追うごとに強くなってきていたが現地はまったく穏やかそのものだった。



後半は少し風が出たとはいえ突き刺すような冷たさはない。むしろ春の山菜取りの時に感じるような心地よい西風だった。
毎年、バレンタインデーの前後には強烈な寒波が来て雪が降ったりするけれども、今年はこのまま春を迎えるのだろうか。ワカメもタラノメも少し早くなるのかもしれない。
釣ってきたマアジをいつもの謎の調味料を使ってエスカベッシュにしてみた。これまでサバ、ハマチで作ってきたがマアジで作ったものが一番美味しかった。ソースの残りはあと1パック。次は何を使って作ってやろうか・・。



そしてカスゴとガシラはワイン蒸しにしてみた。これもあっさりした味でなかなかのものだ。中華料理になると清蒸という名前になるが、師は釣った魚を一度はこの料理で食べたというが、なるほど魚の味が一番わかる料理だと思う。


コメント (2)
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