イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

住金一文字釣行

2024年06月29日 | 2024釣り
場所:住金一文字
条件:小潮6:14干潮 12:00満潮
釣果:グレ7匹 アイゴ6匹(アイゴは釣れすぎたので数匹放流)

今年は梅雨入りしてから本当に梅雨らしい天気が続いている。例年の印象では梅雨入りしてしばらくは天気の良い日が続いて後半に雨が集中するものだと思っているのだがかなり違う。しかし、考えてみると、例年に比べて梅雨入りが2週間遅れていたので今が後半と考えていいのだろう。気象庁の発表のタイミングが遅かっただけなのかもしれない。多岐川幸四郎のセリフのように、『人間が定めたもんは、あっという間にひっくり返る』のである。

そんな中、今日の天気予報は徐々に好天に傾いてきた。波も高くなさそうなので加太にも行けそうだし、紀ノ川は無理でもアマダイにも行けそうであるが、Nさんの話では先週の住金一文字では何やら得体のしれない大物にハリスを何度も切られたという。昨日の風の翌日ということを考えるとスリットの周りにはサラシができていて本格的な磯釣りっぽいフカセ釣りができるのではないかと思いLINEを送ってみた。濁りは間違いなくあるはずだけれどもそれは釣果にはほとんど影響しないというのは先週の釣果も語っている。
想定通りというか、Nさんたちは定期便のように毎週釣りに出ているので僕も便乗することができた。

集合時刻は午前6時。年中午前9時かと思っていたら季節に合わせて時刻を変えているようだ。僕はもっと早いほうがありがたいのだが、少しでも早く行ってくれるというのはありがたい。

途中、紀ノ川の河口を横切るのだが相当な濁りだ。



住金一文字に近づくにつれて少し薄くなってはきたけれどもかなりなものだ。釣果に濁りは関係ないと思っていたがやっぱり不安になる。
防波堤に登るため、一文字の裏側に回るとこっちの水はまったくいつものとおりだ。裏と表では海の表情がまったく違う。
うねりは相当あり、スリットの上に乗っていると自分のほうが動いていると錯覚して壁のないエレベーターに乗っているようである。家に帰ってテレビを見ていたら沢登りの人が流れに呑まれて死んだというニュースが放送されていたが、僕もここから落ちたら間違いなくニュースの仲間入りをしてしまっていただろう。
そして時折、「ド~ン」という地響きのような大きな音がする。大砲がぶっ放された(そんな音を聞いたことはないが・・)時のような、爆弾が投下され(たこともないが・・)て爆発した時の音のような音がする。多分、うねりの波長と防波堤の構造の何かが合致した時に共鳴して大きな音がするのだろうがこれがかなり怖い。それも忘れた頃に鳴るのでなおさら恐ろしい。日常ではない世界がここにはあった。

そして、潮の状態はよくない。最初、動くのが面倒なので船着き場の近くで釣ろうと思っていたがここは潮がスリットに向かって流れていて釣りにならない。少し歩いて前回釣った場所に移動してみたが状況はあまり変わらず仕掛けを流したままにしておくと根掛かり(この場合は根掛かりというよりも壁掛かりである。)してしまう。
それに加えて仕掛けが入っていかない。沖からのうねりが防波堤に跳ね返って沸き上がってきているようだ。上層の濁りと下層からの透明な海水で海面はまだら模様になっている。



これは辛いなと思っていたが魚はいるようだ。エサがどのくらいの深さに入っているのかわからず、おそらくハリスもきれいに張られた状態でもない中でも小さなグレが掛かってきた。

少しやる気が出てきて、強制的に仕掛けを沈めるためウキを取り替え潮受けゴムを取り付けた。どこかには潮が潜り込んでいく場所もあるだろうという考えだが、それがよかったのかどうか、その後は途切れることなくアタリが続いた。時々アイゴ、時々グレだ。尾長グレと口太グレが混ざっている。ここで世代交代をしているのかどうかは知らないが、尾長グレがいるというのはやっぱりかなり水温が高くなっているのだろう。そして、不思議なことにエサ取りはまったくいない。グレとアイゴが集まっているのでエサ取りが近づけないのかうねりの中まではエサ取りも入って来られないのか、そのほかに何か理由があるのか、どちらにしてもエサ取りがいないのはありがたい。

前回はエサを撒くペースが速すぎて今日は少しセーブしながら使っていたけれども、午前11時頃にanotherNさんが道具を片付け始めたようだ。



あれまあ、まだまだアタリは続いているし撒きエサもかなり残っているのでもう少しやっていたかったのだが今日はここで終了。
今日も住金一文字のポテンシャルの高さを思い知ったのである。

今日はいつもの竿を使わずに昔使っていた竿を久々に使ってみた。



2006年には新しい竿を買っていたようなので、少なくとも18年ぶりに袋から出したことになる。それまでに使っていた竿に比べれば軽くて素晴らしいと思っていたものだが、今日使ってみると糸の出が非常に悪い。今使っている竿(といってもこれも18年前の竿だが・・)に比べると値段は半分ほどであったがある程度はおカネを出しておけということだろう。本格的な磯釣りでもないので古い道具も使ってみようと思ったが少し考えものだ・・。
それだけこの釣りをなめてかかってしまっていたか、ウキ止め糸を忘れてくるし、アイゴが釣れると聞いていたのにハサミを持ってくるのを忘れていた。おまけに、実は忘れてきたのではなくて前回ウエストポーチに必要なものを移し替えて持って行ったときに出し忘れていて今日は入れた記憶がなくて持ってきていないと勘違いしていたのである。狭いスリットの上で動くのに段取りのいい配置というのはなんとなく出来上がってきたもののその他の部分にももっと配慮をしなければ命取りになってしまいそうだ。
慎重に、慎重に・・。

翌日、船舶免許の更新講習へ。



5年ごとの講習だから次の講習のときは満65歳。まだ体力は残っているだろうかと不安にもなるのである。
知床の事故はかなり影響を与えているらしく、船舶検査はかなり厳しくなったと聞いているので来月の検査を前に緊張をしているのだが、免許の規制も厳しくなり、特定免許という、自動車でいう二種免許に当たる部分が2年後にはく奪されるらしい。僕はかなり昔に免許を取っているので自動的に付与されていて、いつでも釣り船の船頭ができるのだとちょっとだけ優越感に浸っていられることができたのだが、それもあと少しで普通の人になってしまう。あの事故がなければ検査も免許もこんなに規制が厳しくなることはなかったであろう。死んだ人に鞭を打つのはどうかとは思うが、あの船長は全国のプレジャーボートのオーナーから恨まれているのではないだろうか。
それでもなんとか成仏してほしいものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加太沖釣行

2024年06月22日 | 2024釣り
場所:加太沖
条件:大潮5:21満潮 12:28干潮
潮流:5:06転流 6:23上り0.2ノット最強 7:54転流
釣果:ハマチ3匹 マアジ1匹 チャリコ1匹

昨日、近畿地方は梅雨入りしたそうだ。平年よりも2週間以上遅くて、去年よりもひと月近く遅くい梅雨入りだそうだ。週間予報ではこの週末二日間とも雨であったが直前で午前中の天気がよくなってきた。先週は2日間とも釣りに出て草刈りのボランティアもやって疲れ果てていたので安息日としてはタイミングがよいと思っていたのだが船を出せるとなると行かないわけにはいかない。

そして昨日は夏至。午前2時半に起きてもグズグズしていたら港への道中で東の空が明るくなってきてしまった。



この空に急かされるように港へ急ぐ。
出港は午前4時34分。元々の予報が雨だったので雲が多くてあまり早く行ってもまだ暗いだろうと思ってグズグズしていたのだけれども誤算であった。カメラのシャッターは1/30で切れていた。



急ぎたいのは山々だが昨日も大雨だったので浮遊物が心配だ。前方を警戒しながらゆっくり航行する。そういう意味ではグズグズしていて明るくなってしまったのは正しい選択であった。

水軒の沖でマルアジとゴマサバが釣れるのならそっちに行くのだがまったく期待が持てない。しかし、こういうことはそんなに珍しいことではなく、さかなクンがテレビでハタハタの漁獲高についての話をしていた。ハタハタって東北の魚だと思っていたので鳥取県でも獲れるというのにも驚いたが漁獲高が直近の3年で10分の1になっているというのにも驚いた。瀬戸内のイカナゴの漁獲も商売にならないほどに落ちているという。



こういうことが実際に起こっていてそれが自分の身の回りには起きないということはまったくないのである。
そういうことで、消去法で行き先を考えた結果が加太なのである。

今日の予定はいつもの四国ポイントをやり過ごしていきなりテッパンポイントから高仕掛けでスタートしようと考えている。上り最強0.2ノットではできるだけ友ヶ島に近づきたいのである。
紀ノ川の沖が濁っているのは仕方がないと思っていたけれどもその濁りは加太のほうまでやってきている。あらまあ、これはあんまり状況は良くないなと、戦闘開始前から落胆の気持ちが先行する。それに加えて転流時刻にもかかわらず2ノット近い速度で船が北向きに流れている。完全に潮流表を無視した流れだ。水潮が南風に乗って上滑りしているのだろうか・・。それに加えてうねりもあるある。三重苦の中でのスタートである。

 

しかし、そんな状況にもかかわらずアタリはすぐにあった。小さなチャリコであったが魚はいるようである。

その後はアタリがない。ここにはチャリが1匹だけなのかと思ったが、近くを流している船はTさんだ。



この人もSNSのグループから離れていった人だが、魚を釣る量が半端ではない人だ。どうやったらあんなに釣れるのかと思えるほどの釣果をあげるので、今日の僕の場所の選択もあながち間違いではないのだとここで粘ることにした。

速すぎる潮に難儀しながら同じ場所を行ったり来たりしていると魚探に大きな反応が出てきた。仕掛けを下ろしているときにタイミングよく反応が出た時、大きなアタリがあった。一気に仕掛けを持っていく感じのアタリだったのでこれはアジかとサバだと思ったがその引きは尋常ではない。これはきっとメジロだ。疲れが残っているのか、左腕は腱鞘炎のように時折痛みが走るような状態なのだがそうは言っていられない。
枝素は3.5号、うわ~、これは取れないかもしれないぞ。仕掛けに手をかけることができてもクッションゴムの恩恵がなくなった時点で切られてしまうかもしれない。こんな海の状況と潮流時刻からすると今日の最初で最後のチャンスかもしれない。幸いにして周りに船はいないのでダメもとで糸を出しながら魚を弱らせる作戦に出た。
どれくらいやり取りをしていたのか、自分では10分以上やっている感じがしていたが魚が弱ってきたと感じたので一気に仕掛けに手をかけた。
魚が上がってきたのを見ると意外と小さい。これがこんなに引くかと思ったらもう1匹掛かっている。そしてその下にも・・。そしてそれから下は仕掛けが切れていた。
魚が弱ったのではなく、その下に掛かっていた魚が仕掛けを切ったのである。
おそらく、ひょっとしたら6本の鉤全部に魚が掛かっていたのかもしれない。
もう一度群れに遭遇したがビニールを切られただけであった。

潮は緩くなり釣りをしやすくなったがアタリはなくなった。このまま北上してナカトシタを目指す方法もあるが、次はアジか真鯛がほしい。ナカトシタにはハマチの群れしかいない気がしたのである。

ここから行ける期待が持てるポイントは電車が沈んでいるポイントかと思い南下。



ここには誰もいなかったが読みが当たったというかただのまぐれだというか。マアジがヒットした。
午前8時で終了しようと思ったけれども少し延長。しかし、午前8時半を回っても次のアタリはなく午前8時45分に終了。やっぱりまぐれであった・・。
港に戻り叔父さんの家でトウガラシを収穫していると風が強くなってきた。もう少しもう少しとズルズル続けていたらえらい目に遭ったかもしれないと思うと早く見切りをつけたのは正解であったかもしれない。

今日の午後は雨という予報であったがこの空を見ているとまったくそんな気がしないほどのいい天気だ。



と、思っていたら、燃料補給に港に戻った午後3時ごろになると雲がひろがっていて間もなく雨が降ってきた。日本の予報精度というのはやっぱりすごいのである。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「汚穢のリズム きたなさ・おぞましさの生活考」読了

2024年06月20日 | 2024読書
酒井朋子 中村沙絵 奥田太郎 編著 「汚穢のリズム きたなさ・おぞましさの生活考」読了

この本は、
『汚穢のリズムに感覚をそばだてる』
という前書きで始まる。
続いてその目的は、『この本は、汚穢のなかから、汚穢として脈打ちつつ、ものを考えようとしている。』
となっている。この時点で、「あかん・・」となってしまった。編者のひとりである酒井朋子という人は人類学者だということだ。そのほか、合計11名の著者と3名のアーティストのエッセイやインタビューで構成されているが著者のほとんどは同じく人類学者だ。こういう学者独特のよくわからない文化論が展開されるのかと思って恐る恐る読み進めたが、そうでもなくて投稿した人たちそれぞれ考える人間と汚穢の関係というようなものであっってあまり学問的な書き方がされていないというのはよかった。(学術的なところに気づいていなかっただけなのかもしれないが・・)
テーマは「汚穢」というひとつの言葉だが、それぞれのひとの経験と考えは全部違って、書籍としての統一性はないような気がする。“リズム”という言葉が何を意味しているのかということも最後まで僕にはわからなかった。
「汚穢の倫理」という研究会のウエブサイトに投稿されたエッセイを集めたものだそうだが、何を汚穢と感じるかというのは人それぞれ違うのだし、今の時代、汚穢とされるものは山のようにある。なかなかまとまらないのもうなずけるし、この本のキモもそこにあるのではないかと思う。
害虫、雑草、ゴミ、街の臭い、家畜、死、排泄。そういったものに潜む汚穢をテーマにしてひとつひとつのエッセイは書かれている。

『何かを汚穢だと感じているとき、人はそれを感じとりたくない、忌まわしい、離れたいと思っている。』
こういった性向が戦前のころまで当たり前のように身近にあった家畜の臭い、それを屠るときの血なまぐささ、人の死、街の路地のゴミ箱の臭い、そういったものを排除し距離を置くことになった。最近の介護の世界もそうだろう。老人の臭い、排泄、よだれ、そしてその先にある死、そういったものを自宅から追い出してきたのである。

『なにかを清潔にし美化するための浄化、整理、隔離、忌避行動が汚穢を生み出す。』
といった性向は過剰な潔癖さを生み出した。この本では海をきれいにし過ぎたことが海産物の収量の減少をもたらしたのではないかというようなエッセイとして取り上げられている。
最近、僕の港の周りで魚が釣れなくなったのはひょっとして海がきれいになりすぎたからなのではいかともおもっている僕には納得できる意見だ。

すべてに共通するものは、「汚穢」は人が作り出したものであるということを前提にして書かれているということだ。確かに昆虫やミミズ、鳥、犬や猫でさえこれは汚穢なものだから近づかないでおこうと思ってはいないだろう。まずは近寄って臭いを嗅いでみてから食べると危ないと思うくらいだろう。すなわち、汚穢と清潔の境界は人間だけが持っているものであるということだ。その境界線は時代とともに変化し、その変化は拡大の方向に向かう傾向がある。
加えて、人それぞれの生き方、選んだ職業によってその境界線は無数にある。「人と人は分かり合えない」というテーゼはここからくるのではないだろうかとも思えてくる。「性格の不一致」などというのも汚穢の基準の違いが原因なのではないかとも考えられる。

我が家の汚穢も変化した。今では山菜やワカメ、魚をさばいたあとのアラも汚穢なものとなり果てた。僕が家族に疎まれるのはそういったところにも原因がある。そしてそういった空気を読んでいる子供にも伝搬するのだろう。汚穢はきっと遺伝もするのである。
それはいったいいつからのことだったのだろうか。きっとそれは僕の行為が過剰になりすぎたことに対して最近になりとうとうその閾値を超えてしまったのであろう。僕はまったく自分が汚穢の度合いを増したとは思ってもいないのだが・・。
僕自身の汚穢の境界も変わってきた。僕の汚穢の境界線は他人との間にあるようで、その接近の度合いが強い電車の中でその変化が顕著だ。目の前にぶら下がるリュック、無理に組んでいる隣の足などが汚穢でならない。



また、コロナ以降、今ではすでに沈静化しているのもかかわらずアルコール消毒液が欠かせない。
変わらないのは、海山での汚穢の境界線だけだ。そこでの汚穢は野グソとクモの巣くらいだ。それはずっと変わらない。きっと僕の汚穢は自分と他人の間にその臭いを嗅ぎ取ってしまうようなのである。
少し違うかもしれないが、「虎と翼」に出てくる多岐川幸四郎のセリフにこういうものがあった。『人間、生きてこそだ。国や法、人間が定めたもんは、あっという間にひっくり返る…。ひっくり返るもんのために、死んじゃあならんのだ。法律っちゅうもんはな、縛られて死ぬためにあるんじゃない。人が、幸せになるためにあるんだよ。幸せになることを諦めた時点で矛盾が生じる。彼がどんなに立派だろうが、法を司る我々は、彼の死を非難して、怒り続けねばならん。その戒めに、この絵を飾るんだ。』
そうなのである。僕は人が決めた境界線のように、あっというまにひっくり返るものに汚穢を感じるようである。確かに自然界の様子というのはなかなか変わるものではないので汚穢の境界線もなかなか変わらないはずなのである。といっても最近はそうでもないようだが・・。
そして、何よりもその境界というのはより長く生きるための安全地帯を作るようなものであると僕は結論付けた。

最後まで読んでみて、「汚穢」と「神」はよく似ているのではないかと思い始めた。この本の前に読んでいた本では、神は人間が生み出したものであり、その定義は時代とともに拠り所とされる存在から敵対するもの、そして人間らしさを取り戻す象徴として復活してきたと書かれていた。同じように汚穢についても、清潔と汚穢の境界は人間がその線引きの位置を作り出し、その境界は時代とともに変化してきた。そして、それらが生まれた原因となったのは、人が「死」を認識しそれを恐れるようになったからではないか。死とは対極である誕生の前われらはどこに居たのか、そして、死後どこに行くのか。その入り口と出口の外、形而上にいてそれを示そうとするのが「神」であり、入り口と出口の内側、形而下にあってひとの拠り所として存在するのが「汚穢」なのであると思うのである。
その変化のしかたというのは神と同じく、その地位は次第に低められ隅のほうに追いやられて隔離されるような変化をしたけれども、すべてが人工的で無機質になってしまおうとしているとき、もう一度自分の側にそれを取り戻すことで有機的な本来の人間の姿を復元するために汚穢なものを復活させる必要があると考える人たちが出てきた。そういう意味で、かなりの部分で共通しているのではないかと思うのである。

この2冊の本を借りた時、清と濁の両極端な本だなと思ったのだけれども、人間らしさというのはどこにあるのだろうかということを考える上では同じ視点に立っているのではないかと思うのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紀ノ川河口釣行

2024年06月16日 | 2024釣り
場所:紀ノ川河口
条件:若潮1:29満潮 8:40干潮
釣果:キス33匹

二日連続の釣行は普通でも辛いが、昨日は戦力にもなっていないが一応は草刈りに精を出していたので腰が痛い。しかし、そんなことは言っていられない。今週末には梅雨入りするらしく土日は雨の予報だ。小船にも気がつけば先月の10日以来乗っていないのでとにかくエンジンを回しておかねばならない。
例年なら7月に入って梅雨明けとともに始めるキス釣りであるが5月くらいから釣れ始める魚であるので調査のつもりで出てみた。チョクリもダメでアマダイばかりも芸がないとなるとほかに釣るものがないというのが本音のところでもある・・。

夕べは雨が降っていたようで、午前2時半に起き出して新聞を取りに外へ出るとまだ少し霧のような雨が降っていた。あらまあと思って雨雲レーダーを見てみると間もなく消えてゆくようだったので出発の準備をすることにした。
テレビを点けると「NHKスペシャル」の再放送をしていた。



“人間の欲望”がテーマで、今回は“人はなぜ殺し合いをするのか”という内容であった。それは、「オキシトシン」の作用によるというのであるが、“愛情”ホルモンと言われるものがどうして憎しみを生んでしまうのか?それは愛ゆえに同胞を守るために仲間以外のものを排除するという行動を起こし、その果てには仲間に尽し自己犠牲もいとわないという心理を生み出すというのである。
そんなことを見ていると、僕はきっとオキシトシンが不足した人生を送ってきたのではないかと思えてきた・・。寝起きに見るには重すぎる内容であった。


昨日は出遅れたので少し早い目に家を出たのだが今日は雲が多くて出港した時はまだまっ暗であった。



明るくなるまで一文字の前でルアーを投げてみて何もなしで紀ノ川へ。



今日の釣行には一つの問題を抱えていた。今まで竿を何本出していたのかという記憶がなくなってしまったのである。2本だったか、3本だったか・・。ただ、もうひとつの記憶の中ではゴカイの300円のパック買えなくなってからとにかくエサが余ってしまうということがあったのでエサを消化するためにという理由であやふやな記憶を頼りにせず3本持っていくことにした。
と、なると、どうもリールをひとつ失くしているという新たな問題が浮かび上がってきた。古いリールで紀州釣りに使っていたものだが、かなりガタがきていたので捨ててしまったか・・。いや、そんなことはない。長く使った歴戦の勇者をそんなに簡単に捨てることはない。じゃあ、どこにいってしまったのか・・。記憶はどんどん消え去っていってしまっている・・。
オキシトシンの不足も問題だが、海馬の劣化も問題だ・・。


今日は若潮だからなのか、すでに引き潮の時間に入っているのにあまり流れはない。速すぎるよりも釣りやすいというのはあるが、川でこれくらいの速さというのはほとんど流れていないのと同じだからなのか、アタリがない。正確にはアタリはあったのだが、最初は小さなキビレで次はギンタだ。その次もギンタ・・。やっとキスが釣れたのは30分以上あとだった。その後もアタリは散発的で、活性が悪いのかアタリがあっても鉤に乗らないことも多かった。キスは複数の竿に自転車操業のようにアタリが出なければ面白くない。そういうことはもう何年も経験していないが・・。

そして状況はどんどん悪くなってきた。船の姿勢は安定せずフラフラ揺れるし、とうとう船が上流に向かうようになってしまった。



画像ではよくわからないかもしれないが、錨のロープが下流方向に伸びているのである。川の流れがなくて西からの風に船が流されているという感じだ。アタリがあっても掛からないのは、川の変な流れのせいで仕掛けがまっすぐ流れていなかったからかもしれない。
それでも時々はアタリがあるので釣りを止めることができず、エサがなくなる午前10まで頑張った。とにかくエサは使い切った。
釣りをしている間の大半は雲が多くて過ごしやすかったが時折日が出てくるとすぐに暑くなってくる。今でもこんなに暑いとこの先いったいどうなってしまうのだろうかと不安にもなってくる。



今年の夏もきっと暑くなるのは間違いなさそうだ。やっぱり自転車操業で午前8時台には終わりたいものだ。

竿は2本か3本かという問題であるが、これは間違いなく2本であった。小さな船の上で3本の竿を操ってみて、こんなに雑然とした釣り方は今まで絶対にやっていないというのがその結論だ。



そうなってくると、失くしたと思っているリールはもっと前から使わなくなっていたということになる。やっぱり記憶の彼方に行ってしまっているほど前に処分してしまったのだろうか・・。
船の上ではあぐらをかいた姿勢で釣りを続けていたので腰の痛さが倍増してしまった。港に戻ってやっと気がついたのだが小船には折り畳みのイスを積んでいた。これを使えばこれほどの腰痛にならずに済んだのであった。
人間の海馬には忘れてしまったと思っている記憶のかけらがいつまでも残っていて、それが思い出せないのはその記憶を引っぱり出すための紐が切れてしまっているからだそうだが、僕の海馬の記憶を手繰り寄せるための紐はやっぱりズタズタになってしまっているようだ・・。

キスは片男波でも浜の宮でもそれほど釣れていないらしい。海水浴場を維持するために砂を掘ったり入れたりしたりしていることが原因だと言われているが、水温や海況の変化というものもあるかもしれない。マルアジやゴマサバが釣れなくなったというのは昨日のブログに書いたことだ。イカも釣れなくなった。アマダイやグレが釣れるようなったとはいえ、その代償としてこれらの魚を生贄にしたというのであればなんとも割に合わないような気がするのである・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水軒沖釣行

2024年06月15日 | 2024釣り
場所:水軒沖
条件:長潮7:46干潮
釣果:ボウズ

そろそろ梅雨入りが近いのか、今週の週末は雨模様の予報であった。しかし、この時期よくあることだが、直前で雨の予報が消えていた。先週は防波堤からの釣りだったので今週は船に乗れる。しかし、遠くへは行けない。今日はトンガの鼻での草刈りの日だからなのだ。
先月は行ってみたら早めに終了をしていて、その前の月はアマダイが釣れたのでバックレてしまった。今月は絶対に行かねばならない。だから勝負が早いチョクリ釣りに出ることにした。前回はボウズで、今も釣れているという情報はないが、とりあえず調査だ。

かなり早めに家を出てきたが来週の金曜日は夏至という時期なので午前4時半の出港でもこの明るさである。



朝起きた時は少し風が吹いていたけれどもこの時間はほぼ凪という状態だ。水深40メートルくらいまでは行ってみようと初島寄りの沖を目指すが魚探の反応はまったくない。しかし、あんまり沖へも出たくはないので地の島が真横に見えるくらいのところで仕掛けを下ろすことにした。魚探の反応のとおりまったくアタリはない。



午前7時半には釣りを切り上げて戻らなければならないので、アタリのないままここで過ごして帰ろうかと思ったが、風も波も穏やかなのでもう少し沖へ出てみることにした。

しかし、沖ノ島のラインを越えても魚探の反応はない。少し沖にチョクリの船らしき姿が見えたので、ひょっとしてと思い再びここで仕掛けを下ろすことにした。



しかし、ここでもアタリはない。僕の後を追うようにやってきた船は妥協の産物として僕のそばにいるのだろう。僕をあてにしてポイント選定をしたのなら申し訳ない・・。確信を持ってこの場所を選んだわけではないのだ・・。



今回で今年のチョクリオンリーの釣りは終了だ。これで2年連続釣果がなかったことになる。おそらくだが、僕の腕が鈍ったということはなく、マルアジとゴマサバの好みが異変をきたして僕のオリジナル仕掛けに見向きもしなくなったということもないだろう。海に何か異変が起きているのかもしれない。
アマダイが釣れるようになったというのも、住金の一文字でグレが釣れるというのも、コウイカが少なくなったというのもひっくるめて何かの異変の結果なのかもしれない。こういうのは人の寿命よりも長く緩慢に変化してゆくというのが普通なのだろうが、人の営みが、普通は緩慢な“変異”となるべきものを異変にしてしまったのかもしれない。
僕の寿命もあと20年もないのだからそれまでは緩慢な変異に留めておいてほしかった。ここにも逃げ切れない真実が潜んでいたのかと思うと情けなくなる・・。

結局、何も獲物がないまま予定通りの時間に釣りを終了し、ボウズの時のお決まりのコース、「わかやま〇しぇ」に向かい、冷凍食品を叔父さんの家に預けてトンガの鼻へ。



2時間草刈りに精を出すのであるが、去年の今日は、大きなアマダイを釣っていた。これはきっと神様がボランティアという僕の尊い行為に対して祝福を与えてくれたのだと確信していて、今年もきっと僕に祝福を与えてくれるのだと思い込んでいたが、まったくそんなことがなかった。
思うと、今日はNさんが欠席していて、その理由というのが、民生委員としての仕事で元旦に地震があった石川県に応援に行っているからである。この人はトンガの鼻の整備やレモンの丘の整備、民生委員としての仕事のほか、地元のいろいろな仕事やもめ事の調整役を引き受けているそうだ。60歳で完全にリタイアしたそうだが、悠々自適どころか忙しく動き回っている。
もし、神様が迷える子羊に与えられる祝福は1日にひとりという限定付きなら今日の祝福はNさんの方にされるべきだろう。
だから今日のボウズは仕方がないのである・・。

まだ明日がある・・。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「[図説]世界の水の神話伝説百科」読了

2024年06月14日 | 2024読書
ヴェロニカ・ストラング/著 角敦子/訳「[図説]世界の水の神話伝説百科」読了

『人類の歴史が始まったころは、どの社会も自然崇拝だった。蛇状の水神への信仰は人と水との関係を表していた。・・・虹蛇、天空の大蛇(ボア)、昇り竜、鎌首をもたげたコブラ、巨大アナコンダ、羽毛や角のある蛇。このように文化により様々な形で表現される水の神たちは、創造主であり、トーテム祖先(祖先の表徴である動物)、守護精霊、掟をつくるものであった。』
この本の始まりは上のような文章で始まる。タイトルのとおり、世界中の水の神様の話を集めた本だ。しかし、原題は「Water Beings」と非常にシンプルである。直訳では「水にある存在」というようなところであろうか。
菊版、本文385ページ、紙質もよいので重さは756グラムもある大きな本であった。持ち運びが辛かった・・。

著者はどうして水の神様を題材に選んだのか、水は人が生きてゆくうえで絶対に欠かせないものだ。だから、水を征するものは人を征することができた。人と水の神様との関係の変化をみてゆけば人と自然の関係の変化もわかるのであるというのである。

人類が狩猟採集生活をしていた頃、水の神様は蛇の形をしていた。これを水蛇神という。これは世界中どこでもそうであった。最初の人類がそういった考えを持ったまま世界に散らばっていったからなのか、人間の思考の遺伝子が同じものを生み出すからなのかはわからないが世界中で水蛇神の信仰は根付いていた。その姿は角が生えたり翼が生えたり牙、爪のついた足が生えたりして水龍という姿に姿を変えてゆくのであるがそれはその地域に住む動物の特徴を取り入れて独自の形を作っていった結果であった。
しかし、なぜ、基本形が「蛇」なのか・・。水の中を泳ぎ、陸上をくねくねと這う。それが蛇行する水路によく似ていたからだという。脱皮すると若返ったように見えるところから直感的に再生と不死を連想させたりもした。どこか遠くを見ているような目つきや人とは似ても似つかない姿が異世界に住む存在を想像させたのかもしれない。

この神様は時代を経て人の形をとるようになる。農業が生まれ、そこから財産という概念が生まれるとそれを支配する階級が生まれ、支配者たちはその正統性の証として自らを水を征していた神の末裔であると自称し始める。先祖が蛇(その他の動物であった場合もあったのかもしれない。)の形をしているというのはちょっとまずいぞということになりその姿を人に似せる必要が出てきたのである。そして、蛇はその神様の持ち物(杖や冠)などにモチーフとして移ってくるのである。

さらに時代が進み、農耕は大規模になり灌漑農業などで自然に大きな手を加えるようになると人類は自然の征服者という立場になってゆく。そうなってくると自然の象徴である神様は邪神として征服の対象となってしまった。同時に一神教の勢力が拡大してくるとやはり水の神様は邪神となってゆく。邪神を成敗する騎士は英雄として尊敬されるようになる。

さらに科学技術の時代になると自然の構造は理論的に説明されそこには神様の存在する余地はなくなってしまった。
しかし、神様は死に絶えてはいなかった。自然環境が破壊され化学物質で汚染されてくると神様は環境を守るシンボルとして再び召喚されることとなった。
特に先住民族が多く住む地域では自分たちはその神様の末裔であり、代弁者であるとして神様が住む川や山の保全を訴え政府にそれを認めさせることに成功した。
水の神様は現代にもちゃんと生きていたのである。

著者はフリーランスのライターから環境人類学者に転進した人であるが、この人が主張したかったことというのは、締めくくりに書かれている、
『世界に数多く存在する水蛇神たちは、そうした取り組みにおいて今なお重要な役割を果たしている。本書でそれがわかっていただけているとよいが、水蛇神は人を引きつける物語の装置となり、さまざまな領域の聴衆に込みいった観念をわかりやすく伝えている。水の創造力をまざまざと見せつけ、人間と非人間の関係の現実はこうなのだと示しながら、規模の大小にかかわらず社会と生態系のカギとなる問題をあぶり出しつづけている。時間ととともに運命が変転したのにもかかわらず、というかおそらくそのために、地球上の命の未来を決する議論や決定で、非人間界に強力な存在感をもたらす大きな可能性を今なお秘めているのだ。』
という文章に現れているのだと思う。
この文章に出てくる、「非人間」という言葉はほかの場所にもたびたび出てくる。僕はずっとこれは人間に対しての神のことであると思いながら読んでいたのだが、この、最後の部分までやってきて、これは自然界のことを言っているのではないかということに思い至った。著者はそれほどまでに人間は自然と離れ離れになってしまったと考えているのだろう。事実そうに違いない。それではいけない、人と自然は再び融合されなければならない。そのための媒介役として神の力が必要なのだというのが著者の思いなのである。

「百科」と書かれているだけあって、膨大な数の世界の神様の名前や図版が掲載されている。しかし、記憶力を著しく欠いている僕にはまったく覚えることができない。だから感想文にも書き入れることができず、大作のわりにはかなり短い感想文しか書けなかったのである・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

住金一文字釣行

2024年06月08日 | 2024釣り
場所:住金一文字
条件:中潮6:23満潮 13:28干潮
釣果:グレ7匹 チヌ1匹

住金一文字釣行も今回で4回目だ。当初は紀ノ川河口にキスの調査に行くつもりだったがNさんからそろそろグレが釣れていますよという連絡が入った。梅雨グレがシーズンインしたらしい。フカセ釣りは冬のものと思っているので梅雨グレは狙ったことがない。しかし、近くでお手軽となると行かないわけにはいかない。誘いを受けて住金一文字へ。

これも当初、集合時間は午前9時であったがお昼過ぎから風が強くなるというので午前7時に変更になった。これは大歓迎である。なんならもっと早くてもいい。お願いだからもっと早く集合してくださいという感じだ。
郷に入っては郷に従わなければならないのだが、午前9時というと、この季節、加太に行っていてもそろそろ帰ろうかという時刻である。釣りに行ってもお昼ご飯を家で食べるというのが僕のモットーだから時間のサイクルが普通の人とは違うのであるが・・。

それでもみんなはやる気持ちは変わらないのか、anotherNさんは午前6時半過ぎには港にやってきた。Nさんもそのあとすぐにやってきて、いざ出港。

先端に近いほどいい感じだというのだが、歩いてゆくのが面倒なので、とりあえずいつもの場所の1ブロック先の角に釣り座を構えた。今日もアマダイ狙いの船がたくさん出ている。



潮の流れは防波堤に沿ってかなり速く沖に向かって流れている。いい感じだ。anotherNさんは早速竿を曲げている。この人は本当に上手だ。一昨日もグレを10枚釣ったそうである。



しかし、こっちにはエサ取りの反応さえもない。だんだんと焦り始める。どこに行っても、上手な人を見るとこの人たちとは一体何が違うのだろうといつも悩んでしまう。形而上の見た目は同じでも形而下ではまったく異なった釣り方になっているのはいつもの通りでそれは僕には見えないのである・・。哲学とは全く逆なのが魚釣りである。

それでも撒餌を続けているとボラが寄ってきた。魚の反応が出てくるとやる気が出てくる。水面下には魚が見えないがどこかには魚がいるはずだと考えどんどん仕掛けを流してウキを沈めてゆく。竿の先にわずかな反応があったので合わせてみると手のひらくらいのチャリコだった。これはおかずにはならないと思い放流。その後、水面下に魚の影が見えてきた。あれは間違いなくグレの群れだと期待をしていると再びアタリ。先ほどのチャリコよりも小さいがグレだ。これはグレだからキープ。その後にまたアタリ。今度は大きい。今日最大の30cmほどのグレだ。フカセ釣りでこんなグレを釣ったのは久しぶりだ。この引きはやっぱりたまらない。スリットの中にグイグイ入っていくのでやり取りが大変だ。レバーを緩めていなしたいと思うのだが間違いなくスリットに入られる。
なんとか取り込むことができたがハリスはズタズタになっていた。
間を置かずにまたアタリ。今度はもっと大きい。レバーを緩めずに堪えていたがハリスが持ず残念ながらバラしてしまった。1.75号のハリスを使っていたが甘かったようだ。
2号のハリスに変更して釣りを続ける。次第に潮の流れが緩やかになりアタリが遠のくこともあったけれども最後までコンスタントにアタリは続き飽きることはなかった。
朝からの潮が逆向きになってこれで終わりかと思ったあとでも型のよいグレが喰ってきた。
アタリが多かったせいか、あっというまに時間が過ぎたというか、撒餌を撒きすぎたというのか、お二人よりも早くエサが尽きお昼過ぎに終了。釣果のほかに、1.75号を切られたグレを含め、バラシが2匹、チャリコのほかにカイズを2匹放流。この場所のポテンシャルの高さをあらためて認識した。

今日のグレはどれもでっぷりと太っている。見た目はどう見ても不自然と思えるほどの太さだ。こいつらは何を食べてこんなに太っているのだろうか・・。家に帰ってお腹を開いてみると驚くほどの量の脂が入っていた。



この季節のグレを釣ったことはないが確かにこの時期もグレの旬なのだということがよくわかった。ちょっと臭いがするのは残念だが・・。

お二人の終了を待つ間、防波堤の先端まで行ってみた。先端の部分にもスリットが入っていると思ったらここはベタのままであった。もうすぐ飲ませサビキの釣りが始まる場所である。



今日もルアーを持ってきていたが、メインの釣りが忙しくて投げる機会がなかったけれども足場がいいので次に連れて行ってもらう機会があればここからメタルジグを投げてみようと思う。

ここの釣りは面白いが危険がいっぱいだ。スリットの上を歩くのは怖いし、今日はスマホの保護ガラスを割ってしまった。



カメラを忘れてきたと思い込み、撮影用にスマホをポケットに入れていたのだが、どこかに当ててしまったようだ。画面を体の方に向けていたら大丈夫だったのだろうが運が悪いというか・・。家に帰ってきてリュックの中を見てみたらちゃんとカメラが入っていた・・。きちんとリュックの中をまさぐってカメラを持ち出していたらこんなことにはならなかったのに・・。
予備に保管していた保護ガラスを貼り換えたらこれも失敗・・。また無駄な出費が出てしまう・・。スリットから足を踏み外して海に落ちてしまうことを思うと大したことではないと思えばあきらめもつくのかもしれないが、あまりにも用心と段取りが悪いとしか思えないのである・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加太沖釣行

2024年06月02日 | 2024釣り
場所:加太沖
条件:若潮9:04干潮
潮流:3:00上り2.1ノット最強 6:18転流 9:41下り2.3ノット最強
釣果:マアジ 4匹

この週末は先日の大雨で釣りには行けないだろうと思っていたが情報ではすでに濁りはなくなっているという。もうひとつの情報ではチョクリはダメらしい。ならば今日は加太へ行こう。こっちの情報はまったくないのだが・・。

加太に向かうのは実に36日ぶりだ。潮は下りなので僕の嫌いな潮だけれども、船底がきれいになった船の走りを楽しむだけでもよいと思っている。それでも、上り潮が少しだけ残っている時間には加太に到着したいと思い午前4時17分に出港。



途中、禁断の仕掛けを流していたので四国ポイントに到着したのは午前5時を回っていた。



今日はここから始めて下り潮に合わせてコイヅキ方面へ行こうと思っている。
スパンカーの準備をして仕掛けを下ろす前に魚探を見てみたら大きな反応が出ていた。期待を込めてサビキ仕掛けを下ろすが全くアタリはない。しかし、いつもの人はやっぱりちゃんとタモを入れている。



いったいあの人たちと僕は何が違うのだろう・・。同じようにビニールを鉤に引っ付けているだけだと思うのだが・・。魚たち何を判断基準にして喰ってくるのだろう・・?

いつまでたっても僕にはアタリはないので移動を決意。潮が下り始めるまではまだ時間があるので菊新丸さんポイントに行ってみることにした。そこから少し沖を見てみるとデンシャポイントに船が集まっているので針路を変更。



しかしここでもアタリはなく少し早いが本命のコイヅキへ移動した。



ここに来て仕掛けは高仕掛けに変更。
潮はまだ動いていない感じなので底はきちんと取れている。底がわかる間はなるべく深い所まで行ってみようと思い水深60メートルくらいのところまで攻めてゆく。転流時刻を過ぎて1時間、天使の梯子は降りてきたが僕には天使がやってこない。



少しずつ潮が速くなり道糸がどんどん出てゆく。大体の場合、この潮の速さに負けてしまって沖ノ島の北岸を転々としてボウズで終わるのだが今日はそうではない。しばらくしてかすかなアタリが出た。点検してみるとオレンジのビニールの先っちょだけ噛まれている。確かに魚はいるようだ。
早い潮に悩みながら我慢の釣りを続けていると午前8時14分、再びアタリがあった。少し頭を振っているのでこれは真鯛だと思い慎重に引き寄せるが、仕掛けに手が掛かってしばらくして一気に走り始めそのままバラしてしまった。ここまでくれば真鯛なら観念するだろうと油断をしていた。貴重なアタリを逃してしまい、落胆の度合いは計り知れない・・。
ああ、やっぱり沖ノ島一周で今日は終わりかと思ったがその30分後、3回目のアタリがあった。今度こそ逃すまいと念には念を入れて仕掛けを回収して上がってきたのはかなりの大きさのマアジだった。まさしく鬼アジだ。最初の魚もきっとマアジだったのだろう。
このくらいの時間になると船がどんどん集まってきて、帝国軍と同盟軍が入り乱れている。



その後しばらくして大きなアタリ。仕掛けは相当斜めに入っているがアタるときはアタる。今度は2匹一荷で上がってきた。この頃がきっと時合だったのだろう。

しかし、この頃になると潮はドンドン速くなり僕の腕では始末に負えなくなってきた。潮流表とほぼ同じ時速4.5キロで船は流されている。おまけに二枚潮になっている。前の方に入っていった仕掛けが後ろの方から上がってくる。苦戦しているのは僕だけではなく、隣の船の仕掛けも流されているようで仕掛けどうしがおまつりしてしまった。どちらが下手かはわからないが、困ったものだ。

もう、深い所は無理だ。少し東の方に入って40メートルくらいのところを攻めてみる。ここでもうまく1匹ヒット。これで4匹。最強時刻を過ぎたばかりなので潮が緩んでくるとまだまだアタリがあるはずなのだが、お昼ごはんを家で食べるというのが一応のポリシーなのでここで釣りを終了。
ポリシーもそうだが、昨日の船底塗装の疲れも残っている。ふくらはぎや太ももの内側が痛い。揺れている船の上ではなおさら辛い。明日の朝も早いし、で魚をさばいて港に戻って燃料補給をして家に帰ってくるとこの時間からでもすべてを終えるのは夕ご飯の少し前だ。それから刺身を作って盛りつけるとまったく余裕はない。

帰り支度をしていると船のそばでは小さなうず潮が発生している。コイヅキはほとんどの場合潮が速すぎて退散の憂き目に遭うのだが、今日はそうではなかった。そういう意味ではよくやったといえるのではないだろうか・・

  
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

船底塗装

2024年06月01日 | Weblog
2週連続になるが急遽、小船の船底塗装をすることにした。週明けは大雨になったので海も濁っていて釣りにならないだろうと考えその間にやらねばならないことはやっておこうという考えだ。
小船はいつものとおり人力上架なので今日の潮回りではあまりよくないのだが幸いにして今は夜明けが早い。



暗いうちから準備をすればなんとかなるのである。そう思って午前4時半に家を出たけれども、港のスロープにウインチをセットしようとしたときにターンバックルを持ってくるのを忘れているということがわかった・・。発作的に思いついたものだから会社から帰ってきて暗い中で準備をしたのでカゴの中に入れるのを忘れていたようだ。棚の中から取り出したことは間違いなかったのだが・・。
仕方がないので家に取って返して30分のロスになってしまった。しかし、早朝から働いている(といっても僕は遊びのためだが・)のは僕だけではなく、近所の家の前には救急車が停まっていた。



僕は発作的な行動をするだけだが本当に発作を起こす人は時間を選ばない。まあ、迷惑といえば迷惑な話だ・・。「人命は地球より重い」のだろうか・・重いのだろうな・・。
結局、船をスロープに廻してウインチを巻き始めたのは午前5時半を回ってしまっていた。

今日は船底の塗装以外に生簀の栓を塞ぐ作業もする。初めてのFRP加工だ。これは小さなボルトとナットで止まっている。これを外すためにはきちんと上架して船の下からドライバーで回さねばと思っていたのだが、試しに止水のために塗りつけていた接着剤を剥がしてボルトを回してみると、回すまでもなく、すでに電蝕でボルトはボロボロになってしまっていた。



ナットを潰して上から叩けば外れるだろうと考えて人力上架を選んだのだが、ボルトがFRPに固着してしまっていて叩いても8本のうち2本しか落とすことができない。プライヤーでグリグリやってなんとか落とすことができたが一時はどうしようかと悩んでしまった。ボルトが取れるとあとは栓をハンマーで叩けばぽっかりと穴が開いた。

 

ガラス繊維を貼り付ける部分の塗装を落とすのはサンダーを使う。コンセントは渡船屋の東屋にしかないので最初の客が帰ってくる前にやってしまう。これは簡単なものだ。
なんとかここまできたが試練は続く。穴の直径は6センチ。ガラス繊維だけでは心もとないと思って木でベースを作った。



これをガラス繊維で挟んで埋めようと思ったのだが、上からの見た目はなんとなくうまくできているように見えるのだが下から見るとガラス繊維が膨らんでしまって空気が大量に入ってしまっていた。こういう方法を取ったのはFRPの厚みの分の段差をこの木で無くそうと思ったのだが実際の厚みはものすごく薄いものだった。おそらく3mmくらいだろう。船ってこんなに薄い板で作られているのかと驚いた。これくらいの厚みならそれをまったく気にせずに事前にプラスチックかFRPで板を作って乗せるだけでよかった。



木のほうは間違いなく防水ができていないので早晩腐ってしまうだろう。その時はもう一度やり直さねばならない。
手慣れた人には簡単な作業なのだろうけれども、ど素人には手探りの作業だ。まあ、こんなものだろう。とりあえず、翌日の時点では水漏れは確認できなかった。



その後はいつものとおりの作業だ。大きい船と同様、フジツボはほとんど付着していなかった。塗料の塗りムラのあるところに付着している程度だ。今朝、スロープに下りた時にはムッとドブ川のような臭いはしたものの、水質はやっぱり良くなっているのだろう。



これなら船の動きが悪くなってくるまで我慢し、1年に1回か2年に3回くらいのペースに落として浮いた塗料代で雑賀崎のスロープを借りてきれいに塗装した方がいいのではないかと思う。今日は特に風と日差しがなかったので藻が残った船底は乾きが遅く、潮が満ちてくる時間もあるので急いだ結果、生乾きの状態で塗り始めてしまい間違いなく上手くは塗れていない。


とはいうものの、最初はおカネの節約のために始めた人力上架も今では別の価値を持ち始め、これをやれるうちは僕の体力もまだまだ落ちていないという僕の老化度のバロメーターになりつつある。
どちらを選択するか、もう少し悩まねばならないのである・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする