イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「[図説]世界の水の神話伝説百科」読了

2024年06月14日 | 2024読書
ヴェロニカ・ストラング/著 角敦子/訳「[図説]世界の水の神話伝説百科」読了

『人類の歴史が始まったころは、どの社会も自然崇拝だった。蛇状の水神への信仰は人と水との関係を表していた。・・・虹蛇、天空の大蛇(ボア)、昇り竜、鎌首をもたげたコブラ、巨大アナコンダ、羽毛や角のある蛇。このように文化により様々な形で表現される水の神たちは、創造主であり、トーテム祖先(祖先の表徴である動物)、守護精霊、掟をつくるものであった。』
この本の始まりは上のような文章で始まる。タイトルのとおり、世界中の水の神様の話を集めた本だ。しかし、原題は「Water Beings」と非常にシンプルである。直訳では「水にある存在」というようなところであろうか。
菊版、本文385ページ、紙質もよいので重さは756グラムもある大きな本であった。持ち運びが辛かった・・。

著者はどうして水の神様を題材に選んだのか、水は人が生きてゆくうえで絶対に欠かせないものだ。だから、水を征するものは人を征することができた。人と水の神様との関係の変化をみてゆけば人と自然の関係の変化もわかるのであるというのである。

人類が狩猟採集生活をしていた頃、水の神様は蛇の形をしていた。これを水蛇神という。これは世界中どこでもそうであった。最初の人類がそういった考えを持ったまま世界に散らばっていったからなのか、人間の思考の遺伝子が同じものを生み出すからなのかはわからないが世界中で水蛇神の信仰は根付いていた。その姿は角が生えたり翼が生えたり牙、爪のついた足が生えたりして水龍という姿に姿を変えてゆくのであるがそれはその地域に住む動物の特徴を取り入れて独自の形を作っていった結果であった。
しかし、なぜ、基本形が「蛇」なのか・・。水の中を泳ぎ、陸上をくねくねと這う。それが蛇行する水路によく似ていたからだという。脱皮すると若返ったように見えるところから直感的に再生と不死を連想させたりもした。どこか遠くを見ているような目つきや人とは似ても似つかない姿が異世界に住む存在を想像させたのかもしれない。

この神様は時代を経て人の形をとるようになる。農業が生まれ、そこから財産という概念が生まれるとそれを支配する階級が生まれ、支配者たちはその正統性の証として自らを水を征していた神の末裔であると自称し始める。先祖が蛇(その他の動物であった場合もあったのかもしれない。)の形をしているというのはちょっとまずいぞということになりその姿を人に似せる必要が出てきたのである。そして、蛇はその神様の持ち物(杖や冠)などにモチーフとして移ってくるのである。

さらに時代が進み、農耕は大規模になり灌漑農業などで自然に大きな手を加えるようになると人類は自然の征服者という立場になってゆく。そうなってくると自然の象徴である神様は邪神として征服の対象となってしまった。同時に一神教の勢力が拡大してくるとやはり水の神様は邪神となってゆく。邪神を成敗する騎士は英雄として尊敬されるようになる。

さらに科学技術の時代になると自然の構造は理論的に説明されそこには神様の存在する余地はなくなってしまった。
しかし、神様は死に絶えてはいなかった。自然環境が破壊され化学物質で汚染されてくると神様は環境を守るシンボルとして再び召喚されることとなった。
特に先住民族が多く住む地域では自分たちはその神様の末裔であり、代弁者であるとして神様が住む川や山の保全を訴え政府にそれを認めさせることに成功した。
水の神様は現代にもちゃんと生きていたのである。

著者はフリーランスのライターから環境人類学者に転進した人であるが、この人が主張したかったことというのは、締めくくりに書かれている、
『世界に数多く存在する水蛇神たちは、そうした取り組みにおいて今なお重要な役割を果たしている。本書でそれがわかっていただけているとよいが、水蛇神は人を引きつける物語の装置となり、さまざまな領域の聴衆に込みいった観念をわかりやすく伝えている。水の創造力をまざまざと見せつけ、人間と非人間の関係の現実はこうなのだと示しながら、規模の大小にかかわらず社会と生態系のカギとなる問題をあぶり出しつづけている。時間ととともに運命が変転したのにもかかわらず、というかおそらくそのために、地球上の命の未来を決する議論や決定で、非人間界に強力な存在感をもたらす大きな可能性を今なお秘めているのだ。』
という文章に現れているのだと思う。
この文章に出てくる、「非人間」という言葉はほかの場所にもたびたび出てくる。僕はずっとこれは人間に対しての神のことであると思いながら読んでいたのだが、この、最後の部分までやってきて、これは自然界のことを言っているのではないかということに思い至った。著者はそれほどまでに人間は自然と離れ離れになってしまったと考えているのだろう。事実そうに違いない。それではいけない、人と自然は再び融合されなければならない。そのための媒介役として神の力が必要なのだというのが著者の思いなのである。

「百科」と書かれているだけあって、膨大な数の世界の神様の名前や図版が掲載されている。しかし、記憶力を著しく欠いている僕にはまったく覚えることができない。だから感想文にも書き入れることができず、大作のわりにはかなり短い感想文しか書けなかったのである・・。
コメント
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