イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

紀ノ川河口~北港釣り公園前釣行

2022年05月31日 | 2022釣り
場所:紀ノ川河口~北港釣り公園前
条件:大潮 5:55満潮
釣果:アマダイ 4匹

まだアマダイブームは続いている。本来なら大きい方の船のローテーションなのだが、今日もお昼前に病院に行かねばならない。それならば必然的にアマダイ狙いに決定だ。

今日のプランは前回はじめてアマダイを釣り上げた日とおなじだ。朝一に紀ノ川河口でルアーを投げてから釣り公園の前を目指す。

今日も夜が明けるのが早い。おまけにアマダイ用のエサを持って出るのを忘れて家に引き返す羽目になったり、いつも通っている踏切が工事中で迂回したりして出港する頃にはかなり明るくなってしまっていた。



しかし、昨夜はかなり雨が降っていたのに工事は予定通り行われるものなのだと鉄道会社の非情さには驚いた。

 

そしてその雨が気になる。真水が出ていて釣りにはならないのではないのだろうかという心配だ。道中の海面を見てみると濁りはないようだが、海面に真水の層ができていると魚は浮いてこないのではないだろうかと思ったりするのである。
どちらにしてもこういう日にもやってみてダメならダメで情報の蓄積にはなる。そして、岸からは今日もキャスティングのアングラーが数人いるのだからまったく釣れない日だということでもないようだ。もっとも、彼らの中でトップウォータールアーを使っているやつはいないとは思うが・・。



そういう不安な状況でスタートをしたのだが、間もなく魚がルアーをチェイスしはじめた。今日も魚はいるようだ。しかも、何度もルアーを追いかけてくる。これは小さい魚だったが時には水面に大きくジャンプするし、そこそこ大きいやつが水面にボコッと出てくる。しかし、まったくフッキングに至らない。これだけ追いかけてくれば1匹くらいヒットしてもよさそうなものだが、これは昨日の雨の影響だろうか・・。



しかし、魚が釣れなくても海面にボコッと出てくるだけでちむどんどんする。この釣りは面白い。
もう少し続けてみようかと思ったけれども、遅くとも午前9時には港に戻らねばならないので午前5時16分にここを後にしてアマダイのポイントに向かった。

今日もあの老人が歳の離れた客人を乗せて沖に向かっていく姿を見つけた。やはりこちらを見る気配はなく、しかし、あの人の癖なの今日もかなり岸寄りを走り抜けていった。同じ客人なのか毎回違うのかもわからないが、僕がここにいる日に限って釣りに出ているわけでもあるまいし、同世代でもなさそうな人を乗せて頻繁に釣りに出るというのは、モグリで遊漁船でもやっていたりするのだろうか・・。

そんなことを考えながらアマダイがいるかもしれないポイントへ移動。
今日は過去2回からエサを変えてみた。前回の湯浅湾では釣れた型が小さかったのはエサが小さかったせいではないかと考え、業務スーパーで「海エビ1パック299円税抜き」というのを買ってみた。今日はそれを半パック持参してきた。
さて、こんなもので魚は釣れるのだろうか・・。

海は穏やかでわずかに北からの風が吹いている程度だ。潮の流れもほとんどなく、船は風に流されて北から南のほうに移動してゆく。できるだけ広範囲を探りたいと考え、前回釣った場所よりもかなり北に船をもっていきエンジンを切った。



すぐにはアタリはなかったが、ふた流し目くらいだっただろうか、アタリが出た。おお、今日も魚は居るようだ。
しかし、大きさは30センチ足らず。オキアミのときとあまり変わらない大きさだ。エサの大きさではそれほどの変化はないのかもしれない。
とりあえずボウズはなくなったので気分は楽になったので少し冒険をしようと海は穏やかでもあったのでさらに沖を目指すことにした。といっても住金の一文字の少し南西くらいというところなのだが・・。そしてまたアタリが出た。今度は少し大きい。40センチ近くあるだろうか。そしてまたアタリ。今度も同じくらいだ。そうなってくるとやはりエサの大きさと魚の大きさは比例すると考えてもいいのではないかと思えてくる。

午前7時半を回ったころになるとゆっくりしか動いていない潮がほとんど動かなくなってしまった。あまり早すぎると底が取れないが仕掛けが垂直に落ちるとこれまた釣れない気がする。それにテンビン仕掛けだとこういう状況ではテンビンに仕掛けがからまってしまう。
3匹あれば叔父さんの家に持っていけるし病院に行く準備もあるからと午前8時を前に終了しようとしたら・・、
運のいい日とはこんなもので、仕掛けを回収している途中で何かが喰ってきた。湯浅湾の例だとこんな状態で喰ってくるのはサバフグなのだが、なんとこれもアマダイであった。
これもまずまずのサイズであった。おそらく海底から3~5メートルくらいの位置で喰ってきたのだと思うが、海底に穴を掘って住んでいるという魚がエサを追ってこんなに上に上がってくるというのは、確かにタイラバで釣ることができるというのに納得した。

この時間だと叔父さんの家の円卓会議に間に合う。今日はちょっと自慢ができそうだ。
メンバーの中に、あの魚は釣っても美味しくないとか、こんな魚いくらでも釣れるとか言っている毒舌の構成員のじいさんがいるのだが、さすがに、今日はええの釣れてるやないかという一言で終わってしまった。やはりわかる人がみれば魚の値打ちというのはわかるのだ。

お昼前に病院に行き、午後からは少し離れた場所に住んでいる奥さんの叔母さんの家に魚を届けたのだけれども、途中処方箋を薬局に出して帰りに薬を買って帰るように言いつかったのであったが、行きでは薬局に寄るのを忘れて途中で引き返し、帰りには買うのを忘れて家まで帰ってきてしまった。朝もエサを持って出るのを忘れて途中で引き返したのだが、もう、物忘れがひどすぎる。ついでにいうなら、先日船を上架したとき、スロープの使用料を支払うのを忘れて引き返すという失態も演じているのである。どれもこれも数分前にはこれをやらねばと頭のなかでは反芻を繰り返しているのに5秒後にはそれを忘却してしまうのである。
こういう事については何の対処法もないのだろうか・・?悲しい・・。



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紀ノ川河口、湯浅湾釣行

2022年05月28日 | 2022釣り
場所:紀ノ川河口、湯浅湾
条件:中潮 4:31満潮 11:05干潮
釣果:ハマチ1匹 アマダイ3匹 ※アマダイは画像なし

タイトルを、「紀ノ川河口~」としていないのは、今日の釣行は、紀ノ川河口で釣りをしてから一度港に戻って再度船を乗りかえて湯浅湾への釣行となったからである。
今日の湯浅湾へは、隣のNさんの船に乗せてもらって行ったのだが、集合時間が午前7時だったのでそれまでに紀ノ川河口に行って戻ってくることができるという判断だ。

小船での出港は午前4時15分。一路紀ノ川河口を目指す。



今日は土曜日、いつも以上にテトラからの釣り人が多いだろうから怒鳴られないように人の居ない場所を確認して錨を下す。夏至まであと半月と少しという時期なのでこの時点ですでにかなり明るくなっているので岸際もよく見える。



いつもの通り、トップウォータールアーでの釣りを開始する。一昨日から昨日の朝にかけてかなり雨が降っているので真水の出具合が心配だ。水の濁りはあまり感じないけれども水面のほうは塩分濃度が薄いのか今日は魚のボイルが見えない。しかし、10分ほど過ぎた頃、ルアーを追っている魚を確認した。今日も釣れそうな予感だ。
しばらくすると、少しだが魚のボイルも見え始めた。そして今日最初のアタリが出た。少し大きいようだ。慎重にやり取りをしてリーダーまで巻き込むことができたがそこからの魚の抵抗が激しい。船の下に潜り込もうとするのでおそらくメジロに近い大きさのハマチだろう。竿を矯めてなんとか耐えてみたが残念ながらバレてしまった。ルアーを回収して点検してみると、フックが1本伸びてしまっていた。残念だが魚が大きすぎたようだ。

なんとか1本取って帰らないとこれから会うメンバーに偉そうな顔をできない。帰途に着くまでにはまだ30分以上ある。チャンスはあるだろうとキャストを繰り返すとほぼ船に近いところまでルアーをリトリーブしたところでアタリが出た。今度はさほど大きい魚ではなかったので楽々取り込むことができた。

よし、これでみんなに大きな顔ができるとお腹の調子も整えたいので少し早い目に港に戻ることにした。
途中、川の中心部でボイルを見つけた。少しルアーを投げてみようと思いトップウォーターからジグヘッドワームに変更。確かにルアーに触るアタリはあったけれどもフッキングに至らずそのまま帰投した。

釣りをしている途中、衝突事故を起こされた相手の船が沖に向けて走ってゆくのを見つけた。



僕に気付いているのか知らぬふりをしているだけなのか、こちらを見るそぶりはなかった。今日はかなり歳の離れた乗客を乗せていた。友人にしては歳が離れすぎているし、持っている道具は明らかにルアーかタイラバだ。孫だろうか・・。
紛争の解決法なんて全然わからないと言ってはいたが、送付されてきた示談書の書式は素人の僕が見ても整ったものであった。若い指南役が軽い事故にそんなにカネを払う必要もないと入れ知恵でもしたのだろうか。
どちらにしても今日は当てられることもなく無事に帰港。

Nさんともう一人のメンバーのちからさんを待つ間、近くのスーパーのトイレへ。24時間営業なのでありがたい。



僕にとっては排泄問題というのは深刻で、特にここでもよおしてはいけないという場所でもよおしたくなってしまう。前回の紀ノ川河口での釣行の際も、船の上で突然下痢の発作に襲われ、都合4回もブルーワークからお尻を突き出してしまったのだ。
ひとりならそれも良しとするのだが、人が乗っているとそうもいかない。しっかり出してから友を待った。

メンバー全員が揃ったところで時間通りに出港。



今日の目的地は湯浅湾だ。ここ2、3週間ほどで僕の周りではにわかにアマダイのブームが起こってきた。おだんごクラブの会長さんからの電話やSNS上での話というのは以前に書いたとおりだ。
そして、その話題の発端になったところがここである。会長さんからの情報もここでの釣果であった。
僕の船では二の足を踏む場所なのだが、速度の出るNさんの船ではなんなく到達できる場所である。船底塗装のおり、ちからさんから、明日アマダイを狙いに行くのですよという話を聞いたので僕も便乗させてもらったというわけだ。

僕は前回1匹釣り上げた仕掛けで挑み、ふたりはタイラバで挑むという布陣だ。
彼らがユーチューブやネット上の情報を総合して選んだポイントは矢櫃漁港の前方、定置網が入っている周辺だ。



矢櫃というと、僕の父親がチヌ釣りに足繫く通った場所だ。「櫃」という字は難しい字だが僕は子供の頃から知っていた。古い記憶だが、僕も1度ここに釣れてきてもらったことがあるはずだ。狭い道を通り、長い距離を歩いて防波堤まで来た記憶がある。この歳になって再び沖からそこを眺めるとは思わなかった。

釣りの方はというと、最初に魚を釣り上げたのは僕だった。大きさは35センチくらい。情報だけを頼りにやってきたが確かにアマダイはいた。



次も僕。今度はかなり小さい。20センチを少し超えたくらいだろうか。やはりエサ釣りの方に分があると思っていたが、こんどはちからさんにアタリ。かなり大きい、僕が釣ったやつよりもひとまわりは大きい。そしてまたちからさん。今度も大きい。ルアーにヒットしてくる個体のほうが大きいようだ。最後に僕が1匹追加。
残念ながらNさんにはアタリがなかったけれども、ポイントを探りあて、風が強い中でも船の姿勢を維持して釣果に導いてくれた。ご本人は、ゲストが釣ってくれれば満足と言ってはいたが、心のうちはいかばかりだったのだろうか・・。

最後は初島に移動して真鯛を狙ってみて今日は終了。ここからだと僕の船では50分近くかかって港にたどり着くのであるが、Nさんの船だと30分ほどで到着してしまった。
この速度がなければ湯浅湾は目差すことができない。
この景色は僕にとっては幻に近いものなのである。




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船底塗装

2022年05月26日 | Weblog
今日は恒例の船底塗装だ。これもいつもの通り、ちからさんの出勤前に無理をお願いして上架してもらった。

船台に取り付けられている2本の鋼管を目印に船の位置を決めてスロープを登っていくのだが、今日は後ろの位置を決めると前の位置がずれている。わずか20センチほどだったので、これは3台ある船台ごとに若干の誤差があるのかと思っていたら、ちからさんが「動くな!動くな!」と大声で指示を出している。デッキに乗っている僕たちにはまったくわからなかったのだが、鋼管の立っている場所がいつもと違い、船台の一番端のほうに立てられていた。これは自由に位置を変えられるようになっていて、大型船は外側、小型船は内側にセットするのだが、それに気が付かなかった。



船の底というのは平らな場所がわずかしかなく、そこが船台と接触していないと転覆の恐れがある。一応、船底の縁に、僕の船のサイズに合わせて作った小さな角材を入れて固定をするのだが船が端に寄った状態で乗っているのでそれもできない状態のようだった。
人が船の上で左右に移動するだけで転覆してしまいそうなほど危なかったのだ。

朝、和歌浦港の岸壁に船をつけてちからさんを待っていると、タコ釣り名人のおいやんが声をかけてくれて、中乗り手伝ってあげるわと言ってくれたことに、今日は楽勝だと安心してしまっていた。おまけに鋼管の立っていた側が風下側だったのでもともと大きく移動させる必要がなかったことで注意を払わなかった。

素人ならここで慌てふためくのだが、この人はさすが経験豊富だ。スロープに置かれている角材を組み合わせて船のバランスとって固定をしてくれた。


今年は今でも船の速度はほとんど落ちていなかったのだが、確かに船底のほうは手入れをしなくてもいいのではないかと思えるほどきれいだ。特に金属部分は毎回びっしりとフジツボが付着しているのだが、舵の部分のフジツボはまだ小さくまばらでスクリューのほうはまだペラコートの撥水力を保ったままでいる。



ここまできれいな状態だったのは船に乗り始めて初めてのことではないかと思えるほどだ。水温が上がらずフジツボたちも食料になるプランクトンを確保できないのだろう。
前回の初島周辺の海水の綺麗さが下津港全域に広がっているに違いない。

高圧洗浄機で藻を吹き飛ばすだけでほぼ下処理が終わってしまうので楽勝なのだが、このおかげで魚が釣れないのかと思うと心は複雑である。ここで体力を使っても構わないのでへたくそな人間にも魚が釣れる環境のほうが嬉しいのである。

午後からは雨が降るというだけあって日差しも少なく、風もほどよく吹いてくれていたので体力の消耗は少なく作業は順調に進んだのだが、ひとつ気になることがあった。
舵の腐食はすでに進んでいるのだが、そのステージがもうひとつ上がっている感がある。赤錆が出ている。錆を吹き飛ばすと鉄の金属光沢が見えている。



おそらくなのだが、この船を譲り受けて動くように整備してもらったとき、腐食の激しい鉄の部分には黒錆転換剤を塗ってくれていたのだろう、地肌は黒くなっていた。それがここ数回の塗装の時、フジツボの基台部分の紋柄を削ろうとカップワイヤーで擦ったことがあるのだが、その時に黒錆を削り落としてしまったのかもしれない。本当なら亜鉛が効いていて電飾を防いでくれているはずなのだが、それも怪しかったようだ。
もともとかなり腐食が進んでいるので近いうちに交換しなければならないとは思っているのだが、費用を考えると二の足をふんでしまう。
まあ、もう少し様子見だ。

お昼前には船の下の作業を終え、スタンチューブの交換と徒労に終わるかもしれない生簀の水漏れの補修だ。この頃から南の風が強くなりちょっと不安定かもしれない船の上でびくびくしながらの作業だ。
水漏れの補修にはコーキング剤を使うのだが、この素材の臭いがペラコートにそっくりなことに気が付いた。
このコーティング剤、けっこうお値段が張る。だから、通常は1回で使い切る分を僕は2回に分けて使っている。コーキング剤というのは石油に溶かせるらしく、それを塗ってやるとその代わりにはならないものかとふと思いついた。
これからの季節、フジツボの活動が活発になるので、早いうちに実験をしてみようと考えている。もしこれが成功すれば革命的な発想だと思うのだが、これもまあ、本当に効果があるのなら、どこかの誰かがすでに実証しているだろうからあまり期待はしないほうがよいというものだ・・。


翌日、仕事帰りのちからさんを待って進水してもらった。
いつもながら塗りたての船は滑るように海面を走り抜けてゆく。



いつまでもこの状態が続けばいいと思うのだが、秋を過ぎればまた動きが悪くなる。どれだけ労力を使っても元の状態に戻るだけというのはひょっとして僕はシーシュポスの呪いにさいなまれているのではないかと思えてくるのである・・。

すべての作業を終え、これも恒例になった、スロープの使用料を支払ったあとに蛭子様にお参りし、ゴールの発泡酒とタコ焼きにたどり着いた。

 

あまり体力を使わなかったとはいえ、昨日74.6㎏あった体重は71.6㎏まで減っていた。この体重もこのまま維持できればいいのだが、夕食を食べるとほぼ昨日の体重に戻ってしまう。やはり僕はシーシュポスに呪われているのかもしれないのだ・・。


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紀ノ川河口~北港釣り公園釣行

2022年05月25日 | 2022釣り
場所:紀ノ川河口~北港釣り公園釣行
条件:長潮3:30満潮 
釣果:アマダイ1匹

初島に行った日、SNSのグループのメンバーの方が紀ノ川の河口の沖でアマダイを釣ったという書き込みをしていた。こっちは初島まで行ったのにこんな近くで釣れるのかとちょっとショックを受けたのである。

僕も早速計画を立てて行ってみた。
エサがないので前日、帰宅してからエサ屋さんへ向かい、260円のオキアミを半分に切って船に乗った。

アマダイ狙いだけでは不安なので夜明け前はいつもの通り河口でルアーを投げる時間も作っておいた。
事故のあった場所に行くのは不安があるのだが、目下のところ2回連続で釣れているのでやはりそこを目指してしまう。
と、そこにつながるテトラ帯を見てみると、所々に光が見える。どうも釣り人がいるようだ。僕も少し下流域でやってみようと錨を下したのだが、いきなり護岸から怒号が飛んできた。ライトは見えなかったがそこにも釣り人がいたようだ。まあ、後からやってきて目の前で船を泊められたら怒るわなと思うのだけれども、そんなに口汚く罵ることもあるまい。どうせ相手は大声を出すだけで何もできないのだからそのままここでルアーを投げてもよかったのだが、あまり気持ちのいいものではない。ここは大人になって少し上流の人がいないところに錨を入れなおした。
しかし、ここは流れが速い。これでは釣りにならないと思い少し下流へ。



ここはコンクリートの防潮壁が高くなっていて釣り人は入れないようだ。そして、トップウォータールアーを投げているとアタリが出た。しっかりフッキングできたのだが、間もなく魚の引きが感じられなくなってしまった。ラインを回収してみると、リーダーがラインの接続部ですっぽ抜けていた。
ラインブレイクで魚を逃がすならなんとか諦めもつくが、自分が編んだリーダーが抜け落ちてしまうのでは悔やんでも悔やみきれない。貴重なトップウォータープラグも失ってしまった。
これでやる気がなくなりアマダイ狙いに変更。

SNSの情報では河口部分の沖合だったがそこは潮が早すぎる。引き潮と川の流れが相まっているのだろう。これでは底を取ることがままならないので少し流域を外れて北港釣り公園の前に移動。



ふた流し目で大きなアタリが出た。アマダイだろうか、それともクチか・・。慎重に道糸を巻いてくると、現れた魚はまごうことなきアマダイだ。

ここには本当にアマダイがいた。

これでがぜんやる気が出てきた。リーダーのすっぽ抜けもあと1匹釣ったら帳消しだ。
と、思ったのだがそんなに世の中甘くない。何度か行ったり来たりしてみたが次のアタリはない。あまり長くやっても無駄なのかもしれないと考え、せっかくだからいろいろなところを調査しようと移動を開始。本命の場所は新々波止の南側だ。



ここで釣れれば近くて楽勝だ。
だが、ここでもアタリがなく、午前8時に終了。

1匹は釣れたものの、ここで十分釣れるというものでもないようだ。潮時、仕掛け、エサ、最適なものを見つけるまではまだまだ時間がかかりそうだ。


この魚、初めて釣ったものだからどうやって料理してよいかわからない。桂米朝が司会をしていた、「味の招待席」では「若狭のグジ」としてよく紹介されていた。ウロコを引かずにサラマンダーでじっくり焼くというのが定番だったようだが、そこまで微妙に火力を調節できるグリルがないのでネットで見つけたポアレに仕立ててもらった。



身はふわふわで、ウロコはパリッとしてかなり美味しい魚だった。
癖がなくあっさりした味は確かに高級魚と言われる所以だと納得した。
できればコンスタントに釣れるすべを見つけられればと思うのである。

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「大英自然史博物館 珍鳥標本盗難事件―なぜ美しい羽は狙われたのか」読了

2022年05月23日 | 2022読書
カーク・ウォレス・ジョンソン/著 矢野 真千子/訳 「大英自然史博物館 珍鳥標本盗難事件―なぜ美しい羽は狙われたのか」読了

この本は、2009年に発生した、大英自然史博物館のトリング分館での鳥類標本の盗難事件について書かれたノンフィクションである。
前回読んだ、「科学で大切なことは本と映画で学んだ」に紹介されていた1冊であった。
著者はルポライターでもなくジャーナリストでもなく、NPOの活動家だ。
アラビア語を学びイスラムの言語と政治について学んだあと、米軍撤退後の都市計画に携わり、同僚として働いたイラク人の通訳や医療関係者が迫害を受けているのを知り、その人たちを難民としてアメリカに呼び寄せる活動をしていた。
その活動に疲れ、あるときニューメキシコ州の北部にフライフィッシングに出かけた時、ガイドから大英自然史博物館での鳥の羽根の盗難事件の話を聞いたのである。
その話を聞いた著者は、なぜか気になり、行き詰った心の気晴らしのつもりでさらに深く調べてみようと考えた。そして、この盗難事件の裏に深く横たわる大きな闇を垣間見ることになるのである。

事件の経過はこうだ。
事件は2009年6月23日に発生する。つい最近の事件である。
犯人の名前は、エドウィン・リスト。ニューヨーク市の北部、クラヴェラックに越してきた少年である。逮捕されたときはイギリス王立音楽院の学生であった。10歳の時に父親が持っていたフライタイイングのDVDを見て興味を持つ。そのフライとは、日本で使う渓流用のフライなどではなく、クラシックスタイルのサーモンフライである。



このフライはカラフルなデザインでかつ希少な鳥の羽根が使われているというのが特徴だ。
この世界は、釣りをせずに、タイイングだけを趣味や本業としている人たちがいるくらい奥の深い世界なのだそうである。

エドウィン・リストはひとつのものに興味を持つととことんのめり込むという性格で、親もその興味のある分野の才能を伸ばしてやりたいと思う人たちであった。のちに音楽に興味を持ち、イギリスの音楽学校を目指すことができたのも、そういった理由からであった。
13歳の時にはすでにコミュニティの中で目立つ存在となっていた。
ビクトリア王朝時代の正統なクラシックスタイルのフライを巻こうとすると希少で高価なマテリアルが必要だ。すでに取引が禁止されている種類の鳥も多い。あるとき、コミュニティのタイヤ―のひとりから、大英自然史博物館のトリング分館に保存されている資料の話を聞く。ここには、ダーウィンに並ぶ進化論者である、アルフレッド・ラッセル・ウォレスが集めた鳥類も数多く保管されている。

この本の最初と次の章はそのアルフレッド・ラッセル・ウォレスについてと熱帯の鳥たちの受難について書かれている。
ウォレスは1823年1月生まれ。生物学の専門的な教育を受けているわけではないが、この時代に発刊された探検博物学者たちの手記に触発されアマゾンを目指す。1848年アマゾンで4年間標本集めをしたが帰路の途中で乗っていた船が火災に遭いほぼすべての標本と記録を消失。その後1856年、マレー諸島へ赴き、7年間の標本集めの途中、自然淘汰による進化論を思いつく。そしてダーウィンにその旨の書簡を送り、「種の起源」の発刊につながるのである。この時、活動資金を得るために現地から送った標本の一部を売却したのが大英自然史博物館であったのである。そしてそのコレクションの一部が盗難事件の被害に遭ったというわけだ。

ウォレスの時代、ヨーロッパの社交界では婦人のファッションに熱帯地方の極彩色の鳥をまるごと一羽乗せた帽子をかぶるということが流行した。これは、マリーアントワネットが1757年に羽根飾りを使ったのが最初だと言われているが、以来、ヨーロッパの社交界では珍しく貴重な鳥を頭に載せることがステイタスとなりそれが珍しいものであるほど裕福であり魅力的な女性であると認識されるようになる。その頃発刊されるようになった雑誌を通して一般女性にもそのファッションの波は広がり、それにともなって野鳥の乱獲が進んでゆく。



ウォレスもそういう現象を危惧していたそうだ。
その陰で同時期、英国紳士のたしなみとしてフライフィッシングが流行し始めた。1895年に刊行されたジョージ・モーティマ・ケルソンという貴族が書いた本には貴重な野鳥の羽が使われたたくさんのサーモンフライのイラストが掲載されていた。この本には、もっと普通に手に入れられる羽根でもサーモンを釣ることができるが、貴重な羽根を使ったフライで釣ることこそ紳士であるというようなことが書かれているらしいが、著者は、魚はそんなことはまったく考えていないと皮肉るのである。

この盗難劇の舞台になった場所は、イングランドのハートフォードシャー・トリングにある大英自然史博物館の分館である。イギリスの銀行家のロスチャイルド家の2代目が21歳の誕生日プレゼントとして贈られた私設博物館が元になっている。鳥類学の研究施設としては世界でも有数であり、海外からの研究者の来訪も多く、鳥類・哺乳類・爬虫類の剥製標本コレクションと昆虫標本コレクションの質の高さで有名だそうだ。

エドウィン・リストがサーモンフライ製作にのめり込んでいた頃、貴重な鳥の羽に模した染め物や人工のマテリアルが存在したが、のめり込めばのめり込むほどに本物のマテリアルに対する憧れが募る。
大英自然史博物館に本物の鳥の仮剥製を見に行くという希望は、もう一方の興味が実り音楽家としての教育を受けるため、2007年イギリスの王立音楽院に入学できたことで実現する。
フライタイイング、音楽、特定の分野に異常に興味を示しのめり込むという性質は、逮捕後の判決に影響を及ぼすアスペルガー症候群の特徴であるとされた。

リストが犯行に及ぶまでの経過はこうだ。
2008年11月5日 大英自然史博物館を下見、その後、キャリーケース、ガラスカッターを購入。
2009年6月23日犯行に及ぶ。博物館の鳥の剥製を所蔵している部屋に一番近い通りの塀を乗り越え、ガラスカッターで窓ガラスを切り忍び込む。その時、割れたガラスの破片で傷を負い、血痕を残し、ガラスカッターも落としてしまう。後にこれが犯行の証拠となる。
翌日、ガラスが割られていることが発見される。博物館は盗難を警戒していたダーウィンビーグル号で航海中に採集したガラパゴスのフィンチやドードー、オオウミガラスなどの鳥の皮や骨格、オーデュポンの「アメリカの鳥」の初版本などの貴重な資料が盗難に遭っていないことだけを確認し、安心する。

ひと月以上あと、2009年7月28日犯行が発覚。博物館の管理人が学芸員を案内し、ウォレスの鳥などが所蔵されている引き出しを開けたときに鳥の仮剥製がなくなっていることに初めて気がついた。
研究者には貴重な存在であってもそれ以外の人達、施設の管理人にさえもほとんど気を留められない存在であったのである。

それから約1年後の2010年5月下旬逮捕につながる端緒が見つかる。オランダで開かれた小さなフライ・フェアで翼と脚が胴に添うように縛り上げられた不自然なマテリアルを見た元覆面捜査官の通報からだった。例えば、剥製や古い帽子の飾りとして残っていたものであれば、羽を広げていたり、ポーズをとっていたりするはずだ。しかし、それは頭蓋骨には綿を詰められもいることから、捜査員は普通ではないということを直感的に感じた。
それを販売していた人間から、誰からそれを買ったかということを聞きだし、ネット上を調べると、「フルートプレーヤー1988」というアカウントで大量に鳥の羽を販売している人物を見つけたのである。
2010年11月12日逮捕。音楽院卒業を前年に控えていた時であった。
逮捕されるまでの期間、リストはネットオークションをはじめ、いくつかのサイトを通して盗品を売りさばいていた。
当初は盗んだことに対する罪悪感と後悔があったけれども犯行が発覚しないことで大胆になり、販売を始めたということが本には書かれていた。また、実家を助けるためや自分の楽器を購入するための資金も必要としていた。

盗難の被害として、299点が盗難されたと認定され、174点が押収(ラベルが付いていたのは102点のみであった。)19点は購入者が自主的に博物館に返納された。

2011年4月8日判決。心理鑑定において、アスペルガー症候群と認定されたことにより実刑を免れ執行猶予12か月となる。
盗まれた仮はく製の価値は25万300ポンドと算定された。その半額が罰金となった。
リストはその後、音楽院を卒業し、ドイツの交響楽団へ入団。

これで事件は終わったのであるが、この経緯を調べていた著者はいくつかの不審点を見つける。
ひとつはその価値判定だ。剥製になる前の標本としての価値は低いものの、フライマテリアルとしての市場価値は一部だけでも40万ドルを超えるという。
ちょっとネットで検索してみると、ブルーチャテラーが26万円で売られているのをみつけた・・。



ひとつは、盗難点数がひとりで持ち去るにはあまりにも多いということ。リストはスーツケースひとつを持ち込んで運び去ったと供述しているが、警察の見分では299点の標本を入れるにはゴミ袋6袋必要であるとされた。
ひとつは、著者が計算したところによると、家宅捜査で発見されたもの、後に返却されたもの、確実にネットで売りさばかれたものを除いても最大で64点の標本が行方不明になっているという事実だ。その価値だけでも数十万ドルに相当するという。その後様々な人たちを調べる中で、2点は買主が見つかったが、依然62点はその行方が分からないままである。
ひとつは、リストは本当にアスペルガー症候群であったのかということ。アスペルガー症候群の人というのは、人と目を合わせるのが苦手であるとか他人とのコミュニケーションが苦手であるとか言われるが、イベントでの振る舞いやその後のインタビューでの受け答えにはそういうことが感じられなかった。

市場価値がこれほどまでに高額で、しかも盗難点数がひとりでは運びきれないほどかもしれないとわかっている中で、どうして共犯者の存在を疑われなかったのか。
それは、単独犯と供述されていること、博物館としては、バラバラに分けられたり、タグが外れてしまった標本には価値がなく、それは修復不可能であるというあきらめから、これ以上犯罪を追及してもまったく意味がないと考えたことと、そもそも、299点の盗難ということが最後の棚卸が10年以上前であったということを鑑みると正確な数字ではないのではないかという疑いもあった。事実、この事件の後も他の博物館で盗難事件が起きているので299点というのは過去、別の誰かに盗難されたものが含まれているのかもしれないのだ。

これらから分かることは、博物館はこういった鳥の仮剥製を鍵のかからないキャビネットの保管しているほど貴重なものという認識がない一方で、一部の人たちだけ、たとえばフライマニアにとっては垂涎の的であるのみであるという落差である。この落差がこの事件を引き起こしたといっても言い過ぎではないのではないだろうか。
もっとも、学術的な価値を考えると未来に残していかねばならないものであるというのは間違いがないのであるが・・。
そして、ネットでつながる趣味の世界の広大さと閉鎖性である。

共犯者の存在について、著者は、そうかもしれない二人の人物にたどり着くが、ひとりは無関係のように思え、ひとりはすでに他界していた。
著者の調査資料の大部分はネットを通して得た1次情報であったが、その閉鎖性が大きな壁になった。おそらくだが、リストだけでなく、盗品であったり密猟によるものであったりという羽根が普通に出回っている世界で、これからも違法なものであっても手に入れたいという欲望が外部からのアクセスを遮断する。
そしてそういった人たちが簡単に繋がれるというのがネットの世界であり、それが新たな犯罪を呼ぶ。

この本は、
『ヒトは美しいものを見ることへの欲望を抑えられない
 そして、それを所有せずにはいられない』
という、パプアニューギニアの元首相の言葉から始まる。そして、その欲望をネットの世界はいとも簡単に叶えてくれ、違法な行動もうやむやにすることができる。この犯罪は、そんな世界が生み出したものであると著者は言いたいのである。
そして、そういう世界はフライタイイングの世界だけではなくいくらでも存在するのだと著者は言いたかったのかもしれない。

著者は明確に示唆はしていないが、犯人のエドウィン・リストも、ほとぼりを覚ましたころ、どこかに隠していた羽根を取り出し再びフライタイイングを始めるのかもしれないし、それをお金に換えるのかもしれないと考えていたようだ。

同じような事件が今もニュース番組をにぎわしている。間違えて振り込まれた4630万円を10日間ほどでネットカジノで磨ってしまったという。
こういう人にも指南役がいて、仮想通貨などに監禁して刑期を終えてからネットの世界から掘りかえそうとしているようにしか見えない。
インターネットというのは、便利で不可欠なツールとなっているが、一方では欲望を限りなく増幅し、それを違法であろうがなかろうがそれを実現させてしまう世界であるということを僕も身近に感じているのである。

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初島沖釣行

2022年05月22日 | 2022釣り
場所:初島沖
条件:小潮 5:21干潮 10:00満潮
釣果:ボウズ

衝突事故から初めての釣行だ。これは言い訳にしか過ぎないが、また何か事故に遭遇しないかと終始落ち着かなかった。
船と船の衝突など、特にこの前のような衝突の仕方というのはめったにないことだろうが、流木に衝突するとか、エンジントラブルで漂流をはじめてしまうとか、そういった危険は常にはらんでいる。
常に周りをキョロキョロというのが今日の釣行であった。

昨日が雨だったので、今日の日曜日は加太の海はかなり混雑しているだろうというのでそういう場所への事故後の釣行は避けたかった。そして、数日前、おだんごクラブの会長さんから突然電話が入り、アマダイについての情報というか、質問があった。
今年の春ごろから湯浅湾のとあるところでアマダイが釣れているらしいのだが、あなたはそんなところに行っていないのかというような内容であった。
そこは僕の行動範囲ではないのですよ。残念ながら・・。というような会話で終わったのだが、それが気になっていた。
僕には釣れることがなかったが、数年前、初島の周辺でNさんたちのグループがタイラバでアマダイをたくさん釣っていたことを会話の最中に思い出していたのだ。
会長さんが電話をくれたきっかけというのが、南紀のほうでもたくさん釣れていて湯浅湾でもとなると、今年はアマダイの当たり年なのではないかという思いだったそうである。

それならあそこでも釣れるかもしれないとその電話以来、密かに計画を練っていた。といっても、会長さんに教えてもらった仕掛けを作るのと、エサのオキアミを買っておくことくらいなのだが・・。

そしてそれを今日、実行に移したというわけだ。

前日、SNSのグループのメンバーの方が、僕が思っている場所でアマダイと釣ったという情報をアップしていたので現実感が増してきたとはいえ、仕掛けとエサは教えてもらったものの、それをどうやって使うかは想像の域を出ない。釣れる確率はかなり低いと思われるので保険のためにチョクリの道具も持ち出した。
例年ならすでにマルアジやサバが釣れているころなのだが、今年はまったくそんな話を聞かないので保険になるのかならないのかは微妙だ。まあ、情報をもたらしてくれる人も少ないので結局、自分で探りに行かねばならないのではあるけれども・・。
釣れ始めは例年、初島に近い沖合なので都合がいい。沖ノ島の北西、水深50メートル付近を目指して船を走らせる。



途中、42メートル付近で少し反応があったがもう少し先まで行ってみようとこの反応を無視したのが無念であった。ひょっとしたらあそこで仕掛けを下していたらボウズを免れていたのかもしれなかった。
結局、水深50メートルを超えたところでチョクリの船を1艘見つけたのでそのそばで仕掛けを下したけれども、魚探の反応もなく魚のアタリもないので本命のアマダイを求めて沖ノ島へ移動。



ここぞと決めていたのはムシクイの前だ。アマダイは砂地にいる魚だと聞いているので水深30メートル以上で海底の反応が薄い場所からスタート。



潮の流れもほどほどで底はちゃんと取れるがアタリはない。とりあえず調査だと思い場所を転々と移動する。



沖ノ島は西面の島寄りの海底は岩だがそこを外れると砂地になっている。
ここは砂地だと思われるところで仕掛けを下すがアタリはない。エサの点検のために仕掛けを引き上げるとたまに掛かっているのはトラギスだ。



エサだけなくなっているのはこいつの仕業だろう。アタリがわからないのでエサがなくなってしまっていることに気がつかないのが問題だ。

慣れないことをやってはいけないという典型の釣りになってしまったのである。

再びムシクイに移動したがこの海域だけなのだろうか、海水の色が異常に青い。



コバルトブルーというのだろうかそれともサファイアブルーというのだろうか、透明度も高く、水の色は吸い込まれるほどの青さだ。まるで熱帯地域の海のようである。ひょっとして沖縄の海にテレポートしてしまったのではないかと思えてくるほどだ。(沖縄の海を見たことはないのだが・・)

一般的に、栄養分が少ない海はプランクトンが少なくて透明度が高いと言われるが、この状態がそうなのかもしれない。なんだかそういうことを想像し始めるとここには魚がいないのではないかと思い始め、よけいにモチベーションが下がっていく。
おまけに、移動している途中スクリューにホンダワラを絡めてしまった。
簡単に取り除くことはできたけれども、これは不慮の事故の前兆ではないかと怖くなって早々に退散することに決めた。

港に戻って安全祈願のために氏神様へ。



どこかで気分を切り替えないと魚は釣れそうにないと思えてくるのである・・。

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事故の顛末

2022年05月17日 | Weblog
先日の釣行で起こった事故について顛末を書いておく。

事故が起こったのが5月10日。その状況はこの日のブログに書いた通りだ。
この日の夕刻、相手が全面的に悪いということを認めたのでお金で解決しようということを電話で話し合った。
その中には、船の修理代は全額支払うということも入っていたので翌日、池〇マリンのお兄ちゃんに問い合わせをしてから相手に電話を入れた。その時に、「お金がないので示談金をまけてほしい。」と言い始めた。お金がないと言ったって、船を持っているくらいだからそれなりにきちんとした収入はあるはずで、僕も法外な金額を求めたわけではない。
だんだんと雲行きが怪しくなってきて、ついでに翌日になって首のだるさも増してきたようだった。もっとも、これは会社の人間関係が原因なのかもしれないが・・。
これはきっと、保安庁に通報されなければ逃げおおせると思っているに違いないと僕は思い始めた。とりあえず、事故が起こったという証明を作り、相手の保険からきちんと払ってもらおうと考え方を変えたのである。
その翌日、12日も休みを取っていたのが幸いだった。朝から病院に行き、全治1週間の診断書をもらって港の近くにある保安庁の事務所を訪ねた。
院長の診断だが、これは「ストレートネック」というらしい。



しかし、これ、別名が「スマホ首」というそうで、事故でもそんな変形をすることがあるらしいが、大概が常にうつむき加減で生活をしていることが原因だそうだ。ほぼ毎日、机の前でパソコンの画面を見ている生活を続けているのだから、ストレートネックの原因はそのせいではないのだろうかと思ったが、とにかく診断書をもらったのでこれで人身事故として取り上げてくれるのは間違いがないだろう。しかし、事故だと言って診断してもらうと、保険が効かないので診察料がえらく高い。財布の中がほとんど空っぽになってしまった。この分も補償してもらわねばならないが大丈夫だろうか・・。
お昼前に事務所を訪ねたのだが、とりあえずは簡単な聴取を受けた。そこでオーベルシュタインみたいに冷徹そうな係官に言われたのは、あなたの方にも過失はあるのですよということだった。錨を下してエンジンを停止して停泊している船が前方不注意で突っ込まれてもこっちに過失があるというのはどういうことだとまったく納得がいかなかったけれども、それは昼からの実況見分でなんとなくカラクリがわかってきた。

昼一はまず、実況見分をするからということで船を預けている場所へ集合ということになった。保安庁からはその間に相手にも連絡は行っていた。
家を出る前、とりあえず、相手には仁義を切っておこうと電話をしてみると、通報されたことを残念がり、示談金をもう少し上積みするから許してくれという。おまけに、保険には入っていないと言い始めた。お金がないと言われた時点で相当信用できない人だと思ったが、べつにそんな嘘まで言わなくてもよかろうと余計に信用できなくなった。
許してくれと言われても、もう言っちゃったのだからどうしようもないと思うのだが、一応、自分からこの事故を事件として扱うのを取り下げることはできないか聞いてみたらどうか、きちんと補償してくれて、かつ、そんなことができるのなら僕も同意してもよいとだけ伝えて雑賀崎へ向かった。

実況見分というのは初めての経験だ。最後に今回の件でわかったことを箇条書きにして書いておこうと思うのだが、ほぼというか、まったく警察と同じだった。幸か不幸か、警察の実況見分というのをされたこともないのだが、テレビで見ているのとまったく同じだった。当たったところを指さして写真を撮られたり、時系列でどんな仕草をしていたかを実演してそれを撮られたりということが続けられた。



もっと面白かったのが、ここのおやじがしゃしゃり出てきたことだ。この人、あまりいい噂を聞かない人だということは知っていたが話をすると面白い人で僕はまったく嫌悪することもなかったし、むしろ誰にも媚びることなく無頼に生きている風に一種憧れのようなものを持っていたりした。その人が僕の顔を見るなり、「お前!保安庁らに通報したらあかなよ~。(ダメじゃないか。)なんでわしに連絡せえへんかったんや。(しなかったんだ。)わしに任せといたらうまいことまるめたったのに!!」と言い始めた。いやいや、事故を起こしたら陸上なら警察、海上なら保安庁にまず通報するのが義務だろう。僕も、なんで2日も経ってから報告に来るのかと叱られたところだった。
それを臆面もなく保安庁の鑑識官の目の前で言えるというのが凄い。それに加えて、「この人らは忙しいんや、こんなことで迷惑をかけたらあかんのや。」というオチまでつけ加えていたのだからもっと凄い。さすがにここまで言われると、鑑識官のリーダーらしき人も苦笑いをするしかないようだった。

同じ時刻、相手も実況見分を受けているらしかった。こちらの鑑識官と向こうの鑑識官が連絡を取り合っている話を聞いていると、事故として扱うかどうかというような話になっているようだ。僕もそうはならないかと聞いてみていたのだが、相手も、示談で済ますことができればそうしてもらいたいというようなことをやっぱり言っているようだ。
幸いにしてというか、当たり所がよかったのか、船にヒビが入ることもなく、物損という部分では僕の船の航海灯が折れたくらいで済んでいるので事故としては扱わず、調査だけで済ませることになるらしい。このときは、「業務上過失往来被疑危険事件」という名前で処理されるそうだ。ちなみに、船体が損傷して沈没の危険があったとなると、「過失往来危険罪」となって、有無を言わさず事故として海難審判庁に送られるそうだ。陸の事故でいうと、検察庁へ送致ということに当たるのだろうか。
ただ、僕が診断書を出してしまっているので、こっちのほうが重大で、有無を言わさず「業務上過失傷害罪」が成立してしまうのだそうだ。これを回避するには僕が、「実は、昨日、会社の階段で滑ってしまったのでそのことが首が痛い原因かもしれない。」みたいなことを言って、この事故との因果関係がないということを宣言しなければならないという。人間関係が首に来たと言った方が面白かっただろうか・・。
ここが微妙なところだ。おそらくだが、僕がそういって事件として取り上げてもらうのをやめると、相手はうれしいだろうが、きちんと誠意を見せてくれなかったら事故じゃないんだから賠償なんてしなくていいと言われかねない。ここから先は刑事ではなく、民事なのだ。相手は今のところお金を出すと言っているが本当に出すかどうかはわからない。保安庁の方も、これは真意のほどはわからないが、これくらいの軽微な事故なら示談で済ませばというような雰囲気だ。それに、2日後の診断書というのは、相当因果関係を立証するのが難しいらしい。現場まで船を持って行って現場検証をするとか、医師の事情聴取をするとか、とにかく時間がかかるという噂は本当なのだ。

今決めろというのなら、直接相手と電話で話をしてもいいですかと許可をもらったのだが、結局相手には電話を入れることができず、なんとなく事故じゃない方向に行くような雰囲気になってきた。もちろん、僕の方も示談で済むのならそれでもいいと鑑識官に言っていたので鑑識官同士がそうとりなしてくれたとも解釈はできる。

見分では、写真撮影だけでなく、事情も聞かれる。そこで言われたのが、あなたにも逃げるチャンスがあったのじゃないかということだ。相手の船がどのくらい近づいてから衝突するかもしれないと思い始めたのかとか、錨を手繰ってエンジンをかけるまでどれくらいの時間がかかるであるとか、ロープを切ることができるナイフを持ってはいなかったのかなど、お前も逃げる気はなかったんだろうということを証明したいようだ。
なんだか、この人にも上司がいて、その人がそういうことを聞けと言っているようだ。僕にそのことを聞いている本人は、航行船(運航している船)は錨泊船(錨を下して停泊している船)を避けなければならないということが海上衝突予防法で決められているんだけどな・・と彼もなんとなく納得していないようだったことが救いではある。よく言われる、錨泊中は黒球を掲げておくというのは、7メートル未満の船は必要がないそうである。

ひととおり見分が終わって、続いて調書を作るというので保安庁の事務所へ。入り口には会議室と書いてはいるけれども、中は立派な取調室だ。窓には鉄格子まで嵌っている。



そして、これが長かった。サインをした書面には、午後3時から午後6時半と書かれていた。
調書というから、聞き取りをされながら作るのかと思ったが、午前中にオーベルシュタインがメモしたものを自分でパソコンに入力するだけの作業だ、僕はひたすら手持無沙汰で待つしかない。ときおり海図を見ながらどの辺りでぶつかったかという、実況見分ではわからなかったようなことを聞かれるか、釣った魚の名前は何かくらいだった。



ちなみに、鑑識官とオーベルシュタインは別の部署の人らしい。なんだかややこしい組織だ。
海図を確認するというのはわかるけれども、釣った魚の名前には何か意味があるのかというのを聞いてみると、調書には臨場感が必要だそうで、そのためらしい。オーベルシュタインにとっては調書というのは「作品である。」という認識を持っているようだ。
しかし、出来上がった調書を読ませてもらったが、そんなに臨場感があるわけではなく、僕のブログのほうがよほど臨場感があるんじゃないかと思った。
オーベルシュタインは滋賀県出身だそうだが、琵琶湖があるとはいえ、日本では数少ない海のない県からどうして海上保安庁を目指したかということを書いた方がよほどドラマチックなのではないだろうかと思った次第である。

調書は、僕の首の怪我については一切記載されずに完成した。これでこの事故は事件としてではなく、事案として神戸にある運輸安全委員会というところに報告されるだけとなった。
すべてを終え、保安庁の会議室の一角を借りることができたので、相手と5分ほど話をした。最終的には、損害を被った金額と診察費に加えて、相手が昼時に申し出てきた金額をあわせて概算でこのくらいと決めた金額をもらうことで終わりにしようということになった。
しかし、口では詫びをするけれども、言うことがころころ変わるし、そういえば当初、逃げられないようにと、事故を起こしたことと今回の件は全面的に自分が悪いのだということを書面で認めてほしいと依頼した文書も届かなった。とりあえずその場は逃げてのらりくらりしていれば相手も諦めるであろうというようなことを思っているのかもしれない。

ここにきて今度は僕のほうの形成が悪くなってきたことになる。相手を信用してお金が振り込まれるのを待つしかないのだ。もし、相手が支払いを拒んだとして、せめて罪だけでも償ってもらおうと再度事件にしてくれと訴えても難しいらしい。逆にこっちが首に負傷を負っていないと言ったことに対して虚偽申告として犯罪に問われることになるそうだ。衝突については犯罪というレベルほど破損していないので犯罪には問えないというのは先に書いたとおりだ。

損害の補償等については以後、民事ということになる。いわゆる、民事不介入というやつで保安庁はまったく関係がなくなる。あとはお互いに話し合ってくださいというわけだが、オーベルシュタインが言うには、相手が保険に入っていないとややこしいですよという。きっとその通りだと思う。そのための脅しのつもりで保安庁に通報したという部分もあったのだ。それが効いているのかどうかは今後の展開を待たねばならない。

しかし、この場合の民事というのは厄介だ。支払に対する担保がないのだ。何もない。相手は払う意思はないけれどもどうしても支払ってほしいとなると裁判をしなければならなくなるが、日本の裁判費用というのはとてつもなく高いし、これも長引くらしい。保安庁が作った調書や実況見分の写真などというのは、民事不介入の原則で民事裁判の証拠としてはほとんどの場合使えないと鑑識官が言っていた。そうなると、何もかも一から弁護士が調査して相手の過失を立証しなければならないというのでは費用が掛かるというのに納得する。
そこにあのおやじのように非合法にもめ事を片付ける人たちが暗躍する場を与える余地というものが生まれるのだろう。一方ではヤクザであり、もう一方では地元で顔が利いて誰でもその人の言うことに従わざるおえない人たちなのであろう。そういう人たちは周りからおだてられ、政治家になっていったりするに違いない。KAZU1の社長の父親もきっとそういう人たちのうちのひとりであったのだろう。日本の政治家の8割以上はこんな人たちではないのかしらと想像すると呆れてしまう。あのおやじも今年の春から、「OOO海上安全協会」なるところの会長をやっているらしい。保安庁に通報したらダメという人が警察がからんでいる団体の会長をするということ自体が面白すぎる。
やはり民事不介入というのはなんだかおかしな制度だ。せめて、示談をしたい相手同士なら、それが成立するまで告発するか取り下げるかの判断を待って、それがお互いの担保になるようなシステムにしておけばいいのだと思う。
国家はそういうすき間を作っておくほうがいろいろなことがうまく運ぶとでも思っているのだろうか。
とにかく、民事不介入の矛盾を実感した顛末であった。

その他、いろいろ知ったことを箇条書きにしてみた。
〇とにかく、事故があったらまず通報しておく。
これは陸でもそうかもしれないが、事故があればとにかくすぐに通報すべきだ。通報したら即検挙になってしまうということはないと知ったのも今回の収穫だ。加害者側になってしまったとしても逃げることなく通報しなければならない。

〇海上保安庁はまったく警察と同じである。
海上保安庁というのは海の安全を守っている団体くらいにしか思っていなくて、警察の方が鉄砲を持っているから位は上なのだろうと思っていたが、今回のことで、彼らは海の上の警察官であるという認識になった。ひょっとして、彼らも拳銃を持っていたりするのだろうか・・。いやいや、海上保安庁は外国とも対峙しているのだから警察よりもエラいのかもしれない。
侮ってはいけないのだ。

〇とにかく全員犯罪者にしたがる。
僕の方に逃げる余地はなかったのかとしきりに聞かれたということは先に書いたが、調書のタイトル自体が、「自首調書」となっていた。



「僕は自首してきたということになるのですか?」と聞いたら、その通りですと返された。割合はともかく、どちらにも過失を認めさせたいらしい。「人を見たら泥棒と思え。」という諺は保安庁や警察のためにあるのかもしれない。
僕はしきりに、「それはおかしいだろう。相手に避ける義務があるというのにそれをしなかったら過失は相手にしかないだろう。僕は絶対に納得しない。」と言ったら、調書にもあまり臨場感はなかったけれどもそんなことが書かれていた。少し険悪な雰囲気になり、それきりオーベルシュタインは何も聞いてこなくなり、調書もそこで終わってしまっていた。これで少しは帰る時間が早まったのかもしれない。



〇保安官は意外と船のことを知らない。
最初の聞き取りで、相手の船の名前を憶えているかと聞かれたので、船の名前はわからないけれどもヤンマーの「はやしお」でしたと言ったら、「はやしお」という船名を検索して、所有者が和歌山市内の人ではないじゃないかと言って部下を叱っていた。ヤンマーの「はやしお」という船はけっこう有名なモデルだと思うが、それでもモデル名を船名を混同するとはと思う。ほかにも磯アンカーの名前も知らなかったし、首のところを細い紐で結わえておくとロストしにくいというようなことも知らなかった。
ついでに書いておくと、臨場感のたっぷりの調書には魚の名前がひらがなで書かれていた。「狙いにいった魚がすずきで、釣れた魚ははまちだった。」とこんな具合だ。普通はカタカナで書くよなと思ったが、書き直すと言われるとまた時間がかかってしまうので突っ込むのはやめにしておいた。

〇事件にしたいのかしたくないのかまったくその意向がわからなかった
ふつう、事故にしたくないので首の怪我はなかったことにしたいとか言い出したら、今更そんなことを言ってもおかしいだろうと言われそうなものだが、そこのところはなんだかそうでもいい感じで、そう言いながら一生懸命に実況見分をしている。こんなに一生懸命やっても記録としてしか残らないとなると、この人たちのモチベーションはいったいどこにあるのだろうかと不思議な感じがした。

〇保安庁に行ってから示談するパターンもけっこうあるのかもしれない。
民事不介入と言いながら、当事者同士話をする場所を当たり前のように提供してくれるというのは、こういうケースが多々あるということを物語っているのかもしれない。
丸1日かけて記録としか残せなくて、この人たちのやったことといえば、示談のお膳立てをしたことくらいのように思う。まったく彼らの思う正義は遂行されていない。
せっかく書いた調書も、一生懸命撮った写真も、運輸安全委員会の係官が一度だけ目を通しただけでその後は廃棄されるまで誰の目にも触れることなくキャビネットの奥に眠ることになるのだろう。仕事とは人の役に立つもののことを言うのだという鉄則から考えると、この調査は誰の役にも立っていない。
だから余計にこの人たちのモチベーションはいったいどこにあるのだろうかと考えてしまう。調書を作ったら1件当たりいくらという手当てが出たりしてそれがモチベーションになっていたりするのだろうか。それとも、お前が変な申し立てをしてこなければ今日は1日ゆっくりできたのにと思われているのだろうか。おまけに雨だったからずぶ濡れになってしまったじゃないかと思われているのだろうか。ならばあのおやじの言うことも正しいような気がしてくるのだ。

〇口約束でも契約は成立する。
保険屋さんに聞いたのだが、「この額を支払う。」とか、「これで示談にする。」というのは口約束でも契約としては成立するそうだ。僕は躍起になって文書を求めたが、民法上は電話での話だけでよかったようだ。示談金をまけてくれと言われたとき、約束だからダメと言っておけば保安庁に行くこともなかったか・・。

最終的には、相手からの振り込みを確認して一件落着した。これで船の修理代を支払うことができるし、診察費も回収でき、少しばかりのお小遣いもできた。首の痛みは会社を辞めるとスッキリ治るのだろうと諦めることにしておこう。
こんな事案はめったにないことだろうから不可逆的に考えておけばいいのだろうが、もし、振り込みがなかったらどうすればよかっただろうか。弁護士に相談するにしても相談するだけでお金がかかってくる。大した額でもないので多分割には合わないだろう。開き直られたりでもしたら泣き寝入りするしかないのかということになる。おそらくそんな人は世の中にたくさんいるのだろう。
どうしても回収したかったらそういったことに長けた人に相談するというのもひとつの手ではないかと考えたくもなってくる。だから、ああいう人たちは、えらい目にあったと思っている人も多々いるのだろうが、別ではあの人のおかげで助かったと思っている人もいるのかもしれない。必要悪というのはああいう人たちのことをいうのだ。
制度が変わらないかぎり永遠に残り続けるのだろう。
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「GARVY CAMP BOOKS キャンプ料理ぜんぶ 」読了

2022年05月15日 | 2022読書
ガルヴィ編集部/編 「GARVY CAMP BOOKS キャンプ料理ぜんぶ 」読了

一流のソロキャンパ-を目指したいと思っているので、時々はキャンプ関連の新刊が蔵書されていなかどうかということをチェックしているのだが、そんなときにこの本を見つけた。ヒロシのキャンプスタイルを教祖様を見るような目で観ているくらいなのでそんなに凝った料理を作るつもりもないのだが、元々料理は好きなので家で作る料理のヒントにもなるかもしれないと思って読み始めたが、まず、歳をとってくるとムック本を読むのがこんなに辛くなるのかと思うほど読みづらい。
というのは、写真があちこちに入れられていて、そのキャプションがあちこちに入っているのでどの順番に読んでいけばよいのかがわからなくなってくるのだ。加えて、悪いことに、自分のお金で買った本ならそれでも隅々まで読んで元は取らねばとおもうのだが、借りている本なのですぐにあきらめてしまうのである。
もうひとつ加えて、最初に感じていたとおり、この本はファミリーキャンプのように様々な装備を整えてかつ、家で下ごしらえをしてメンバーにふるまうというような料理を紹介しているのだから僕の志向とはまったく違ったものだ。僕の志向は、ひとり分の料理を焚き火の上で簡単に作るというものだ。極端にいうと、ヒロシがやっているように、買ってきたものを焚き火でただ温めるだけでいいのである。まあ、そんなものだとそもそも本にはならないので期待していた自分が甘かった。それではと、家で作る料理のヒントになるものはないかと視点を変えて読んでみるのだが、そうなってくると今度はレシピがワイルドすぎる。肉の塊だとか手に入りにくいスパイスだとか、そこまでして料理を作りたくはないのである。
結局、万人受けする内容なので、「おお!これは目からウロコだ。」というようなトピックもなく、これでは、多分読んでも絶対に魚が釣れないだろうと思う初心者が読む「海釣り入門」と大して違わないではないかという結論に達した。
そして、最も悪いことに、誤字脱字と、この表現は日本語としておかしいのではないかというところに気付いてしまうと、もう全体が信用できなくなってくる。
僕は3か所見つけたのだが、こんな感じだ。
『なるべくOOするのが・・』に続くのは「ベスト」ではなく、「ベター」なのではないだろうか。「ベスト」と書きたいのであれば、「なるべく」ではなく、「絶対」だと思うがどうだろうか。



『種取11』の「11」はあきらかに「り」だろう。多分、「り」という平仮名は縦の線が2本という構造だからそれがなぜだか「11」になってしまったということだろう。これくらいは校正の段階で見つけてほしい。



これはあきらかに誤字だ。普通に本を読んでいてもごくたまに出てくるような誤字だが、こういうハウツー本や、科学本などで見つけてしまうと書かれている内容の全部がウソなんじゃないだろうかと思ってしまうである。



あまり性格のよい読み方ではないと思うが、こういう性格なので仕方がない・・。
完全に悪口だらけの感想になってしまった。

悪口ついでだが、キャンプ場の使用料にも悪口を言いたい。これから先はまったくひとりよがりの悪口でしかないと思うのだが、どのキャンプ場を調べてみてもやたらと値段が高い。
もちろん、それなりに設備を整えるために投資をして、安全管理のために人を配置してとなると、そこそこの値段設定にしておかないと投資回収ができないし、利益が出ないというのはわかるけれども、僕の勝手な感覚では、ソロキャンプくらいのスペースを借りるくらいなら一泊1000円(税別)くらいのものだろうと思うのだが、大概の場所はこれの3倍以上の価格設定になっている。
コゴミを採りに行った時に見たキャンプ場だと、車で行って税込み5200円。これだと、湯快リゾートか大江戸温泉物語に泊まって温泉入ってバイキングを食べてた方がよほど快適じゃないかと思うのである。僕はヒロシと同じスタイルで昼過ぎに現地に着いて、テントを張って焚き火して食事作って寝て帰りたいだけなのである。それで5200円はありえない。



生石山の上のキャンプ場はけっこうリーズナブルな価格設定なのだが、焚き火が禁止という。これは残念ながら論外だ。森林法、刑法、民法の条項をホームページに記載しているくらいだからかなり本気で焚き火したいやつを締め出そうとしているのだろう。



多分、日本全国、どの場所もそうなのかもしれないが、キャンプ場以外でのキャンプは禁止されているようだ。法律にひっかかるのかどうかは知らないが、どの川に行っても河原の所々にそんな看板が立っている。
河原の一角にテントを張って小さな焚き火をするくらい、どういった不都合があるのだろうか。それがわからない。地元におカネを落とさない輩はすべて排除だという考えは生石山の管理人や加太の帝国軍とまったく同じ思考に違いない。
なんとも世知辛い世の中である。

僕にとっての最後の希望は僕の義母の実家だ。義母は和歌山の清水町出身なのだが、すでに人は住んでいないらしい。年に1回くらい、僕の奥さん宛に清水町から相続に関する確認の書面が届くのだ。奥さんの妹のところにも届くらしく、町としては相続人が決まらなければ固定資産税も取れないし土地を開発しようにも地権者に了解も取れないということだろう。奥さんの記憶ではけっこう山奥らしくちょっとしたポツンと一軒家みたいな所だったらしい。母屋と畑があったということだから、畑を少しだけ手入れしたらプライベートキャンプ場を作れるのではないかと狙っている。何なら僕が相続してあげようと思っているのである。固定資産税も払ってあげよう。
コゴミを採りに行くのも清水町だからついでに探してこようと思って奥さんにその場所を聞いてみたのだが、そういうことが絶対に嫌いな奥さんはその場所を明かそうとしない。
次に郵便が来た時には誰よりも先にこの手に収めて住所を調べてみようと思うのである。
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「なぜあの人のジョークは面白いのか?:進化論で読み解くユーモアの科学」読了

2022年05月13日 | 2022読書
ジョナサン シルバータウン/著 水谷 順/訳 「なぜあの人のジョークは面白いのか?:進化論で読み解くユーモアの科学」読了

本当に最近は笑うことがなくなった。特に生活の大半を過ごしている会社ではそういうことがなくなった。特に誰に話しかけるでもなく、話しかけられるでもなく、やらなければならない少しの仕事をこなして定時に帰るだけだ。もっとも、「ヒロシのぼっちキャンプ」を聖書のように何度も観返している僕にとってはその方が快適であったりするのでもある。特に、ちょっとあそこがおかしいのではないかと思う女帝に絡まれるくらいなら誰にも話しかけられない方がましなのである。一応これでも、事務処理は早い方というか、周りはまったくパソコンを使えなくて、アナログな事務処理の仕方しかできないのでそれに比べればエクセルとワードの機能をそれなりに使って事務仕事をすると、やらされている仕事は比較的早く始末することができる。空いた時間、フリーWi-Fiの環境が整った事務所で個人のパソコンを使ってネットニュースを眺めていてもサボっていることに対して何の痕跡も残らない。これは窓際天国というべきかもしれない。
しかしながら、笑いと精神衛生というのは連動しているし、多少は他人を笑わせるスキルがあれば周りを和やかにもできるのかと思い、こんなタイトルの本を探してみた。
タイトルを見る限り、面白いジョークにはどんなカラクリがあるのか、裏を返せば、こうしたら面白いジョークが言えるのかというハウツー本に近い本なのかと思っていたがまったくそうではなかった。確かに、サブタイトルを見てみると、「進化論で読み解く・・」という言葉がはいっているとおり、笑いというのは人類の進化の中でどんな役割をしてきたかというような内容であった。そして、期待していた、どうしたら面白いジョークが言えるのかという部分については、これは文化の違いが如実に表れているのが原因だろうが、たくさん記載されているジョークのほとんどがその面白さをまったく理解できない。だから、途中でそっち方面にはまったく期待してはいけないのだということがよくわかってきたけれども、この本に書かれている、相手を笑わせることが人類の進化にどうかかわったかという見解はそれよりももっと面白かった。

この本の著者は、以前読んだ、「美味しい進化: 食べ物と人類はどう進化してきたか」の著者でもあるけれども、この本に書かれていた「家畜化症候群」という現象はついこの前、NHKの番組で取り上げられていた。けっこう話題性のあるものを紹介している研究者なので今回の視点も面白かった。

まず、笑いはどうして引き起こされるのかというところからこの本はスタートしている。それは、「不調和の解消」であるという。桂枝雀師匠は、笑いとは、「緊張の緩和」とおっしゃっていたけれども、同じようなことを言っているのだろうか。なんだか違和感のあるストーリー展開が、最後の一節で納得するというのは落語のオチと同じような気がする。
解剖学的には、その不調和を検知するのは大脳皮質の中側頭回と右内側前頭回というところらしい。不調和を解消するのは、左前頭回と左下頭頂小葉いうところであり、不調和の解消によって引き起こされる愉快な感覚を処理しているのは、扁桃核を含む皮質下部の中にある4つの領域だそうだ。もう、脳の中全体で笑いを作り出しているような感じである。

ここでひとつ、自分でもあまりこだわりもなくお笑い番組を見ていたことに気がついたのだが、ギャグとジョークというのは思えばまったく異なるものであると考えついた。当たり前といえば当たり前のことだがじっくり考えたことはなかった。ギャグはお決まりの言葉を唐突に叫ぶことによって笑いを誘う。これも、ギャグによって、「この人、何を突然言い始めるの?」という緊張が言い終わった後に緩和されるということによって緩和されるのだろう。同じギャグに慣れてくると、「何を突然」という緊張がなくなり面白くなくなるのだろうと想像する。対して、ジョークというのは読み進めたり聞いているうちに違和感が募ってきて最後のオチで「なるほど、そういうことだったのか。」という解消が来るので、少し時間がかかる。ギャグの突然と、違和感が募ってくるまでの時間というその時間の差が慣れてきて面白くなくなるかどうかという違いが出てくるのかもしれない。ジョークの典型のひとつが落語なのだと思うが、何度聞いても面白いものは面白い。そういう意味で落語には古典と呼ばれるものが存在するという理由なのかもしれない。

では、人はどうして笑う必要があったのか。
チンパンジーも笑うが、その笑い方とヒトが思わず自然に笑った声を遅いスピードで再生した声はとてもよく似ているので見分けがつかないそうだ。対して、ヒトが意図的に出した笑い声を遅いスピードで再生した声は誰でもヒトの声と識別できるそうである。それは、意図的に発せられた笑い声を聞いてその人が誰なのかということが簡単に答えられるが、自然な笑い声を聞いた場合はその人が誰であるのかということを識別するのはかなり難しいということに繋がっている。
要は、笑いは社会的なものであるということである。
霊長類はしょっちゅう毛づくろいをしあうことで長い年月にわたって関係を維持する。しかし、それでは時間がかかりすぎて集団を50個体より大きくできない。その結果、発声による毛づくろいともいえる笑いが生まれた。言語が進化するまではそれが人同士を結び付けていたというのだ。また、笑い合うと脳内麻薬のエンドルフィンが分泌され幸福感をもたらすことで相手への思い入れを強めさせる。
そして、その笑いの起源というのは子供の遊戯発声というものにあるという。これは、相手に「異常なし」と伝えるためのシグナルであったという。笑いが伝染しやすいのは、遊んでいる仲間全員が、自分には危害を加える意図はないということを知らせ合う必要があるからであり、そののちにユーモアが笑いの引き金として新たに付け加えられ、もともとの遊戯発声が持っていた、楽しさ、安全性、自発性、伝染性という特徴が引き継がれた。それは、笑いは危険でないときの不調和の時にしか引き起こされないということからもわかる。

そして、著者が考える笑いの目的というのがもっとも興味深い。それは、他個体よりも自分の遺伝子を少しでも多く残すという本能がそうさせるのだというのである。その説とはこうである。

動物全般、パートナーを選ぶ権利を多大に有しているのはメス(女性)のほうである。人間の場合、女性の立場から考えてみると、自分の子供が知性的であってほしいと願うのは当然である。ユーモアを理解したり、うまいジョークを言おうとすれば知性が必要である。知性とウイットには相関があるのである。だから女性はウイットに富んだ男性を優先して選ぶ傾向にあるというのだ。これは、クジャクのオスは立派な羽根を持っているほどメスにモテるということと一緒なのである。知性のアピールの手段としてユーモアが生まれたのであるというのが著者の見解なのである。これが面白い。
確かに、お笑い芸人の奥さんが超有名女優というのはまったく珍しいことではない。また、自らもよく笑う芸人さんはきっとエンドルフィンの分泌も多く、他人に対するいたわりの気持ちも普通の人よりも大きいから余計に女性の気を引くことができるのだろう。
最近、めっきり笑わなくなった僕はまったく逆の方に進んでいるような気がするのである・・。

しかし、一方では、コメディアンは普通の人よりも短命であるというデータもあるそうだ。ある意味、人を笑わせることが自分のアイデンティティだと思う気持ちは、それができなくなった時の恐怖をよけいに高めてしまうのかもしれない。エンドルフィンは脳内麻薬といわれるくらいだから禁断症状も強いのだろうか。
ダチョウ俱楽部の上島竜兵が亡くなったというニュースがこの本を読んでいる最中に流れていた。この人もそういった人のひとりであったのかもしれないと思うと悲しい。
これは不謹慎な見解かもしれないが、トップではなく、中堅くらいの位置のトリオだったからお気楽にやっていて、お約束のギャグは限界効用逓減の法則を超越してまった安定感があったからそんなに知性を発揮しなくても余裕で芸能界を戦っていると思ったから特に驚いたのである。
そんなに悩むくらいなら不愛想な窓際でいるほうが人生は楽なのではないかとこのニュースを見ながら思ったのである。

僕は遺伝子の生存競争にはまず勝利できないだろうというのがこの本を読んだ結果、出てきた結論である・・。

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紀ノ川河口釣行

2022年05月10日 | 2022釣り
場所:紀ノ川河口
条件:長潮 2:42満潮
釣果:ハマチ1匹

事故だ。当てられた・・。
今日は最悪の釣行となってしまった・・。今日は午後から病院に行かねばならないので前回の釣行と同様、朝一だけルアーを投げようと考えて紀ノ川河口へ行ったのだが、停泊中の僕の船が川上からやってきた船に激突されてしまった。
船は大破しなかったが航海灯がなぎ倒され、わずかだが船体にも傷が入ってしまった。

 

紀ノ川は、土入川の船溜まりから釣り船がたくさん出ていくことを知っているから、川の中央近くで船を停泊させるのは危険だとは常から思っていたし、もとより、スズキを釣りたいと思っているのだから岸に近いところに錨を下していた。



護岸のテトラからはおそらく20メートルも離れていないところだったと思う。だから、まさかこんなに岸に近いところを通って沖に行くやつもおるまいとは考えていた。しかし、ときどきはみなと大橋の一番岸寄りの橋脚と紀ノ川の右岸の間を通って岸沿いを進む船もいないことはなかったが橋脚を過ぎると少しずつ流心に移動してゆくというのが常であった。

上流の方に向かってルアーを投げていたのでこの船の動きはずっと見ていたのだが、全然針路を変えずにそのまま進んでいた。それでも真っ暗の中ではあるまいし、こっちを見ているだろうと思っていたが針路を変える様子はない。いよいよこれは危ないと、無駄だと知りながら両手を大きく振って大声を出してみたけれども当然ながらその声は届くこともなく衝突されてしまった。船が迫ってくる姿はまるで、「ジョーズ」の1シーンのようでもあった。
エンジンを切って錨を下しているので逃げるに逃げられない。相手の船は僕の船の左舷前方に激突して、そのまま舷側をこするような感じで進み、航海灯がなぎ倒された。
ぶつかる瞬間を見た記憶はあるが、その後、自分がどんな行動をしたのかという記憶はまったくない。ただ、「宇宙戦艦ヤマト」を最近見たばかりだったので、頭の中では、「衝撃に備えよ~!!」という命令を自分自身に発していたのだけは覚えている。
できるだけ後ろに下がり、何かにしがみついていたのだろう。落水は免れ、相手も全速力というわけではなかったらしく、大きな船体の破損もなさそうで沈没も免れた。

相手も気が動転していたのだろうが、遠くから、「修理代出すから・・」というようなことを言うだけで、こっちに向かってくる気配がない。逃げられてはまずいと思い、こっちへ来いという仕草を見せてなんとかロープで相手を確保することはできた。



僕の船には気付いていたらしいが、友達から電話がかかってきたのでそれから先は前を見ていなかったという。なんとも・・。
海上保安庁には通報しないでほしいというのには一応同意した。こっちも後々取り調べに何度も出向くのは面倒だ。保険には入っているらしいがそれは使いたくないらしい。理由を聞くと、去年も他人の船に当たって保険を使ったらしい。保険料が上がるので今回は使いたくないという。この人は船に乗っていても大丈夫なひとなのであろうか・・。
僕ももらえるものをもらえたら相手が保険を使おうが使わないがどちらでもよい。しかし、このブログは翌日に書いているのだが、じわじわと首のあたりに痛みが出てきた。一応、物損だけだと思っているようだが、この人は治療費まで見てくれるのか今のところちょっと心配である。とりあえず次の休日には医者を訪ねてみようと思う。
翌日の新聞には、海でのプレジャーボートの事故が増えているという記事が載っていた。まさにそれに該当してしまったのである。



しかし、よりによってなんで僕に当たってくるのかと悲しくなる。6年ほど前にも加太であわや衝突という恐ろしい目にあったことがあるし、帝国軍にはいつも目を付けられ、さだまさしの唄の歌詞ではないが、「運がいいとか悪いとか、人は時々口にするけど、そういうことって確かにあると、自分を見ててそう思う・・」のである。

釣りのほうはというと、今日も少し出遅れ、



ポイントに到着したときにはすでに明るくなってしまっていた。前回、スズキらしき魚が少しだけだがボイルしているところを見たので今日はトップウォーターでスタートしてみた。キャストを始めて2投目でルアーにアタックしてきたので今日は間違いなく魚がいるとわかり、俄然やる気が出てきた。
その後すぐに魚がヒット。スズキではなかったが、ルアーのキャスティングで魚が釣れるのはうれしい。元々魚が釣れるということを期待していなかったのでペンチやナイフはカバンの中に入れたままにしており、それを出している間にルアーとタモが絡まってしまった。
それを解いている間にボイルがどんどん増えてきた。焦りながらなんとか取り外し、キャストを再開するが、その頃にはボイルがパラパラと少なくなってきた。案の定その後はアタリなし。魚が沈んだかと思い、小型のリップレスミノーに交換してキャストをしている最中に件の衝突事故に見舞われたというわけだ。

衝突の後、エンジンが始動することだけを確認して少しだけ釣りを続けたが、なんだかやる気もなくなり午前6時を待たずに終了。
船を点検してもらいたいと思うのだが、さすがにこの時刻では電話してもお兄ちゃんは起きていないだろうと思い、しばし焚き火をして時間を潰す。焚き火セットを持ってきていてよかった。ただし、薪は昨夜の雨で湿気ており、煙しか出ないのである・・。



午前8時までそんなことをして時間を潰して、電話がつながり桟橋へ。どれくらいの費用が掛かるのかはわからないが、全額出してもらうべく交渉をしなければならない。えらく面倒な話だ。




午後からは病院へ。自分の身体を診てもらうのではなく、いつものとおり、母親の付き添いだ。新聞を見ていなかったので知らなかったが、この病院でコロナ感染のクラスターが発生していたらしい。それも、噂ではこれから行く診療科だったそうだ。
恐る恐る行ってみると、診察室の扉は全開になっていた。



おまけに、今日は主治医は休んでいるという。あらまあ、これはきっと感染したんだと確信してしまった。
医療従事者というのは一般人よりも先にワクチン接種しているはずなのにそれでも感染するのだとこの時はっきりわかった。ただ、主治医は異常なほど太っていたのでウイルスを呼びやすい体質であったのかもしれない。
しかし、そうなってくると油断はできない。昨日も会社で、感染者の報告書を2名分書いたところだ。その前にすでに2名が感染で休んでいる。個人的には現在のコロナ感染は普通の風邪に降格してしまっていると思っているのだが、世間はそうは見てくれない。
1年の中で10日間も連続して家の中に閉じ込められてしまったら季節の移り変わりに取り残されてしまう。それだけは避けたい・・。

とにかく、憂鬱な1日であった・・。


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