イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「泥酔文学読本 」読了

2020年11月30日 | 2020読書
七北数人 「泥酔文学読本 」読了

『酒と文学は似たようなところがある。どちらも陶酔を誘う』という言葉でこの本は始まる。「月刊酒文化」という雑誌(こんな業界誌があるんだと驚く。)に連載されていたものをまとめたものだそうだ。
著者は文学の評論家ということだが、その博覧強記ぶりはすごい。
この本の中にもどれだけの作家と著作が登場しているのだろう。それがすべて酒、飲酒に関するもので縦横に絡まり著者の経験や意見を相まみえながら書き進められている。特に、坂口安吾と村上春樹にはかなり傾倒してるようで思い入れも大きいようだ。

『酒と文学さえあれば、もうそこはユートピアだ。つらい話、やるせない話は極力避けよう。アル中の話でもそんなに暗く書かない。笑える話、桃源郷へのいざなう話、怖い話、不思議な話、荒唐無稽な話、ほんわかする話、しんみりする話、じ~んとくる話、ぐにょぐにょした話や、むちむちした話、酒びたりが許されてしまうダメ人間の天国・・・』と多岐にわたるのだと書いているが、その全体の中には、酒を飲むということは、ここではない世界への入り口の前に立つことであり楽園へのいざないであるということが必ず盛り込まれている。
たとえそれが太宰治や坂口安吾、全然知らない作家だが、辻潤(この人はすごい。)のように、現実から逃避するため酔うためだけに飲んでいたとしても、マッチ売りの少女を引き合いに出してこう説明している。
「アンデルセンのマッチ売りの少女のモデルはアンデルセンの母親だったそうだ。子供の頃から貧しく物乞いに出され、橋の下でいつも泣いていたという。晩年はアル中で命を縮めたというが、マッチの炎の中にはかない夢をみたことと、酒の陶酔はおなじではないか。」
そういうことである。
だからその文章には悲観的なものは見えない。それが楽しく読めるひとつのポイントになっている。
また、取り上げられている作家も著作もほとんど知らないものばかりだがそれもうまく説明が加えられていてぜんぜん難しいと感じない。それも著者の文才の賜物のような気がする。

前に読んだ、小玉武というひとの著作もそうであったが、文学を研究している人の読書量と見識というのはものすごいと思ったのだ。
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三浦哲哉 「食べたくなる本 」読了

2020年11月29日 | 2020読書
なかなか面白そうなタイトルだと思って借りてみた。内容も見なくて著者のことも知らないが、日本文学の書架にあったので何か食に関するエッセイだと思っていたが、食に関する著作を取り上げ、それについて書評や著者自身の考えを述べているという内容であった。

レベルには天と地以上の差があるけれども行ってみれば僕のブログのようなものだ。取り上げられた著作は多岐にわたり、それぞれの著者の食に対する考え方もすべて異なる。栄養指向、家庭料理、手の込んだもの、手抜き、オーガニック、ニューベルキュイジーヌ・・・。なぜかサンドイッチ考という章もある。
だからどうも本自体にまとまり感がない。それに加えて、著者自身は、『好きなだけ料理店めぐりをできるほどの経済的かつ時間てきな余裕はなかった。育児などの生活に追われ外食の時間がますますとれなくなった。だから昔も今も、未知への料理の渇望の念は、もっぱら料理の書物に向けられた。』という感じなので、自分で作ってみて、または食べてみてどうかという著者自身の考え方のようなものはまったく出てこない。
ひたすら書物で食を感じるというのは、通信教育で空手を習うようなものなのではなかろうかと思うのだ。

なので僕も何か感想を書こうにも何を書いていいのかがわからないという感じになるのだ。
そして、著者のプロフィールを見てみると、青山学院大学の准教授で映画の研究をしている学者ということだから、文章自体も難しい。僕より12歳も若いが使っている言葉もよくわからないものが多いのでよけいにこの人はこの本で何を言いたいのかというのが僕の前に形となって表れてこないのだ。

結局、食に対する考え方というのは千差万別で、どういう食べ方がよくてどういう食べ方が悪いのかというようなことはわからない。偏食で体を悪くしてもそれはその人の責任だし、栄養や健康に気を使っても早死にする人は早死にする。丸元淑生という作家(著者はこの作家にかなり傾倒している感がある。)は栄養に気を付け、ストイックなほど健康に気を使ったが食道がんで死んだそうだ。そういうことだろう。
北大路廬山人は、『裕福な環境で贅沢をしてこないかぎり美食は身につかない。』と言ったそうだが、それもしかり、たまには高級レストランでコース料理みたいなものを食べたいと思うが、やっぱりそういう身分でなければその料理の意味が分からないのだから別に無理して行かなくていい。
結局、今食ってるものを食べ続けるというのが実は一番自分にとって美味しいと思うのではないかというのが著者の言いたいことだったのだろうか・・?

それさえもわからないほど、「食べたくなくなる」というよりも、「眠たくなる」1冊であった。

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水軒沖釣行

2020年11月27日 | 2020釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 4:41満潮
釣果:コウイカ5匹

2日連続で悪天候(でもなさそうな日もあったが・・)が続き、僕の中では久々の釣行だ。今日は船のローテーションからいくと小船の日なのでコウイカ狙いだ。例年ならすでに全盛期に入っているはずだが、今期はまだ1匹だけなのでなんとか数を稼ぎたい。

今日はグッと気温が下がっている。最初、ヒートテックの下だけを履いて家を出ようとしたがやけに寒い。結局上も着なおしてバイクにまたがった。若いときは、いちばん暖かくなる時刻に合わせて着るものを選んでいたが、最近はいちばん寒い時刻に合わせて選ぶようになってしまった。これも歳のせいだろうか。まあ、その若いときというのは、体重が90キロ近くあって肉襦袢を着ているようなものであったので条件はだいぶん違うということもあるのだが・・。
ああ、そういえばお通じも早朝に起きると出にくくなってきた・・。

例の煙突の煙は大きくたなびいていたが、東からの風なので港はまったくの無風状態だ。ゆっくり準備をして辺りが明るくなるのを待って出港。



エンジンが不機嫌なのは相変わらずだが、最近はやたらと排ガスの煙が濃くなってきたような気がする。風向きの具合とアイドリングの回転数が高いことがあるのかもしれないが、また気になってきた。全然整備らしいこともしてやらないので不機嫌になって当たり前をいえば当たり前なのだが・・。

いつものポイントに到着。今日は防波堤の工事はないような感じだ。新波止と新々波止の交差点からスタート。
期待に反してアタリがない。穏やかとはいえ、風のせいで気持ち船が流れすぎている感があるので錘を30号に変更。交差点を諦め、新々波止の元の切れ目の前に移動してやっとアタリ。最初のアタリがあるとホッとする。
その後、同じラインでまたアタリ。これで叔父さんの家へ持っていく分もできてまたホッとする。
今日は地方よりも沖のほうがいいようなので次の切れ目跡に移動。ここでも2匹。途中魚らしきアタリもあった。ここはけっこう魚が居着いているようだ。毎年コチが釣れるのがこの辺りだ。そしてグッと重みのあるアタリが・・。この辺りはときたまキロ以上のモンゴウイカが釣れるので期待をしたが途中でバレてしまった。仕掛けを回収してみると、鉤が1本折れてしまっていた。



イカのわりにはジェット噴射の引きがなく、ただのゴミだったのだろうか?それならぐりぐりリールを巻かずにおけばよかった。まだまだ経験が足りない。

今日は5匹は釣りたいと思うのでもうひとつ沖、赤灯台の先端へ出てみた。



ここではすぐにアタリがあった。しかし、やはりここまでくると流れが速い。30号の錘でも底が取れない。
バッチ網の船もポイントの上を往来しはじめたのでこれを潮に終了。

しかし、今日も派手に墨を吐いてくれたものだ・・。




家に帰って獅子ゆずのピールの完成作業。今年も美味しく出来上がった。それに加えて干し柿もいい感じに干しあがっている。叔父さん曰く、中まで乾燥させると硬すぎるので、中が柔らかいほうがいいとのことだ。いわゆる、あんぽ柿というやつだ。これをウイスキーを飲みながら食べると美味しいのだ。また、昼間から飲んでしまいそうだ・・。

 

ひととおりの作業を終えて今年回収した電気ウキを売りに行ってきた。たかが電気ウキだがこれがバカにならない。今年は全部で1700円の水揚げになった。

 

そしてそのお金でコウイカ用のスッテを買う。



アユ釣りはおとりを取り換えながらの循環の釣りと言われるが、電気ウキを拾ってお金に換え、それをスッテに替え、またイカを釣り、また電気ウキを拾う季節を待つ。これもある意味循環の釣りと言えるだろうか。
それよりも、拾ったウキを中古釣具屋に売り、それを買った釣り人がここでウキを落とし、僕がそれを拾ってまた中古釣具屋に持っていく。これはタイで放生会のために魚や亀を売って、それをまた池から回収して売るというあこぎな商売の方に似ているだろうか・・。
どちらにしても、スッテは結構高い。エギなら100円で売っているものもあるが、市場が狭いコウイカの世界なので売り手市場というのは仕方がない。
それに代わるものもなく、お金をかけずにイカを釣るには循環の釣りかあこぎな商売というのがいちばんだ。
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杉浦明平 「カワハギの肝」読了

2020年11月26日 | 2020読書
前回一緒に釣行した森に暮らすひまじんさんが、ご自分のブログでこの本を紹介していた。そのものずばりのタイトルに興味をもったので僕も借りてみた。
出版年は1976年だから僕が小学生の頃だ。
美食に関する持論や子供の頃遊びの途中で食した野山の食材、季節の食材などについて綴っている。「カワハギの肝」はその中の1編のタイトルである。

杉浦明平は、1913年愛知県の渥美半島の先端で生まれ、後年もそこで農作業をしながら活動をした歌人、作家である。
実家は父親が小地主兼雑貨商をやっていたということで、決して貧乏ではなかったはずだが、そういう時代だったのだろうか、周りの子供たちと一緒に、野山に生えている甘い味を求めて四季ウロウロしていたことを「野外食い歩きの記」という章で書いている。この本の約半分のボリュームで書かれているということは、著者の食に関する考え方の原点伝えたかったということだろう。
渥美半島というところはどんなところかは知らないが、当時のどの地方でもそんなにたくさんの種類の食材(食材というか、食べられる植物)があるのかというほどたくさん紹介されている。すべてが美味しいものではなかったようだが、甘いものが少ない時代には渋みや酸味のなかにわずかに残る甘みがいとおしかったようだ。
父も母も子供の頃のことをそんなにたくさん話すほうではなかったが同じようなものを食べるのが楽しみのひとつであったのだろうかと思う。

僕が子供の頃には貧乏とはいえ近所の駄菓子屋にいけばいくらでも甘いものが買えたし、そういう知識を伝えてくれる近所のガキ大将というのもいなかったからなのか、そういうものを探して食べてみたという記憶は皆無だ。学校の校庭に植えられていたサルビアの花を引っこ抜いて舐めたくらいの記憶しかない。そういえば去年、駅のフェンスに実っていたカラスウリを食べてみたがこれは毒ではないのだろうかと気になって舐めるくらいしかできなかった。
この本に出てくる植物名は多彩だ。グミ、スモモくらいは名前は知っているが、ツバナ、スダメってなんだろう・・。野生のサクランボやビワならなんとか見分けることができそうだ。椎の実、椋の実となるとよく似たものがたくさんありそうで知らずに食べたら危険がありそうだ。槇の木は僕の家にも生えているが食べられるらしい。そんなことを知っていると、野山を歩くのが楽しくなりそうだが、やはり、こういう知識というのはきちんと受け継がれたものでないと危ないのだ。
しかし、父が子供の頃暮らした地域というのは今の僕、そして子供の頃の僕の行動範囲とほぼ同じなのだが今の姿をみているとどうしてもそんなにたくさんの種類の食べられるものがあったとは思えない。母親の暮らしたところはけっこう山や林がたくさんあったのでこんなことをやっていたのだろうか。母からはイナゴが苦手で食べることができなかったというくらいしか聞いたことがないが・・・。
ただ、こういうものを読むと、物はなくても今よりもはるかに心豊かな時代ではなかったのかと思うのである。

それにつながるのか、「食いもの談義」という章では、“美食”というものにいささか批判的な意見を述べている。吉田健一、福田蘭堂、檀一雄の3人を引き合いに出しているのだが、
『自分で金を出して手に入れるよりもその季節に送って貰って喜ぶものだという気がしてならない。』という吉田健一に対して、『なんとか手に入れようとあくせくするものとっては、別世界の人間のように見えても仕方あるまい。』と自虐的に書いてはいるが、その奥には、自分のほうが本物の素材の良さというもののことをよほど知っているのだという自負のようなものが覗いている。
それに比べて福田蘭堂、檀一雄は自ら食材を探し求め、調理して味わうひとたちの代表として登場させている。。
吉田健一の美食ぶりをうらやましいと思いながらも、どちらかというと福田蘭堂、檀一雄のふたりに共感を持っていそうなところに著者の心が見て取れるような気がする。
自ら畑を耕して食材を確保しているところからもわかるが、鮮度やその食材の出どころのようなものをものすごく重視している。どこで取れたものかわからなものや鮮度が落ちたものはどんなに高級なものでも食べたくない。
ここには僕もいささか共感するところがある。まあ、高級レストランや高級料亭のようなところで食事をできるほどの財力がないというのがそもそもなのだが、自分で採ってきたもの、自分で獲ってきたもの、畑に植わっているのを見届けたもの。そういったものがどんな味付けでも一番美味しいと思うのだ。それは間違いのないことだと思うのだ。
勤務先の地下には色とりどりの食材や凝った調理の総菜がたくさん並んでいるが、これはバックヤードの汚さを知ってしまっているということもあるのだろうがまったく食指が動かない。値段だけがバカ高いとしか思えないのだ。

最後の「食卓歳時記」の章にもそういったことが随所に現れている。取り上げられている食材は決し美食を謳歌するものではない。うどん、ラッキョウ、子供のころ食べたチキンロースト、そんなものだ。しかし、そこには子供の頃の原体験や素材そのものの味を大切にするこころが現れているように思う。
そんな章のなかに、「カワハギの肝」という一篇も含まれているのだが、この文章の中で著者が賞賛しているのは、ギマという魚についてだ。ギマというのはカワハギの仲間であるらしいが腹びれのトゲが2本あったり、体色が銀色で体型もカワハギに比べると細長い魚だ。三河地方ではよく獲れる魚だそうだが紀伊半島がテリトリーの僕は釣ったことがない。カワハギ同様かなりおいしい魚だそうだ。そして、この地方ではカワハギのことは“モチギマ”と呼ばれ特別扱いされていると書かれている。
カワハギ(ここではギマも含めてのようだが、)の肝についてはこう書かれている。
『あらゆる肝のなかで一ばん味のいいのは、カワハギの肝だ。』
しかし、どうも著者はカワハギの肝を生で食べた経験はなかったようだ。ギマについても地元の地引網に掛かった小型のものを煮つけにして食べたり、モチギマについては名古屋辺りの料亭でおなじく煮たものをたべていたようだ。
いつの頃の時代を回顧して書いているのかは不明だが、鮮度の高い魚はなかなか手に入りにくい時代のことを書いたのだろうか。しかし、カワハギの洗いが絶品だと書いているところをみると、かなり鮮度の高い魚も手の入っていたのだろう。肝を生で食べるということが一般ではなかったのだろうか。
もし、著者がカワハギの薄造りを肝和えで食べていたとしたら、どんな文章が書かれていただろうか。こういうひとにはぜひ生のカワハギの肝を食べて文章を書いてほしかった。
あの味にいったいどんな感想を寄せたであろうか・・。

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獅子ゆずのピール作りとリールの修理。

2020年11月24日 | Weblog
今日はイカを釣りに行こうと思っていたが朝起きていつもの工場の煙突を見てみると煙が大きくたなびいている。もうひとつの指標として庭の隅に植わっている南天の葉っぱが揺れていると今日は厳しそうだということになるのだが、両方ともあてはまってしまっていた。
なんだか無理をしてまで行きたくないなという思いと、叔父さんの家の獅子ゆずがそろそろいい感じになっているはずなのでそちらを優先してしまった。

修理に出していたリールがやっぱり修理不能だということで頼んだ釣具屋さんに戻っているのでそれを引き取りにいくついでに粗大ごみをエネルギーセンターに持ち込んだのだが、河口にまたがる大きな橋から沖を見ても、とくに用事はなくてもやっぱり行ってしまう港の中も、なんとも穏やかな海面をしている。あらら、この感じでは行けたのではないかと悔やみながらも、仕方がない。ピールを作って、リールが修理不能で戻ってきたら自分で修理してやろうと思っており、修理にはどれだけ時間がかかるかわからないので軽く半日過はぎてしまうだろう。

午前中に獅子ゆずの収穫。今年は2個実っていたのだが、ものすごく大きくなっている。直径は25センチ以上ありそうだ。



薄く切ってゆくと大量のスライスが出来上がった。これを重さの約半分の砂糖と果肉を絞った果汁で煮ていくのだが、砂糖を900グラムも使ってしまった。鍋もいつも使っているものでは小さすぎるのでタケノコをゆでるときに使う我が家最大の鍋を引っ張り出してきた。

ざるに広げて乾燥させるところまで作業して午後3時。けっこうかかってしまった。ひとつひとつ重ならないように広げてゆくのが意外と大変だ。これで2、3日間乾燥させてグラニュー糖をまぶせば完成だ。



引き続きリールの修理。前回のブログで、ピアノ線を使ってバネを作ってみようかと書いたが、その後、近所にあるコーナンプロを覗くと、折れたトーションバネとよく似た大きさのものが売っていて、これを少し加工すればなんとかなるかもしれないと思っていた。

リールを分解してバネを取り出し、コーナンプロへ走る。うまくサイズが合っていればバネのほうを購入する。
こんなとき、近くにこんな店があると助かる。一杯飲んでいても自転車でさっと行ってくることができるのだ。獅子ゆずの実を絞るとけっこうたくさんの果汁が取れる。三分の二は皮と一緒に炊き込むのだが、残りは炭酸とラム酒で割って作業をしながら飲んでしまった。

トーションバネの値段は税込み305円。これで直ってくれれば御の字なのだが・・・。

 

早速取り出したバネと見比べると買ったバネのΦが少し小さい。



無理にはめ込めば何とかなりそうなので折れて無くなっている部分も想像しながらバネを曲げてゆく。2回試行錯誤してなんとかセット完了。レバーを操作してみるとストッパーの部品はきちんと作動している。



ローターをもとに戻して回してみると確かにストッパーは正常に作動し、レバーをオンにするとローターは逆転しなくなった。ロックをフリーにするときのレバーの硬さも以前と同じだし、気になっていた変な擦過音も少し抑えられている感じもする。

念のため100回レバーを操作して確認してみるととりあえずきちんと作動している。実戦での確認は年明けになると思うが、年に1回行くか行かないかになってしまった磯のフカセ釣りも引退まで多分最大でもあと5回だ。それまで持ってくれればと思うのだ。還暦を過ぎたら冬の磯はきつかろうと考えている。

しかし、メーカーのほうも杓子定規というか、金型の必要な部品ならいざ知らす、こんなバネみたいな部品なら手作りで対応してくれてもいいのではないかと思う。リールも高耐久のギアを使い、気密性も高まり錆にも強くなって耐久性が高くなってきているのだからそれなりに長く使えるような対応をしてもらいたいものだ。まあ、このリールは2001年のモデルで、20年も後生大事に使い続けられたらメーカーの方も儲けがないというのもわからないではないのだが・・・・。
なかなか壊れないものを作りながらどんどん買い替えてくださいというのはどこか矛盾していると思うのだが、こんなことを言っているから小売りの世界でうまくやっていけないのであろうと自己分析してみるのである。
確かに、規格品を使わずに修理をするとなると後々のクレームが怖いという日本独特の“お客様は神様です。あなたの言うことは絶対です。”というおかしな感覚が、なんとかしてお客を助けてあげたいという気持ちを萎えさせるのだということも小売りの仕事の中で学んだことでもあるのでメーカー側の対応もわからないではない。

もともと何かを作ったりいじくったりするのが好きな性分なのでこういう作業は楽しい。そして、自分で手を加えた後は、それがやっと自分の手のひらの中に納まったという感じがして、それ以前より愛着が深まるような気がする。それまではなんだか自分のものであっても少しよそよそしい感じがするものだがその距離が一気に縮まるような気がするのだ。
こうやって壊れたところを修理してみたり、中古の品を買ってきて磨いてみたり、そういうことは新品を買っては古くなったものをどんどん買い替えてしまうというよりも楽しいものなのだと思っている。まあ、もともとお金をたくさん稼げるような人間だったならそういった感覚も違ったものを持っていたのかもしれないが・・。

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トラブルの中のオイル交換・・・

2020年11月21日 | Weblog
今日は北風が強く、釣行も休日連続になっていたので今日は手回しをして大きいほうの船のエンジンオイルの交換をした。



最近は手際がよくなって、オイルエレメントを交換しても1時間と少しほどでやってしまえるはずであったが今日は思わぬトラブルで結局家に帰ってきたのがお昼時ということになってしまった。

早くにオイルを交換してお昼までに図書館に行き、午後からは仕掛けづくりをしようと思い、朝は午前7時過ぎに家を出た。
ついでに船外機のガソリンも補給しておこうと港近くのガソリンスタンドに行くと先週から2円下がっていた。これはラッキー。



まずはオイルを抜く作業。オイルの排出口とポンプをつなぐのは耐油と耐圧のホースを使うのだが、これが少し長い。船を譲ってもらった時に一緒に譲ってもらったものなので、オリジナルの状態を保持したい性質もあってそのまま使っていたが、長い分ホースの中にオイルが溜まり、ホースを抜くとダダ洩れになって後処理が大変で廃油でデッキが汚れたり体に付いたりしてしまう。当のホースも油まみれになり掃除も大変だ。
それほど高規格ではないが、耐圧だけのホースというのは園芸用でも売っていて、そんなに高価なものではない。いっそ1回ずつの使い捨てにしてやったらどうだろうかとずっと考えていた。
ポンプと排出口を最短距離でつないでオイルを抜き始めるとホースは多少ひしゃげてしまうがいつもよりも早く抜くことができた。十分使えそうだ。



学がないのでホースの長さと圧力と仕事量についての関係はわからないのだが、毎回ポンプを回す腕を左、右と変えないと疲れてしまうほどなのだが今日は左手一本で終わり、所要時間も半分くらいで終わったという感じがした。ホースの中に残るオイルもほとんどなく数滴デッキにオイルが落ちただけであった。使ったホースの全長は1メートル半ほどにもならないほどだ。これくらいなら使い捨てにしても問題ないくらいだろう。次回からもこれでいこう。

ガソリン代も少し安くなってオイルも簡単に抜けたので今日は運がいいぞ。作業も順調に進んでいる。この勢いで手っ取り早く済ませてしまおうと思ったが甘かった。

オイルエレメントを外そうとレンチを噛ませて力を入れるとレンチがグニャっと曲がってしまった。もともと壊れかけたやつをだましだまし使っていたのだが、前回のエレメントの交換のときにきつく絞めすぎていたようだ。それでエレメントが緩む前にレンチが壊れてしまった。ハンマーでたたいて直してみるも1回曲がってしまうと同じところがまた曲がってしまう。しかし、この金属、なんと柔らかいのだろう。いざというとき、エンジン本体にダメージを与えないように柔らかく作っているのだろうか・・。メッキの下からは少しピンクがかった色の金属色が見えるので銅でも含まれているのだろうか。

ここからが苦難の道であった。近くの叔父さんの家に帰省していたいとこのレンチを借りるがサイズが小さい。渡船屋の船頭に聞くも自分ではやらないので持っていないとのこと。今度はゴッドハンドのタカシさんに電話をしてみた。そうしたらレンチを貸してくれるとのこと。



多分、借りたとしても僕の腕力ではどうしようもなさそうなので同じ時刻に港にいたTさんに手伝ってもらおうと帰らずにいてほしいとお願いをしてプロ用のレンチを借りに築港までダッシュ。Tさんは学生時代重量挙げの選手だったらしく、腕力は僕の数倍はありそうだ。
とりあえず自分でやってみるがやっぱりダメだ。Tさんに声をかけようとしたら、下津にあるヤンマーの専属工場のメカニックの人が軽トラに乗ってTさんのところにやってきた。あとで聞くと、スパンカーを新たに取り付けるために船の構造を見にきていたそうだ。
これはまさに地獄に仏、V3の危機一髪にライダー1号と2号がやってきたというものだ。
うしろの方から、頼みますから手を貸してくださいという視線を投げかけると快くエンジン場の中に入ってくれた。流石はプロだ。道具もしっかりしたものを持っているが、身軽にエンジンの後ろに回ってそこからエレメントを一瞬で緩めてくれた。ここからだと引く力で緩められるからやりやすいんですよとのこと。さすがはプロだ。

これで難を逃れた。エレメントを絞めるときは、手の力だけで絞めれば十分というのは知っていたが、僕の腕力で絞めたところでエンジンの振動で緩んでしまいそうなのでいつも工具を使ってけっこうきつく絞めていた。それが原因なのは間違いがない。
今日は自分の手と、タカシさんに借りていたレンチで少しだけ絞めるだけにしておいた。しかし、そうなってくると、運転中にエレメントが緩んでしまうというトラブルが心配だ。Tさんは自動車の修理業もしていたそうで、彼も、エレメントは手で絞めるだけでいいんですよ。ゴムパッキンの弾力できちんと止まっています。と言ってくれるが、彼らの握力と僕の握力ではその基準が違う。ここは運を天にまかせて様子を見るしかない。

最近、オイルもどこかで燃えているらしく徐々に減るという現象がおこっている。エレメントの中に入る分と減っていく分を見越して9.5リットルを入れて終了。

世の中は狭いもので、救世主のメカニックさんはシンゴさんという名前らしいが、ちからさんや菊新丸さんの知り合いらしい。菊新丸さんも荷台に木の箱を乗せた三輪車に乗っているのだが、メカニックさんはなんでここに菊新丸さんがいるの?と最初は思っていたそうだ。
ついでに気になっていた梶棒の腐食具合を見てもらい、まだまだいけますよと太鼓判ももらえた。

シンゴさんが使っていた工具だが、同じようなものをいつもの中古工具店で見たことがあったので、午後から早速訪ねてみた。運よく売れ残っていたので購入してみた。



ガソリン代、新しいホース、中古のレンチ、そして救世主の登場、そういう意味では、今日は総合的に運がよかったということで締めくくるとしよう。ちょっとポジィティブすぎるか・・。
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「THE FISH 魚と出会う図鑑」読了

2020年11月20日 | 2020読書
長嶋祐成 「THE FISH 魚と出会う図鑑」読了

著者は、「魚譜画家」という肩書をもっているそうだ。魚の図鑑の絵を描く人という意味になる。
魚体を写真で写すのではなく、水彩画なのだろうか、絵で表現している。この本もそういった魚の絵が掲載されていて図鑑という名前がついているが質のいいエッセイのようだ。
詳細な生態画というのではないけれども、透明感のある絵と文章が非常にマッチしている。
特にチヌの薄いブルーグレーの表現は秀逸のような気がする。釣ってすぐの時は確かにこんなきれいな色をしている。

37歳という歳には思えない枯れた文章だ。静かだが確かな魚への愛情が感じられる。

大阪で育った著者は父親とふたりで魚釣りを始める。「食べるために殺せば、あるいは海へと還してしまえば、この姿に二度と出会えない。生かしたまま持ち帰って飼育したとしても出会った瞬間の感動がよみがえることはないのだ。」それをなんとか翌日以降も残したいと絵を描きはじめたことがきっかけで「魚譜画家」になったという。この図鑑は魚釣りがベースになっているのだ。
社会人になって数年後、石垣島に渡り本格的な活動をはじめる。だから掲載されている魚は僕も見慣れている大阪湾で見られる魚と、石垣島周辺のちょっとだけトロピカルな感じのある魚が主なものだ。
図鑑にしてはかなり偏った掲載になっているのは著者のそれらの魚に対する思い入れからである。
そんなことにツッコみを入れる必要もないほど完成度が高いような気がする。

釣り人の欲目なのかどうかはわからないが、魚というのはきれいだ。
去年、少しだけ、その奇麗さを表現しようと思ってマクロで魚体を撮って残そうとしてみたけれどもそれも長続きはしなかった。



そこがこんな素晴らしい仕事をするひとと社会に何の役にもたたない人間の違いなのだろう。

たった100ページほどの図鑑だが、少しだけ気持ちがスッとした。

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「宇宙が始まる前には何があったのか? 」読了

2020年11月19日 | 2020読書
ローレンス クラウス/著、青木薫/訳 「宇宙が始まる前には何があったのか? 」読了

この本、原題が「A UNIVERSE FROM NOTHING」なので直訳すると「無からの宇宙の始まり」というような感じになると思うので、“何があったのか”というのと少し意味合いが違うような気がするが、結論が、「何もなかった。」というのだから、まあ、同じようなものなのかもしれない。

現代の物理学が描く宇宙の始まりは、何もない無の状態が量子の揺らぎによりエネルギーの均衡が崩れビッグバンにつながったということになっているそうだ。

無の状態といっても本当に何もないのではなく、プラスのエネルギーとマイナスのエネルギーが常に発生し、それが打ち消しあって消滅を繰り返しているという。それはすさまじいエネルギー量でそれの10億分の1の均衡が崩れて宇宙の素になったというのがこの本の結論だ。
そう書きながらも、これを書いていてもこれで合っているのかどうかがわからない。

今の宇宙空間も同じで、宇宙は真空といいながら、プラスのエネルギーとマイナスのエネルギーが常に発生し、それが打ち消しあって消滅を繰り返しているという。宇宙の始まりであるビッグバンのときに発せられたエネルギーの総量というのは、観測できるエネルギーの量と比べるとはるかに大きいそうだ。ダークエネルギーと言われるそれは観測できるエネルギーの約2.5倍、全エネルギーの7割あるという。
その見えないエネルギーの大半が、宇宙の真空の中で生まれては消えてゆく。

そんな世界で僕たちは生きていて、そんな世界を構成する物質で僕の体はできている。
もうひとつ言うなら、物質は原子でできていて、それはもっと小さいクォークという粒でできている。
そして、万有引力や物に重さというものを与えているのも小さな粒だという。
そんなことは信じられないといいながら、現実としてはその事実をもとにコンピューターが作られ、原子爆弾が作られている。
しかしそれでも信じられない。宇宙の真実が、100万人にひとりが理解できるかどうかという難解な数学でしかわからないほど複雑なものなのだろうかと・・。

著者は、万物は神が創りたもうたと考える人たちに対して強い反感を持っているようで、そう考える人たちに対する批判をところどころで展開をしている。僕も、まさか神様がいて、最初に、「光あれ~。」って言って宇宙が始まったとは思わないけれども、どうしていくつかの粒々が選ばれることになったのか、どうしてそんな難しい数学が必要なのかということには疑問を持つ。(実はもっとシンプルな世界なのかもしれないが。)
著者はそれに対して、オッカムの剃刀という言葉と、人間原理という言葉を使っている。両方とも、科学的ではないけれども、要は、それは偶然にそうなったのだということだ。多重宇宙論というものがあるが、この宇宙とは何の関係もない宇宙ではまったくことなる物理法則があってもなんら問題はないという、何もかもが偶然の産物で、必然などというものは何もない。まあ、身勝手といえばそれまでだが、この宇宙だけでも十分に広すぎてそれよりも外の世界のことまで考えなくてもいいだろうというのもなんとなく納得ができるのである。
※オッカムの剃刀・・ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでないという例え
※人間原理・・宇宙の構造の理由を人間の存在に求める考え方。「宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから」という論理を用いる。


この本は、翻訳者の腕前がいいのか、この手の本としてはすごく読みやすかった。(内容の理解度は別として・・)テーマは今まで幾度となく読んできたもので、結局の結論は宇宙はなにもないところから始まり、宇宙空間は真空とはいえエネルギーで満ち溢れているというものだが、昔、NHKのBSで放送された、「コズミックフロント」で同じテーマを取り扱ったものが放送され、それはビジュアル的にもものすごくよくわかった。といいながらその内容の記憶はほとんどないのであるが、あの番組を録画しておいて、それを見ながらこの本を読めばもっと内容がよくわかったのではないかと悔やまれる。

著者について調べてみると、数年前にセクハラで大学を辞職したというような記事を見つけた。
読んでいる途中でそんな記事を見つけてしまったものだから、この本の内容がなんだか胡散臭く思えてしまったのが残念でならない。


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加太沖釣行

2020年11月18日 | 2020釣り
場所:加太沖
条件:中潮 8:39満潮 14:05干潮
潮流:5:03転流 9:06下り3.3ノット最強 13:03転流
釣果:ハマチ3匹 カワハギ3匹(画像は二人分の釣果)

今日は森に暮らすひまじんさんにお声がけをしての釣行だ。回数は少ないとはいえ、毎年必ず一緒に釣りに出てもらっている。例年ならチョクリの季節が始まる頃にサバを狙って釣行するのだが、今年はコロナウイルスの影響で実現しなかった。(まあ、あんまり釣れなかったからそれはそれでよかったのかもしれないが・・)今年はチャンスがないかと思っていたら、今週はすこぶるいい天気が続くとの予報だった。そして、計画を立てた頃は加太の海はけっこうな釣果が出ていた。早速連絡をして今日の釣行となった。

まずは紀ノ川河口でサゴシを狙ってみた。ここで1匹釣れれば少し心に余裕が出る。前回アタリがあった場所を2往復だけやってみようと考え、ひまじんさんに仕掛けを持ってもらって流してゆくが、途中、「軽くなってしまいたよ。」との声。あれ・・、また切れたかと仕掛けを回収してみるとやはり仕掛けの大元から切れていた。これは構造的な欠陥ではなく、多分使っている紐が悪かったのかもしれない。今日は前回とは違う仕掛けを使っていたのだが、使っていた紐は同じものだ。僕が持っている紐の中で一番太いものを使ったのだが、この紐が根本的に水分と引っ張りに弱いものなのかもしれない。一応、クレモナの紐のはずなのだが・・。
加太への到着は少し遅れるが、一度だけ引き返して探させてくださいとお願いし探索するが、おとといと同じで、広い海の中で小さな仕掛けを探すのは不可能に近い。ここで時間を浪費するのは申し訳ないと針路を加太へ向けた時、幸運にも浮かんでいる仕掛けを発見した。この仕掛けは僕の隣に係留していた大先輩のイトウさんが引退するときにもらったもので、大切に使い続けたいと考えていたので安堵した。

仕掛けを回収して一路加太へ。

潮流の速度は最強で3.3ノット。少し速い日なのでとりあえず四国沖ポイントに入って様子をみて、ひまじんさんが底を取りづらければ沖へ、大丈夫ならテッパンポイントを目指そうと考えていた。
幸いにというか、船でのこういった釣りの経験はあまりお持ちではないはずだが様々な釣りの経験が豊富なひまじんさんは正確に底を取っておられる。これなら大丈夫ともう少し潮が速いはずのテッパンポイントへ。ここには船団ができていたので期待が持てる。



仕掛けを下して早速僕にアタリがあった。おろしている途中のアタリであったので間違いなく青物だ。よく引くと思ったら一荷で掛かっていた。これでおみやげはできた。あとはひまじんさんに釣ってもらうだけだ。
そしてひまじんさんにも間もなくアタリが出た。うまくハマチを取り込んでひまじんさんもボウズがなくなった。船頭の僕としてはこれで今日の責務の半分は終わったという感じでホッとすると同時に気持ちにも余裕ができた。
しかし、その後僕に1回、ひまじんさんに1回アタリがあったがその後は沈黙。アタリがあった頃は海水はきれいだったが、次第にスラッジが目立つようになってきた。これが出てくると厳しいというのは今までの経験からなんとなくわかっている。
そこからは場所を転々としたがいっこうにアタリがない。最強時刻を越えて1時間。そろそろ今日の2番目の獲物、カワハギを狙うべく移動。真鯛も釣りたかったが、今日はぜひ、ひまじんさんにあのデカいカワハギを味わっていただきたいと考えていた。

いつものポイントに移動して釣り方を伝えて仕掛けを下すとひまじんさんが早速竿を曲げている。あれ、もう釣れたの?と魚が浮き上がってくるの待っていると、相当大きなカワハギだ。計ってみると27センチもある。これだけ大きければご夫婦で堪能しても余るほどの薄造りができる。もともと、1匹釣れれば御の字だと考えていたのでここでもホッとした。
その後僕にもアタリ。ひまじんさんにもアタリ。魚を締めて釣り座に戻ると僕の竿がない・・。尻手ロープにつながって水没してしまっていた。魚が食っていたようだ。尻手ロープをつけておいてよかった。備えあれば患いなしだ・・。
引き揚げてみると大きなカワハギが掛かっていた。磯でも大きなカワハギを釣ったことはあるけれどもこれほど大きなカワハギは釣ったことがなかったのではないだろうか。
その後ひまじんさんが最初の大物に劣らないほどの大物をし止めて今日は終了。

真鯛と、脂が乗ったサバも釣りたかったが欲は言えまい。出船した知り合いの人も今日は朝一だけで終わってしまったそうだ。やはりスラッジが影響していたのだろうか。
そして、天気が良かったこともありがたかった。今までは風が吹いていたり波が高かったりでゆったり釣りをしてもらったときが少なかった。体力的にも少しは楽をしてもらえたのではなかったろうか。



今日の夕食は定番の薄造りだ。GOTOトラベルで行ってきたという、ひまじんさんからいただいた新潟の純米酒は香りが高く、濃厚なカワハギの肝にも負けていない。いつもは紙パックのお酒ばかりだが、濃厚なカワハギの肝にはこれくらいの芳醇な香りがよく似合う。



今日は僕のほうがよい思いをさせていただいたという感じだ。


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水軒沖釣行

2020年11月16日 | 2020釣り
場所:水軒沖
条件:大潮 6:59満潮
釣果:コウイカ 1匹

いやはや、今日は仕掛けを落としてばかりだ。そして予備の仕掛けを持ってきていないのであっという間に僕の戦いは終わってしまった。

朝一はいつ頃まで釣れるのかわからないサゴシを狙ってみた。しかし、気合が入りすぎていたのか、港に早く到着しすぎてしまった。出港したときはまだ真っ暗だ。これじゃあサゴシには絶対に早すぎる。



ゆっくり船を進めて青岸の沖から仕掛けを流し始める。しかし、太陽が昇って来る前に仕掛けを落としてしまった。今日持ってきた仕掛けは多分僕の祖父が作ったものだと思うのだが、どうもバランスが良くなくて水を噛んでしまうことがよくあった。強引に引っ張って修正をしていたのだがそれが悪かったのか、仕掛けを結んでいる紐が切れてしまった。
仕掛けは水面に浮かんでいるはずなので引き返して海面を凝視するが、さすがに広い海の中で小さな仕掛けを探すのは無理がある。本体ももったいないが、ヘッドももったいない。前にも書いたがこれがけっこう高価なのだ。
何度か行ったり来たりを繰り返したがやっぱり見つからない。諦めてコウイカのポイントへ移動しようとしたときに海面にわずかに浮かぶ小さな影を見つけた。運がいいことに仕掛けを見つけることができた。
この浮かび方だと改良を加えることも難しいので新しく作ることが必要かもしれない。今度はもっと目立つ色に塗っておこう。

コウイカのポイントに到着した頃にやっと太陽が顔を見せ始めた。



一番いいポイントは護岸工事が続いているので少し沖からスタート。アタリがないのでここのセオリー通りに新々波止に沿って少しづつ沖に移動。
そこで最初の獲物。アタリがないので移動しようとして仕掛けを回収しようと竿をあおったときにイカが乗っていた。まったくアタリは感じなかったがうれしい今シーズン初の獲物だ。

おお、ここにはイカがいるのだと確信し、仕掛けを下すとまたアタリらしきものがあった。このアタリは乗らなかったがすぐにまたアタリ。大きく合わせたら、軽い・・・。
あれ、・・・仕掛けが切れてしまった。どこから切れたのかしらと道糸を巻き取ると先端部分のちち輪のところから切れている・・。



去年から同じ仕掛けを使い続けていたので糸が劣化していたのかもしれない。去年はかなり釣れたのでスッテは布が破れてしまっていてそろそろ替え頃かと思っていたがそれでももったいない。めったに落とすことがないのでいつも仕掛けはひとつしか持っていない。万事休すだ。
僕の今日の戦いは午前7時に終わってしまった。

港に戻って大きい船の給油を済ませ、いくつかの消耗品を買うために四つの店舗を回った。



画像に写っているものはひとつひとつすべて違う店舗で購入した。それぞれ、安い店、そこにしか置いていない店を回わらねばならない。
ついでに和歌山城の紅葉を散策しても家の近くまで戻ってきた時刻は明日の勤務のために乗る時刻の電車が駅を出発するところであった。

 

備えあれば患いなし。予備の仕掛けくらいはやっぱり準備しておかねばなるまい。
エンジンオイルを買った県漁連の事務所の〇下さんにお手軽なコウイカ仕掛けを教えてもらったのでそれを作って船に積んでおこうと心に誓ったのであった。
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