イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「日経テクノロジー展望2024 世界を変える100の技術」読了

2024年05月06日 | 2024読書
日経BP /編 「日経テクノロジー展望2024 世界を変える100の技術」読了

毎年1冊ずつ出版されている本で、去年も読んだ本のシリーズだ
現状で各部門の技術者が注目している技術、それが2030年にどれくらいの注目度があるかということを専門家の目から見てみるというものだ。

目次を見てみるとこんな感じだ。
第1章 2030年のテクノロジー期待度ランキング 1位は「完全自動運転」
第2章 AI(人工知能) AIの危険から身を守るためのAIが登場
第3章 建築&土木 二酸化炭素の吸着や太陽光の利用など環境に配慮
第4章 電機&エネルギー 電力を有効利用できる半導体や電池に期待
第5章 モビリティー(移動) 再生可能エネルギーの利用に挑戦
第6章 医療・健康・食農 QoL(クオリティ・オブ・ライフ)を高める
第7章 ライフスタイル/ワークスタイル 心身を穏やかに、豊かにする
第8章 IT・通信 五感の伝送や脳との直結など人間との融合が進む

ちなみに、チャットGPTというのは去年最も注目されていた技術であるがあっという間に世界に浸透してしまったので期待も注目も飛び越えてすでに当たり前の技術になったというので今年の本には取り上げられていない。時代はどんどん進歩している。

そのほとんどが人手不足と高齢化への対応、エネルギー問題への対応のように見える。2030年というとほんの先の未来の予想であるからスペースコロニーや火星移住のような夢があるというかまったく新たな世界の扉を開くような技術は掲載されていなかった。唯一掲載されていたのは段ボールで作ったテントで検証されている月面基地というものだが、段ボールから本物になるまでにはいったいどれくらいの期間が必要なのだろうと思ってしまう。



しかし、宇宙世紀への期待としては、球状歯車というのは面白そうだ。これを使えばきっとガンダムを造ることができるぞと思った。



高齢化対策と人手不足対策では介護ロボットと老化医療であるが、それぞれ、もう目の前に実現可能な技術だそうだ。僕も10年後にはお世話になっているかもしれないというような速さで実現しそうな勢いらしいが、やっぱりこういうのは当分は金持ちのためのものになるのだろうと思うと、地面を這うようにして最後を迎えるしかないかと思う。まあ、それのほうが人間らしいといえば人間らしいが・・。ロボットというか、他人の世話になってまで生きていたいとも思わないのである。
老化医療では老化した細胞を殺す医療というのが考えられているそうだ。一時期、「ニコチンアミド・モノ・ヌクレオチド」というやつが話題になったがまあ、どちらにしてもこれも金持ちのためのもにしかならないのだろう。

人手不足の解決策としての自動配送ロボットというのは便利といえば便利そうだが、ふと思うところではこの宅配ロボットが家の前まで来てくれたとしてもそこから取り出してくれるひとがいなければロボットが戸惑うばかりで全然人手不足の解消にはならないのではないだろうか。
宅配ボックスを充実させたほうが2030年には間に合いそうだ。

そして、エネルギー問題を解決する切り札かもしれない核融合炉だが、常に期待されてはいるけれども実験炉が動き始めるのさえ2035年~2040年頃まで待たねばならないらしい。これも僕が生きているうちには恩恵に蒙ることはできそうにないようだ。

個人的には、「3Dプリンターで作る家」が気になった。この本では大林組が作ったものが紹介されていたが、僕はこれだと思っている。兵庫県のメーカーが作っているらしい。



大地震がきて今住んでいる家が倒壊したら絶対にこの家を買おうと思っている。安いし強度も抜群だそうだ。壁も分厚くて断熱効果にも優れているらしい。今の家よりもはるかに機能的だ。広さも別に倉庫を作ればこれくらいで十分だ。

しかし、もうこれ以上便利にはならないだろうと思っても次から次へと新しいテクノロジーが生まれてくる。人間の凄さというところだろうか。これが経済成長の原動力になっているのだけれどもいつまでもそんな成長は続くわけがないと思いながらそれを前提にセコい投資で小銭を稼ごうとしている自分は相当矛盾しているとこの本を読みながら呆れているのである・・。

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『世界はシンプルなほど正しい~「オッカムの剃刀」はいかに今日の科学をつくったか』読了

2024年05月01日 | 2024読書
ジョンジョー・マクファデン/著 水谷 淳/訳 『世界はシンプルなほど正しい~「オッカムの剃刀」はいかに今日の科学をつくったか』読了


科学読み物を読んでいると、「オッカムの剃刀」という言葉がよく出てくる。
“オッカム”という記憶しやすい語呂と”剃刀“というあまり科学とは関係のない単語の組み合わせが僕のボロボロの海馬の中に残り続けている。
そして、著者のプロフィールを読んでみて、以前にもこの人の著作を読んでいたことを知った。やはり僕の海馬はボロボロである・・。

「オッカムの剃刀」というのは、科学的な論考をするとき、それは単純なほど正しいということを表した箴言だ。
その意味だけでしか知ることはなかったが、きっとこの言葉が生まれたエピソードというものがあるはずで、この本にはそのことが書いているのだと思って読み始めた。

本編は458ページあるが、すべてがオッカムの剃刀について書かれている訳ではない。オッカムの剃刀というコンセプトを使って近代科学を作り上げた歴代の科学者たちの科学史という構成になっている。

まず、オッカムという人だが、この人についてのあまり詳しい記録は残っていないそうだ。1288年頃、ロンドンから馬に乗って南西に1日ほど進んだところにあるオッカム村で生まれ、ウイリアムという名前であった。オッカムで生まれたウイリアムで、オッカム・ウイリアムと名乗ることになる。
オッカムに関して具体的にわかっている最初の記録は11歳頃にフランシスコ会に入れられたということで、このことがオッカム・ウイリアムの運命を決める。
このフランシスコ会であるが、「清貧と学問」がモットーであり、オッカ・ウイリアムもその素性が優秀であったためオックスフォード大学で神学を学ぶことになる。その中で、「神学は科学であるか」という疑問にぶち当たる。当時の世界観というのは、世界のすべては神様が創り出したものであり、宇宙を含めた世界の摂理は神の意志によって成り立っているというものであったが、果たして本当のそうなのかと思ったのである。
神が創り出したものはそのひとつひとつが独立して存在しているものなのである。
そういういう考え方は、「存在論」と呼ばれ、スコラ派という哲学者や神学者が提唱していたものだ。現在に存在するものは何かの意味を持って存在していて、その意味を司っているのが神なのであるというのである。
それに反したオッカム・ウイリアムらの考え方は「唯名論(ゆいめいろん)」と言われる。なかなかよくわからない概念で、ウイキペディアの説明をそのままコピーすると、『普遍は個物から人間の理性が抽象したもので,個物をさす名にすぎないという考え。』となる。
僕なりに存在論と唯名論の違いを解釈すると、仮面ライダーにははいろいろなショッカーの怪人が登場したが彼らはひとりしか存在しない(たまに復活してふたり目ということがあるが・・)のでコウモリ男という存在はただ1体存在するということになるが、戦闘員はいっぱいいるので特定の戦闘員がいるというものではなく、戦闘員という名前だけがあるのだという違いがあると考えた。
別の例えで考えると、プロトタイプのレーシングカー(これもスペアでいくつも製造されるといえば製造されるが・・)が存在論的で、僕が乗っているN-VANなどは唯名論的であるといえるのではないだろうか・・。

存在論で代表的な科学者や哲学者はアリストテレス、プラトンやプトレマイオスだ。この人たちは存在するものすべてに意味を持たせてしまうということと、地球が世界の中心であるという地動説を信じる人たちなので世界の構造を考えるときにはとにかく複雑になってしまう。
星たちはそれぞれの天球の上を動いていると考えるのだが、プトレマイオスが考えた天球は80個ほどが重なったものであったそうだ。こんな複雑な構造は神様しか作れないということになる。エーテル、フロギストン、インペトゥスなどなど、神がこの世界に与えたものが世界を動かしている。

そういう複雑さに対してそれは本当なのだろうかとオッカム・ウイリアムは疑問を持つことになるのである。
神の存在を疑ったということでオッカムたちは時のローマ教皇・ヨハネス22世と対立し迫害を受けることになる。その後、同じくローマ教皇と対立する神聖ローマ帝国のルードヴィヒ四世の庇護を受けミュンヘンでペストに罹患して生涯を終えたそうだ。

この本の中盤以降の大部分はオッカムの思想を受け継いだ近代科学者たちの業績の紹介という科学史の部分で紹介されている科学者たちというのは、ニコラウス・コペルニクス、ヨハネス・ケプラー、ガリレオ・ガリレイ、ロバート・ボイル、ロバート・フック、アイザック・ニュートン、アントワーヌ・ラヴォアジエ、チャールズ・ダーウィン、アルフレッド・ラッセル・ウォレス、グレゴール・ヨハン・メンデル、アルベルト・アインシュタイン、ヴェルナー・ハイゼンベルク、マックス・プランク、ジェームズ・クラーク・マクスウェルたちだ。
この人たちの業績で宇宙の構造の源はクォークと重力に単純化され、生物は自然淘汰によって生きながらえてきたということに単純化された。
こういう部分はいろいろな本で読んできたので割愛するのだが、きっと、オッカ・ウイリアムがこの世に存在していなくてもこれらの科学者たちは世界を単純化させ真の世界の構造を解明していたのだろうが、なんでもその嚆矢となるというのはすごいことであったのだろうとは思う。
そして最も唸ってしまったのが、オッカ・ウイリアムを含めてこの科学者たちの行動は「神への挑戦」であったのではなかったのかということだ。初期の科学者たちは教会の顔色をうかがい迫害を恐れまたは実際に迫害を受けながら、世界は神が創り出したものではないのだということを証明するという辛い人生を送るのであるが、そんな科学者たちはきっとオッカ・ウイリアムの言葉があったからこそそれを支えにしてその苦境を生き抜くことができたのだとも思えるのである。そういうことからでもオッカ・ウイリアムという人の偉大さを思い知るのである。

しかし、著者が言うには、オッカム・ウイリアム以前の考え方、例えばプトレマイオスの宇宙モデルというのはこれはこれで現在でもきちんと宇宙の動きを説明できるという。
と、いうことはひょっとしたら神という存在が本当にいて、宇宙の成り立ちには実際に介在したのかも知れないと考えられるし、量子論が導くひも理論や多重宇宙論というものに対して素人が感じることは複雑そのものだ。こんな複雑さはやはり神にしか創れないとも思える。また、よく、“奇跡的”な出来事などということが起こるが、これも単なる確率の問題というわりにはこれはじつは必然でそれは神が導いた必然であるのではないかと思えてくるのである。

まだまだ、存在論と唯名論の対決、すなわち神と確率の闘いはいまだ終わっていないような気もするとこの本を読みながら思うのである。

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「スプーンはスープの夢をみる 極上美味の61編」読了

2024年04月16日 | 2024読書
早川 茉莉/編 「スプーンはスープの夢をみる 極上美味の61編」読了
 
この本、図書館では「食品・料理」の書架に入っていたがこれはまったく日本文学というジャンルの本に間違いない。司書さんはタイトルだけを見て分類したに違いない。
作家や詩人だけではなく、芸術家、音楽家など様々な分野の一流の人たちの文章が収録されているアンソロジーなのだが、「スープ」というキーワードはほんの体裁でしかない。その著者たちはすでに物故しているかもしくは僕よりも年上の、ある意味、積極的に残しておかないと世間からどんどん忘れ去られてしまうような人たちなのだが、それはあまりにももったいないという思いで集められたかのようだ。61人の著者の一部を紹介しておくと、僕が知っていた人では、
江國香織
星野道夫
島崎藤村
岡本かの子
三島由紀夫
荒井由実
阿川佐和子
村上春樹
伊丹十三
中谷宇吉郎
林芙美子
小林カツ代
林望
宇野千代
北大路魯山人
という人々。これだけ見ていてもバラエティーに富んだ人々だ。
知らなかった人たちでは、
入江麻木(指揮者の小澤征爾の義理の母。あとから調べてみるとこの人の本を1冊読んでいた・・。)
森茉莉(森鴎外の娘)
斉須政雄(日本でのフランス料理界のレジェンドだそうだ)
松浦弥太郎(暮らしの手帖の前編集長)
などなど・・。

こうやって取り上げられている人たちを見てみると、こういった人たちを集めた編集者はすごいというしかない。ほとんどの人はすでに物故しているような人たちだが、誰かが残しておかなければどんどん忘れ去れてしまうしかないだが、絶対に残しておかねばならない文章なのかもしれない。僕自身も、自分より若いひとの文章よりもこういった人たちの文章のほうがしっくりくるもの確かだ。
早川茉莉というひとは、ネットで調べてみてもフリーのライターだということしかわからないが、どれほどの読書量とデータベースを持っているのだろうかと驚かされる。いくつかの文章は料理としての「スープ」とはまったく関係がなく一語だけ「スープ」という文字が入っているだけというものもあった。よけいに大したものだと思えてくる。

スープ自体が食材の栄養を一滴残らず体の中に取り込めるという料理だから、さしずめこの本は時代時代の貴重な文章をしっかり心の中に取り込みなさいという意味も込められているのかもしれない。

司書の判断ミス。こういった出会いもうれしいのである。
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「三体X 観想之宙」読了

2024年04月03日 | 2024読書
宝樹/著 大森望 、光吉さくら、 ワン チャイ/訳 「三体X 観想之宙」読了

タイトルに「三体」と入っているがその続編でもスピンオフの物語でもない。劉慈欣の熱烈なファン(中国では“磁鉄”と呼ばれているらしい。)である著者が「三体」のメインストーリーでは深く語られなかった部分を想像してネット上で公開したストーリーが劉慈欣の公認のもとに著作として出版されたものだ。
こういったものが実際の著作として出版されるというのは著作権に甘いというのか原作者の懐が深いというのか、なんとも中国的であるなと思える。日本では著作権と版元にガチガチに縛られてこんなことは実現しないのではないだろうか・・。

原作のストーリーは長くて複雑で忘れてしまっている部分がほとんどである。以前に書いた感想文と、この本のストーリーの中心になっている原作の後半部分「死神永世」のあらすじが巻末に掲載されていたのでそれを先に読んでからこの本を読み始めた。

取り上げられているエピソードは、
●脳だけを冷凍保存され三体世界に送り込まれた男性が主人公と再会するまでにどのような生き方をしてきたか・・。
●宇宙を破壊しようとした者の正体。
●物語に登場する「小宇宙」の秘密。というものが明かされている。(明かされるといっても、それはメインストーリーの著者が考えたものではないのだが・・)そして、それぞれのエピソードが絡み合い、宇宙とは何だったのかということを書いている。
簡単にその正体を書いてみると、宇宙は元々十次元世界で時間は永遠に続いてゆくというか、時間というものの観念のない世界であった。その世界は永遠でもあり瞬間でもあるというものであった。そこには、この世界を統べる「統治者(マスター)」と、この世界を破壊し、時間という観念、すなわち始まりがあり終わりがある世界を創ろうとする「潜伏者」との戦いがあった。その戦いの歴史の中で宇宙の次元はひとつずつ減ってゆき現在の三次元世界にたどり着いたのだという。
潜伏者とは、メインストーリーに書かれている、『死とは、永遠に点灯している唯一の灯台なんだと。つまり、人間、どこへ航海しようと、結局いつかはこの灯台が示す方向に向かうことになる。すべてが移ろいゆくこの世の中で、死だけが永遠だ。』ということを実現させようとする勢力だ。主人公たちは「統治者」の側の代理人として「潜伏者」の宇宙の次元破壊を阻止しようとする。結局、宇宙の破壊を阻止することは叶わず、一縷の望みである破壊後寸分違わない同じ宇宙を創造するという夢もわずか5㎏の質量の不足で叶わなくなる。
しかし、主人公たちは、まったく同じ世界を再生するよりも新たな世界を生み出すことのほうが自然の摂理にかなっているのではないかと思い始めるのである。

神のような統治者とは何者か、破壊を司る潜伏者とは何者か・・。彼らはわずかな時間で宇宙を破壊したり再生したりできるほどのエネルギーを操り、量子レベルでまったく同じクローンを創り出し、銀河を瞬時に横断し制御するほどのテクノロジーを持っているというまったくおとぎ話のようなプロットが使われているが、これを書いたのが北京大学を卒業した哲学者であるとなると荒唐無稽な話でもないのかもしれないと思えてくる。
十次元世界というのは調弦理論で提唱されている考えであり、イエスキリストや空海、釈迦という人たちは異次元からやってきた「統治者」の代理人であったのかもしれない。この本のラストでも、「統治者」の代理人となった主人公は現宇宙に蘇る。
最近発見されたという、どこからやって来たのかわからない1グラムあれば地球を破壊できるほどのエネルギーを持つアマテラス粒子というものはひょっとして遠い宇宙のどこかで繰り広げられている星間戦争の流れ弾なのかもしれない。

まあ、そういうのも妄想なのかもしれず、宇宙のどこかで善と悪が戦い、その代理人が主人公であるというプロットは平井正和の「幻魔大戦」や「超人バロム1」で使われているようなありきたりのものかもしれない「エウレカセブン」も時空を行き来してこの世界とは何者なのだということを問うているのは、人間のDNAには古い高次元の世界の記憶が刻み込まれているのかもしれない。

というか、大のSFファンの著者ならこういったものも知っていてそういうものも念頭に入れながらこの物語を書いただけのかもしれないのでこれもただの僕の中のおとぎ話に過ぎないのかもしれないが・・。この感想文とはまったく関係ないのだが、「超人バロム1」の原作者は「ゴルゴ13」のさいとう・たかおだというのをこの前の堺市放浪のときに初めて知った。この人も未来と過去を見ていたのかもしれない。
そう思いながらも、こういったプロットから50年が経つと様々な自然現象の解明が進んでリアルさを増してきて、ひょっとしてこれはおとぎ話とも言えないのではないかと思わせてしまう1冊であった。

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「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」読了

2024年04月01日 | 2024読書
河野啓 「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」読了

この本は、2020年 第18回 開高健ノンフィクション賞受賞作だ。
北海道放送のディレクターであった著者が登山家栗城史多について生前の取材や、死後新たに取材したものをまとめている。

登山家栗城史多をウイキペディアで調べてみると、こんな人であったそうだ。残念ながら僕はこの登山家のことについてほとんど記憶はなかった。
『栗城 史多(くりき のぶかず、1982年6月9日 - 2018年5月21日)は、日本の登山家。実業家として個人事務所の株式会社たお代表取締役を務めた。北海道瀬棚郡今金町出身。北海道檜山北高等学校を経て札幌国際大学人文社会学部社会学科を卒業。よしもとクリエイティブ・エージェンシーと2011年9月から業務提携した。
「冒険の共有」をテーマに全国で講演活動を行いながら、年に1、2回ヒマラヤ地域で「単独無酸素」を標榜して高所登山を行っていた。エベレストには、頂上からのインターネット生中継を掲げ、2009年にチベット側、2010年と2011年にネパール側から挑んだが、8,000mに達することが出来ず敗退。2012年に西稜ルートから4度目の挑戦をするも強風により敗退。この時に受傷した凍傷により、のちに右手親指以外の指9本を第二関節まで切断。2015年の5度目、2016年6度目、2017年7度目のエベレスト登山も敗退した。2018年5月に8度目となるエベレスト登山を敢行したが、途中で体調を崩して登頂を断念し、8連敗を喫した直後の5月21日にキャンプ3から下山中に滑落死した。35歳没。』


著者は当初、同郷の登山家に好感をもち、ドキュメンタリーを作成するために長期の取材を続けていた。しかし、取材途中でのトラブルや意見の相違などから2013年ころから徐々に取材の頻度を減らしてきた。その後も登山活動を続けた栗城史多は2018年の登山中の滑落事故で亡くなるのだが、それを機に栗城史多の取材を再開し、この本にまとめた。

世間が思う登山家のイメージというのは、寡黙で人嫌い。山だけにしか興味がない。というようなイメージだが、栗城はまったく違った。そして、取材途中での様々な出来事、その後、滑落事故で亡くなるまでの間に聞こえてきたいろいろな噂から、栗城史多という登山家は一体何者であったのかそれを知りたいというのがその動機であったようだ。

偉大な登山家とは言えなく、むしろ世間や登山界ではむしろ評判は良くなかったようだ。AIにまとめてもらった栗城史多の明暗の評価は以下の内容だった。
『栗城史多さんについての明るい部分としては、彼が日本人初となる世界七大陸最高峰の単独無酸素登頂に挑戦し、その明るいキャラクターで多くの人々から賞賛を受けたことが挙げられます。また、彼は「冒険の共有」をテーマに全国で講演活動を行い、多くの人々にインスピレーションを与えました。
一方、暗い部分としては、彼の登山スタイルが同業者から批判されることもあり、常識とはかけ離れた方法での単独登頂を続けたことが指摘されています。さらに、2018年5月に8度目のエベレスト登山中に滑落死するという悲劇がありました。彼の死は、登山界に大きな衝撃を与えました。』

栗城史多さんの生涯は、多くの成功と困難、そして最終的な悲劇によって特徴づけられています。彼の物語は、冒険と挑戦の精神を象徴するものであり、多くの人々に影響を与え続けています。』
筆者も同じようなことを書いていて、無酸素登頂という言葉に含まれる矛盾や著者の取材中の裏切り行為や奇行とも思えるようなことがあったということを書いている。
それでもこの登山家についてのことを本にしようとしたのか。そこには、「人はどうしてそうなってしまうのか」ということを解明したかったのかもしれないと思った。
その答えのひとつは、自分が理想とする自分像をよく作りすぎた。また、それを他人に広く見せつけたいという欲望が自らを死に追いやってしまったのではないかと著者は考えたようだ。
『夢の共有』という言葉がその両方を象徴しているように見える。自らの夢(=理想の自分像)を広く見せつけたい。ということだったのだろう。
僕は別の意味で「共有」という言葉に胡散臭さを覚えた。
「共有」という言葉はビジネスの中でもよく使われる言葉だ。「みんなに知らせたからトラブルが起こったときはみんな同罪ね。責任逃れはできないよ。」という縛りが生まれるのだが、この人も「共有」という言葉を使って、「失敗してもそれも共有してね。失敗に対して批判はできないよ。」と言っているように思えるのである。なんだかちょっと無責任な臭いがする。登頂をできないことを承知で会費を集めたりクラウドファンディングやスポンサー集めをやっていたのではないかとこの言葉から想像してしまうのである。共有するよりも、冒険なら、ただ一言、「俺を見ろ!」というべきではなかったのだろうか。

実際には、多くの登山家が評価しているように、栗城史多には単独無酸素でエベレストに上れる実力はなかったと考えられている。同時期にはイモトアヤコが世界の高峰に登っていた。タレントが自分と同じように山に登ることをエンターテインメントとして完成させている。また、実力のある登山家たちはもっと短時間でエベレストの登頂を果たしてもいる。
著者はその頃には栗城史多自身も自分でもエベレストには登れないと考えながらも虚勢を張るために無理をする。それが批判を呼びさらにそれを打ち消すように無理をして虚勢を張る。
そんなことをしていると大概は世間やスポンサーからは見捨てられてしまいそうだが、自身の人懐っこい性格から誰も放っておかなかった。
結局、8回目のエベレスト登山の途中に遭難してしまうのだが、最後に選んだルートはその直前に封切られた、「神々の山嶺」で主人公の阿部寛が選んだ南西壁ルートであったそうだ。なんとか、自分の理想の姿を具現したいという焦りが見え見えのようにも思えてくるのである。
タイトルのとおり、自分をドラマの主人公として生き切ったとも言える。しかし、それを完結するために自らが死を選んだとも言えなくない。
登山家を応援していたひとりの言葉が悲しい。
『死ぬつもりで行ったんじゃないかなあ、彼。失敗して下りてきても、現実問題として行くところはなかった。もぬけの殻になるより、英雄として山に死んだ方がいい、って思ったとしても不思議はないよね。』
なんだかオオカミ少年のようにも見えてくる。
著者は、自分も含めて、それを止められる人はいなかったのかと悔やむのである。

こういう人を見ると、ほとんどの人は批判をする側に回るのだが、誰でもどこかでは同じように自分をよく見せようとするのではないだろうか。SNSへの書き込みにはそういうものが溢れている。小さな幸せを一生懸命ひけらかしているのである。僕自身もそういった人たちと同じひとりであるようにも見える。
一歩間違えば自分をそれ以上に美化するために自分を陥れる危険にさらしている。
なんだか最後までザラザラ感が残る1冊であった。

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「てんまる 日本語に革命をもたらした句読点」読了

2024年03月23日 | 2024読書
山口謠司 「てんまる 日本語に革命をもたらした句読点」読了

最近、にわかに、「マルハラ」という言葉がクローズアップされている。ウイキペディアで調べてみると、『主にチャットなどのSNSの文面において、句点(。)を使用することで威圧感を与えさせてしまうことを表す造語である。』と書いていた。僕も昔から「。」で終わってしまうとなんかだか紋切り型すぎるなと思っていたのでブログで書く文章でも「・・。」のように少しクッションを置くような書き方をしてきた。
それに加えて、本格的に文章を書くことを学んだわけではないので、「、」についてはどんな時に打てばよいのかずっと悩んできた。

小学生の頃は、国語の授業の作文というと、原稿用紙最低OO枚書きなさいと指示をされるので、できるだけ文字数を稼ぐことと原稿用紙の空白を作るため、やたらと「、」と「。」を入れるというようなことをやってきたのでまったくわからない。
読んでいるうちに、授業の中で、こんな法則で「、」と「。」を使いなさいということを教えてもらったこともなかったように記憶をしているが、そういうことを教えてくれなかった理由というも少しだけわかったような気がする。

「、」や「。」(以後、この本に倣って「てんまる」と書いてゆく)がないとどんな不具合があるかというと、これは日常生活でも実感することだが、読み間違いと誤解を招くということだ。「きょうふのみそしる」というやつだ。しかし、日本語には古来から「てんまる」が存在していたわけではなかった。日本語というのは元々、声に出して読むのが基本だったので「てんまる」がなくてもそのリズムで誤解を招くようなことはなかったのである。源氏物語にも「てんまる」はないのだが、これも、当時の女御たちはこれを声に出して読んでいたからである。
時代が下って、黙読が普通になってきたときに文章に区切りがないと読み間違いが起こってしまうので必要に迫られて付けられてきたのである。
しかし、どの時代にも声に出して済む文章ばかりがあったわけではない。公文書などはどうしていたのかというと、これはすべて定型文があったので読み間違いなどをする恐れはなかったらしい。江戸時代にはそういう定型文が7000種類くらいもあったそうで日常生活での不便はまったくなかったらしい。夫婦が離縁するための「三下り半」にも「てんまる」はもちろん付いていなかったそうだ。
手紙文などでも、大体の定型文のひな型(「往来もの」という)があって、それに倣っているから誰も不便をこうむることがなかった。それに加えて、「~候」という候文が使われ、この“候”という文字が文章の区切りの代わりもしていたのでやはり「てんまる」は必要なかった。

「てんまる」の始まりだが、まず、「、」の始まりは漢文を訓読する際の記号として生まれた。だから歴史上での登場は早く、奈良時代の写本(「文選李善注」という書物)にすでに登場しているそうだ。平安時代前期には読点として使う時は左下に、句点として使う時は右下に付けられた文章が残っている。「。」の出現はもっと遅く、江戸時代の慶安のころにヨーロッパから伝わった「,(コンマ)」と「.(ピリオド)」、平安時代前期に使われた「、」がもとに生まれたと考えられている。

その後、江戸時代後期には古活字印刷というような印刷された文章が作られ、一般庶民にも広く文章が読まれるようになったことが「てんまる」の普及につながった。
それまでも「てんまる」がまったく使われていなかったかというとそうではなく、一部の文章ではそれに替わる方法や記号が使われている文章も残っている。お経には、鎌倉時代や室町時代に「・」が使われているものがあったり南北朝時代には「てんまる」の代わりに空白を入れているものが残っているそうだ。
ほかに、文節や文章の区切りとしては、英語のように空白を入れているような文章も存在する。まあ、過去の人たちもいろいろ工夫していたということか・・。

現在の「、」や「。」はいつごろから使われるようになったのかというと、それは明治時代になってからということだ。学制が敷かれ文部省が日本語表記の基準を作ってからのことであった。この契機になったのは明治の富国強兵策の一環であった。有線、無線による伝令の正確さ、国民の国家に対する意識の統一を求めるため、「国語調査委員会」が作られる。ここで「てんまる」についてどんな議論がされたかという記録は残っていないそうだが、明治39年には「句読点法案」というものが出版されている。「。」はけっこう簡単で、「文の終止する場合に施す」というだけだが、「、」については、21の場合が決められている。けっこう細かい。ちなみに、この法案にはなぜだか「てんまる」は使われていない。まあ、案の段階だから安易に使うなということでもあったのだろう・・。

ただ、基準を作ったとはいってもどんなときにどうやって入れてゆくかということの厳格な決まりがあったわけではない。夏目漱石や森鴎外はそれぞれ独自の使い方をしていたし、前期と後期でまったくそのパターンも違っているらしい。
基準が生まれた時点からあまり守られていなかったのである。

さらに時代が下って、現代ではどうかというと、井上ひさしがこんなことを書いていると紹介されている。それは、「てんまる」に対して、「重要だと考える派」、「単なる記号派」のふたつに分かれるというのである。句読点をきちんと使って文章を正確に、また明晰にしなければならないと考える人と、そもそも文章というのはそういうものがなくてもきちんと伝わるように書かねばならないと考える人たちの違いだ。
また、「視覚派」、「聴覚派」に分かれると考えている学者もいる。「視覚派」は文章の長さや漢字と仮名のバランスを考える人たち。「聴覚派」は音読して息継ぎをする部分に句読点を入れようと考える人たちに分かれるという考えだ。
さらにこの学者は、「視覚派」、「聴覚派」とは別に、句読点を打つツボには四大派閥があると考えている。「長さ派」、「意味派」、「分ち書き派」、「構造派」である。
ここでも基準というよりも、書く人の感性にゆだねられているということである。どれが正しいというものでもないのである。
自分の文章の書き方を顧みてみると、「四大派閥」方法をその時々で使い分けているというところだろうか。

そして、最近巻き起こっている、「マルハラ」問題の原因ではないかというものが最後の章に書かれている。それはマンガに書かれている日本語だ。最近はまったくマンガなど読むことはないけれど、マンガの吹き出しの中に書かれている日本語には一切「てんまる」は使われていないらしい。鳥山明が死んだらものすごいニュースになったが、伊集院静が死んでも一時のニュースで終わってしまっていたように、最近の若い人たちは本よりもはるかにたくさんマンガを読んでいるから「。」に抵抗を感じるのかもしれない。
しかし、面白いのが、小学館のマンガにはきちんと「てんまる」が使われているそうだ。さすが、「小学OO年生」を発刊している出版社ということだろうか。今度立ち読みしてみよう。
そんなことを気にしながら映画の字幕やテレビの字幕放送を見てみたら、ほとんどというか、まったく「てんまる」は使われていなかった。使われている記号は「!」や「?」、「…」くらいである。(いう記号を、「てんまる」を含めて「約物」という。)
きっと、多分、ニコニコ動画なんかに投稿されているコメントなどにも「てんまる」は使われていないのだろう。新聞も本も読まないでそんなものだけに慣れ親しんだ人たちが「。」に違和感を抱くのももっともだと思う。

僕はまったく知らなかったが、今では横書きの日本語では「、」の代わりに「,(コンマ)」が使われるのが普通になりつつあるそうだ。どんどん日本語が変わっている。そんなに遠くないうち、日本語から「てんまる」が無くなってしまうのはきっと間違いがないかもしれない。公文書は最後の砦になるのだろう・・。それでも僕は「てんまる」を使い続けると思うのである。
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「宇宙からいかにヒトは生まれたか―偶然と必然の138億年史―」読了

2024年03月20日 | 2024読書
更科功 「宇宙からいかにヒトは生まれたか―偶然と必然の138億年史―」読了

「138億年史」と書いている通り、宇宙の開闢から現在、すなわち人間が生まれてその138億年を振り返ることができるようになるまでの歴史を1冊にまとめている。
まあ、そういう話をたった1冊にまとめることができるのかとも思うのだが、ものすごくうまく書きあげていると思う。僕もこういった話題の本を数だけは読んできたが、うん、うん、かつて読んだことがあると思ったり、これはこういうことだったのか、これは重い違いをしていた、これは知らなかったといろいろなことを思ったりできた。
著者は僕と3歳しか変わらない分子生物学者だ。前書きには僕も使っていた「試験に出る英単語」を取り上げていた。この本には、「最も重要な単語とは?」という質問に対する答えとして、「使用頻度の多いものではなくて、たとえ、そんなにしばしば使用されないものであっても、その1語の意味を知らないと、その文全体の意味がわからなくなる単語である。これをキーワードと言う。」と書かれているそうだ。
この本も、地球や生物の進化の話について、「キーワード」となりうるものを丁寧に説明するように心がけたと書かれているがまさにその通りであった。文章も、奇をてらったり、ウケを狙ったりするようなこともなく平易な言葉で書かれていて、それは教科書を読むように無駄のないものである。かといって教科書ほど退屈するようなものでもない。

これは知らなかったとか、これは思い違いをしていたというようなことを箇条書きで書き留めていきたいと思う。

人間の体を作っている元素を原子数で並べると、水素、酸素、炭素、窒素の順でこれだけで99%を超える。微量だが、ストロンチウムやヨウ素といった鉄よりも重い元素も含まれている。

現在の月と地球の距離は約38万キロ。しかし、45億年前はわずか2万キロメートルしか離れていなかった。当時の地球はいまだ高熱で溶けた岩石が海のように地球を覆っていた。地質学的な証拠は残っていないが、月の潮汐力によって満潮の時はマグマが1000メートル以上も盛り上がっていたと想像できる。地球の自転速度も速く、1日は5時間ほど。その間に2回もこのような満潮がやってくる。まさに地獄の様相であった。

海の水はいつごろから塩辛かったか?答えは最初から塩辛かったらしい。地球が生まれた頃、大気は水蒸気が100気圧以上もあった。二酸化炭素も数十気圧あり、他には硫化水素や塩化水素も含まれていた。地球が冷えてくると水蒸気は液体の雨になり、硫化水素や塩化水素を溶かし込み強烈な酸性であった。この雨が海を作ってゆく。これだけ酸性が強いと、岩石に含まれるナトリウムやカリウムを溶かして今以上に塩辛かったかもしれないという。こういう事実は、炭素系コンドライトという隕石に含まれるガスから推測できるらしい。この隕石は太陽系が生まれて以来熱変成を受けていないので昔の太陽系の情報をよく保存しているということだ。
ちなみに、現在の雨というのは大気中にある0.035気圧の二酸化炭素のせいでpH5.6くらいの「酸性雨」だそうだが、これくらいでは酸性雨とは呼ばないらしい。

温室効果ガスは二酸化炭素以外に代表的なものにはメタンがあるが、他の条件を変えずに温室効果ガスをすべて無くしてしまったら、現在の地球の平均気温はマイナス18℃になってしまうらしい。温室効果ガスは人類の敵だと思われているが、実はこれがないと人類はまともに生きてゆくことができないのかもしれないのである。

ここからは生物が生まれるきっかけとは何だったのかということだ。
結論からいうと、それはいまだにわからない。しかし、きっかけが起こったその後についてはいくつかの説が考えられている。
地球上の生物の遺伝子はすべてDNAでできている。これをもとにしてRNAを合成し、RNAの情報をもとにタンパク質を合成する。このタンパク質が生命現象の主役である。
この一連の流れを、生命現象の「セントラルドグマ」と呼ぶ。
この流れで考えると、まず、DNAが地球上でできてRNAが作られたんぱく質が生まれたとなるが、DNAというのは複雑な分子で、DNAの材料を煮たり焼いたり放電したりしてもDNAを作ることはできない。では、生物の細胞のなかでは何がDNAを作っているのかというと、これがタンパク質(酵素)なのである。じゃあ、最初の最初、どちらが先に地球上に現れたのだろうか・・。
その答えのひとつが「RNAワールド仮説」というものだ。
RNAというのは、自分自身で切れたりつながったりをすることができるらしい。RNAの形が変わるといろいろなタンパク質を合成することができるということだ。
普通はこの役割は酵素が担うのだがそれがRNAだけでもなんとかなるとなると、生命の初期の段階ではRNAが遺伝子としても酵素としても働いていたのではないかというのが「RNAワールド仮説」である。
しかし、「RNAワールド仮説」にも矛盾がある。RNAの材料であるリボヌクレオチドにはアミノ酸が含まれている。アミノ酸からリボヌクレオチドを作るのは難しく、簡単なタンパク質を作るほうが簡単なのだそうだ。だから、RNAやDNAよりも先にタンパク質があったのだという考えも存在し、これを「タンパク質ワールド仮説」という。
アミノ酸自体も合成は簡単で、グリシン、アラニン、アスパラギン酸というようなアミノ酸は材料があれば放電するだけでも簡単に作れるそうだ。こういうアミノ酸が結合して簡単なタンパク質が生まれ、そこから複雑なタンパク質が生まれていったのではないかというのである。
「RNAワールド仮説」にも「タンパク質ワールド仮説」にも一長一短があり、どちらが正しいのかというのはよくわからないというのが現在の状況である。
どちらにしてもDNAとRNAとタンパク質が生まれてそこから生物が生まれた。現在の地球のすべての生物はこれらの物質からできているのでただ1種の最終共通祖先から生まれたと考えられている。その最終共通祖先のことを「ルカ:LUCA (Last Universal Common Ancestor)」という。多分、同じ時代にはまったく異なった構造をもった生物もいたはずだがそれらは子孫を残すことなく絶滅してしまったと考えられる。人類が1種類しかいないということになぜだか似ている。地球という星ではその時代の高度に進化した生物は1種類しか存在できないのかもしれない・・。

化石の種類について。 3種類に分類できるそうだ。体化石:生物の遺骸、生痕化石:生物が活動した跡、化学化石:生物に由来する分子や原子。生物を構成する炭素原子のうち、炭素12の割合は自然界に存在する割合(約99%)よりもさらに多い。すなわち、選択的に炭素12を取り込んでいる。
生痕化石くらいまでは知っていたが、今では分子レベルまで化石として見分けることができるらしい。

光合成をする生物が生まれたのは生命が誕生して10億年後。それまで地球の生命は太陽光をエネルギーとして利用することはできなかった。光合成で使用される二酸化炭素は初期の地球上には現在よりも数千から数万倍もあったはずだがそれを使う生物は現れなかった。光合成をするラン藻類が登場したのはやっと27億年前頃からであった。これには地球の磁場が関係している。この頃から地球の磁場が現在のレベルまで強くなり、有害な太陽風がカットされるようになった。そのおかげで生物が浅い海に進出し、太陽の光を浴びることができるようになった。とはいっても、最初に光合成を始めた生物は酸素を発生させることができなかった。光合成には700ナノメートルの波長の光を吸収する光化学系Ⅰと680ナノメートルの波長の光を吸収する光化学系Ⅱの2種類があり、酸素を発生しない光合成をする生物はそのどちらかしか持っていない。

光合成の逆の化学変化は酸素呼吸である。この酸素呼吸、光合成を始めた生物が生まれたと同時に始まったと考えられている。酸素のない世界でなぜ酸素呼吸を始める準備ができたのか・・?
水に紫外線が当たるとヒドロキシラジカル(OH⁺)という毒性の強い物質が生まれる。これに対抗するためにはシトクロムオキシターゼと言われるような抗酸化酵素を進化させねばならなかったのであるが、これが酸素呼吸の起源であった可能性があると言われている。事実、ラン藻類は光合成をしながら酸素呼吸もおこなっていた。

ミトコンドリアと葉緑体との関係。 初期の光合成細菌のような酸素非発生型の光合成細菌もミトコンドリアと同じくα-プロテオバクテリアに含まれる(ちなみにラン藻類はプロテオバクテリアに近縁なグラム陰性菌である。)生化学的に考えれば、ミトコンドリアがおこなっている酸素呼吸は、光合成を同じ部品を使っていることが多い。光合成の部品を逆向きに動かせば、酸素呼吸の部品として使えるものが多い。おそらくミトコンドリアの祖先は光合成細菌であったと考えられる。分子系統学の結果によれば、紅色光合成細菌の仲間が光合成能力を失って酸素呼吸を始め、ミトコンドリアの祖先になった可能性が高い。
ミトコンドリアより先に光合成をする生物が生まれていたというのは驚きである。
多分、ミトコンドリアを喰った「ルカ:LUCA」は動物に、葉緑体を喰った「ルカ:LUCA」は植物に分かれていったのだろう。

生物の多様性の拡大としては「カンブリア爆発」が有名だが、その前に、アバロン爆発というものがあった。これはトニア紀とカンブリア紀の直前のエディアカラ紀の間に起こった多様性の拡大だが、この時に海綿動物のような生物の種類が急激に増えてきたという。
その引き金になったのが地球の全球凍結だったと考えられている。二つの時代の間に挟まる、7億2000万年前~6億3500万年前のクライオジニア紀には連続して2回の全球凍結があったという。その後のエディアカラ紀の初期にも氷河期が続いた。
全球凍結の原因はわからないがこれが地球の酸素濃度の上昇に一役買った。寒冷化で生物の数が減り、熱水噴出孔などから放出された栄養塩類は消費されず、また全球凍結が解消されてゆくと急激な気温上昇を引き起こす。今の地球温暖化の逆でそれが極端になったようなものなのだろう。この温度上昇が陸地の風化を促進しリンなどの栄養塩類が大量に海洋に流れ込み、海水中の富栄養化が進む。その栄養を使ってシアノバクテリアが大量発生して酸素濃度が上がりその酸素をエネルギーにして生物の多様性の爆発がおこったというのである。

陸上にあがった最初の動物はイクチオステガだと言われている。立派な四肢を持っていたらしいが、この四肢、すでに水中にいるときから発達していたらしく、上陸するために進化したのではなかったと考えられている。それではなぜ四肢が進化したかというと、繁殖のため、オスがメスを抱きかかえるためだったという説がある。エッチは進化を加速させるらしい・・。
肺も同じく、浮袋から進化したとものだと考えられていたが、それは逆だったらしい。肺呼吸を始めた魚類が肺の機能を失っていったということだ。現在でもハイギョという魚がいるが、彼らのほうが原始的な特徴を持っているそうだから間違いはなさそうだ。

生物多様性の爆発とは逆に大量絶滅の時代もあった。最も有名なのは白亜紀の末期の大遺跡の衝突であるが、その以前、ペルム紀と三畳紀の間の「P-T境界絶滅」というものもあった。大きな背びれを持ったディメトロドンが生きていた時代がペルム紀だ。
その原因を作ったのは地磁気の異常や、雲や火山灰によって太陽光が遮られた結果起こる寒冷化がであったと考えられている。
いずれもプレートの移動が原因と考えられている。温度の低いプレートが大量にマントルに沈み込んでいくと液体の鉄の対流パターンが変化し地磁気が異常をきたし宇宙線が降り注ぐ。電荷をもった粒子は雲をつくり太陽光線を遮る。沈み込んだプレートがあるとその分どこかでマントルが上昇しなくてはならない。それが巨大な噴火を引き起こし、同時に大陸を寄せ集める原因となり浅瀬が少なくなり海洋生物の居場所を奪っていったと考えられている。こんなことは今起こり始めてもおかしくはないのではないかと思うと少し怖くなる。まあ、人間が生きていられるよりももっと長い時間を要する変化だろうからそんなことが起こっていても気がつかないのかもしれないが・・。

白亜紀の大絶滅のあと、哺乳類が進化してゆくのだが、寒冷化によって勢力を伸ばしたのはイネ科の植物である。イネ科の植物の葉は堅いのでそれを食べる哺乳類の歯はどんどん釣り減ってしまう。それに対応するため歯が長くなるという進化が起こる。高冠歯というそうだ。しかし、いちばん奥の歯はだいたい目の下にあるので危険なほどに目と歯が接近してしまう。これを避けるためには歯を前に出さねばならず、ウマやシカやウシの顔は長くなっていったのである。

う~ん、なんとも、不思議というか、奇跡的というのか、偶然と必然の積み重ねが現在を作っているという感じだ。
著者は、地球のことが「奇跡の星」と言われることに違和感を感じているという。それは、人間も含めて地球の生物は、地球でうまく生きてゆけるように進化したのだから当たり前であると考えているからだそうだが、こういう本を読んでいると、やっぱりこれは奇跡でしかないと思うしかない。

生物はいずれ死んでゆく。僕もいずれは死んでゆくのだが、それまでに、自分自身を含めた生物はどうやって生まれてきてここまで来たのかということを知りたいと思っていろいろな本を読んだりテレビを観たりしているのだが、僕の人生の長さ程度ではまったく足りそうもないのである・・。

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「海の怪」読了

2024年02月27日 | 2024読書
鈴木光司 「海の怪」読了

この本もタイトルだけを見て借りた本だ。最初、「死ぬかと思った」というような実録ものかと思ったのだが、著者の名前を見てこれはホラーだなと分かった。この人の本は2冊目だ


ネットで検索しても著者の趣味がクルージングやダイビングというのはまったく出てこないが、大型クルーザーやヨットで日本列島のあちこちに出かけるような趣味を持っているらしい。前に読んだ本でもダイビングの描写がすごく詳しかったので本当に詳しいのだと思う。
その知識を生かした、どこまでがフィクションでどこからが実体験かがわからないような物語の進め方だ。それゆえによけいに真実味が増してくるのだろう。うまいストーリー展開だと思うのだが、失礼ながら小説のレベルはどうかというと、印象に残るような一元半句がまったく出てこない。ある意味簡単に読めてしまう。
ホラーだから仕方がないのかもしれないが、“死ぬ”ということを簡単に書きすぎているようにも思える。「命が抜けてゆく」という表現はなかなかうまいとは思ったが・・。
だから、特に思いを込めた感想は書けない。
かなりひがんだ書き方になるが、こんなにゴージャスな船旅をする人たちにはどんどん、幽霊や怨霊やお化けやゾンビやエイリアンが憑りついてくださいと彼らを応援したくなる。
貧乏船釣りライフを人生のすべてをかけて首の皮一枚でつないでいる僕には、どうか憑りつかないでくださいとお願いするばかりである・・。

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「土 地球最後のナゾ 100億人を養う土壌を求めて 」読了

2024年02月26日 | 2024読書
藤井一至 「土 地球最後のナゾ 100億人を養う土壌を求めて 」読了

著者は土の研究者だ。「土壌学」という学問があり、土を資源と考え分類や有効活用を研究するというものだ。著者の志は高く、もうすぐ100億人に達するという地球の人口を養ってくれる肥沃な土を探すことだという。
そもそも、「土」の定義だが、『岩の分解したものと死んだ動植物が混ざったもの』とされている。だから、太陽系だけを見ると、生物が存在する星が発見されていないので今のところ、地球以外には土は存在しないということになる。
ちなみに、砂や粘土の定義はその直径で分類される。砂は0.02mm~2mm、シルトは2マイクロメートル~0.02ミリメートル、粘土は2マイクロメートル以下である。
そして地球上に存在する土(土壌)は最終的には12種類に分類することができる。
著書に合わせてAIにその分類と特徴をまとめてもらうと以下のようになる。

*****************************************************
・未熟土:岩石が風化してできた土。特徴が少なく、肥沃ではない。
・若手土壌:火山灰や砂礫などの新しい物質からできた土。火山活動の盛んな地域に見られる。
・永久凍土:一年中凍ったままの土。極地や高山に存在する。
・泥炭土:水分が多く、植物の遺体が堆積した黒い土。寒冷地や湿地に分布する。
・ポドゾル:酸性で養分が少ない白い土。針葉樹林に多く見られる。
・チェルノーゼム:腐植が豊富で肥沃な黒い土。草原地帯に広く分布する。
・粘土集積土壌:粘土が下層に集積した赤や黄色の土。乾燥地域に多い。
・ひび割れ粘土質土壌:乾燥するとひび割れる粘土質の土。熱帯や亜熱帯の乾燥地域に分布する。
・砂漠土:砂や礫が主な成分の土。乾燥地域に広がる。
・強風化赤黄色土:鉄やアルミニウムが風化してできた赤や黄色の土。熱帯や亜熱帯の湿潤地域に分布する。
・オキシソル:鉄やアルミニウムが酸化してできた赤い土。熱帯雨林に多い。
・黒ぼく土:腐植が豊富で肥沃な黒い土。熱帯や亜熱帯の湿潤地域に分布する。
****************************************************
それぞれの土壌について、本の中に出ていた説明を加えてゆくと、
未熟土は、岩石が風化した土というとおり、すべての土の始まりである。岩の上にわずかばかりの厚さで存在する土壌である。
それらは風や雨に侵食されて流されてゆく。「しんしょく」を漢字で書くと「侵食」であるが、よく間違うのは「浸食」である。僕もきっと「浸食」だと思っていた。
侵食された土壌は山を下って平野部へ堆積してゆく。古い遺跡が土の中に埋まっているのはこの現象が原因である。
山の斜面などに堆積している落ち葉や根を含む腐植層の下に存在する褐色の粘土質の土壌が若手土壌だ。日本では褐色森林土と呼ぶ。
永久凍土はAIの説明では一年中凍ったままということになっているが、学会では「2年以上0℃以下」という基準を満たせば永久凍土と名乗ってもよいということになっているらしく、夏の間、少し地面を掘れば氷が出てくるような土壌も永久凍土と呼ばれている。こんな場所でも、凍土の上には地衣類やコケが生えている。
泥炭土は北半球では永久凍土の地域から少し南に下ったところにある。アラスカの川の水が茶色いのはこの土の成分が川の水に溶けだしているからだ。また、ウイスキーの醸造に使われる大麦を燻すのもこの土を乾燥させたもので、醸造に使う水も泥炭の成分が溶けだした茶色い水が使われるそうだ。「ウイスキーづくりに最適な水はウイスキーと同じ茶色をしている」とも言われているそうだ。イギリスのアフタヌーンティーの習慣も泥炭土から生み出される水の味が不味いから生まれた文化なのだそうである。
ポトゾルは、ロシア語で「灰のような土」という意味である。針葉樹林の根や微生物が放出する有機酸によって粘土のアルミニウムや鉄成分が溶けだして砂だけが残った砂質土壌である。アルカリ成分が溶けだしてしまっているので酸性の土壌になり、農業には適さない。土壌の中では層をなして白い部分が見えるのでそのコントラストは美しくも見える。
チェルノーゼムは黒土とも呼ばれ、最も有名な地域はロシア南部からウクライナ地域だろう。アメリカのプレーリーや、アルゼンチンのパンパもチェルノーゼムだそうだ。
これらの地域は、そこよりも西にある地域から風に乗ってやってくる土砂が堆積し、草原由来の腐植と混ざり合って肥沃な土壌を作る。表土は酸性でもアルカリ性でもなく中性なのだ。基本的に土壌は雨が多ければ酸性に、少なければアルカリ性に振れるものだが、中性の土壌というのは世界的にもまれな土壌なのだそうである。
この土壌が肥沃になる大きな要因は、ミミズとジリスやプレーリードッグといった小動物たちらしい。彼らが低温で乾期があるため、分解しきらない腐植をかき混ぜることで深くまで腐植のある肥沃な土壌ができあがる。
粘土集積土壌はチェルノーゼム地域から北に移動した雨が多い湿潤な気候の地域に現れてくる。カエデやポプラなどの樹木が生い茂る森の下にあり、その場所の土壌は雨が多いせいで酸性に傾いている。地表の粘土粒子は雨によって下層に流され砂の多い表土と粘土の多い下層土の二層構造をしている。下層の土は肥沃なので樹木を伐採し、耕して混ぜ込んでしまうと肥沃な農地に姿を変える。
粘土集積土は熱帯や亜熱帯にもあり、アカシアやバオバブの木が点在するサファリパークの世界の土壌もこれである。
高校の地理の時間に習った、「テラロッサ」もこの土壌に分類される。懐かしい・・。
ひび割れ粘土質土壌はかつて湖の底であったような場所に現れる。土中の粘土質の割合は60%もあり、水や養分を多く保持している。肥料やスプリンクラーのコストが少なくて済む、肥沃で農業効率のよい土壌である。
日本の水田の土もこの土壌に分類される。
この、日本の水田の土だが、かなりよくできているらしい。田んぼは雨が多い地域に多いので土壌は酸性だ。それが、灌漑水を入れることでカルシウムなどの栄養分が補給されることで粘土にくっ付いていた酸性物質が中和され中性になる。水を張った土の中は還元的(嫌気的、ドブ臭くなるなる状態)になり鉄さび粘土が水に溶ける。すると鉄さび粘土に拘束されていたリン酸イオンが解放され植物の養分として利用可能になる。日本の土壌が抱える、酸性と養分不足という問題が一気に解消されるのである。加えて、水を張ったり抜いたりすることで病原菌の繁殖も防いでいる。畑と違い、田んぼはあまり手が掛からないというのもこういう理由があるからなのかと納得した。
砂漠土の定義は、1年のうち9ヶ月以上土が乾き、植物がほとんど育たない乾燥地の土で、こういった乾燥地の土をひとまとめにしている。こういった地域の地下水は塩分が多く、毛細管現象で上昇してきた地下水が蒸発して塩分だけが残るので、舐めてみると塩辛いことが多いそうだ。
強風化赤黄色土はAIがまとめている通りだが、表面は背丈のある大きな樹木で覆われているので肥沃な土壌だと思ってしまうが、巨大な樹木は大量の養分を吸収する。その際に多量の酸(水素イオン)を放出するそうなのだが、その酸は岩も溶かし、深くまで風化した土壌が残るだけとなる。
オキシソルは強風化赤黄色土がさらに風化した土壌だ。熱帯雨林の伐採が進むとこの土壌が増えてくるというのが定説だそうだが、著者の見解では平らな平原に限りこの土壌が生まれ、その他の場所にはほとんど見られなかったということであった。
黒ぼく土は、日本でよく見かける土だ。特に関東以北に多い。腐植の含有量はチェルノーゼムよりも多く、10倍もある。日本の気候だと腐植はどんどん分解されてしまうはずだが、粘土の種類がアフェロンという言われるものが多く、この粘土は反応性が高く、腐植と強く結合することで数千年もの間保存されることになったという。一見肥沃な土壌に見えるが、アロフェンは植物の必須栄養分であるリン酸イオンも吸着し植物にいきわたらせなくしてしまう。それが原因で酸性となり肥沃とはいえない土壌である。ソバは根から有機酸(シュウ酸)を放出してアルミニウムや鉄と結合したリン酸を溶かし出し、吸収することができるので東北地方に行くとソバが名物になっているのである。現在では通気性のよいふかふかの土壌を生かして高原野菜やジャガイモ、サツマイモなどが栽培されている。
この土の黒さは炭素の二重結合が原因である。炭素がこうなると植物は分解できないので最後まで残り、黒さが引き立ってくるということになる。

う~ん、たかが土といっても奥が深い。そもそものことだが、腐った植物が混ざっていないと土とは呼ばれないのだということはこの本を読んで初めて知った。そして、その腐植はただ単に砂や泥の中に混ざっているのではなく、電気的な結びつきや吸着力によって強固に結びついているらしい。粘土はマイナスの電気を帯びていてプラスの電気を持った金属イオン(カリウムやカルシウムイオン)や有機酸を引き寄せる。だから、黒ぼく土のようにたくさんの栄養を蓄えていても植物には栄養がいきわたりにくい土もある。

こういうことを知ると日ごろ見ている土の見方が変わってくる。いつも野菜を持たせてくれる叔父さんの家の畑はほとんどが砂でできている。この辺りは昔、紀ノ川の河口だったと言われている場所で、紀ノ川が運んだ砂の畑なのである。人間が畑を作る前はきっと養分がほとんどない未熟土だったに違いない。それに手を加えて様々な有機物を加えながら畑の土に作り替えてきたのだろうと思うと、先人の努力には脱帽するしかない。最近はどんどん住宅地に作り替えられてしまっているが、それはきっと土と先人に対する冒とくと言わざるを得ない。もったいない話だ。
僕の家の庭の土は堅く締まった赤土だ。去年、そのままミントを植えたら全然うまく育たなかった。きっと粘土集積土の下の方、山の方でよく見る斜面を切り落としたところに見える土だろう。この本を読んでみるとうまく育たなかった理由がよくわかる。今年はその轍を踏まぬよう、まあ、実験的であるが、この前採ってきたワカメのクズを鋤き込み、焚火の灰を撒いてみた。腐植を加え、酸性を中和しようという考えだ。まったくの素人がやることなので本当に効果があるかというのはまったくわからないが、さらに山に行って腐葉土を取ってきて柔らかさを与えてやろうとも思っている。

著者が探している、100億人を養うことができる土は果たして見つかったのか・・?
目下のところ、そのヒントは土の謎とともに土壌の奥深くに埋もれたままだそうだ。
確かに、そんな土の謎が簡単に見つかっていれば、肥沃な土地を奪い合うような戦争も起こりはしない。土壌のプロの前途は多難のようである・・。

中途半端にウケを狙った文章にはあまり好感を持てなかったが取り扱っているテーマにはものすごく興味を持てた。

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「そっとページをめくる 読むことと考えること」読了

2024年02月19日 | 2024読書
野矢茂樹 「そっとページをめくる 読むことと考えること」読了

タイトルが気に入って借りてみたが、この本がどんな内容なのかはまったく知らずに借りた。小説なのか、エッセイなのかもまったくわからなかった。たまにはこういった本の選び方もいいのではないかと思った。

選んだ本は著者が書いた書評を集めたものであった。著者は哲学者だが2017年4月から2019年3月まで朝日新聞で書評を書いていたそうだ。僕も毎週土曜日の書評欄は必ず読んでいるので知らず知らずのうちに読んでいたはずだ。書評に関心があっても、それを書いた人にはそれほど関心を持っていなかった。申し訳ない・・。しかし、それほど純粋に書籍について主観を交えずに書かれていたということだから関心を持たれていないということはある意味書評を書いた人にとっては名誉なことなのかもしれない。
朝日新聞での書評の書き方というのは、まず、担当の記者たちが選んだ100冊ほどの本の中から自分が読んでみたい本を選ぶ。それらを読んでみて書評するかどうかを決める。朝日新聞の書評は400字、800字、1100字の3種類があるらしく、この本は何字で書評しようかと自分で決める。持って帰っても書評しなかった本を別の人が書評したりすることもあるらしい。

たくさんの本の書評が集まった本の感想文というのはどう書いていいのかわからない。取り上げられている本の感想を書くというのもそれを読んでいないのだから無理な話だし、著者の書評のしかたを書評するというのもなんだか変な感じがする。
書評というのはその本の内容を正確に読者に伝えるというのがその使命だが、僕の感想文は特にその本の内容を正確に書き残しているわけでもなく、その本の核心であろうがなかろうが自分の価値観に合っているなと思う部分だけを取り出して書いているだけだから書評の書き方が参考になるというものでもない。
“はじめに”の部分で、『自分と同じ考えが書かれてあるとその本はいい本だとほめて、自分と違う考えが書かれているとこの本はだめだとけなす人』がいると書かれているがそれはまさに僕のことだ。著者はそういう読み方というのはつまらないという。『一度読んだだけではよくわからないというのはチャンスであり、二度、三度と読んでみて本の中に潜っていって、聞こえてくる声に耳を澄ます。』というのが本を読む醍醐味だというのだ。
確かにそう思う時は多々ある。この本、もう一度読んだらもっと内容がよくわかるのにと思うものの、残りの人生、そんなにたくさんの本を読めるわけでもなくとにかくたくさん読みたいと思う気持ち勝ってしまう。不可逆的人生のなかではその本の解釈が正しかろうが間違っていようが残念ながら大したことではない。だからやっぱり今までと変わらないスタイルで本を読み続けるのだと思う。

著者が哲学者だと感じるのは、「子供の難問」という本を取り上げているということだ。書評というよりも読み込んで解説しているという感じであったが、子供の質問のうち、「ぼくはいつ大人になるの?」という文章と、「好きになるってどんなこと?」という文章だ。
その答えは自分自身の存在意義というものにつながる回答のように思えた。あえてこの本を取り上げたというのは哲学者ならではの感覚である。
子供の疑問とはいえ、その回答はう~んとうなされるものであったので簡単にまとめておこうと思う。

「ぼくはいつ大人になるの?」という質問に対しては、『かけがえのないものがあるのだということを知ることである。』と答える。さらに、『そのかけがえのない何かを失い、諦めること』で切なさや懐かしさという感情が生じるのだという。
それが大人になるということらしい。
そういえば、僕にはかけがえのないものなど何ひとつないな~。と、この部分を読みながら思っていたのである。

「好きになるってどんなこと?」に対する答えは、『新しい世界に踏み出すこと。』であると答える。好きな人やものができると、それに対してもっと知りたいと思う。それが新しい世界に踏みだすことだというのだが、ここはなるほどとわかる。じゃあ、「好き」の反対の「嫌い」はどうだろう。あるものを嫌いと思うためには嫌いなところを探さなければならない。と、いうことは嫌いなところを探すために関心を持たねばならない。それはすなわち「新しい世界に踏み出している。」ということになる。ならば、本当に嫌いになるためには「無関心でいなければならない。」という。そのものを自分にとって意味も価値もない状態に据えるのである。なるほどとは思うのだが、これは結構難しそうだ。ある意味修業が必要ではないのかとも思えてくる。
最後に、この回答をした哲学者は、「自分を愛さなくては、人を愛することはできないが、人を愛さなければ、自分を愛することはできない。」と語る。エヴァンゲリオンの中で綾波レイが語る言葉と同じだが、庵野秀明もこの本を読んでいたのだろうか・・。

せっかくの書評集なので、その文章を読んで、僕も読んでみたいと思った本を記録しておく。
「大人のための社会学」 井手 英策 宇野 重規 坂井 豊貴 松沢 裕作
「新しい分かり方」佐藤雅彦
「新哲学対話」飯田隆
「思考としてのlandscape地上学への誘い」石川初
「タコの心身問題」ピーター・ゴドフリー・スミス
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