イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「佐治敬三と開高健 最強のふたり」読了

2017年02月26日 | 2017読書
北 康利 「佐治敬三と開高健 最強のふたり」読了

著者があとがきで書いているとおり、この本は元は佐治敬三伝として書き始められたが、調べれば調べるほど師の姿が合わせ鏡のように浮かび上がってきたことで師の物語が書き加えられることになったということだ。

師について書かれている部分は前に読んだ、「大阪で生まれた開高健」「壽屋 コピーライター 開高健」とそれほど変わらないが、この本は、“断絶”という言葉をふたりの共通のキーワードとして物語を進めていく。
ここでいう断絶とは、過去を捨てて新しい世界、市場に向かってゆくことを言っている。「失敗の真実」でも書かれていたが、組織が生き残るためには変革である。イノベーションである。それを断絶という言葉で表している。そのエネルギー、さすが、就職したい企業トップの常連というのも納得できる。(僕みたいな人間は逆立ちしてもこの会社では長続きしないだろう。)
サントリーはまず、ワイン(赤玉ポートワインというやつ)で頭角を現し、その後ウイスキーを主力商品に転向し、ビール市場に打って出た。事業が好調なときにあえて新しい事業に挑んできたというのが佐治敬三とその父親である鳥井信治郎の断絶の歴史である。
師の断絶はベトナム戦争の視察であった。確かにこの前後で師の小説のイメージは素人が読んでもまったく異なったものになっているように思う。いわゆる、遠心力の表現から求心力で書くと言われた変化だ。

ふたりは人生の折々の場面で影響を及ぼしあってきたというのがこの本の趣旨であるが、そこが具体的に書かれていないのが残念だ。
多分、実業家の決断は時として孤独の中でおこなわれるそうするとどんな影響を師からうけたか、師についても、はやり小説はひとりで書かれるもの。どこにそれを求めてゆくというのはかなり難しいことであったようで、ふたりの物語が独立して綴られていってしまっている。そこはなんだか別の本を読んでいるような感覚になる。
本当のところは、深い友情というものはお互い何も言わなくてもわかり合えるというものなのではないだろうか。そして無理に干渉しあわないということも必要であったはずである。だから、表立ってはふたりの人生にビジネス書に書けるような事実として残る接点もなかったのだろう。

師がよく訪れたバーの指定席には今でも「Noblesse Oblige」という言葉が刻まれたプレートが貼り付けられているそうだ。「位高きものは責重し。」という意味だ。多分、好きな言葉というより、そういう気構えが欲しいと自分に言い聞かせるための言葉であったと思うが、僕はずっと違和感を感じていた。小説家というのはもともとそんな秩序や役割を超えた存在であるはずなのに自分に責を負わせるというのはどういうことだろうと。あえて言うなら、ベトナムで人の死をまざまざと見てしまった人間としてはそれをどんな意味であれ、世間に伝えなければならないという責であったと思っていたけれども、もうひとつ、多忙を極め、多分自分というものをどこかに追いやらねばならない立場にある佐治敬三に対して贈る励ましの言葉ではなかったのかと考えられるようになった。

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「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」読了

2017年02月23日 | 2017読書
戸部 良一、寺本 義也、鎌田 伸一、杉之尾 孝生、村井 友秀、野中 郁次郎 「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」読了

太平洋戦争で日本軍がどうして敗北したのかを軍事力の面ではなく、組織論を中心として分析した内容だ。

その要因の主なものは陸軍と海軍の戦略思想の齟齬、参謀本部と前線の意思疎通の無さと日清、日露戦争時代の成功体験を引きずり、敵戦力の変化に対して自ら変化をすることができなかったというものだ。
アメリカ軍との比較される違いをいくつか挙げると、その組織構成の部分では、人員の任命について日本軍は陸、海軍大学や士官学校での席次で序列が決まり、昇進についても年功序列が普通であり、敗戦の将であっても責任を問われることは少なく、逆に名誉挽回の機会を請い、そのまま認められるというような状況であったのに対し、アメリカ軍では抜擢人事や参謀クラスでもジョブローテーションがおこなわれ、敗戦の責任は厳しく問われていた。
人的配置については、日本軍は常勤が当たり前であったのに対し、たとえば海軍では艦上勤務、地上勤務、休暇とローテーションを組んでおり、ガダルカナル戦では後方でテニスをしながら休暇を楽しんでいた将兵を見た日本軍側はびっくりしたそうだ。米軍はそれだけ余裕をもって将兵のモチベーションを高めていた。
というようなものであった。
戦力配備の部分では米軍は真珠湾の戦闘の教訓から、艦隊戦中心の戦闘形態を空母を中心にした空中戦形態に変更したが日本軍はソ連軍との日本海海戦の成功体験から抜け出すことができなかった。陸戦もそうで、すでに世界は戦車戦となっていたが気合で乗り切る白兵戦が基本戦術であった。装備も驚くことに、明治40年代に制定されてからは更新されずにいたらしい。
日本軍は情緒主義、アメリカ軍は成果主義と人にやさしい組織と言ったところだろうか。

このような日本軍側の組織構造というものは勝っているとき、成長期には絶大な威力を発揮するが、いざ、負けが込んできたり停滞時期を迎えると激変する環境に対応できなくなる。この本には、「組織が進化するためには新しい情報を知識に組織化しなければならない。つまり、進化する組織は学習する組織でなければならないのである。組織は環境との相互作用を通じて、生存に必要な知識を選択淘汰し、それらを蓄積する。」と説明されているが、これが日本軍にはできなかった。
また、このような痕跡は日本政府の官僚機構に色濃く残り、逆に戦後、財閥の解体を経験した一般企業ではそれを克服したと書かれてはいるが、この本が書かれたのは1984年、まだバブル経済の絶頂期を迎える直前だ。まさに連戦連勝の時代で、著者たちにもその後のバブル崩壊を想像することはできなかったのであろう。バブル後、リーマンショック、ひょっとしたら東日本の大地震もそうであったかもしれないが、まさしく著者たちが分析したとおりになってしまった。

この本は小池百合子東京都知事が座右の書としているというので読んでみたのだが、実は日本企業にも旧日本軍の組織構造を根強く引き継いでおり、急激な環境変化に大多数の企業が対応できなかったということを図らずも証明してしまった。
近々でもシャープや東芝というような巨大企業があっけなくも崩壊してしまった要因もおなじようなことに言及されそうだ。

組織が進化、永続してゆくための方法というのは、ビジネス書によく書かれている経営戦略論に見られるような、外部環境の分析、SWOTと呼ばれるような自社の強みと弱みの分析から戦略を導き出す。それを効率的に運用する組織作りとイノベーションが必要であるというものであった。
おそらくシャープは自社の液晶技術を過信してサムスンにしてやられ、東芝は世界が反原発に動いている中で、東日本大震災は想定外ではあったものの、俺たちのやっていることに間違いはないと錯覚をしてしまったのだろう。そしてそれが間違っていることに気付いた人がいたとしても、それを意見できないような会社の雰囲気と硬直した組織構造が出来上がってしまっていたのに違いない。

インパール作戦の立案の際、ある参謀は兵站確保に関して、「われらが空に3発銃を発したら敵はすぐに降参するからそこから兵站を確保すればよい。」と言ったそうだ。ウチの会社でもそうだが、上の人の言うことにおいそれと意見具申を言うことは恐ろしい。(僕だけが持っている印象かもしれないが・・・。)そうやってなんだかそうしなければならないというような、“空気”みたいなものが生まれてくるというのは今の時代もこの時代も変わっていないようである。特に負け組みに属するような企業ではそんな伝統をずっと守り続けているに違いない。


「組織の行為と成果にギャップがあった場合には既存の知識を疑い、新たな知識を獲得する側面があることを忘れてはならない。既知の知識を捨てること、つまり自己否定的学習が必要である。」ということも著者たちが導き出した教訓である。
“自己否定”・・・いまさら自分を否定して新しい知識を獲得することはできるだろうか。
無理だ。絶対無理だ。大好きな魚釣りでさえ変革を望まずに愚直に今までの釣り方を守ることしかできないのだ。会社で自己否定して新しいことを提案して実行するなんてことは絶対に無理だ。ビジネスの成功事例なんかで、よく、周りから、絶対に成功しないから止めておけ。と言われながらやり続けたことが成功をもたらしたというようなものが出てくるが、たとえ新しいことを提案できたとしても、止めておけと反対されたらすぐに手を下してしまう。
それが現実だ。やっぱり戦場では地面に深く顔を埋めて攻撃が治まるのを待つのにかぎるのだ。そして船上では今まで使ってきた仕掛けを使い続けるのが確率的には一番いい。会社ではなんとか逃げ切れる方法を考える。釣れなければさっさと帰る。というのがいまのところの僕の最強の戦略だ。


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帝国軍はなぜ・・・。

2017年02月17日 | Weblog
昨日、どうして帝国軍はあの海域にいなかったのか、原因がわかった。

僕のCIA並みの情報網がその理由を察知した。というのはまったくの嘘で、前の職場の先輩のお父さんが帝国軍の老戦士で、この先輩に教えてもらった。
この時期、毎年、一泊二日で慰安旅行に行くらしい。今年は昨日と今日だったそうだ。
魚の釣れない潮の日を選んで日程を決めるということだった。僕の感覚では昨日はかなり釣れそうな潮だと思ったもののプロの眼からするとダメな日に見えるらしい。

昨日の無様な玉砕はなかなか言い訳を作るには難しいと思ったが、帝国軍も動かない日であったということを言い訳にしておこう・・・。

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加太沖釣行

2017年02月16日 | 2017釣り
場所:加太沖
条件:中潮 3:07干潮 9:24満潮
潮流:6:55転流 10:30 上り2.1ノット最強
釣果:ボウズ

今日のこの天気と潮廻りを見て釣りに行かないと思う方がおかしい。
もう、大漁の妄想だけが膨らみ、久々に暗いうちから家を出た。日の出過ぎにポイントへ到着。



それから午前10時30分までまったくアタリがない・・・。アジの到来に備えてチョクリとの二刀流で挑んだものの何の効果もなかった。
どんどん妄想が萎みキラキラした水面を見ていると睡魔が襲ってくる。



こんなに天気がいいのにまったくダメな1日だった。



そういえば、今日は帝国軍の艦船を一隻も見なかった。何かの儀式のある日なのかもしれないが、傭兵を乗せた船さえも見なかった。
それとも今日は釣れない日だということを奴らは知っていたのだろうか・・・。恐るべし帝国軍・・・。



記録:


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オイル交換

2017年02月13日 | Weblog
今日も冬型の気圧配置で船を出すことができない。そしてものすごく寒い。
もう少し先で作業をしようと思っていたがエンジンオイルの交換をやってみた。
今年はエレメントの交換もあるので面倒くさいと思っていたが、だんだん手馴れてきれ1時間余りですべての作業を終えることができた。



20リットルのオイル缶や漏斗、廃油を入れるタンクなんかを原チャリの積み込むとこんなに大荷物になる。こんな状態で道路を走っていると、こいつは一体何をする人間なのだろうと思われているのではないだろうか・・。別に恥ずかしいとも思わなくなってしまったが・・。



今朝、オイルのストックを確かめてみると残りはあとわずか。いつも購入している和歌浦の県漁連の事務所に電話を入れてみると幸運にも今日は居てくれた。(この事務所の担当さんは最近忙しいらしく和歌浦の事務所にやってくるのはたまにしかないのだ。)今日もあと1時間で県漁連の本事務所に戻るとのこと。ぎりぎりのタイミングでオイルを購入することができた。このオイル、3年前には6,400円(税抜き)だったのが今日は5,400円(税抜き)、約15%の値下がりだ。世の中はなんとかインフレに誘導しようとしているが、僕にはありがたいデフレ傾向だ。エンジンオイルも原油価格に左右されるらしく、3年前に比べると原油価格が下がってオイルの値段も下がったいるようだ。今度の購入予定は平成32年、その頃はいくらで買えるだろうか。その前に元号が変わって、OO二年になっていることだろう。

そしてもうひとつ、ワカメ採り用の竹竿を切り出しにも行ってきた。いつも港のそばの防風林の竹やぶで切り出すのだが、周りの景色がどんどん変わってきた。もともと雑木林であったのが、NPOだかなんだかわからないが松の植林を始めている。県からの補助金も出ているらしい。おかげで竹やぶが小さくなり手ごろな竹を探すのが難儀だ。



ゴミの不法投棄や近隣の住民の不法占有があったうえでの整備なのだろうが、これに何の意味があるのだろう。ここはかつて白砂青松の風光明媚なところであったが今は砂浜はすべて埋め立てられ見る影もなく、方眼の目に植えられている松の木は自然感がまったくない。僕の叔父さんはこの場所のすぐそばに住んでいるが、大きな木を切り倒してしまったので風で砂が舞い家の中まで入って来るそうだ。

 

元々いろいろな木が植わっていた雑木林を切り倒して単一の林にしてしまうのは自然保護なのだろうか。この場所をきれいにしたいのならゴミ掃除だけやったらあとは自然がきれいに復活させてくれるのではないだろうか。


港のスロープにはアオサがびっしりと生えている。食べられるのかどうかは知らないが、春はもうすぐだ。

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「ナチュラリスト志願 (Kaiko Ken’s naturalist books)」読了

2017年02月13日 | 2017読書
ジェラルド・ダレル、リー・ダレル/著 日高 敏隆、今泉 みね子/訳 「ナチュラリスト志願 (Kaiko Ken’s naturalist books)」読了


ナチュラリスト(naturalist)という言葉を日本語に訳すると“博物学者”となるらしい。
この本は志願と書かれているが、どうしたら博物学者になれるか、博物学者とはどうあるべきか、というようなことが書かれているわけではない。
いままで著者が調査したであろういろいろな地域のいろいろな環境で見られる植物、生物を紹介しているだけだ。

監修が師であるということで読み始めてみたのだが、著者が外国人だと当然ながら外国の自然環境について書かれているのでなじみがわかない。おまけにたくさんの動物の名前が出てくるのでよくわからない。お金を出して買っているとそれでもなんとか読みきろうと思うのだが図書館で借りた本だと途中で読むのを止めて返却してしまえばいいじゃないかとなってくる。
しかし、そこを我慢して読んでいるとなんとなく面白みが沸いてきた。どんな形をしている生物なのかはわからないが書かれている奇妙とも驚きともとれる習性や行動を想像するだけで世の中には知らないものが山ほどあるということに気づかされる。
これほど複雑で多様な世界なら絶対に人工知能なんかには支配されることはないという確信さえ持てる。

これでも小さい頃は昆虫や水の中に棲んでいる生物が大好きで、いろいろなものを捕ってきては飼いきれずに死なせてしまい玄関の土間が腐臭であふれていることも多かった。ろくに観察もしないのでナチュラリストというのには程遠く、歳を取るごとにそういう興味もなくなった。と、いうか、身長が伸びると目と地面との距離が遠くなると虫を見つけるのが困難になってくるのではないだろうかと思うほどそういうものを見つけられなくなった。
最近はそれに老眼が追加された。小さいものがどんどん見えなくなってしまった。

気持ちの上でもそうで、山や川、海に出かけるのはいまでも大好きだが、そこで植物や生物を見ても、頭の中の分類基準の第一が、食べられるか食べられないかとなってしまっていてはナチュラリストどころではない。生物の詳細を観察するのではなく、美味いか不味いか、どんな調理法で食えるのか。そこだけしか考えない。

僕の勤務先、事務所の前の人気の少ないエレベーターホールにはいろいろな人がやって来る。僕たちが地縛霊とあだ名する爺さんは朝から晩までたったひとりでこのソファーにずっと座り続けている。(いつも居るから地縛霊・・)ひたすら何もせずずっと座っている。たまにスポーツ新聞を読んでいることがあるが・・・。僕より皆勤だ。また、お昼時になるとやってきてスマホを見ながらひたすら足踏みをしている定年間近のオッサン。どうもポケモンGOでモンスターを捕まえるために足踏みをして距離をかせいでいるらしい。毎日お昼ごはんを食べにくる主婦と思しきオバさん。週末にやってきて5時間くらいイチャイチャしているバカップル。
この人たちにはまず自然に親しむという愉しみはないだろう。僕も人に言えるほどのものではないがこの人たちよりもマシだと思うし、歳をとってもこんな場所で人生のほとんどを過ごさなければならいような人間にはなりたくはないものだと事務所扉を開けるたびに思うのだ。





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「うおつか流清貧の食卓」読了

2017年02月05日 | 2017読書
魚柄仁之助 「うおつか流清貧の食卓」読了

ずっと前にこの人の書いた本を読んだことがあって、また手ごろな値段で見つけたので買ってみた。変わった名前だったのでなんとなく記憶があった。

前の本は料理の簡単なアイデアが主な内容でやたらと豆や出汁をとるための乾物が出てきたのだけは覚えている。著者は出汁をとるのを重視しているらしく、それをどうしたら簡単にだしを取ることができるかと面白く書いていた。
プルーンという果物は甘味料に使うといいということが書かれていたので僕も早速無印良品で買ったのを覚えている。(結局誰も食べずに腐らせてしまったが・・・)

そしてどうやらこの本はその続編として書かれたものらしい。前のような1ヶ月の食費を9,000円でまかなえるみたいな面白いアイデアが掲載されているのかと本も中身を確かめることなく買ってみたが今度はそういうアイデアがいかに健康にも良いかという内容だった。著者がこの2冊で言いたいのは自分のアイデアは節約ができて、しかも健康にもすばらしくいいのだということだったそうだ。

なるほど今回の本には現在の日本人がいかに農薬や添加物にまみれた食材を食べ、脂肪分や合成の旨み成分によって味覚を損なわれているかということをデータは掲載されていないがとつとつと語っている。
そして、自分はそれに対してこれほどすばらしい考えのもとに素材の旨みを生かし、しかも読者にはまねのできないかもしれない徹底ぶりで実践しているのだと自慢っぽく書いているのだが、なるほど、そうらしいというのはわかるが、そんなに自分を自慢してくれると読んでいるこっちがなんだかしらけてくる。そこが残念だ。
まあ、今の日本で手に入る食材でそんなに毒の入っているものはないのではないだろうか。僕がいつも野菜をもらってくる叔父さんの家でも普通に農薬を使っているが、そこのおばあさんは91歳の大往生だった。人間が長生きできるかどうかというのは極端な人は別として、持って生まれたものなのではないだろうか。それか因果というものだと思う。

解説を書いている人も含めてなんだか自分の自慢と宣伝のために書いているような本であった。
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加太沖釣行

2017年02月03日 | 2017釣り
場所:加太沖
条件:小潮 10:34満潮
潮流:8:35転流 12:00 上り1.9ノット最強
釣果:真鯛 1匹

今日はちょっと風が強そうだが潮は僕が好きな上り潮だ。小潮で潮も緩いけれどもとりあえず出港だ。
早朝は潮が止まるので朝はゆっくり出発。毎日会社に出勤する時刻だ。港までの道中も世間の人々は会社や学校に行く時刻。釣竿とクーラーを担いで遊びに行くというのは後ろめたさと優越感が同居する。

今日は田倉崎の西に船団ができいる。潮が緩い間はまた沖ノ島の南でやろうと思っていたが僕もこの船団に混じって釣りを開始することにした。



最初のアタリは釣りを開始して間もなくだった。相当食い込んで鉤掛かりしたかと思ったが今回もバラシ。今日も嫌な予感だ。加太の神様はまだお怒りなのだろうか・・。
それから1時間後、午前10頃またアタリが出始めた。しかしなかなか食い上がってこない。ちょっと咥えてすぐ放してしまうか、ビニールの先っちょをかじって引きちぎっていってしまうかだ。
そしてやっとしっかり食い込んだ。前回の状況を鑑みて今日はちょっと柔らかめの竿で挑んでいたがちょっとは効果があったようだ。神様には祝福はされていなくても、「もう来るな!」とは思われていないようで、そこはうれしい。

慎重に、慎重に巻き上げなんとかタモ入れに成功。
ボウズがなくなってホッとしたが、こんなにヒヤヒヤしながら釣りをするというのも考え物だ。どうもスッキリ感がないのだ。

その後は再び沈黙の時間が続く。少し船団から離れて釣りをしたあと、再び船団に合流するとまたアタリがあった。やはり郷に入っては郷に従えだろうか。ずっとこの周辺で釣りを続けていればよかった。
潮が緩み始める時刻を迎えたので今日は終了。

今日は赤い毛糸も試してみたがアタリは薄い色のピンクとオレンジばかりだった。少し寒さも緩んで空模様も風が強いのを除けば春めいてきているようだが海はまだ春を迎えていないようだ。




記録:



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「壽屋コピーライター 開高 健」読了

2017年02月01日 | 2017読書
坪松博之 「壽屋コピーライター 開高 健」読了

前回読んだ、「大阪で生まれた開高健」の坪松博之という人のまとめた章の読み応えがあり、その人が書いた本をまた読んでみた。
出版社も同じだから内容がかなり重複しているというのは仕方がない。

師が壽屋(サントリー)でどんな役割を果たし、逆にどんな影響を受けてきたのか、それをサントリーの広告史を合わせて紹介、考察されている。タイトルには、「開高健」と入っているが、半分以上はサントリーとそこで広告に携わった人々の話になっている。

どうしても師や山口瞳だけがクローズアップされてしまうが、この二人も自分の力だけで偉大な作家になったわけではなかったようだ。もちろん作家としての実力は偉大に違いないが、それに磨きをかけたのが宣伝文案(コピー)つくりであり、それを指導した人がいたからであり、また小説の題材をさりげなく提供することになった人もその中にはいたようだ。特に坂根進という人はそうとうな博覧強記のひとであったようで、芥川賞受賞作になった、「裸の大様」のヒントになった題材を提供したのはこの人で、またワイン、グルメ、パイプなど師の世間でのイメージを大きく決定付けたのもこの人であったらしい。
それだけではない、そもそも、サントリーの当時の社長である佐治敬三がいたからこそ師はそこまでの作家になったといわなければならない。
そして師をこの人に引き合わせたのが7歳年上の妻、牧羊子であったわけだが、これらはすべて偶然であったのか、それとも何としてでも小説家になりたいという怨念のようなものがそうさせたのか・・・。
高度経済成長の時代というのはそれほどの勢いがあったということだろうか。

佐治敬三とは社長と社員という間柄であり、かつ言い方はどうかわからないがパトロンでもあったような感じではあるが、お互いの才能を認め合い、はたまた利用し合いながらそれぞれの会社、人間を大きくしていった。
この本を読んではじめて知ったが、師は小説家として有名になってからもかなり長くサントリーの宣伝活動には携わっていたらしい。ただテレビCMに出演するだけではなく、特にビールの販促については相当深く入り込んでいたそうだ。

ユーチューブで当時のCMを見てみたり、トリスを買って飲んでみたりしてその頃に浸ってみたりしたのだが、そのコピーは今のコマーシャルとはまったく違って趣があるというのか、今のこの時代では悲しいかな、売れないな~。という感想であった。知的レベルが低下している今の人々にはきっとこのすばらしさは理解できないだろう。(僕が言えることではないが・・・)
きっとその頃のほうがいい時代であったのだろうと思う。

最後は師と佐治敬三の親交の深さを物語るエピソードで終わっているが、このふたりについて書かれている「最強のふたり」という本がこの本の出版後に出版されている。また、図書館に蔵書されていたらぜひとも読みたくなる内容であった。


しかし、あまりにも安くてきっと美味しくはないのだろうと思って買おうとは思わなかったトリスであるが、意外と美味しい。そこはやはりモルトの比率が少ないのか、ハイボールにするとほぼ香りが無くなってしまう感じだが逆にストレートでいくとそこそこイケる味だ。マッサンではあまりパッとしなかった大将ではあるが、ちゃんといいものを造っているではないか!

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