イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

加太沖釣行

2020年08月07日 | 2020釣り
場所:加太沖
条件:中潮 7:59満潮
潮流:8:48 上り1.1ノット最強 11:30転流
釣果:ボウズ

7月から今日までの釣りを振り返ってみると、魚が釣れたのが3回だけで、竿で魚を釣ったのは1回だけということになった。
ほかの人の情報を聞いてみると釣れないどころか爆釣が続いている。
一体どこに原因があるのか・・。どうしても、テクニックがないことに言及したくないのでいろいろ考えてみた。
ひとつ、これはどうだろう。
春から渡船屋が週に2日休業するようになり、港が閑散とする日が増えた。人がいない日は野鳥の楽園となっている。スズメが水浴びをしていたり、トンビが日向ぼっこをしていたりするのを港に入る通路から見ることがある。僕の船でもやたらとデッキの上で鳥の羽を見るようになった。



多分その主はサギだ。(アオサギという種類のようだ。)



こいつがこの辺を縄張りにしているらしい。

休憩場所になっているのか、獲物が通過するのを待つ狩場になっているのかわからないがオーニングの下から飛び立っていく姿を2回ほど見たことがある。
その殺気が船に残っていて、それが魚にも通じているので僕の船の下を通過する魚がおびえて仕掛けに食いついてこないのだと考えることはできないだろうか・・。
などと思いを巡らせながら、どちらにしても船を出さない限りは魚は釣れない。今日もとりあえず港に向かった。

家を出るころ、かなり風が吹いていた。この季節、台風でも来ない限り、まあ、たいしたことはなかろうと思い港まで行くとけっこう吹いている。船が完全に横を向いている。時折フッと風は止むけれどもこの状態では出港できたとしても着岸は無理だ。
少し待ってみるがいっこうに風は止まない。保険のタチウオを確保するため、夜明け前には船を出したいと思っていたが辺りはだんだん明るくなってきた。これで万事休す。
あきらめて港を後にした。



こんなとき、新しくできた「わかやま〇シェ」がありがたい。午前5時前でもお店が開いている。今日は1キロ150円の冷凍肉団子と10匹入り冷凍エビフライ300円というのを見つけた。クーラーの中は魚ではなく冷凍食品が占拠してしまった。
それから釣具屋を覗き、家の近くにオープンした24時間営業スーパーで買い物をして帰宅。とにかく早朝でも営業している店はありがたい。



しかし、そのころになると風をまったく感じなくなった。予報でも夜明け過ぎに風が治まるとなっていたので友ヶ島の風速の現況を調べてみると一気に風が治まっている。



この時点で午前6時。氷もクーラーにそのまま残しているので港に戻ることを決断。
潮も上り潮なので田倉崎周辺で釣りができるはずだから最短時間で加太まで行ける。午前7時過ぎには田倉崎沖に到着した。



しかし、これはまさしく神様が仕掛けたトラップであった。予定通り田倉崎沖から仕掛けを下したがまったくアタリがない。その後ナカトシタ周辺まで北上してみたけれどもその間にビニールを2回引きちぎられたことと、ビニールにはみ跡が少し残ったことがあっただけであった。



魚はいることはいた。しかし、神様は僕には恵みを与えてはくださらなかった。
上潮が異常に速く1.1ノットとは思えない。その速度に僕の腕が追い付かなかったのだけれども、やはり、アオサギの殺気のせいにしておきたい。


家に帰ると、奥さんが、「今日は何の日か知ってる?」と聞いてくる。「ん?」「今日はお父さんの命日やないの!」
ああ、忘れていた。確かに今日は父親の命日だった。お墓のあるお寺は図書館から信号に引っ掛かることなくバイクで2分ほどしかかかからないところにある。最低2週間に1回は図書館に行くくせに墓参りなんて正月からこっち行ったことがない。
あわてて墓参りに出かけたわけなのだが、いっこうに墓参りにも来ないことに業を煮やした父親が今日のトラップを仕掛けたのかもしれない・・。




まったく魚が釣れない理由は別のところにあるということは薄々僕自身が感づいている。しかし、それを認めてしまえばこれから先、ずっと魚が釣れないような気がする。だから、わざとそれには気付かずにいとこうと思うのだ・・。実はそれがこのボウズスパイラルの原因なのだ。


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「外道クライマー」読了

2020年08月05日 | 2020読書
宮城公博 「外道クライマー」読了

2012年7月15日、那智の滝に登ろうとした登山家たちが逮捕されるという事件が起きた。
その時の記事の内容がネットに残っていたのでブログのいちばん最後に転記することにして、著者はそのグループのひとりである。

逮捕から4年後の出版になっているが、その時の心情とその後の国内、海外での登攀の記録が書かれている。
著者についてどんな人なのかということを書くと、クライミング界では異色ではありながらかなりの有名人であるらしい。
世界最高峰というような一般人にはよくわかる登山ではなくキャニオニングという分野で活躍しているそうだ。キャニオニングとは文字のとおり、沢すじを遡行する登山のことだ。彼らは自分たちのことを「沢や」と呼ぶそうだ。僕も少しだけ渓流釣りをしていたが、川には両岸が崖になっているゴルジュという場所がある。釣り人はそこで引き返すか、泳いでそこを通り抜けるか、高巻きといっていったん川から離れてやぶの中を迂回して蒸留を目指す。ちなみに僕はすぐに引き返す。そういうところや滝を登るのがキャニオニングという。
そして、このひとは、角幡唯介の本に出てくるのだが自らを「セクシー登山部の舐め太郎」と名乗っている(いた?)らしい。確かにそのブログは残っていて、雪景色のなかで全裸で滝登りをしていたり、なぜだかわからないが、モデルらしき女性が裸で山の中に立っていたり、下着を丸出しにした女性が海岸線を歩いたりしている。元々が映像作品を作るために始めたのが登山だったということで、著者にとってはこういうことも自己表現のひとつであったのかもしれない。
ふざけているように思うが、その実力は相当なものらしく、日本の有力な登山家の中でも一目置かれていて、あるひとの評価では、「昔の素浪人ような男だ」ということになる。今のところは仕官先はないものの、いつでも仕官できるように刀と腕を研ぎ澄ましているような人という意味らしい。登山界では、『一番偉いのは冬期登山、2番目が普通の岩登り、3番目が沢登りでだれでもできるのがハイキング』と言われているらしいのだが、その3番目に命をかけているというのも異色の所以のひとつである。

そんなひとがどうして神域である那智の滝を登らねばならなかったか・・。それはただ単に、一段の滝としては落差が日本一、それも1枚岩でできている。そしてなにより、誰も登ったことがない滝であるということが彼らを引き付けたという、ある意味ものすごく純真な動機であったということだ。
普通なら道義的には許されるものではなく、事実、滝を登った3名は会社を辞めることになったりスポンサーから契約を解除されたりして世間から制裁をうけている。
しかし、この本を読んでいると、僕はなせだか同じようにこの人たちを非難できなかった。まあ、非難するような人はこの本を読もうとは思わないだろうが・・。
「そこに山があるから登るのだ。」というのは有名な言葉だが、誰も登ったことにない滝に是が非でも登りたいという衝動が起き、それを実行してしまうというのは、確かに自分の心の思うままに生きているということにほかならない。そういうことができること、やってのけてしまうということにどこかうらやましいという気持ちがあるのだろう。
加えて、彼らが那智の滝に登ろうとしたきっかけが、「ゴルジュ感謝祭」という、池原ダム周辺を舞台にしてキャニオニングの愛好家が集まったイベントの一環であったことが僕の変な共感につながっている。
かつて、アルミボートを車の屋根に積み込んで通いまくったところだ。ダム湖は広大で支流のバックウォーターまでさかのぼると何百メートルあるのかわからないくらいの岸壁を見ることができる。ぼくは登山家ではないので、そこを登ってみようかとか、ボートを降りてこの流れ込みの先まで行ってみようかとは思わなかった(少しだけ、アマゴが釣れるのかなとは思ったことはあったが・・)がその同じ場所に集った人々の行為であったということもその理由のひとつだ。

このイベントの主催者は別にいて、著者に乗せられたとはいえ、所属していた大学のクラブが廃部になるという制裁を受けている。もちろん、著者は、すべての責任は自分にあるのだからそれを大学に説明してお前は罪をかぶるなというのだが、主催者もそれをよしとしなかった。クライマーの絆の強さというのも僕の共感のひとつになっているのかもしれない。

ここからは本題からすこし外れるが、著者はその世間の反応に対して恐ろしさを感じる。それは、そのバッシングの矛先が自分たちだけではなく、その関係先にまで及んでいったという恐ろしさだ。2012年というとインターネットで情報が飛び交うということが当たり前になっているころだ。そういうところから関係先を割り出して攻撃を仕掛けてくる。
いまでいう、自粛警察というところだろうか。彼らの本質は、自分たちがやりたくてもできないことをやった人に対して嫉妬をするということだ。もしくは自分は我慢しているのにそれをしない人に対して怒りををする。彼らは自分の考えを持たず、周りの情報だけを頼りにしている。常に人の考えを気にしなければいられないのだ。
そんな輩に比べたら、犯罪とはいえ、彼らの行動のほうが自らの考えを自らの判断で実行したという意味では人の生き方としては真っ当なのではないだろうか。
この本には、単行本にもかかわらず解説がついている。それを書いたのが角幡唯介なのであるが、彼もこの行為を知った時、「やられた。」と思ったそうだ。そんなことを公の場で語ると大炎上必至なのは明白だから登山家のうちでもそんなことを言った人はいなかったがほぼすべての登山家はそう思ったに違いないと角幡は書いている。登山家にとって「初登攀」という言葉は並々ならぬ魅力があるらしい。
登山に限ったことではないが、趣味の世界、特に自然の世界でおこなう趣味の世界は反社会的なものである。釣りもしかり、事故が起これば人に迷惑をかけるし、ゴミや海底に引っかけて落とす仕掛け。船に乗ると排ガスも出す。それを知りながらだれもそこに目を向けたがらない。それならいっそ、そういうことをすべて飲み込んで自分がやりたいことをその心のままにやってのけられる人がうらやましいと思い、嫉妬する。だからそれをやらずにいられないのだ。
それがこの本の本質であると思うのである。

那智の滝の一件は1章分しか使われておらず、残りはタイのクウェーヤイ川の46日間に及ぶ探検、富山県にある称名滝の上流のゴルジュ地帯、台湾のチャーカンシー川のゴルジュ地帯の走破の記録が書かれている。特にクウェーヤイ川の46日間は素人が読んでもこれは恐ろしく破天荒な冒険だと思うけれども、先のことを考えずにそういうことができる人というのはいちばん幸せな人なのではないかと思うのだ。
釣りでもしかり、人が釣ったからと聞いて釣りに行くというのは愚の骨頂だ。明日は天気が悪くて危ないから釣りに行くのはよそうと思う釣り人は失格だ。それと同じことなのだ。

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新聞記事は以下のとおり。著者は逮捕されたひとのうち、“愛知県春日井市の団体職員”である。

『著名登山家ら3人「那智の滝」に登り逮捕
世界遺産「那智の滝」でロッククライミングをしたとして現行犯逮捕された佐藤裕介容疑者(左端) 和歌山県警新宮署は15日、世界遺産の「那智の滝」でロッククライミングをしたとして、軽犯罪法違反の疑いで、男3人を現行犯逮捕した。新宮署は同日夜までに3人を釈放。今後は任意で事情聴取を続ける。

新宮署が逮捕したのは、アルパインクライマーとして世界的にも著名な佐藤裕介さん(32)=甲府市西高橋町=らで、滝を所有、管理する熊野那智大社は敷地内への立ち入りを禁止していた。
 「なぜ、あなたはエベレストを目指すのか」と問われ、「そこに山があるからだ」と答えたのは英国の登山家、ジョージ・マロリー。
かたや「なぜ、那智の滝を目指したのか」と警察に捕まり、「ごめんなさい」となったのは世界でも名を知られるアルパインクライマーだった。
 和歌山県警新宮署によると、佐藤裕介さんらの逮捕容疑は、15日午前8時半ごろ、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する「那智の滝」(立ち入り禁止区域)に無断で侵入し、滝の岩を登った疑い。
 ほかに逮捕されたのは、東京都国分寺市の会社員(35)と愛知県春日井市の団体職員(28)で、3人とも「那智の滝に登ったことは間違いありません。入っていけないことは知っていたが、日本一の滝に登りたかった」などと容疑を認めている。
 ただ、3人は深く反省もしており、逃亡の恐れもないことなどから、同日夜までに釈放された。新宮署によると、今後は任意で事情聴取を続け、容疑が固まれば書類送検する方針という。
15日早朝に車1台で現地入りした。那智の滝の滝つぼ近くにある「立入禁止」の札がかかった柵を乗り越え、岩の隙間に入れる“カム”と呼ばれる道具を使いながら、滝の約3分の2の高さ約100メートルまで登った。
 この地点で、ちょうど休憩していたヘルメット姿の3人を、熊野那智大社の見回り職員が発見。仰天して宮司の朝日芳英さん(78)に報告し、朝日さんが近所の交番に通報した。
 新宮署によると、すぐにパトカーで警官が駆けつけ、滝つぼ付近から大型拡声器を使い「そこでナニをしているのか!」「ただちに降りなさい!」と呼び掛けたところ、佐藤さんら3人は抵抗することなく、あっさり“投降”した。岩などに傷はついていない。
 佐藤さんは、山梨県出身。山岳地域で岩壁や氷壁を登り切ることを目標とするアルパインクライミングの分野で日本を代表するクライマー。2009年には、世界の最も優れたクライミングに贈られる「ピオレ・ドール(金のピッケル)」賞を他の登山家らとともに日本人で初受賞した。』
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「魚の文化史」読了

2020年08月04日 | 2020読書
矢野憲一 「魚の文化史」読了

魚にまつわる生活、文化、風習に関する様々なことを書いた本である。著者は伊勢神宮に奉仕する人ということで特に三重県周辺の話題が多い。そして食習慣というものには一切触れられていない。あくまでも文化史だ。

日本は海の囲まれた国だから魚食文化が発達してきた。しかし、魚は鮮度を保つのが大変だ。だから、海岸周辺では普通に食べる魚も内陸部に行くと非常に貴重なものになってくる。だから日本の大半の地域では魚食に対するあこがれというものがあった。
今では魚が好きという日本人はどんどん少なくなっているのだろうけれども、どうだろう、おそらく戦前くらいまでは今日は尾頭付きだなどと魚を食べることがものすごく幸せだという時代が長く続いたのではないだろうか。
“なまぐさもの”とよばれた魚は祝い事や祭事に使われた。対して、葬式などの仏事にはそういうもの特殊な儀式を除いては使われなかったというのも海産物は貴重な食材でそれを食べることは非常な喜びにつながったということから来ているのだろうと思うのだ。

仏教の古い信仰に仏足石を拝むというものがあるけれども、その足の裏には2匹の魚が刻まれているそうだ。その理由はわからないけれども、2匹の魚というと、うお座もそうで西洋と東洋で同じモチーフが使われているということに著者は疑問と驚きを感じる。
その理由を考えるとき世界の最初の文明の発祥の地である古代バビロニア文明が関係しているのではないかと推察するのだが、これにかぎったことではなく、イザナナギの命とオルフェウスの話なども非常によく似ていることで有名だ。バビロニアから東西に同じ話が伝搬したというのはなんだか納得がいく。こういうことが最初の2章に書かれている。

ここまでは本当の歴史の部分だがそれ以降は歴史とはいえ、今につながっているものとして地方に伝わる習慣や神事、魚の種類ごとにそれぞれにまつわる記述が続く。
有名な山の神とオコゼのはなし。そのほかナマズと地震にまつわるはなしなどが続くのであるが、もっとも興味を引いたのはボラに関する話だ。このブログでは何度も書いてきたけれども、僕はボラに対しては並々ならぬ愛着を持っている。なにしろ、僕の魚釣りのルーツのひとつはボラ釣りなのである。
今では泥臭いということで釣り人たちにも人気はないけれども、三重県の伊勢志摩や熊野では正月の行事にボラが登場するそうだ。それも、重要な真魚箸神事というものに使われるそうだ。これは鯉を使って魚体を素手で触らずに魚を捌く神事としては有名だ。
日本ではかつて高級魚といえば鯉であった。内陸でも育てることができ、中国からはいってきた文化の中では滝を登り切って龍になるという縁起のいい魚であったからだ。そしてボラはその次に叙せられるほど貴重な魚であったので三重県の各地ではボラが使われたというのだ。真鯛がそういう地位を占めるようになったのは室町以降であったらしい。
それを読むとうれしいではないか。また、20年以上前だと思うが、「探偵ナイトスクープ」でも、おばあさんの思い出の味としてボラの炊き込みご飯を食べたいという調査依頼があったけれども、これも三重県ででのロケであった。僕はどうも三重県とは相性が悪く、シートベルトをしていなくて検問で捕まったり、釣りに行けば荷物を持って帰るのを忘れて渡船屋さんに着払いで送ってもらったり、もちろん釣りに行ってもボウズばかりであった。しかし、このボラに対するリスペクトを知ると相性が悪いと言っていられない。
くら寿司では、定置網にかかった魚を丸ごと買い上げてたとえ少ない漁獲の魚でも店頭に出す工夫をしているそうだが、テレビのレポートではボラをどうやって料理するかということを放送していた。
近海で大きな群れをなして泳いでくるボラは幾度となく沿岸の人々の飢えを救った魚だったのだろうと僕は想像している。アイヌの世界ではそれはサケであったのだろうが、それ以外の地域ではボラがその代わりをしていたのだと思う。ボラ見櫓といって大きな櫓を作って海上を常に監視して漁獲していたそうだし、典型的な出世魚であるということも人々のあいだに親しまれた証拠だろう。だから、今のボラの扱われ方と凋落ぶりには悲しいものがある。しかし、そうやってボラが少しずつ復権していってくれることはうれしいことだと思うのである。

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水軒沖釣行

2020年08月02日 | 2020釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 4:34満潮
釣果:タチウオ 5匹

今日は小船での釣行だ。もうすでに法則ではなくなったが、8月1日から8月15日まで、双子島のワンドでスズキが釣れるということを信じて調査に出てみた。結果はまったくダメだ。この法則はやっぱり6年ほど前に終わってしまったようだ。

日が昇る前に素早く撤収して紀ノ川河口で太刀魚の調査。青岸のテトラには山のようにルアーマンが貼りついている。日曜日とはいえ何かが釣れているのだろう、そうでなければこんなに人が集まって来ないはずだ。
さっそく仕掛けを下してみるがアタリがない。すでに朝日が顔を出し始めている時刻だ。太刀魚がいるとしてもこの時刻ではダメか・・。しかし、今日の朝焼けはいつもに増してきれいだ。



今日はもうひとつの禁断の仕掛けを持ってきている。渡船屋さんの情報では大きなサワラが釣れているらしい。さっさと仕掛けを回収して移動しようとしてと一つ目のてんやを巻き取ったところでアタリがあった。今年最初のタチウオだ。
となると、獲物はかなり底の方に沈んでいるということだ。シーズン終了後に開発したニューウェポンの登場だ。少しだけだが深い棚を探れる。
それで4匹まで数を稼いだ。今度こそサワラ狙いだと仕掛けを回収しているとまたアタリ。これで5匹。型もよくてこれだけあれば叔父さんの家にも持って行ける。

サワラの方は不発。小さなツバスは掛かるがそれまでだ。

港に戻りエンジンをチルトアップさせるとエンジンマウントの下の方からクモが出てきた。長らく乗っていなかったらクモが巣を作っていたらしい。彼(彼女かもしれないが・・)は僕が海上を疾走している間も必死に踏ん張って振り落とされないように頑張っていたようなのだ。その踏ん張りに敬意を表して追い出さずにそっとしておいてあげよう。



家に帰って伊太祈曽神社へ。
毎年7月30日・31日に茅輪祭(ちのわまつり)というものが催されているらしいのだが、 今年はコロナ平癒を願って今日までそれが残っているらしいので僕も厄払いにくぐってみた。

 

世間の人がこれほど恐れるというのも不思議だと思うのだが、それはまたの機会に考えてみたいと思う。
そして、ここは木の神様だ。境内には梛の木も植わっていた。「ナギ」という語呂から葉っぱを持っていると海上安全のご利益があるそうだ。さすがに枝を折るのは気が引けるので下に落ちていた梛の木の皮をいただいてきた。



釣果よりも安全第一なのだ。
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初島沖釣行

2020年07月30日 | 2020釣り
場所:初島沖
条件:長潮 9:00干潮
釣果:ハマチ 2匹

10年以上ぶりに新品の釣竿を買ったのだが、入念に下見をしたはずなのに硬さを間違えて買ってきてしまった。



本でも食品でも一番前に並んでいるものは買わないようにしているのでこの竿もひとつ後ろに並んでいるやつをレジに持っていったら一番手柔らかいものだった。多分あまりにも竿の種類が多いので商品としてはひとずつしか置いていないのだろう。そんなことも知らないほど久しぶりの買い物だった。再び釣具屋に舞い戻って求めていたものに交換してもらった。



しかし、このクオリティで実売価格がベトナム製とはいえ税込みで1万円しないというのは驚異的な値段としか言いようがない。自分で作れるものは自分で作ろうと考えていままで何本かの竿を作ってきたが、部品を買うだけでも5000円以上はかかる。それを考えたら買うほうが安いではないかと思ってしまう。くだんの間違えて買った竿は高仕掛けを操るにはちょうどよさそうだった。次はこれだな。
ダイワもシマノも実売がこれくらいのものががいくつか出ているけれども、今まではこの価格帯というのは下位メーカが出すプライスラインだった。それが気が付けば下位メーカーのこれくらいの価格帯の商品が釣具屋さんから消えていた。僕が最後に船竿を買った頃はアルファタックルとか、聞いたことがないメーカーの商品がそこそこ出ていたけれども今では3000円くらいまでの超格安ロッドしか見つからなかった。2大メーカーはこれらのメーカーの追い上げを恐れてこういう価格帯の商品を強化してきたのだろうか。
もともと、乗合船であれ船に乗ってまで釣りをしようという人たちはそれなりにお金を使う人たちが多いはずだから本当の売れ筋商品はこれの2倍以上というところだろうが、世間の感覚から逸脱している僕にはうれしい価格だ。少しずつ時代は変わっているのかもしれない。

しかし、竿の番手を間違えたこともっそうだが、最近、よく、いろいろなことを間違えたりしくじったり忘れたりする。
タイラバのシンカーを買っていたのを忘れていて20個以上も買い足したり、港に持って行かなければならないものを忘れてしまうのは常の事。スパンカーのロープをセットする手順も半月ほどさわっていなければどれから先にほどいてゆくかを忘れてしまう。図書館に本を返しに行って肝心の返す本を持って行くのを忘れてしまったこともある。すでにボケが始まっているのだろうか。と、いうより、最近は何もかもやる気がなくなってしまっていて思考停止に陥っているのだろうと自分では分析している。僕の目の中には光が無くなっている。

ということで、今日はそのニューロッドのデビュー戦だ。
加太ではどこに行っていいのかわからないので今日も初島を目指した。
海は穏やか、油を流したようというのはきっとこういう状態をいうのだろう。

 

しかしながら、まったく釣れていないのか、船が1艘もない。そしてそのとおり、魚探にはまったくベイトの反応がない。これはまずい。デビュー前に引退ということになってしまいそうだ。
タイラバを落としながらベイトの到来を待つが一向に見えない。

今日もボウズだ。これで7月は3日のチョクリでの釣果だけになってしまう。なんとも今の僕の状態にお似合いだと思いながら、今日のブログのネタは「空の写真集」にしようとカメラのレンズを上に向けていると、ときおり魚がボイルし始めた。これはボラかいなと思いながら眺めていると、ひれの形までくっきり見えた。これは絶対ボラではない。スズキかハマチだろう。キャスティングの用意はないので禁断の仕掛けを取りだす。
そして流し始めた途端にアタリ。しかし小さい。30センチあるかないかのサイズだ。僕が見た影はこんな大きさではない。ときたま見えるボイルの方向に狙いを定めボイルが消えてしまわないようにその横を通り過ぎるといきなりアタリ。今度は大きい。ヒットした瞬間、デッキの上を2メートルほどあとずさりしてしまった。上がってきたのは60センチはゆうにありそうなハマチだ。そしてすぐにまたアタリ。今度も同じようなサイズだ。4匹目はツバス。そのあとは海をかき回しすぎたか、ボイルが消えてしまった。午前8時半。雲が消えて太陽が顔を覗かせると暑くてたまらなくなる。叔父さんの家に持って行く分もできたのでそのまま終了。

ボウズでなくて本当によかった・・。

そしてボウズの時のための、「空の写真集」。多分、今日、この時に梅雨が明けたのだと思う。

       
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「みかづき」読了

2020年07月24日 | 2020読書
森絵都 「みかづき」読了

多分アマゾンのリコメンド機能から見つけた本だと思う。
塾を経営する夫婦とその子供、孫の代までを綴った年代記のような形をとっている。
2016年の出版だけれども、相当たくさんの人が借りたのか、かなり本が傷んでいたので結構有名な作家と著作なのかと読んでいる途中で調べてみたら、作家は直木賞作家で、この本は去年NHKでドラマ化されていた。この作家のことは全然しらなかった。
ドラマでは主人公のひとりである塾経営者の妻は永作博美だったらしいが、途中からは頭のなかの主人公が永作博美になってしまった。読み終わってから調べればよかった・・。

昭和9年生まれの主人公の女性千明は戦前の国民学校の軍国教育と戦後のがらりと変わった民主主義教育を経験し、公教育に小さいころから不信感を募らせ、さらにその後におこなわれた学校教育法改正による教育行政の転換に対して文部省(当時)への怒りを抱いていて、その公教育に反旗を翻すべく、家庭教師をしながら自分が理想とする教育を実践しようとしている。プライベートでは文部官僚の元恋人とのあいだに女子をもうけたが、出産を前に別れてしまった。
千明の夫になる吾郎は父親の事業の失敗のために高校を中退し、住み込みの用務員の仕事を得る。放課後、授業についていけない子供たちの勉強を見るうちに天才的な教育能力を発揮し、それに目をつけた千明の策略というか熱意に負けて千明と学習塾を始めることになる。
このふたりを中心にしたその子供、孫の世代までの長い長い物語だ。

主人公夫婦はもちろん、子供、孫たちも“塾業界”という教育の裏街道にかかわりながらそれぞれの思い描く方向性の違いがありながらもそれぞれの力で道を切り開いていく姿。そしてその中から生まれる家族の危機と和解をふたつの大きな流れとして物語は流れてゆく。

家族の物語を塾業界と合わせて語っていくというのは面白かった。教育とはいえ、それは事業であって利益追求の部分があり、片一方では教育という聖域というか理念のようなものも存在する。そして、高度経済成長から団塊ジュニア、少子化と受験戦争の過熱に合わせて栄枯盛衰を経験した業界についても詳しく書かれていて、それぞれの時代を生きた千明と吾郎の家族もそれぞれに時代に添うかのように教育に対する考え方の違いを見せる。教育の裏街道という表現が面白い。裏街道だからこそ団結できる余地があるということもあるのだろうか。それがうまく物語に反映されている。

物語は時間の流れとともにテンポよく流れていく。しかし、たとえ家族とはいえ、そんなに考え方を異にし、生活まで別にするようなひとたちが長い年月の末といいながら和解するということがあるのだろうか。
そこは僕には共感ができない。「ひとは心の中に思っていないことは口に出さない。」というが、そんな心根を知ってしまったらたとえ家族でも理解しあえる限界を超えてしまうのではないだろうか。
そう思いながらところどころを読み返してみると、確かに登場人物たちはそれぞれの人格に対してはお互いに認め合っているということがわかる。そこを超えない限り人は分かり合えるのかもしれない。

そうやってお互いの隙間をつぎはぎしながら埋めていくものが家族なのだと著者は言いたいのかもしれないが、現実はそんなに簡単に腹を割って話すこともできないし家族だから簡単にしゃべってしまう一言に永遠に傷つけられるということもある。
全員が同じ方向を見ている家族、この物語の場合は教育ということになるのだろうが、そういう家族はどんな時でも強いということだろうが普通の家族はそうでもないと思うのだ。
そこはやっぱり創作なのだと僕は思ってしまうのだ。


電車の中で読みふけっていると気がつけば雨脚が強くなってきた。和歌山駅に到着したら乗り継ぎの路線が運転見合わせ。この先でものすごい雨が降っているらしい。
それでも、意地でも迎えには来てもらわないのだと思うのが僕の現状だ。

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「地名でわかる水害大国・日本」読了

2020年07月23日 | 2020読書
楠原 佑介 「地名でわかる水害大国・日本」読了

激甚気象の続きで、こんな本を読んでみた。
タイトルどおり、昔から続く地名は水害の起こりやすい場所を表しているということを具体的な地名を挙げて解説している。

日本の都市の発達というのは、近世では大中の城下町が元になっている。そして基本は米であった。
稲作ができるところの中心に城が築かれ、その周りに水田が作られ都市ができていく。だから自ずと水が多い場所に都市ができていくことになる。ナイル川ではないけれども、定期的に川が氾濫することによって川上から養分が供給され米もたくさんとれるようになる。
当時は米に依存した社会構造であったからそういうことが当然であったけれども、コメ余りのこの時代でもその社会構造に基づいて都市計画がなされている。そして、その地域に適した開発がなされていないというところに問題があり、昨今の大規模水害を招くのだと指摘している。
東京一極集中という言葉はよく聞くが、これは地方に行っても同じことで、元城下町にはそれぞれ人口が集中している。確かに和歌山県でも和歌山市以外の都市というのはそれほどの規模はない。これがたかだか100万人規模の県ならたいしたことがないが、広島県を例にとると、増えすぎた人口は扇状地の上流部分まで進出し、ほぼ毎年起こっているんじゃないかと思う水害の被害を出している。そういうところは昔から規模はどうであれ同じように水害を起こし、人はあまり定住せず、それを戒めるように地名として名前を残しているというのが著者の説だ。
造成された宅地で、〇〇台、〇〇丘という名前をつけたところがあるが、意外と低地やもとの河川であったところがあるそうだ。そこに少しだけ盛り土をしてそんな名前をつけてあたかも安全そうだ、少し高台気味で見晴らしもよさそうだと思わせる商売はもってのほかだとそういうことも書いている。

その、昔からの地名と危険性を関西の地名で例にとると、
大和川沿い「亀の瀬」→ 岸を「噛む」瀬で、水流が激しくぶち当たるところ。
京都「小倉」→大きく抉られた場所という意味。
樟葉→「崩れ場」という意味。
高槻市「三島江」→水(み)洲(しま)
難波→地面が斜めになっていて水があふれる場所(津波が襲う風景を描写しているらしい)
灘→大地(な)がたれ(垂れる)
神戸(元の名は福原)→「ふくらむはら」で崩落地を表す地名

と、こんな具合だ。

自分の家の周りでも、数年前に全国ネットのワイドショーが取材に来るほどの水害があった地区があり、そこの周りを調べてみると、中心地になった、「和田」という地名は、「わだつみ(海を表す古語)」から来ているらしい。確かに低い土地らしい名前のつけかただ。



僕の住んでいるところは字が「北崎」と言っていた。低い土地の中にわずかに盛り上がっているところだから“崎”という名前がついたのだろうか。それとももっと違う意味があったりするのだろうか。津秦という地名もある。“秦”は帰化人の名前からの由来なのだろうが、海岸からかなり離れた場所に“津”という名前があるというのはやはりこの辺りがかつては海であったということなのだろう。
地名ではないが、これは今年の正月のブログにも書いたが、海岸線からかなり離れたところにもかかわらず、金毘羅様が祀られているところがある。それを見てもここは昔からほぼ海岸線であったと思われるのだ。
どちらにしても、僕が住んでいる一体も水には弱いということを物語っているようだ。

確かに、古い地名はそういうことを表しているのかもしれないが、この本に出てくるその地名の解釈は、素人が見ると、ただのこじつけで、それも災害が起こったからそんな解釈をしているんじゃないかと思えてくるところも多々ある。

それに加えて、著者は他の学者の解釈に対しては非常に辛辣な言葉で批判をしている。名指しで、「もっと勉強してから述べてほしい」とか、「見当違いとは言わないが幼稚な類推である」など、歯に衣着せぬといえば聞こえはいいけれども、そこまで言って大丈夫なのかと心配になってしまう。そして、この人は韜晦という言葉を知らないのかと思ってっしまうのである。


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初島沖釣行

2020年07月21日 | 2020釣り
場所:初島沖
条件:大潮 5:57満潮
釣果:ボウズ

帰りの電車の中ではコロナショックからこっち、毎日、「医療従事者の皆さま、暮らしを支えるために働いている皆さま、お勤めご苦労様でございます。」というアナウンスが流れている。

“暮らしを支えるため”・・。僕にはまったく縁のない言葉だ。毎日毎日気まぐれなおばさんに振り回されているだけだ。昨日の仕事はこんな感じだ。
① 「昨日お鍋送ってもらったんだけどひとつ要らなくなったのでそれを抜いて送りなおしてくれる?」「五つ買われているらしいのでひとつ返品で合計四つですね。」「いいぇ~。私は四つしか注文してないから三つ送ってくれた多いいのよ!」それを送った部署に聞くと、フライパンのふたも買っているから合計五つのはずでした・・。また電話して、「フライパンのふたもお買い上げいただいていませんか?」「あら、そうだったわね~」
②「高級メロンとスイカをセットにして送ってくれる。送り先はFAXしたから。」それからまた電話がかかってきて、「ウチにも同じもの送っといてくれる。それと、電話とFAXでこれまでもいろいろ注文してるからどこに何を送ったか整理してFAXしといて。」

だいたいこんな感じだ、それも思いついたように次から次と電話してきてあれもこれもと指示をしてくる。こんなに呆れたことを毎日やっている。毎日誰かに振り回されている。もうこれは丁稚の仕事以下だ・・。僕は毎日一体何をやっているんだ・・・、四捨五入して60歳になろうかという人間がやる仕事ではないだろうと思いながら毎日過ごしている。
まだまだある。
しょっちゅうかかってくる電話はまず自分が誰かを名乗らない。世界中の誰もが自分のことを知っているかのように思っている老人ばかりだ。そんな人を相手にしたあとはひどく落ちこむ。

世の中の仕事のどれくらいがあっても無くてもどちらでもいい仕事なのかはわからないけれども、ひとの役に立たないとわかっている仕事をあたかもこれは崇高な奉仕なのだというふりをしているのは甚だつらい。

給料をガクンと下げられ、会社としてはその給料に見合った仕事を与えてやっているのだと言いたいのだろうが、ひとはパンのみに生きているわけではあるまい。
永い期間に培った知識と経験に基づいた助言が思わぬ危機から組織を救うことがあるからこそ、老いても尊敬の念を抱いてもらえる。しかし、ここにはそんなもののかけらもありはしない。なにしろ僕が一番仕事を知らない。毎日何かしらこの書類のここが間違っていると指摘されている。
そういえば、いろいろな部署から来ていた電子メールもまったく来なくなった。来るのはなぜか旅行会社からの勧誘メールだけだ。これがなければ3日に1通あるかないかになってしまった。もう、僕は会社の中でも多分棄民の部類にはいってしまったのだろう。
社会からも会社からも必要とされないと感じるひとときだ。
そんなことを考えていると最初に書いたアナウンスをしらふで聞くのはつらいということになるので缶チューハイを買って電車に乗ることになる。




船の上でもこんなことを引きずっているからなのだろうか、まったく魚が釣れる気がしない。今日も初島を目指したけれどもボウズだった。これで3回連続だ・・。
前回は加太でダメだったし、去年のこの時期、ここはホウボウの巣じゃないかと思えるような釣果があったのできっと今年も釣れるのじゃないかと思ったけれどもまったくアタリはなかった。

去年の今日はというと、その1週間ほど前からも型のいいタチウオが釣れていた。今年はどうだろうかと考えてまずは水軒一文字沿いを流してみたがまったくアタリなし。



そのまま初島へ。朝は予報通り曇り空でおまけに霧が出ている。沖ノ島はここからはまったく見えない。GPSを頼りに針路を決める。



今日も落とし込み釣りの船が数隻浮かんでいる。そしてベイトの反応もある。



宮崎の鼻ではよく釣れているが初島はいまいちという話だが期待が持てるのだろうか。たとえ宮崎の鼻で釣れているとしても僕にとってはイスカンダル星に赴くよりもはるか彼方に思える。



そして、間もなく2隻の乗合船で竿を曲げているのが見えた。しかし、僕の竿にはベイトがときおり食いつくがそこから先にいかない。



ずっと気になっているのだが、竿の違いというものもあるのだろうか。ほかの船の釣り人の竿を見ていると、かなり細い竿を使っているようだ。多分ソリッドの穂先である。
それに対して僕の竿は大学生の頃に自分で作ったバス釣り用のヘビークラスのルアーロッドにシーバスロッドのグリップを無理やり継いだキメラロッドだ。ここから先は想像でしかないのだが、穂先の柔らかい竿に比べるとどうもエサ持ちがよくないような気がする。本命の魚に見つけてもらう前にベイトが外れてしまうのが釣れない要因のひとつになっているのではないのだろうか。それに、穂先が硬いとベイトそのものが食いついてくれる確率も下がってしまうのではないだろうか。去年はたまたま1回だけうまいこと釣り上げることができたがあれはまぐれだったのかもしれない。

アイザック・ウォルトンだったか、「釣りの世界では大人と子供に違いはない。違いがあるとすれば道具の差だけである。」と言っているが、ある程度までは道具によって釣果が左右されるということがあるのかもしれない。と、いうか、あってほしい。
そうでなければ釣れない理由がテクニックが未熟なことに収れんされてしまう。

タイラバもあちこち試したがこれもまったくアタリがなく、予報に反して日差しが強くなり忍耐の緒も切れてしまい午前8時半に終了。
今日は今年初めての真夏日になったそうだ。どうりで熱いわけだ。



もう、勝手に梅雨明け宣言をしたいくらいだった。

家に帰ってお昼ごはんまでに歯医者に行って釣具屋さんに向かった。もともと暇そうな歯医者さんもさらにコロナで暇になったのか、歯科衛生士のお姉さんは待合室で雑誌を眺めていた。ここはちゃっちゃと作業をしてくれるので廃業だけはなんとか回避してもらいたいものだ。

釣具屋さんに行ってどんな竿がいいのか聞いてみると、やはり7:3調子のソリッド穂先の竿がいいそうだ。安い奴では1万円くらいからある。ここは思い切って月末のポイント5倍デーの時に買ってやろうではないかと密かに決意を固めるのである。
久々にカタログも眺めてみたけれども、どれだけ種類があるのだというほどたくさんの種類の竿がある。これ、メーカーの人でも商品体系がわからなくなるのではないだろうかと思ってしまう。そんなに種類が必要か。人は誰でも2本しか腕を持っていない。この時代にアウォルトン卿が生きていたら、先の言葉をしみじみとのたまうのではないだろうか。
そして、僕にはきっと、「静かなることを学べ(learn to be quiet)」と諭しの言葉をくれるのだろう・・。

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「アノマロカリス解体新書」読了

2020年07月19日 | 2020読書
土屋健/著、田中源吾/監修、かわさきしゅんいち/イラスト 「アノマロカリス解体新書」読了

なかなかそそられるタイトルの本だ。思わず借りてしまった。

著者は学者ではなくてサイエンスライターという肩書を持った人だ。ベースになっているのは、「ワンダフルライフ」という僕も前に読んだ本だ。「ワンダフルライフ」は、1977年にアメリカで出版された本なのでその後の新展開も加えて極々一般向けに書かれている。

この生物は古生代の中期ごろに表れたこの時代最大最強の生物だ。ふたつの大きな鎌のような肢を持ち、口は円形に歯が配列された、ウニのような口を持っていた。最大で1メートル余り。当初、バラバラで発見された肢と口の化石は別々の生物であると考えられていたがその後の調査でひとつの生物の体の一部であったということがわかったというのは、「ワンダフルライフ」に書かれていた有名なエピソードだ。
口はクラゲの仲間でペイトイア、胴体に当たるところはナマコの仲間でラッガニア
名前の由来は、奇妙な(anomois)エビ(caris)というラテン語を組み合わせたものだそうだ。
分類上は、「ラヂオドンタ類」という属に入っている。
この属の中にいくつかの類がある。一番有名なものは、「アノマロカリス・カナデンシス」カナダで発見されたから“カナデンシス”だそうだ。最近出てくる一般的なイラストはほぼすべてこの生物とみてよい。
そして、時代ごとや食性によってかなりの種類がいたらしい。たくさんのイラストが掲載されているが、全部、凄いとしか言いようがない。

アノマロカリスにいたる進化はこう考えられている。
アイシェアイア→バンブルデリオン→オパビニア→アノマロカリスという順番で、この進化の流れは節足動物につながっていくと考えられている。

   

この時代三葉虫も生きていたけれども、あれは節足動物とはどういう関係なのだろう。あれも節足動物のように見えるけれども・・。

その時には気付かなかったが、アノマロカリスという生物の化石のほとんどは肢と口しか発見されていない。それはどうしてかというと、体の本体や口以外の頭の部分というのは化石になりにくいほど柔らかい組織であったということだったらしい。
肢は獲物を捕まえるため、口はもちろんそれをかみ砕いて食べるためなのだが、それ以外はふにゃふにゃという生物というのはいったいどんなものであったのだろうかと想像が膨らむ。
著者曰く、ナマコのような体・・。そこに鎌のような肢がついていて円盤のような歯が付いている。一体どんな生き物なのだろう。やっぱり想像ができない。

サイエンスライターが書いたというだけあって、アノマロカリスが日本で一般的に受け入れられるようになった過程についても詳しく書かれている。
カンブリア紀の奇妙な生物が広く一般に知られるようになったのは、先に書いた「ワンダフルライフ」が1989年にアメリカで出版されてからだ。邦訳が出版されたのが1993年。そして、NHKで、1994年「生命40億年史はるかな旅」という番組が放送されたことでアノマロカリスが一気に有名になったという。僕もこのシリーズはしっかり見ていた。もう、26年も前の放送になるというのは月日の経つのはあっという間だと思ってしまう。
「ワンダフルライフ」の表紙は、ハルギニアというかなり小さな生物が描かれていて、そういう意味でもやはりHHKの放送というのはインパクトが大きかったのだと思う。アノマロカリスのロボットを作って泳がせたり、三葉虫の模型にかみつかせたりしていたのを覚えているし、別々の生物の化石と思われていたものが実はひとつの生物のパーツであったというエピソードは本当に驚いた。ちなみに三葉虫をかみ砕くほど強い歯ではなかったのではないかと今のところは考えられているそうだ。
その後は著者もかかわって雑誌「ニュートン」の特集が組まれたり、柔らか系の科学雑誌などにも取り上げられ、フィギュアが発売され、花札がつくられ、オタク漫画にも出てくるようになった。
まあ、著者もこの人気にかなり貢献したといいたいのだろう。

そういう、アノマロカリスの歴史以外のものも一緒に書かれているというのは確かに「解体新書」と言ってもいいのだと思う。
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水軒沖釣行

2020年07月18日 | 2020釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 3:40満潮
釣果:ボウズ

昨日と今日は2連休。小船には長いこと乗っていないので久々に走らせてきた。

双子島~田ノ浦沖~水軒一文字とリレーで流してみたけれども今日もダメだった。

  

まあ、こんなものだろう。

しかし、この鳥みたいな的確な漁獲能力があればとつくづく思うのだ・・。




今朝は風がなく海は穏やかであった。昨夜も雨が降ったらしく空気は飽和水蒸気量に達するほど水分を含んでいたのだろうか、海から見える工場の煙突から出る煙がそのまま雲になってしまっているように見える。煙の粒子が核になって雲ができたのだろう。この雲の下と思われるところを通過したとき、そこだけ雨が降っていた。
もし僕の考えが正しいのなら人が気象を変えることができるという一例となるのだろうか。




あまりにも早く帰港したので「わかやま〇しぇ」を覗いてみた。



土曜日ということもあるのだろが、早朝にもかかわらずけっこうな賑わいだ。まあ、午前7時を過ぎるとほとんどの店舗が閉店してしまうのだから早朝に行くしかないのだけれども・・。



前に訪ねたときよりも少し営業店舗が増えていた。とある店舗で買ったのがごまだれ賞味期限切れ間近1本300円。そして、ご自由にお持ちくださいと書かかれていた謎の焼きダレ。これはいったいどんな味がするのだろうか?
まあ、どちらにしても得をした・・のかな・・?




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