イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「無理難題が多すぎる」読了

2021年12月25日 | 2021読書
土屋賢二 「無理難題が多すぎる」読了

本を探すときは、気になるタイトルや作家の名前をみつけると図書館に蔵書があるかどうかを確かめて自分のスマホ宛てにメールを打ち、それを見ながら本棚を探すということをしているのだが、古いメールだとこの本はどういうきっかけでメールに書いたのかを忘れてしまっている。
土屋賢二というひともそうであった。確か、哲学者だったということだけは覚えていたので、哲学の入門書のようなものを期待していたのだと思う。

しかし、内容はというと、僕もこんなブログが書きたいのだと思えるような、軽妙でかつ、何か奥の方には相当な知性の裏付けがあるのではないかと思わせてしまうようなものであった。
それはそのとおりで、著者は東大出身でお茶の水女子大で文教育学部学部長まで務めた哲学者だ。疑う前にとんでもない知性の裏付けがあったのだ。
週刊文春に掲載されているエッセイをまとめたもので、半ば自虐的ながらそれを面白おかしく語っている。自虐の極みは、連載が単行本にまとめられてその後文庫本になったのではなく、いきなり文庫本として出版されているというところだ。ご自分の文章は単行本ほどの値段を付けられないと思われたのだろう。
しかし、この本は、2020年の本屋大賞発掘部門「超発掘本!」を受賞したということなのできちんと世間には認められているのだ。

哲学というものきっと、宗教よりももっとクールなものではないのかと思い始め、何か入門書のようなものだけでも読みたいと常々思ってはいたものの、大概は入門書とはいいながら分厚くて文字が細かく、パラパラページをめくるだけで、これはダメと思うものばかりだ。
もともと、哲学というのは、自然科学や宗教、おそらく人間の意識がかかわるものすべては哲学からはじまったはずであるので、そう簡単には理解させてくれるものではないのだろう。自然科学のほうは物理学や化学、天文学の分野に発展し、心理的なものは宗教や心理学になっていった。
ひとはなぜ存在するのかということを考えるのが心理的な部分の根本だと思う。そこに悩みが生まれる。自分は存在すべき存在なのか・・。その悩みはまた、内側に向かうものと外側に向かうものに分かれる。内側に向かうものは「何故自分の思い通りにならないのかという悩み。」外側に向かうものは人間関係の悩みだ。アドラーの考えでは人の悩みはすべて人間関係の悩みであるというのだが、「思い通りにならない」というのは人間関係とは別の悩みになるのかもしれない。

その思い通りにならないということについては、『「思い通り」というからには何かを思っているはずだ。その内容を変えればいい。テレビ番組に失望するのは「面白いはずだ」と思うからだ。何も思わず、何も期待しなければ問題ない。念のため、何を思ったかをあとで決めればいい。テレビが面白くなければ、虚心に「故障した」と困り、「思った通りだ」とつぶやけばいい。宝くじが外れれば、「外れたか、思った通りだ」とつぶやくのだ。こうすれば、自分の気持ちひとつでどんな事態になっても思い通りに起こったことになる。』となる。
釣りに行っても、「ボウズだったか・・」「思った通りだ」とつぶやけば何も悲しむことはない・・・。
プライドが傷ついた人には、『誰かに愛着をもってもらわないと無価値だというのは不合理すぎる。何物とも代替できない自分固有の価値が、他人まかせであっていいわけがない。他人から無視されようと、ゴミ扱いされようと、自分には無条件に価値がある。そう考える。第一、そう考えるしかプライドを救う道はない。』と言い、『何事も、決めてから実行するより、自然に出たものを味わいながら流れに任せる方がよい結果が出る。自分で考えて決めるとロクな結果にはならない。思い通りになる人生はつまらない。全能の神でないことに感謝せよ。思い通りにならないときこそ、視野を広げ、価値観を深め、プライドを捨てる時だ。』と、それを捨ててこそ浮かぶ瀬もあると説いている。
要は、視点を変えるとすべての悩みは消えてしまうのだということだ。
『壁が真っ白であるべきだと想定すれば、子供の落書きは〈ヨゴレ〉と判定されるが、そう想定しなければ、模様として味わえる。〈絵は実物そっくりであるべきだ〉と思うものはピカソを楽しめない。失恋もそうだ。人生に挫折や失敗があるべきではないと考えるのはおろかである。』というのもなかなかの名言だ。

同じく、最大の人の望みである幸福についても、『幸福でなくてはいけないと思い込んでいる幸福病患者が多すぎる。幸福になれなければ、幸福に目もくれない生き方を模索せよ。友人がいないなら孤独を求めよ。病気ばかりするなら健康を軽蔑せよ。すべての価値観をくつがえすのだ。』となるのだ。
これらこそきっと哲学ではないのかと思うものなのである。

相当ウケを狙って書いているところもあって、そういうところは臭く思えるが、そんなところにも何か伏線があるのではないかと思わせてしまうところがこの本のすごいところであり、「超発掘本!」と讃えられた要因だったと思う。確かにこの本を発掘した店員は小躍りしたことに違いない。

そのほかにも、これは哲学の話題ではないが、「パーキンソンの法則」というものが紹介されている。暇なときは何でもないことが大仕事になるという、「仕事に要する時間は使える時間に応じて増減する」という法則だ。なるほど、僕が常々思っていた疑問を解消してくれる法則だ。普段やらないような突発的な仕事をやらされても、べつに残業することなく帰ることが多々あったのだが、それじゃあ、普段突発的なことが起こらない日、僕はその時間、ただボ~っとしているだけであったのかと思っていたが、この法則を適応すると、僕は怠け者ではなかったということになる。これにはホッとした。
そして、『なぜ目に余る欠点を抱えた女が自分を完璧だと思えるのが不可解だが、多分、他人の欠点を指摘するのに忙しすぎて、自分の欠点に目を向ける余裕がないのだ。』という、いつかは誰かに言ってやろうと心に留めるべき名言もあった。

そして、奥様に虐げられているご自分を哄笑しているのも面白い。もちろん、それはお互いの信頼関係の賜物であるのは間違いがないが、これはどこの家庭でも同じようなものであると認識した。我が家でも同じく、僕のすることをことごとく冷ややかな目で見ているのが僕の奥さんだ。しかし、先日買った真空パックマシンは違った。ヤフオクで中古を買ったのだけれども、またこんな変なものを買いやがってと思われるのかと思ったがこれは違った。出来上がった真空パックを見て、これは使えると追加で買った真空パックのロールはお金を出してくれたほどだ。僕もたまには褒められることがあるのである。



そう、この人の文章のように、一見アホらしい文章なのだけれども、その奥に何か目を背けることができない、思わず見入ってしまうようなものが垣間見える文章を書けるようになりたい。今からでは遅すぎるが・・。



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