イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

船底塗装

2010年08月30日 | Weblog
やっと船底の塗装をしてもらった。
去年の8月29日に、まったく動かない状態から港を出発して9月22日に進水。約1年ぶりのドック入りだ。
今年の夏はやっぱり暑かったのか、それとも船底の面積が大きいせいなのか、ものすごいことになっていた。
フジツボをかき落としていて、ゴカイが出てきたときには驚いた。
プロペラとシャフトには特殊な塗料を塗るのだが、2日かかるというのでパス。強力な塗料なので少しだけ残骸が残っている。
高水温の状態が続けばすぐにフジツボの餌食になってしまうかもしれないが一か八かの勝負だ。
と、いうか、こんな状況では年に2回の塗装が必要だ。年末には再度ドック入りになるかもしれない。それなら高価な塗装も必要ないだろう。資金が続くかどうかわからないが、仕方がない。

船を地上に引き上げるときにはクレーンで吊り上げるのだが、そのときだけ僕の船は空を飛ぶ。
このときに口ずさむ歌はやっぱり宇宙戦艦ヤマトなのだ。

コメント

「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」読了

2010年08月29日 | Weblog
岩崎夏海 「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」読了
かなり話題になっている本なので読んでみた。
去年ちょっとだけ通ったビジネススクールで使っていたテキストにも「ドラッカー」の名前が出ていたがそんなにすごい人とは全然知らなかった。

ドラッカーが説く企業のマネージメントは、
1.「顧客」を定義し、感動を与えなければならない。
2.「成果」をあげることにより社員に働き甲斐を与えなければならない。
3.「真摯」でなければならない。
ということが柱になってるらしい。

僕も会社での身分は“ゼネラルマネージャー”ということになっているのでこんなことを意識しながら仕事をしなければならないのだが、それがどうもこうもいかない。
僕の「顧客」の定義はどうなっているのだろう。
この本を読みながら考えたのだが、多分僕は自分自身を顧客と考えているのではないかと思った。
自分自身を顧客と考えると合点がいってしまう。
僕は気持ちよく魚釣りができれば人生それでいいと本気でいつも思っている。そこで問題になるのは生活の糧を得ている仕事とのかかわりだ、そこは肝っ玉の小さい僕は仕事で何か心配ごとがあるとどうも気持ちよく魚釣りができない。
だから、向後の憂いをなくすためにちょっとだけまじめに仕事をする。楽しい釣りができると僕は十分感動できる。きれいな朝焼けにも夕焼けにも感動できるのだ。
ドラッカーの教えのなかに、「社会に対して貢献しなければならない。」とあるが、僕にとっては、会社に迷惑をかけないということが外部に対して貢献をしていることになっているのかもしれない。しょぼい話だが、そう考えるとやっぱり「自分が顧客説」に合致してくる。
「真摯」さについてだが、僕の出身会社を平気で罵倒する上司がいる会社にいて真摯になれと言われても絶対無理なのだ。
やっぱり、どうも“ゼネラルマネージャー”失格のようだ。会社には知られたくないものだ。

この本を読んだ後、「おっぱいバレー」というDVDを観た。
主人公は中学校の先生だったのだが、「先生」の「顧客」を考えてみた。やっぱり生徒だろう。
綾瀬はるか扮する寺嶋美香子先生がやる気のないバレー部員を奮起させる話だが、「顧客を感度させること」は、やる気を出させることによって生徒に感動を与えること。「成果」は1勝したら生徒におっぱいを見せること。「社会に対する貢献」は中村トオル扮する生徒のお父さんが試合に臨む子供に感動すること。「真摯」さは先生が生徒に対して約束を守りぬくこと。
映画のおもしろさは、そのなかの一つがいろいろなことが起こることで変化してゆくことにあるのだろう。
そう考えると、映画のストーリーもドラッカーの理論に則って作られているのがよくわかる。

僕も少しだけドラッカーが理解できたのかもしれない。


著者は秋元康の弟子らしいが、放送作家という割には素人目にみても文章が下手だ。一つ一つの文章が短い。中学生の書くような文章だ。携帯電話のディスプレイばかり見ているやつらにも耐えられるような書き方をしているのだろうが、読むリズムがおかしくなってくる。
しかし、難しい経営理論と高校野球と結びつけ、表紙をオタク丸出しのデザインで仕上げるとベストセラーになるというのがすごい。マーケティングの勝利だろう。まさしく著者はドラッカーを理解しきっているのだろう。

コメント

田ノ浦釣行

2010年08月29日 | Weblog
場所:田ノ浦
条件:中潮 8:34満潮
釣果:カマス 2匹

今日も田ノ浦へカマスを狙いに釣行。
大して数も釣れないし、引きもそれほどではないが、何故かこれはこれでおもしろい。
先週と同じように午前3時は過ぎには家を出て近所のスーパーで惣菜を買って防波堤で夜明け前の晩餐。
晩餐というより曙餐だ。
今日は調子に乗って2品も(それも両方とも揚げ物)買ってしまったので食べてしまうと胸が苦しい。

回りが少し明るくなる頃に少しだけアタリ。今日は2匹で終わってしまった。
ちょっと酔っ払っていたのか、隣の人の仕掛けにルアーがからっまたのはずしていて虎の子のルアーを水の中に落としてしまった。残念。

5時半には防波堤を後にしたが、帰りの道中、大きなロッドケースを背中に背負い自転車の前と後ろに釣具を満載した少年に出会った。相当釣りが好きなのか、ひとりで走っていた。今でもこんな少年がいるのかと思うとちょっとうれしくなる。
大人になってもその心を失わないでもらいたいものだ。
コメント

「美味礼賛 上」読了

2010年08月26日 | Weblog
ブリア・サヴァラン 関戸秀雄 戸部松実 訳 「美味礼賛 上」読了
この本は、知る人ぞ知るグルメ本の草分けのような本だ。
著者はフランス人でフランス革命を生き抜き、この本も1825年に書かれたということだ。
昔々はよくいたような、博学卓識の人だったようで、解剖学者であり、生理学者、化学者、天文学者、考古学者、文学者、作詞、作曲もしたらしい。裁判所の判事なんかを勤めた高級官僚だったようだ。
原題は「味覚の生理学」ということで、中身もただただこの料理はうまいとかまずいとかではなく、味覚や「食べる」という行為がもつ意味など、この時代にこんな分析がされていたのかと思うほど科学的風に書かれている。しかし、堅苦しい文体ではなくおおらかな筆致で書かれているからすんなり読めてしまう。「釣魚大全」もそうだったが昔の本というのは詩的な書かれ方をしているように思う。
出てくる料理はヨーロッパの王宮文化が頂点に達した時代の著者の経験をもとに書かれているだけあって凝って凝って凝りまくっているようだ。


序文には20の鉄則のようなものが書かれている。11番目には食べる順序として、「身のあるものから軽いものへ。」と書かれている。僕はどうも貧乏性で、一番美味しいものを最後に食べる癖がある。トンカツが出たらキャベツを先に食べる口だ。グルメ失格ということだ。この本を読み始めてから意識はしてみるのだがやっぱりキャベツとヒジキは先に食べてしまう。さすが46年の性癖は治らない。
その前の10番目。宴会に出ないやつは○×△だ。などという上司はよく読みなさい。

魚食については、生殖本能を呼び起こすと書かれている。よく、釣師はスケベが多いと言われるが、本当かどうか・・・。
ただし、釣って食べる人に限られると思うが・・・。

全編薀蓄に富んだ内容だ。
下巻も楽しみだ。
コメント

田ノ浦釣行

2010年08月22日 | Weblog
場所:田ノ浦
条件:中潮 4:23満潮
釣果:カマス 4匹

釣りに行きたいけれども船はほとんど動かない状態だ。家にいてもクーラーのない部屋では寝苦しいだけでいたたまれない。昨日、散髪屋さんで聞いたところによると、カマスが釣れているらしい。そういえば、正月に買ったアジング用のロッドも使わずにそのままだったので一度、ルアーを持っていってみようと思い立った。
午前3時に起床、いつものように近所のスーパーで氷を調達すべくうろうろしていたら、なんと発泡酒(以下のリキュールだが。)が88円で売っている。原チャリを運転しなければならないが、これを見てしまってはついつい手が出てしまう。恒例の半額惣菜もメニューが豊富だ。今日は99円のチキンカツ。

田ノ浦に着いてみるとびっくりするほどの人だ。沖の防波堤には50人以上の人が釣りをしている。海水浴場でロケット花火を上げているバカ者や今でもいるのかと思うようなマフラー改造の走り屋などでえらい賑わいだ。地元の人はえらい迷惑しているだろう。

ビール(といっても発泡酒以下のリキュール類だが。)におつまみで夜明けを待つ。午前5時少し前からルアーを投げ始めると、ピックアップの途中で水面を割る魚がある。これは釣れるなと思っているとヒットした。小さいながらカマスだ。その後はアタリはあるがヒットしない。魚が小さくてフッキングまで至らないのだろう。
時合は30分ほど。結局4匹で終わってしまた。

まあ、布団の上で寝苦しい時間を過ごしているよりもましだろう。
コメント

「インドでわしも考えた」読了

2010年08月16日 | Weblog
椎名誠 「インドでわしも考えた」読了

堀田善衛の「インドで考えたこと」を読んでいて、そういえば、椎名誠もそんな本を書いていたなと思い古本屋を覗いてみると105円で1冊見つけた。
堀田善衛は1957年の旅の事を書き、椎名誠は1984年を書いている。前者はインドやアジアの作家から得た印象や、当時のインドそのもの印象が語られているが、椎名誠は椎名誠らしく、メーンのテーマは「3メートル空中に浮かび上がるヨガの達人を探す。」というものだ。そんな人がいるわけがあるはずもないのだがそれを通してみるインドは27年の後の開きがあるが、あまり変わっていなかったように思う。前向きなバイタリティーは53年前も27年前もそして今も変わっていないのかもしれない。
身分の違いや貧しさなどは関係なく、みんな明るく前向きだというのが椎名誠の印象のようだが、やっぱりそこにも「宗教」の思想が深く根付いているように思う。多宗教の国のようで、ヒンズー教、イスラム教、ゾロアスター・・・いろいろあるがみんなきちんとその戒律を守っているようだ。土曜日の昼間、「世界の果てまで行ってQ」の再放送でたまたまインドの話をしていたが、今でもインドのマクドナルドのパテは鶏肉らしい。経済発展の著しい国だから世界中の情報が入ってくるはずだが、やっぱり守らなければならないものを人々はきちんと守っているのだろう。(多分)
日本ではそうはいかないだろう。ビールが高いといえばまがい物の発泡酒をつくり、あげくはアルコールが入っていなとは・・・。多分ドイツ人が聞いたら腰を抜かすのではなか?
ボージョレヌーボーも輸送費が安からといってペットボトルに詰めて空輸したらフランス政府から来年はやめてくれと言われたそうだ。それはごもっとも。と言いながら僕もペットボトルのボージョレーを買ったが、そのとおり、実に味気なかった。
安かったらそれでいいし、体裁だけ整っていればそれでいいと考えているからさまざまなことが持っている本当の意味を知ろうとしない。これもきっと宗教心の欠如から来ているに違いない。

やっぱり、日本人というのはきっとどこかおかしいんだろうとつくづく思ってしまう2冊であった。
人のことは言えないが・・・。

コメント

「インドで考えたこと」読了

2010年08月13日 | Weblog
堀田善衛 「インドで考えたこと」読了
開高健の本を読んでいると武田泰淳や吉行淳之介などとともによく出てくる作家だった。それでこの本のタイトルも知っていたわけだが、最近読んだ本にも出てきたので始めて読んでみた。ずっと「ぜんえい」と言う名だと思っていたら「よしえ」という名前だそうだ。

前半は「アジア作家会議」に同席した他国の作家との交わり、後半はインドを旅した感想になっている。
作家がインドを旅したのは1956年の晩秋から1957年の初頭にかけてらしいが、日本は驚異的な高度成長を続けている最中だが、他の参加国は太平洋戦争の惨状から立ち直れないでいる頃だったということだ。ちなみに不参加だった韓国は北朝鮮より経済状況は悪かったそうだ。そんな時期があったとは知らなかった。
表現の自由もままならなかったこれらの国々の人々はある意味、命をかけて自分の国の伝統と文化を守るために文章を書く。
「noblesse oblige」という言葉があるが、まさしく、この人々は自分の義務を果たすために命を懸けようとしているのだ。
日本人は経済成長を遂げるため引き換えとして国としての伝統と文化を一切捨ててしまったのかもしれない。
ひとつは宗教心だろう。人間とシャチは自分の命をつなぐ意外に“殺し”ができる動物らしい。多分、人間はその自らの残酷さを封じ込めるために宗教というものを編み出したのだと僕は思っている。明治になった頃から廢佛毀釋で実生活のなかから宗教を排除し続けているのだらか仕方がない。
120歳を超えるけど何処にいるのかわからない人がいっぱいいたり、親や子供を殺す輩がやたらと多いのはきっとそんなことが原因に違いない。難波の町を歩いているとそんなようなやつがわんさかいる。
アメリカの大統領だって就任式の時には聖書に手を乗せて宣誓をするのとは大違いだ。
自民党は「真の保守を。」などとほざく前に「真の宗教心を。」と唱えたほうがいいのではないか。オウムはダメだが・・・。

後半はインドそのもの印象が語れている。
50年前のインドといえばあまり想像しなくてもとんでもなく貧しい国だということはすぐにわかる。本の最後は「その歩みがのろかろうがなんだろうが、アジアは、生きたい、生きたい、と叫んでいるのだ。西欧は、死にたくない、死にたくない、と云っている。」という言葉で結ばれている。作家は、インドの人々と文化の中から大きなバイタリティを感じていたのだろう。
実際、今はBRICsの一角として目覚しい発展を遂げているが、この作家は50年前にすでに予言していたのだ。

インドで考えることというと、「生と死が一体となった、メメントモリの思想。」と思いがちだが、作家の思ったことは少し似ているがちょっと違うことだったのかもしれない。
コメント

片男波沖釣行

2010年08月08日 | Weblog
場所:片男波沖
条件:中潮 3:56満潮
釣果:キス 少し

そろそろ本格的に船の航行が難しくなってきたのでキスも今回が最後かもしれない。
少し早い目に港を出てタチオウを狙ってみるがまったくアタリがない。今年のタチウオは大丈夫だろうか?

回りがあかるくなってきたのでタチウオをあきらめていつものポイントへ移動。
雲が少しあったので先週までの猛暑がうそのように快適だ。昼間は真夏でも早朝は初秋の雰囲気だ。もう立秋も過ぎてしまったが、やっぱり季節は少しずつだが前へ進んでいるようだ。


今日は新しい竿を試してみた。新しいといっても30年位前に買ったグラスのルアーロッドだ。
僕が高校生くらいの頃、何回目かの日本のルアーフィッシングブームで、日本のメーカーもやっとルアーロッドを作り始めた。
ちょうど、開高健の「オーパ!」が出版された頃と重なるので、この本の影響も多分にあったのだと思う。
ダイワでは「ミリオネア」というモデルができて、その上級モデルとして「ファントム」というモデルが発売された。「ファントム」は今ではダイワのルアーロッドの最廉価モデルの名前だが、当時は最上級モデルだったのだ。
このロッドはその「ファントム」の最初のモデルだ。当時はまだまだカーボンロッドは超高級品で、ぼくはグラスのモデルを買うのがやっとだった。昔のルアーロッドというのはなぜかグリップの形が変なかたちで、このロッドも竿尻のねじを締めることでリールを固定する形になっていた。あまりにも特殊だったものでそのうちにグリップが割れてしまって使えなくなってしまっていたのをだが、物置の中をまさぐっていると使えそうなグリップが出てきたのでそれに継ぎ足して再生してみたのだ。
食い込みを考えるとカーボンよりもグラスのほうがはるかに有利だと思うので期待して使ってみた。
結果はなるほど!!という感じだ。

釣果のほうはというと、最初の仕掛け投入でいきなり2連で釣れてきたので今日は爆釣かと思いきや、それからはさっぱりだ。潮は流れているはずの時間だが、まったくアタリがない。夕食のおかずを確保するのがやっとだ。
今日はビール(といっても発泡酒だが。)とおつまみをもってきているのでそれを楽しみながらアタリを待つが全然アタリがない。
あまりにも退屈なので午前9時半に釣りを終了した。

昨日が父親の命日だったので港を出た足で墓参りに行ってきた。殺生をしてきたその手で拝むのもなんだと思うが、閻魔様は許してくれなくても父親は許してくれるだろう。(多分・・・)
帰り道、何やら道が騒がしい。
紀州よさこい祭りをやっていた。


今年で7回目になるらしいが、こんなことをやっているのをはじめて知った。
ちょっとだけ観るつもりが次から次に連がやってくるのでついつい長居をしてしまった。連ごとに大音響で音楽を流し、生歌にあわせてそろいのユニフォームを着た人たちが練り踊るのはなかなかの迫力だ。こんな大きな祭りを知らないほど根無し草の生活をしている僕にとっては共同でひとつのことを作り上げていく人たちがうらやましく思う。まあ、踊れといわれても困ってしまうが・・・。
そういえば、「君が踊る、夏」という映画に主演する溝端淳平という俳優は橋本市の出身だが、なんと、僕のいとこの家のご近所さんらしい。今は知らないが、帰省の時は電車に乗って帰ってきていたらしい。庶民的だ。
胡散臭いご近所さんは困るが、こんなご近所さんは大歓迎だ。

まったく釣果が振るわなかったので、まったく釣りとは関係のない文章になってしまった。
コメント

「開高健の文学論」読了

2010年08月06日 | Weblog
開高健 「開高健の文学論」読了
こんな本を読んでいると、世の中で名を成す人というのはやっぱり理科系の人なのだとつくづく思う。
たとえ文学といえども論理的に分析をして分類をして体系化する。そして自分が世の中へ出て行く道を切り開く。
そういえば、ビートたけしも明治大学工学部出身だものな。きっと野村監督なんかも理科系の頭を持っているのだろう。

カフカと梶井基次郎のわかる人が理科系ということだろうか。
僕にはまったくわからなかったのでやっぱり100%文系ということだろう。う~ん。これからも適当に生きてゆこう。

掲載されている文章のいくつかは自身の著作についての書評みなっているが、それぞれどんな意味を持って書かれたかが書かれている。こんな解説をしてもらわないと僕にはやっぱりよくわからない。
残念ながら僕には開高健を読む資格はないのかもしれないが、それでも読み続けていきたいものだ。

コメント

暑い暑いといいながら・・・

2010年08月04日 | Weblog
僕は会社の事務所にたどり着くまでに地下鉄の駅から約5分間歩いている。
通りにはケヤキの木が並んでいてこの時期はものすごい蝉しぐれだ。都会の真ん中にもこんなに蝉がいるのかと驚くほどだ。ケヤキの下のほんの小さな面積の土の上にたくさんの小さな穴が開いている。蝉の幼虫が這い出た穴だ。
しかし、8月に入ってこころなしか音量が小さくなってきた気がする。
地面には蝉の死骸がちらほら。
朝の乗車駅の前にある小さなビルの影も少し長くなり僕の体を朝の日差しから守ってくれるほどになってきた。

暑い暑いといいながら季節は少しずつ動いている。
と、言いながら今日もやっぱり暑かった・・・。
コメント (1)