イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

加太沖釣行

2021年10月30日 | 2021釣り
場所:加太沖
条件:長潮 7:22干潮
潮流:4:16転流 8:15 下り2.0ノット最強
釣果:カワハギ 6匹

今日は本格的に加太に行こうと考えている。しかし、今日もやっぱりお昼前には必ず家に帰っておかねばならない。手術から2日が経ち、昨夜、母親から電話があった。
傷口が裂けるとダメなので48時間は声を出してはいけないと言われていたが、そのほぼ48時間後にいきなり電話をしてきたのである。60年ほど前に仲人さんが言った、「ソ連のブルドーザーみたい・・。」というのは確かなようで体は頑強なようだ。
電話の要件は、大丈夫であることを伝えることとコルセットを届けてほしいということであった。
病院に行くと、いたるところに「面会禁止」という張り紙がしてあるが、あれはきっと建前だけだろうと思っていたので届けたついでに顔を見ておこうと考え、午後一番で病院に行こうと思ったからなのだ。

お昼に家に戻るには遅くとも午前10時には加太の海から脱出しておかねばならない。この季節、アジ、タチウオ、カワハギ、加えてもちろん真鯛と釣りたい魚はいっぱいある。タチウオを釣るためのイワシは冷蔵庫に眠ったままだしいろいろやってみたいがいくつかに絞り込まないと時間が足りない。
潮が小さい日なので一番にはタチウオを思い浮かべるがサバフグが猛威を振るっていて、350円のエサを使い切りたいという動機で700円のテンヤをロストしまくるというのはバランス的に悪いと考えてタチウオはあえなく却下。
代わりにはやっぱり肝パンのカワハギだろう。そして、田倉崎周辺で狙えるマアジの2本立てで行くことにした。ここからなら帰宅も早くなる。

朝一は前回のサワラをバラした悔しさを解消するため禁断の仕掛けを試すことにする。しかし、朝は超早く出てきたためこれではタチウオタイムではないかという感じであった。



名人もタチウオを狙いに行くようだが、「車が入れない」と愚痴をこぼしていた。明日の朝は雨模様の予報なので釣り客が今日に集中しているようで、ただでさえ増加傾向の釣り客のせいで車が入りきらず、渡船屋が駐車場への進入にストップをかけている。コロナショックで魚釣りは脚光を浴びているらしいが、ここは間違いなくそれが吉と出た場所である。
僕はバイクなので平気で入っていくが、受付を待つ釣り客が通路をふさいでしまっていて立往生してしまった。大繁盛はけっこうなことだが、自分の港の周りは静かなほうがよい。




ナブラというのは少し明るくならないと現れないのかどうかはわからないが、今日はまったくアタリがなく、そのまま加太を目指した。



まずはサビキ仕掛けでマアジを狙う。四国沖ポイントにはほとんど船がいないが魚探には反応がある。急いでスパンカーを広げ、仕掛けを下すが反応の割にはまったくアタリがない。



潮は下りなのでやっぱり友ヶ島の北に向かったほうがいいのだろうかと考えて移動を決意するが帝国軍の軍港前で気が変わってしまい、そのままカワハギ釣りに変更。
気が変わった原因はわかっている。早く帰宅しようというのもひとつだが、燃料代の高騰だ。目下のところ、毎週値段が上がっていて、とうとう20リットルで2000円の大台を突破してしまっているのだ。それも、その上がり幅が尋常じゃないほどのペースなのである。



遠くに行くほど燃料を焚くわけだから、途中でスロットルを緩めてしまうというのは当然だろう。

仕掛けを下してみるが、アタリはない。やはりまだ潮が速いのか・・。やっとアタリがあったと思ったら小さなチャリコだ。
潮は意外と速く流れているのでポイントと思しき場所を頻繁に行ったり来たりする。正確なポイントなんて全然知らないのだけれども30メートルの水深は欲しいと思うのでかけ上がりを過ぎて水深30メートルを切ったら移動という感じだ。



やっとアタリが出たのは数回の移動をおこなった時だ。今日も大きなカワハギが釣れた。その後も、きちんと底が取れて、それほど道糸が出ていなければアタリが出てくるという感じだ。ただ、この周辺は潮の流れが複雑で、おそらくは三枚潮くらいにはなっているのではないかと思うほどちょっと油断をすると糸が出てゆく。ポイントがどうのこうのというよりも、いかに正確に底を取るかというほうが大切なような気がする。おそらく、ゴロタ石の底質の場所ならこの魚はどこにでもいるのだろう。

ポツポツとアタリを取りながらやっと6匹。この時点ですでに時刻は午前9時40分。今日はエサ代を400円にアップしたので2時間半釣りを続けることができた。それだけの時間やっているのだからもうちょっと数が欲しいとも思うのだが・・。
残りの20分を再びサビキで費やしたがまったくアタリはなくそのまま終了。

家に帰って病院へ。
「面会禁止」は本物のようで、入り口でいきなりストップをかけられた。事前に病棟から許可をもらっていないと院内にも入れてくれないらしい。どうしても届けないといけないものがあるのだと言ってなんとか入院しているフロアまでたどりついたが、病室の入り口であえなく玉砕。敵の防御は鉄壁であった・・。荷物だけ預けてすぐに退散。



それでも、息子がここで働いているというのは強みで、彼は自由に病棟を行き来できるらしく、様子を見ては奥さんにメールを送ってきているらしい。傷口の腫れも大したことはなく、彼が診てきた患者と比べてもダントツに元気に見えるとか・・。大した数の患者を診ているわけではないだろうが、少しは安心できる。

その後は釣具屋へ。
スマホを持ち始めて、つい最近、やっとLINEというものをインストールしてみた。いつも行く釣具屋が、あれは何というのだろう、友達申請みたいなのをしたらお得な情報が配信されるみたいなことが書いてあったのでそういうことをやってみると、いきなり、31日までポイント10倍という案内が表示された。
もともと、マイナポイントをゲットできたら買おうと思っていたリールがあったのでペイペイに2万円チャージして釣具屋に向かったら、ペイペイではポイントは付きませんとのつたない返事。確かによく見たら、現金だけって書いてある・・。



せっかく来たので現金を出して買ったが、2万円のチャージとリール代1万8千円で僕のへそくりは完全に底を尽いてしまった・・。



スマホ決済なんてまったく使う気はなく、このリールを買うためだけにマイナンバーカードを作りペイペイをインストールしたのにこの2万5千円を何に使えばいいのか、まったく何も思い浮かばないのである・・。






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水軒沖釣行

2021年10月27日 | 2021釣り
場所:水軒沖
条件:小潮 3:35干潮
釣果:ツバス 3匹

今日も近場でお茶を濁す。
まあ、母親の手術日にまで釣りに行こうと考えるのが親不孝なことであるには違いないが、万が一にも失敗して・・となってしまうと当分釣りににも行けなってしまうので行けるときには行っておかねばという意味もある。(こんなことを書けるのも無事に終わってくれたからなのではあるが・・・)

近場で済ますにはやはりタチウオの手助けを借りねばならない。それと、今日は天気がいいので禁断の仕掛けも試してみようと思っている。同じ港のTさんの情報ではときたまナブラが発生してツバスが釣れるとのことだ。

日の出の時間は午前6時を過ぎているので、午前5時に港に到着してもまだまだ真っ暗だ。もう少しゆっくりの出港でよかろうとボートフックの修理をしていたら知らぬ間に東の空が明るくなってきてしまった。



エンジンも温まらぬ間に出発。今日も港内から仕掛けを下し始めるが一向にアタリはない。青岸の灯台の前にさしかかった辺りで仕掛けの点検をしておこうと道糸を手繰っていたとき、アタリがあった。今日もいるじゃないかと点検し終わった仕掛けを下してアタリがあった場所周辺をウロウロするがその後はまったくアタリがなく、周囲が明るくなってしまった。



これから釣れ始めてもまた1匹2匹で終わるのだろうから早々に禁断の仕掛けに切り替えようと決断。
タチウオ仕掛けを回収してみると、鉤が1本伸びてっしまっている。アタリがあったのは1回だけ、その時に伸びてしまったに違いない。そんなに強烈なアタリだとは思わなかったけれども、鉤を曲げるほど大きな魚だったのだろうか・・?



疑問を残したまま、新々波止の南側へ。
Tさんの言っていたナブラは見えない。当然だが毎日あるわけではあるまい。先月アタリがあった周辺をウロウロしているとアタリが出た。けっこうの引きで上がってきたのはハマチと言っていいくらいのツバスだ。もう1匹掛っていたらしく、鉤が1本失くなっていた。ハリスの切り口を見ると斜めにスパッと切れているのでサゴシが喰いついたのかもしれない。グァム島で買ったタコベイトのストックはもうないので、これでオールグァムのタコベイトで仕掛けを構成することができなくなってしまった・・。残念。
なんとかボウズを逃れたがその後はアタリはない。3回ほど同じ場所を流してそのまま帰途につこうと沖の一文字に沿って船を進めていると魚が跳ねている姿を見つけた。ナブラというほどではないが、あの跳ね方はボラではなさそうだ。針路を変更して跳ねていた場所の横を通るとまたアタリが出た。最初の魚よりも少し小さいツバス。

よく見るとあちこちで魚が跳ねている。その場所を見極めながら船を進めるとまたアタリ。
今度は魚が跳ねている場所を取り囲むように船を進めると強烈なアタリがあった。これはきっとメジロクラスのハマチかもしれない。手で手繰る仕掛けだからドラグはない。慎重に道糸をたぐりよせ、魚の姿が見えた。1メートルはゆうにあるサワラだ。これはいい獲物だ。鉤の掛かっている位置を確かめるとカンヌキあたり。ハリスを切られる心配はないが、その後すぐに船の下にもぐられた。船べりから体を乗り出してかわすと今度は前に飛び出してきた。すでに幹糸を持っているので糸を出すわけにはいかない。そのままこらえていると鉤が外れてしまった・・。残念・・。目の前で1メートルの大物を逃がしてしまった。
小学校の頃から先生に、「欲がない。」と言われ続けてきて、確かに魚をバラしても地団太を踏むほど残念と思うことはめったにないが、このサワラは残念至極だ。これはきっと魚の味に関係しているのだろうが、サワラは美味しい魚だ。皮を炙って刺身にしたかった・・。

家に帰って一服して病院へ。とうとう母親の手術の日が来てしまった。
その前に小船の検査証をもらいに海南市まで。



お昼になってもいい天気だ。平和な日だとあのまま加太まで走れるのだがここは我慢だ。



午後1時からの予定だが、ひとつ前の手術が早く終わると母親の予定も早くなるからというので正午に病院へ入る。

手術は予定通りに始まり、そこから6時間。



今日も早朝に起きたのでお通じはなく、おなかの調子はおかしいのだが何か異常が発生したときのために絶対に連絡を取れるようにしておいてくださいと言われているのでトイレに行くこともできない。
ひたすら休憩場所で座ったまま無事を願う。たまに居眠りもするが・・。



手術が終わって病室の前に戻ってきたのは午後7時。外はすっかり暗くなってしまっていた。



なんとか無事に終わったようで、切った周辺の細胞の簡易検査の結果もシロだったそうだ。
母親が病室に入ってから面談室のようなところに呼ばれ、今日の手術の実況みたいなことをしてくれた。魚をさばくだけでもけっこう気持ち悪いと思っているのに、人間を切っているところなんか見たくはないのだが、どうも拒否できるものでもないようだ。けっこうグロい写真が出てくるし、切ったやつがこれですとホルマリンに漬かった肉の塊を見せられる。そういえば、僕の奥さんが脳腫瘍を取る手術をしたときも液体に漬かった腫瘍の欠けらを見せてもらったが、こういう人たちは取り出したものをトロフィーのように誰かに見せたいものなのだろうか。釣り師もでかい魚を釣ると誰かに見せたくなるものだから人の性なのかもしれない。
せっかくだからと写真にも撮らせてもらったがさすがにブログに掲載できるような代物ではない。それよりも早く家に帰りたかった・・。

父親がこの人と結婚を決めたのは仲人さんからソ連のブルドーザーみたいに丈夫だと言われたからだというのはこのブログにも何度か書いている。「2010年」という映画ではソ連の宇宙船の故障は叩けば直るという設定であったが人間の場合はそうもいかないようだ。
ひとつ山を越したが、まだ大腸が残っている。なんとかその丈夫さで乗り切ってくれと祈るばかりだ。
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水軒沖釣行

2021年10月25日 | 2021釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 8:55満潮
釣果:タチウオ 2匹

船底塗装をしてからあっというまに1週間が経ってしまった。しかしいまだに釣りに行けていない。先週から一気に気温が下がったせいか雨が降ったり母親を病院に連れていったりで休日は釣りに行けるような環境ではなかった。
今日も午前中に小船の船舶検査があり、午後からは母親の入院手続きをしなければならない。加太までは行けなくてもせめて港の前でだけでも釣りをしたいと考えていたが、結局今日も雨模様で1日が始まった。

昨日、一昨日の予報では、午前8時くらいまでは雨が降らないとなっていたので、シーズンの最後を見届けるためのタチウオ釣りには行けそうだと思っていた。
午前3時半に目覚ましをかけて寝ていたが、午前2時過ぎには目が覚めてしまった。最近はいつもそうだが、目が覚めてしまうともう寝ることができない。歳のせいでもあるのだろうが、どうも会社のぎくしゃくした人間関係にあきれ果てて、そういうことを目が覚めると同時に思い出してしまうからでもある。
僕自身、一般常識を完璧に身に着けているというほどの賢者ではないけれども、「忙しい中、電話をしています。」という言葉から要件を話し出されて苛立ちを覚えない人間はいないだろう。
布団の中でじっとしているのももったいないのでパソコンを立ち上げブログの原稿を書きながら雨雲の動きを確認してみると、雨の降りだしの時間が予報よりも早くなってきている。短時間予報では午前4時半には雨雲がかかり始めそうだ。



これは思案のしどころだ。出港時刻は午前5時頃でいいだろうと思っていたがその頃には間違いなく雨が降っている。海に出てしまえば多少の雨はオーニングで防げるが出港前から降っていると気分が萎えてしまう。
あの、海面を滑るような乗り心地を体験したいという気持ちと、雨は嫌だなという気持ちが交錯するわけだが、そこに「わかやま〇しぇ」という救世主が現れる。
出港できなくても冷凍コロッケが待っているではないかと思うと踏ん切りがつく。
急いで準備をして家を出る。いつものスーパーでお茶を買って出てくるとバイクのシールドにわずかだが水滴が付いている。気象庁の予測のとおりだ。
ただ、これくらいの雨粒ならなんともないが、港に到着し、碇のロープをほどくころになると完全に雨模様になってきた。そして、赤い橋の下をくぐり切った時には本降りの雨になってしまった。それもかなりの雨だ。風はないけれどもこのまま行くべきか港に引き返すかしばし思案する。やっぱり帰ろうかと思い始めた時に奥の港から船が1艘飛び出してきた。



こんな雨でも行く人がいるんだと知ると僕も逃げるわけにはいかない。ええいままよと倒したままのスパンカーの柱を起こして前進を開始する。

できれば港内だけで終わりたいと思ったのでコンテナふ頭の前から仕掛けを流し始める。
雨で前方の視界が悪い中、フェリーの航路筋に差し掛かった時にかすかなアタリ。引き上げてみると指3本と少しほどのタチウオだ。途中で引きが強くなったと思っていたら魚体に傷が入っている。今日も掛かったタチウオに別のタチウオが喰らいついてきたようだ。ということは、けっこうタチウオの数と活性はいいように思うがその後アタリがあったのは1回だけで周りが明るくなってしまった。
天気がよければその後ツバスでも狙ってみようかと思うのだが、雨は降り続きそんな気も起らず午前6時すぎに終了。



高騰している燃料を使い、前方が見えづらい危険を冒したけれども、まったく割に合わない釣果だ。

その足で「わかやま〇しぇ」へ。今日は以前に買って美味しかったドレッシングを発見。税込み216円で買えるのだから早起きは三文の得なのである。



一度家に帰って船舶検査の準備。



雨の中、本当に来てくれるのかという不安になりながら保安用品を広げて待っていると時間通りに来てくれた。今回の検査員も優しい人で検査は5分ほどで終了。



月曜日は渡船屋も定休日なので話し相手もなく待つ時間が非常に長く感じる。



そして午後からは母親の入院手続きのために病院へ。



再び一度家に帰って今度は手術についての説明を聞いて各種承諾書に署名するために病院へ。



しかし、こんなにたくさんの書類に名前を書かねばならないとは面倒であり驚きだ。
ちゃんと説明聞きましたとか、輸血の合併症の可能性がありますとか、はては麻酔で幻覚を見て暴れることがありますからその時は拘束しますねというのまである。
病院もそれぞれ部署があってそれぞれ承諾書を保管する必要があるのだろうけれども、全部了解で1回だけサインするという方法にしてくれないものだろうか。なんだったら、委任状を書くからそれをコピーして添付してくれと言いたい。それだけあとから文句を言う人がいっぱいいるのということだろうから日本国民の自業自得だ。

手術の詳しいやりかたなんか聞いてもわからないのだが、ここをこう切って骨はこれだけ残ります・・・。などと母親も一緒に聞くことになる。元々痛いのが嫌だと言っている本人にここはノコギリでここはドリルで切りますと説明するのはよけいに恐怖を植え付けるようなものではないのかと心配になってしまう。もっと前、息子が家にやってきて耳鼻科の手術なんて顔が4分の1くらいなくなってしまうほど切り取るんだみたいなことを面白おかしく話をしていたものだから余計に母親は恐れを抱いているのだ。そんなことをベラベラしゃべるのはコンプライアンス上問題があるんじゃないかと苦々しく思っていたけれども母にとっても罪な話だ。

結局、家に帰ってきたのは午後9時を回り、さすがに午前2時過ぎから起きたままでいるとコーヒーを淹れる元気もなくすぐに寝てしまった。


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「ぼくがいま、死について思うこと」読了

2021年10月24日 | 2021読書
椎名誠 「ぼくがいま、死について思うこと」読了

病院の待合で読むような本ではないのは確かだが、前回読んだ、「遺言未満、」の前に書かれていた本だ。
著者が自分の死というものを意識し始めたのは、孫を持つようになり、奥さんから、「あなたも健康で生きていくことに責任を持つ歳になった。」と言われ、人間ドックに行くようになったことからだったらしい。そこで、医師から「あなたは自分の死について真剣に考えたことはこれまで一度もないでしょう」と言われた。
その時の年齢は67歳、僕ならひととおりすべて終わったらあとは死ぬのも自由だと考えると思うが、社会的に大きな責任を負っている人というのはそうもいかないらしい。
「遺言未満、」と同じく、自分の周りの親しい人たちの死に際して考えたこと、著者が世界中で見てきた葬儀の方法やその国々が持つ死に対する観念というようなものが書かれている。
そのスタンスは死とどう向き合うのかというような宗教的、スピリチュアル的なものではなく、様々な葬儀の形式を通して人は死をどう見てきたか、見ているのか、そんなことを客観的に書いている。おそらくそこから著者自身の生死観というものが固まってきたのだろうと思う。

最初には日本の葬式事情について書かれている。日本の葬式というのは、葬儀を自宅でやる家が少なくなり、今ではほぼ100%に近いくらいに葬祭場で行われる。僕も常々思っていたのだが、あの変な演出に誰も違和感を感じないものなのだろうか。大体、葬儀が始まると物悲しい音楽とともに凝ったナレーションが流れてくる。どんな内容かは思い出すことができないのだが、大体はまったく故人とは関係のない、ひとは生まれてから幾星霜、人生を全うして高いところに昇っていくみたいなそんな内容だったと思うが、あれにいったい何の意味があるのだろうかというところから違和感が始まる。大体は当日の進行役が読んでいるが、この人は故人のことをどれほど知っていてそれを読んでいるのかとしらけてくるのだ。式次第は進み、これは僕だけの経験かもしれないが、今年は母方の叔母と叔父が立て続けに亡くなり、ふた月を明けずに葬式があった。当然菩提寺は同じなので同じ坊さんがやってくる。(坊主ではなくて普通に髪の毛を生やしていたが・・)読経が終わり、なんだか講釈をやってくれるのだが、そのフレーズがまったく同じだったのである。多分、どこの坊さんでも、いつも同じフレーズを年中話しているに違いない。この坊さんも檀家の家系も知っているだろうし、もしわからなくても、マスク越しとはいえ、あれ、この前と同じ顔ぶれだから今日の講釈はパターンBでいこうとかは思わないのだろうかと思うのである。まあ、パターンBを持っていればという前提だが・・。
これほど形式だけになってしまった葬儀に何の意味があるのかと思うし、そもそも、会社勤めをしていると、同僚や上司の身内が亡くなったというので葬式に出かけたこともあるけれども、名前も顔も知らない人の遺影の前で焼香をするというのにも故人には失礼だがものすごい違和感を感じた。あなたは誰ですかと・・。これが、親しい友人の身内だと、ああ、この人が彼を作ってきたのかとそれなりの感慨を持って遺影を拝むこともできるのであるが・・。
僕の父親が死んだのは20年ほど前で、そろそろ、内輪だけでやるので会葬、香典は辞退という形式がちらほら現れた頃だったので、僕もそれでいいやと思っていたら、葬儀屋に勤めている義兄は派手にやらねばと、来てもらえ、香典ももらえと勝手に段取りを進めていた。僕が仕事で家に戻るの遅くて段取りをつける場にいなかったというのもあるけれども、受付をやってくれていた上司や同僚たちには申しわけないが、なんでこの人たちはこんなところで手伝いをしてくれているのだろうか、僕のとうちゃんのこと、誰も知らないのに。とそんなことを思いながらその場に立っていた。
こういう形式というのは、本来、地元で生業をして、地元で生きているという世界だから成り立つものを、現代の資本主義社会に無理やりはめ込んでしまったことの矛盾でしかないと思うのである。

この本を読んでいる限り、他国では古くからの宗教観に則った形で葬儀が営まれている。人は死ねばどこへ行くのか。それがわかることで現世をどう生きるか、そんなことがおぼろげながらわかることができて、しかもそれが共通概念となることでとりあえずは集団としての結束を保つことができるということなのであろうが、日本はそういうことを捨ててしまったというのがこの葬儀屋事情なのであろうと思う。
母はよく、あの場所は息が詰まりそうだった。だから早くあそこを出たかったのだというようなことを言っていたが、日本の集落というのはどこに行ってもプライベートがなくて気持ちが落ち着かないというようなことを聞く。そういうことが土地に根差した生き方を拒絶する要因になっているのだが、そういうところは他国とどう違うのかをもう少しこの本のなかで掘りおこしてほしいとも思った。
おカネの面でもそうで、日本は世界に比べると断トツに葬儀費用が高いらしい。父親の葬式にいくら使ったかというのは記憶が残っていないが、祭壇は何十万だし、テープレコーダーみたいな坊さんにもけっこう包む。絶対ぼったくっていると思うのは精進落としの弁当だ。スーパーの弁当の5倍以上の値段をつけているのではないかと思える。そして全然美味くない。
それもこれもしきたりをおカネに換えてしまった結果なのである。
そう思うと日本という国はなんと愚かな国だろうと思ってしまうのだ。

墓も建てたけれども、あれもどうなんだろう。たしかに父親はきちんとしておいてあげたいが、そんな信仰心でお墓もなにもないだろう。戒名をもらえるほど徳を積んだこともないしこれからもそんなことをすることはない。子供に手を合わせてもらおうとも思わない。
著者の家系はかなりややこしくて異母兄弟がいたり自身も奥さんの婿養子という形を取っているらしい。「それぞれの新しい家系が続いていくのだ」というような書き方をしているけれども、僕に置き換えると、続いても続かなくても何の益もない家系だから続こうが途絶えようが別になんとも思わない。ちょっと変わった名前の人たちがいなくなるだけだ。
こういったことを思うのは僕だけではないのであろうというのがこの国の愚かさを生み出しているのに違いない。

そして、著者はどんな死に方がいいか、そして、どんな葬り方をしてほしいかということを最後の章で考える。
まずは親しい友人たちにアンケートを取ってみる。日本でも屈指の作家の友人たちなので当然ながらひとつのことを成し遂げた人たちばかりなのであるからひとそれぞれの回答ではあるがさすがに達観した答えばかりだ。がんで死にたいという医師は、疼痛コントロールが可能(意識低下は少ない)なのであちこち不義理をしたところに仁義を切ってから死ねる。だとか、日本一のカヌーイストは激しい流れのなかで岩に押し付けられて身動きが取れない状態で死にたいとのこと。(これを“ハリツケ”というそうだ。)弁護士は最後まで人の役に立つ死に方をしたいそうだ。
葬儀はそれぞれ、「残った人が勝手にやってくれ、でも廉価でいい。」そうだ。
そういった答えを見ながら著者は、アウトドアの仲間と海べりで最後の極冷えビールを飲みつつぼんやり死にたいという。その後は法律上は無理だろうけれども、そのまま浜辺に埋めてもらえればそれでいいという。
そして、「遺言未満、」では、その後は八丈島で散骨してほしいとなってゆく。

僕はどうだろう、何も成し遂げず、「私は忙しいけれどもあなたに電話をしてあげた。」などと言われるくらいだからサラリーマンとしてはすでに死んでいるくらいなので上記のような素晴らしい人たちのようにかっこいい死に方を望むべくもないけれども、思うのは、菊新丸さんに聞いたご老人のような死に方だ。釣り船の出港を待ちながら周りが気つけば死んでいたというのはことさらかっこいいと思う。
僕は釣り船には乗らないので、自分の船でエンジンをかけて暖機運転をしている間に逝っちゃったというのがいいな。渡船屋の船頭が、あいつエンジンかけたまま全然動かんと様子を見に来たら死んでいた。なんていうのはどうだろう。

そのころには僕の葬式を出してくれる人がいるかいないかわからないのでいっそのこと献体でもして最後は切り刻んで魚のえさにでもしてくれと思うのだが、最近は身寄りの少ない人が多いからそんな希望も多くて間に合ってますと断られれるらしいからなんとも世知辛い。
これも法律違反になるのだろうが、高野山の奥の院を歩いていると、たくさんのお墓が建っていて、うっそうとした木々が生えている。こんなところにお墓を建てる財力もないし、お墓自体にもそれほど興味はない。でも、自分の骨のひとかけらくらいはこの木の下に埋もれていてもいいのじゃないかといつも思う。
父の納骨は奥の院でおこなったが、しかし、あれは納骨堂がいっぱいになった時点でどこかへ持っていかれるのだろうから、行き先がわからないくらいならお大師様のひざ元でひっそり粉になってしまいたいと願うのは不遜だろうか・・。

まあ、本格的にそういうことを考えなければならない時期はもう少し後だろうからたまにはこんな本を読みながらじっくり考えてみようと思うのだ。

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「孫市、信長を撃つ」読了

2021年10月20日 | 2021読書
袖岡徹 「孫市、信長を撃つ」読了

「不滅のヒーロー 仮面ライダー伝説」という本は、図書館の郷土資料という書架に並んでいた。この本の著者は和歌山市の出身だそうだ。そしてこの本を探している途中で、「孫市、信長を撃つ」という本を見つけた。

雑賀孫市やその一族は一地方の武将とも言えない豪族としてはけっこう主人公として取り上げられているのではないだろうか。時代小説なんてほとんど読まないのでこんな奇想天外な設定といのがほかにもあるのかどうかわからないけれども、雑賀一族はいつも奇想天外な運命に翻弄されている。

今回は、織田信長を殺したのは雑賀孫市という設定である。それも2回も殺すことになっているのだ。(2回目は実質的には命は奪っていないが。)
ということは、本能寺の変で死んだ信長は替え玉であったということである。
本当の信長は朝倉家の討伐に向かう途中、浅井長政の軍に挟撃されそうになった時、その危機から逃げる途中に孫市に撃たれその傷が元で命を落とす。
そのあと、替え玉になった男は、秀吉が墨俣で戦った土豪の棟梁であった。顔があまりにも似ているというので竹中半兵衛が匿っていたものだ。最初はそれを知る周りの武将の言うことに従っていたが、次第に土豪としての暴虐ぶりを発揮し始める。
孫市は墨俣でその土豪と対峙しており、銃口を口の中に突っ込むというところまで追いつめていた。
一向宗の信者のなで斬りや比叡山の焼き討ちなどは替え玉の残虐さがさせたものであったというのである。

それを憂いた秀吉を除く側近が替え玉の信長を排除しようとしたのが本能寺の変であったというのである。
門徒宗に執拗な迫害をおこなった信長に対して、あの時に撃ちもらした孫市にとっては忸怩たる思いがあった。
それが、今の信長は替え玉であったということを知った孫市をたきつけたのは黒田官兵衛であった。明智光秀に謀反を促したのは自身も日本の支配者になるという野望を抱いていた官兵衛にアドヴァイスを受けた孫市であったのだ。
本能寺の変を生き延びた信長を襲ったのは瀬田の唐橋で待ち伏せていた孫市で、火薬入れに入った火薬で顔を焼き生きながら放免した。
そんなお話である。
おまけは、その後、孫市は姿をくらまし、再びその姿を現すのは秀吉の朝鮮出兵である。朝鮮軍の「沙也加」と呼ばれた将軍はその孫市であるというのは神坂次郎の小説の結末と同じである。

しかし、「講釈師見てきたような嘘を言い。」というが、歴史の事実の各断片の間をうまくつなげてこんなにも奇想天外な物語を作ったものだと思う。
信長軍随一の忠臣であった佐久間盛や林秀貞が粛清されたのは信長が替え玉であると知っていたからである、とか、それを知った嫡男の信忠が征夷大将軍の推挙を受け、信長の影響力を排除しようとしたとか、それを知った信長が明智光秀に信忠を討つようにそそのかし、それが信長に対する謀反につながったというような想像を史実とうまく整合性を持たせて物語を創り上げるというのはたいしたものだというしかない。いやいや、きっとこの物語は真実であるに違いないとも思ってしまうのは僕の勝手である・・。

思えば、昨日、船底塗装をしていた場所は孫市の拠点のひとつであった。当時、この場所は海であったはずだが、それでも孫市はこの場所を行ったり来たりしていたに違いない。
ここから各地へ傭兵として向かっていったと思うと人生を醒めきりながら過ごしている自分にもわずかながら奮い立つ意識を目覚めさせてくれるのである。


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船底塗装

2021年10月19日 | Weblog
今日は連休初日、大きいほうの船の船底塗装をするために取った連休だ。朝一に満潮を迎える大潮の日を見ながら連休を取る計画を立てる。仕事は二の次なのである。
せっかく立てた計画も天候次第で台無しになることもある。今回も当日がなにやら雨模様の雰囲気が出てきた。しかし、母親の病院への送り迎えをしたりしなければならないものだから天気の回復を祈りながら当日を待った。
天からはまだ見放されていなかったのか、雨の降りだしが午後からという予報に変わってきた。午前中に作業を終えることができればなんとかなりそうだ。

今回もちからさんに面倒をおかけしての上架作業だ。
バイクを和歌浦漁港のスロープに置いて水軒の港へ徒歩で移動。



午前6時半に港へ集合。幸い風は穏やかで台車への誘導は一発でうまくいった。
今年は水温が高かったのか、かなりたくさんのフジツボが付着している。

 

空模様をにらみながら作業を進めるが、プラドールZを塗り始めた頃から雨が降り出した。うわ~、これはヤバいと荷物をスロープのウインチ小屋に避難させて様子を見る。幸いにして雨はすぐに上がり再び作業を進める。
今回は二つの作業を加えてみようと考えていた。ひとつは喫水部分の余分な塗料をマルチツールを使ってこそぎ落とすこと、もうひとつは前回の上架のときに失敗した、舵のマウントの錆取りだ。
しかし、このさぎょうはことごと失敗。マルチツールは塗料がかなり堅固でまったく歯が立たず、無理に剥がそうとするとゲルコートにまで傷をつけてしまう。4400円の投資が無駄になってしまった。



錆のほうはこれはマウントすべてが錆に置き換わっているのではないかと思うほど固い。タガネを打ち付けてもびくともしない。



まあ、これらを断念したおかげでお昼過ぎにすべての作業を終えることができたのではあるが・・。



家にたどり着いた直後に本降りの雨になり、これはこれで断念したことが奏功したという結果になった。

今回は実験的な試みもしてみた。ネットの書き込みで、油性マジックはフジツボを寄せ付けないというのを見つけてスクリューの留め具の一部に塗ってみた。
まあ、こんなものは都市伝説のようなものなのだろうけれども万が一これが本当なら高価なペラ専用の塗料を買わずに済むので一見の価値はある。




翌日の早朝、船を進水させたのだが、北風が強い。(このブログは翌日に書いている。)



こんな状況で果たして台車から離岸できるのかという不安があったが、ちからさんは大丈夫だと言ってくれる。それに心強いことに偶然居合わせた菊新丸さんも手伝ってくれるという。エキスパートのお二人がいれば百人力だ。安心して臨むことができる。
僕は母港へ戻ることよりも進水させることが不安だったのだが、お二人はこの風だから戻ることを心配しなさいと言ってくれる。そこまで心配しなくても大丈夫だと思ってはいたけれども、その心配は本当だった。
雑賀崎の手前までは航跡の写真を撮る余裕もあったのだけれども、双子島を迂回しようととったコースの途中でどんどん波が高くなってきた。



大島の影を見るところまでくると前進するのが困難なほどになってきた。もともと、番所の鼻の前の海峡は狭いのでこの風では通過するのは困難だと思ってとったコースだが、これではたまらない。仕方がないので番所の鼻に向けて針路を変更。双子島と大島が盾になって少しは北風を防いでくれるが、こんな鈍色の空は恐怖でしかない。



一気に海峡を通り抜けその勢いで一文字の切れ目を通り抜けて一息つくことができた。

 

今回も素人と玄人の見るところの大きな違いを思い知らされるという結果になってしまった。

その後、お昼前から病院へ。



待って待って午後6時に帰宅。
なんとか乗り切れた二日間であった・・。





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「不滅のヒーロー 仮面ライダー伝説」読了

2021年10月18日 | 2021読書
岡謙二 「不滅のヒーロー 仮面ライダー伝説」読了

今年は仮面ライダーが放送を開始して50周年の年に当たるそうだ。第1回の放送は1971年4月3日。僕が7歳になった直後、小学2年生の新学期が始まったときのことである。
その日は鮮明に覚えている。すごい番組が始まるという情報は友達同士でも話題になっていて、姉に懇願してこの時間は僕がテレビを見る時間にしてもらった。
しかし、期待とは裏腹に、ちょっと不気味な雰囲気のドラマが始まり最初の頃はあまりなじむことができなかった。
しかし、2号ライダーが登場した頃からだっただろか、ストーリーは断然面白くなってきた。
そして変身ポーズというのが革新的だった。ベータカプセルもウルトラアイも必要ないので金持ちも貧乏も一緒に変身できる。学校ではお前の左腕の角度が悪いなんて評価しあいながら品評会をする。仮面ライダーはそれほど当時の少年にとっては憧れであり神様といってもよい存在であった。

子供の頃からコスチュームやユニフォームといった類が大嫌いで集団活動になじめない性格であったので変身ベルトは欲しいとは思わなかったが、御多分に漏れず仮面ライダーカードは一生懸命集めた。これはおまけのカード欲しさに本体のスナックのほうを食べずに捨ててしまうというので社会問題にもなったけれども、僕はそれほどのお小遣いをもらえるわけもなく、たまにもらえる50円玉を握りしめて行っても二袋しか買えなかった。捨てずに食べようとは思うのだが、どうしてこんなに不味いのかと思うほど美味しくはなかった。
そんなに熱中していた仮面ライダーだが、V3が終わると興味も醒めてきた。結局、その期間はたった3年間であったが永遠のように長く感じられる期間でもあった。

この本は仮面ライダーを演じた俳優のインタビューや、当時の時代背景を分析し仮面ライダーとは一体何者であったか、そんなことを論じている。
数多あるヒーローの中で、どうして仮面ライダーだけがこれほど人々の中で印象に残っているのだろうか。それまでにも実写のヒーローはたくさんいた。僕がテレビで見ていたものだけでも光速エスパーであったりジャイアントロボであったりマグマ大使がいた。仮面ライダーの後にもキカイダーがいて、イナズマンがいた。しかし、現在、仮面ライダーほど人口に膾炙しているとも思えない。
著者はその要因を仮面ライダーの制作にかかわった人たちの言葉を引用しながらこう分析する。
俳優のインタビューは苦労話や主役に選ばれたきっかけというのが、これは相当盛られているなという部分はあったが、脚本家や原作の石森章太郎の言葉には的を射ているというものがある。
脚本家の市川森一は、「仮面は人類とともに発生し、それをつけることによって、ひとつの人格が別の人格に生まれ変わる。別の人間が仮面の下に誕生し、その人間が日常性を脱し、我々の悩みを解決してくれるとしたら、それに勝る快事はない。」と語り、
石森章太郎は、「異形のものでなければヒーローになれない。ヒーローは不気味なおもしろさが必要」という信念からあのキャラクターを作った。
著者は異形であることの必要性をこう書いている。
『異業とは異端と同義である。それは”正形”、”正常”という概念があるからこそ生まれるものである。だが”正形”、”正常”とは、一つの社会や集団によってみとめられた大多数の共通項、いわゆるその社会集団でのみ通用する常識や規範に合致したものにすぎない。だからこそ、そこから大きく外れたものを”異形”として攻撃するのだ。なぜなら”異形”の存在を認めた瞬間から彼らが依って立つ常識や規範が崩れていくからである。
異形のものを排除するのは”彼”が自分たちをはるかに超えた能力を持っているのではないかと恐れたことにもよるだろう。
常識によってとらえることができず、規範にも収まらない“彼”の姿は理解不能であることによって、恐れられたのだ。つまり、人々は“異形”の中に、自分たちを超えた未知の能力や才能を空想したのである。』
一種の異様さがこの人気の秘密だったのだろうか・・。そして、仮面の中の正体を明かせないということも異様さにつながるプロットだったのかもしれない。そういえば、ウルトラマンや名探偵コナンも同じく正体を明かせないという共通点があり長く放送されている。
それと、仮面=異形と考えるなら、この作品に携わった人たちは、当時もっともステイタスがあった映画界からあぶれ、さらにテレビ番組の中では「ジャリ番」と蔑まされた異形な状況から這い上がるための反骨精神、そういったものが作品の中に強い迫力を生み出したのかもしれない。
それが、東映のテレビ部長が語った、『今までになかったものをやろう』という掛け声に現れているのだ。
オイルショックや公害問題、70年安保などの社会不安が物語の異様さとリンクしたというのも人気が爆発した理由であるというが、それらは全部大人の理由付けで、子供にとっては、異形だろうが異端だろうが関係ない。とにかくかっこよかった。それだけだ。
この本の扉の写真がそれをものがたっている。



もう、それだけでいいのだ。
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「神様からひと言」読了

2021年10月13日 | 2021読書
荻原浩 「神様からひと言」読了

この本は、いつも僕のブログにコメントを寄せてくれるwarotekanaさんから面白いですよと教えてもらった本だ。
いわゆるサラリーマンもので会社の片隅に追いやられたはみだし社員が一発逆転で会社の不正を暴くというごくよくある小説なのだが、その舞台がとある中堅食品メーカーのお客様相談室というところが気に入った。Warotekanaさんは僕と同じ業界で長く働いていて、クレーム対応というのがけっこう骨の折れる仕事だということをよく知っている。『コールが鳴るたびに心臓が肋骨の奥でバウンドした。』というのはまことに実感がこもっている。僕もさんざんそういったことに悩まされてきた。だからきっとこの本を勧めてくれたのだと思うが、小説の会社とわが社(いまでは”かつて”だが・・)大分お客様相談室の性格が異なる。わが社の相談室はただの取次で対応と処理は現場がやってねというスタンスだが、この中堅塞品メーカーは相談室のメンバーが直接クレーム処理に当たることになっている。
主人公は大手広告代理店をケンカが元で退職せざるおえなくなり、中途採用で入社したこの会社でも4か月目に役員会議室でケンカをしてしまいこの部屋に飛ばされた若者だ。
わが社もそうだが、こういうところは大体窓際の部類で何か会社の中でいけないことをしたか、定年退職間際の一時留置場所みたいなところがある。
もうすぐに辞めてやると思いながら、家賃の滞納を解消しなければならない事情があり、我慢の勤務をしている。室長はプライドだけが高く能力はゼロ。責任感もゼロ。実質的な業務はすべて通称“謝罪のプロ”と言われている主任だ。しかし、この主任も競艇狂いでまったくやる気なしなのだが、いざクレーム処理となると驚異的な能力を発揮する。相手をなだめ、おだて、時にはヨイショしたり、ヤクザには逆に脅しをかけながら次々とクレームを処理してゆく。それを見習いながら、主人公もなんとか自分の居場所を見つけようとし、生きることは何であるか、自分にとって大切なものとはなんだったのか、そういうこと自問自答する。そして、クレーム対応をしているうちに副社長の不正を見つけてしまう。同僚の自殺をきっかけにその不正を暴こうと半端ものの社員たちが立ち上がる・・。
「神様のひと言」とはこの会社の社訓の一部だが、本当に意味するものは何であったのか、それはこの小説をこれから読みたい人のために秘密にしておく・・。
といったような内容だ。もちろんこれは小説なのだからこんなにスパッとクレームが片付くはずはないのだが、相手を小バカにしながら対応する姿というのは、う~ん、確かにそうだよな~。と納得するのである。こいつには明らかに勝てるとわかった相手には僕もそんな気持ちで挑んだものだ。相手の揚げ足を取りながら少しずつ追いつめてゆくというのはけっこう面白かったりするのだ。クレーム処理に行ってきますと外出して遊んでいたこともあった。もうすでに時効だから告白するが、法隆寺にも行ったことがある。さすがに拝観料を払うところまでは入らなかったが、無料で歩ける境内を散歩して帰ってきた。
だから主人公たちの気持ちや行動には共感できるものがあるのだ。
しかし、この本の神髄は主人公のこのセリフに表れているように思う。『会社はあんたの遊び場じゃない。社員はあんたのおもちゃじゃない。何の苦労もせずに(苦労をしたとしても。※これは僕が加筆したものです。)手に入れた肩書で、人に偉そうに指図するな。人の気持ちを操るな。他人の生活を脅かすな!』
これだ。

面白かった。久しぶりに、早く帰りの時間になってくれないかな~。電車に乗って続きを読みたいなと思った。

企業ものなら僕も面白おかしく物語を作れるのじゃないかと物語のプロットを考えてみた。これはあくまでもフィクションである。あくまでも・・。
まずは登場人物
契約社員A
舞台となる会社が新規事業を始めるのにあたって、他社で類似の事業を経験したことがあるという理由だけでこの部署に異動してきた人物。会社の組織図にも乗っていないが実質的な権力者。モリモトソウリが問題発言だと言われたようなことを現実化したような性格。
課長B
契約社員Aの完全な傀儡。傀儡だけならまだいいが、管理職でありながらこれは意図してやっているのかどうかわからないが、部下に対して何の命令もしないし、情報も伝達しない。
担当課長C
仕事ではしょっちゅう抜けを起こすがなぜか憎めない。旧知の人脈を活かし、この職場随一の情報通。
係長D
結構真面目で、休まない。実質的に現場を切り盛りしている。
係長E
別の部署から移動してきたが、我が道だけを行っている。
社員E
結構真面目の新婚さん。飄々としながら仕事をこなす。係長Dとペアで実質的な運営者。
社員F
50代の平社員。役職が付いていないのを引け目に思っているのか、性格も卑屈。名前を貼り付けたボードにはなぜか「美化係」というシールを貼っている。年下の社員Eに異常なほどライバル心を持っている。

(こんな感じ)
社員G
受託をしたこの事業が2年後契約更新されなければ次はどこに行かされるのだろうかといつも心配している。
社員H
初顔合わせでいきなり、「私、バツイチです。」と言う自意識過剰気味な性格。意識高い系で仕事もできると思い込んでいる。趣味も自慢したくて、誰も見たくないであろう墨で描いた読めない文字をタブレットで見せびらかしている。
担当課長I
この物語の語り部。あと2年と少しで定年退職を迎える去年まで系列のコンビニで店員をやっていた窓際族。歳の割にパソコン操作がうまく、便利屋的に使われている。向上心は今更持っても仕方がないと思っていて、趣味に生きることができればそれで本望であると思っている。

とまあ、こんな感じか。
あらすじはこうだ。
新規事業を受託したある会社。受託したもののまったくその業界で通用するノウハウは持っていない。唯一その仕事を経験したことがあるのが契約社員Aだった。会社としては正社員でもないのに彼女に実質的な運営を任せた。彼女は自分の居場所を確保するため暴走し始める。命令は思いつき、朝令暮改は当たり前で、途中でやっていた仕事を投げ出すこともある。自分以外の他者は無能であり、自分がいないとこの事業は回らないのだと社内で喧伝することで自分の重要性を担保したいと考えている。
そんな組織に事業拡大の命令が下った。補充要因として送り込まれたのが今回の登場人物たちだ。
親会社からの出向組だが、だいたいこんなところに出向してくるにはひとつもふたつも訳がある。仕事ができない、使いづらい、何かいけないことをやらかしてしまった。そんなところだ。
契約社員Aはさらにハッスルし、自分の地位を確固たるものにすべく登場人物たちを見下し、罵倒する。こいつらに仕事を覚えられたら自分が捨てられるとでも思っているのだ。彼らにしても今までとはまったく畑違いの仕事に戸惑い、常に正反対に変わってしまう命令に右往左往する。
そんな状況を本部の幹部たちは知っているのだが、当の幹部たちも自分たちが仕事の構造をわかっていないので何も口出しができない。
この組織の責任者は課長Bなのであるが、本来の優しさのゆえか、それとも無気力なのか、まったく命令も指示もしないので余計に契約社員Aが強く出る。もう、課長Bは完全に契約社員Aを恐れている。ヘビの前に佇むカエルみたいなものだ。矛盾だらけの命令は課長Bを飛び越えて直接発せられる。だから余計に混乱する。
なので、課長B以外のメンバーはすべて心の中に矛盾を抱えて日々を送っている。「これは社をあげて挑んだ新規事業に参加されている皆さんへのお願いです。(これは契約社員Aのセリフ)」と言われても、全員がそんなもの会社が勝手にやっているだけだし、自分たちは望んでここに異動してきたのではないと思っているので何の事件も起こらない。これでは物語としては全然面白くない。
本当は語り部である担当課長Iあたりが課長Bを鼓舞して、仲間を巻き込み契約社員Aを追い出すくらいの業績を上げましたというようなストーリーか、子飼いのアルバイトの退勤時刻をごまかして給料を水増ししてやっているという不正を暴くストーリーが出来上がれば面白いのだが、その担当課長Iも、時々面白がって契約社員Aを怒らせることを言って楽しんでいるくらいのストーリーしか描けないのだからやっぱり全然面白くない。
大体、彼は定時に帰れて休日をきちんと取れればあとはどうでもいいというくらいにしか思っていないのである。それどころか、この課長Bにこのままここでいてくれないとほかのバリバリの管理職がやってくると余計な仕事をやらされるのではないかと考えているのでこのままの状態が続いてほしいなどとも思っている。また、このカオスな職場の状況を傍観者のように楽しんでいたりするのであるから、小説の中のヒーローになどなれっこないのである。
まあ、どちらにしても、会社全体の不正でなくてアルバイトの給料を誤魔化すくらいだったら元々が小説にはならないだろうな。
それに、せっかく設定した係長Dから社員Hまではあまりにも我が道を行っているので物語にどう絡ませようかまったく構想が浮かばない。キャラクターとしては面白いが・・。

だから僕は、こうやってすでに出来上がった小説を読む方がいいのである。

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「未来の年表2 人口減少日本であなたに起きること」読了

2021年10月12日 | 2021読書
河合雅司 「未来の年表2 人口減少日本であなたに起きること」読了

前回読んだ本の続編だ。
今度は人口減少が原因で身近におこるさまざまな困難を予想している。
目次を見ながらどんなことが起こるのかということをピックアップして列挙してみると、
・伴侶に先立たれると自宅が凶器と化す
・亡くなる人が増えると、スズメバチに襲われる
・食卓から野菜が消え、健康を損なう
・80代が街を闊歩し、窓口・売り場は大混乱する
・老後資金が貯まらず、「貧乏定年」が増大
・オフィスが高年齢化し、若手の労働意欲が下がる
・若者が減ると、民主主義が崩壊する
・ネット通販が普及し、商品が届かなくなる
ほかにもたくさん書かれているが、どれもなんだか風が吹けば桶屋が儲かるっぽい感じのものばかりのような気がする。
ひとつだけは実感するものがあった。「80代が街を・・」というものだが、なかなかこっちの話を理解してくれないというのは僕たちの業界では2025年を待たずしてすでに普通となっている。著者は知らないだろうが、もっとやっかいなのが、前頭葉が硬直化してしまった人々のクレーマー化だ。これは本当に年を追うごとにひどくなっていると思う。今の職場は小売業ではないのでまさかクレーマーなんておるまいと思っていたら、きっちり存在していた。毎日やってきてそんなことよく見つけるなと思うようなところを突いて文句を言ってくる。本人は世の中の矛盾を正すのだと思っているのかもしれないが、本当に迷惑だ。こっちは民間企業なのでべつにてにおはを間違えたからと言って世間にどれほどの影響があるのかというものだ。俺に笑顔で挨拶をしないというのはお前がクレーマーだと認識されているということがわかっていないのだから案外幸せな人なのかもしれないと逆に思ったりしてしまう。
誰も相手をしてくれる人がいないのでなんでも言うことを聞いてくれて自分を否定しない人にたかりに行きたいという心理もわからないではないが、こっちは大迷惑をこうむっているということがまったく理解できないという人はこれからまだまだ増えてくるに違いない。

それ以外の、老人が独り暮らしになると自宅の整理整頓が行き届かなくなって何かにつまづいてけがをしたり、空き家が増えるとスズメバチも巣をつくり始めると思う。しかし、人々もただ、高齢化社会を手をこまねいて見ているだけではないだろう。政治レベルで何もしてもらえなければ自分たちでなんとかすると思う。
それこそ、もっと動ける老人が増え、そういう人たちはネットにも長けているからそういうものを使って自分の体力の衰えをカバーしてゆく術を見つけ出すのだと思う。

この本も、最後にわずかだがこういった困難に対してどういったことをすればよいかということを書いているが、どちらかというと起こりうることを面白おかしく書いている部分が主体だ。ワイドショー的な興味本位というもので、読者もそういったものを求めているというのがこの本が出来上がった所以だろう。
おそらく、この本を読んでいるひとは僕を含めて自分にはそんなことは降りかかってこないと思い込んでいるから笑いながら読めるのだと思う。
まあ、そんな感じで読めばそれでいいくらいの内容だった。どういった方法でそんな事態をカバーできるか、少しだけ備えをシミュレーションしておけばいいかなとは思ったが・・。

せっかくなのでその対処法、この本では、「今からあなたにできること」としてまとめられているが、書き留めておこうと思う。
・働けるうちは働く
・一人で二つ以上の仕事をこなす
・家の中をコンパクト化する
・ライフプランを描く
・年金受給開始年齢を繰り下げ、起業する

だそうだ、どれもこれもなかなかハードルが高い・・。
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水軒沖釣行

2021年10月11日 | 2021釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 8:53満潮
釣果:タチウオ5.5匹

今日も午前中に病院に行かねばならない。だから朝だけの出撃だ。午前11時半が予約時間なのでギリギリまで釣りをするとそれなりの時間を取れるのだが、病院に行くまでに軽油の免税証をもらいに行かねばならない。それに、庭の木の剪定も少しずつ進めねばならないのだ。

となると、やっぱりダメ元でタチウオしかない。今年は釣れ始めが遅く、釣れ出すと数がグッと増えたもののその後はすぐに釣れなくなってしまった。結局それほどたくさん食べた記憶もなくシーズンが終わってしまうのかとなると残念だし、前回の釣行の時にタチウオ名人に聞くと、よい日で10匹くらいは釣れるというのでもうちょっと食べておきたいとも思ったのだ。

しかし、今日も暑い。一応ヤッケを持ってきたのだがそんなことを忘れてしまうほど今朝も秋らしさを感じない。



今日もタチウオ名人は出撃する模様だ。



僕もどんな釣りをするにも出港時刻は早い方だが、名人はもっと早い。大体僕が港に到着すると名人はすでに出港したあとなのだが、今日はちょうどエンジンを温めている時であった。
名人も聞くところによると80歳を超えているらしく、それにしては元気だとは思うが、さすがに足腰がおぼつかないようで、前回の釣行の時、名人も加太に出張っていっていたらしく帰港が同じような時刻になっていた。中潮で満潮時刻だったもので舳先と岸壁はかなりの高低差ができており飛び降りることができず、舳先に腰掛け、ロープをたぐり寄せながら届かない足でなんとか降りようとしている。満潮なものだから錨が張ってしまっていて舳先と岸壁の間にはそれなりの空間が開いてしまっているのでこれは危険じゃないかと慌てて介添えに走ったのだが、大体、船を手放そうと決めるのは船への乗り降りがおぼつかなくなった時であるというのは、お父さんが帝国軍の兵士(といっても幕僚クラスの高級士官だったそうだが)だった先輩に教えてもらったことだ。となると、僕もあと20年も船には乗れないなと悲しくなるのである。もっと高級なマリーナなら浮桟橋が付いていて、乗り降りも楽なのだろうけれども貧乏サラリーマンならそうもいかない。もとより、僕はここで生まれたのだからここで釣り人生を全うするのが当然だと思っているのでそれはそれでいいのである。

名人に少し遅れて出港。今日も海面を漂う電気ウキを見つけることができずにポイントへ到着。陸からも釣れていないのだろうな。
そしてこっちにもまったくアタリがない、東の空が明るくなってきて、今日は完全にボウズかと思った時にやっとアタリ。それもほんのかすかなアタリだ。上がってきたのも小さい。まあ、これが今年のアベレージサイズだ。しかし、その後は若干スイッチが入ったか、連続でアタリがある。今日のポイントは港内だ。アタリがあった場所を行ったり来たりしていると、かなり大きなアタリ。おお、これは指4本はありそうかと思いながら仕掛けをたぐり寄せるとかなり明るくなった海面に相当長い魚体が見えた。これは大きいぞと一気に引き上げたら、体が半分になってしまっている指3本ほどのタチウオが引っ掛かっていた。だから今日の釣果には小数点がついている。釣果が少ないのでこれも数のうち、ひと切れだが煮魚用の身を取ることができる。大きく見えたのはこいつに喰いついたタチウオと2匹分の長さの魚影を見ていたからであった。しかし、こいつをひと噛みで真っ二つにするくらいだから、後ろに喰いついていたやつはそれなりに大きかったのかもしれない。
そして、逃げていったやつは共喰いだけでは飽き足らなかったのか、僕の仕掛けも食いちぎって行きやがった。残った鉤は3本。予備の仕掛けに取り替えるほどの時間も残っていないのでそのまま続行。
魚はまあまあいるらしくその後もアタリは続く。といってもそのアタリもすぐに終わり、じっくり粘ればポツポツと魚を拾えるのかもしれないが禁断の仕掛けに変更。



今日は海面も穏やかなので住金の一文字を目指した。小船の方も船底が汚れてしまっているのでまったく速度が出ないのでかなりの時間をかけてやっと釣り公園の前までやってきた。なんでこんなに遠征をしてきたかというと、土曜日にこの辺りにナブラが現れてハマチやシオが釣れたという情報を耳にしたからだ。
釣り公園から一文字の前を通り、裏側まで行ってみたがまったくアタリはなし。
そのまま来た道を引き返し今日は終了。



港に戻ってハロウィンの飾りをつけてみた。何の意味もないが・・・。



家に帰って魚をさばき、道具を洗って松の剪定。秋は枝を切らずに葉っぱを抜けというのが叔父さんの教えなのでそれに従って4分の1ほどをやってみた。もとの剪定の仕方が下手なのか、ほかの家の松の木みたいに枝の先にひとつの葉っぱの塊があるような感じには全然ならない。そんなのを見ていると嫌になってきてすぐにやめてしまい、風呂の水を浴びて県庁へ。



先週の月曜日に申請をしたときに、来週の月曜日は祝日だから火曜日以降に来てくださいと言われたが、今年はオリンピックがあって、この祝日は7月に移っているそうだ。僕もそうだが、そういうことを知らない人間というのは大体が仕事のできない人間だ、周りのことに気を配らないことが如実に表れている。間違った認識をしているやつもバカだが、そういう間違った情報を聞いて、すぐに指摘をできないのはもっとバカである。
あの人も僕みたいにのらりくらりと生きているのだろうなと親近感は覚えるのであるが・・。

家に帰って一服して病院へ。



今日も11時半の診察予約が午後2時まで待つことになった。毎回思うのだが、そんなに待たせるということ明白なのだから予約時間を最初から調整してくれてもよさそうなものだが、待たせることに何か意味があるのだろうかと考える。これは勘繰りでしかないのだが、待ち疲れて診察を受けると、もうそこでは何も考えられなくなる。まあ、大学病院に行こうかとなると命にかかわるような病気なのだから、あれも聞きたい、これも聞きたい、こいつは信用できるのかとか、こっちが思っていることと違うことを言われると文句のひとつも言いたくなるというところを疲れさせて何も言わせないようにしているのではないかと思うのである。これではもう、宮本武蔵の到着を待ち疲れた佐々木小次郎のようなものだ。
病院ではきっとこれを巌流島作戦と名付けているに違いない。

そんな待ち疲れた状況で先週の検査の結果を聞くとクロが確定したということであった。8日のCTスキャンの結果は出ていないので転移があるかどうかはわからないが、転移がないと手術ということになるらしい。選択は自由らしいが、母親曰く、「全身に転移していてくれたほうが手術をしなくて済むからそれのほうがいい。」とのこと。確かにそれはそれで正しいのかもしれない。あの年まで健康に生きてきて今さら手術と言われても恐れしかないというのもうなずける。
僕もその時は全身に回るまで我慢をし続けて医者に行こうかと思ってしまった。何かに似ていると思ったら、シイタケのホダ木状態だ。僕はこれをシイタケ作戦と名付けようと思った。
今の状態を思うと、シイタケ作戦に移行するまえに脳梗塞か心筋梗塞で逝ってしまうほうが確率は高いと思うけれども・・。

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