イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

水軒沖釣行

2013年02月22日 | Weblog
場所:水軒沖
条件:中潮 5:17満潮
釣果:コウイカ 1匹

今日は加太へ行きたいと思っていたが、夕べは帰りが遅く、今朝は午前4時半に目を覚ましたものの家から見える煙突の煙は南に大きくたなびいている。
疲れているし、もういいか。と二度寝に入った。
朝の連ドラを見てから散髪に行こうと家を出ると、煙突の煙はまっすぐ上に昇っている。
う~ん、これでは行けたのではないかと後悔を始める。
この時間からだと加太へ行くのは難しいがイカを釣りにならいけるだろうと急いで服を着替えて家を出た。

エンジンの暖機運転もそこそこに出港。なんとか午前9時過ぎには仕掛けを下ろすことができた。

水が少し白く濁っているからか、水温が低いためか、時間が遅すぎるのか、はたまた時期が過ぎたのか、アタリがない。

やっとアタリが出たと思ったら韓国のプサンあたりで生で食べているような妙に足の長いタコだったりする。



それでも1回だけイカがアタッてきてくれた。それもかなりの大型だ。多分今まで釣った中では最大級ではないだろうか。
しかし中途半端な気持ちで出撃してきたものだから気力もここまで、午前11時に終了してしまった。

午後から親戚の叔父さんがコウイカを持って家にやってきた。マリーナシティの大堤防で5匹釣ったそうだ。
陸戦隊に負けるとは・・・
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「100分de名著 般若心経」読了

2013年02月19日 | Weblog
日本放送協会/編集 NHK出版/編集 佐々木閑/著 「NHKテレビテキスト 100分de名著 般若心経 「見えない力」を味方にする」読了

先月、Eテレで放送していたのを見ていてなかなか面白かったのでそのテキストを買ってみた。

まずは小乗仏教と大乗仏教の比較の解説。
中学校では言葉だけ勉強し、どちらも釈迦の教えだと思っていたが、小乗仏教は確かに釈迦の教えだがそれを否定することから生まれたのが大乗仏教であったというのは驚きの内容だ。
釈迦の仏教は自分で修行して自己を救済し、同じ環境を求める人には救済の手を差し伸べるのに対し、そんな強い意志を持たない人にも救済の手を差し伸べようというのが大乗仏教だそうだ。これではまったく逆の思想ではないか。
「俺の背中を見て覚えろ。」という職人の世界と、OJTでバカな社員にもなんとか仕事を教えましょうというほどの違いだ。

存在に関する見解も、釈迦の仏教では確かに五蘊という存在するものはある。しかし、それが刻一刻と関係性が変化しており実態はないという諸行無常という世界を作っている。しかし、小乗仏教はその存在自体も否定しすべては「空」であるという考えだからまったくもってこれも逆である。
しかし、この考え方は現代の物理学とよく似ているのに驚かされる。不確定性原理というのは原子核の周りを回っている電子の位置は予測できるのもではなく、観測した瞬間に位置が決定されていて、どの時間にどの場所に存在するかというのは確率論でしか考えれらず、もっと突き詰めて考えると、物質のすべての始まりである宇宙の最初のビッグバンはまったく持って「無」の世界から突然現れたとされている。
物質の姿は刻一刻と変化するという不確定性原理、「無」から生まれた宇宙の始まり・・・、世界が人間が考えたとおりに見せかけているのか、ビッグバンから生まれた人間は直感的にそういう原理を知っていたのか、どちらにしても不思議なことには変わりはない。

そして般若心経の物語は、瞑想をしてる釈迦の横で観音菩薩が舎利子という釈迦の弟子に説いているという設定で、釈迦の根本理論である物質の存在を否定し、釈迦が修行により乗り越えようとした物質があるから発生する煩悩や苦悩は、世の中見方によってはすべてが「空」なのだからそんな心配をすることはないのだよと説いている。
なかなかこの菩薩様も大胆不敵だ。

たしかに、強い心を持たない僕のような人間でも救われるという考えはホッとさせられる。それが般若心経をはじめ大乗仏教が日本に広く行き渡った理由なのかもしれない。
しかし、一方では、「自分より世間が悪いのだ。」という理由で起こっているようなわけがわからない犯罪は長い間日本の中ではぐくまれ続けたこんな他力本願てきな思想が許しているのかもしれないと思えるところもある。
どちらにしても、自立した心を前提に生きる気持ちがないと何でも悪い方向に向いてしまうのだろう。

般若心経というと、レインボーマンが変身するときの「アノクタラサンミャクサンボダイ・・・」というセリフしか知らなかったが、勉強して見るとものすごく深いものがあるようだ。


摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五

蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不

異色色即是空空即是色受想行識亦復如

是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄

不増不減是故空中無色無受想行識無眼

耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至

無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死

亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無

所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無

罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢

想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故

得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜

多是大神咒是大明咒是無上咒是無等等

咒能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜

多咒即説咒曰

掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦

菩提薩婆訶 般若心経

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「見仏記」読了

2013年02月13日 | Weblog
みうらじゅん・いとうせいこう 「見仏記」読了

以前に読んだ、「見仏記 ゴールデンガイド篇」の一番最初の本を見つけた。
さすがけっこう有名なお寺が掲載されている。

著者たちは仏像を信仰の対象として見るのではなく、単なる仏(ブツ)として見ているというところがこの本の味噌である。
それゆえに読む人がそれぞれの感覚でこの本を読むことができるのであろうか。
仏像にエロティシズムや恋愛感情を投影しているのが面白い。

しかし、単なるブツではなく、やっぱりそれを造った当時の人々の思いのようなものに近づこうとしているところにある意味やさしさが現され、続編がたくさん生まれるほどの人気本になったのだろうと思う。

みうらじゅんという人は小学生のころから自分で仏像のスクラップブックを作って自分でコメントを書いていたということだ。「死んだら自分の記憶は何もなくなる。そしてそれを他人には全部伝えることができない。自分を残したいという業と執着が余計に記憶に残そうとする・・・」何かわかるような気がする。
僕はまったく逆で、まったく記憶力がないのでなんとか記録を残すことで記憶の代わりにしようとしている。このブログもそんなもののひとつかもしれないと考えている。

僕はブツというよりも仏教の思想をもっと知りたいとは思っているのだが、仏様の体系をもう一度この本を見直しながら勉強をしてみるのもいいのではないかと考えている。


朝、釣りに出るために早く起きてテレビを見ていると、「見仏記」のテレビ版というのをやっていることがある。関西テレビ京都チャンネルというCSで放送されていたようだが、これは気持ちが悪かった。BGMもなく、なにやらAVを見ているような・・・。ここまでくるとちょっとまずいのではないかと思ったりしてそれでも出発時刻を過ぎても見入ってしまっている僕はやっぱりかなりのオタクなのかもしれない。
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加太沖釣行

2013年02月10日 | Weblog
場所:加太沖
条件:大潮 6:38満潮
潮流:7:13 上り3.1ノット最強 10:52転流
釣果:サゴシ 1匹

うれしいはずなのに憂鬱な連休が後半にさしかかり、明日は少し波が出そうだが今日はあいにくの予定があった。
しかし、その予定が無くなってしまい釣りに出ることができる。天の配剤かはたまた憂鬱に輪をかける罠なのかはわからないがとりあえず加太へ出港だ。

今日は大潮で潮流が最強になる時刻が早い。できるだけ早くポイントへ行かなければと久々で夜明け前に港を出た。



前回の釣行とは違い、今日の海はなんとも穏やかだ。
すべるように船は進んでいく。なんとも気持ちがいい。

今日は旧正月だから帝国軍はひょとしたら休戦常態かと思いきや、どっさり艦船が出ている。
僕が行きたいポイントは完全に占拠されてしまっている。船の釣りもやっぱり平日がいいようだ。
ベトナム戦争でもテトの期間は暗黙の了解で休戦状態だったということなのに・・・。
しかし、お互いに禁を破っているのだからどっちもどっちか。



とりあえず田倉崎の南西の場所からスタート。到着してすぐにアタリがあった。それもかなり大きなアタリであった。一気に竿が持っていかれたのでハリ掛りしているだろうと竿を立てたのがまずかった。
ほんのわずかのあとでバレてしまった。食いついていたのはオレンジのビニールだ。最近はオレンジがよくアタる。

船は上り潮に乗って帝国軍奥深くに流れていくが、今日は友が島と田倉崎の間に艦隊が陣取っているのであまり入っていけないのでこまめに南下と北上を繰り返す。
午前9時ごろ、2回目のアタリ。こんどは慎重に間合いをつめてリールを巻き上げてゆく。アタリも引きも真鯛そのものだったが上がってきたのはサゴシだった。しかし、とりあえずボウズは免れた。

サゴシが出たので今回用意した新兵器を投入。新兵器といってもチョクリの仕掛けだ。手持ちの高仕掛けにからまないように鮎のころがし用の竿を買ってきてチョクリ用の竿に仕立て直した。家から竿を持っていく必要がないのでお手軽にチョクリの仕掛けを出せるのだ。
結果としては獲物がなかったが、エダスを1本食い切られ、次に幹糸を食い切られとアタリは出ることがわかった。これは正規軍として採用決定だ。



中古の釣具店で586円とは価格もお手軽だ。

チョクリにアタリがあった午前9時半ごろ突然赤い旗を掲げた帝国艦船が同盟軍の中に乱入し、僕たちを蹴散らし始めた。
ぼくの船もロックオンされあえなく退散。あの赤い旗の一段は帝国軍のなかでも白兵戦専門の精鋭部隊なのだろうか。怖い・・。



もう、こうなってはこっちの気力が持たない。転流時刻が近づいて北西風が強くなり、仕掛けを安定させるのが難しくなってきたところで今日は終了。
マイミクのたかさんが田倉崎でカワハギを狙っておられるとのことだったので様子をうかがったが、こっちも厳しいとのことであった。
たしかに、今日は潮流が早いはずなのだが、クラゲが漂っているし仕掛けにドロのようなものがこびりつくしで、あまりいい潮ではなかったのではないだろうかととりあえずもっともらしい言い訳を考えてみた。



家に帰って給油のために再度港へ引き返した。
円安とアベノミクスの影響か、ガソリン、軽油、灯油の値段がグッと上がっていた。
給料が上がる前にインフラの値段があがってどうするのだ。これに耐えられるのはローソンの社員くらいなのではないだろうか。
金の価格が上がっていい思いをしたものの、これからは厳しい釣行が続くようだ。



ついでに雑賀崎を訪問。
今日は旧正月なので漁船にたくさんの大漁旗が揚がっていた。テキヤが出ていたりでなかなかいい雰囲気だ。




ついでに路地をさまよってみた。



僕の父親の友人に、ヒデミさんという人がいて、何をしている人かは知らなかったが、絶対に普通のサラリーマンではない怪しげな人であったが雑賀崎に住んでいた。
この人の家に遊びに行くときはスーパーカブに乗って肩があたりそうなほど狭い路地を走っていくのだが、それを思い出した。
幼稚園の頃か小学校に入りたてくらいの頃だったと思うので40年以上前のお話だ。
この路地にある散髪屋さんや酒屋さん、その他もろもろはその頃からまったく変わっていないのではないだろうかという佇まいだ。

 

いいところに迷い込んでしまった。
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「百魚歳時記 第三」読了

2013年02月05日 | Weblog
岩満重孝 「百魚歳時記 第三」読了

「百魚歳時記」の3冊目だ。
掲載されている魚はどんどんマニアックになってくるがそのうちの20種を釣ったり獲ったりしたことがあるというのは僕もマニアックなものだ。
和歌山に生きていてよかった。

この3部作の最後に取り上げているのがアオサだ。
魚じゃなくて海草というのは著者は相当のひねくれ者らしい。

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