イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「鬼の哭く山」読了

2018年12月31日 | 2018読書
宇江敏勝 「鬼の哭く山」読了

去年の今頃もこの作家の本を読んでいた。
高度経済成長期をはさんで、人々の目が都会的な生活に向かう中であえてそれに背を向けて、いや、それが必然とでもいうように山中での自然を相手にした生活を続ける人々の物語を集めた短編集だ。
熊野参詣道の途中にある茶屋を守るひと。同じく熊野で逓信の仕事をするひと。龍神の山中、木挽きで食器を作るひと。大峰修験道で修験者相手の宿を守る人。そんな人たちが主人公である。
彼らは一度は学業や別の仕事を求めて郷里を離れたが再びそれが必然であるかのごとく代々続いた職業に戻ってゆく。生きてゆくことに今ほどコストがかからなかっただろうとはいえ、物語のなかでは本業以外の職を掛けもちやっとのことで生活を成り立たせている主人公もいる。
しかし、彼らはそれに対して卑下をしているわけではない。それを当然のこととして受け止めている。ほんの数軒、もしくは一軒だけの生活でもそれを孤独とは思わない。意地を張っているわけでもなく、使命感でもなくただ、淡々と生きている。そう、季節の移ろいに同調しながら身の周りの範囲で生きているのだ。そういう生き方が好きだから選んだのだ。

この物語には、龍神地区では小森谷、小又川、大熊、北山川水系では前鬼、池原、白川など、僕もアマゴやブラックバスを求めて訪ねた土地が出てくる。
すでに車が普通に通れる時代にしか訪ねたことがないが、それより少し前にはこんな生活が営まれていたということがある意味記録映画のように書かれている。

これらの場所に行くたびに、こんなところで生活をすることができればどれだけいいだろうと思ったのはやましいことだろうか。それは憧れだけであって現実はもっと過酷だと一蹴されてしまうだろうか。
著者の本を読むのは3冊目で、ほとんどが紀伊半島中心部での人々の生活を描いたものであるので感想の落ち着くところは同じになってしまうのだが、年越しのひと時、こういう物語を読んでいるとなぜだか気持ちが落ち着くような気がするのは確かなことだ。

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この1年を振り返る。

2018年12月29日 | Weblog
今年もあとわずか、この1年を振りかえる。

今年は何といっても天候不順の1年であった。
年明けから気温が低く、まあそれでも数は少ないながらもイカや真鯛を釣ることができたけれども、春先までその影響が続いた。

  

その影響はチヌの乗っ込みだ。今年は1回だけの釣行であったが田辺の磯は海水の低温が続いてまったく釣れない状況が続いていて僕もそのあおりを食ってしまった。



一応、これでも、田辺でのチヌ釣りについては一家言持っているつもりではあったがそんな偉そうな鼻っ柱を木っ端みじんに打ち砕かれてしまった。

4月、5月はパッとせず、ボウズの日も多かった。これも気候の不順のせいにしてもいいのだろうか・・・。

  

6月に入ってやっとチョクリも少しずつ釣果が上がってきた。

 

そして今年は夏を迎える前に船底塗装をやったので真夏の時期でも遠征をすることができた。
塗装後の初島への釣行は4回。本当の釣りたかったイワシ飲ませでのブリは今年もお預けになったけれどもいずれの回もそれなりの釣果となり、タイラバではホウボウやコチなど久々に釣り上げた獲物もあった。

   

夏の獲物というとキスとスズキなのだが、どちらも厳しい結果だった。スズキにいたってはとうとう手にすることができなかった。エイは釣れたけれども・・・。

 

そして今年最大の試練は台風21号だ。9月4日に襲来したこの台風は本当に尋常ではなかった。
翠勝丸はシールドが破壊されただけで済んだけれども、

 

第三翠勝丸の被害は甚大であった。
後部の物入れが水浸しになり、エンジンも死んでしまった。



デッキに乗せてあったものはすべて流されてしまっていたのだが、あの日、あの時間、この船たちはどんな状態になっていたのだろうか。五キロはある碇がデッキから飛び出てしまうという事実を想像できることができない。
そんな中、どうやって浮かび続けてくれていたのか・・。エンジンが動かなくなるということは、エンジンカバーも海水をどっさり浴びたのだろうか・・。
エンジンが息を吹き返したのはあれから4ヶ月になってしまった。



しかしながら、動くことは動くのだかものすごく回転が不安定だ。このまま、いつまで使い続けることができるか、それとも思い切って大修理をやってもらうか。多分それのほうがいいのだろうが、先立つものが台風の襲来よりも不安なのである・・・。

その後紀伊半島を襲った台風24号の前兆は21号よりももっとひどかった。21号よりわずかに南にそれてくれて難を逃れたけれども予報通りにやって来ていたら、もう、壊滅状態になっていたのではないだろうか・・。




そしてその後の釣果はななかなか上がってこなかった。長引く暑さが原因なのか、台風の余波がずっと残ってしまったのか、水軒沖のタチウオは型が小さく数も伸びず、

 

洲本のタチウオももっと数が欲しかった。まあ、これはタイミングが悪くてというところもあって、実は世間的には豊漁だったようだ。洲本以外、小島の沖でもそこそこ釣れるのだということを経験したことは大きかった。

  

真鯛も厳しかった。これもいつもこのくらいといえばこのくらいではあるのだが・・・。

   

コウイカにいたっては2匹だ・・。ヒラメはうれしかったが・・。





また、今年はいくつかの新しい釣りに手を付けたというのも特徴だろうか。それがよいことだったのか、あれこれ手を出して共倒れになってしまうのかというのはもう少し待たねばならないだろう。

スズキを狙うためにたたき釣りというをやってみたがスズキは釣れず、サバが1匹・・。まあ、何も釣れなかったよりもマシだと思いたい。



エビングというのもやってみた。ジギングよりも釣れそうな感じなのだが・・。やっぱり釣れなかった。



高仕掛けも枝素を思い切り短く、ビニールも細くという仕掛けで臨んでみたけれども、これも効果のほどはまだわからない。




年末の最後の最後も休みの廻りが悪くて3日間も停滞してしまった。そういう意味では今年はまったく不完全燃焼の年であった。
さて、来年はどんな年になるであろうか。まあ、あわてず、騒がず、「毒蛇は急がない。」という心持ちで、安全第一低空飛行安定走行でいきたいものだ。

最後の休みは船外機のオイルを交換し、標識ステッカーを貼り替え、それぞれの船に松飾をして終了。
去年までは小さいながら鏡餅を作ってくれていたが今年からは餅を作らないそうだ。港の近くには幸いにして松がたくさんある。それを使って適当に作って作ってみた。

  

どんどん我が家も季節感が無くなってゆく。今年はそれに輪をかけて正月に食べるべき魚を手にすることができなかった。
しかし、考えてみれば、「サピエンス全史」に書いていたとおり、に暦というのも人間が勝手に作り出した実態のないものだ。2019年1月1日という日付には宇宙の時間の経過との相関関係は全くない。海を泳いでいる魚たちには年越しや元号が変わるということなど何の関係もない。だからこの時に魚が釣れなかったとしてもくよくよしなくてもいいのだ。正月というのは人間が考え出した幻でしかない。
29日に注連飾りを飾ると“苦”がつくと嫌われるそうだが、これさえも福(二九)が来ると思えば思えなくもない。実体のないものとはそういうものだ。
しかし、僕の知る限り、この港で船に飾りをしているのは渡船屋と僕くらいだ。そういう意味では僕は相当その実体のないものに縛られているのかもしれない・・・。


今年も薄くなってしまった潮時表と潮流表を処分して来年を迎えよう。




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「珈琲が呼ぶ」読了

2018年12月28日 | 2018読書
片岡義男 「珈琲が呼ぶ」読了

僕が飲むコーヒーといえば、1キロ1,000円の、アマゾンでもこれほど安い豆はないぞというくらいのチープなもので、喫茶店の椅子なんてここ数年座ったことがないのだが、片岡義男が飲むコーヒーとはどんなものだろうかという興味からこの本を手に取ってみた。
片岡義男というとかつて、「スローなブギにしてくれ」で一世を風靡した作家だ。多分あの頃、僕も角川文庫を読んだことがあったのではないだろうか。それとも、映画のテーマソングがあまりにもヒットしたので読んだ気になっているだけだろうか・・・。

内容はコーヒーそのものではなく、コーヒーが出てくる一場面、それはアメリカの映画であったり音楽であったりするのだが、当時の作家の思い出であったりその後数十年を経てあらためて思うことなどを書いている。アメリカの文化に造詣が深い作家なので取り上げられている映画や音楽については日本の歌謡曲と怪獣映画にしか興味がなかったぼくにはほとんど共感できるものがなかった。
そういえば、今年はDA PUMPの人気が復活してよかった。ずっと前から、SMAPよりも彼らの方が歌も踊りも数倍上手いと誰でも思っていたのだろうか。これにはDonald Trumpも貢献していたりして・・。

ただ、その詳細な記載内容には驚かされる。音楽ではそのレコードが録音された日時まで、映画ではこの本のテーマになっている、コーヒーが出てくるシーン。それはほとんどメインのストーリーには関係ないようなシーンにまで及ぶ。
多分片岡義男の小説も、これほどのディテールの裏打ちがあってその小説に厚みがでてきているのだろう。
なので、本書に関する感想を書きたくても元になっているネタのことがほとほとわからないので、代わりに
「もし、片岡義男がタチウオを釣ったら・・」という風に作文を作ってみた。

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それは2018年12月◇×日のことだった。私はタチウオを釣るために沖へ出た。タチウオの釣り方というものにはいくつかの方法がある。その中で、今回はテンヤ釣りを選んだ。英語で表現すると“TENNYA”。Nは英語の雰囲気が出るかもしれないとわざと重ねてみた。古い漫才師に、「てんやわんや」というコンビがいたけれども、その人たちと何か関係があるのかどうか、そしてこの釣りがいつ、どこから始まったのかということは判然としない。その意味をもう一度追うためにも私は再びネットの海原を模索しなければならない。

 エサは冷凍にしたイワシをまるのまま1匹そのテンヤに括りつける。テンヤの大きさは約15センチ。重さは40号である。40号というのは現代の重さに換算すると170グラムとなる。
括りつけるためにつかうのは直径0.15ミリのステンレスの針金である。これは0.1ミリでも、0.3ミリでもいけない。0.15ミリでなければならないのである。そしてイワシはとあるスーパーで1パック100円のものを買い、冷凍前に塩を当てる。その分量がどれほどが適当なのか、いっそのこと生の方がよいのか、味の素を振りかけると集魚効果が増すのか私にはわからない。

 イワシを括りつけられたテンヤを海底まで落とす。水深は約100メートル。そこへ2分ほどの時間をかけて下りてゆく。リールのカウンターの数値は110メートルを示している。すこし船が流されているようだ。
底に下りると少しずつリールを巻き上げながらタチウオのアタリを待つ。おや、あたりらしきものがあった。しかし外れた、。次にアタリがあったら僕は合わせを入れるよ。でもそれは無駄な行為だった。
相変わらず下手くそなものだ、と僕は思った。
括りつけてあったイワシは頭だけを残して跡形もなく消えてしまっていた。

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あ~。やっぱり出来が悪いや・・・。
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「サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福」読了

2018年12月22日 | 2018読書
ユヴァル・ノア・ハラリ 著/柴田裕之 訳 「サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福」読了

下巻は帝国主義の始まりから始まる。

その帝国主義を支えるふたつの車輪が宗教と科学的探究心であるというのである。ここでいう宗教とは純粋な信仰の対象だけでなく、自由主義、社会主義というようなイデオロギーまでも含むという考え方が面白い。著者はそれさえも宗教の一種だという。
たしかに、イデオロギーというもの人間が勝手に創りだした考え方、制度であり、その規制(戒律)のなかで生きていると考えると納得がいく。もっと考え方を広範囲に当てはめると、会社組織というのもある意味宗教と近いものがあるのかもしれない。

そして、大航海時代、ヨーロッパの帝国主義は世界の覇権を握るのであるが、そこには、世の中には知らないことが山のようにある。我々は無知である。もっとを知りたいという冒険心と探究心があったからだという。科学的探究心だ。アフリカやアメリカ大陸を目指した征服者たちは地質学者や生物学者も同伴したそうだ。ダーゥインもそのひとりであった。そういう人たちが集めた有用な植物や鉱物が産業に応用された。
宗教と科学的探究心のふたつの車輪の燃料となったのが貨幣(金融システム)である。新しい資源への投資である。
そこがアジア人と違ったところで、アジアの人々は海の向こうにとくに興味がなく、今いるところが世界のすべてでありそれで十分だったらしい。僕の考え方の基本もアジア人と同じである。

しかしながら結局、今の生活は人類が認知革命以来獲得した、実体のないもの、頭の中で信じることができる能力から生み出されたもので豊かな生活を送っている。
種族としては繁栄を極め、成功しているのかもしれないが、ひとりのホモ・サピエンスとしてみると実態のないものに縛られ、制約され、がんじがらめにされた窮屈な生き方をしているように思える。
かくなるうえは、そこから生み出されたプロダクツだけをつまみ食いしながら、自分だけは実態のないものに絡みとられないように生きてゆきたいものだ。

著者はイスラエル人だそうだが、よく読んでみると帝国主義が生み出した人種差別や格差、また、宗教に対してもなにかネガティブな意見を持っているような気がする。ユダヤ人がたどってきた歴史を考えてみるとそういう風な考えになってゆくのはよくわかる。しかし、そうであっても、来てしまったものは仕方がない。忸怩たるものを抱いている感は垣間見えるけれども、その後を見守っていかねばならないのだと言うスタンスはやはり歴史学者だ。その良し悪しは自分で考えろというところだろうか。それとも、その判断は後世の歴史家に任せようというところだろうか。

それを考える上で、「幸福とは何か」ということを定義しようとしている。
この200年間、高くなり続けた生産性と、帝国主義が後退したあとから台頭した自由主義と資本主義は個人を強くし自由にしたけれども、古くからあった小さなコミュニティーは破壊され人同士のつながりは消えて行き、個人の価値観は省みられなくなった。生産の効率化による富の増大の一例として、工業化された家畜飼育について書かれた部分があり、そこでは豚や鶏、牛などの家畜たちは身動きが取れないような狭い場所に生まれてから死ぬまで押し込められ、そこには生き物としての尊厳や自由がまったくないと綴られている。それはあたかも自由主義のなかのパーツと化してしまった人間になぞらえているように思えた。

そしてその幸福を計るための尺度は富の豊かさではなく、ひとそれぞれが持っている幸福レベルのどの段階まで満たされたか。ということだと言っている。例えて言うなら、そのレベルを1~10までで刻んだとして、3000万のクルーザーに乗っている人は10万円の真鯛釣りの竿を買ったときでも5のレベルまでしか行かないけれども、ぼくみたいな貧乏人なら、ありあわせのパーツで手作りした釣竿でも8まで上がってしまうかもしれない。じゃあ、その時点でどっちが幸福感を味わっているかというと、僕のほうが上なのである。(ただ、悲しいかな、そのレベルは常に維持できるわけでなく、すぐに下がってしまう。また、その感度によって、どれだけがんばっても6ぐらいまでしか上がらない、死ぬまで幸福感に浸れない人もいる。だからひとは新たな幸福を求めるし、世の中を悲観的にしか見ることができないひとが現れる。)

それを生化学的な方向から見ると、「脳内で働く幸福感をもたらす神経伝達物質がうまく分泌されているかどうか。」ということに行きつくのである。要は世界が豊かになることと人が幸せであるということには相関関係がないということである。確かに、豊かになるということが幸福感の基準なら、今よりはるかに貧しかった石器時代の人々はみんなこの世をはかなんでみんな自殺してしまっているはずだ。

どちらにしても、人間社会のすべては人類が実体のないものを認識する能力を身につけてしまったことからはじまる。これからさらに時代が進むと貨幣経済がキャッシュレスに向かっているように、人類自体が電脳化というような実体のない存在に回帰してゆくのだろうか。まあ、地球環境の面から考えるとこんな危険な炭素体ユニットは地上から消えうせて実体のない存在になってくれたほうがよかったりするのではないかとも思うのである。
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加太沖釣行

2018年12月20日 | 2018釣り
場所:加太沖
条件:大潮 4:45満潮 10:17干潮
潮流:5:31 上り2.9ノット最強 9:24転流 11:56 下り2.0ノット最強
釣果:真鯛 2匹 マアジ 1匹 ガシラ 6匹

今年もあとわずかになってしまった。なんだかまったく歳の瀬という感じがないのであるけれども、それでも正月の睨み鯛は欲しいものである。残りの休みは正月の食材確保なのである。
歳の瀬らしくないのはこの暖かさのせいかもしれない。朝イチはこの季節らしくなく、南からの風だ。

しかしながら、釣果は厳しい。

今日の予定は、転流時刻までは真鯛を狙って、転流時刻周辺でガシラを釣って、下り潮で再び真鯛を狙うというプランだ。

夜明けの頃はすでに潮が止まりかけているので帝国軍はナカト辺りに集合している。今日の日の出は午前7時。帝国軍の艦船の明かりがクリスマスのイルミネーションのようだ。



さすがにあそこに突進してゆく勇気はないのでいつもの鉄板ポイントからスタート。
午前7時過ぎに早くもアタリがあった。小さいながら、睨み真鯛にはちょうどいいサイズの真鯛だ。
しかしながらそのあとが続かない。午前8時半を回ってそろそろ潮が緩んできたのでガシラ釣りに変更。夏前に冷凍していたサンマの切り身も使ってしまわなければならない。

こっちもアタリは厳しい。たくさんアタリはあるのだが、大半はササノハベラだ。午前9時半を過ぎるとこの場所でも潮が下り始めた。
非武装ポイントへ移動。

魚探の反応はかなりあるのだが、アタリは出ない。そんな中、底から水面まで反応が出たのでリトリーブの誘いから上下の誘いに変えると魚が乗った。かなり肥満体のマアジだ。お腹の辺りは虹色に光っている。絶対に美味しいやつだ。

その後はたまにアタリはあるものの、ビニールだけが取られたり、かじられられたりするだけで鉤に乗らない。そのまま最強時刻を迎えてロスタイムへ。
午後12時半頃から一瞬だがアタリが増えてきた。
ちょうど食べ頃の真鯛が釣れて、その後1回だけ真鯛しき魚が食いついてそのバレたリアクションで多分マアジだったのだろうか、魚が食いついたけれども途中でバレてしまって今日は終了。

こういう釣果だと叔父さんのところと自分の配分に悩んでしまう。
今日はガシラを全部叔父さんのところへ持っていって野菜を大量にもらって帰ってきたのだが、まったくその姿は夜逃げのようである・・・。



そして100均で優れものを見つけた。




園芸用の膝パッとなのだが、僕の弱ってしまった膝にはかなり心地いい。もう、軟骨組織が劣化してしまっていて当たり所が悪いと針で刺したような激痛が走る。これをつけているとそれがまったく気にならない。
それが108円で買えるのだからこの国はなんともいい国だ。



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「サピエンス全史(上)-文明の構造と人類の幸福」読了

2018年12月19日 | 2018読書
ユヴァル・ノア・ハラリ 「サピエンス全史(上)-文明の構造と人類の幸福」読了

人類の歴史を簡単に書くと以下のようになるらしい。

---------------------------------------
135億年前
物質とエネルギーが現れる。物理的現象の始まり。
原子と分子が現れる。化学的現象の始まり。

45億年前  
地球という惑星が形成される。

38億午前  
有機体(生物)が出現する。生物学的現象の始まり。

600万年前
ヒトとチンパンジーの最後の共通の祖先。

250万年前
アフリカでホモ(ヒト)属が進化する。最初の石器。

200万年前
人類がアフリカ大陸からユーラシア大陸へ拡がる。
異なる人類種が進化する。

50万年前
ヨーロッパと中東でネアンデルタール人が進化する。

30万年前
火が日常的に使われるようになる。

20万年前
東アフリカでホモ・サピエンスが進化する。

7万年前  
認知革命が起こる。虚構の言語が出現する。
歴史的現象の始まり。ホモ・サピエンスがアフリカ大陸の外へと拡がる。

45000年前
ホモ・サピエンスがオーストラリア大陸に住みつく。オーストラリア大陸の大型動物相が絶滅する。

3万年前
ネアンデルタール人が絶滅する。

16000年前
ホモ・サピエンスがアメリカ大陸に住みつく。アメリ力大陸の大型動物相が絶滅する。

13000年前
ホモ・フローレシエンシスが絶滅する。ホモ・サピエンスが唯一生き残っている人類種となる。

12000年前
農業革命が起こる,植物の栽培化と動物の家畜化,永続的な定住。

5000年前
最初の王国、書記体系、貨幣。多神教。

4250年前
最初の帝国-サルゴンのアッカド帝図。

2500年前
硬貨の発明-普遍的な貨幣。
ペルシア帝国-「全人類のため」の普遍的な政治的秩序。
インドの仏教-「衆生を苦しみから解放するため」の普遍的な真理。

2000年前
中国の漢帝国。地中海のローマ帝国。キリスト教。

1400年前
イスラム教。

500年前 
科学革命が起こる。
人類は自らの無知を認め、空前の力を獲得し始める。
ヨーロッパ人がアメリカ大陸と各海洋を征服し始める。
地球全体が単一の歴史的領域となる。
貸本主義が台頭する。

200年前 産業革命が起こる。
家族とコミュニティが国家と市場に取って代わられる。
動植物の大規模な絶滅が起こる。

今日
人類が地球という惑星の境界を超越する。
核兵器が人類の生存を脅かす。
生物が自然選択ではなく知的設計によって形作られることがしだいに多くなる。

未来
知的設計が生命の基本原理となるか?
ホモ・サピエンスが超人たちに取って代わられるか?

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この歴史の中で、人類の大転換となったことが3つある。ひとつは7万年前の認知革命、ひとつは1万2千年前の農業革命、最後は500年前の技術革命だ。
この三つの革命が人類をはじめ地球上の生きとしいけるすべてのものにどのような影響を与えたかを上下2巻にわたって綴られている。

上巻では認知革命と農業革命について書かれている。ふたつの革命は人類が維持できる集団の規模を決めることについて重要な意味を持っていた。
それは7万年前、認知革命とはすなわち言葉の発明だ。かつて人類が言葉を持たなかった頃、おそらく数家族、20人~50人くらいの人数がまとまって生活をすることしかできなかた。言葉がないとそれ以上の人数ではコミュニケーションが取れなかったというのだ。で、その必要なコミュニケーションの中身はなんであったかというと、噂話だったというのだ。ふつう、ここではお互いの意思疎通を密にすることで狩りが上手くなり、食べられる植物の在りかを共有したりすることで食料の生産性が上がり養える人数が増えたからと思うのだけれども、それよりも噂話のほうが重要だったというのだ。その集団で、誰と誰が相性がいいとか、あいつはどんな性格だとか、誰と誰ができていて、いつ別れたとか、そういう井戸端会議の情報が集団を円滑に維持する最良の方法であったというのである。
それで150人規模の集団をまとめることができるようになった。
ネアンデルタール人はホモ・サピエンスよりも体力的にも気候に対する順応性でも優れていたようだが、言葉を持たなかったゆえに集団を大きくすることができなかった。そのなかで近親交雑が進み、免疫力の差でホモ・サピエンスとの競争に負けていったという説もあるそうだ。
そしてもっと集団が大きくなるために必要であったものは神話であった。それは実在しないものをあたかも実在することのように理解できる能力でもあった。
まったく存在しないものをあたかも存在するものとして信じるということは共通の価値観を共有することである。例えば戒律。誰が決めたものでもない、神が決めたから守らねばならないのだという解釈はさらに大きな集団をまとめあげることができたのである。

そして農業革命はさらにたくさんの人間の集団をまとめることができるようになった。
しかし、農業革命は弊害も生んだ。
ひとつは個人個人の強さの減退である。単一の作物に頼る生き方は大量の人口を支えることができるけれども、口に入れることができる種類が少なくなると耐性が弱くなり、ひとたび疫病が発生すると大量に死亡者が出ることになる。また、旱魃がおこるとすぐにその人口をカロリーの面でも支えきれなくなる。
その点、採集生活ではあらゆるものを食料としているので栄養が偏らない。農業革命以前のほうが、幼児期の死亡率は高いけれども、それを乗り切ることができた人の余命はその後よりも長かったらしい。
しかし、大きな集団は分業という体制を生む、そしてそれが発達したことで個人の生きるためのスキルというものもレベルが下がってきたのもこの時代だ。
人類全体としては、今日の方が古代の集団よりもはるかに多くを知っているが、個人のレベルでは古代の狩猟採集民のほうが知識と技能の点で歴史上最も優れていたのだ。


この本はそういうことが人類にとってよかったことであったのか、個人にとっては不幸ではなかったのかというようなことについては何も書かれていないのだが、もう、この時点で僕はなんだか個人にとっては明らかにこれは不幸な歴史の始まりではなかったのかと思ってしまう。群れることが嫌い。会社組織にはなじめない。とりあえずはなんでも自分でやってみたい。その時点で僕は狩猟採集生活を営んでいた人々と同じ思考ではないのかと思う。ただ、それが人類として劣っているのかどうかという判断はこの本のとおり、誰にも判定できないのだ。少しは安心した・・・。


さらに集団が大きくなってゆくために発明されたのが書記体系と貨幣である。人間の脳の記憶力には限界がある。納税や法律、そういうものを大量に記録として残すのに文字は画期的であった。そして貨幣は神話を信じることと同様、共通の価値観を共有する手段としてもその価値を発揮した。たとえ信じる宗教が異なったとしても物の価値を同じ尺度で
物を評価できるという意味で世界のほとんどがひとつに統一されてしまったと言えるのである。それはいわゆる、帝国主義の始まりである。
下巻へ続く。
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水軒沖釣行

2018年12月14日 | 2018釣り
場所:水軒沖
条件:小潮 4:02干潮 11:14満潮
釣果:ボウズ

1703年の今日の深夜、赤穂浪士の討ち入り事件があった。どうして釣りの日記に赤穂浪士なのかというと、この時討たれた吉良上野介の娘婿である津軽采女というひとは「何羨録」という日本で最初の釣りの指南書と言われるものを書いている。
これは前に読んだ「釣魚をめぐる博物誌」に書かれていたのだが、討ち入りのその翌日真っ先に駆け付けたひとがこの人であった。もともと閑職の旗本、まあ、義理の父親とは言え、世間的にはヒール役の元に真っ先に駆け付けたとあってはこれよりの栄達の望みもなく、もともと好きであった魚釣りにさらにのめり込んでいった果実がこの「何羨録」であったわけだ。

序文の、
「嗚呼、釣徒の楽しみは一に釣糸の外なり。
利名は軽く一に釣艇の内なり。
生涯淡括、しずかに無心、しばしば塵世を避くる。
すなわち仁者は静を、智者は水を楽しむ。
あにその他に有らんか」

という言葉にはじつは切実な思いが込められているように思う。
なにせ、タイトルが、「何羨録」。今風の言葉で言うと、「何がうらやましいねん!」なのだから・・。

そんなことを思いながら朝起きてみると思っていたよりも北風が吹いている。ええい、ままよ。僕もすでに思いは、「利名は軽く一に釣艇の内なり。」である。そして小船を駆っての4ヵ月ぶりの釣りなのだ。

エンジンの調子はそれでもイマイチだ。修理してくれたお兄ちゃん曰く、キャブレターがかなり痛んでいるので暖機運転をできるだけ長くやってね。のとおり、最初のうちはスロットルを回してもすぐにエンストを起こす。エンジンが温もってきた頃だろうか、やっと安定して回り出した。なんだか不安だ。しかし、これがスタンダードの状態だと思ってうまく付き合っていくしかない。



沖に出てみると風はそれほどでもない。30号のオモリでなんとか底を取れる。しかし波はかなり高くて小船ではそれ以上の移動は厳しく一文字の切れ目の沖でスタート。いつものよく釣れるポイントではケーソンを入れる工事が始まっている。
聞くところによるとクルーズ船を港内に入れるために沖の一文字の端っこを短くしてその分を波よけのために新々波止を伸ばしてポイント前の回廊を狭くするらしい。

 

しかし、これだけの大規模な工事をしてクルーズ船って年に何回入港してどれだけの経済効果があるのだろうか?そんなに海をいじめなくてもいいではないか。

と、まったく釣りのことに触れないのは、完璧なボウズであったからだ。午前8時頃には風が強くなり底が取りづらくなってきたのであっさり終了。
まったくアタリがなかったと思っていたが港に帰って仕掛けを整理していると、スッテの鉤先にイカの皮膚らしきものが付いていた。イカはいないことはなかったのだ。次につながったと思って今日はあきらめよう。




家に帰って眼科へ。



前に目の中に現れた黒いシミが気になっていたのでとりあえず受診してみた。
結果は特に問題なし。あのシミは小さい血管が切れて出血したのが原因だったのではないかとのこと。やはり、後部硝子体剥離というものでこれも老化現象だそうだ。剥離した拍子にそこにあった血管が切れたということだ。3日ほどでシミが消えたのは硝子体の中に吸収されてしまったらしい。
最悪は網膜剥離になるが、また症状が出てきたときに来ればいいと無罪放免になった。
眼底検査というやつをやってもらったのだが、瞳孔が開いているので外に出てみると世の中がやたらと明るい。僕はこんな薬を使わなければ世の中を明るく見ることができないのだ・・・。

目が見えなくなるのはやはり怖いし困る。まあ、少しだけそれが伸びたか・・・。

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加太沖釣行

2018年12月11日 | 2018釣り
場所:加太沖
条件:中潮 9:03満潮 14:26干潮
潮流:5:38転流 9:48 上り3.3ノット最強 13:38転流
釣果:真鯛 1匹

1週間前は異常なほどの暑さであったが、今日は一転、ものすごく寒い。完全防備、新しい防寒着を羽織って出発した。しかしながら風は穏やか、波もほとんどない。釣りをするには最適な条件だ。

 




今朝の午前6時の気温は摂氏2.9度。これを知っていたら多分釣りには行っていなかったのではないだろうか・・・。



気温が低くて、しかしながら水温はまだまだ高いようで、浮島現象で宮崎の鼻が空飛ぶ円盤みたいに見える。



そんな中、今日は真鯛の前に一丁、青物を狙ってやろうとエビング仕掛けを持ってきた。



しかし、テレビでは簡単に釣れているのに僕のエビングには魚が食いついてこない。動作はほぼジギングなので体にも堪える。5分もしないうちに腕がだるくなってくる。なんだか釣れそうな気がしなくて30分ほどで終了。
ここからは高仕掛けだ。今回もプロトタイプを選択。ビニールもいつもより小さい11センチでスタート。このサイズはフェイスブックのメンバーの人に教えてもらったサイズだ。最近の帝国軍ではこれがトレンドらしい。

とりあえず信じるしかない。アタリが出ることを願って仕掛けを操るがなかなかアタリがない。やっとアタリが出たのは午前8時40分ごろ。そろそろアタリが出そうな時間と思っていた頃だ。
とりあえず1匹。おお、釣れるじゃないか。と期待が膨らむが全然アタリが出ない。
この1匹、この仕掛けでなければ釣れなかったのか、それともこの仕掛けでも釣れたのか、それとも、この仕掛けでなかったらもっと釣れたのか。そういう答えが出ないのが釣りの面白さだけれども、その答えを知りたいのが人情だ。
師走のこの時、お正月に向けて真鯛が欲しい時にわざわざ冒険をしなくてもいいようなものだけれども、まあ、せっかく教えてもらったものなので自分の引き出しを多くするつもりで当分頑張ってみようと思う。

結局、その後、1回だけアタリがあってそれもすぐに放されてしまい午前10時半に終了。
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「かがみの孤城」読了

2018年12月10日 | 2018読書
辻村深月 「かがみの孤城」読了

およそ僕みたいなおじさんが読む本ではないのだが、今年の本屋大賞受賞作だというので読んでみた。4月に図書館の貸し出し予約をしてやっと今になって借りることできたというのだから相当人気のある作家のようだ。

ストーリーは、いろいろな理由を抱えて学校に行けなくなった中学生たちが突然現れた鏡の向こうの世界で様々なことを語り合いながら成長してゆくという物語だ。

ひととの付き合いが下手になってしまったというのには様々な理由があるのだと思う。それが持って生まれたものなのか、それとも小さい頃の体験がそうさせるのかは僕にはわからないけれども、僕自身も運動会と遠足は楽しみでも何でもなかった。いつも雨が降って中止になってはくれないだろうかといつも思っていた。
新学年のクラス替えというのも苦手だったように思う。

自己分析というほどのものでもないけれども、多分新しいことをすることがきっと嫌いだったのだろうと思う。今がそこそこ楽しければそこから外へは出たくないのだ。
よく言うと、自分のバランスが崩れることを極端に嫌がり、自分の美意識の枠に入りきらないようなことにはしり込みしてしまう。

この前、いつも野菜をもらう叔父さんのところで叔母さんと話をしていると、(この叔母さんは父の兄弟の末っ子でその上の兄とはかなり歳がはなれて生まれてきた。)「私はいつも水軒川の橋の下から拾われてきた。と言われてたんやで。」というようなことを言っていた。どうもわが一族はこういうことを常日頃から言っていたようで僕もまったく同じ事を言われていた。どういう理由でそれを言っていたのかはまったくわからない。まさか、拾われてきた子供は元気に育つなどという江戸時代の迷信を信じていたわけではあるまい。その頻度は覚えていない。たった1回だったかもしれないし、もっと多かったのかもしれないが、僕の記憶の中には鮮明にその言葉が残っているし、叔母さんも70歳を超えてでもそれを覚えているということはやはりそれなりにインパクトがある言葉であったに違いない。
ぼくはお父ちゃんたちの子供ではないかもしれないという不安は少なからずひとから嫌われたらどうしようとか、何か変なことを言ったら嫌われるかもしれないという恐怖につながっていったのであろうか。それがいまの状態をなんとか維持したいと考えてしまう基になっているのかもしれない。

そんな経験とそれからの経験から得たのは、「人は心の中に思っていないことは口に出さない。」ということだ。そういえば新約聖書のマタイ伝の中にも、「口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである。」と書いてある。

だから僕は口数が少なくなる。そして相手の言葉に敏感になってしまう。それならまったく冗談が通じない人間ではないかと言われてしまうだろうが、そこは多少理解しているつもりだ。ただ、相手が言った何気ない言葉(本気で言っている場合もあるだろうが。)が果てしなく気になってしまう。

よほど信頼できる人でないと自分からも心を許すことができなくなってしまう。そこは物語の主人公たちの気持ちに共感できる部分があるのだ。

生きにくい性格に生まれてしまったのか、はたまたそれ以降の環境がそうさせたのかは知らないが、彼らに言ってあげたい。それも自分らしく生きていることの証ではないかと。そして、現代ではSNSという技術がある。どこかで共感しあえる友たちとつながりあうこともあるかもしれない。
著者はきっと、この、鏡の孤城をSNSの空間になぞらえて書いているのだと思うのだ。

そんなことを思い出しながらこの本を読んでいた。
社会人になっても、この歳になってもそれは変わらず、やはり人との交わりは一番の苦手かもしれない。よくぞまあ、30年もやってこられたものだと思ったりもしてしまう。
電車の隣の席で上司と部下と思しき男女が1時間も雑談を続けているのを見ると、うるさいと思う心を通り越してよくそんなにたくさんの話ができるものだと感心する。まあ、魚釣りの話をやれと言われると僕だって2時間20分くらいはしゃべり続けることができると思うが、それでは会話が成り立たない。

しかし、そうやって浮き上がることもなく、幸いに沈み込むこともなく、嫌いな上司にはうまく相手にされないように打っちゃりながら、そして少しの孤独感を感じながらでもそれのほうがよかったのかもしれないと思うこともある。
しかし、この物語の大きなテーマの一つは、“信頼”である。信頼されているという気持ちがどれだけ大きな力を発揮するか。しかし、信頼されるためにはどれだけ大きな力が必要か。それは孤独からは絶対に得ることができないエネルギーである。

塾でアルバイトをしていたころ、そこの生徒から教えられたことがある。九九の7の段の答えの下一桁には0から1の全部の数字が出てくるのだ。
この物語もそんな7の奇跡を利用して書かれている。うまいこと構成していると思う。さすがに本屋大賞だ。
コメント (2)
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カメラも、目玉も・・・

2018年12月05日 | Weblog
前回の釣行のときに撮った写真を見てみると望遠で撮ったものに黒いしみのようなものが写っていた。



カメラのモニターを見てみると、確かにズームのレバーを望遠側に動かすと黒いしみが現れる。レンズが汚れていたかと思い、とりあえず拭いてはみたけれどもこれが取れない。レンズの筒の中にゴミが入ってしまったか、またよく見ると一番外側のレンズの表面には相当な傷が入っている。ひょっとしたら、この傷がレンズを望遠にすると浮かんでくるのだろうか・・。
困ったものだ。購入してから6年近く、防水防塵設計でもないカメラを海や山に持ち歩いていたのだからそれもいたし方ないのであろうか。それも当時の価格で1万円もしなかったのだから堅牢性というのも大したことがなかったのかもしれない。しかし、このカメラ、写真はきれいに写すことができた。一眼レフも持っているのだが、どうみてもこのカメラで撮った写真の方がきれいに見えて仕方がないのだ。修理に出すとどれくらいかかるかというのを調べてみたら、安くても12,000円はかかるようだ。買った値段よりも高くなると、う~ん、修理に出すのは難しいとなってくる。もったいない。そのまま使い続けるか、黒いしみを我慢し続けるか悩みどころだ。ズームをしなければ普通に写るのだから・・。


それが昨日。
そして今日、いつものくだらない会議に出席するために席に着いた午後1時30分その直後、左の目の左上のほうにこれまた黒い大きなしみが突然現れた。加齢による飛蚊症はずっと前からあって目の中を黒いもやもやが行ったり来たりしていたのだが、今度のやつは超大型だ。最初はセピア色のしみが水に流れて尾を引いた感じでぼ~っと現れてそれがしばらくしてだんだん固まってきて、今の状況は黒い丸になんだか濃い茶色の尻尾がついている。黒いイカが飛んでいるような感じだ。
メガネを通して見える光景はこんな感じだ。



見たくもないボスが目の前で苦虫を噛み潰したような顔をして構えているのがよくなかったのではないだろうかと思ったりしてしまう。
以前にも2回ほど違和感を感じたので眼科を受診したのだけれどもそこの医者は、「そんな細かいことばかり気にしやがって。」みたいなつれない対応だった。
歳も歳なんだから仕方がないと言われればそれまでだが、あまりにも頭のいい人たちは凡人の悩みや心配に共感してもらえるような暖かいこころをきっと持ち合わせていないのだといつも思ってしまう。


会議は上の空で、急いで事務所に戻ってとりあえずネットで調べてみると、「後部硝子体剥離」というものによく似てしまっている。飛蚊症に加えて光の点が見える場合は間違いないとも書いているのだが、まったくピンポンだ・・。ひどい場合だと網膜剥離につながると書いている。特に強度の近視のひとはそうなりやすいとも書いてあるので間違いないのではないだろうか。ないだろうかというか、おおかたは間違いないと書いているサイトもある。
とりあえず近いうちに眼科に行かねばと思い、いつ、どんな状態になったかを記録に残そうとこれを書いているのであるが、この先、どうなるのだろうか・・。
人間が生きてゆくにあたって、目が見えないというのは一番辛いのではないだろうかと常々思っているわけなのでこれはショックだ。

しかしまあ、カメラと目玉、偶然とはいえ、同時にそんな症状が出てくるとは・・。これも何かの啓示なのだろうか。
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