ルーシー・モード・モンゴメリ/村岡花子 訳 「赤毛のアン」読了
僕も朝の連ドラ「花子とアン」を見ていなければおそらく死ぬまで読むことはなかっただろうと思うが、50を過ぎたおっさんが読むような本ではないと思っている人はそれは大きな認識違いだ。放送当時は古本屋で探しても全然見つからなかったが1年以上過ぎて再び出回ってきているようだ。
空想好きの少女が成長する姿を描いた、僕は知らないだけでだれでも知っているストーリーだが、アンが少しずつ成長してゆく姿に「ホッとする」というか「よかった、よかった」という気持ちがあふれてくる。
アンがクイーン学院の受験の準備を終えたとき、マリラとリンド夫人が交わすしみじみした会話には思わず、「そうだ、そうだ」と共感し、ギルバートとの和解のシーンでは、やっぱり「よかった、よかった」と思うのである。
村岡花子の文章も素晴らしい。
繰り返して述べるが、決して50を過ぎたおっさんが読むものではないと思ってはいけない。
そして、アンの名言をいくつか・・・。
「朝はどんな朝でもよかないこと?その日にどんなことが起こるかわからないんですものね。想像の余地があるからいいわ。」
「だって言葉ではあらわせないんですもの。ほら、言葉では言えないものってあるでしょう!」
「分別があるってたいしたことにはちがいないけれど、あたしはそうなりたいとは思わないわ。」
「グリン・ゲイブルズにきてからずっとあたしは失敗ばかりしてきたけれど、一つするたびになにかしら自分のとてもわるい欠点が治っていたのよ。」
「貧乏な者のしあわせの一つは---たくさん想像できるものがあるというところだわね。」
「ある人をよろこばせたいと思うときには、どんなことでもできるものなのね、マリラ」
「あたしが幾何で失敗しようとしまいと、太陽はあいかわらず昇ったり沈んだりするんだわ。」
「そうね、あたしは自分のほか、だれにもなりたくないわ。」
「ああ、野心をもつということは楽しいものだわ。こんなにいろいろと野心があってうれしいわ。限りがないみたいだけど、そこがいいんだわ。」
「義務もそれに率直にぶつかるときには友となるのである。」
「曲がり角をまがったさきにはなにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにものにちがいないと思うの。」
アン自身もなんの悩みもなく生きていたわけではないようだが、閉塞感にあふれた今の時代に何か別の生き方を示唆してくれているように思えて仕方がない。
この本を読み終える直前、偶然にもBSでプリンスエドワード島の風景の放送を見た。
赤土の小道、樅の木の林、そしてグリンゲイブルズの家。こんな風景の中でこの物語が書かれたのか・・。
今年の最後に、いい本に出会えたものだ。
僕も朝の連ドラ「花子とアン」を見ていなければおそらく死ぬまで読むことはなかっただろうと思うが、50を過ぎたおっさんが読むような本ではないと思っている人はそれは大きな認識違いだ。放送当時は古本屋で探しても全然見つからなかったが1年以上過ぎて再び出回ってきているようだ。
空想好きの少女が成長する姿を描いた、僕は知らないだけでだれでも知っているストーリーだが、アンが少しずつ成長してゆく姿に「ホッとする」というか「よかった、よかった」という気持ちがあふれてくる。
アンがクイーン学院の受験の準備を終えたとき、マリラとリンド夫人が交わすしみじみした会話には思わず、「そうだ、そうだ」と共感し、ギルバートとの和解のシーンでは、やっぱり「よかった、よかった」と思うのである。
村岡花子の文章も素晴らしい。
繰り返して述べるが、決して50を過ぎたおっさんが読むものではないと思ってはいけない。
そして、アンの名言をいくつか・・・。
「朝はどんな朝でもよかないこと?その日にどんなことが起こるかわからないんですものね。想像の余地があるからいいわ。」
「だって言葉ではあらわせないんですもの。ほら、言葉では言えないものってあるでしょう!」
「分別があるってたいしたことにはちがいないけれど、あたしはそうなりたいとは思わないわ。」
「グリン・ゲイブルズにきてからずっとあたしは失敗ばかりしてきたけれど、一つするたびになにかしら自分のとてもわるい欠点が治っていたのよ。」
「貧乏な者のしあわせの一つは---たくさん想像できるものがあるというところだわね。」
「ある人をよろこばせたいと思うときには、どんなことでもできるものなのね、マリラ」
「あたしが幾何で失敗しようとしまいと、太陽はあいかわらず昇ったり沈んだりするんだわ。」
「そうね、あたしは自分のほか、だれにもなりたくないわ。」
「ああ、野心をもつということは楽しいものだわ。こんなにいろいろと野心があってうれしいわ。限りがないみたいだけど、そこがいいんだわ。」
「義務もそれに率直にぶつかるときには友となるのである。」
「曲がり角をまがったさきにはなにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにものにちがいないと思うの。」
アン自身もなんの悩みもなく生きていたわけではないようだが、閉塞感にあふれた今の時代に何か別の生き方を示唆してくれているように思えて仕方がない。
この本を読み終える直前、偶然にもBSでプリンスエドワード島の風景の放送を見た。
赤土の小道、樅の木の林、そしてグリンゲイブルズの家。こんな風景の中でこの物語が書かれたのか・・。
今年の最後に、いい本に出会えたものだ。