イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

加太沖釣行

2015年02月21日 | 2015釣り
場所:加太沖
条件:中潮 7:58満潮
潮流:5:11転流 8:46上り2.4ノット最強
釣果:真鯛62センチ以下5匹 ハマチ 2匹

どうも釣りに行けそうな休みの日にかぎって出勤しなければならなくなってしまう。今日も午後1時から会議だ。
しかし潮の時間を見ると午前9時で完結できる。天気は上々、高気圧がどっしり紀伊半島に乗っている。昨日でも、明日でもなく、今日だけがいい天気だ。

できるだけ釣りをする時間を稼ぎたいので真っ暗なうちに出港。
田倉崎に差し掛かったころにやっと周りが明るくなってきた。友ヶ島方面を見てみるとほとんど船が出ていない。上り潮なのにいつものポイントがダメなのか、それとも釣れていないのか・・・。
帝国軍は漁港の沖に集まっているがあのあたりがポイントになっているのか・・・。でもあんなところに入っていったら一斉にロックオンされて一撃でアウトだ。
自分の勘を信じていつものテッパンポイントで仕度を始めると帝国軍が動き出した。どうも出船時間を合わせていたようだ。あまりにも早い時間に到着していたのでぼくのほうが帝国軍より動きが早かったようだ。




今日は新兵器の毛糸玉と白ビニールの混合作戦だ。最初のアタリは午前7時前。かなり上まで上がってきたのでこれは取れるかと思いきや、あえなくバラシ・・・。どれに食ったか見てみると、毛糸玉だ。
おお、釣れるじゃないか!! しかし、その後もアタリは続くがハリに乗らない。前を行くタイラバ船では真鯛を上げている。焦りだけが先行する。しかも今日はタイムリミットがある。

落ち着きのない中、なんとか冷静さを保って仕掛けを手繰っているとなんとかハリに乗せることができた。1匹目は午前7時10分頃。型も大きい。毛糸玉をがっちり咥えている。



その後もアタリは続くがハリに乗らない。毛糸玉特有のアタリなのかどうかはわからないが、思い切りひったくっていくようなアタリでそのまま終わってしまう。いっそのことこのときに合わせたほうがいいのだろうか・・・。
今日は最終的に空振りしたアタリだけで10以上はあったのではないだろうか。疑似餌は難しい。

2匹目はハマチであった。食い上げるアタリで、これも毛糸玉だ。恐るべし毛糸玉。

そして今日の一番は午前8時を回ってからだった。なにやらドカン、ドカンと大きなアタリ。魚はハリに乗ったようなのでリールを巻き上げるがなかなか上がってこない。これは大きいぞと慎重に引き上げると3匹魚がついていた。



真ん中の真鯛は異様に大きい。62センチあった。自己記録更新だ。
エクストラバガンザのあとは本来の真鯛のアタリが2回。
午前9時になりこれだけ釣れば親戚の叔父さんの家に届けなければならないので早めに切り上げて野菜をたくさんもらって帰宅。
なんとか会議に間に合うように出勤。
今日もあわただしい1日が終わった。


明日は春の嵐だそうだ。ひと足お先に海面は春の様子。



しかし朝は寒い。袖口のゴムが伸びきった防寒着からは冷たい空気が入り込み凍えるようだ。
手袋も税抜き680円ではすぐに破れる。



空気は暖かくなっても相変わらず懐は寒いのだ・・・。

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「知っておきたい仏像の見方」読了

2015年02月14日 | 読書
瓜生 中 「知っておきたい仏像の見方」読了

何回読んでも覚えることができないので同じような本を何冊も読んでいる。そのうち仏像の見分け方もわかってくるのかもしれないと思っているのだがどうだろう。

観音菩薩の話はおもしろい。
もともと観音菩薩は衆生を救ってくれる存在で、救ってもらいたい人の年齢や職業、身分などに応じて変幻にその姿を変えると言われてる。
最初は顔がひとつで手が二つの姿で彫られていたが、救ってもらいたい人が多くなってくるとみんなを見ていてくれないと困るじゃないかと顔が増えてきて十一面観音様が生まれたそうだ。そして今度は絶対救ってくれないと困るじゃないか、そのためには手がたくさん必要なはずだ、というので腕がいっぱいある不空羂索観音様が生まれたそうだ。この観音様が持っている紐(羂索)は狙ったものは必ず捕まえることができるのだそうだ。“不空”というのは、“空振りがない”という意味だ。間違いなく私の体を受け止めてくださいねという強い願いからこんな形にさせてっしまったのだ。
それでも不安な人たちは二つの菩薩様を合体させてしまった。これが千手観音様だ。千手観音は十一面でたくさんある腕のひとつには必ず羂索を持った腕があるそうだ。もうここまで来ると日曜日の午前7時30分から活躍する戦隊ヒーローが操る合体ロボットみたいだ。というか、こういう文化を持っているから戦隊ヒーローのようなクールジャパンなヒーロー達が生まれてきたのかもしれない。

不空羂索観音様は狙ったものを空振りなく捕らえることができる・・・。この像を僕の船にお祀りすると狙った魚が必ず釣れるようになるものだろうか・・・。

もっといろいろ知ってみたいと思っていたら、そういえば、ウチの仏壇にも小さな仏像が鎮座している。僕の家の宗教は浄土宗だ、ということはご本尊は阿弥陀如来。よくよく見ると阿弥陀如来独特の指で輪っかを作っているポーズである。人差し指と親指で輪っかを作って、右手を上に施無畏印、左手を下にして与願印のポーズだ。しかし、この人差し指で輪っかを作るこのポーズは下品下生となり、9個あるポーズのうちでは一番信仰心がなくって日ごろの行いがよろしくない人に対して結ぶ印だそうだ。
う~ん、これは困った。仏壇を買うときに値切ったのが悪かったのか、それともすでに如来様は我が家の品格をお見通しだったのか・・・。

しかし、ひょっとしたらまだ拝める対象があるということは救いとなってるのかもしれない。
仏教もかつては偶像崇拝を禁じており舎利を収めた仏舎利やお釈迦様の足跡をデザインした絵を拝んでいたが、西暦のはじまる前後に仏像が作られ始めた。「仏像から見られている」ということは人間の行き過ぎた行為を戒めてくれているのだと思う。万引きの多い店で、両目のイラストや写真を貼っておくと減る効果があるそうだ。人は何かに見られていると悪いことができなくなる効果があるということだ。仏様からは心の中をいつも見られているという意識が働いているのだと思う。
対して最近ニュースによく出てくる宗教は完全に偶像崇拝を禁じている。原理主義者の間では聖人の像でさえ偶像崇拝であるとされているらしい。そういう人たちの一部があんな残虐な行為を起こしてしまうのだとしたらいたるところに仏様があるこの国は不完全かもしれないが心のブレーキを維持してくれているのかもしれない。
そういえば、国家神道を国の柱としていたこの国も外国に対して、国民に対してひどいことを行ったが、これも崇める具体的な姿を持たなかった悲劇だったのかもしれない。



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洲本沖釣行

2015年02月11日 | 2015釣り
場所:洲本沖
条件:10:16満潮
潮流:6:05 下り1.5ノット最強 9:10転流
釣果:タチウオ 3匹

テレビを見ていると、タチウオが釣れているらしい。今週のビッグフィッシング、THEフィッシングでは洲本沖がいいそうだ。
今日は小潮でタチウオ狙いにはちょうどいい。しかも風も波も穏やかなようだ。

しかし、ひとつ問題がある。午後2時には会社にいなければならない。
洲本沖に滞在できるリミットは午前11時までだ。

朝はできるだけ早く、まだ真っ暗な午前6時に出港。視界が利かないのでゆっくり走行するがもどかしい。
午前6時30分、田倉崎沖通過。午前6時42分、中の瀬戸通過。午前7時ちょうどに洲本沖に到着。やっと朝日がのぼってきた。



今から4時間の勝負だ。

到着時は船の数はたいしたことはなかったが、次第に釣り船が増えてきた。



その中にはこの前のTHEフィッシングに出ていた船もあった。乗客はほぼ満員状態だ。やっぱりテレビに出るというのは宣伝効果てきめんのようだ。



あたりのほうはというと、釣り始めて30分後にやっと1回目だ。秋のようにガツガツ喰い上げてくるような感じではなく、軽く引っかくようなアタリだ。秋とはまったく別の魚を釣っているように思える。当たってくる数も少なく、それもわずかに触っているだけのようで、合わせてもハリに乗らない。テンヤを引き上げてみるとわずかに尻尾を傷つけているだけだ。
どんな魚でも釣れない日は型も小さい。



それでも最初の引きは強烈だ。これはやっぱり面白い。もっと数が出ればうれしいが、転流時刻を過ぎたあたりから潮の流れはどんどん強くなり底が取りづらくなってきた。道糸も斜めに入りどうも釣れる気がしない、廻りの船も頻繁に移動を繰りかえしているところをみるとみんな厳しいようだ。僕も他の船の乗員が魚を釣り上げたのを見たのは1回だけだ。
そんなことをしているうちにリミットの午前11時を迎えてしまった。
惜しむらくは、次の転流時刻まで粘ることができればもう少し魚を追加できたのではないかということだ。エサのイワシもたっぷり準備していたのに・・・。


帰りはいつもより300回転プラスの全速力で帰港。南まじりの風のせいで全身塩まみれだ。
浜ちゃんはカッパのしたにスーツを身にまとい颯爽と港から出勤するが、さすがにそうはいかないので一応家に帰ってひげをそり、髪を整えて家を出る。
なんとか30分前に事務所に到着。しかし、指は相変わらず塩辛い。

今日は初午のお祓いが会社のお稲荷さんであるのだ。みんな出席するのでそこにいないわけにはいかないのだ。
初めて参加するお祓いだが、祭壇が事務机・・・。
これではご利益がないのではないかと思うのは信心が足らないからだろうか? しかし女性の神主さんは14年間ここでお祓いをしているそうだがその間、業績は???で、ご利益があったのかどうかは幾分明白になってしまっている。
僕もひそかに息子の合格祈願をしようと思ったがここではやめておくことにして今日の1日が終了した。



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「高僧伝4  空海 無限を生きる」読了

2015年02月08日 | 読書
松長有慶 「高僧伝4 空海 無限を生きる」読了

今年は高野山開創1200年の年だ。僕も機会があれば何度か高野山を訪ねたいと考えているのでここでいまひとつ空海の業績と思想を勉強してみたいと思いこの本を買ってみた。

遣唐使として中国へ渡り、恵果阿闍梨から灌頂を受け帰国後、日本で密教を広める話は誰でも知っている。では空海の思想の象徴的なものは何だったのだろうという解説がこの読みどころだろう。
それは両極の融合というところだ。
仏教というものはもともと、その地域にあった宗教を取り込みながらそこに根付いて発展してきた。密教もそうであるが、さまざまな両極を融合させてきた。
たとえば、民衆の救済と自身の修行。これは「方便を究竟とす。」という言葉で表される。京都では民衆の救済のためにさまざまな事業をおこない、高野山では個人の修練のための道場を開き鍛錬に励む。

たとえば、浄土思想と現実。ものすごく現実を見ている。これは「密厳浄土(みつごんじょうど)」というこ言葉で表される。現実のなかにこそ浄土があるだから今を生きるのだ。今が嫌だと思い別の世界に憧れを持つのではない。だから現実の社会で奉仕活動をするのだという考えが出てくるのだそうだ。

たとえば、欲望と崇高さ。これは、「現世利益(げんせりやく)」という言葉で表される。長生きしたい、お金が欲しい。人間が持っているそういう欲望を否定せず人間の心のあり方を高めてゆく。

すべては“今”を見続けているから、現代世界でも幅広く受け入れられるのであろう。
阿弥陀信仰や禅宗のように現実世界を捨てて理想世界を求める考えも魅力的だが密教はそういうこともすべて取り込み尽くされている。(事実、鎌倉時代以降の仏教は宗派は違えど天台密教の道場で修業した人々が開祖となっている。)
そういえば、戦国時代に敵対していた数々の武将たちも奥の院には一堂に祀られている。ある意味、これも両極の融合だろうか。


エントロピーという理論はすべてのものは混沌とした平衡状態に向かっていくという理論で、熱力学の世界で語られるものだがこういう思想的な世界でも、混沌とした世界のほうが居心地がいいのかもしれない。
しかし現実はどんどん両極が激しくなる。経済的にもそうだし人口動態でもそうだろう。思想的にも右と左で対極姿勢が強くなっている。宗教的にも対立が顕著になってしまった。キリスト教もイスラム教も原点は旧約聖書であり同じものを共有しているはずなのに融合と理解ができないでいる。
だから生き辛い世界になってしまっているのだろう。二極化というのは自然の摂理とは反しているのだ。

だからと言ってすべての人は密教を理解すべきだと言っているのではない。すべての宗教というのは基本的には欲を持たずに真摯に生きなさいと説いているように思う。しかし、どうしたらそんな生き方ができるのかということはどの教えにも具体的には解説されていないように思う。釈迦は菩提樹の下で数日間の瞑想のあとに悟りを得たそうだが、結局は自分で悟りなさいというのがその具体的な方法なのだろう。

どんな宗教を勉強するのも信じるの結局は自分で答えを出さなければ意味がないのだ。
なんとも人生は難しい。


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加太沖釣行

2015年02月04日 | 2015釣り
場所:加太沖
条件:大潮 7:00満潮
潮流:7:36 上り 3.2ノット最強 11:13転流
釣果:サバ 43センチ 1匹


今日は久々にいい天気だ。海に出られる。
潮は夜が明けてじきに最強なのでアタリがあるであろう時間は2時間もないがせっかくの穏やかな天気だ。
日の出は午前6時55分だが出港は午前6時にした。田倉崎に近づいてもまだ薄暗く、空気は澄んでいるので集まっている釣り船の燈火がきれいに見える。こんな景色ははじめて見たような気がする。



それにしても相当な数の船が出ている。久しぶりの好天気だしきっと魚も釣れているのだろう。


今日の仕掛けは実験的なものだ。最近よく事務所に現れる会社の同僚が、「白ですよ!白!」とささやいている。外販が主な仕事の彼だが、外出前や帰社した折によく訪ねてくれる。釣りバカというのはどこでも同じだ。いつも釣りのことばかり考えている。僕も、「白か・・・」と頭の中をめぐらして、ふと足元のゴミ箱に目をやると白いビニールがくしゃくしゃになって捨てられている。これはなんぞやと調べてみると和歌山市指定の事業者用ゴミ袋のパッケージだ。
これは使えるのではないかと新しい外袋を失敬して疑似餌を作成した。(外袋を失敬しても横領にはならないだろう。)
そしてもうひとつ、毛糸玉だ。去年から作り始めたが今年はラメ糸を入れてアピール力を高めたものを試しに使いたいと考えている。
今日はこの二つだけでやり通すのだ。

 

田倉崎沖にできている船団の端のほうからスタート。まずはオール白ビニール。長いものと短いものを交互に取り付けた。
なんと、最初のひと巻きめからアタリが出た。真鯛ではなさそうだがよく引く。あがってきたのはハマチかと思うほどのサバだ。
食っていたのは小さいほうのビニールだ。恐るべし和歌山市指定ゴミ袋の外袋。ゴミになるはずのもので高級魚が釣れてしまった。
しかし時合は短い。すべての針を短いビニールに変えたがアタリは出なくなった。その後潮流が最強になった頃に再びアタリがあったがすぐに離されてしまった。
仕掛けを引き揚げてみると確かに噛まれたあとがある。この疑似餌は確かに効果があるのかもしれない。



潮が緩み始める頃に二つの針を毛糸玉に交換。すでにロスタイムに入っているのであまり気合は入っていなかったのだが午前9時半前後に2回アタリがあった。
他のビニールに噛み跡がなかったので間違いなく毛糸玉にアタってきたようだ。
9時半にはやめようと思っていたが、アタリがあったのでさらに30分ロスタイムを過ごしたがアタリはなく、午前10時に終了。
貧果といえば貧果だが、自信のある疑似餌を封印して臨んだ結果としては形だけは作れたのではないだろうか。

大潮の日はあっという間に潮が止まってしまうのではたしてこの白いビニールがどれだけの威力を秘めているのかは未知数だが、魚が釣れたのには間違いがない。
今月はあと何回出撃できるかはわからないが、もう少しこの疑似餌で頑張ってみようと思う。

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