イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「自然界の秘められたデザイン 雪の結晶はなぜ六角形なのか?」読了

2021年11月30日 | 2021読書
イアン・スチュアート/著 梶山 あゆみ/訳 「自然界の秘められたデザイン 雪の結晶はなぜ六角形なのか?」読了

雪の結晶の不思議さを解明するため、自然界に存在する様々なデザインの謎を解き明かしてゆくという本だ。自然科学系の学者が書いた本なのかと思ったが、著者は数学者だそうだ。
日本にも中谷宇吉郎という雪の結晶の研究をしていた学者がいたし、ケプラーも雪の結晶に関する本を書いているらしい。雪の結晶というのはたくさんの学者を魅了してきたもののようだ。

雪の結晶というのは、基本的には六角形をしており、六回対称という図形に分類されるそうだが、自然界のデザインはこういった対称性というもので出来上がっているのだというのが著者の考えだ。数学でいう対称性とは、何らかの方法で形を変換、鏡映、回転、平行移動、拡大、縮小してももとの形とまったく同じに見える性質と定義される。
六回対称というのは、図形を回転させたとき、六つの位置で対称な状態が現れることをいうのだが、雪の結晶は、基本的には正六角形をしており、60度ずつ回転させても細かい欠けの部分は別にしてまったく元の形と同じに見えるのである。
そういった事例を揚げながら雪の結晶の謎に迫っていこうというのである。

『幾何学と融合した数学は図形を数式で表すことができるようになった。』というのは、前に読んだ本に書いてあったことなのだが、著者もそういうことを前提にしているのか、『自然は数学でできている。』と断定する。いきなりややこしい数式(僕にとってはすべての数式がややこしいのであるが・・)が出てきても困るのだが、序章で著者は、普通の凡人が数学を理解できるわけがないのでこの本には一切の数式を書かずに自然界のデザインについて書くと言ってくれている。それがありがたい。
そして、自然は数学でできているという証拠として、対数らせんとフィボナッチ数というものを取り上げている。対数らせんとは、巻貝の渦巻きに見られるものだ。先っちょから口に向かっていく広がり方が対数で表せるというのである。フィボナッチ数というのは、整数のふたつ前の数字を足して作る数列である。具体的には1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34・・・となるのだが、花の花びらの数、ヒマワリや松ぼっくりの種の並ぶ数などがこれに従っているらしい。

そして、自然界が創るデザイン、この本では生物の機能的な構造についてのデザインではなく、生物の表皮の模様や花の形、気象が作り出す模様など、ある程度固定されたもののデザインを取り上げているのだが、そのデザインの元となるものは、先にも揚げている対称性、らせんに加えて、波動であるという。

波動によってできるデザイン、それは縞模様だ。これはなんとなくわかりやすい。砂丘の砂紋もそうだし、海の波の一瞬の姿もそうであろう。動物の体の縞模様については、ベロウソフージャボチンスキー反応という化学反応の過程で縞模様が生まれるのだという。そしてその縞模様が乱れると斑模様が生まれる。
対称性が創り出す模様は、動物の足跡や、ムカデの足の動き。などである。また、木星などのガス惑星の模様も対称性を持っている。らせんは貝殻はもとより、花の種、DNAのミクロの世界から銀河の構造にまでおよぶ。

人間はどうしてこういったパターンのあるデザインを好むのか、それにはこんな理由がある。対称性と複雑性に美しさを覚えるというのだ。それは、パターンを認識できる能力があると、生き延びる確率が高まる。例えば、季節の移り変わりが理解できれば1年を通して食料を見つけられるし、ヘビと蔓を、蜂と蝶を区別することができれば危険を回避できる。
確かに、ワラビもゼンマイもコシアブラもパターンを認識しながら見つけている。葉っぱの形や茎の巻き方は確かにパターンだ。

自然界は単純なパターンでできていると言いながら、そのデザインはこの上なく複雑だ。そういった複雑なデザインができるのは対称性の破れとカオスであるという。
対称性の破れは、キュリー夫人の夫であるピエール・キュリーが提唱したものだそうだが、対称的な原因からは必ずそれと同等の対称性を持つ結果が生じるはずが、原因よりも結果の対称性が低くなる現象を「対称性の破れ」という。まったく意味がわからない・・。一般人がわかるような言葉に直すと、『わずかな乱れが複雑な現象を生じさせる。』ということだそうだ。そのわずかな乱れがフラクタルという模様を作り出し、複雑なパターンを持ったデザインが生み出されるというのである。
対称な形で広がってきたものが、ある時突然対称性の乱れを起こし新しい突起が生まれる。それの連続がフラクタルであり雪の結晶の成長もそういった連続で生まれてくるという。
そんなある小さな変化が大きな変化を引き起こすこともある。これをカタストロフィー理論という。
そして、こういったことが自然界で起こりうるというのが、「カオス」だというのだ。
『単純で決定的な方程式から、複雑で規則性のないように見える答えが得られる場合がある。』というのがカオスの元の意味で、我が職場のように混沌として救いがない状態がカオスではないのである。

そして、変わらないものもある。自然界には「黄金角」というものがあり、それは137.5度だ、これはフィボナッチ数から導かれる角度で、先にも書いたヒマワリの種やカリフラワーの実(花?)の種や花はこの角度で並んでいる。
フィボナッチ数列の隣り合った2数の比率を分数にして円周を分割してゆくと急速に22.5度に近づいてゆく。360度からこれを引くと137.5度になる。この角度で配列してゆくと一番隙間なく種を並べることができるそうだ。

こう見てゆくと、数学が自然界を作っているというよりも自然界が数学を作ってきたと言えなくもないような気がしてくる。それを人間が発掘したのだ。
どちらにしてもこんなことを見つけ出す人たちはすごいのだと思うしかない・・。

そして、雪の結晶の複雑さについてはこんな見解を出している。『単純な原因から生じたにしては、これ以上ない複雑な結果となり、それを問うことは数学者の能力を超えたことである。』結局、こんなに頭のいい人たちをもってしてもわからないんじゃないか・・。というもの結論としてはきっといいことなのだとも思うのである。

僕がどうしてこの本を読もうと思ったのかというと、それはもう、魚たちの模様の美しさだ。
今年釣ったチヌのウロコの美しさ。



マゴチの斑模様の美しさ。


あんな模様はどうやって作り出されたのか・・、まさか数学がその後ろに隠されているとは思わなかったけれども、美しいと思う理由はちゃんとそこにあったのだということは理解できたのである。

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「わたしのなつかしい一冊」読了

2021年11月27日 | 2021読書
池澤 夏樹/編 「わたしのなつかしい一冊」読了

今年の9月ごろにNHKのあさイチで紹介されていた本だ。毎日新聞の書評欄に連載されているコラムで、作家、科学者、教授、映画監督、哲学者など各界の著名人が人生の中で心に残っている本を紹介したものだ。
青いインクと活版印刷風の文字、紙面で使われた挿絵も同じ色で入れられているというかなり凝った本文のデザインになっている。
早速読んでみようと思って図書館に予約を入れてやっと今頃順番が回ってきたのでかなり人気の本のようである。
書評欄というと、新刊の紹介が主なのだが、どこの新聞社もこういった昔の書籍を紹介する欄も持っている。朝日新聞でも作家ごとに特集をしたコラムを作っていて、今週は山本文緒だった。ちょっと前のブログで、「恋愛中毒」について書いたところだったので奇遇であった。あのブログを書いた直後、山本文緒は亡くなったそうだ。ますます奇遇である。

それはさておいて、選者のひとたちが人生を変えた、もしくは人生の指針にしてきたという本を紹介しているわけだけれども、さすがに各界の第一線で活躍している人たちは心に残っている本も違う。それも、若いうち、おそらく人生観が芽生える学生時代の多感な頃にすでにこんな本を読んでいたのかというのには驚かされる。
僕が知っている本、読んだことのある本というのは1冊しかなかった。鴨長明の「方丈記」であったがそれも口語訳で読んだだけである。ここに人間の差と言うものがきっと出てくるのだろうなと思えるほどの落差である。
そして、それぞれの文章は、新聞の紙面の考慮もあるのだろう、すべて1000文字以内で書かれているのだが、その中に本の内容紹介と自分を変えた内容、もしくは指針としている部分をきちんと詰め込んでいる。もちろん、プロが書いているのだから当たり前といえばそれまでだが、こんな文章を書けるようになってみたいと思わずにはいられないのである。

自分の読書歴を振り返り、なつかしい1冊とは何であったか、あまり思い浮かぶものがない。人生を変えたかどうかはわからないが、やはり師の著作の数々だろう。初めて手にした師の著作は「私の釣魚大全」であった。
絶対に「関西のつり」ではない文章に驚き、釣りは釣りであるのだけれどもただ釣りというだけではないと思った。その次に記憶に残っているのは、「青い月曜日」であった。師の自伝的小説で、最後の場面は師の子供が生まれ、病院にかけつけるというところで、その文章は、主人公が病院の廊下で看護婦に呼ばれ、「呆然として手をたらしたまま佇んでいる一人の大学生の小さな、小さな像を見た・・」というようなものであったのだが、それを読みながら、こんな人でも人生に確たる自信を持たずに生きていた時があったのだと思ったことを覚えている。自分に子供ができた時も同じ思いで、呆然とはしなかったけれども、「これからどうしよう・・」と思ったのは確かであった。だが、その時師は21歳、僕は30歳だったことを考えるとこれはいかん・・。
日本文学の特徴のひとつは自虐的であるというが、こういう本が記憶に残るほどだから僕のその後もずっと自虐的な考えが先行してきた。自己肯定とはまったく無縁で、自分のことを肯定できる人の思考がわからないのは今でもなのである。例えば、同僚の自称、「美化係」の彼、横から見ていても、ミスと失敗を繰り返し、切羽詰まってくると逆上しかできないように思えるが、自身では、「俺でも失敗することがある・・」なのであるらしい。”でも”という接続助詞を使えるという自信はどこから来るのだろうかといつも感心する。
公人と私人で正反対の性格という人間はいるのであろうが、彼にも家庭があるようだがどんな家庭を築いているのか覗き見たいという衝動に駆られるのは僕が自意識過剰だからだろうか・・。例の女帝にしても、彼女は家庭を持っているのかどうか知らないが、私人の部分でもあんなに、自分以外はすべてろくでなしであると思っているのだろうか・・。いっそのこと、彼らのように生きることができればどれほど気が楽だろうかと彼らを見るたびに思えてくる。

今では乱読だけの生活でなつかしいと思えるほど本を読みこむこともないので心に残るような本に出合うこともないのかもしれない。せめて記録には残しておこうと思うのがこのブログであるが、それも果たしてその本の真意をつかむことができているのかどうかはなはだ疑問なのである。
そもそもなのであるが、この本に出てくる執筆者はおそらく自らお金を払ってその本を買っているのだろうなと思う。思い出の本はいつも手元にあるのである。対して僕が読む本は今はすべて図書館からの貸し出しものである。そこからしてその本に対する愛着が違うのである。本当に本が好きな人は自分で一般書店なり古書店なりに足を運んで購入して手元に置き、本に囲まれた生活をしているのだろう。
ここにも根を持っているかいないかの違いを見てしまったような気がする。

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水軒沖釣行

2021年11月25日 | 2021釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 10:22満潮
釣果:コウイカ 5匹

先週とは打って変わって今週は急に寒くなった。日本は四季がはっきりしていてそれこそが日本の特色であるのだが、最近は体がついていけていない。心の中はまだ暖かい季節が続いていると思い込んでいる。
それでも体は寒さを訴え、今日からはヒートテックの上下を着こんでの出発だ。すぐに防寒着の準備もせねばなるまい。

そして今日はひどく吹いていた北風がやっと治まる予報。午後一番で母親の入院手続きをしに行かねばならないので今日も慌ただしく朝だけの釣行だ。

朝起きてから新聞を取りに表に出てみるとかなり風が吹いている。予報では紀ノ川河口付近では5メートルまでの風ということであったけれどももっと吹いていそうだ。友ヶ島のリアルタイム情報をみてみると、真夜中からは少し風が強くなっている感じだがそれでも5メートル前後で推移している状況だ。体感と実況ではかなりの差があるのでとりあえず港に行ってみないと出られるかどうかがわからない状況だ。

ローテーションどおり小船での出撃を予定していたが、港ではまったく風を感じない。これだと小船でも大丈夫だろう。



離岸して、赤い橋の下にさしかかった頃、やけにデッキの上がすっきりしているなと・・。何かを忘れている・・。イカを入れる発泡スチロールの箱と仕掛けが乗っていない・・。どうも護岸に置き忘れてきたようだ・・。
まあ、とっさに忘れ物をしたと気付くだけましなのかもしれないが、情けない・・。

港内は静かなものであったが、一文字の切れ目を抜けるとかなりの波が立っている。航行できないほどではないが、小船では辛いものがあるほどの波である。昨日までの風が残していった波なのだろうか、それとも、今は局地的な北東の風だが予報では南西の風が吹くということなので沖の方の南風が波を運んできているのだろうか。

とりあえずは今日も禁断の仕掛けを流してみる。いったいいつまで釣れるものなのかがわからないが今シーズンは最後を見届けてやりたいと思っている。
波に翻弄されながら仕掛けを流すけれどもアタリはない。今までの少ないながらの経験から考えてみることだが、どうもこの仕掛けは穏やかな天気の時のほうがいいようだ。逆に、今日みたいな日はまずアタらない気がする。もともと水面直下で魚と勝負をする仕掛けなので、こんな日は魚が水面を意識してくれないのかもしれない。

1往復だけしてポイントへ。今日も新々波止の元の切れ目からスタート。波は高いが流れがない。おまけに船が流されていく方向と仕掛けが流れていく方向がうまくマッチしていない。イカが釣れる流れというのは、船の流れが先行して斜め後ろくらいから仕掛けが追いかけてくるというときだ。しかし、これもあんまり船が流れすぎると底を取れなくなるので微妙な天気の采配が必要になってくるのではあるが・・。

今日もアタリがあったのは若干だが仕掛けが斜めに伸びているときであった。そして、仕掛けが真下や船の底の方に入っているときはアタリがあっても合わせるときにストロークが足らないのか、よくバレてしまう。



潮が悪いと食い込みもよくないというのもあるのだろうが、今日も2連続バラしという場面があった。こんなにアタリの数が少ない日にバラしてしまうと凹むしかない。
また、魚のアタリがあってもフグしか掛からない。例年ならマゴチがアタって来るはずだがフグの方が動きが早いらしい。



もともと午前9時には引き上げようと思っていたのだが、波は相変わらず高いままで、時折舳先と海面の差が20センチほどに迫る時が出始めた。



この写真ではそれほどの切迫感はないけれども、それなりに恐怖を感じる。まず、おしっこができない。デッキの上に立っているとチャックを開けたまま海に飛び込んでしまいそうだ。
少し早いが引き上げることにした。波にもまれながら釣ったイカを締めて青岸のほうから帰投することに。
新々波止と沖の一文字の間を抜けると一転穏やかな海面が広がる。こんなに違うものかと思うほどだ。こんなに穏やかならと少しの間仕掛けを下すことにしたが、アタリがないのですぐに飽きてしまった。
こっち側がこんなに穏やかだったのなら、新々波止の一番先端の北側で釣っていればもっと違った展開になっていたかもしれない。



港に戻るために港内を航行していると、南の方から生暖かい風が吹いてくる。赤壁の戦いではあるまいし、こんな季節に南の風かと思うと、やっぱり今日はあまりいい条件の日ではなかったのだと諦めるしかない。


お昼ご飯を食べてから病院へ。
入院も2回目となるとこっちも緊張感がないのであるが、この荷物はなんとかならないのかと思うほど多い。



どう見ても母親の体の体積よりも荷物の方が大きい。老人は用心のためにたくさん持っていきたがるのかもしれないが、周りの入院手続きを待つ人たちの荷物はというと大きくても旅行用のスーツケースひとつだ。入院の荷物をスーツケースに入れるというアイデアもここにきて初めて知ったが普通はそれくらいの荷物らしい。
釣りでもそうだが、ベテランほど装備は簡素になっていくものだ。そういう意味では僕たちはまだまだ入院に対してはベテランの域には達していないようなのだが、こんなものは永遠に素人でいいのは確かである・・。

今日からまた当分の間、二人だけの食事になる。今夜の食事はイカの刺身と天ぷらを作ってもらったのだが、この天ぷらがいけなかった。イカを天ぷらにするときには大体の場合、油跳ねということが起こる。それを防止するため、去年のシーズン終わりに天ぷら鍋の上に乗せる金網の蓋を買ったのだが、今日も隣の部屋にまで轟くような大きな音とともに奥さんの悲鳴にも似た怒号が聞こえた。



しかし、イカというのはどうしてこうもひねくれているのか、生きている間は噴射口をこっちに向けた時だけ墨を吐き、死しても金網の蓋を開けた時だけ爆発する。天ぷらをひっくり返そうと金網の蓋を開けた途端に爆発して顔をやけどしてしまったというのだ。それを、あたかもイカを釣ってきた僕が悪いというような口ぶりで怒っている。もう嫌、今度からはあんたが揚げてと怒りが収まらない様子だ。
別に釣ったという行為が悪でもなかろうと思うのだが、気が弱い僕は何の反論もしないまま揚げるのを交代したのだが、この、油跳ね、なんとかならないものだろうか・・。
イカは刺身と天ぷらにするのが最高であると信じている僕にとっては大問題になりつつあるのである・・。

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「約束の川」読了

2021年11月21日 | 2021読書
星野道夫 「約束の川」読了

この本は百科事典を作っている平凡社が出版している、「スタンダードブックス」というシリーズの1冊である。
刊行に際しての中の一文には、『情報が氾濫する何でもありの世の中というのは、自由に見えてじつはすごく不自由である。その中で、考える足がかり、暗闇の中を歩くための懐中電灯を提供できないだろうかとこのシリーズを始めました。自然科学者が書いた随筆を読むと、頭が涼しくなります。科学と文学、科学と芸術を行き来しておもしろがる感性が、そこにあります。境界を越えてどこまでも行き来するには、自由でやわらかい、風とおしのよい心と『教養』が必要です。その基盤となるもの、それが『知のスタンダード』です。」と書かれている。

星野道夫や佐藤勝彦の本を読んでいると別の意味で頭が涼しくなる。地球上の自然の美しさや過酷さ、宇宙の始まりの驚きを知ると人生のいざこざ、特に会社の中のいざこざなどはクソほどの欠けらの価値もないと思えてくるのである。
なんとなく、図書館の紀行文の書架を眺めているとこの本が目に入った。亡くなってから25年経っているので新たに書き下ろされたものではないというのは当然わかっているのだが、思わす手に取ってしまった。
星野道夫が、自身が出会った人々について書いた文章を意識的に集めているようだが、そういった人々を通して、『科学と文学を横断する知性を持った科学者・作家を1人1冊で紹介する。』と書かれているように、星野道夫という人はどういう人であったのかということを紐解いているような構成になっている。

星野道夫は写真家であるが、写真を撮るためにアラスカに赴いたのではなく、アラスカで生きるための手段として写真家の道を選んだ。そこで出会った人たちから、純粋に生きるということの意味を学んでいくのである。アラスカの人々は豊かになった現代でも古い生活習慣にこだわる。
クジラ漁をする人々はクジラが獲れないからといって昔のような飢餓の不安はない。変わりゆく暮らしの中でどうしても守らなければならないもの、自分たちが誰なのかを考え続けてくれるものと理解している。
アサバスカインディアンの母親はよく運の話をした。例えば「ブルーベリーの枝を折ってはいけない。運が悪くなるから。」というように。人の持つ運は日々の暮らしの中で常に変わってゆくものだという。それを左右するものはその人間を取りかこむものに対する関わり方らしい。彼らにとってそれは「自然」である。
片手を失くし、それでもひとりで荒野に生きる老人を見たブッシュパイロットの言葉は、『きっとあの場所で自然に死んで行くんだろうな』であった。

自然に寄り添って、自然に逆らわずに生きることの必要性というのは人それぞれの価値観によっても異なるのであろうが、『心臓が鼓動し、血のめぐりを感じ、ただ生きているということに心が満たされることがあるのだ。』という星野道夫の言葉に僕は共感する。
それは快適な生活かそうでないかは別にして、”根”を持って生きているかどうかということである。快適な生活を望むほどその”根”は細く短くなっていくような気がする。それを気にしない人もいるだろうが、それはきっと自分自身によって立つことができるひと、過酷な自然環境に影響を受けない人たち、受けていることに気が付かない人たちだ。
僕もきっと飢えることはこれから先もないだろう。しかし、ほんのわずかだが自然の過酷さと豊かさを知っていると思う。だから星野道夫の言葉が重く思えるのである。

星野道夫は43歳でヒグマに襲われて亡くなっているけれども、今の時代を生きていればどんな言葉を書き残してくれただろうか・・。

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「地球に月が2つあったころ」読了

2021年11月20日 | 2021読書
エリック アスフォーグ/著 熊谷 玲美/訳 「地球に月が2つあったころ」読了

なんだかSF小説かファンタジー小説のようなタイトルだが、中身は惑星学の一般向け書物という感じのものだ。
NHKBSの木曜午後10時からは長く「コズミックフロント」というテレビ番組が放送されていて、太陽系の惑星についてもときおり特集されたりしているのだが、そういったものというのは、こういう研究者の成果がもとにきっと作られているのだと思えるような内容だ。著者もひょっとしたらこの番組のインタビューシーンなんかで出演していたのかもしれない。
テレビはビジュアルがあるのでなんとなく、ふ~ん、そうなんだとわかったような気になるのだが、それが文章になっていると、何が書かれているのかがさっぱりわからなくなる。もとより、この本の構成自体が、ある程度、物理学や地質学に理解がある人でなければ一般向け書物とはいえ理解ができないような気がする。そして表現が文学的なのでよけいに内容がわからない。
だから注釈を入れても450ページほどを読み切るのに2週間近くもかかってしまった。

わからないなりに要約すると、太陽系の星々というのは、塵が集まってすんなり出来上がったのではなく、チリが集まって出来上がった小さな惑星(この本では惑星胚と書かれているが)が衝突を繰り返して出来上がるという非常にダイナミックな営みがあり、その過程は奇跡に近いようなものであったというのである。
タイトルが示すように、月にしても地球にはかつてふたつ存在していて、それが重合してひとつの月が出来上がったのであるというのだ。
そういったことを、様々な観測結果や物理法則、宇宙船が持ち帰った岩石のサンプルからのデータを基に推理するというのがこの本なのである。

ひと昔前は、惑星はどうやってできるのかというと、恒星の周りに原始惑星系円盤という塵の集まりからそれぞれの惑星が成長してゆくと考えられていて、子供の頃買った図鑑にもそう書いてあったと思う。重い石は太陽から遠くへ行かないので地球や火星などの岩石惑星は太陽の近くに、軽いガスなどは遠くへ飛ばされるので木星や土星はその外側にできるというもう、それで納得すればいいじゃないかと思うほど説得力のある考え方であったのだが、星の軌道を考える力学や海王星の組成などを考えると矛盾してしまうらしく、著者たちが考えるのは、木星や土星というのは今の軌道よりも内側で生まれてそれが次第に外に移動していったというものである。本文にはその根拠がいろいろ書かれているのだが、そこもさっぱりわからない。
そして、すべての星は塵が一挙に集まったのではなくて、最初は小さく出来上がった星が巨大衝突をしながら成長していったのが今の姿であるというのである。そうでなければ木星も、土星も月も地球でさえもそれぞれの大きさまでにはなれないそうだ。
星の衝突というのはまったく特殊なことではなく、地球上には今でも巨大衝突の痕跡は残っていて、恐竜が滅びたのもそれが原因でクレーターの痕跡はユカタン半島に残っているというのは有名な話だ。
そして、地球と月の関係も巨大衝突の結果であるらしいと考えられている。これも子供の頃に買ってもらった百科事典には、まだ真っ赤に燃えている地球からコブのようの月は生まれてきたと書かれていたけれども、テイアという名前が付けられた星(これも惑星だったのだろうか?)が地球と斜めに衝突し、それぞれの星の物質が混ざり合った末に一部が引きちぎられて月ができたという。そして、その月も、もうひとつ別の星と衝突して一個に合体したというのである。ただ、その星はどこからやってきたのかということについてはあまり詳しく書かれておらず、なんだか唐突にそんな説が書きだされていた。ただ、根拠はあるらしく、月というのは、表側と裏側で地殻の厚さが異なっていて、それは星が衝突したことが原因だと著者たちは考えている。

もっといろいろなことが書かれていたはずだけれども、これくらいのことしか印象に残らなかった。

そんなことはさておいて、いつも海に出るたびに思うのは、この海の水を溜めているのは地球なんだよなということや、真っ赤に見えるあの太陽がすべての生き物の根源なのだよなということである。
そう思うだけで十分じゃないだろうか。これから先の未来、恒星間の飛行が実現する見込みがあるというのならこういうことを突き詰めて宇宙移民のための資料となるのであろうが、そこまでのテクノロジーが開発されたとしても人間の寿命と相対性理論が許してくれないだろう。なにしろ、一番近い恒星まで旅をするにも数千年という歳月が必要になるのだから・・。
経済についてもそれだけの資本を投入して何のリターンがあるというのだろうかと考えると投資の意味がないと思うのだが、惑星の調査というくらいの費用なら、世界で最も裕福な26人(世界の富の半分をこの26人が持っているという。)のうちの誰かがボランティアでそのいくばくかのお金を出してくれれば土星の衛星に探査機を着陸させるくらいのことはできるらしい。冷戦時代のアポロ計画はその投資の数百倍の利益と活力をもたらしたというのが著者の考えで、これからも惑星探査というのは『空にある天球の殻(星が描かれた半球の壁)を破って外に出て、現実の説明が存在するより広い世界に踏み出すためには、地球やその中での立ち位置も含めた、惑星探査の視点が必要だ。』という。
確かに、知らないことを知りたいという欲求は人間がここまで豊かになった原動力ではあっただろうが、これ以上豊かになる必要はあるのだろうか。途上国はまだまだだという意見は確かにあるが、それは政治がやることである。
だから、星は見上げているだけで十分で、ときたま月食がありますという計算だけやってくれる人がいればそれでいいのだと思うのである。



この本の中身とはほとんど関係がないが、著者はノルウェー出身の科学者ということで、惑星と関係がある神々の名前が北欧の言葉で紹介されている。
火星の神は「ティウ」、水星の神は「オーディン」、木星の神は「トール」、金星の神は「フレイア」という。
ボルボのヘッドライトデザインは「トールハンマー」というそうだが、これは木星の神が持つ槌のことなのである。
ちょとだけ記録しておく。
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加太沖釣行

2021年11月19日 | 2021釣り
場所:加太沖
条件:大潮 6:20満潮
潮流:6:52 上り3.2ノット最強 10:40転流
釣果:サゴシ1匹 真鯛1匹 ハタ子1匹 カワハギ4匹

しばらく続いた小春日和も今週末でひと区切りだそうだ。家を出るときも穏やかな天気で満月がきれいだ。



今日の夕方には月食を見ることができるらしい。まあ、そんなことは関係なく、今日も釣りに出てみた。
母親の再入院は来週なので今日も時間を気にせず釣りができる。しかし、今日は前回の加太のように残業はしないつもりだ。

朝一は港の前で禁断の仕掛けを流す。前回の10号ハリス切れに対応するため、今回は12号のナイロン糸を新たに購入して仕掛けを作り直した。さて、結果はどう出るだろうか・・。



一文字の切れ目を越えたところからスタート。



Ⅰ往復だけして加太に向かうつもりだ。防波堤に沿って仕掛けを流していると早速アタリが出た。ハリスを12号にしているが、それに加えてファーストランのショックを少しでも和らげようと、予備に巻かれている糸をすべて糸巻きから抜き出してすぐに放出できるようにしていた。
アタリだけでは相手がどれほどの大きさかというのはなかなか判断がつかない。ただ、ツバスサイズではないことは確かだ。念のため糸を繰り出すとその摩擦で手をやけどしそうになる。たかだか5メートルほど出しただけであったがサンチャゴ老人の気分を味わうことになった。
最初は抵抗を見せた魚はいっきにおとなしくなった。あれれ、また切れちゃったかと思うが糸は浮かんでこない。やっぱり魚は掛かっている。それでも慎重に糸を手繰り寄せると小さなサゴシだった。う~ん、僕が狙っているのはもっと大きいやつなのだけれども・・。と思いながらも釣った魚に優劣はない。とりあえずは幸先よくボウズを逃れた。
Uターンして同じところを流すがアタリはなく、新々波止のほうまで探って加太へ向かう。


田倉崎の前に到着したときは上り潮が少しずつ緩くなっていく時刻だった。このタイミングなら真鯛狙いなのだが、脂の乗ったアジとサバがほしい。少しだけやってみてアタリがなければすぐに真鯛に変更しようと決めてサビキ仕掛けを下す。



魚探にはポツポツと反応はあるが魚は掛からない。周りの船も魚を上げている気配はない。30分ほどで諦めて北上。テッパンポイントの少し北側に入る。
ここでもポツポツと反応が出ている。何度目かの反応が出てきた時、待望のアタリがあった。小さいながら真鯛だ。高仕掛けで真鯛を釣ったのは久々だ。やっぱりあの独特のアタリは面白い。これを大切にしなければと改めて思うのである。僕はこれをやりたくてこの船を買ったのだ。

その後、またアタリがあったが、どうも魚が小さすぎると思ったらハタの子供であった。これも煮つけにすると美味しいので持って帰ることにする。
この時点で午前9時半、潮が止まる前にはカワハギをやりたいと思っている。あれもこれもと欲深いことをしているとどっちつかずになるというのは分かってはいるが、疑似餌の釣りだけだとサバフグの猛攻に遭ってしまうとそこで釣りが終わってしまう。そのための保険としてイソメを買ってきたのだが、買ってくると使わないともったいない。で、この時間からはカワハギ釣りということになるのである。幸いにして今日もサバフグの被害はなかったのであるが・・。

いつものポイントへ移動。



潮はまだ上っている。僕の印象だけだけれども、ここは潮が下っているほうがカワハギは釣れるような気がする。なので、もう少し待たねばならないかと思いながら仕掛けを下す。
その通りでアタリはない。我慢を続けるが掛かってくるのはフジツボの殻や小石だけだ。底の方は潮がたるんでいるのか、エサがゆらゆらせずに小石や殻のすき間に落ち込んでしまっているのだろう。これでは誘いにならない。
あとから思うのだが、こんなときは底を切ってエサを浮かせてやると魚にアピールできたのかもしれない。次はそういうのも試してみよう。

そんなことを続けていると、やっとアタリが出た。とりあえずカワハギゲットだがそれほどの大きさではない。僕が狙っているのはもっと大きいやつなのだが、釣った魚に優劣はない。今日も肝和えにありつけそうだ。

いつもはすぐに締めてクーラーボックスに入れるのであるが試しに生け簀で生かしておこうとピックで胸鰭の後ろを突いて空気を抜いてから生け簀に入れてみた。
なんとか泳いではいたが途中で気になって見に行くとどうも動きが悪い。やっぱり締めたほうがよさそうだと思って作業をして釣り座に戻ると尻手ロープが伸びて竿が水没してしまっている。魚が掛かっているようだ。急いで巻き取ると先ほどと同じくらいのカワハギだ。釣れる時は何もせずに釣れてしまうものだ。しかし、せっかく分解掃除をしたリールもこんなことをしていてはまた塩噛みしてしまいそうだ・・。

ちょっと調子が出てきた。その後にまたアタリ。今度は大きい。真鯛のように首を振らないのでおそらくカワハギだ。相当引くのでこれはドラグを緩めて慎重にやりとりをしなければならない。鉤を呑み込んでしまってハリスに傷が入っていないことを祈るばかりだ。
海中から姿を見せた魚体は確かに大きい。おそらくは30センチを超えているだろう。めったに個別には写真を撮らないが、これは思わず撮ってしまった。僕の手と比べてもその大きさがわかるだろう。



その後、もう1匹追加してエサがなくなってしまった。
あと、30分、田倉崎の沖にできている船団に混ざってアジを狙ってみようと考え、生け簀の真鯛を締めながらアタリを見ていたがそんなに世の中甘くもなく午前11時に終了。

帰りの道中も穏やかな天気だ。海面は油を流したかのようである。



次の釣行時には本格的な冬がやってきているのかもしれない。加太の釣りも違ったアプローチが必要になってくるのだろうが、さてどうなるか・・。
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水軒沖釣行

2021年11月16日 | 2021釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 4:24満潮
釣果:コウイカ 1匹

今日、母親が退院する。病院では退院する人たちは午前中、午後から入院する人が入ってくるというホテルのチェックインとチェックアウトのようなシステムを取っているそうだ。
だから午前10時には病院に到着しておかねばならない。
この時間から逆算すると午前8時には釣り場から脱出する必要がある。当然加太には行けないので小船のローテーションということもありコウイカを釣ることにした。まあ、3匹釣れれば今日は満足という気持ちで出かけたのだがまたまた悔いだけが残ってしまった。

その悔いのひとつが禁断の仕掛けだ。持って行こうか行かないでおこうかと思案していたのだが、一文字の切れ目からポイントまでだけでも流してみようとやっぱり持って出た。
航海灯が必要でなくなるくらいまで待って出港。



予定通り切れ目の前から禁断の仕掛けを流し始める。するとすぐにアタリが出た。それも相当大きな奴だ。この釣りはいきなりドカン!と言う感じでアタリが出るので面白いことは面白い。しかし、この後が厄介だ。竿もリールもない手だけの釣りなので魚が大きくても糸を繰り出すことも竿の弾力でためることもできない。糸を持ったまま耐えるだけだ。今回もひたすら耐えるだけだ。少しの間は魚の手ごたえがあったがじきに軽くなってしまった。仕掛けを回収してみると一番先っちょの鉤がなくなっている。仕掛けは10号、そうそう切れることはないと思うのだがあっけなかった。



初島でブリを釣ったときは枝素が8号。それでも獲れたのだから今日の魚もそれに匹敵するサイズだったのかもしれない。
う~ん、残念。釣ったとしても魚を持って帰るためのクーラーボックスも持ってきてはいないのだが、それはそれであとで考えればよいこと。この前、目の前で逃げたサワラといい、無念が続く。

残った2本の鉤を流しながらポイントへ向かうがアタリはこの1回だけであった。
この釣りで時間を食ったので残り時間は1時間半ほど。それでも調子がよければ3匹は釣れると確信して仕掛けを下すが心のどこかに焦りがある。この釣りの秘訣のひとつはじっくり待つことだが微妙な心理が仕掛けにも伝わるのかアタリはない。
潮の流れは緩やかなので思い切って赤灯台の前まで移動。ここは少し速い流れになっていて仕掛けを入れ直すことを何度かすることのなるのだが、そのたびにフグがまとわりついてくる。今年の加太は大量に湧いていてえらいことになっているが、こんなところまで勢力を伸ばしているとは思わなかった。コロナウイルスよりも蔓延力が強いのかもしれない。
そして僕の仕掛けにも喰いついてきた。運悪くアシストフックにがっちり掛かっている。



サバフグなので毒はなく、食べることができるし意外と美味しいのだが、最近は毒のあるクロサバフグとのハイブリッドがいるらしく油断ができない。この魚も尻尾の形を見ると毒はないのだが退院してきた日に家族全員フグの毒で死んじゃったというのは落語のオチにもならないと思い放流。
ここはフグしかいないと考え、もうひとつの好ポイントである一文字の交差点に行きたいと思ったのだが、この時刻、シラスを獲るバッチ網がやってきていた。仕方がないので最初に入ったところで再開。



ここでも魚がヒット。これは結構大きい。しかし、アシストフックには掛かっていなかったのか、すぐにバレてしまった。明らかにフグの引きではなかったのでこれも残念。おそらくコチであったと思う。
その直後に根掛かり。船の位置を変えても抜くことができず引き抜くと上のスッテだけは回収することができた。タイムアップまでにはまだ30分ほどある。幹糸にそのまま錘を結んで釣りを続行。



直後にイカのアタリ。小さいイカだがとりあえずボウズはなくなった。

そのまま釣りを続けているとバッチ網の船は針路を変えてこっちに向かってきた。同時に運搬船が近づいてきたので、邪魔だからそこをどけろと言われるのかと思ったら、「なに釣ってんの?」と、僕の釣りに興味があっただけのようだ。「イカです。」と答えると片手を上げてそのまま行ってしまった。残された僕はこのままここに居ても大丈夫なのかしらと逆に心配になってくる。どちらにしても帝国軍と違い、海は誰のものでもないと思っていてくれるのはうれしいではないか。



タイムアップまで15分。バッチ網の船もどんどん近づいてくるし、ふと、この時間ならまだ禁断の仕掛けでも魚が釣れるのではないかと思い立ち、片肺の仕掛けでイカを釣り続けるよりもそっちを選択。
一文字のテトラに沿って流しているとまた魚が掛かった。今度はそれほど大きくない。糸を切られることはないと思っていたら、取り込みの直前で魚がエンジンの下に潜り込み暴れ始めてあえなくバラし・・。今夜のハマチの塩焼きは海の底に消えていった・・。
それからしばし仕掛けを流してみたが、神様は3度目の微笑は与えて下らさらなかった。(仏さんは3度まで微笑んでくれるのだが・・)
これで完全にタイムアップ。

港からの帰り、いまだ影は低く長い。



家に帰って1匹のイカをさばいて病院へ。



また来週には入院となるのだが、夕食はこの前釣ってきたチャリコで退院祝いとした。
病院の食事は歯ごたえもないし味も薄いので全然美味しくなとこぼすほど元気なのはありがたい。とりあえずもう1回、今回の馬力で乗り切ってほしいものだ。

去年の今日も仕掛けを落としてばかりいたようなのだが、どうも11月16日は鬼門である・・。

その鬼門の日に初めてバーコード決済というものをやってみた。
5,000円分のマイナポイントを欲しいというだけでチャージしたものだが、いつまでも使わないわけにはいかない。試しに使ったのが釣具店だ。「ペイペイって使えますか?」とぎこちなくスマホを取り出し、これでいいんですかとペイペイの画面を呼び出す。
そして支払いはあっけなく終わってしまった。こんなに簡単に済んでしまうとは危険である。お金を支払った感覚がない。



「天才バカボン」でバカボンのパパが、銀行からもらったメモ用紙を小切手と思いこみひと悶着起こすという話があったが、それに近いものがあると感じてしまった。お金をお金と感じなくなりそうだ。これが時代であるというのはわかるけれども、僕はこまめに財布を開きたいと思うのだ。

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加太沖~洲本沖釣行

2021年11月13日 | 2021釣り
場所:加太沖~洲本沖
条件:小潮7:46干潮
潮流:7:11 下り2.0ノット最強 10:27転流
釣果:カワハギ2匹 チャリコ3匹 タチウオ10匹


今日は久しぶりに午後からの用事がないのでじっくり釣りをすることができる。
何を釣ろうかと潮流表と潮時表を眺めながら思案するが、今日は小潮で冷凍庫の中には早く何とかしろと言われているイワシが入ったままなのを思い出し、ひとつはタチウオと決めた。カワハギも捨てがたく、じゃあ、本来の船を買った目的である真鯛はどうするんだ、美味しいマアジは欲しくないのかと結局悩ましいまま朝になってしまった。

とりあえずアオイソメを400円分買って港へ到着。少なくともイワシとイソメを使い切るということが最大の目的となった。

昨日の雨が空気中のホコリを取り除き、かつまだ水分をたくさん蓄えているのか、雲と太陽光線が創り出す景色がとてもきれいだ。太陽が昇っていくにつれてその光を反射する雲の色が刻々と変わってゆく。地平から天上に伸びる逆レンブラント光線は素晴らしい赤みを帯びている。



船を停めては写真を撮っていると時間がどんどん過ぎてゆく。

     

結局、潮が流れている間はカワハギを狙い、エサがなくなればサビキか高仕掛けに変更、転流前後にタチウオを狙って潮が動き始めればまたサビキか高仕掛けに変更という、贅沢というか結局、消化しきれないようなプランでスタートした。

いつものポイントからカワハギ釣りをスタート。潮流は最強時刻だがさすがに小潮だときちんと底を取ることができる。
間もなくアタリがあったけれども、これはチャリコ。お正月前なら睨み鯛にしたいサイズだ。
その後も、アタリがあればチャリコだけである。やっとカワハギに遭遇したけれどもこの仕掛けで釣るにしてはあまりにも小さいサイズであった。狙うはもっと大型だ。
次に掛かったのもまだサイズには不満がある。場所を転々としながらアタリのあるところを探すがカワハギは来ない。
竿先をひったくっていく大きなアタリがあった。これは間違いなく真鯛だろうと思い、ドラグを調整しながら引き寄せたがタモ入れ直前に逃がしてしまうと失態を演じてしまった。もう少し道糸を巻きあげてからタモ入れすればよかったのだけれども焦ってしまった。いつも使うタモはもともと手釣り用のもので、柄は短い。父親が作ったものを使い続けているのだが、なかなか頑丈に作っていて壊れないものだから柄を自分が使いやすいようなものに替えることもしていない。
長い仕掛けを使う時は最後は手で仕掛けを手繰るからこれの方が使いやすいのだけれども、竿を持ちながらのタモ入れとなると使いづらい。もちろんそれを承知で使っているのだが、この真鯛は40センチを軽く超えていそうだったので焦りが出てしまった。これを獲っておければもうカワハギがなくても文句を言わないのだけれども今日の悔いのひとつになってしまった。

その後ももう少しでカスゴまで行きそうなチャリコを釣ったけれども、逃した真鯛に比べるとまったく満足のいくものではない。

エサは残ってはいるが、チャリコばかりではやっていても意味がない。少し早いがタチウオ釣りに変更。普通ならアイヤマに向かうのだが、風も穏やかで波もない。船底は塗りたてだしエンジンオイルも交換している。これは洲本まで行かねばなるまい。久々に紀淡海峡横断だ。燃料代も高騰しているが今日だけはまき散らす覚悟だ。
ナカトを通り抜け船団の場所を探してみるが浮島現象のせいだろうか、海面がぼやけてどこにも船の姿を見つけることができない。
2年前の記憶をたよりに方向を決めて本線航路を抜けた辺りでやっと船団を見つけた。





例年釣っている場所に比べるとかなり南だ。水深も100メートルを超えている。幸いにして風はない。とりあえず仕掛けを落としてみると流れも大したことがなく、底はきちんと取れる。しかし、ここでも失態を演じてしまった。僕はテンヤの上に枝針をつけているのだが、これは全部ワイヤー製で、まあ、劣化はしないだろうとずっと使い続けていたのだが、ステンレスワイヤーも劣化してくるらしくテンヤを投げ入れた直後に切れてしまった。サバフグが多くてそれでなくてもテンヤを相当ロストする危険があるのに自分のミスで落としてしまうとは情けない。
枝針を使う気もなくなってしまって今日はテンヤだけで釣りをすることにした。しかし、今日は安直なミスが多い。
ただ、アタリは頻繁に出てくる。テンヤを落とした直後からアタリは出始めた。しかし、これもアタリはあれども全然鉤に乗らない。Nさんおすすめのアシストフックを付けてみても全然効果が上がらない。たまに掛かってくるのは紀ノ川で釣れるのと同じようなサイズだ。大量に燃料を焚いてここまで来たのにこのサイズでは満足できるはずがない。これはまずまずと思えたのは1匹だけだ。釣れる数が少ないのに体が半分何者かに喰われてしまうものさえある。これは途中で異変が起こったことがわかったのだが、おそらく相当な大きさのサワラなのだろう。頭の方を喰ってくれていればテンヤに掛かってくれたかもしれないと思うとこれもまた悔しい。



フグは釣れてもさすがに自分でさばく勇気はなく、泣く泣く放流。手がヌルヌルするだけだ。



正午を過ぎて乗合船が撤収し始めると、それに呼応するかのようにアタリがぱったりと途絶えてしまった。少し流れが出始めたのが悪いのだろうか。
僕もイワシを2匹残して加太方面に戻る。

イソメも少し残っているので鉄板ポイントで仕掛けを落としてみる。ここでもチャリコしかアタらない。午後2時くらいまではやってみようと考えていたがそこまで気力と体力が持たず、イソメが無くなったところで終了。
四国沖ポイントには船団ができており、アジが釣れているのかもしれないが、もう帰ることしか考えていなかった。

船からクーラーボックスを下すときはけっこう重く感じるものだから、まあ、それなりの釣果であったのかもしれいなが、油断からひき起こしたミスや目の前で逃した獲物(タチウオも1匹、目の前から海に帰っていった。)のことを考えるとなんだか煮え切らない釣行になってしまった。

立てた計画についても、イソメもイワシも、こんなにエサを盗られたらすぐに無くなってしまうのではないかと思ったが、釣りをしている時間とエサの量を勘案すると十分すぎる量であった。(結局、いつもそうなるのであるが・・)
もともと立てた計画が自分の体力と気力とエサの分量とのバランスを欠いていたのであった。わずか数時間の釣りであれもこれもぶっ込むからどれもこれも中途半端になってしまう。次回はもう少し的を絞って計画を立てなければならないと思うのだ。


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オイル交換ののち、白い巨塔の片隅を見た。

2021年11月09日 | Weblog
今日は病院に行くのが午後3時半からというので、朝からは加太に行こうと思っていたがあいにくの荒天だ。早朝は雨でその後は北西の風が強く吹いてきた。10月は中頃まで暑い日が続いていたが、知らぬ間に完全な冬型の天気が現れるようになった。

ちょうどいい機会なので大きい方の船のオイル交換をしておいた。
今回はエレメント交換をしないので楽勝だと思っていたら船の揺れがひどく意外と困難な状況になってきた。オイル缶からポットにオイルを入れている間も手元が狂いそうだ。缶の中の分量が半分ほどになっていて軽くなっているからまだ楽だが、これが満タン入っていたらえらいことだった。
オイルを注入している間も船は揺れ、中腰になって足を踏ん張っているとそれだけで足が痛くなる。おまけに船酔いまでもよおしそうだ。
まあ、それでもホースを使い捨てにしたことで作業は格段に楽になった。オイルを漏らしてデッキを汚すこともなく30分ほどで作業を終了。

揺れる船内では写真を撮る暇もなく今回は文字だけ。


午後からはまた病院へ。
今日は大腸のガンを手術する段取りの説明をしてくれるという、はずであった。
予約時間は午後3時半ということだったので15分前に病棟まで行く。そこで母親と待ち合わせて声がかかれば診察室まで移動するという段取りらしい。
母親はいたって元気で、本当なら看護士が待ち合わせ場所まで連れてくるらしいのだが、家族が来ているはずだと自分で勝手にやってきた。それに加えてよくしゃべる。あごの骨が4分の1なくなっている人とは思えない。顔も見た目にはまったくといっていいほど歪んでいないのでホッとした。
そこから1時間半、まったくお呼びがかからない。途中でナースステーションに確かめるが、消化器外科は忙しいようなのでもうちょっと時間がかかりそうという。
しかし、そんなこと言われながらすでに午後5時、これは忘れられているのではないかともう一度ナースステーションにかけあうと、すぐに行ってくださいとのこと。ここでかすかな疑惑が生まれた。
下の階にある診察室に行くと、すぐに呼ばれて診察室へ。下でも待ってもらわないとだめですよ言われたのにすぐにお呼びがかかるというのはやっぱり忘れられていたのじゃないだろうかという疑惑は膨らむ。ほかにもまだ待っている人たちがいるなかで先に呼ばれるということは、この列とはまったく関係のないところで診察してもらえるはずだったのがどちらかの不手際での連絡ミスがあったに違いない。



診察が始まり、医師の最初の一声が、「退院の日は決まっていますか?」であった。もちろんそれは聞いていないし、そもそも、転科をして入院したまま次の手術に入るかもしれないと聞いていたのでその旨を伝えると、「そんなことは絶対にありえない。この病院のシステムでは緊急の手術でないかぎり、診療科が変わると一度退院して3日空けて再入院してもらわなければならない。」という。
じゃあ、「同じ病院ないのだからそういう連絡ってそちらでやってくれないんですか?」と聞くと、「うちも困っているんですよ~。向こうが何も伝えてくれないからね~。」と他人事のようだ。加えて、「資格が違うからね~。向こうと・・。」と言う。歯科医と普通の医者というのはランクが違うというのはよく聞くが、それを露骨に言っているように聞こえる。
向こうがお膳立てをしてくるのが当然だと思っているのだろう。だから、午後3時半から受診の患者が来ていないという連絡をしてくれなかったに違いない。
「向こうがそんなのだから手術の予定も立てられない、どんどん予定は埋まっていくからどんどん先になる。」なんて恐ろしいことまで言う。それはすべて口腔外科が悪いのだと言わんばかりだ。
「今日は何も決められないのでとりあえず手術に耐えられるという結果が検査で出ていますとだけ伝えます。」で終わってしまった。
僕もだんだんとイライラしてきて、じゃあ、今聞いたこと全部口腔外科で確かめてきますと啖呵を切って診察室を後にした。
自分の権威を振りかざしたいがために人の命をもてあそんでいるようにしか思えない。

それなりの数のクレーマーを相手にしてきた身からいうと、同じ組織の中で別の部署の悪口をクレームの相手に言うというのはリスク管理としては最低の行動だ。僕が本気でクレームを言ったら必ずそこを突くことになる。一瞬で信用を失くす秘孔のようなものだ。

病棟に戻って担当医を呼んでもらって、聞いてきたことを説明すると、「そうだったんですか・・。」と頼りない回答。「消化器内科を紹介したのが直近だったもので・・。」とあんまり要領を得ない説明だった。
とにかく連絡を取り合ってもらってよろしくお願いしますと言ってはみたものの、不安が残る。
病院の中でも歯科というのはかなり特殊というか、浮いているというか、下に見られているというのは事実のようだ。この大学には歯学部というのはないのでこの科の医者たちは全員生え抜きではなく外様であるという点がかなりな要因を占めていて、さらにランクの問題が追いうちをかけているに違いない。だから消化器外科医は口腔外科医を相当見下しているに違いないと思うのだ。
可愛そうなことに、わが社の外商顧客の入会基準も歯科医と医師では点数に差をつけられているので悲しいかな、世間一般の認識もそうなのかもしれない。そして、窓際の僕もそういうことになぜだか同情の念を覚えずにはいられない。

面白いことも聞いた。口腔外科と消化器外科(ここでは第2外科というそうだが)では患者の扱いが違うらしい。
消化器外科というのは患者があふれていて、次の患者を受け入れるためにすぐに退院させようとするそうだ。対して歯科の受診で病院にくる人なんてけっこう少ないらしくきちんと治るまで入院させてくれるらしい。
そこでも温度差が出来ているので、いつ退院するの?なんていう話になるようだ。まあ、あの健康そうな姿を見ると、いつまでここに居るの?って思う医師もいるのだろう。
とにかく、偏見と差別意識が人の命を左右しているといっても過言ではない。

じゃあ、僕は今のところどちらを信用しているかというと、歯医者のほうだ。少なくとも骨を削り取ったかどうかがパッと見でわからないくらいに仕上げてくれたし、そこはソ連のブルドーザーというところもあるのかもしれないが、母もまことに元気だ。

その点については、こんなことを思った。旧ソ連時代から運用されているソユーズというロケットはほとんど事故を起こさないそうだ。対してアメリカのスペースシャトルは大事故を起こす可能性があるという印象がある。実は、打ち上げの成功率はそれほど変わらないらしいが、事故の規模でいうとまったくスペースシャトルのほうが危なそうに思える。性能はともかく、故障しにくいという面ではソ連に軍配が上がる。あの仲人さんは60年後を踏まえてアメリカのブルドーザーではなく、ソ連のブルドーザーと評したのかもしれないのだ。

話は戻るが、十分傷が癒えてから退院すればよいと考えてくれているのも口腔外科に軍配を上げたくなる理由のひとつだ。
それに対して、消化器外科の医者は、まず見た目が悪い。不必要に太っているのだ。僕が会社で見てきた不必要に太っている人間というのは、異臭がするかすぐキレるかどちらかだった。それに、歯科の先生たちは全員必ず自己紹介をしてくれたが、太った医者はそんなこともなかった。どんな手術になるのですかと聞くと、「98%は腹腔鏡手術で、今回もそうなります。でも、それは簡単な手法というのではなく、それで確実に手術がおこなえるという確信のもとにやってます。」と、さも自分の技術がすごいのだよと喧伝するかのようだ。ほぼ、お経のように流ちょうにはなしているところをみると、同じようなことを聞く人がたくさんいて、腹腔鏡手術というのは簡単な手術だという人もいたのだろう。そんなことを言われるとこの人のプライドが許さなかったということだ。
総合すると、僕たちがイメージする大学病院の医者そのものというのがこの医者である。
こっちは医師を選ぶ権利はないので、脳細胞が脂肪細胞に入れ替わっていないことだけを望むのみだ。
現代の手術というのは、チームでおこなわれるので、よほどのことがないかぎり失敗ということにはならないそうだ。「私”達”、失敗しないので・・」というのが真実なのだそうだ。そういう意味ではひとりくらい脳細胞に脂肪細胞が混ざっていてもきっと大丈夫なのだろう。

などと、アホみたいなことを書いていられるのも今のうちだけかもしれない。

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「定形外郵便」読了

2021年11月08日 | 2021読書
堀江敏幸 「定形外郵便」読了

新刊本の書架に入っていて、小説かエッセイかもわからずにとりあえず借りてみた。中身はというと、「芸術新潮」という雑誌の連載をまとめたエッセイだった。
ひとつひとつの文章は2ページ半という長さなのでまったく読みにくいものではないのだが、取り上げられている題材がまったくわからない。書籍、作家、絵画、彫刻、音楽など芸術一般というものが取り上げられていて、例えば書籍などは、著者がそれを手にした古書店でのエピソード、その作家にまつわる思い出や印象であったり、芸術作品ではその展覧会へ道中、観にいくきっかけとなったできごと、装丁などが語られているが、その肝心の作家や芸術家のことをまったく知らないのである。
適当に抜き出して書いてみるとこういう名前の人たちが登場する。
海老原喜之助、ブランクシー、靉光(“あいみつ”と読む)、伊藤信吉、松本竣介、河野多恵子、高田博厚、ジャック・プレヴェール、クロード・ランズマン、北園克衛、長谷川四郎(この人は(オセロゲームを作ったひとの父親だそうだ)、梅崎春生とまあこんな感じだ。誰ひとりとして知った人がいない。唯一知っていて読んだことがあったのは、「ノストラダムスの大予言」を書いた五島勉だけだった。小松左京の「日本沈没」は読んだことがあるのか映画を見ただけなのかかなりあやふやである。
ネットで人物の名前を何をした人かを調べながら読むから時間がかかる。スマホがあると電車の中でも調べられるから、初めてこの機械のすばらしさを実感した。

ものすごい博学の人だと思ったら、早稲田大学の教授でありなおかつ芥川賞作家でもあるそうだ。そりゃあ博学のはずだが、僕と同じ生まれ年のひとでもあった。
だから、途中からは自らの無力感しか感じなかったのである・・。

おそらく本文とはあまり関係がないのだろうが、モンテーニュのこんな言葉が気になった。
『話し合いとは、他者の言葉に耳を傾けることだが、それは相手を信じることでもある。相互信頼は人間の契約のようなものだ。放漫さは厳しく排除される。
ただし「今の時代は人々をそうする気持ちにさせるのは難しい。」
「彼らには間違いを正す勇気がないのだ。なぜならば、自分が間違いを直させることに対する勇気がないのだから」』
なかなか、ひとの世の生きづらさを的確に表している。それに比べると今の人たちの言葉は薄っぺらい。

それとこれはもっと本文とあまり関係がないが、「内容見本」のエピソードには懐かしさを感じた。おそらく今の人はこの言葉を見て何のことかわからないだろうが、書籍の宣伝用のダイジェスト版のことである。新聞の書籍の広告にときおり「呈 内容見本」と書かれていることがあった。これはここの出版社に「内容見本を送ってくれ。」とハガキを送るとそういうものを送ってくれるというものだ。そして、これがけっこう本格的に作られている。特に美術書の内容見本などは、紙質や印刷の精度など本体と同じものじゃなかろうかと思えるほどの出来栄えであった。今はホームページを見ろというのでURLだけが掲載されているという味気なさだが・・。
40年近く前、高校から大学に入学するころ、僕も何の脈絡もこだわりもなく、「呈 内容見本」という一文を見つけてはハガキを送っていた。その後はただ眺めるだけだが、著者はそこに書いている一文でさえ記憶の中に留めていたらしい。そこが凡人と芥川賞作家の天と地以上の開きの原因なのである。おそらくそういうものを見ながら芸術の多岐にわたる部分を体系的に勉強していたのだろう。

だから、もう、タジタジとなりながら読むしかなかったのである。「定形外郵便」というタイトルも何かを暗示しているのだろうけれどもまったく想像ができない。さすがにこんな本を手にする人はそれほどいないだろうと思っていたら、すでに貸し出し予約が入っていた。そのひとはきっと芸術全般に造詣が深く、このタイトルの意味するものを理解できる人に違いない。それなのに、まったくサラピンのままで借りてしまったのがこんなぼんくらだったということをひたすらお詫びをしなければならないのである・・。
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