イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

水軒沖釣行

2019年11月29日 | 2019釣り
条件:中潮 8:14満潮 13:33干潮
釣果:コウイカ 12匹

今日の休みのために3日ほど前から天気図を眺めていたのだが、朝のうちは昨日の風が残りそうなので釣りには行けないと考えていた。叔母さんから大根を取に来るようにと電話をもらったのでそれまでは家で停滞するしかなかった。幸い風さえ除けばいい天気なので洗車ができると思ったが、昨日、会社でやらなければならない作業(仕事というにはあまりにもショボい業務なのでこれは作業である。)を残してしまい朝から休日出勤だ。

しかし、朝起きていつもの煙突を見てみると風は東から吹いていた。



あらまあ、これじゃあ行けたじゃないかと悔やんでもあとの祭り。とりあえず会社には行かねばならない。
そこでふと考えた。とにかくできるだけ早く会社に行ってそのくだらない作業をやっつければ大根をもらいに行くまでに海に出ることができるのではないだろうか。
BSの「スカーレット」だけ見て会社へ直行。午前10時半に作業をやっつけて午前11時に帰宅。



奥さんに呆れられながらイカ釣りの準備をして着替えもせずに家を出た。
家と仕事場が近いとこんなことができるからありがたい。

この時間も煙突の煙は穏やかにたなびいている。



出航は午前11時半ごろ。服を汚してはいけないのでカッパの袖口をきっちり止めて出航。ポイントへは5分足らずで到着できるので2時間ほど竿を出せる。こんな真昼間にイカ釣りをしたことがないので釣れるかどうかわからないが、まあ海に出ているだけでそれでよい。こんな天気の休日に釣りに行かないと罪悪感にさいなまれるのだから・・。

一文字の切れ目を越えても海は穏やかだ。大根をもらいに行かなければ加太まで行けそうな雰囲気である。



いつものポイントに入り仕掛けを下すとすぐにアタリがあった。心配は杞憂に終わり、なんだ、釣れるじゃないかと少し安堵。
そしてアタリは続く。2匹あればおかずになるくらいにしか考えていなかったのでこれは驚きだ。沖の方ではアタリがなかったがいつものポイントに戻るとまたアタリが出る。
そして午前11時を回ったころ、風が強くなったのでオモリを30号に変えた途端に連発でアタリが出た。釣り上げて仕掛けを下すとすぐにアタリというのが3回。今、この船の下にはかなり大きな群れがいるのに違いない。そして型も大きい。

もう、この頃になるといくつ釣ったのかがカウントできなくなってきた。あんまりたくさん釣ると入れ物がいっぱいになってしまうので午後1時半を待たずに終了。
終わってみれば12匹を釣り上げていた。二けた釣ったというのは何年ぶりだろう。

イカ釣りはどんより曇った日の朝方によく釣れるというイメージであった。イカは夜行性だと思っていたのでそういう風に考えていたのだけれども、どうもそうとは言い切れない感じだ。今日に限ってはそれよりも潮の動きに左右されると考えた方がよさそうだ。今日のこの時間帯は潮が動いている時間だった。朝の間でも船が流れなくてアタリがないということもたびたびあったのであながち間違いというわけでもなさそうだ。
こういうこともいつも同じ行動だけをしていたのではわからない。もっと研究熱心にならないと釣果は増えないとあらためて思ったのである。

今日の天気図:



昨日の予報では等圧線の間隔がもっと狭かったのだ・・。

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「日本の食文化 4: 魚と肉」読了

2019年11月26日 | 2019読書
藤井弘章/編 「日本の食文化 4: 魚と肉」読了

日本の食の習慣や歴史をまとめたシリーズ本の1冊だ。
最初はやはり食材で気になる「魚」を取り上げているこの本を手に取ってみた。しかし、書かれている内容はそれほど目新しいものではなく、僕でも知っているような内容ばかりであった。
ただひとつ、これは面白い見解だと思えたのは寿司についてだ。

寿司のルーツは魚を塩漬けにしてご飯を仕込むことで乳酸発酵をさせ、魚の部分だけを食べる鮒ずしであるが、それが今の寿司の形になっていった原因が、“めんどうくさいから”であったと説明している。
米を乳酸発酵させるためには数日の日数が必要である。それが面倒くさい。その前に、米も食べたいという要望から、箱に米も入れて発酵させるなれずしが生まれた。しかし、今度は切るのが面倒くさいとなって一口ずつを植物の葉っぱで包む柿の葉寿司のようなものができた。ただ、日数を待たねばならい面倒くささが残っている。それを解消するために酢酸(=米酢)を使って米に酸味を与える寿司ができたというのである。
まあ、これが本当かどうかはわからないけれども、人が歴史を積み重ねれば積み重ねるほど多様な食の文化が生まれるとおうことであろう。

また、魚尻線、刺身限界線というのも興味が湧いた。


そして、もうひとつ、感心し、かつうれしいのは、和歌山の食材と食文化が多数紹介されているということだ。
最初の章では、「カケノイオ」という風習が紹介されていた。



和歌山市の漁港でおこなわれている風習で、神様を船に招き入れる神事だそうだ。お膳には必ず対になった鯛の干物を添えるそうである。具体的な港はどこであるということは書かれていなかったのでネットで調べてみたが、かなり局所的な風習なのか出てこない。わからないともっと知りたくなるのが性である。で、SNSにこの画像をアップして知っている人がいれば教えてもらえませんかとコメントを入れたら、雑賀崎に住んでいるひとから、「見たことがあります。」とコメントをいただいた。雑賀崎は旧正月を祝う風習が今でも残っているところだからきっとこういう風習もあるのだろうと納得した。
ただ、コメントをくれた人も「見たことがある。」という感じだから、多分、どんな意味合いがあってそれが行われているのかということはご存じないのだと思う。
ほかにも紀伊山地で食されるジビエの話やそれこそなれずしの話など、やっぱり和歌山というところは古くから人が住み、いろいろな食材を手に入れることができる素晴らしい場所であったということが証明される部分だ。というか、これほど食材が豊富だったので人々が古くから住みついたともいえるのだろう。きっと。

僕らみたいな根なし草のように生活をしている身では、古くから残っている伝統を持っているというだけでうらやましいと思う。なにか、拠って立つものを持っているというのは心強い気がするというのは自分に自信が持てないからの裏返しという気もするのであるけれども、こういう風習はぜひ残していってもらいたいと思うのである。


このシリーズは合計6冊あるのだが、最初に書いたとおり、それほど目新しいことが書かれているわけではない。ただ、ところどころには、おぉ!と目をみはることが書かれている。読みたい本が途切れる合間を縫ってすべて読んでみたいと思うのである。



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船舶免許更新

2019年11月25日 | Weblog
一昨日の受講証明書を持って免許証の発行の申請に行ってきた。夏ごろ、ふと免許証を見てみると来年で有効期限切れになっていた。1年前から更新の手続きができるので請け負ってくれる業者を探さねばならない。5年に1回の更新なのでいつも前回はどこで頼んだのかを忘れてしまうのだ。
今回で多分6回目の更新なのだけれども、ずっと更新を請け負う業者にすべての手続きを依頼していたのだが、この、更新に掛かる費用がえらく高額だ。10年前にも文句を書いているが、当時でも9500円もかかっていた。ネットのサイトでどこか安い所はないかと探していると、8000円台で請け負っている業者を見つけた。ここは一般企業ではなくて財団法人らしく、それで他のサイトよりも安いのだろう。受講場所や料金を調べていると申込書に、「自分で運輸局への更新手続をする」を選ぶ項目があった。通常は業者が海事事務所に依頼して申請をするらしいのだが、要はこの手数料が高い。それを自分でやれればその分は節約できる。僕が調べた限り、ここだけが自分で申請するコースを選べるようだ。

講習会場はマリーナシティの事務所だった。



前回は家の近所のビルの一室だったけれども船を眺めながら受講できるというのがなんだか風情がある。



予定より早く始まって1時間ほどで終了したのは前回の釣行記録のとおり。


そして今日、その「更新手続」をやってきた。場所は近畿運輸局。車の車検をするところだ。車も船もおなじ役所が担当らしい。初めて知った。



窓口のお姉さんは優しく、「申請用の印紙を買ってきてください。その間に手続きをしておきますから。」と多分全然完成していない書類をそのまま受け取ってくれた。



戻ってきて2分ほど椅子に座っていたら、あっというまに免許証が出来上がってしまった。



即日交付とは知らなかった。



もう少し時間がかかるだろうと思っていたので整形外科への予約時間までかなり時間が余ってしまった。
時間を潰すために病院の近くのぶらくり丁を散歩。こんなところを歩くのは何年ぶりだろう。



ほぼシャッター通りだけれども僕が思っていたよりも意外と人が歩いていた。近くには大学ができるそうだがもう少しは賑やかになるだろうか・・?僕が子供の頃の賑わいを求めるのは無理だとは思うけれどももうちょっとなんとかならないのだろうかと他人事ながら思うのだ。まあ、なんだか時間が止まってしまったような空間というのも歩いていて楽しいけれども。



整形外科の診察もあっという間に終わって、今日の予定はすべて終了。





遅れて送付されてきた免許更新の案内DMに書かれていた費用は11000円。今回は受講料と申請費用を合わせて5850円。大分安くあげることができたのだ。


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水軒沖釣行

2019年11月23日 | 2019釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 3:38満潮 9:30干潮
釣果:コウイカ 8匹 マゴチ 1匹

今日はこんなにいい天気で潮周りもいいのにすぐに家に帰らなければならない。



午後から海技免許の更新講習を受講しに行かねばならないのだ。

小船のガソリンを補給しておかなければならないので午前5時に家を出たけれどもこれは早すぎた。午前5時半過ぎに港に到着したがまだ真っ暗だ。夜明けがどんどん遅くなってゆく。

結局船を離岸させたのは午前6時10分ごろ。それでもまだ暗い。航海灯を点灯させての出航だ。
加太方面へ目指してスピードを上げてゆく船を横目で眺めながら僕は10分ほどでポイントに到着。
早速仕掛けを下すとアタリが出た。今日は調子がいい。太陽が山の端っこに姿を現すまでに3匹を確保。ここまではほぼ5分に1匹のペース。
イカも元気だ。豪快に墨を吐いてくれる。



まだお正月の刺身用を確保していないので今日は5匹はほしいところだ。叔父さんの家に届けるためにはプラス2匹。7匹が最低目標だ。
ただ、3匹釣り上げたので心に少しの余裕がある。ちょっと広範囲を探ってみようと、新々波止の少し沖の方に移動してみた。
ここでもアタリはあるけれども早朝ほどのペースではない。ただ、この辺りはイカじゃなくてたまに魚が食ってくるのだ。去年釣り上げたマゴチやヒラメはだいたいこの辺りで釣り上げている。前回もカンナが曲がってしまい取り逃がしたのはこの辺だ。
そして今日は仕掛けに改良を加えている。スッテのアイのところにジギングに使うようなアシストフックを取り付けてみたのだ。



最初はイカの食いに支障が出ないかと心配したけれどもまあ、これだけ釣れれば問題ないだろう。あとは本当に魚がフッキングしてくれるかどうかだ。
最初の魚のアタリは姿を見たけれども途中ではずれてしまった。細長くて白かったことと幹糸が傷だらけになっていたのを見るとこれはきっとエソだろう。このまま釣りを続けると本当に魚が掛かったら切れてしまう。大きい方の船には予備のナイロン糸が入っていたのを思い出してとりあえず修復。
そして2回目の魚が掛かった。それまでにも数回アタリらしきものがあったけれどもこれらはスッテに触っただけという感じだろうか。
どこに掛かっているかはわからないがとにかく糸を緩めないで巻き続ける。今度はそれほど大きくはないがマゴチだ。タモに入った魚を見てみると、確かにアシストフックを咥えている。



おお、これはひょっとして作戦成功ということだろうか。
この魚は薄造りにするとおいしいのだ。

その後、1匹を追加して午前8時半に終了。

今日は叔父さんの家にイカを放り込んでも6匹ある。必ず刺身とゲソの天ぷらを作るのはお決まりなのでこの2年間はそこで終わっていたけれども今日は三品目を作ることができる。
3年ぶりのイカのスペイン風だ。



これも定番といえば定番だが久々に食べた味はいつものとおりなかなかのお味である。


そして午後は海技免許の講習。



さすがにこんなハイシーズンに受講しようというやつはいないのか、はたまたあまり人気のない業者なのかはわからないが4人しか受講者がいなくて、全員揃ったから今から始めますと30分も早く講習を始めてくれた。
講師の方は言葉づかいも丁寧で料金もお手ごろなのでたまたま人が少ないだけだろう。
次もここで更新したいと思うので忘備録としてURLを貼り付けておこう。

http://www.jeiskinki.or.jp/

午後2時過ぎには解放されてマリーナシティを少しだけ散策。



小春日和の祝日で人出はすごい数だ。最近はマグロの解体ショーが中国人に大うけでそれも加わっているようで日本語じゃない言葉が飛び交っていた。
僕の職場にはあまり恩恵はないようだがこんな田舎でも集まるところにはあつまるんだと、地元民としては1回来たらそれで十分なんだけどな。とやはりだれもが持つ地元田舎民の感想しか出てこないのであった。


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「RED ヒトラーのデザイン」読了

2019年11月21日 | 2019読書
松田行正 「RED ヒトラーのデザイン」読了

ネットか新聞で、こんなタイトルの本があると紹介されていた。
ヒトラーを、デザインを通してみてみようというものだ。この本には、ヒトラーは、
「メディアの重要性、それのともなうデザインの重要性を誰よりも認識していた。ナチ党のイメージ戦略を担ったアート・ディレクターであり、イメージディレクターであり、クリエイティブディレクターであった。
また、映画が好きで、プロパガンダのための動画の有効性というものに一早く気づいていた。シンボルマークという静止画(グラフィック)も旗やバナーにつけて大量にたなびかせることで動きを与えた。ナチスは、政治と芸術を合体させて「国家」をアートにしようとした。アートを、意味とは関係なくカッコいいと思ってしまう感性を手玉に取ったのだ。」と書かれている。
あれほどドイツ国民を煽動することができた要因のひとつがハーケンクロイツやその他のマーク、軍服、演説会場などのしつらえにあったというのである。
最近では欅坂46や氣志團の衣装がナチスに似ているといってユダヤ系人権団体から叩かれていた。古くはYMOの舞台装置がナチスに似ていたそうだ。ショッカーの怪人のベルトには鷲のマークがついていたりそれっぽいいでたちの幹部がいたりしたけれども、これはそもそも設定がショッカーはナチの残党が集まって作った組織だったそうである。
スターウォーズの帝国側のキャラクターたちもそういうイメージなのである。
まさに意味とは関係なくカッコいいと思ってしまう感性がここにある。
ちなみにユダヤ系の人権団体は「サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)」という名前だそうである。

ヒトラーの略歴はこんな感じだ。
1889年(0歳):オーストリア・ハンガリー帝国のブラウナウ地方でバイエルン人の税関吏アロイス・ヒトラーの4男として生まれる。
1900年(11歳):小学校を卒業。大学予備課程(ギムナジウム)には進めず、リンツの実技学校(リアルシューレ)に入学する。
1904年(15歳):シュタイアー実技学校入学。
1905年(16歳):シュタイアー実技学校中退。以後、正規教育は受けず。
1906年(17歳):遺族年金の一部を母から援助されてウィーン美術アカデミーを受験するも不合格。以降、下宿生活を続ける。
1908年(19歳):アカデミー受験を断念。下宿生活を終えて住居を転々とする。
1909年(20歳):住所不定の浮浪者として警察に補導される。独身者向けの公営住宅に入居。
1911年(22歳):遺族年金を妹に譲るように一族から非難され、仕送りが止まる。水彩の絵葉書売りなどで生計を立てる。
1913年(24歳):オーストリア軍への兵役回避の為に国外逃亡。翌年に強制送還されるが「不適合」として徴兵されず。
1914年(25歳):第一次世界大戦にドイツ帝国が参戦するとバイエルン軍に義勇兵として志願。
1918年(29歳):マスタードガスによる一時失明とヒステリーにより野戦病院に収監、入院中に第一次世界大戦が終結する。最終階級は伍長勤務上等兵。
1919年(30歳):革命中のバイエルンでレーテ(ドイツ革命前後のドイツにおいて発生した兵士と労働者による評議会組織)に参加し、大隊の評議員となる。革命政権崩壊後、ミュンヘンを占領した政府軍に軍属諜報員として雇用され、ドイツ労働者党への潜入調査を担当する。
1920年(31歳):ドイツ労働者党の活動に傾倒し、軍を除隊。党は国家社会主義ドイツ労働者党に改名される。
1921年(32歳):党内抗争で初代党首アントン・ドレクスラーを失脚させ、第一議長に就任する。Führer(フューラー:総統)の呼称がこの頃から始まる。
1923年(34歳):ベニート・ムッソリーニのローマ進軍に触発されてミュンヘン一揆を起こすが失敗。警察に逮捕される。
1924年(35歳):禁錮5年の判決を受けてランツベルク要塞刑務所に収監。12月20日、仮釈放される。
1926年(37歳):『我が闘争』出版。党内左派の勢力を弾圧し、指導者原理による党内運営を確立(バンベルク会議)。
1928年(39歳):ナチ党としての最初の国政選挙。12の国会議席を獲得。
1930年(41歳):ナチ党が第二党に躍進。
1932年(43歳):ドイツ国籍を取得。大統領選に出馬、決選投票でヒンデンブルクに敗北して落選。しかし国会選挙では第一党に躍進してさらに影響力を高める。
1933年(44歳):ヒンデンブルク大統領から首相指名を受ける。全権委任法制定、一党独裁体制を確立。
1934年(45歳):突撃隊幹部を粛清して独裁体制を強化(長いナイフの夜)。ヒンデンブルク病没。大統領の職能を継承し、国家元首となる(総統)。
1936年(47歳):非武装地帯であったラインラントに軍を進駐させる(ラインラント進駐)。ベルリンオリンピック開催。
1938年(49歳):オーストリアを武力恫喝し、併合する(アンシュルス)。ウィーンに凱旋。ミュンヘン会談でズデーテン地方を獲得。
1939年(50歳):チェコスロバキアへ武力恫喝、チェコを保護領に、スロバキアを保護国化(チェコスロバキア併合)。同年に独ソ不可侵協定を締結、ポーランド侵攻を開始、第二次世界大戦が勃発する。以降大半を各地の総統大本営で過ごす。
1940年(51歳):ドイツ軍がノルウェー、デンマーク、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フランスに侵攻。フランス降伏後、パリを訪れる。
1941年(52歳):ソビエト連邦に侵攻を開始(独ソ戦)。年末には日本に追随してアメリカに宣戦布告。
1943年(54歳):スターリングラードの戦いで大敗。また連合軍が北アフリカ、南欧に攻撃を開始、イタリアが降伏する。
1944年(55歳):ソ連軍の一大反攻(バグラチオン作戦)により東部戦線が崩壊、連合軍が北フランスに大規模部隊を上陸させる(ノルマンディー上陸作戦)。7月20日、自身に対する暗殺未遂事件によって負傷。
1945年(56歳):エヴァ・ブラウンと結婚。ベルリン内の総統地下壕内で自殺。

ヒトラーは結局、優生思想を中核にして祖先であるアーリア人の帝国を築こうとしたわけだけれども、デザインからひも解くとそれは歴史や伝統などにはほぼ関係がない寄せ集めであったことがわかる。
鉤十字(ハーケンクロイツ)や親衛隊の「SS」マークこそ、ゲルマン人が使っていたルーン文字というものを図案化しているけれども、制帽の上の鷲のマーク(アドラー)はどこの国にもあるし、軍服は一次大戦に敗戦したドイツ軍の残りにインドやイギリスの様式を取り入れている。カッコよければなんでもよかったらしい。またハーケンクロイツの国章の黒、白、赤の配色は敵国であったロシアからのイメージだそうだ。
あのハーケンクロイツは45度傾いているけれども、あれは傾かせることで高揚感というか、躍動感を醸しだす効果を狙っているそうだ。そしてルーン文字というのも現代では呪術で使われるような古い文字であり、ナチスはそういうことも利用して神秘性や正当性を演出した。

もともと文化というものは他のところから新しいものを取り入れながら移り変わってゆくものだからそれはそれでいいのだろうけれども、なんの根拠もないものをあたかもつかってイメージだけで自分たちの民族が優位にあると言うためにでっち上げてしまったというのははやり稀代の悪党であるということしか考えられない。そして簡単にそんなことに民衆は騙されてしまうのだということも恐ろしいことだ。

しかし、ヒトラーもその出自をみてみると、そう、立派な家系ではないのがわかる。そういう人がのし上がってゆくにはそれはもう、何もかも利用しなければならなかったのだろう。ほんとうにつぎはぎの張りぼてという印象だ。そもそも、この人はドイツ人ではなかったというのが驚きだ。
僕は階級社会を肯定するつもりはないけれども、悲しいかな、世の中は体制が違ってもそうなっている。上に立ち国民を引っ張る人たちは貴族であるべきというのは確かなことではないだろうか。もちろん、正しい見識を持った貴族であるという条件付きであるけれども。
僕の友人に社長をしているやつがいて、学生の頃、彼の家で暇をつぶしていたとき、そこのおやじさんが突然息子に説教をしはじめたのを聞いて、どんなことを言っていたのかは忘れてしまったが、ああ、帝王学ってあるんだな。としみじみ思った。
それなりの階級にはそこの階級の帝王学があって、そういうものを身に着けた人たちが民衆を正しく導くというのが一番いい社会なのではないだろうか。
成り上がりの張りぼてではすぐにメッキがはがれてしまうということだろう。
フランスも、革命の後、結局また皇帝をいただいて国を創ったというところにもそれが現れている。まあ、ナポレオンとて貴族とは名ばかりだったので失脚をすることになるのであはるけれども。

日本の国でも、肉を配ったとか、ジャガイモを配ったとか桜を見るのに人を呼びすぎだという話題でワイドショーは持ちきりだけれども、攻めている方も政権を目指すといいながら烏合の衆で張りぼて組のような気がする。繰り返して言うけれども、張りぼてが悪いわけじゃないけれども、実際張りぼてが作った政権は何もしないまま終わってしまった。それが現実というものだろう。
しかしながら、世襲を繰り返して、現代版の貴族の位置にある人たちはその奢りに有頂天になって、やりたい放題だ。この人たちには “noblesse oblige” という言葉や、“韜晦”という意味への理解と誓いみたいなもののかけらもないのだろうかと思う。だからこれらの人も人を導くような資格はないのである。
自分たちが国民を導く立場にあるという自覚があるのなら、このふたつの言葉にもっと誠実になってもらいたいと思うものだ。これも対峙する側の張りぼて組つぎはぎ組がなめきられているからで、もっとしっかりしろよと言いたい。花見を責める前にもっと攻めなきゃならないものがあるだろう。こんなことをしていて国民がかっこいい!と声援を送ってくれるとでも思っているのだろうか。

宇宙のすべては混沌とした世界に収束してゆくというのが物理学の法則だそうだが世の中の仕組みもそういう運命にあるのかもしれない。

バカな花見をやってるくらいなら、温泉マークでもいいからシンボルマーク貼りつけたバナーを垂らして「ハエル!アベちゃん」ってやってる方が気が利いてるんじゃないかと同じくバカな頭で考えてしまうのである。
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白浜釣行

2019年11月19日 | 2019釣り
場所:白浜 綱不知
条件:小潮 11:36満潮
釣果:ボウズ

毎年秋の恒例にしたいと思っている、ひとり遠足釣行だ。もともと10月半ばに計画をしていたのだが延び延びになり、今日になってしまった。11月の下旬といえばもうフカセ釣りの季節だと思うのだが、ひとり遠足では紀州釣りが鉄則なのだ。

どうして延び延びになっていたかというと、10月半ばは台風が来たりで天気が悪く、それ以降はほかの釣りが忙しいというまったく身勝手な理由であった。そうこうしているうちに買ったまま一月半ほうっておいたヌカには虫がついていた。

今日は冬型の気圧配置が強くなって船では出られない。ならば陸戦だといういい理由付けになる。



冬に差しかかろうという時期なので紀州釣りをするのは今日が最後のチャンスになる。昨日は気温が高くて今日の朝もそれほど気温が下がらないようなのでヌカを投げるにはちょうどいい。
ただ、風は気になる。一応、田辺方面を釣行場所にと思っていたので以前からいろいろ場所を探していた。「遠足」と銘打っているだけに釣りが半分、遊びが半分なので渡船は使わない。車でのアクセスがよくて釣れそうな雰囲気のところがよい。去年行った場所はあまりいい場所ではなかったのでもっといい場所はないかとネットの情報を探していたら、「綱不知」というポイントを見つけた。「つなしらず」と読むようだが、文字からするとすこぶる穏やかな雰囲気だ。きっと台風や冬の季節風が吹くときにももやい綱が必要ないくらい穏やかだからこんな名前がつけられたのだろう。
そこはどういうところかというと、あの超豪華ホテルのすぐそばだ。



こんな名前が付いている場所だとは知らなかっただけで、この港は昔よく来たところだ。ここには釣り用の筏があり、その当時の上司がこの釣り場が大好きでよく釣りに来ていたのだ。今は営業していないようだが「東白浜の筏」のある場所だった。行くのなら磯に行きたいと思っていたのだが、さすがに上司の意向には逆らえず・・。というところと、それにやたらとボラばかり釣れる場所であったのであまりいい印象は持てなかった。
しかし、今は違う。チヌよりボラを釣りたいのだ。それを総合すると今日の釣行にはうってつけの場所だ。ただ航空写真を見るとかなり浅そうだ。それが心配だが、釣れなければ釣れないでそれはそれでかまわない。なんといっても今日は遠足だから・・。

エサ屋に到着するまで、車の中ではそれほどの風を感じなかったのだが、やはり吹いている。こんな日に釣りに行く人もいないようで、駐車場には僕だけで、エサの解凍をしたカゴは僕の分だけであった。ちなみに、帰りの自動車道はもっと風が強くなっていて、車高197センチの軽自動車は横風をうけてフラフラ揺れる。おまけに直進安定性はまったくないので幼きアナキン・スカイウォーカーがスピーダーでレースをやっている感じになる。



釣り場に到着してみるとここも風が強い。半島状になっているところなので風の当たらないところを探して釣り座を構える。まさしく名前のとおりでこれだけの強風でもなんとか釣りができる。
ここはネットの情報にも載っているくらいだから釣り人はきっと多いはずなのであるが、ゴミがまったく見当たらない。護岸の塀には注意書きがしてあるけれどもここにくる釣り人はよほどマナーがいいようだ。多分、こんなにきれいな釣り場というのは珍しいというか、どこにもないのではないだろうか。気持ちのいい場所だ。

 

隣にはサビキ釣りをしている釣り人がひとり。釣れないのか、エサを練っている僕に声をかけてきた。チヌ釣りですか?アジでも釣ろうと思っているのですが全然釣れません。とのこと。今日は小潮で満潮は11頃だからあと2時間くらいしたら釣れてくるんじゃないですかと返事をすると、それまでは待ってられない。近くのホテルに泊まっているのでこれから観光しなきゃならない・・。僕も海の近くに一泊するときは必ず釣り具を持っていくけれども、こんなことをしているのは僕だけではないらしい。



おじさんは30分ほどで帰ってしまい、それまでは僕にもアタリがない。横が広く空いたのです少しでも半島部の先端に近づこうと移動。
ここは少し水深がある。だいたい3ヒロと少しくらいだろうか。根掛かりは無いけれども場所によって少しずつ深さが違う。多分ではあるが、田辺特有の砂岩の平べったい磯が続いているのだろう。もっと浅いと思っていたので俄然やる気が出る。
潮もよく動いている。満ち潮なのだが仕掛けは(湾内にしては)かなり早い速度で外に向かっている。多分沖から入ってきた潮が対岸にぶつかってここではその反転流ができているのだろう。これもいい感じだ。ほぼ東向きの釣り座になるので逆光でウキが見づらいのだけれどもときたまアタリがあるし、エサも取られる。
釣れてくる魚はこんな感じ。

  

メッキまで釣れてくるのだからやっぱり潮の通りはいいようだ。ただ、魚はこれだけ。
さすがに嫌になって午前11時30分に終了。もともと12時には終わろうと考えていたのでほぼ定刻まで頑張ってみたということになる。

この場所はいい所じゃないかと思う。
まず、ゴミがない。これはすばらしい。多分たくさんの釣り人から愛されているからだろう。そして潮の流れもいい。水深も思っていたよりも深い。ボラが山ほど釣れた東白浜のいかだよりも湾口に近い。目の前にはよくクエの子供を釣った高島もある。多分それなりに魚がいるのだろう。イカの墨跡もたくさんあった。
来年はもっと時期と天気を見て再挑戦しよう。

釣りを終えてからは白浜観光だ。
釣り座の近くの海水浴場も風。



円月島も風。



温泉も風。ただし、温泉は寒いほど、風が吹くほど気持ちがいい。ここは露天風呂だから。



千畳敷も風。



三段壁も風。



空港も風。



千葉ナンバーのワンボックスは誰か芸能人でも待っているのだろうか・・。



とれとれ市場も風。



ソフトクリームは350円に値上がりしていた。これは消費増税の便乗値上げだろうか。それとも中国人の足元を見てしまったのだろうか・・。
もう、易々と食えない値段になってしまった。



もう少し訪ねたい場所があったけれども温泉の心地よさにギブアップ。睡魔に襲われる前に白浜を後にした。

今日のおみやげは太平洋とマグロのアラ。



柵に切ったマグロなんてとうてい買えないので加熱用のアラを買って帰って煮てもらおうと思ったのだが、帰ってパックを開けた奥さんが、「こんなん、生で食べられるのと違うか?」と言う。
試しに試食してみると確かに食える。スプーンと包丁を駆使して骨や皮や筋を外して食べられそうな身を取り出した。中トロ風あり、赤身あり、なんだかわからない身ありの盛り合わせができた。



これで今日のひとり遠足はすべて終了したけれども、やっぱり魚が釣れないとなんとも締まりのない遠足なのだ。


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水軒沖釣行

2019年11月15日 | 2019釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 8:01満潮
釣果:コウイカ 3匹

今朝の和歌山市の最低気温は6.4℃だったそうだ。今年一番の寒さということで、確かに寒い。今朝の満月も凍れるようだ。



まだ、バイクのハンドルを握る指はそれほどでもないけれども、船外機のハンドルを握っている指はちぎれるほどの痛みだ。ただ、これは僕のイメージだけかもしれないが、イカは寒くなるほどいい感じにいなっていく。

今日もその通りで、仕掛けを下してすぐに1匹目のアタリがあった。おお、やっぱりいいじゃないかと思ったけれどもあとが続かない。そしてそんな日はアタリも渋い。アタっているのかどうかわからないけれども合わせたら掛かっていたという感じだ。

前回の釣行では今年の状況に手ごたえを感じたけれども、その確信が早くも揺らぎつつある。今月は天気がよければイカ釣りにはあと2回行こうと思っている。そこら辺で答えもでるだろう。
もう少し釣らないとお正月用のストックができないのだ・・・。
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「銃・病原菌・鉄 (下)1万3000年にわたる人類史の謎」読了

2019年11月14日 | 2019釣り
ジャレド・ダイアモンド/著 倉骨彰/訳 「銃・病原菌・鉄 (下)1万3000年にわたる人類史の謎」読了


下巻は文字や技術の発達がなぜオセアニアのほうが早かったのか、どうして新大陸では発達しなかったのかということの考察がなされている。

アメリカ大陸の中央部(メキシコや地峡部あたり)でも文字は開発されていたけれども、それが大陸全体に伝播することなくその前にヨーロッパ諸国に征服されてしまった。その差はどうしてだったのか。これは上巻で言及されていたとおり、結局、食糧生産力の差であった。
食料の生産が増えてくると、それを管理するための方法が必要になってくる。在庫を記録し、必要ならば分配する。そういうことを正確に行うためには文字が必要だ。そして、当初、文字を操ることができる人は限られており、その人たちは管理を専門におこなうため食糧生産には従事しない。こういうことができるのは彼らを養うことができる余剰食糧を確保できたからである。これは技術についても言える。青銅器や鉄器を作る人を養うことができるほどの食糧があるからそれを作れる。そして、そういう技術が食糧増産につながる。文字や技術が先か食糧増産が先かはわからないけれども、とにかくそれが両輪となって小さな集団は首長社会から部族社会、さらに国家へと拡大をしてゆく。

それが、アメリカ大陸では食糧増産に手間取りヨーロッパよりも遅れた。征服する側と征服される側の違いはそのわずかの差だけであったという。小さな一歩の差が時を隔てるごとに大きな差となっていく、まるで人生のようだ・・。
そして、人口が密集した世界では伝染病が発生する可能性が高く、そういう場所で暮らしている人たち葉にはたくさんの免疫ができる。無症候性キャリアとなった彼らは海を渡って免疫のない人たちを感染者にして弱らせてしまう。それも征服のために役立った。

ただ、技術革新については、それをどう使うかというひらめきも必要だ。たとえば、車輪について例が挙げられている。車輪はヨーロッパでもアメリカ大陸(メキシコのほうであったそうだが、)でも発明された。しかしながらヨーロッパではそれが産業や戦争など実用に使おうというひらめきがあったけれども、アメリカ大陸では子供のおもちゃとしてしか遺跡に中では発見されていないらしい。著者はこれも人口の差が原因で、人口の分母が大きいとそういうひらめきも増えるだろうというのだ。
こういうことを確率で片付けるというのもどうだかと思うのだが、現実がそうであったのだから仕方がない。そしてもう一度実験してみようということができないのだから覆すことができない。ただ、ハンドトゥマウスの生活ではそんなひらめきは起こらないのは確かなような気がする。現代社会でもそれは同じだろう。貧乏人は食べることで精いっぱいだ。

ただ、一貫して著者は、それは人間として劣っているわけではない。環境がそういう差を作ったのだといたるところで主張している。単に生まれた場所がよかっただけだろう。偉そうにするなということだ。


著者はそういう文明の差と征服される側、征服する側の力学を使い、オセアニア、アフリカの歴史を説明している。

人類の歴史が大陸ごとに異なるのは、それぞれの大陸に住居した人びとが生まれつき異なっていたからではなく、それぞれの大陸ごとに環境が異なっていたからであると著者は言うけれども、それ以外に、好奇心旺盛な人や創意工夫の心をもったほんの一握りの人たちの努力の差が時間の流れとともに大きく広がったのではないだろうか。僕みたいな人間ばかりの世界だったら何の進展もない。それが人口の多寡でそういう人の出現する確率が異なるのだと言われればそうであるけれども、科学系のノーベル賞の受賞者が欧米諸国に偏ってしまっているのは身体的、能力的な違いはないかもしれないがはやはり別の何かがあるのではないだろうかと思う。

それに加えて、著者は一切触れてはいないけれども、宗教的な影響もあるのではないだろうか。ヨーロッパに伝播したメソポタミアの文明が元祖を追い越してしまったのは、ヨーロッパよりも乾燥気味で脆弱な気候であったのにもかかわらず、人口が増えすぎたために環境基盤を破壊し気候が変わってしまったからだというけれども本当にそれだけだろうか。宗教の戒律が文明の発達を邪魔したのだと言えないことはないようにも思うがどうだろうか。
ただ、環境問題や心の問題がこれほど叫ばれるような現代、その教祖たちはそれを見越してそうならないようにブレーキをかけてくれていたのかもしれない。
そのブレーキが壊れてしまった世の中は暴走を続けるしかないんだろうなとつくづく思うのである。

また、この本のエピローグには、こう書いている。「社会は自分たちより優れたものを持つ社会からそれを獲得する。もしそれを獲得できなければ、他の社会にとってかわられてしまうのである。」なんとも残酷である。絶対にブレーキを踏むことができないのが人間の世界なのにちがいない。
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加太沖釣行

2019年11月12日 | 2019釣り
場所:加太沖
条件:大潮 6:08満潮 10:24干潮
潮流:7:02 上り2.9ノット最強 10:42転流
釣果:真鯛 カワハギ タチウオ 各1匹

連休の最終日、この秋の2回目のひとり遠足として白浜への釣行を考えていたのだが、今日は奥さんが車を使うという。1台を二人で共有しているのだから仕方がない。遠征を諦めてイカ釣りにでも行こうかと午前4時に起床。いつも見ている第5管区海保の友ヶ島灯台の海況を見てみると風は4メートル。



この天気なら加太まで行けるのではないかと急きょ道具を取り替えて家を出た。

西の空には大きくてちょっと不気味な色の満月が没しようとしていた。



今思うと、今日のパッとしない結果を予想しているかのようであった。

一文字の切れ目を越えると思いのほか波が高い。昨日の荒れがまだ残っている感じだ。多分小船で出ていればすぐに退散というところだろう。紀ノ川河口にさしかかるともっとひどくなってきた。「なつぞら」総集編の後編をゆっくり見ようかと引き返したが、住金の護岸に隠れると波がない。これくらいだったら行けるんと違うかとまた加太へ舳先を向ける。そんなことを3回ほど繰り返しただろうか、ほかにも出撃してゆく船もあり、僕はチキンじゃないんだと自分に言い聞かせ四たび針路を加太に向けた。



しかし、こんな日に加太へ行ったことはあっただろうかとメモリーの少ない頭のお中のデータベースをまさぐっても途中で引き返した時のものしか出てこない。
ただ、波は高いけれども風は確かに大したことはない。帝国軍奥深く侵入できない同盟軍に混ざって仕掛けを下すがアタリがない。転流時刻の前にはナカトシタまで入りたい。帝国軍の少ない場所に強襲して仕掛けを下すとアタリが出た。
小さいけれども真鯛を取ることができた。これで4連休は2勝1敗でなんとか勝ち越した。

それから間もなくまたアタリ。しかしなんだか変だ。真鯛でも青物でもない。上がってきたのはスレで掛かったカワハギだ。スレでもなんでもいい、これはいい獲物だ。そして、神様が、いつまでもタチウオのこだわってんともっと美味しい獲物もあるで~。っと言っているようだ。
鮎でいうなら、背掛かりだ。



日が昇るにしたがって風が弱くなってきた。これは中の瀬戸を突破してタチウオポイントに行けるのではないかと北上。相変わらず波は高いが風が緩いので前進はできる。ポイントには7,8隻の船がいる。



仕掛けを下すがアタリがない。僕の船の周りにはなぜだかウミネコがたくさん浮いている。きっと奴らは、僕が、アタリがないことに飽き飽きしてすぐにイワシを放り投げてしまうのだろうと待ち構えているに違いない。



はたしてその通りになってしまった。
せっかく刺身にもできるほど新鮮なイワシを用意したけれどもほとんどをウミネコのエサにくれてやってしまった。



時間を経るごとに風と波は穏やかになり、帰途は快適そのもの。

 

あと5時間、天気の移り変わりが早かったらと悔やむのである。


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加太沖釣行

2019年11月10日 | 2019釣り
場所:加太沖
条件:大潮 5:00満潮
潮流:5:31 上り2.3ノット最強 8:59転流
釣果:ボウズ

昨日から4連休をもらっているのだが、その期間の週間予報を見てみると、今日の気圧配置がいちばん理想的だ。だから、昨日はイカ釣りに行っておいて満を持して今日を迎えたのだ。しかし、夕べの予報を見てみると高気圧の中心が日本海に移動している。いや、そんなことはないと、また「正常性バイアス」を働かせるのだ。
しかし、思い込みで天気が回復することはあるはずがなく、田倉崎を回るとかなり風が吹いている。朝イチはタチウオをと思っていたけれども今回も地の瀬戸を突破することができない。真鯛を狙うには上り潮が緩んでいく時刻なので前回同様ナカトシタに入りたいのだが、帝国軍のスターデストロイヤーたちが集結している。



そして同盟軍はこの風では北上できないのか、ソラセ辺りで停滞している。



僕もそれに混ざって仕掛けを落としてみるが、風で仕掛けがまともに落ちない。移動するときは左からまともに風を受けて大きく船が右に傾き僕のプアマンズキャプテンチェアが手で押さえないとこちらに倒れてくる。風は治まるどころかどんどん強くなっている感じだ。
これ以上やっていても無駄だと判断し、田倉崎の陰で帰り支度をしようと移動してみると魚探に大きな反応が出た。



ダメ元で仕掛けを下すとすぐにアタリがあった。ああ、これでボウズをまぬがれられるとホッとしたのもつかの間、フッと軽くなってしまった。仕掛けの一番根元から切られてしまった。大した大きさでもないのでサゴシか何かだろうか。しかし、幹糸の切り口を見てみると、なんだかフグのような気もする。仕掛けを取り替えて続けるとまたアタリがあった。いい感じで魚が乗ったと思ったらまた高切れだ。これもおなじやつの仕業だろうか・・。

次の仕掛けを出そうと道具箱を見てみると、あれれ、補充をするのを忘れていた・・。
ちょうどいい、今日はこれで終了だ。

この場所はいつも、西ノ庄から出てくる漁師たちがアジを釣っている場所だ。今日もそれらしき人は一度に4、5匹のアジかサバのような魚を釣り上げていた。あれはいったいどんな仕掛けを使っているのだろうか。いつも不思議でしかたがない。

港に帰るとあの風がウソのようだ。



なんとも疲れた・・。
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