イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

住金沖釣行

2020年05月30日 | 2020釣り
場所:住金沖
条件:小潮 6:33干潮
釣果:ハマチ 1匹

来週からは雨の日が多くなるらしい。もう、梅雨のはしりの頃になるようだ。
最後のコロナ休暇で今日も休みだ。連日になるが来週からは釣りに行けない日が多くなるかもしれないので今日も海に出てみた。紀ノ川河口も双子島沖もスズキが釣れなかったので今日は住金沖を目指した。今は日本製鉄だが、やっぱり住金のほうがなじみがある。

今日も穏やかな天気だ。



もっと沖へ出撃してゆく船の引き波をかわしながら釣り公園を越えて護岸の最先端へ。碇を下してトップウオーターで護岸の際を通してみるがまったくアタリがない。メタルジグやワームを試すがだめだ。やっぱり今日もダメなので早々に退散とした。時間はまだまだ早いのでゆっくり船を進めていると、少し沖合で小さなボイルが見えた。ダメ元でペンシルベイトを投げるとすぐにヒット。今日もハマチだ。ボウズのはずが免れた。まったくの幸運だ。

僕が碇を下している間にどんどん周りに釣り船が増えてきた。



一体何を釣っているのだろうか。


これだけの船が集まるということはそれなりに値打ちのある魚が釣れるのだろうが、ものすごく気になる。気になるが情報がない・・。
なんとか仕掛けだけでも盗み見たいとパンを食べながら観察していると後頭部にドンと衝撃が走って手に持ったパンが吹っ飛んだ。何だ?と思ったらトンビが僕のパンを狙って飛びついてきたようだ。
こんな経験は初めてだ。人間を襲うとはよほどお腹が空いていたのだろうか。それとも僕は最早鳥にも認められないほどの人でなしになってしまったのだろうか・・。


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水軒沖、加太沖釣行

2020年05月29日 | 2020釣り
場所:水軒沖、加太沖
条件:小潮 4:54干潮 9:51満潮
潮流:6:41 下り1.5ノット最強 10:29転流
釣果:サバ 17匹 マルアジ 2匹 マアジ(鬼アジ)4匹

前回は初島方面を目指して玉砕したので今日は菊新丸さんの情報をもとに北を目指した。
今日もいい天気だ。港内は無風。



紀ノ川河口を少し超えて魚探の反応を見ながら船を進めるが全然反応がない。水深40メートルを超えたところでほんのわずかだが反応があったのでとりあえず仕掛けを下してみる。



画面には映らないがアタリがあった。サバだ。その後はポツポツとアタリがある。魚は相当上ずっているようで道糸は10メートルほどしか出ていない。反応がないほどの群れなので仕掛けがもつれるほどの数は釣れてこないのである意味安心だ。

生け簀の中も少しにぎやかになってきたので、加太で釣れているという鬼アジを狙いに行ってみた。チョクリをやっていたところは大和堆ポイントからはほんのわずかな場所だ。そこから下り潮のポイントであるコイヅキへ。
確かに船団ができている。釣れているのだろうか。僕も船団の離れでスパンカーの準備を始めたのだが何本かあるロープがからまってしまった。ムーブの先っちょで絡まってしまっているので揺れている船の上では解くのに難儀する。ボートフックで押したり引いたりしながら30分近くかかってしまった。
やっと準備ができて船団の中に入ってゆく。船団は帝国軍のものではなく、同盟軍がほとんどだから安心だ。

その中の帝国軍の老戦士。おいくつぐらいの人なのだろうか。思わずかっこいいと写真を撮らせてもらった。かなり腰が曲がっていたので相当な年齢なのだろうが、仕掛けをサッと落としてサッと魚を釣り上げてサッと移動してゆく。ああ、こんな人にはかなわないと思いながら、こんな人になりたいと思うのだ。技術もそうだが、自分の力だけで自分の人生に寄って立つ。人はそう生きるべきなのだと背中で教えてくれているようだ。



そんなことを思っているうちに僕にもアタリが来た。
ものすごく大きい鬼アジだ。ゆうに40センチは超えている。体高も大きい。手で握れないほどだ。もう、これで満足だ。あと1匹釣ったら退散してもいい。その後もコイヅキの瀬の北向きの斜面辺りをウロウロしながら3匹追加。4匹も釣れれば御の字だ。多分10時頃まではチャンスがあるのだろうけれども午前8時半に終了。

鬼アジは捌いて刺身にしたが、確かに旨い。脂も甘みも最高だ。
サバは定番のサバサンドにしてマルアジは餃子の皮をカップに見立ててマリネを作って入れてみた。いつも同じような魚ばかりなので何か趣向を凝らさねば飽きられる。メニューを考えるのが大変だ。



そして午後からの日差しは真夏のそれのようだ。一気に暑くなった1日だ。

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「神さまたちの遊ぶ庭」読了

2020年05月28日 | 2020読書
すこし前に読んだ、「とりあえずウミガメのスープを仕込もう」の著者である。この本を読んで、この作家はいい!と思った。もともと小説が好きというわけではないのでこの作家の小説を読もうとまではまだ思わないがぜひエッセイは読んでみたいと思いこの本を探した。
その本にも書いてあったが、著者は2013年から1年間、北海道の大雪山の麓にある村に山村留学のために家族全員で移住をしている。
その1年間を日記風にまとめている。

そのきっかけは著者の夫の提案であった。かねてから北海道に移住したいという希望を持っていた夫がこの場所を見つけてきた。

大雪山系は十勝地方にある。そういえば、「なつぞら」の舞台は帯広からはなれた十勝の閑村だった。そして著者たちは福井からそこへ向かう。
「チア☆ダン」という映画をついこの前放送していたけれども、そこは福井県が舞台だった。
「なつぞら」と「チア☆ダン」の主演は広瀬すずであった。著者の移住といい、広瀬すずといい、福井県と十勝は何かの因縁を持っているようだと感動するのはちょっと筋違いだろうか・・。

大雪山系にあるトムラウシ周辺は十勝地方のなかでもかなり辺鄙なところらしく、一番近いスーパーまで37㎞、DVDを借りようとすると90分車で走らなければならないところである。著者である奥さんは反対したけれども3人いる子供たちが「いいんじゃない。」「おもしろそう。」ということであっさり移住が決まった。著者がこの土地を調べている中で、ここはアイヌから「カムイミンタラ」と呼ばれている土地で、その意味は、「神々の遊ぶ庭」だということで著者も興味を持ち始める。
その期限は1年間。一家は家族の仲がすこぶるいいらしく、子供は18歳で家を出すが、それまでは必ず一緒に暮らす。という考えのもと、ここには高校がないため長男が高校に入学するまでという期限を切った。

しかし、夫というひとはどんな仕事をしている人なのかというのは謎だが、1年間だけ仕事も変えて移住するとはすごい。まあ、奥さんもベストセラー作家なのだから、そんな人の旦那さんも何かの相当なスキルがあってなおかつ生活力もあるのだろう。

そこはまさしくカムイミンタラと呼ぶにふさわしいところであった。
エッセイは著者の子供の1年間の生活を中心に書かれているが、四季の移り変わり、自然の風景、そしてなにより人との濃密なかかわりがすばらしい。
生徒の半分は著者と同じような山村留学の人たち。そんな都会の人たちと村人たちがお互いの分け隔てなく交流している。
生活のすべてとは言わないが、村や学校の行事には全員で参加し、それぞれの役割を持って取り組む。そこには小さいながらも、“だれかの役に立っている。”という意識が大きく働いているのだろう。子供たちも、“たくさんの中の一人”ではなく、”かけがえのないひとり”としてお互いを認識する。
小さな学校、小さなコミュニティではまったく全員がしっかり生きないと成り立たない。こういう濃密な人間関係が煩わしいというのが現代の風潮だろうが、人は本来、そうした人間関係の中で生きてきた生物であったはずなのだ。そして、よく言われる“ムラ社会”と言われる排他的なコミュニティよりももっと人口が少ないからこんな濃密な人間関係が築けるのだろうとも思う。
たとえ自分の思い通りにならないことがあってもそれは多分ほとんどが自然相手のこと。あきらめもつくだろうしそれに対してイライラすることもないだろう。もっとも、僕は魚が釣れないとイライラしてしまうが、それは海況のせいでイライラしているのではなく自分の腕前の無さに対してなのだ。

叔父さんの家に午前8時過ぎごろに行くと、必ず、近所のおいやん連中が数人、缶コーヒーを飲みながら小さな椅子に座って円卓会議をしている。議題といっても他愛もない話で何の結論もないし、結論を出さなければならないものもない。そういうのがいいのである。

そして1年後、著者も子供たちの目を見張る成長ぶりに驚く。
そして悲しいながらもまた未来へ向けての一歩となる別れをして福井へ戻ってゆくのである。
その文章は軽いタッチながらも、ひとが生きてゆくうえで何が大切かという重みを含んでいる。それがこの作家の魅力的なところだろう。
作家は、こういう環境で暮らすための一番大切なものは何かと問われ、家族の仲がいいことと答える。そういうことをサラッと書いているのだ。
サラッとというと、北海道で暮らすということを話した時の周りの反応もサラッと書いている。そのなかで、優等生の子供を持つ親子に対して、「この人たちは縛られているのだ。」という感想を持つ。賢明すぎて離れられない。
そうだ、僕も生活するために縛られている。こんなにくだらない誰がやっても同じような仕事をさせられながらもここから逃げ出すことができない。(まったく賢明とは正反対だが・・)だから、いっそのことリストラでもあればあっさり解放されることができるのではないかなどとあられもないことを考える。コロナショックの影響を受けてこの会社も相当業績を悪化させるだろう。来年の決算を受けて株主総会での業績浮上策のひとつとしてリストラも考えているのではないだろうか。前の大胆なリストラの黒幕も今の経営陣の人たちだ。
その時僕は57歳。失業保険をもらって約1年。通常の定年退職まではもう一息だ。そしてその頃には少しは景気も回復しているだろうか・・。その間に自分のやりたい仕事が見つかるかどうかなんてわからないけれども、それのほうがひととして人間らしい生き方ができるのではないかなどと思ったりしてしまうのだ。
しかし、そんなことを考えている輩に自分らしい生き方ができるような仕事はない。新しい仕事を見つけたとしてもまたそこで悪態をつくだけだ。
だから、やっぱりできるだけここにしがみついてなんとか振り落とされないように生きていくしかないというのが結論だ。
さわやかな本を読みながらその一方でそんなことも考えていた。
光の反対側には影がある・・・。
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「Tengu 天狗」読了

2020年05月27日 | 2020読書
浜本龍蔵「Tengu 天狗」読了

和歌山県日高郡由良町に興国寺というお寺がある。臨済宗妙心寺派の総本山であるが、金山寺味噌の発祥の地というほうが有名である。金山寺味噌から漏れてきた汁が醤油の元になっているのだから、醤油の発祥の地ともいえるかもしれない。そして、時代劇に暗殺者なんかのコスチュームで登場する虚無僧もこのお寺が発祥だそうだ。

もう、2年ほど前になるけれども、先代のイレグイ号のラストランのときの折り返し地点がこのお寺だった。このお寺のことは知っていたけれども、あのときはじめて訪ねることとなった。
そして、金堂の横に大きな天狗の顔を祀ったお堂があったのを覚えていた。天狗様のお顔があまりにもリアルなのでなんだか由緒正しきものを感じなかったのだが、この本を読んだ後で調べてみると、このお寺には“天狗伝説”というものがあって、秀吉の紀州攻めのときに荒廃してしまったお寺のお堂を一夜にして天狗がやってのけたというのがその伝説である。

多分、著者はその伝説にインスピレーションを得てこの小説を書き始めたのであろう。その天狗というのが白崎海岸に流れ着いたイギリス人であった。というのがこの物語の中心である。
どうやってそこまでたどり着いたか、そしてもうひとり仲間がいるのだが、その仲間とどうやって再び出会うことになったのかというのはここでは書かないでおこう。

図書館では郷土資料の書架に入っていたのだが、パラパラめくってみると外国人の名前が出てきたので、よくある、東南アジアの植民地からやってきた外国人が戦国時代に大活躍するというような内容なのかと思いながら借りたのであるがそれとはかなり趣が違っていた。
主人公が何かを成し遂げるというような物語ではなく、運命を受け止めながら生きていくという勇ましさも何もないところがこの小説のいいところのように思う。

著者はサラリーマンをしながら小説を書いている人らしい。そんな夢のない世界(そう思っているのは僕だけかもしれないが・・)で生きているからこそ、素直に運命を受け止めるというようなシチュエーションのドラマを描くことができたのではないかとそんな思いがよぎった。

そういう生活の中では取材時間もそう取れるわけではなかったのかもしれないが、物語の中ではどうもそれはおかしいと思える部分が数か所あった。

いくつか挙げると、
・あの地方の方言で、「海から上がっただか?」という、“だか?”といういい方があったのだろうか。
・雑賀衆の宗派が根来寺の真言宗(新義真言宗)だと言っているのは雑賀衆のなかにもそんな人がいたとしてもあきらかに主流ではなかったのではなかろうか。
・登場人物のひとりが高野山の天台密教の僧に入門したことになっているが、それはきっと真言宗の間違いだろう。
・主人公たちは紀伊山地を逃げ延びてゆくのだが、そのルートの中に西に天川村を見て東に高野山を見ることができる場所というのが出てくるのだが、そんな場所は存在しないのではないのだろうか。
・あの当時、由良に温泉があったのだろうか?今はみちしおの湯というのがあるけれども。

などなど、まあ、物語自体が空想の物語だからそういうところはわざとそう書いているのかもしれないがそこはリアルに書いても誰も文句は言わなかったのではないだろうかなどと小さなツッコミを入れながら読み終わったのであった。
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初島沖釣行

2020年05月26日 | 2020釣り
場所:初島沖
条件:中潮 7:30満潮
釣果:ボウズ

今度の休みはどこに行こうかと悩み続けてとうとう休日の前の夜になってしまった。
そろそろキス釣りも試してみたいし、加太でも釣れているらしい。前回の頭だけ残った小サバが気になるし、日曜日はサバがまた爆釣になったらしい。結局、他の釣りの準備を全然やっていなかったので前回と同じメニューで出撃した。

午前4時半の海はまるで鏡のよう。



快調に初島を目指す。初島の灯台の下からタイラバを始めるがアタリはない。



そしてベイトの反応もない。大磯の前も試したけれどもダメで後からやってきた乗合船もベイトの反応を探して南の方へ行ってしまった。
僕もこれでは期待が薄いだろうとチョクリをするため沖に向かった。水深55メートル付近に数隻のチョクリが出ていたのでそこからスタート。



しかし、一昨日の盛況はどこへ行ってしまったのだろうか。魚探にはまったく何の反応もない。結局そのまま終了。

帰りも穏やかな海であったが、



天使の梯子はなんだかぼやけていた。



『試練は神がお与えくださった大きな愛なのです。困難であればあるほど魂は清められ、試練が大きければ大きいほど、神の存在が近づいてくるのです。神を恨んではいけません。神はいつもあなたを信じています。』
などというけれども、僕は氷の山を前にしてその神の存在の大きさを感じざるおえない。



僕の家は浄土宗だから神の大いなる存在を感じさせてくれなくてもよいのだが・・。

菊新丸さんの情報では、今日のヒットポイントは紀ノ川沖だったそうだ。群れは少しづつ北上をしていたらしい。加太の方を向いてゆけばよかった。やはり最初の迷いの時点で今日の釣果は決まっていたようだ・・。
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「アマゾン河の食物誌」読了

2020年05月25日 | 2020読書
醍醐麻沙夫 「アマゾン河の食物誌」読了

作家は、師の釣り紀行「オーパ!」の案内役をした人だ。師に手紙を送り、それがきっかけであの名著が生まれたのである。
醍醐麻沙夫という作家をウイキペディアで調べてみると、元サックス奏者でその後ブラジルに渡り作家活動に入ったとなっている。僕の親世代の人ではあるけれども、そんな世代の人がどうして音楽家をやめてブラジルに渡ることになったのか本の内容よりもそっちに興味がわいてくるがネット上でも大した情報を見つけることはできない。

「オーパ!」では現地の食べ物についてはそれほど多くは触れられていなかったように思う。記憶にあるのは、ブラジルではファリーニャという、芋から取ったでんぷんが主食で、それを食べすぎるとウンコが水に浮くようになり、ハウスボートの上のトイレから落とすとすかさず魚が食べに集まってくるのだ。というくだりぐらいだ。

この本はそれを補ってくれるかのような内容になっている。
流域の都会での食習慣と支流などでの自然の中での食習慣が章ごとに交互して紹介されている。

とある評論家の見解では、世界の三大料理とは、フランス料理、中華料理、そしてブラジルの家庭料理だという。
ブラジルも移民の国、世界中の料理が集まって来るが、貧しい移民たちの料理なのでおのずと家庭料理になる。そんな人たちが現地の食材を工夫して多彩なものを作りだす。それが三つ目の三大料理として評価される理由だというのである。
しかし、原住民たちの食べ物は質素だ。原住民の間で広く食べられていたもので特徴的なのはファリーニャ、ツクピーという調味料くらいだ。
ファリーニャは先に書いたけれども、マンジョッカという芋のデンプンだ。そしてそのデンプンを取った時にでる汁を加工したものがツクピーである。ちょっとエスニックっぽい味がするらしく、外国人にも美味しいと感じるそうだ。
この芋のデンプンはタピオカの原料でもある。(東南アジアにいくとキャッサバ芋と名前になる。)大変栄養価が高くて栽培も容易(この芋にはシアン化合物が含まれていて害虫や害獣を寄せ付けないらしい。)、この芋の株が10株もあればひとりの人が1年暮らせるらしい。
それに加えて年中温暖な気候に恵まれたアマゾンでは食材を保存したり食べにくいものをなんとか食べられるように加工しなければならないことがない。だから食文化というものもそれほど発展しなかったというわけだ。魚を焼いてファリーニャを振りかけるというのが原住民の一般的な食事らしい。
しかし、食材は豊富で、魚の種類の多さに加えて亀や獣類、鳥類など種類は数多とあるというのがアマゾンだ。
「オーパ!」の取材途中でサンタレンという年に滞在していた時、著者が作った小エビ料理を食べた師は、「きょう、サンタレンのエビはその本来の輝きをもつにいたった。」と言ったそうだ。これがアマゾンの食材の豊富さを物語っている。

著者は、こういった情報を積極的に得ようとしたのではなく、小説家として題材を取材するついでに得た情報をまとめている。そこには日本からの移民も多くいたのだが、やはり日本人は食べることに対して貪欲というか、自国の食生活に人一倍郷愁を感じる民族のようで、そこで手に入る食材をなんとか利用して日本を懐かしむ料理を作っていた。トウモロコシの粉で漬けたたくあんやマパラという魚を使ったかば焼きが紹介されている。ワラビも採れるらしい。
これも小さなコミュニティの中で食べられていたものだがひとつの食文化だ。日本からだけではなく、たくさんの国から移民がやって来ているように思うブラジルだから、それぞれの母国ごとのコミュニティにそういったものがあったのだろう。

著者は日本のコミュニティを中心に取材をし、そして大の釣り好きだそうで、食材としての魚の紹介、そして移住した日本人の食生活を中心とした紹介になっている。
これはこれで好感が持てるのだ。
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双子島沖釣行

2020年05月24日 | 2020釣り
場所:双子島沖
条件:大潮 6:29満潮
釣果:ハマチ 1匹

連日釣りにばかり出ているが、飽きもせず釣りに出た。小船にはしばらく乗っていないので今日は近場での釣りだ。
なんとかスズキを釣りたい。2回連続で紀ノ川がだめだったので双子島沖を目指した。



午前4時に出港し、まずはトップウオータープラグから。まあ、予想はしていたが、アタリは無し。

いろいろな場所を狙ってみようと双子島の一番沖でもキャストをしてみるがやっぱりダメ。そして雑賀崎の灯台の下へ。一昨年の夏にチヌを釣った場所だ。



しばらくはトップウオーターを投げていたが、水面下をよく見るとたくさんの小魚が泳いでいる。イワシか小鯖だろう。それではとベイトの大きさに合わせて小さなリップレスミノーにチェンジ。あちこちの方角に投げ続け、番所の鼻の方角にキャストしたときにいきなりアタリが出た。マッチザベイトというのは大切だということを学ばせてもらった。
大きい。これは60センチ以上はあるスズキだぞと慎重にやりとりしてリーダーまで取り込んだところで見えた姿はハマチだった。う~ん。獲物には違いないが、スズキがほしかった。
まあ、贅沢は言えないが・・・。

気が付けば太陽は高く昇ってきて暑くなってきた。ルアーの釣りはこの時間で終了だ。渡船屋の船頭としばししゃべり、いつものスーパーに寄っても家に帰りついた時刻は午前7時半。
いつもの通り、散歩のような釣行だった。
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初島沖釣行

2020年05月22日 | 2020釣り
場所:初島沖
条件:大潮 5:34満潮
釣果:マルアジ 10匹

今日は初島へ飲ませサビキの調査だ。



いつものようにベイトの反応を待ちながらタイラバを落としてゆく。
僕は調査だと思って出撃したのだが、世間ではすでに釣れていることが知れ渡っていたらしく、海域は平日にもかかわらず3密状態になってしまっていた。



僕もその3密のなかに入り込んでいったけれどもベイトの反応はなくタイラバにも小さなアタリが1回あっただけだ。これは限りなくボウズに近づいてきているのではないかと危うくなってきたので3密を離脱し沖に向かいチョクリで獲物を確保。水深55メートルくらいで小さな反応があったので仕掛けを下すとしばらくしてアタリ。今日もサバかと思ったが大きなマルアジだ。最初のアタリでは1匹だけだったが間もなく小さいながらも反応があり複数匹が上がってきた。生け簀を開けるほどでもないので魚を〆ながら穂先を見ているとまたアタリ。これで10匹。

アジフライを作るには十分なので再び3密の中へ。



この頃になると北風と潮の流れが強くなり船の姿勢を保つのが難しくなってきた。他の船はスパンカーを立てているが僕はそれも面倒なのでどてら流しで耐えていたがそれが失敗だ。他の船を避けるためにクラッチを前進に入れたら仕掛けをスクリューに巻き込んでしまった。ああ、怠慢はよくない。

そしてベイトの群れがやってきた。今日も小鯖だ。サビキにくっ付いている小鯖の鼻に鉤を引っ掛けて再び海底に落とす。場所を移動しようとして引き上げると頭だけになっていた。



何の感触もなかったが何かが食ってきていたようだ。スッパリと切り取られている。犯人は一体何者だったのだろうか。もう一息奥まで食いついてくれていたら・・。

風が強くなりこれ以上やっていると帰れなくなるのではないかと心配になり午前9時に終了。


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燻製作り

2020年05月21日 | Weblog
前回の釣行で仕込んでいたサバを燻製に仕上げた。本当は明日に作業をするつもりでいたのだが今日は風が吹いていて明日は穏やかな予報なので釣行日を変更して燻製作りを先にやっておこうと考えた。通常は冷蔵庫で3日の乾燥工程が2日になってしまったので早朝から外に出して自然の風を当てなるべく水分を飛ばして準備をした。

その前の冷蔵庫の乾燥を効率的におこなうため、乾燥台なるものを作ってみた。いつもはプラスチック製のザルを使っているのだがこれがかさばる。これなら狭い空間でも2段で使えるので効率的だ。それに100均の簀の子が偶然ピッタリ合ったので竹が水分を吸ってくれてより乾燥が進むというものだ。



そして、熱源は豆炭を使うのだが、いつも着火に手間取る。お手軽チャコールを細切れにして着火剤代わりに使い、その火を消し炭に移してやっと豆炭へ火が点くという感じで、必ず途中で火が消えてこれで30分は使ってしまっていたのだが、今回は港のそばに山のようにある松の枯れ枝を拾ってきて着火剤代わりに使ってみた。松はヤニを含んでいるので焚きつけには最高らしい。



これはむちゃくちゃうまくいった。今日は5分ほどで豆炭に火が移ってくれた。

その後はいつもと同じだ。80℃前後の温度を維持しながら1時間ほど燻すといい色に仕上がった。



今年のサバは型が大きいのでかなり食べごたえのある燻製が出来上がった。
次は秋に太刀魚の燻製だ。
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「牛鬼の滝 (民俗伝奇小説集)」読了

2020年05月19日 | 2020読書
宇江敏勝 「牛鬼の滝 (民俗伝奇小説集)」読了

久しぶりに宇江敏勝の本を手に取ってみた。基本は毎回同じで、終戦直後くらいまでの時代を紀伊山地の山中で生きた人々の物語だ。木を切る人、炭を焼く人、開拓のために入山したひと・・。
すべては架空の話ではあるのだろうけれども、作家自身が取材や聞き取りから得た情報を元にした限りなく事実に近い物語のように見える。物語にリアリティがありすぎる。

すべての人はその山に畏敬の念を抱き、生きるために深く切り込んでいくけれどもある一定の距離を取りながら生きている。それが山にひそむ得体のしれないものへの敬意でありなおかつ山の資源を未来へ残してゆくための方策でもあったように思う。
まだ生きているかもしれない狼、本のタイトルにもなっている牛鬼、また、杣人たちのしきたりにもそういったものを感じる。

この本の物語の舞台になっている時代は主に第二次世界大戦がはじまる直前から終わるころまでだが、この時代でも里に下りるとそれなりに豊かな生活ができたようだ。それでも物語の登場人物たちはあえて山に残って生きる道を選ぶ。それは生きることに不器用であるというところもあるのかもしれないが、なにか人を引きつけるものが山には(多分、海にも)あるのだろうと思う。
さて、僕も引きつけられたい類の人間ではあるのだが、この作家の本を読むたびに、僕はそれにふさわしく、またそれに耐えていける人間なのだろうかといつも思う。
単にあこがれているだけなのか、絶望することを忘れるほど生きることに切迫する生活は僕には無理だろうか。現代ならばある程度快適な生活を送りながらそんな山の生き方(海の生き方)もできるのではないだろうかなどと思うけれども、作家が書いている通り、それはきっと、『自然と人間の、肌を接するような濃密な関係』ではなくなってしまうのかもしれない。

朝、少し早い目に家を出て駅のベンチに腰かけて本を読んでいると、どこからともなくたくさんの種類の鳥の声が聞こえてくる。



外出自粛の中、人が少なくなって野鳥ものびのびしているのだろうか。鳥の鳴き声にはこんなに種類があったのかと驚いてしまう。
僕にはこの程度の濃密さの自然との交わりが限界なのかもしれない。




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