キノブックス編集部 「酒呑みに与ふる書」読了
図書館の書架の間をうろうろしていたらこんな本を見つけた。この手の本は、だいたい似たようなジャンルの作家の文章を集めた編集が多いように思うけれども、この本は多岐にわたっている。取り上げられている作家の活躍した年代も幅が広いし、詩人、俳人、歌人、評論家、漫画家も入っている。ペラペラとめくって、師の文章を見つけたので借りてみた。
幅広く集めたといえばそうだけれども、なんだかまとまりを欠いているような気がする。はやり、こういう本はやはり文学者が編集しないとこうなってしまうのだろう。ただ、すべての文章が、お酒にまつわる直球の文章ばかりではなくごく少しだけしかお酒が入っていないという文章もあるというのは面白い。
師の文章は、いままで何度か目にした文章だった。旅をしていて、素晴らしい地酒に巡り合う幸福感を書いている。そんな経験は僕にはないので貧乏人の器に関する感想を少し・・・。
お酒というのは、やはり雰囲気が大切であるというお話である。
日本酒を飲むときはいつもぐい飲みを使って冷やしたお酒を飲むのだが、ロードサイドのインテリアショップで税抜88円というぐい飲みを見つけて買ったことがある。これも数のうちだろうとひとつ買ってみたのだが、やはりこれが100円もしない器だと思うと、どうもお酒が美味しくないような気がする。じゃあ、もっと高級な器で飲むと美味しいのかといっても、ほかの器も、1,000円、600円、100円とこんなものだ。しかし、それぞれの器は、奈良の骨董屋で買ったものや、漆器市で見つけたものだから、お酒を飲みながら、ああ、これはあそこで買ったのだなと少しはそんなことを思いながら飲めるのである。こだわりではないけれどもなにか自分の足で見つけてきたというような思いがある。それに比べて、かわいそうだが88円の器はコストを極力削り落とした、デザインはまあまあ今風だけれどもという商品たちと共に10個ほど同じものが並んでいたうちのひとつだったから何の思い入れも見いだせない。
だからそれに注ぐいだお酒は、これまた、よくても醸造用アルコール添加であるけれども、それが、アミノ酸、糖分も添加したようなちょっとベタッとしたお酒の味がしてしまうのである。
お酒は質よりストーリーだ。
図書館の書架の間をうろうろしていたらこんな本を見つけた。この手の本は、だいたい似たようなジャンルの作家の文章を集めた編集が多いように思うけれども、この本は多岐にわたっている。取り上げられている作家の活躍した年代も幅が広いし、詩人、俳人、歌人、評論家、漫画家も入っている。ペラペラとめくって、師の文章を見つけたので借りてみた。
幅広く集めたといえばそうだけれども、なんだかまとまりを欠いているような気がする。はやり、こういう本はやはり文学者が編集しないとこうなってしまうのだろう。ただ、すべての文章が、お酒にまつわる直球の文章ばかりではなくごく少しだけしかお酒が入っていないという文章もあるというのは面白い。
師の文章は、いままで何度か目にした文章だった。旅をしていて、素晴らしい地酒に巡り合う幸福感を書いている。そんな経験は僕にはないので貧乏人の器に関する感想を少し・・・。
お酒というのは、やはり雰囲気が大切であるというお話である。
日本酒を飲むときはいつもぐい飲みを使って冷やしたお酒を飲むのだが、ロードサイドのインテリアショップで税抜88円というぐい飲みを見つけて買ったことがある。これも数のうちだろうとひとつ買ってみたのだが、やはりこれが100円もしない器だと思うと、どうもお酒が美味しくないような気がする。じゃあ、もっと高級な器で飲むと美味しいのかといっても、ほかの器も、1,000円、600円、100円とこんなものだ。しかし、それぞれの器は、奈良の骨董屋で買ったものや、漆器市で見つけたものだから、お酒を飲みながら、ああ、これはあそこで買ったのだなと少しはそんなことを思いながら飲めるのである。こだわりではないけれどもなにか自分の足で見つけてきたというような思いがある。それに比べて、かわいそうだが88円の器はコストを極力削り落とした、デザインはまあまあ今風だけれどもという商品たちと共に10個ほど同じものが並んでいたうちのひとつだったから何の思い入れも見いだせない。
だからそれに注ぐいだお酒は、これまた、よくても醸造用アルコール添加であるけれども、それが、アミノ酸、糖分も添加したようなちょっとベタッとしたお酒の味がしてしまうのである。
お酒は質よりストーリーだ。