広島に向かう途中、呉線の竹原に下車する。列車では何度か通っているし、かつての広島勤務当時は仕事で来たこともあるが、古い町並みを散策したことはなかった。時刻表を見ると竹原をゆっくり見て、その後は広乗り換えでそのまま呉線を走破して広島に向かう形になる。
町並みへは駅から歩いて10分ほど。まずは駅前のアーケード街を通るが、シャッターを下ろしている店も多く、今一つ活気が感じられない。
町並みの入口に道の駅がある。物産館がメインで、のぞいて見ると水産加工品や広島グルメが並び、2階には竹原の地酒がずらり。土産物は駅への帰りにここで揃えることにしよう。
竹原は「安芸の小京都」とPRしているが、全国的な知名度となるとどうだろうか。広島県で見ると広島市内や宮島は有名だし、東部となると尾道、しまなみ海道、鞆の浦となるか(いずれもシブイが)。竹原はその間にあってやや隠れた存在かな。ただそのぶん古い建物も素朴な感じで残されていて、映画や時代劇のロケ地にもなるそうだ。最近ではNHK朝ドラマの舞台にもなったが、それは後ほど触れる。
竹原は元は賀茂川流域の荘園が置かれたところ。また港町でもあったが、竹原が栄えたのは製塩業にあるという。江戸時代、新田開発のために賀茂川の河口を干拓して土地を広げたが、土壌に塩分が多く水田には向かなかった。ただそれを逆手に取り、播州赤穂から技術者を招いて製塩を行ったところ、これが当たった。そこから港町として、さらには酒や醤油の醸造で発展した。
そのメインとなるのは本通り。長さは400メートルくらいか。この両側には飲食店や土産物店もあるが、自然な感じで町並みに溶け込んでいる。まずは歩いてみる。
三棟続きの黒壁の建物がある。竹鶴酒造。ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝~朝ドラ「マッサン」のモデル~の生家である。
その向かいの白壁の邸宅は、いかにも商家という造りの松阪家住宅。今は「マッサン」の竹鶴家が注目だが、昔の家の「格」とすれば同じ「マッサン」でも松阪家が羽振りを利かせてたのではないかと思う。
時刻は11時前。蔵の前に何人か行列している。「ほり川」というお好み焼と喫茶の店。「ほり川」は斜向かいの醤油の老舗で、その蔵を改装して店にしたという。朝も早かったし、広島に来たらお好み焼かなと、昼食はここにする。並んでしばらくすると開店で中に通される。内装は蔵の雰囲気を残しつつカフェ風にもアレンジした感じである。
「竹原焼き」というのがある。お好み焼の生地に酒粕を練り込んだもので、通常メニュープラス200円での提供。これも現地ならではと注文する。
トッピングは海鮮も含めたスペシャルだが、思えば別にスペシャルにしなければならなかったわけでもなく、肉玉ともう一品でもよかったかな。酒粕入りと言われれば生地にしっとり感、コクのようなものを感じるのだろうが、そこまで舌は肥えていないので特筆するまでには行かなかった。もちろん不味いわけではなく美味いので、店はぜひお薦めしたい。
「ほり川」の向かいに石段がある。周囲にも石垣が張り巡らされていて、竹原の城郭かと思わせるが、西方寺という浄土宗の寺である。江戸時代初期にこの地に建てられたそうで、境内は狭いながらも竹原の町の人たちの信仰を集めてきた歴史を感じさせる。
その奥に普明閣という建物がある。京都の清水寺を模したという舞台造りで、竹原に来たならここに立って町並みを眺めるのが観光の醍醐味とされている。現在は修復工事中のためその舞台には上がることができないが、なかなか風格のある建物だ。
竹原町並み保存センターがある。竹原の町を紹介したビデオ映像が流れ、2階では北前船に関する特別展示が行われている。今年の5月に日本遺産認定を祝してのものである。実は北前船の寄港地はすでに日本遺産に認定されているのだが、エリアが北海道から北陸までのものだった。それが北日本、北陸だけではなく山陰、山陽の港町がこのたび追加で認定されたという。そのタイトルは「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落」というから結構濃い。ちなみに日本遺産は全国いたるところで認定があり、四国八十八所や西国三十三所も札所めぐりそのものが認定されている。個人的には、無理やり世界遺産を推薦するよりは、日本遺産にもっとスポットライトを当ててあげたほうがよいのではと思うが。
竹原は追加認定組だが、そこには製塩が絡んでくる。竹原の塩が日本海の各地に向けて商品になったのである。展示室には塩の取引の台帳や、当時の塩田の図が紹介されている。これによると、現在の竹原駅や市役所などの中心部は当時塩田だったことがわかる。今の町並み保存地区は川を挟んで塩田に接していたようだ。
さらに進むと歴史民俗資料館がある。先ほどまでの商家とは違い、昭和初期に図書館として建てられたものだ。入口にはドラマ「マッサン」関連の展示。外にはマッサンとリタの銅像も建ち、「よいウヰスキーづくりにトリックはない」の一文がある。何事も愚直に、謙虚にという意味も含まれているのだろう。
先に触れた製塩、酒造もあり、また儒学者の頼山陽を輩出した頼家の展示もある。
また竹原といえばマッサン竹鶴政孝だけではなく、戦後の首相・池田勇人も偉人と讃えられている。本町通りの突き当たりには胡子神社のお堂がある。胡堂というが、通りの突き当たりにあることから、この町並みも胡堂をベースとして形成されたのかなと思う。奥には浄土真宗の照蓮寺もあるが。
一本脇の通りを歩き、藤井酒造の酒蔵もちょいとのぞく。お願いすれば試飲もできたのかもしれないが、ここは見るだけで。
本町通りに出て、道の駅に戻る。ここは竹原の代表的な酒として、竹鶴酒造の竹鶴と、藤井酒造の宝寿をそれぞれ300ミリ瓶で購入した。またこの先の楽しみである。
もう少し歩いて町の中心部に出る。かつての塩田跡をしめす祠を見る。
そしてこちらの銅像。竹原書院図書館の前にあるこの像の「池田勇人君」という銘文は師匠にあたる吉田茂の筆によるという。池田勇人の銅像は広島城内にもあり、そちらは洋服姿で右手を開いた姿だが、竹原では和服姿である。賛否はいろいろあるだろうが、昭和の日本の高度成長の基礎を築いた実績は揺るぎないものだろう。また広島県の選挙は自民党が強いが、そのベースである宏池会を創設したのも池田勇人である。現在その系譜を受け継ぐのは広島1区の岸田文雄だが、ちょっとその存在感が・・・。
おっしゃるように、アニメ『たまゆら』の舞台(と言っていいんですかね)ということで、実は商店街や町並み保存地区のあちこちにキャラクターのパネルやコラボ商品はいろいろありました。「ほり川」には、キャラクターをイメージしたデザートもメニューにありました。
私が元々アニメにそれほど興味がなく、また『たまゆら』という作品があることじたい今回の竹原行きで初めて知ったことなので記事にしなかったということです。(コメントいただいて失礼ですが、ええおっさんが美少女アニメについて熱心に追いかけることそのものに違和感、嫌悪感がありますので)
ただ、竹原の町の活性化に一役買っているのは確かです。安芸と備後の狭間で複雑な気質なのかもしれませんが、これからの発展を応援したいです。