
これから向かうのは本山慈恩寺というところだ。奈良時代から続くという歴史ある寺院だが、その存在を知ったのは五木寛之の『百寺巡礼』の中である。東北の出羽というのはなかなか歴史の表舞台に出ることは少ないが、出羽三山や蔵王といった信仰の地を有している。その中にあって五木寛之から「百寺」の一つに選ばれるというのはそれだけのものを有する寺院と言える。「百寺」といえばこの後で訪ねる山寺(立石寺)と同じ位置付けである。
そろそろ慈恩寺の看板が見えてきたところで、運転手が「どの角から入りますか?」と訊ねてくる。どの角も何も寺に行ってくれればいいのだが、「あ、お寺参りの方でしたか。てっきり帰省の方だと思って・・・」とのこと。雪深い時に訪ねる客はほとんどいないという。それでも、この日の夜(つまり、大晦日)には花火も打ち上がるというし、元日には年始の修正会も行われるからそれなりの人数は来るのではないか(ほとんどがクルマ利用だとは思うが)。最後は上り坂で、地元のタクシーでもタイヤを滑らせる感じで走る。参道のところでもよかったのだが、雪で滑るだろうからと山門の前まで着けてくれる。ここまで2500円。帰りはどうするか訊ねられて「その時の様子で」と答えたが、最寄りの羽前高松の駅まで歩く予定である。




外陣には鉢のようなものが置かれている。これは江戸時代初期に造られた「鋳鉄仏餉鉢(ちゅうてつぶっしょうばち)」という。鉢の中に頭を入れると若返りに効果があるそうで、鉢の中には多くのお賽銭もある。私も頭を入れてみたが、鉢の縁に手をついて身を乗り出しておじぎするような姿勢になる。仏の前で深々と頭を下げること自体にありがたみがあるのかな。
内陣には宮殿と呼ばれる大きな厨子があり、本尊の弥勒菩薩が祀られている。こちらは特定の時期のみ開帳される。
その奥では釈迦如来、阿弥陀如来、聖徳太子立像など、平安~鎌倉時代の仏像が並ぶ。本山慈恩寺には多くの仏像が保存されているが、展示に当たっては、ガラスケースに入った「美術品」としてではなく、あくまで「信仰の対象」として素の姿を間近に観てもらうことを心がけているそうだ。
ここで本山慈恩寺の歴史に触れると、開創は聖武天皇の勅命で行基によるものとされている。その後は荘園を有した藤原摂関家や、鎌倉時代に地頭になった寒河江大江氏などの庇護を受け、その後は最上氏、さらには幕府からも保護された。江戸時代は東北で1、2を争うほど多くの塔頭寺院や寺領を有していたが、明治の神仏分離で領地を召し上がられ、その後何とか立て直して現在に至る。
宗派も開創以来、法相、天台、真言、修験道などいろいろ変わり、現在は慈恩宗という天台と真言を合わせた独自の宗派として活動している。寺の頭に「本山」とつくのはそのためである。

隣の薬師堂の鍵を開けてもらい、中に入る。こちらの薬師三尊像は鎌倉時代の作である。それよりも、と係の人が強調するのは、薬師堂の奥に並ぶ十二神将。十二神将は今の十二支につながるし、私は薬師三尊と十二神将をセットにして「チーム薬師」と呼ぶのだが、この十二神将たち、背丈は1メートルあるかないかだが、いずれも表情や手足の筋肉が迫真なのである。今にも叫びそうな、喝を入れられそうな・・・。
元々は鎌倉時代の作で一部は江戸時代に再度彫られたものだが、ここまでリアルに、表情豊かな十二神将というのはなかなかない。そのためにこちらの十二神将は何体かずつあちこちの展覧会に出開帳することがあるという。この日は幸運にも十二神将が勢揃いしていたというわけで、うなるばかりである。



まあ、この冬の時季に来たのだから仕方ない。それよりも、雪に覆われた古刹に触れられたことのほうが大きい。蔵王の樹氷のようなインパクトやインスタ映えはないが、私としては雪の寺のほうがよかったかなと思う。






駅前にイオン系列のマックスバリュがある。クルマで訪ねる地元の人たちで賑わっていて、私もここで昼食を買うことにする。こうした店でも地元ならではの食材が並んでいたりするので一回りしてみると、地酒もあるし山形ならではの惣菜もある。寒河江は納豆の産地でもあるようだ。大晦日の夜は山形のホテルでゆっくりするつもりで、酒のアテにこうした惣菜を買い込む。




