まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

寒河江の本山慈恩寺

2019年01月11日 | 旅行記B・東北
寒河江の駅からタクシーに乗る。この時間は空も明るい感じで、初めて訪ねる寒河江の町をゆっくりと走って行く。

これから向かうのは本山慈恩寺というところだ。奈良時代から続くという歴史ある寺院だが、その存在を知ったのは五木寛之の『百寺巡礼』の中である。東北の出羽というのはなかなか歴史の表舞台に出ることは少ないが、出羽三山や蔵王といった信仰の地を有している。その中にあって五木寛之から「百寺」の一つに選ばれるというのはそれだけのものを有する寺院と言える。「百寺」といえばこの後で訪ねる山寺(立石寺)と同じ位置付けである。

そろそろ慈恩寺の看板が見えてきたところで、運転手が「どの角から入りますか?」と訊ねてくる。どの角も何も寺に行ってくれればいいのだが、「あ、お寺参りの方でしたか。てっきり帰省の方だと思って・・・」とのこと。雪深い時に訪ねる客はほとんどいないという。それでも、この日の夜(つまり、大晦日)には花火も打ち上がるというし、元日には年始の修正会も行われるからそれなりの人数は来るのではないか(ほとんどがクルマ利用だとは思うが)。最後は上り坂で、地元のタクシーでもタイヤを滑らせる感じで走る。参道のところでもよかったのだが、雪で滑るだろうからと山門の前まで着けてくれる。ここまで2500円。帰りはどうするか訊ねられて「その時の様子で」と答えたが、最寄りの羽前高松の駅まで歩く予定である。

仁王門の石段が滑りやすくなっているとの注意書きがあり、雪の積もった脇道から境内に入る。境内も一面の雪で、静かな山里の寺の雰囲気が漂う。仁王門やそれぞれのお堂は幕で覆われていて外観の全容は見えないが、それが冬の厳しさを伝えるようだ。

手水鉢にも氷が張っている。

本堂の中の拝観は有料(500円)とのことで、扉を開けると寺の方がいた。「まずは天井をご覧ください」と言われる。板天井には龍と天女が一面に描かれている。描かれた当時は色鮮やかだったのだろうと想像する。

外陣には鉢のようなものが置かれている。これは江戸時代初期に造られた「鋳鉄仏餉鉢(ちゅうてつぶっしょうばち)」という。鉢の中に頭を入れると若返りに効果があるそうで、鉢の中には多くのお賽銭もある。私も頭を入れてみたが、鉢の縁に手をついて身を乗り出しておじぎするような姿勢になる。仏の前で深々と頭を下げること自体にありがたみがあるのかな。

内陣には宮殿と呼ばれる大きな厨子があり、本尊の弥勒菩薩が祀られている。こちらは特定の時期のみ開帳される。

その奥では釈迦如来、阿弥陀如来、聖徳太子立像など、平安~鎌倉時代の仏像が並ぶ。本山慈恩寺には多くの仏像が保存されているが、展示に当たっては、ガラスケースに入った「美術品」としてではなく、あくまで「信仰の対象」として素の姿を間近に観てもらうことを心がけているそうだ。

ここで本山慈恩寺の歴史に触れると、開創は聖武天皇の勅命で行基によるものとされている。その後は荘園を有した藤原摂関家や、鎌倉時代に地頭になった寒河江大江氏などの庇護を受け、その後は最上氏、さらには幕府からも保護された。江戸時代は東北で1、2を争うほど多くの塔頭寺院や寺領を有していたが、明治の神仏分離で領地を召し上がられ、その後何とか立て直して現在に至る。

宗派も開創以来、法相、天台、真言、修験道などいろいろ変わり、現在は慈恩宗という天台と真言を合わせた独自の宗派として活動している。寺の頭に「本山」とつくのはそのためである。

本堂を一回りして外に出ると、「ではこれから薬師堂を案内します」と別の人が出てきた。本山慈恩寺では係の人の手が空いていれば、こうして参詣者を案内してくれるようだ。

隣の薬師堂の鍵を開けてもらい、中に入る。こちらの薬師三尊像は鎌倉時代の作である。それよりも、と係の人が強調するのは、薬師堂の奥に並ぶ十二神将。十二神将は今の十二支につながるし、私は薬師三尊と十二神将をセットにして「チーム薬師」と呼ぶのだが、この十二神将たち、背丈は1メートルあるかないかだが、いずれも表情や手足の筋肉が迫真なのである。今にも叫びそうな、喝を入れられそうな・・・。

元々は鎌倉時代の作で一部は江戸時代に再度彫られたものだが、ここまでリアルに、表情豊かな十二神将というのはなかなかない。そのためにこちらの十二神将は何体かずつあちこちの展覧会に出開帳することがあるという。この日は幸運にも十二神将が勢揃いしていたというわけで、うなるばかりである。

これで案内は終わりだが、本山慈恩寺の境内には最上義光が建てた三重塔もあるし、他にも数々のお堂がある。この小山全体が寺という歴史もあった。不動堂は東北三十六不動(そんなのがあるんや)の1番札所でもある。しかし、これらのお堂への道は雪に阻まれている。無理に雪中行軍するのもどうかと思う。

まあ、この冬の時季に来たのだから仕方ない。それよりも、雪に覆われた古刹に触れられたことのほうが大きい。蔵王の樹氷のようなインパクトやインスタ映えはないが、私としては雪の寺のほうがよかったかなと思う。

これから羽前高松駅まで戻る。慈恩寺の下にある熊野神社に手を合わせたり、慈恩寺にまつわる七不思議を紹介したパネルに接したりしながらまずは平地に降り立つ。その先は普通のウォーキングである。ポイントごとに案内板があるのは、羽前高松駅から歩いて本山慈恩寺に向かう人たちへの道標だろう。

羽前高松駅から本山慈恩寺まで案内では徒歩20分とあるが、雪道を歩いたためそれよりも長くかかったように感じた。

駅前にイオン系列のマックスバリュがある。クルマで訪ねる地元の人たちで賑わっていて、私もここで昼食を買うことにする。こうした店でも地元ならではの食材が並んでいたりするので一回りしてみると、地酒もあるし山形ならではの惣菜もある。寒河江は納豆の産地でもあるようだ。大晦日の夜は山形のホテルでゆっくりするつもりで、酒のアテにこうした惣菜を買い込む。

羽前高松は無人駅だが駅舎は数年前に建て替えられたそうである。

13時01分発の列車で山形に戻る。途中からまた日が差して来て、雪に反射して眩しく感じる。この次は山寺に向かう。今回の旅もいよいよ寺社めぐりの様相を呈してきた・・・。
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蔵王の樹氷を見に行かないか?・・・見に行かないのか。

2019年01月09日 | 旅行記B・東北
米沢から9時39分発普通列車での山形への移動も引き続き719系に乗る。朝の福島から米沢までの始発の普通列車は後続の新幹線を先行させるために遅れとなったが、その後は大幅なダイヤ乱れもなく動いているようだ。今も雪はそれなりに降っているが、31日は前日までに比べて天候も穏やかになる見込みである。

駅舎内に温泉がある高畠や、山形鉄道フラワー長井線の乗り換え駅である赤湯を通る。行程を考える中では、高畠の駅舎の温泉に入るのも面白いかとも思っていた。

南陽市から上山市に入る頃には青空も顔を出すようになった。この先天候が変わりやすくなるが、積雪がずっと続いていくことになる。

かみのやま温泉を過ぎると右手に蔵王の山々が見えてきた。頂上付近も見えるようだ。実はこの先の行先で迷っているというのは、蔵王の山上に上がるかどうかである。冬の蔵王といえば樹氷、スノーモンスターで有名である。見頃のピークは2月だそうで年末というのはどのくらいの規模なのかわからないが、それでも平地に比べれば別世界の景色が見られるだろうから、蔵王じたいこれまで行ったことがないからこの機会にどうかと思っていた。またロープウェーの山麓駅の近辺には蔵王温泉があり、立ち寄り入浴も可能である。ここまで1本遅い列車で来ており、山形では山寺に行く予定ではあるが、蔵王山上まで行って帰ってくるくらいはできそうだ。

10時28分、山形に到着。蔵王に行くならここからバスに乗るところだが、一度改札を出てバス乗り場の横にあるコインロッカーに荷物を預けた後、再びホームに戻った。そして乗り込んだのは10時40分発の左沢(あてらざわ)線の寒河江行き。ん?蔵王とは逆方向で、山寺とも別方向に行く列車である。列車は2両ロングシートとのトイレ無しという左沢線独自仕様の気動車だ。

実はこの先に蔵王と迷っているもう一つのスポットがあり、結局はこちらを選んだわけだ。まあ、米沢から1本後の列車になったし、雪なら先ほど板谷峠越えで厳しい車窓を見た。それよりも、こうした機会でなければまず訪ねることがないであろうある寺に向かうことにした。

左沢線は「フルーツライン左沢線」という愛称があり、さくらんぼ、ラ・フランス、りんごなどの産地である。もっとも雪の時季のため果樹園が生い茂るとはいかないが、水田も多いのか遠くまで平野が広がって見える。また途中では最上川も渡る。この辺りも流れているんだなあ。

この列車は途中の寒河江までで、新しい感じの橋上駅舎に出る。目的地の最寄り駅は2駅先の羽前高松だが、そこに行く列車は1時間15分後だし、寒河江の駅ならタクシーが停まっていて15分ほどで着くという。普段旅でもタクシーにはほとんど乗らないのだが、今回は特別である。

冬の蔵王をパスし、しかもタクシーを使ってまで行くところとはどんなところか。それだけの価値はあるのか。ともかく、駅前から小型のタクシーに乗り込む・・・。
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雪の板谷峠越え

2019年01月08日 | 旅行記B・東北
12月31日、福島で迎える朝。スマホで列車の運転状況を確認する。前日は新幹線のダイヤが車両トラブルで乱れたり、山形線(奥羽線)の庭坂~米沢間が雪のため普通列車の運転を終日見合わせたりといろいろあったので、この日がどうなるか気になる。早朝の時点では特に運休の情報はないようだ。

この日の行程は、福島7時14分発の米沢行きの始発普通列車で板谷峠を越えて山形県に入り、米沢で後続の普通列車に乗り換えて山形に向かう。その後は山寺(立石寺)は外せないとして、もう1ヶ所どこに行こうか迷っている段階である(それにしても、行先選びに関して優柔不断なところが多いものだ)。もし山形までの区間が運休ならばいったん仙台に出て、仙山線で先に山寺に行こうかとも考えていた。

駅に向かう。昨日出ていた運転見合わせの看板もなく、山形線の列車案内も普通に出ている。予定通り乗ることにして青春18きっぷの日付印を入れてもらう。山形線=東北新幹線ということで、この区間は標準軌である。乗客は2両で10数人というところだ。

席に座って発車を待っていると案内があった。7時14分に福島を発車するが、2つ先の庭坂で後続の山形新幹線「つばさ121号」を先に通すため、40分ほど停車するという。定刻なら普通列車は米沢に8時01分着、「つばさ121号」は8時20分着で、普通列車のほうが先に着くのだが、この日は新幹線を先に通すという。前日の遅れのこともあるし、雪の影響もあるので客の少ないローカル列車が万が一前でつかえるよりも帰省客・旅行客が多く乗る新幹線を優先させるということか。40分の遅れとなると、米沢で乗り継ぐ予定にしていた8時06分発の山形行きには乗れず、次の9時39分発の山形行きに乗ることになる。後の予定にも影響するが、着いた時に考えることにしよう。

車掌が乗客一人一人に行き先を尋ねて回り、米沢まで行く客には新幹線への振替票を渡している。私のところにもどうするかやって来たが、少し迷ったうえでこのまま乗って行く旨を告げた。仮に米沢まで新幹線で行っても8時06分発の山形行きには乗り継げないし、山形まで乗ったならば別に運賃・特急料金がかかる。それなら鈍行で板谷峠をしたほうが面白いし、なかなかない措置を体験するのも旅行記としてはいいかなと思う。車掌に時刻表を見せて米沢9時39分発にはさすがに間に合うだろうと逆に尋ねると、「順調に行けば大丈夫だと思いますが、これから雪の深いところに行くのでリスクがないわけではありませんで・・」とのこと。もしそこまで影響が出るようなら山形新幹線全体のダイヤ乱れということだから、もう成り行きに任せることにする。

なお、今になってこういうことを書くのだが、この庭坂~米沢間の普通列車は、12月30日だけでなく、その前の28日と29日も運転見合わせとなっていた。28日と29日は当初午前中の運転見合わせとしてたが、年末寒波に除雪が追い付かず、結局終日運転を見合わせることとなったようだ。大阪を出る前はそうした状況であるとは知らなかった。つまりは4日ぶりに板谷峠を普通列車が走るということで、車掌が慎重になるのも無理はないことである。

車掌から振替票をもらって降りた客も多く、福島発車時点では乗客は数人になっていた。地元の客もいるので板谷峠を越えるのは2~3人というところか。まずは福島の近郊住宅地を走るが、前日の東北線と比べて線路上も雪が積もっている。

7時22分に庭坂に到着する。停車時間は40分ほどを見込んでいるが、あくまで「つばさ121号」を先に通すための措置である。時刻表から推測すると7時55分頃には庭坂を通過するようだが、その通り行くかどうか。

それまで列車が停まっていることには違いないのでいったん車外に出る。駅は無人だが待合スペースには地元の人たちによる新年を祝う俳句なども掲示されている。福島から庭坂までの区間列車も朝夕を中心に運転されているが、その先の板谷峠を越える普通列車は1日6往復しかない。

駅舎の外に、庭坂駅の名前の由来を記したプレートがある。それによると、庭坂の地名とは、平原の地を表す「庭」と、ここから吾妻山系への登り「坂」があることから呼ばれるようになったとある。米沢への街道の宿場町として栄えたこともあり、駅の近くには蝦夷征討に来た坂上田村麻呂が千手観音を奉納したとされる清水寺やいくつかの神社があるというが、さすがにそこまで行くだけの停車時間はない。

雪に覆われた駅前を少し見る。またホームに戻ると駅に派遣されていた保線担当の係員が車両前部に着いた雪を払っているところである。そうするうちに駅にポツポツと乗客が集まってきたが、7時56分発の福島行きに乗る客である。

そろそろ「つばさ121号」が来るかなと跨線橋の上で待つ。遠くにヘッドライトが灯るのが見えて、それが少しずつ近づいてくる。そして無事に庭坂駅を通過していく。さてそうなればこちらの米沢行きも出発が近い。結局40分停車までは行かず、32~33分の停車での発車となった。車内に残っていたのは私のほかに2人だけだった。

これから板谷峠ということで少しずつ高度を上げる。福島の平野部を見下ろすようになったところで何やら警報音がして停車した。車掌の案内では、他の列車で異常を検知する警報がなったため、いったん全列車を停めるとのことだった。さては雪の影響でこの先行けなくなるかなと一瞬心配したが、特に異常はなかったようで数分停車の後発車した。やれやれ。

庭坂からの区間はかつてはスイッチバック駅が続いたが、山形新幹線の運行のために改良工事が行われ、各駅はシェルターで覆われている。車窓もますます雪深くなる中、2両の鈍行列車はモゴモゴ言いながらよく走るなと思う。途中で赤岩駅を通過する。雪の深いところで周りに民家があるわけでもなく、以前は冬季全列車通過だったのだが、2017年3月のダイヤ改正から通年全列車通過となり、事実上の営業休止になっている。究極の「秘境駅」とも言えるだろう。

福島県から山形県に入った最初の板谷駅に停車。駅に入る手前にかつてのスイッチバックの遺構がある。かつてはこの区間の鈍行列車は機関車に牽引された客車列車だったから、スイッチバックに入るのもなかなか手間取ったことだろう。私が鉄道旅行で奥羽線に乗った時にはすでに山形新幹線が運行されて鈍行列車も電車化されていたから、そうした体験ができなかったのは残念である。

続いては峠駅に着く。するとホームにある人影が見えた。「峠の力餅」の立ち売りである。峠駅の開業以来120年近く、5代に渡っての立ち売りで、今でもこうして残っている。ちなみに山形新幹線の車内でも「峠の力餅」は売られているが、それはのれん分けした別の店舗の製造によるもので、オリジナルは峠駅または駅前の店舗でしか購入できないという希少なものだ。甘党ではない私も思わず立ち上がってボタンを押して扉を開け、1箱購入する。この一品を購入できただけでも鈍行に乗った価値があると言える。これは帰宅後、正月の食卓のお供にいただいた。「生ものにつき早めにお召し上がりください」とはあったが、3日経過してもまだ餅の柔らかさが残っていた(固くなった場合は少し焼くといい感じになるそうだ)。

なお、記事を書くにあたって「峠の力餅」を売る「峠の茶屋」のホームページを開いてみたのだが、力餅にまつわるさまざまなエピソードやご主人の思いが綴られていて読み応えがある。それを通して見るに、この日のこの列車で「峠の力餅」を購入できたのは実にラッキーなことだったと思う。

続く大沢駅では意外にも乗客があった。地元の人ではなく大きなカメラをぶら下げた旅行者のようで、逆に米沢方面から来て駅訪問でもした後の折り返しのようである。これで峠越えは終わったが米沢に来て積雪量がまた一段と多くなったように見える。

結局40分ほどの遅れで米沢に到着。次の9時39分発の山形行きには間に合うが、その間にどこかに行くには中途半端である。外も湿った重い感じの雪が降り続いていて、除雪車も稼働している。乗り継ぎの時間は駅構内で過ごし、土産物の購入・発送に充てる。

さてこれから山形県内を回ることにして、その行先はどこにしようか・・・。
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福島の郷土の食を味わう

2019年01月07日 | 旅行記B・東北
30日の宿泊は福島駅西口すぐのアパホテル。大浴場つき、朝食も朝6時半からと早いところから予約した。部屋は駅前ロータリーを見下ろすことができる。

まあ、アパホテルということで部屋にはこういった本ももれなくついてくるのだが(この夜はアパグループの創業者である元谷夫妻の成功を描いた漫画本なんてのもあり・・・)。

前日は夜行バスだったし、外も寒かった。まずは光明石温泉の大浴場で身体を温めて、疲れを癒す。露天風呂は信楽焼の甕の一人用浴槽が使われていて、思いっきり湯をあふれさせる。

一息ついて、駅西口から東口に移動する。こちら側が街の中心に近いところで、大勢の人が駅前に出ている。年末ということで帰省して地元の友人とともに忘年会という感じのグループも目立つ。この日発生した東北・山形新幹線の遅れに巻き込まれて・・という会話も聞こえる。

東口ではイルミネーションが出迎えてくれる。その間に、作曲家・古関裕而の生誕100年を記念して建てられたモニュメントがある。古関裕而が福島市の出身だというのは初めて知ったが、地元の偉人として顕彰してのことである。

さらには松尾芭蕉と曾良の像も立っている。福島は奥州街道の宿場町であり、「奥の細道」の旅で芭蕉も宿泊し、句を詠んだとある。この芭蕉像、雪の中の旅で難渋しているようにも見える。

駅前通りを歩く。こちらでもイルミネーションが飾られていて、積もった雪とよく合っている。大通りから一つ入ると道路上にも雪が残っていて、クルマが通るのも難儀しているようだ。

そんな中たどり着いたのは、「いろり庵 東口店」。福島郷土料理の店である。普段旅先での店を事前に予約するということはないのだが、この夜に限っては事前に予約をしていた。福島で飲むこと自体初めてなのだが、年末年始、また12月30日は日曜日ということで休みの店もあるだろうし、開いていても混雑している店も多いだろう。また今回、宇都宮では大谷を回ったり餃子を食べたり、そして目的地の山形県内でも見物するところがあるが、福島県は列車で通過するのみだった。そのためせめて福島では郷土料理を楽しむことにして、それをキーワードに検索したらこの店がヒットしたわけだ。ただ行って入れませんでした・・・ではがっかりするだろうからグルメサイトで席だけ予約したわけだ。

入口すぐのカウンターに陣取る。果たして何組かのグループ客がいて、新規の客は断っている様子だ。店内も大将とサブの2名で回しているようで慌ただしい。

ここでは福島の幅広い郷土料理と地酒を味わうことができる。一口に福島といっても広く、浜通り、中通り、会津と大きく3つに分かれるし、中通りも先ほど通ってきたように福島、郡山、白河と幅広い。その中で知っている一品としてまず挙がるのは会津の馬刺しかな。まずはそれをメインとして注文する。

それまでのアテということで、初めての一品をいただく。まずはいか人参。中通りの冬の保存食だそうだ。スルメイカと人参を細切りにして醤油、みりんなどで味付けして軟らかくしたもので、松前漬のルーツとも言われている。これは日本酒によく合う。

続いてはにしんの山椒漬。これは会津の一品である。会津でにしんというのも一見結びつかず、福島でも太平洋で獲れるわけではないが、北海道のにしんが身欠きにしんに加工され、北前船の流れで新潟に渡り、行商人が山を越えて会津まで運んだものだという。その長期保存のために使われたのが山椒で、腐敗防止とともに香りをつける効果があるとして郷土料理となった。

そこで会津の馬刺しが出てきた。赤身がたっぷりと盛りつけられている。馬刺しも年末のことで数量限定だったようで、後から来た客が注文した時にはラスト1皿となっていた。馬刺しといえば熊本や長野が有名だが、会津の馬刺しの特徴は赤身が中心なのと、辛子味噌をつけていただくこと。一説では、戊辰戦争の時に負傷した兵士たちに牛馬の肉を食べさせたのが会津の馬刺しのルーツと言われている。普段味わう居酒屋料理で出る馬刺しに比べても身が厚く、歯ごたえがあって美味い。

さらには鮭の紅葉漬(こうようづけ)をいただく。これは中通り北部の伊達市の郷土料理で、阿武隈川に遡上する鮭の切り身に米麹と塩を混ぜて、イクラを和えて漬け込んだもの。これも鮭の保存食だが、生の触感を持たせたのが特徴で、色合いが紅葉に似ていることからその名前がついたという。それにしても、こまで出てきた料理は会津の馬刺しはさて置くとしていずれも冬の保存食の要素が強いものばかりである。

これら郷土料理にはやはり地酒である。店の人気No.1という喜多方の「弥右衛門(やうえもん)」をいただいた他、「磐城壽(いわきことぶき)」というのをいただく。産地は「浪江町」とある。浪江町・・・東日本大震災、福島原発事故の被災地である。浪江の酒ということで調べてみると、以下のエピソードが出てきた。

磐城壽は浪江町で江戸時代から代々造られてきた酒だが、東日本大震災で発生した津波で酒蔵が呑み込まれてしまった。合わせて、福島原発事故の影響で警戒区域となり、その後の立ち入りもできなくなった。

酒造会社の鈴木さんは当時酒造りを断念することも考えたそうだが、当時研究開発用に試験場に送っていた酵母が無事に残っていたことが判明し、再建に向けて動き出した。震災の年の秋に、山形県長井市で地元の蔵を引き継ぐ形で再び酒造りを始めた。そして復活したのが現在の磐城壽である。現在は福島市産、長井市産の米を使って醸造しているが、またいつの日か浪江町の米を使った醸造を復活させたいそうだ。

こうした酒を飲むことも福島の復興支援になるのだろうか。ネット通販でも入手できるようなので、1本頼んでみようか。

最後は浪江の酒に合わせる形で、太平洋で獲れるメヒカリ焼きをいただく。

郷土料理のメニューは他にもあるのだが、ここまでいただけて満足である。店はこの日が年内の最終営業日で、翌日ならこれらの味を楽しむことができなかった。

再び雪道を歩いてホテルに戻る。この後は外での二軒目ということもなく部屋でゆっくりと過ごすことにする。前の記事にも書いたが、30日は山形線(奥羽線)の庭坂~米沢間が終日運転見合わせとなった。このところ運転見合わせの日が多いようで、翌日の山形への移動はどうなるだろうか。予定を変更するかどうかはともかく、まずは明日の朝に駅に向かうことにして、1日目の行程を終えるのであった・・・。
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現代JR版「白河の関」

2019年01月06日 | 旅行記B・東北
宇都宮から東北線を北上する。まず乗るのは宇都宮12時29分発の黒磯行き。通勤型車両の205系4両編成が使われている。発車前に東京方面から2本の列車が相次いで到着し、そこからの乗り継ぎ客も多く立ち客も出るほどだ。黒磯から先の列車にはこの次の宇都宮発の列車でも乗り継ぐことができるのだが、青春18きっぷの乗り継ぎ客が多く来るだろうから先に並んでおこうというものである。

午前中と同じく快晴が続く。先ほど餃子が腹に収まったし、車内も適度に暖かいし、そろそろ夜行バス明けの反動も来るころだしということでウトウトする。黒磯まで乗り通す客が多いのかと思ったが、手前の西那須野、那須塩原で下車する人も多い。那須高原にレジャーに行くらしい人も見られる。またこの辺りになると空模様が変わり、雪も舞うようになった。

13時19分、黒磯到着。直流電化と交流電化の変わるところで鉄道としては要衝だが、駅舎の上を新幹線の高架が走っていて、そちらはあっけなく通過していく。次の14時19分発の新白河行きまで時間があるので一度外に出るが、結構な雪である。別にここから出てどこかに行くわけでもないのでまた駅に戻り、早いうちに新白河行きのホームに移動する。ホームや待合スペースにそこそこの数の乗客が待機している。

そろそろ時間となり、新白河行きの折り返し列車が入ってきた。てっきり、東北線を走る701系という交流電車が入ってくるのかと思いきや、常磐線で乗ったことのあるブルーのラインのE531系が入ってきた。これはどういうことか。車内にも茨城の常陽銀行や牛久の神社の広告がある。何でだろうと思ううち、一本後の宇都宮行きの列車も到着したようで乗り継ぎ客が多く乗って来る。

今回久しぶりに東北線に乗るわけだが、黒磯からの列車は郡山行き、中には福島まで行くものだったが、旅程を立てるために時刻表を見ていると、列車が全て新白河行きになっている。また列車番号を見ると気動車を示す「D」の文字も見られる。これはどういうことだろうか。ネットで調べてみると、2017年10月のダイヤ改正からのことのようで、直流・交流電化が関係しているという。

かつては黒磯駅の構内に直流・交流の切り替えポイントがあったが、これを新白河寄りに移す工事が行われた。これにより黒磯駅の設備を簡素化するとともに、東京側の信号システムを黒磯まで入れることができるようになったという。では列車はどうなるのか。東北線の列車は701系交流電車が使われていたが、切り替えポイントが駅の外になったために入ることができなくなった。その代わり、常磐線のE531系(直流・交流両方に対応)や気動車が使われるようになった。気動車が走るのは電力に関係がないからで、おそらく利用客の多い時間帯で使い分けているのだろう。今回乗った14時19分発の新白河行きは時刻表では気動車だが、青春18で乗客が多いことを見越してか、E531系の5両編成となっていた。また車掌が「新白河で乗り継ぎのお客様は、前の車両のほうが便利だと思います」と放送している。これもどういうことだろうか。

ともかく新白河に向けて移動する。この先雪景色となる。まだ栃木県、年末寒波の影響はここまで来ているのかな。これから雪深いところまで行くわけだが、日常では見られない車窓風景に目を凝らす。

白坂で福島県に入り、黒磯から25分で新白河に到着した。次の郡山行きは3分の乗り継ぎで、同じホームの前方の列車に乗るようにと案内がある。それで前の車両に誘導していたわけか。

多くの乗客とともに移動するが、何と同じホームながら黒磯側、郡山側が車止めで完全に線路が分断されている。鈍行列車はそれぞれが新白河が「終着駅」の扱いとなっている(もう1本のホームの線路は貨物列車のためにもちろんつながっているが)。うーん、これは単に列車ダイヤだけのことではなく、物理的に関所を設けたのかなと見えた。まさに現代のJRにおける「白河の関」である。

ここから東北に入るという新たな気持ち?で、乗り継ぎの郡山行きに乗る。701系のロングシート4両編成で、立ち客も出るところ。次の白河では駅のすぐ近くに白河城の復元天守が見える。ロングシートのため向かい側の車窓を見るしかないのだが、白河を過ぎると少しずつ雪の量も少なくなった。

15時21分、郡山に到着すると雪の姿は全くなくなっていた。時刻表では次の福島行きは15時42分発とあるが、郡山までの車両がそのまま使われるとの案内がある。一度慌てて下車したがすぐにまた乗ってきた客もいる。もっとも郡山が目的地という乗客も結構いるようで車内も空席が出たが、ここから福島に向かう客も次々と乗ってくる。発車時刻にはまた立ち客が出るほどになった。

岳温泉の玄関駅である二本松を過ぎ、福島が近づく。と、そこまでは雪の気配が全くなかったにも関わらず、福島駅の近くになると急に積雪が目立つようになった。これもまた急な車窓の変化である。地形的に郡山が開けていて福島が奥まった感じだからだろうか。16時28分、福島に到着。今夜はここで宿泊である。

ホテルのある西口は新幹線の乗車口があるが、何やら騒々しい。東北・山形新幹線のダイヤが大幅に乱れているようだ。原因は10時前に発生した車両トラブルで、現在も1時間半程度遅れている模様。夜のニュースでは、この影響でただでさえ帰省ラッシュで混雑する東京駅がさらに混乱していた様子を伝えていた。

ただ私がそれより気になったのは、大雪のために山形線(奥羽線)の庭坂~米沢が終日運転見合わせ(ただし、山形新幹線は運転)というもの。翌31日に山形に向かうのにこのルートを通るのだが、運転見合わせが翌日も続くようならルートを変える必要がある。追加料金で山形新幹線に乗るか、あるいは仙台に出て仙山線に乗るか。まあそこは翌朝の状況次第として、駅前のホテルにチェックインする・・・。
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いざ本番、餃子の食べ比べ

2019年01月05日 | 旅行記C・関東甲信越
大谷(おおや)からバスに乗って宇都宮の市街地に戻り、東武駅前バス停で下車する。東武宇都宮線の終着駅だが、こちらのほうが市街地の中心部に当たる。

ここで下車したのは、市街地にも大谷石を使った伝統的な建物があるからである。東武駅前の飲食店が並ぶエリアを抜け(もし宇都宮で宿泊することがあれば、JR駅前より東武駅前のほうが面白そうだ)、向かったのは教会である。この教会に大谷石が使われていて、国の登録有形文化財にも指定されている。

この「カトリック松が峰教会」は1932年にスイス人の建築家により建てられたものである。1階の入口扉の上にその年があしらわれている。大谷石が建設材料として適していたこともあったが、カトリックが戦前の日本に少しでも溶け込もうとして日本の石材を選んだということもあったそうだ。宇都宮の空襲でも罹災したが、建物の大部分は無事に残ったそうである。大谷石の耐火性についての証人として今に伝えられている。

訪ねた12月30日は日曜日、そして時刻は10時半を回ったところで、ちょうど教会の中では日曜ミサの最中である。誰でも参加は可能であるが、2階の扉からのぞいてみるとちょうど神父による説法(?)の最中で、真剣に聴いている人が多い。扉のところに立って聴いている人もいるので、先ほど大谷寺で般若心経を唱えて来た者としては入りづらい。窓のところから中の様子だけ伺って教会を後にする。

宇都宮というところを「大谷石」というキーワードで巡ってみて新たな発見があった。

さてそろそろ昼時ということで、昼食はやはり餃子と行きたい。今回「朝から餃子」という朝食だったが、ほとんどの店は昼からの営業である。市街地ということで老舗の本店もあるし、それ以外の店の餃子も口にしたいと思う。

そうした向きにぴったりなのが、街の中心部、二荒山神社の向かいにある「来らっせ」。元々は百貨店のビルだったのが閉店にともないドンキホーテを中心とした多目的商業施設となり、その地下1階にゲーセンとともに餃子の一大スポットとして賑わっている。本来ならそれぞれの本店なり独立した店舗に行くべきなのだろうが、フードコート形式での食べ比べができるのが特徴である。

「来らっせ」は二つの店舗に分かれていて、まずは常設5店舗のゾーン、そしてもう一つは日替わりで店舗が替わるゾーンである。並んだのは常設店舗のほうの列だったが、11時の開店を前にすでに50人ほど並んでいる。開店の前に係の人が人数確認にやって来て、3人以上のグループには番号札を渡している。

その後の説明によれば、フードコート内のテーブルに番号が振られていて、グループ客はまずそのテーブルに向かうとある。店内は5つのブースにそれぞれカウンター席があり、1~2人の客は5つのどの店のカウンターでもよいのでまず席を確保するとある。注文は5つの店舗のレジで行い、自分がどの席にいるのか、テーブル番号もしくは陣取ったカウンターの店名を告げる。調理ができたらそこまで持ってきてくれる仕組みだ。この際、例えばA店のカウンターに陣取ったとしてB店のレジで注文を行っても、きちんとA店のカウンターまで持ってきてくれる。そこはお互い様ということだろう。

その中で確保したのが中央にある「めんめん」のカウンター。まずここに陣取ったなら、やはりこの店の餃子から注文するのが筋ではないかと思う。メインという羽根つき餃子とゆで餃子を注文する。

その一方で、隣接する「宇都宮みんみん」のレジにて、こちらでは焼き餃子と揚げ餃子を注文する。「お席はどちらですか?」と尋ねられるので、「めんめんのカウンターです」と言って番号札をもらう。

タイミングがちょうど合ったのか、一気に4皿の餃子が並ぶことになった。順番は「めんめん」の羽根つき餃子、ゆで餃子、そして「宇都宮みんみん」の焼き餃子、揚げ餃子である。宇都宮の餃子はまずは何もつけずに、その次は酢をつけてということで、最初から「餃子のタレ」というのがあるわけでもないようだ。その手順に従っていただく。普段食べている餃子といえば王将の餃子ということでついそれとの比較になるが、宇都宮の餃子じたい全体的にあっさりしているようにも思う。だからいくらでも食べられるのかもしれないが。水餃子、揚げ餃子が焼き餃子と同等の扱いをされているのも宇都宮らしいのかな。

何ならもう一店追加ということで、「香蘭」の焼き餃子を注文する。こちらも老舗の味を復活させた一品ということで人気があるそうだ。

宇都宮餃子会に加盟しているのは30店舗を超えるのだが、それぞれの味の個性があり、それぞれに固定ファンがついているのが特徴である。またそれらが他の足を引っ張るのではなく、それぞれの個性を出してアピールを続けていることも、全体のレベルを引き上げているところである。

結局、朝食の「宇都宮餃子館」の朝定食と合わせて、6皿を平らげたことになる。昼食としては十二分であるが、地元の餃子ファンならもっと何皿も平気で平らげてしまうのだろう。ただ、こうした食べ比べは一人では限界がある。やはりグループで行ってシェアするのが賢いかなと思う。

すっかり地元の味を満喫して、建物の向かいにある初詣支度中の二荒山神社に参詣してこれからの旅の無事を祈る。

JR宇都宮駅に戻り、青春18きっぷに日付印を入れてもらう。これから乗るのは12時29分発の黒磯行きである。東京方面から宇都宮までは本数があるが、この先が列車本数が減り、さらには1列車あたりの車両の数も減る。さぞかし青春18きっぷの利用客が集中して混雑するんだろうな・・・。
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大谷石の産地と古の磨崖仏

2019年01月04日 | 旅行記C・関東甲信越
宇都宮での見物ポイントは、郊外にある大谷(おおや)である。大谷石という軽石凝灰岩はこの辺り一帯で採掘される石材で、外壁は土蔵などの材料として使用されている石である。

石を見に行くというのも珍しいのだが、大谷石と聞いて、かつての採石場跡が地下の空洞として神秘的な雰囲気を出している大谷資料館の映像をご覧になった方もいらっしゃるだろう。私はこれまで訪ねたことがなく、今回行ってみようかと調べてみたのだが残念ながら年末年始は休館とある。

ならば大谷に行っても仕方がないかなと思ったが、その同じエリアに大谷観音というのがあるようだ。そこには大谷石の岩盤に彫られた磨崖仏があるといい、なかなか趣がある寺院というので行ってみることにする。こちらも12月下旬が休業との案内があり、これも行けないのかなと心配したが、30日はたまたま開いているという。とりあえずはこの大谷観音を目指すことにして、宇都宮駅前からバスに乗る。前後に扉があるのだが、前乗り前降り方式である。

まずは宇都宮の中心部を過ぎる。栃木県の県庁所在地であるが、最近では東京の衛星都市としての機能も持つ。また一方ではコンパクトな街づくりも目指しているそうで、宇都宮駅東口から東部の芳賀町までをLRTで結ぶ計画がある。2022年の部分開業を目指していて、路線バスとの連携により公共交通ネットワークの充実を目指すという。

バスが通過するのは作新学院前。作新学院といえば高校野球の強豪(中でも八木沢荘六、江川卓)のイメージだが、進学にも力を入れていて、トップの英進コースの偏差値は県内でも1、2を争うという。

車窓も郊外の雰囲気になり、石材店も目立つようになったところで30分ほどで大谷観音前に到着する。まずバス停の前に現れたのはかつての採掘場なのか何かの工場なのか、ワイルドな廃屋である。

時刻は8時半で、大谷観音の拝観は9時からのためしばらく周りを歩くことにする。バス停の近くにあるのが大谷平和観音。現在は公園として整備されているが、かつては採掘場だったところで巨大な観音像が建造されている。その参道も大谷石の奇岩が広がるとともに、大谷石を使った休憩ポイントもある。

参道の奥に現れたのは堂々とそびえる観音像。太平洋戦争の戦没者追悼のため、1948年から6年がかりで手彫りで造られたもので、高さは約27メートルある。観音像の周囲も採掘場の跡地で、下に掘る「平場掘り」と横に掘る「垣根掘り」という2種類の掘り方を組み合わせて掘り進められた形跡が残されている。垂直の壁や幾何学的に角を取られた穴の跡にどこか異世界を感じさせる。

少し周りを歩く。先ほどの人工的な採掘場の跡もあれば、自然に残っている大谷石の奇岩も広がる。それが屏風のように広がるのが大谷景観公園で、御止山(おとめやま)と呼ばれている。宇都宮でこうした景勝に出会えたとは意外だった。

そろそろ時間となり、大谷寺に入る。山門のところで拝観料を支払い、それほど広くはない境内に入ると、本堂に覆いかぶさるように大谷石の奇岩が広がる。

いや、正しくは本尊が岩の面に掘られた磨崖仏で、お堂はその表面を保護するように建てられていると言った方がいいだろう。堂内は撮影禁止なのでそのお姿はホームページなどで見ていただくとして、本尊の千手観音像はくっきりとした姿が残されている。

この千手観音は平安時代、弘法大師の作と伝えられている。現在は自然岩の色をしているが、最初は彫刻した表面に粘土で化粧を施し、漆を塗って、金箔を貼られていたという。長年の風月や火災などもあってそれらは全てはがれてしまったが、元の彫刻だけは元の姿をとどめている。最近の研究では、この千手観音の技術にはアフガニスタンのバーミヤンの石仏(イスラム過激派のために破壊された)との共通点が多いとされ、彼の国の僧侶が彫ったのではないかとされている。そのため大谷寺は「日本のシルクロード」というPRも行っている。確かに日本で磨崖仏というのはそうたくさん見られるものではない。

ちなみに大谷寺の本尊千手観音は、坂東三十三観音の第19番札所である。ではこれから坂東三十三観音めぐり・・・はしないが、せっかく来たのだからとなぜか荷物の中に入れている数珠と般若心経の経本を取り出してお勤めとする。

隣接しているのは一つの洞内に並ぶ石仏群である。まず出迎えるのは釈迦三尊像で、斜面を利用して遠近法を用いて立体的に彫られている。続いては小ぶりだが薬師如来像。かつては扉が設けられていたとされる跡が見られる。そして阿弥陀如来像は極楽浄土を再現したという。これらもかつては粘土で化粧を施し、鮮やかな色彩を放っていたそうだが長年の歴史ではがれてしまったという。

またこれらの磨崖仏は自然の洞窟を利用したもので、さらに歴史をさかのぼると縄文時代には人々の住居だったという。大谷寺の改修工事にあたって発掘調査を行ったところ、多くの土器や骨などが出てきた。それらを収めたのが境内に設けられた宝物館で、その目玉は今から1万1千年前のものと推定される20歳くらいの男性の屈葬人骨。ほぼ完全な形で発掘された日本最古の人骨とされている。

境内にはほかにも弁財天や、大谷石で彫られた石仏も置かれている。先ほど見た御止山への登山入口もあるが冬のためか閉鎖されている。

大谷資料館の地下の採掘場跡を見ることはできなかったのは残念だが、大谷石の数々の奇岩、そして古の磨崖仏を見ることができてうなるところが多かった。素晴らしいスポットだったと思う。

さてそろそろ市街地に戻ることにして、10時03分発のバスに乗車する。このタイミングだと餃子の昼食にちょうどいい時間帯だろう・・・。
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宇都宮では「朝から餃子」

2019年01月03日 | 旅行記C・関東甲信越
東北山形を目指す旅だが、そのアクセスのためにまずは大阪から宇都宮に向かうという変わったルートを取る。宇都宮で午前中を過ごして、午後から東北線で移動して福島まで行くというのが29日夜~30日のコースである。

宇都宮へのバスは近鉄と関東自動車が共同で運行しており、大阪からはUSJが起点で、湊町バスターミナル(OCAT)、東梅田駅前を経由し、名神高速上の停留所を過ぎて京都駅八条口までが乗車扱い。降車は埼玉県の久喜駅、栃木県に入ってJR・東武の栃木駅、鹿沼インターを経てJR宇都宮駅という順番だ。今回予約したのは2号車で、この便についてはOCATが始発で、途中京都駅のみに停車するものだ。

29日夜、OCATに現れる。20時台は各地へ向かう高速バスが次々に出発する時間帯で、大勢の人でごった返している。行先も関東方面もあれば、満席で取れなかった東北方面もある。一方で近畿や四国の当日便もあれば関西国際空港行きもあり、日本人だけでなく外国人の姿も多い。こうした賑わい、少し前までは列車の駅で見られたもので、わずかばかりそうした雰囲気を経験したのも懐かしく思う。

20時45分発の宇都宮行きは3台運行。この日は関東自動車が担当の便ということで、2階建ての車両である。割り当ての席は2階席で、こういうタイプの車両に乗るのも久しぶりである。もっとも、昼間ならまた違った景色が見られるのだろうが、夜行便ですでにカーテンが閉められているのでは関係ない。

乗客が多いためその前の出発便から乗車に手間取っていて、宇都宮行きも10分近く遅れての発車となった。まあ、夜行便で途中時間調整の休憩もあるから翌朝の到着には支障はないだろう。外も見えない状況だが、スマホの地図アプリで時折現在地を確認しながら走る(バス車内はWi-Fiに対応している)。大阪市内は順調に走り、豊中から名神高速に入ったようだ。

京都駅までは通過扱いだが、途中で減速して停車した。地図によると桂のパーキングエリアに停まっている。定刻では京都駅は22時08分の発車で、このままだと早く着き過ぎるとして時間調整しているようだ。途中の停留所にも停まる1号車と歩調を合わせることもあるのだろう。

京都駅からの乗客も多く、2号車もほぼ満席となったようだ。定刻では宇都宮到着は朝の6時54分、京都から9時間弱である。

途中1回休憩を挟むとの案内があり、到着したのは新名神高速道路の土山サービスエリアである。

ここで下車してびっくりした。年末寒波の影響で早くも雪景色である。歩道部分の除雪作業も行われている。

土山サービスエリアは上下線の間に挟まれた構造となっており、上下線とも共通の施設を利用する。上り、下りを間違えないよう促す看板も大きく書かれている。食事はもういいとして、暖かい飲み物を買ってこれからの時間に備える。

ところでこれまで夜行バスには何回か乗ったことがあるが、いずれも家で眠るように熟睡できたということはない。今回初めて空気枕を持参し、首を挟む形で眠るようにしたので少しは休んだかなと思うが、途中の走行音や揺れる感覚がはっきりしているところは眠れていないのだろう。途中で物音がしなくなり、停車しているようなので地図を見ると、午前2時、新東名高速の静岡サービスエリアにいるようだ。また、やたらカーブしているように感じられたのは、首都高速でも通っているのかとも思ったが、もう場所もどうでもよくなった。

あいまいな感じのまま、朝5時、久喜駅到着直前の放送が入る。ここで下車する人もいる。ただまだ宇都宮までは時間がある。この季節、まだ外も明るくなっておらず、もうしばらくシートに身を寄せて進む。

6時54分、ほぼ定刻通りにJR宇都宮駅の西口に到着する。こちらは太平洋側に属するということで青空が出迎えてくれる。

宇都宮は餃子の街ということで、駅前にも餃子店の看板がずらりと並ぶ。昼食は餃子ということで決まりとして、宇都宮には「朝から餃子」というのもあるそうだ。もっともこれをやっているのは市内のチェーン店である宇都宮餃子館の一部の店。

それが駅の真ん前にあるので入ってみる。朝の6時30分から開店していて、10時まで通常メニューに加えてご飯やラーメンとのセットの朝メニューがある。駅構内や周辺にはコーヒーチェーンやファーストフードの店、立ち食いそばのスタンドもあるが、それに並んで餃子店が朝から営業しているというのは宇都宮らしいところだ。

朝定食500円がこちら。この店の看板メニューの「健太餃子」にご飯、スープ、漬物がつくというもの。朝からがっつり行くという点なら、例えば牛丼店の朝メニューを食べる感覚なのかな(口臭が気になるかどうかは別として・・)。

さてこれから宇都宮の時間だが、目的地は郊外にある。まずはそこに関東自動車のバスで向かうことに・・・。
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年越し旅行の行先はころころと変わって・・・

2019年01月02日 | 旅行記B・東北
2019年の初めの記事にて、「平成最後の年越しは山形にて」と書いた。今回の年越し旅行の目的地は山形県ということだが、今回の目的地、コースはすんなりと決まったわけではなかった。

当初は、30日の朝に大阪を出発して青春18きっぷを使って2日間かけて新潟の長岡に行く(年越しは長岡にて)というのを考えていた。別に長岡の年越しに何か特別な思いがあるというわけではないが、新潟県に久しぶりに行ってみよう、日本海の美味いものに出会えればというものだった。そして元日は新潟まで移動して、その夜の夜行バスで大阪に戻ることにしていた。新潟からの夜行バスは発売に合わせてスムーズに予約することができた。

迷ったのは2日間かけて長岡に行くまでのルート。東のほうに行くのがなかなかないので目移りするところだが、時刻表をめくって以下の6コースを立てた。

1.北陸ルート(湖西線~北陸線~IRいしかわ鉄道~あいの風とやま鉄道~富山泊~あいの風とやま鉄道~えちごトキめき鉄道~信越線)

2.高山ルート(大阪から高速バス~高山泊~高山線~あいの風とやま鉄道~えちごトキめき鉄道~信越線)

3.長野ルート(近鉄特急~中央線~篠ノ井線~飯山線~上越線、または長野からしなの鉄道~えちごトキめき鉄道~信越線)

4.松本ルート(大阪から高速バス~松本泊~篠ノ井線~飯山線~上越線)

5.上越市ルート(湖西線~北陸線~IRいしかわ鉄道~あいの風とやま鉄道~えちごトキめき鉄道~高田泊~えちごトキめき鉄道~信越線)

6.高崎ルート(近鉄特急~東海道線~湘南新宿ライン~高崎線~高崎泊~上越線~吾妻線~上越線)

青春18きっぷの旅といいながらも第三セクターや近鉄特急、高速バスなどいろんなものが混じっていて、どこか1ヶ所は途中下車して見物したり、泊まったところの夜の味を楽しんだりというところだった。迷うならどこかのタイミングでサイコロで決めてもいいかなと思っていた。

しかし、12月に入り出発まで1ヶ月を切ったところで、「せっかくなのでもう少し遠くに行ってもいいのでは」という気持ちが出てきた。そこで考えたのは、さらにご無沙汰となっている東北。その中でもなかなか行く機会がない山形はどうかと考えた。テレビで何かの番組を見て面白そうに思ったこともあった。

山形へは大阪からも夜行バスが出ている(一晩でそこまで走ってしまうのがすごいと思う)。29日の夜に大阪を出て30日、31日を山形で過ごし、元日に新潟に回って予約済の夜行バスに乗るコース。ただ、29日といえば帰省ラッシュである。コースを決めた時には早々と満席になっていた。30日夜出発ならまだ空席もあるようだが、それだと現地滞在の時間が短くなるのでもったいないようにも思う。

そこで、29日の夜にその近くまで移動する夜行バスはどうかと探してみた。同じ東北でも仙台、福島は満席。福島でもいわき行きというのがあるが、追加車両の4列シート、トイレなしというのしか空いていない。バスの4列シートで隣に誰かいるというのはちょっと勘弁だ。

もう少し範囲を広げてみると、宇都宮行きというのに空席があった。これはと思い予約した。東北と同じように、北関東もご無沙汰の地域である。先日、会社の出張と絡める形で水戸を訪ねたが、その一環で今度は宇都宮というのもいいだろう。宇都宮餃子をいただくこともできるし、初めて訪ねてみたいスポットもある。

ということで、山形を目的地としながらもまずは北関東の宇都宮に着き、北上していく。30日の宿泊は中間地点の福島に決めて、31日の朝から板谷峠を上って山形県に入り、スポットを回って山形泊。元日は山形から新庄まで北上して陸羽西線で庄内平野に出て、酒田から新潟に南下して夜行バスに乗る。太平洋側から日本海側へ至る循環ルートとなり、さまざまなものが盛り込めそうだ。

・・・2019年も前置きが長い旅の記録になるが、少しずつ振り返る形で進めていくことにする・・・。
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本年もよろしくお願いいたします。

2019年01月01日 | ブログ
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

平成最後の年越しは、東北は山形にて迎えました。

今年もまた拙ブログをよろしくお願いいたします。
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