まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第11回四国八十八所めぐり~愛媛県歴史文化博物館

2017年09月01日 | 四国八十八ヶ所
明石寺にお参りして坂道を下り、再び別の坂道を上って到着した愛媛県歴史文化博物館。通常、この手の博物館といえば松山市内にでもあるイメージだが、松山からかなり西に来た西予市にあるというのが独特である。四国めぐりの中で県立の歴史博物館にも立ち寄っており、徳島では駅前の徳島城跡、高知ではかつての国分寺、その後の岡豊城跡にあった。ただ愛媛の歴史文化博物館は、何かの城跡というわけではないが、建物の下には卯之町の町並みが広がる。学問の町としても知られていることから、この地に建てることになったのだろうか。

コイン返却式のロッカーにリュックを入れて(金剛杖は玄関の傘立てに)、身軽になって中に入る。笈摺は明石寺を出る時にすでに脱いでいた。まず見学エリアに入る前に、無料ゾーンの展示に向かう。和紙彫塑家の内海清美(うちうみきよはる)さんの作品展で、「弘法大師の世界 密 空と海」というものである。弘法大師の生涯の数々の場面を和紙人形で表現したもので、一種の歴史絵巻である。前半生と後半生で展示替えをしており、私が訪れた時は後半生、遣唐使から帰国し、日本国内に密教を広めようとするところから始まる。その中では伝教大師最澄との出会いと確執、薬子の変、東寺、満濃池、そして高野山などの画面で、和紙は大洲和紙をはじめとした四国産のものを使っている。背景の照明は色あでやかだが、人形そのものには彩色がされていない。それでも表情が浮かび上がってくるようで、見ていてうなるものがあった。

夏休み期間中ということで、企画展ではトリックアートやお化け屋敷などもあったがそれは省略し、通常展のみの見学とする。それでも結構な敷地があり、一つ一つをじっくり見ているとそれこそ1日かけることになる。そこははしょって見ることになるが、ここに来た時点で、朝方に考えていた「この後一旦伊予大洲まで行ってから夕方に宇和島に戻る」ことは断念した。伊予大洲は最終日となる翌19日、松山までの途中下車の形で訪ねることにする。

愛媛県は瀬戸内海、宇和海、豊後水道という海に面した地理的条件があり、一方では石鎚山を中心とした山の顔も持つ。歴史博物館ということで最初は縄文・弥生時代からとなり、石器や土器が並ぶが、これはどこに行ってもそれほど地域性が大きく異なるものでもないし、展示物もあまり興味をひくものはない。やはりこの国が国として成り立ってからの話のほうが面白い。愛媛県・・・というよりは伊予の国は、瀬戸内海に面したこともあり、朝廷と大陸とを結ぶルートの沿線として古くから重要視されていたことがうかがえる。万葉集に、熟田津(にきたつ)にて斉明天皇の新羅遠征を讃える額田王の歌があるが、熟田津は現在の道後温泉、三津浜のあたりとも言われている。また海が舞台ということとなると、水軍が登場する。古くは藤原純友、時代が下ると村上水軍である。

また中世からは河野氏、西園寺氏といった一族の支配を経て、長宗我部元親の四国統一である。一方では信仰文化の歴史も古く、弘法大師にまつわる伝説が多く残り、現在の札所にもつながる多くの寺院が建立された。さらに伊予には「踊り念仏」で知られる時宗を開いた一遍上人がいる。元々は河野氏の一族だった人物だが、諸国を回り一生を踊り念仏に尽くした。一遍上人絵伝の主な場面を紹介した映像もあり、なかなか興味深い。

江戸時代には伊予国内の8つの藩の紹介。それぞれにカラーがあり、現在その姿を(現物、再建それぞれで)残す天守閣、城郭の模型が目を引く。西の宇和島から始まって、大洲、松山、今治と、伊予の国にも「サマになる」城がいくつか残っているものだ。今後はこうしたところのスポットめぐりも盛り込みたいものである(高知では、かつて旅行で訪れたことがあるとはいえ、高知城は下から見ただけ、桂浜もパスしてしまったので・・・)。また前の記事で触れた吉田藩や、この先の伊予小松藩といった小藩もある。

そして近代のコーナー。伊予の国が廃藩置県を経て愛媛県として成立した後の発展である。正岡子規をはじめとした俳人たち、司馬遼太郎の『坂の上の雲』で知られる秋山兄弟など。

歴史コーナーでの人気は、ある時期の松山の繁華街・大街道の町並みを再現した一角だろう。路面電車の実物が展示され、さまざまな商店も復元されている。・・・とここまで来て展示の半分である。次は1階に下りての民俗文化編で、愛媛のさまざまな祭の様子が紹介された後は、漁村、農村、山中での民家の暮らしの様子である。

最後に「四国遍路」が紹介されていたのが興味深い。県内に残る遍路道や道標のパネルがあり、装束や巡礼用品の変遷、遍路の指南書や地図も展示されている。愛媛編の巡拝は今回が初めてだが、ちょうど距離の半分を超え、札所番号が43番と中間近くのところで、改めて四国遍路の歴史に触れて気持ちを新たにするのもいいかもしれない。こういう展示は第1番の鳴門あたりでやってくれたほうが本当は理想なのだろうが・・・。

展示室も広く、内容も充実していた歴史文化博物館。今回、見たところをさらっと列記しただけの記事でしかないが、ゆっくりじっくり見学するともっと理解が深まるだけの材料は豊富だった。また訪ねてみたいスポットである。

さてこれから卯之町の町並みに向かうが、博物館の裏に遊歩道がある。これは「坪ヶ谷新四国」という、四国八十八所のミニ霊場の一部である。全長6キロの山道だが、この遊歩道は先ほどの明石寺も経由していた。ちなみに明石寺にはミニ霊場でも43番があるそうで、博物館の裏にある石像は60番台だった。ということは、明石寺から博物館に歩いてくるのに、坂道を下りてまた上らなくても、裏の遊歩道で来れば近道だったかもしれない。途中、地元の人たちによる俳句の石碑も見ながら山道と階段を下りると、町並みのすぐ横に出てきた。こういう道があったとは気づかなかった。

・・・本来なら卯之町の町並み見物も一緒に書くつもりだったが、博物館のところだけでまた長くなった。この後は次の記事ということで・・・・。
コメント