まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

BCリーグ観戦記・福井対信濃@丹南・前

2017年06月11日 | プロ野球(独立リーグほか)
NPB交流戦でのバファローズ対タイガース3連戦を見て一喜一憂したが、ちょっとイライラ感が出ていたのも確かである。少しは気分を落ち着かせよう、野球そのものを楽しもうという気持ちが必要である。

そこで出てくるのが独立リーグである。もちろんプロだし、各地の期待を背負って試合を続けているわけだが、何と言うのか、地域のお祭りを観光客気分で観に行くような感覚がある。6月10日、当初は近江今津で行われる滋賀ユナイテッド対石川ミリオンスターズ戦に行こうかと思っていた。ただ他の試合日程を見ていると、同じ日に越前市の丹南総合公園野球場にて福井ミラクルエレファンツ対信濃グランセローズ戦があるのに気づく。どちらも初めて訪れる球場だが、近江今津はこの次に訪れるとして、その先にある越前に行くことにした。

丹南球場は武生から福井鉄道で3つ目の家久が最寄り駅。地図を見ると駅から2キロほど離れているようだ。近くを通るバス路線はなさそうなので駅からの歩きとなる。まあこのくらいなら徒歩移動可能である。

早朝から湖西線、近江今津乗り換えで武生に到着。越前打刃物で作った龍のオブジェがホームで出迎える。まずは待合室にある昔ながらの立ち食いの今庄そばに向かう。昔ながらの素朴な味のそばである。

さて時刻は9時半。球場の開門が11時半として、今からだといくらなんでも移動には早いだろう。ならばせっかくなので武生の駅前を歩くことにする。

まずは駅から正面の道を歩く。越前市役所を右手に見て5分ほど進むと、蔵造りの建物が並ぶ一角に出る。蔵の辻というところ。武生はかつて、北国街道沿いにあって、関西と北陸の物資の中継点としても栄えており、商人たちの蔵も多く並んでいたそうである。その一角が地域活性化の一環で整備されている。だから見た目は蔵造りでもちょっとしゃれた小料理屋や工芸品店として活用されている。

その蔵の辻と接して商店街があるが、こちらは地方によくある「シャッター商店街」である。もちろん頑張っている店もあるのだが閉めている店も多い。やはり駅前のアル・プラザをはじめとした大型店舗に押されているのだろうか。また蔵の辻に近い一角では解体でもされたのか、がれきが積み上げられている。この時は、建物が老朽化したので取り壊し、新しく何か建てるのかなと思っていたが、この記事を書くにあたってネット検索を開いて驚いた。建物の解体かと思っていたところは、実は今年の2月に火災があったのだという。死傷者はいなかったものの、10棟を焼く大きなものだったとある。市の中心部での大規模な火災というと、昨年糸魚川で起こったものを思い出す。糸魚川の火災は中華料理店の火の不始末が原因だったが、武生の火災は記事を追う限りではいまだに特定されていないようだ。

その商店街に隣接して立派な鳥居がある。総社大神宮である。律令制度の下、一つの国のさまざまな神霊を一ヶ所に合祀した「総社」が各国に建てられたが、越前ではこの地に建てられた(いわゆる「一ノ宮」というのとはちょっと違う)。境内には「越前国府」の石碑もあり、古くはこの地が越前の中心だったことがうかがえる。

この総社大神宮を中心に周囲には寺社が建ち並び、石畳の道に格子造りの家も並ぶ風情ある通りである。こうした歴史スポットがいろいろあるとは知らなかった。大神宮の横には国分寺もある。

その通りの突き当りに堂々とした寺の山門がある。引接寺(いんじょうじ)とあり、天台真盛宗の別格本山とある。天台真盛宗・・聞いたことがあるなと思うと、先日新西国三十三所めぐりで訪ねた神戸の太山寺がそうだった。室町時代に真盛上人が開いたとされており、本堂前にはその像も建てられている。山門の彫刻、重厚な感じの本堂。他には、福井県下一の大きさという石仏や、西国三十三観音を祀った観音堂もある。

その一角には幼稚園があるのだが、その建物は洋風である。昔は福井県の警察の建物だったのを移築したとある。

寺は他にもあり、浄土宗の正覚寺というのも堂々とした本堂を持つ。こちらは南北朝時代に置かれた新善光寺城の跡地である。先日まで岩波文庫版で読んでいた太平記でも、北陸と都の境ということで越前で幾多の戦いが描かれていたが、そうした歴史というのも初めて知ったことである。

武生というところ、やはりかつての越前の国府があったところということでさまざまな歴史があると知って勉強になった。そろそろ球場に向けて移動しようと、アル・プラザで飲食物をいろいろ仕入れて福井鉄道の越前武生駅に向かう。

福井鉄道はローカル私鉄ではあるが、最近ではえちぜん鉄道との乗り入れ、フクトラムという新型車両の投入など、地域の足として頑張っているところである。元名鉄の車両に揺られ、3つ目の家久で下車。こちらの木造駅舎も最近建てられた感じである。球場への案内図が出ているわけではないが、地図によれば駅前の道を直進して、小学校に突き当たると右手に曲がり、さらに左手に曲がるようだ。こちらは田園風景と昔からの集落が並ぶところで、20分ほどで球場の照明塔が見えてきた。

さて球場の様子と試合の内容はまた後半の記事にて・・・。
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こういう組み合わせも珍しいのでは・・・

2017年06月09日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
タイガースとの3連戦に負け越したバファローズ、今度はドラゴンズ戦である。今季から、バファローズの森脇前監督やら、かつての近鉄バファローズの主砲だった土井正博氏らがコーチに加わっている。

さて、交流戦のこの週末3連戦のカードは、イーグルス対カープ、ホークス対カープ、ライオンズ対ベイスターズ、バファローズ対ドラゴンズ、ファイターズ対ジャイアンツ、マリーンズ対スワローズとなっている。

これが、8日の試合を終えた時点での両リーグの1位~6位同士の対戦になっている。交流戦が導入されて13年目だが、組み合わせがこう揃うのは珍しいのではないか。

まあ、通算のリーグ内の順位と、交流戦現時点での調子がリンクしているわけではないが、この3連戦の結果がリーグ内の順位変動に影響するのかなと思う。交流戦も折り返しを過ぎて、正念場・・・。
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観戦記~オリックス対阪神交流戦第3戦(これが現場、これが実情、これは修行・・・)

2017年06月08日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
「今夜のチケットがあるんやけど、どうや、行かんか?」

8日に出社した時に、職場の方から声をかけていただいた。この日の大正ドームのバファローズ対タイガースのチケットがあるのだが、その方は業務で行けなくなったので、無駄にするくらいなら代わりにどうかというものである。

交流戦、中でもタイガース戦である。平日ということもあり、前の記事でああいうことを書くくらいなので観戦予定はなかったが、私をバファローズファンと見込んでのせっかくのご厚意をありがたく思い、仕事帰りに急遽行くことになった。

ドームに着いたのは試合開始後、2回表。初回にバファローズが小谷野のタイムリーで先制した後だが、タイガースも鳥谷の内野ゴロの間に1点を入れて同点というところ。飲食物を仕入れて一塁のA指定席エリアに向かう。普段内野の上段で観ているのに比べて景色が新鮮に見える。

平日ということで同じような仕事帰りのグループが多いが、このエリアにも何らかの「黄色い人たち」が多数を占める。同じ黄色でもホークスならまだしも、タイガースとなると・・・そこは私も燃料を入れて、ダミ声を出すしかない。前の記事では関西マスゴミの悪口のようなことを書いたが、こうして現地に来ると余計にむかつく。ただそれに燃えていつもより熱を入れて観戦できた。

試合はバファローズがディクソン、タイガースがメッセンジャーの先発で、1対1で中盤に入ったが、5回にタイガースが中谷のタイムリーで勝ち越し。さらに6回には福留のタイムリーで追加点。がぜん一塁側もタイガースへの声援が大きくなった。

バファローズも6回には代打モレルの二塁打で1点返す。球場に来てから初めてのバファローズの得点だったが、この時に歓声を挙げた人が周りでは数えるほどしかいなかったのが残念。

・・・でも、これが現実、これが関西のプロ野球の勢力図。アホな会話で騒いで、野球の中身はよくわからないがメガホン叩いて何か知らんけど盛り上がって楽しいわぁ~・・・というのがスタンダードだというのを改めて体験した。一塁側スタンドに陣取る中、「これは修行」という思いも頭をよぎったくらいだ。まあ、関西のマスゴミもそうした人たちに合わせた報道をしなければならないのなら、仕方ないなと思う。

試合は3対2でタイガースリードのまま9回へ。バファローズもランナーを出すが後続なくそのまま試合終了。これで交流戦負け越し。また明日は関西マスゴミのバカ騒ぎなのか。スポーツ紙、テレビ、ラジオは封印やな。

・・・それでも、普段なら感じられない交流戦独特の雰囲気、それも毛嫌いしているチーム相手の、ホームゲームなのにアウェイの中での観戦は楽しかった。「タイガースに勝ってや!」と送り出してくれた職場の方の期待に応えられなかったのはファンとしても申し訳なかったが、貴重な機会をいただいたことに感謝である。また次からのカード、頑張れ・・・。
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ざまあ見さらせタイガース&関西マスゴミ!!

2017年06月07日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
いや、今日は言うことない。

序盤の展開は重苦しいものがあったが、中盤に見事に追いつき、最後はロメロがサヨナラタイムリー。勝ち方として見事に申し分ない展開だった。

・・・こうなると、前日「金子最悪」と言っていたのがご機嫌になる。何とも現金なものだ。

ちなみに7日の試合は、地上波で阪神偏向報道の最たるものである大阪朝日放送、一方では主催球団押しの中継をするCSのJ-SPORTS、さらにはBSの国営放送も中継という、三者三様の放送だった。比較してみると、改めて大阪朝日放送の偏向ぶりがうかがえて、改めて腹立たしく感じた。

そんな中でのサヨナラ勝ちとは大爆笑。前日の散々な敗戦の腹立たしさも吹っ飛んだ。

さて迎える第3戦、何とか西宮に勝ち越し、黄色いキ○ガイどもを黙らせてほしい・・・(それでも関西マスゴミの偏向は相変わらずだが)。
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最悪やな、金子。

2017年06月06日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
今日は表題の通り。

それだけ。

ただよくも、せっかくのムードをぶち壊しにしてくれたのう。

阪神に勝てないくせにエースを名乗るな。

これで交流戦6連勝もまったく価値がなくなった。ただの1敗では済まされない。

また、関西マスゴミの偏向報道に朝から気分を悪くしないといけないのか・・・。
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初夏の珍事

2017年06月05日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
「珍事」というと一般的には「春の」と使われるが、それ以外にはあまり聞かないがどうだろうか。

今年のオリックス・バファローズは、開幕からしばらくはイーグルスと並んで(開幕3連敗はあったが)好調だった。前年5位、6位チームによる春の珍事かと言われていた。

それが5月は・・・イーグルスが着々と白星を重ねたのに対して、バファローズは散々な成績。今年は福良監督の途中休養もあるのかと。

そして交流戦、不調のスワローズ、ジャイアンツ相手だったからかもしれないが、ここまで唯一の6戦全勝。通算でも9連敗の後で7連勝である。強いんだか弱いんだか・・・。

ただ交流戦もこれからどうか。まずは、好調タイガースとの対戦。主催試合ながら関西マスゴミは全てタイガース偏向というアウェイ同様の試合。こいつらをいわしたる試合を望む。ここが、真価を問われるところだ・・・。
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第25番「太山寺」~新西国三十三所めぐり・36(明石めぐり)

2017年06月04日 | 新西国三十三所
明石駅に到着。時刻は13時半ということで昼食である。明石といえば魚の棚商店街が有名であるが、私として気になる店がある。それは駅前。

以前に「道場」という居酒屋があり、何かの時に明石で途中下車して、地元の大衆酒場という感じの店を何度か楽しんだことがある。ただ、明石駅前の再開発工事が始まり、その店も姿が見えなくなった。

そこへ来て、駅前には今年の1月に新たにオープンした「パピオスあかし」という複合ビルがある。どんなものかとのぞいて見ると、1階が飲食店街になっている。ひょっとしたらと案内板を見ると、ありました「酒道場」。店の内装も前のイメージを踏襲した感じである。

明石ということでやはりたこのメニューである。まずはジョッキで本日の新西国めぐりを締め、たこぶつや煮付けなどいただく。関西では少数派のホッピーが置いてあるのもポイントである。日曜の午後ということで観光客の姿もあるが、地元の常連客らしいのも多い。新しいビルにこうした昔からの店が引き続いて入るのも、集客には欠かせないだろう。

そんな「道場」だが、実は明石名物の玉子焼きはメニューにない。こればかりは他に譲ることにして、締め代わりに入ったのが同じビル内の「まるまる」。こちらも古くからの店のようだ。ノーマルな玉子焼きの他に、割ったたこせんの間にたこ焼きを挟み、ソース味に仕上げた「たこせん」をいただく。こうした玉子焼きなどをいただくと、播磨の国に来たなと感じられる。

さてお腹もでき、心地よくなったところで、腹ごなしとして駅北側の明石公園に向かう。駅のホームから明石城の櫓は見るのだが、実は行ったことがなかったのでこの機会に行ってみる。明石城は現在は明石公園として野球場や陸上競技場もある。そういえば以前、独立リーグの関西に「明石レッドソルジャーズ」というのがあったよな・・・と思い出す。

明石城は江戸時代初期の建造である。山陽、山陰方面の押さえとして、徳川秀忠の命により小笠原忠真の手で造られ、合わせて城下町も整備された。その後は城主が何代か入れ替わり、松平氏の居城となった。今は二つの櫓を残すのみである。そのうちの一つ、坤櫓が公開されているので入ってみる。ここから見る市街地というのもよいものである。

ちなみに明石公園の前に一体の銅像がある。林兼商店の創業者、中部幾次郎である。林兼商店とは後の大洋漁業、現在のマルハニチロであるが、その創業者である。大洋といえば下関のイメージなのだが、創業者が明石の出身というのは初めて知った。

少し回ったところで山陽電車で明石を出発。向かったのは舞子公園。明石海峡大橋を間近に見るスポットである。こちらも地元の人、観光客の憩いの場で賑わっている。また釣り糸を垂らす人も多い。太陽はまぶしいが潮風が心地よく、しばらくそこにたたずむ。

さてこれで新西国も残りは3つ。これから暑くなる時期である・・・。
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第25番「太山寺」~新西国三十三所めぐり・36(神戸市唯一の国宝建造物)

2017年06月01日 | 新西国三十三所
6月に入ったが、いったん時計の針を5月に戻す。

先の記事で大阪市内2ヶ所の参詣を書いたが、その翌28日、勢いついでに次の太山寺にも行っておくことにした。6月がなかなか新西国のための時間が取れないかもしれないので。

太山寺は神戸市の西区にある。この新西国めぐりのくじ引きのグループ分けでは、当初、兵庫区の能福寺、須磨区の須磨寺と同じグループにしていたが、ちょっと離れているなとして途中で別にしたところである。公共交通機関では、神戸地下鉄の名谷駅~伊川谷駅間のバス路線が門の前を通っている。さらにそのバスは明石駅まで通っており、もしJR西日本の西国三十三所めぐりのスタンプラリーが新西国でも行われるとすれば、明石駅もスタンプ対象になるかなというところだ。

そんな中で、地下鉄の最寄り駅となると学園都市駅である。地図で見れば2キロあまり、十分行けるところだ。ということで、行きは学園都市駅から歩いて太山寺に向かい、帰りはバスで明石に出ることにする。遅めの昼食は明石の海の幸になりそうだ。

梅田から阪急で三宮、そして地下鉄に乗る。神戸でのバファローズ観戦の時にはお世話になる路線だが、総合運動公園から向こうはほとんどなじみのないところである。そして学園都市に到着。駅は地下ではなく、丘を切り開いた半地下のような造りである。学園都市という名前らしく周りには高層マンションも建ち、周辺への路線バスターミナルもある。須磨、舞子方面に向かう系統もある。

まずは寺を目指して歩く。駅前のショッピング街や住宅街、そして流通科学大学のキャンパス横を過ぎる。ただ、歩いて10分経つか経たないうちにそれらが途切れて森が広がる。

そして坂を下ると昔造りの家屋や田畑が広がる。先ほどとは対照的だ。改めて神戸市の広さ、多様さを感じる。ここから県道を歩くと太山寺温泉『なでしこの湯」というのがある。食事もいろいろありそうで少し気持ちが向かうが、まあその前にお参りだ。

太山寺のバス停があり、その奥に国の重要文化財の仁王門がある。オリジナルは鎌倉時代のものが、室町時代にこの地に移築されたという。ここをくぐるとすぐに境内・・・というわけではなく、クルマも通れる石畳の道の両側に普通の家屋がある。その向かいは酒屋で自動販売機でビールを買うこともできる(買わなかったけど)。

太山寺は奈良時代、藤原鎌足の孫・宇合(うまかい)が元正天皇の命で伽藍を建立したのが最初とされ、初代の住職は鎌足の子(宇合の伯父)である定恵上人とされている。その後、藤原氏の寺として多くの支院を持ち栄えたが、鎌倉時代に火災に遭って全焼。その後再建され、本堂と仁王門はその時からの建物である。また支院のいくつかは今も残っている。その一つの安養院の庭園は名勝に指定されていて、春と秋の一時期のみ公開されている。

そんな中を通りながら、中門で拝観料を払って境内に入る。落ち着いた空間が広がる。正面の石段の上に本堂がある。これは国宝で、神戸市にある唯一の国宝建造物だ(神戸市にあるものとしては、他に古文書2件、銅鐸1件が国宝に指定されているそうだ)。神戸というとかつては平清盛の福原京があったにせよ、開かれたのは近代の神戸開港からの歴史のイメージが強い。同じ市内に、鎌倉、室町時代からの国宝の建物があったというのが意外な発見だった。これも昭和に大修復を行い、柱の朱色も当時の様子を伝えてくれる。

スリッパで板張りの外陣に上がり、ここでお勤め。格子の向こうの内陣には本尊薬師如来や新西国の千手観音、さらには千体地蔵などが祀られている。

本堂に向かって左手には阿弥陀堂があり、重要文化財の阿弥陀如来が祀られている。他にも三重塔や護摩堂などがあり、これらは江戸時代の再建である。時代ごとに再建はいろいろあるが、古くからこの地で信仰を集めてきた歴史が積み重なっているのを感じる。

一通り回って朱印をいただき、次の行き先決めである。といっても選択肢は2つ。

1、2、3・・福崎(金剛城寺)

4、5、6・・比叡山(延暦寺横川中堂)

サイコロは「6」。ここで比叡山が出る。新西国の対象となっているのはその中で最も奥の横川中堂だが、比叡山へのアクセス、そして山内の移動を考えると結局は根本中堂のある東塔エリアも含めて回ることになるから、1日仕事である。

さて、太山寺にはもう一つ有名なスポットがある。不動明王の磨崖仏である。一度県道に出て名谷方面に少し歩くと脇道がある。そこには、磨崖仏への矢印があるが、その下には「磨崖仏は見学できません」の看板がある。

これはどうしたことかととりあえず進むと、道路がフェンスに阻まれていた。その脇、少し山の斜面から歩行者が入れるくらいのスペースがあるが、「見学できない」と看板にもあるし、フェンスを越したことで不法侵入に問われてもいけない。太山寺のホームページやパンフレットには特にただし書きはなかったが、何かの事情で見学を取りやめているのかと思い、引き返す。フェンスの前には西国三十三所のお砂踏みの山道があるが、こちらも第1番の向かいに第20番があるなど、よく整備されていないようですぐに引き返す。この辺りは歴史があるのだろうがよくわからないままに終わった。

門前の「なでしこの湯」に立ち寄ってもいいかなと思ったが、バスの時間が近いのでそのまま明石まで移動する。横に流れるのは伊川で、伊川谷の名前もここから来ている。駅を過ぎると神戸市~明石市にかけての郊外の住宅地で、バスもそこそこの利用がある。太山寺から30分あまりで明石駅に到着した・・・。
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