6月に入ったが、いったん時計の針を5月に戻す。
先の記事で大阪市内2ヶ所の参詣を書いたが、その翌28日、勢いついでに次の太山寺にも行っておくことにした。6月がなかなか新西国のための時間が取れないかもしれないので。
太山寺は神戸市の西区にある。この新西国めぐりのくじ引きのグループ分けでは、当初、兵庫区の能福寺、須磨区の須磨寺と同じグループにしていたが、ちょっと離れているなとして途中で別にしたところである。公共交通機関では、神戸地下鉄の名谷駅~伊川谷駅間のバス路線が門の前を通っている。さらにそのバスは明石駅まで通っており、もしJR西日本の西国三十三所めぐりのスタンプラリーが新西国でも行われるとすれば、明石駅もスタンプ対象になるかなというところだ。
そんな中で、地下鉄の最寄り駅となると学園都市駅である。地図で見れば2キロあまり、十分行けるところだ。ということで、行きは学園都市駅から歩いて太山寺に向かい、帰りはバスで明石に出ることにする。遅めの昼食は明石の海の幸になりそうだ。
梅田から阪急で三宮、そして地下鉄に乗る。神戸でのバファローズ観戦の時にはお世話になる路線だが、総合運動公園から向こうはほとんどなじみのないところである。そして学園都市に到着。駅は地下ではなく、丘を切り開いた半地下のような造りである。学園都市という名前らしく周りには高層マンションも建ち、周辺への路線バスターミナルもある。須磨、舞子方面に向かう系統もある。
まずは寺を目指して歩く。駅前のショッピング街や住宅街、そして流通科学大学のキャンパス横を過ぎる。ただ、歩いて10分経つか経たないうちにそれらが途切れて森が広がる。
そして坂を下ると昔造りの家屋や田畑が広がる。先ほどとは対照的だ。改めて神戸市の広さ、多様さを感じる。ここから県道を歩くと太山寺温泉『なでしこの湯」というのがある。食事もいろいろありそうで少し気持ちが向かうが、まあその前にお参りだ。
太山寺のバス停があり、その奥に国の重要文化財の仁王門がある。オリジナルは鎌倉時代のものが、室町時代にこの地に移築されたという。ここをくぐるとすぐに境内・・・というわけではなく、クルマも通れる石畳の道の両側に普通の家屋がある。その向かいは酒屋で自動販売機でビールを買うこともできる(買わなかったけど)。
太山寺は奈良時代、藤原鎌足の孫・宇合(うまかい)が元正天皇の命で伽藍を建立したのが最初とされ、初代の住職は鎌足の子(宇合の伯父)である定恵上人とされている。その後、藤原氏の寺として多くの支院を持ち栄えたが、鎌倉時代に火災に遭って全焼。その後再建され、本堂と仁王門はその時からの建物である。また支院のいくつかは今も残っている。その一つの安養院の庭園は名勝に指定されていて、春と秋の一時期のみ公開されている。
そんな中を通りながら、中門で拝観料を払って境内に入る。落ち着いた空間が広がる。正面の石段の上に本堂がある。これは国宝で、神戸市にある唯一の国宝建造物だ(神戸市にあるものとしては、他に古文書2件、銅鐸1件が国宝に指定されているそうだ)。神戸というとかつては平清盛の福原京があったにせよ、開かれたのは近代の神戸開港からの歴史のイメージが強い。同じ市内に、鎌倉、室町時代からの国宝の建物があったというのが意外な発見だった。これも昭和に大修復を行い、柱の朱色も当時の様子を伝えてくれる。
スリッパで板張りの外陣に上がり、ここでお勤め。格子の向こうの内陣には本尊薬師如来や新西国の千手観音、さらには千体地蔵などが祀られている。
本堂に向かって左手には阿弥陀堂があり、重要文化財の阿弥陀如来が祀られている。他にも三重塔や護摩堂などがあり、これらは江戸時代の再建である。時代ごとに再建はいろいろあるが、古くからこの地で信仰を集めてきた歴史が積み重なっているのを感じる。
一通り回って朱印をいただき、次の行き先決めである。といっても選択肢は2つ。
1、2、3・・福崎(金剛城寺)
4、5、6・・比叡山(延暦寺横川中堂)
サイコロは「6」。ここで比叡山が出る。新西国の対象となっているのはその中で最も奥の横川中堂だが、比叡山へのアクセス、そして山内の移動を考えると結局は根本中堂のある東塔エリアも含めて回ることになるから、1日仕事である。
さて、太山寺にはもう一つ有名なスポットがある。不動明王の磨崖仏である。一度県道に出て名谷方面に少し歩くと脇道がある。そこには、磨崖仏への矢印があるが、その下には「磨崖仏は見学できません」の看板がある。
これはどうしたことかととりあえず進むと、道路がフェンスに阻まれていた。その脇、少し山の斜面から歩行者が入れるくらいのスペースがあるが、「見学できない」と看板にもあるし、フェンスを越したことで不法侵入に問われてもいけない。太山寺のホームページやパンフレットには特にただし書きはなかったが、何かの事情で見学を取りやめているのかと思い、引き返す。フェンスの前には西国三十三所のお砂踏みの山道があるが、こちらも第1番の向かいに第20番があるなど、よく整備されていないようですぐに引き返す。この辺りは歴史があるのだろうがよくわからないままに終わった。
門前の「なでしこの湯」に立ち寄ってもいいかなと思ったが、バスの時間が近いのでそのまま明石まで移動する。横に流れるのは伊川で、伊川谷の名前もここから来ている。駅を過ぎると神戸市~明石市にかけての郊外の住宅地で、バスもそこそこの利用がある。太山寺から30分あまりで明石駅に到着した・・・。
先の記事で大阪市内2ヶ所の参詣を書いたが、その翌28日、勢いついでに次の太山寺にも行っておくことにした。6月がなかなか新西国のための時間が取れないかもしれないので。
太山寺は神戸市の西区にある。この新西国めぐりのくじ引きのグループ分けでは、当初、兵庫区の能福寺、須磨区の須磨寺と同じグループにしていたが、ちょっと離れているなとして途中で別にしたところである。公共交通機関では、神戸地下鉄の名谷駅~伊川谷駅間のバス路線が門の前を通っている。さらにそのバスは明石駅まで通っており、もしJR西日本の西国三十三所めぐりのスタンプラリーが新西国でも行われるとすれば、明石駅もスタンプ対象になるかなというところだ。
そんな中で、地下鉄の最寄り駅となると学園都市駅である。地図で見れば2キロあまり、十分行けるところだ。ということで、行きは学園都市駅から歩いて太山寺に向かい、帰りはバスで明石に出ることにする。遅めの昼食は明石の海の幸になりそうだ。
梅田から阪急で三宮、そして地下鉄に乗る。神戸でのバファローズ観戦の時にはお世話になる路線だが、総合運動公園から向こうはほとんどなじみのないところである。そして学園都市に到着。駅は地下ではなく、丘を切り開いた半地下のような造りである。学園都市という名前らしく周りには高層マンションも建ち、周辺への路線バスターミナルもある。須磨、舞子方面に向かう系統もある。
まずは寺を目指して歩く。駅前のショッピング街や住宅街、そして流通科学大学のキャンパス横を過ぎる。ただ、歩いて10分経つか経たないうちにそれらが途切れて森が広がる。
そして坂を下ると昔造りの家屋や田畑が広がる。先ほどとは対照的だ。改めて神戸市の広さ、多様さを感じる。ここから県道を歩くと太山寺温泉『なでしこの湯」というのがある。食事もいろいろありそうで少し気持ちが向かうが、まあその前にお参りだ。
太山寺のバス停があり、その奥に国の重要文化財の仁王門がある。オリジナルは鎌倉時代のものが、室町時代にこの地に移築されたという。ここをくぐるとすぐに境内・・・というわけではなく、クルマも通れる石畳の道の両側に普通の家屋がある。その向かいは酒屋で自動販売機でビールを買うこともできる(買わなかったけど)。
太山寺は奈良時代、藤原鎌足の孫・宇合(うまかい)が元正天皇の命で伽藍を建立したのが最初とされ、初代の住職は鎌足の子(宇合の伯父)である定恵上人とされている。その後、藤原氏の寺として多くの支院を持ち栄えたが、鎌倉時代に火災に遭って全焼。その後再建され、本堂と仁王門はその時からの建物である。また支院のいくつかは今も残っている。その一つの安養院の庭園は名勝に指定されていて、春と秋の一時期のみ公開されている。
そんな中を通りながら、中門で拝観料を払って境内に入る。落ち着いた空間が広がる。正面の石段の上に本堂がある。これは国宝で、神戸市にある唯一の国宝建造物だ(神戸市にあるものとしては、他に古文書2件、銅鐸1件が国宝に指定されているそうだ)。神戸というとかつては平清盛の福原京があったにせよ、開かれたのは近代の神戸開港からの歴史のイメージが強い。同じ市内に、鎌倉、室町時代からの国宝の建物があったというのが意外な発見だった。これも昭和に大修復を行い、柱の朱色も当時の様子を伝えてくれる。
スリッパで板張りの外陣に上がり、ここでお勤め。格子の向こうの内陣には本尊薬師如来や新西国の千手観音、さらには千体地蔵などが祀られている。
本堂に向かって左手には阿弥陀堂があり、重要文化財の阿弥陀如来が祀られている。他にも三重塔や護摩堂などがあり、これらは江戸時代の再建である。時代ごとに再建はいろいろあるが、古くからこの地で信仰を集めてきた歴史が積み重なっているのを感じる。
一通り回って朱印をいただき、次の行き先決めである。といっても選択肢は2つ。
1、2、3・・福崎(金剛城寺)
4、5、6・・比叡山(延暦寺横川中堂)
サイコロは「6」。ここで比叡山が出る。新西国の対象となっているのはその中で最も奥の横川中堂だが、比叡山へのアクセス、そして山内の移動を考えると結局は根本中堂のある東塔エリアも含めて回ることになるから、1日仕事である。
さて、太山寺にはもう一つ有名なスポットがある。不動明王の磨崖仏である。一度県道に出て名谷方面に少し歩くと脇道がある。そこには、磨崖仏への矢印があるが、その下には「磨崖仏は見学できません」の看板がある。
これはどうしたことかととりあえず進むと、道路がフェンスに阻まれていた。その脇、少し山の斜面から歩行者が入れるくらいのスペースがあるが、「見学できない」と看板にもあるし、フェンスを越したことで不法侵入に問われてもいけない。太山寺のホームページやパンフレットには特にただし書きはなかったが、何かの事情で見学を取りやめているのかと思い、引き返す。フェンスの前には西国三十三所のお砂踏みの山道があるが、こちらも第1番の向かいに第20番があるなど、よく整備されていないようですぐに引き返す。この辺りは歴史があるのだろうがよくわからないままに終わった。
門前の「なでしこの湯」に立ち寄ってもいいかなと思ったが、バスの時間が近いのでそのまま明石まで移動する。横に流れるのは伊川で、伊川谷の名前もここから来ている。駅を過ぎると神戸市~明石市にかけての郊外の住宅地で、バスもそこそこの利用がある。太山寺から30分あまりで明石駅に到着した・・・。