まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

海津西浜の湖岸の石積

2017年06月16日 | プロ野球(独立リーグほか)
先日、近江今津までBCリーグの観戦に出かけたが、せっかくなのだからと球場に向かう前にある場所に行っていた。

平日朝の新快速、12両編成だが京都で切り離し、前の4両が湖西線経由の敦賀行き、後の8両が琵琶湖線米原行きである。私が乗ったのは前4両のほう。京都で大量に下車し、湖西線内では座って移動する。

やって来たのは、近江今津からまだ先のマキノである。現在は高島市の一部だが、「マキノ町」というのは、昭和の時代には極めて珍しいカタカナ表記の自治体として知られている。集落としては感じの「牧野」なのだが、1955年の合併の際に、マキノ高原スキー場からその名を取ったとか、京阪電車の牧野駅と混同しないようにとかの理由がありそうだ。

湖西というより湖北と言ってもいいエリアに降り立ったのは、「高島市で何か立ち寄り場所がないかな」と調べるうちに、琵琶湖に面した海津の町並みというのが出てきたことから。マキノ駅からも歩いて15分とある。

まずは駅前通りを直進すると、地中海にでもありそうなしゃれた建物に出る。それを抜けると湖岸の砂浜が広がる。サニービーチというところ。左手には桜の名所である海津大崎から竹生島が見え、右手には砂浜、そして正面のはるか先には琵琶湖の対岸もうっすらと見ることができる。あの辺りだと、彦根から長浜にかけての一帯だろうか。湖の水も澄んでいて、宅地や工場も広がる南部とは違った感じである。

湖を右手に見て、砂浜沿いを歩く。遊歩道も一部整備されている。ただ時おり湖に注ぐ小川があり、さすがに越えられないので一度道に戻ったりする。

この一帯の海津、西浜というところは、古くから日本海側から琵琶湖を経由して京都や大阪に向かう時の、陸と海との接続地点だった。昔は琵琶湖の水運というのが東西南北に広がっていた。

ただ、琵琶湖というのは湖というよりは海に近い自然条件であり、台風や冬の季節風などで湖西や湖北は大波に悩まされることが多かった。そこで江戸の中期に、この地に石垣を築いた。

その後、石垣の先に造られた桟橋から舟が行き来する時代があったが、バスや鉄道の発達(特に湖西線の開通は大きかったと思う)により水運は衰退。現在は昔ながらの風情を留める町並みが残った。宿場町・・・というのではないが、昔ながらの酒蔵もあるし、やけに寺院が多いのが目立つ。一方でいかにも観光客相手の店がほとんどないというのもいい(集落の端に古民具店とカフェを兼ねた店があったが、この日は定休日だった)。

角度によっては、石垣の上に昔ながらの港町の建物を見ることができるが、湖上に舟を浮かべて町並みを見ると結構壮観なのかなと思う。

6月という時季なので集落の端でそのまま折り返したが、桜の時季なら名所の海津大崎まではこの先2キロほどで、そのまま歩くのもいいだろう。もう少し遠いのかとイメージしていたが、マキノ駅が玄関口とは意外だった。

そうするうちに、近江今津に戻る列車の時間が近づいてきた。駅近くのコンビニで昼食を仕入れて、あわてて駅に戻る・・・・。
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