6月29日、九州新幹線で鹿児島中央に到着。第45番・大歓寺まで市営バスで向かうことにする。中草牟田バス停が最寄りのようだ。JR九州の在来線は前日からの大雨で運転見合わせとなっているが、鹿児島市内、この時間は雨も小止みである。
バスの乗車口にはICカードリーダーがあるが、使えるのはラピカという鹿児島市交通局独自のカードのみで、他の全国交通系ICカードには対応していない。出張や旅行で鹿児島に来た人は一見不便で戸惑いそうだが、鹿児島市交通局の市電、市バスではクレジットカードのタッチ決済が導入されている。市バスでは今年の3月から導入されたそうで、車内ポスターによると、1ヶ月の利用金額が市バスの定期運賃に相当する9660円に達するとそれ以降は無料になるとある。考えようによっては、専用のカードを買う必要もなく、チャージの心配もないのでICカードより便利ではないかと思う。
広島でも今年の秋、独自のICカード「PASPY」が廃止され、新たな交通系ICカードのサービスに移行されるが、クレジットカードタッチ決済でもよかったのではと思う。
国道3号線沿いにある中草牟田で下車し、「出会い坂通り」を歩く。何に出会えるのかな・・。
その通りを入ったところに大歓寺の看板が見える。地階が駐車場で建物は2階にある。九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの公式サイトによると開創は1970年とある。外には観音菩薩や波切不動明王などの像が出迎える。
扉を開けて中に入る。こちらの本尊は不動明王で、そのお札を授かった方の中には水害などの危機を間一髪逃れたという霊験談が数多くあるのだとか。外陣、内陣にはさまざまな仏像や仏具が並び、日常的に祈祷なども盛んに行われているようだ。
お勤めを終える頃、内陣の奥から寺の方らしい女性が出て来たので御朱印をお願いする。いったん入口脇のスペースに入り、お接待としてお菓子を持って出て来られる。九州八十八ヶ所の札所、特に南に来るとその傾向があるように感じるが、「どちらから?」と尋ねられる。広島からと答えるとその女性は驚いた様子。一時、広島で暮らしていた時期があったという。市内の町名も出て来たので、これも面白いご縁だなと思う。
さてこの後どうするか。指宿の第47番・光明寺、日置の第49番・剣山寺は前回訪ねており、薩摩半島で残る枕崎の第97番・大国寺は翌30日に行く。ホテルのチェックインまで市街で過ごすことにする。ちょうど行きたいスポットもあるし・・。
地図を見ると、桜島を望む城山公園まで直線距離では近いようだ。もっとも「城山」だから近いといっても上り坂が続くのだが、これも鹿児島の町歩きということでそのまま歩くことにする。幸い、雨もまだ止んでいる。
通り沿いに、7月7日投開票の鹿児島県知事選のポスター看板を見る。7月7日といえば東京都知事選が注目されているが、鹿児島も選挙なのか。現職の男性候補に新人の女性候補2人が挑む構図。「鹿児島初の女性知事を!」との文字も見えるが、私個人のイメージ、予想ではやはり自民党系の現職といえば地方ではまだまだ強いし、鹿児島といえば特に男尊女卑の気風が強く残っている地域ということで、東京都知事選よりもあっさり当確が出るのではないかと思う。まあ逆にいえば、それをひっくり返す展開となるとそれこそ「維新」といえるのでは。
城山団地という結構広い住宅地を抜ける。もちろん、通りの一角には火山灰の集積場も見える。気づくと結構高いところまで到達して、その後で城山公園の遊歩道入口に着く。
そのまま遊歩道を抜け、桜島の展望台に到着。桜島の頂上と中腹に雲がかかっており、帽子をかぶりベルトを巻いたようにも見える。こういう雲のかかり方、桜島ではよくあるのだろうか。雨天ということで桜島が全く見えないことも予想していただけに、よく見えたほうではないかと思う。
この後、遊歩道を下り薩摩義士の碑に出る。城山の麓の薩摩義士とは西南戦争で西郷隆盛に殉じた人たち・・ではなく、江戸時代、徳川幕府から薩摩藩に課せられた尾張・美濃の木曽川、長良川、揖斐川の改修工事に命をかけ犠牲になった人たちの慰霊碑である。犠牲になったといっても、土木作業中に不慮の水害に遭って亡くなったのではなく、幕府の役人と地元民衆とのトラブルに巻き込まれたとか、疫病にかかったとか、何ともいたたまれない事情である。
ここまで来ると鶴丸城跡に入る。ここに建つのは鹿児島県歴史・美術センター黎明館。ここだけで鹿児島県のあらゆる歴史文化に触れることができるとして、この札所めぐりではぜひ訪ねようと考えたスポットである・・・。
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