まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

大山祇神社へ

2016年06月29日 | 旅行記G・四国
「すみません、この大山・・・なんとか神社って、ここからすぐですか?歩いて行けるんですか?」

「いや、歩いては無理ですよ。クルマなら10分くらいで行けますけど」

しまなみ海道の多々羅大橋のたもとにある道の駅の観光案内所で、クルマかバスで来たような観光客が係の人に尋ねて返ってきたのがこの返事。

これから、大三島の大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)を訪ねることにした。瀬戸内にあって由緒ある神社で、伊予の国の一の宮である。また宝物館にはこれまでさまざまに奉納された武具が展示されており、国宝や重要文化財がゴロゴロとあるのが見ものである。距離は5キロちょっとあり、さすがに徒歩だとキツそうだ。ここは自転車の機動力が活きる。

これなら帰りの時間を考えても十分往復できるところ。ということで再びペダルを漕ぐ。島の東海岸を一旦北上して、島の真ん中を西に走るコース。ここでも一般の車道とは別に、かつての農道のような自転車道がある。

最初はどうということはなかったが、西に進路を取り、緩やかな上りに差し掛かるところで、漕ぐのが急にしんどくなった。暑いのは仕方ないとして、また脚が痛いというのではない。むしろ、サドルに跨がる尻が痛い。脚が重いのはギアを変えればまだ何とかなるにしても、座るのが痛いのはキツい。上りの途中で自転車から下り、しばらく押して歩く。峠の頂上まで来て長い下りに入ると楽になれそうで、再びサドルに跨がる。要は動かすと尻が痛いというやつ。

坂を下りきったところが大山祇神社。駐輪場は屋根つきで、スポーツサイクル用のスタンドもある。しまなみ海道を行くサイクリストが数多く参拝することだろう。

かつて瀬戸内海は外国との行き来のメインルートで、この辺りに連なる島々にあって大三島は重要な位置付けだった。ここに伊予の国の一の宮が置かれたのも、表通りに立派な店構えをするのと同じようなことだろう。かつての国府や国分寺が置かれたところや、ここが一の宮に選ばれた地理的・歴史的背景を調べるのも面白そうだが、西国と新西国を回っている上に「全国一の宮巡り」と「国府・国分寺跡巡り」に手を出すと、結構大変なことになりそうだが・・・。

かつては「日本総鎮守」の称号も与えられていたとあってものものしく感じるが、参拝者の姿もそれほどなく、静寂である。平成22年に、約700年ぶりに修復された総門を抜け、樹齢2600年のご神木の楠を見る。神門は工事中のため、その横から拝殿に向かう。祈るのはこの先の旅の安全と、バファローズの勝利で・・・・(今にして思うと、瀬戸内の神様に大阪のチームの勝利を祈願したのも良くなかったかなと思う。そりゃ、神様も地元に近い球団の味方をするだろう。カープが「神ってる」のには、大山祇神社も一枚噛んでいるはず)。

この後は宝物館に入る。武運長久を願って多くの武士たちが武具を奉納している。それらを見てうなるばかりだが、一方で、国宝や重要文化財と、その他の展示物の間の差が素人には分からない。例えばの話、学芸員の手違いで札がテレコになっていたとして、それを指摘できる人がどのくらいいるだろうか。それでも、頼朝、義経、弁慶、巴御前、平重盛、護良親王など、中世を中心にそうそうたる名前を見ると、うなるものがある。実用ではなく、奉納のための武具だが、今の時代なら何を奉納するだろうか・・?(やはり現金になるのかな)

渡り通路の向こうの国宝館は甲冑が中心だが、その入口に神代から続く系図が掲げられている。途中で「越智」「河野」という、この辺りによく見られる名字に分かれている。

宝物館を出て、隣接する海事博物館に入る。昭和天皇の採集船だった葉山丸を中心にして、さまざまな動植物や鉱石の標本が並ぶ。昆布の長いものや、さまざまな蟹が並ぶのを見ると、なぜか「それらを食べるところ」を想像してしまう。博物館の見学としてはよろしくない。

館内が撮影禁止のため画像はほとんどないが、ここまで来て愛媛県も一応訪ねたというところで折り返しとする。やはり尻を動かすと痛いので、まずは峠まで押して歩く。峠を越して、ほぼ漕がずに海べりまで走り、後は流す。ただ、多々羅大橋を渡るのにまた上り。ここも押して歩き、橋の上でまた漕ぐ。今度は2回目ということで、別に観音さんの宝号を唱えることもなく、ビビりながらも何とか渡りきり生口島に戻る。この時間となれば生口島一周はあきらめ、来た道を瀬戸田まで戻る。まあ、多々羅大橋で愛媛県に入るプラス大山祇神社参拝で十二分に満足である。

瀬戸田の観光案内所でレンタサイクルを返却する。保証金の1000円を渡される時に「よう焼けて、今日は暑かったでしょう」と言われる。確かに、焼けた。この先、すっきりしない天気が続き、広島でも土砂災害で列車が脱線したり、福山で川の氾濫が起きたりしたのだが、この日(18日)は8月のような晴天猛暑だった。

瀬戸田から船に乗る。今度は小佐木島には立ち寄らない直行便。このため、行きとは異なり佐木島の西側を航行する。また船尾のベンチに腰かけて、瀬戸の潮風を受ける。

三原港に到着。駅前のホテルにチェックイン。汗をかいたのでシャワーを浴びて、そしてテレビをつけると・・・(以下、6月18日投稿の記事へ・・・)。
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