まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

姫路城と姫路の味

2016年06月06日 | まち歩き
前の記事では4日に姫路で観戦した女子プロ野球のことを書いた。スコアは2対1で兵庫勝利というなかなかの熱戦だったが、翌5日に同じく姫路で行われた試合では、埼玉が16安打で13対0と、優勝した兵庫をフルボッコしたそうだ。時にはこうした一方的な試合もあるようだが、私の観た試合がこちらでなくてよかった。

さて、女子プロ野球だけを観にわざわざ姫路まで行ったわけではなく、午前中には姫路城を訪れていた。平成の大修理を終えた天守閣を外から見る機会は何度かあり、前には西国三十三所巡りで書写山圓教寺に行った帰りに入城したが、観光シーズンとも重なり結構な待ち時間だったので断念した経緯がある。ちょうどこの時期は観光客もそれほどいないだろうし、大修理の後の人気も落ち着いていることだろう(ちなみに、若狭まで独立リーグを観に行くという選択の場合は、小浜か熊川宿を見物するつもりだった)。

山陽電車の姫路駅から歩き、正面の門をくぐって天守閣と対面する。そして天守閣への入場券を購入するが、9時の開門前で100人ほどが行列を作っていた。このくらいなら入場規制もかからないし、ここから先も広いので混雑ということもないだろう。

まずは大天守閣まで迷路のようにぐるぐる回る。目指す天守閣はすぐそこにあるように見えて、なかなかたどり着かない。防御を意識した造りで、その間に狭間から鉄砲で撃たれたり、石を落とされたりしてしまう。姫路城が今の構造になってから城の攻防というのは結局なかったが、歴史の「もしも」で、例えば明治維新の前の戊辰戦争が姫路で起こり、幕府軍が姫路城で迎え撃つという展開になったらどうだったか。

天守閣の入口に着き、ここで靴を脱ぐ。当然昔のままの姿で残されているので、階段も急だ。また、大阪城や名古屋城、さらには先の地震で被災した熊本城のように再建された天守閣は、中が資料館も兼ねていてさまざまな展示があるが、国宝の城はそうではない。ともかく急な階段の上り下りである。

そして着いた最上階。神社の祠があり、上ってきた人の多くはまず手を合わせる。そして外を眺める。姫路駅が心持ち小さく見える。駅から天守閣は結構大きく見えるのだが。

天守閣を出て、お菊の井戸を見たり、西の丸から違う角度で天守閣を見ていると、観光の団体や修学旅行生が多数入場するところである。こういうのを見ると、やはり早い時間からの動きがベターだと感じてしまう。

この後は天守閣の東側を通る。こちらから仰ぎ見る天守閣、ちょっと見映えは劣るかもしれないが、現地に行かないとなかなか見ることのない顔だと思う。

なぜ東側に回ったかだが、この後で向かったのが天守閣の北東にある兵庫県立歴史博物館。この期間の企画展示で、「歴史をいろどる群像」というのをやっている。歴史上の人物や歴史的場面、そして土地の風景などを描いた、同博物館のコレクションを中心としたもの。歴史上の人物も古くは柿本人麻呂や嵯峨天皇に始まり、楠木正成、赤松円心、信長秀吉家康も揃う。黒田官兵衛の二十四将、宮本武蔵、高田屋嘉兵衛などは地元ゆかりというのもあるのかな。

この後のコーナーも含めて、国宝や重要文化財の作品があるわけではなく、多くは江戸時代を中心に当時の絵師が描き残したもの。元の絵があって、それを模写したとおぼしきものもある。ただそれらを含めて、何かを絵に残すということが素晴らしい技術だと思う。

この県立歴史博物館は、他に姫路城や姫路城下の歴史も紹介しているが、地下のフロアでは兵庫県全体についても触れている。改めて、摂津、播磨、丹波、但馬、そして淡路(ここ見落としがち)という5つの国で成り立っている兵庫県の多様性に思いを新たにする。

・・・というところまで書いて、記事は一旦止める。この後姫路で何を食べたかは次回で・・・(と、別に引っ張るわけではないが)。
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