まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

耕三寺からしまなみ海道

2016年06月26日 | 旅行記F・中国
・・・とりあえず、もう「夏の陣」というイベント止めましょうや。

「大坂」とついていた時は赤備えで臨んだが結局史実を繰り返しただけ。その後で毎年限定ユニフォームを作っているが、「夏の陣」がプラスになったことはない。今年のユニフォームは映像で見ただけだが、ビジターのユニフォームをペンキで汚しただけのような感じ。何とも中途半端。これなら、近鉄バファローズや阪急ブレーブスの復刻試合を残してほしかった。

ついでにライトスタンドの応援団にも一言。既得権益でラッパや太鼓を鳴らしているが、こんな体たらくなのにいつまでも同じ応援するの?もっと選手には厳しく接して、時には自軍の選手でも働かないやつにはブーイングや鳴り物拒否で示すべきでは。広島でもそう感じたが、応援団の一般観客に対するエラソーな態度、特権を持っているかのような言動・・・。あんたら何様?見ようによれば監督、首脳陣と同罪やぞ。

・・・さて、それはさておいて広島紀行の続き。

瀬戸田の商店街を抜けてやってきたのは派手な装飾を施した寺の山門。「西の日光」として知られる耕三寺である。大阪で実業家として成功した金本耕三という人が、母親の死後、母への感謝の気持ちを込めて自ら僧籍に入り建立した寺である。この寺で有名なのは、日光東照宮の陽明門を模した孝養門であるが、学生の時だったか初めて見た時に「何とまあ成金趣味か」とあまり良いイメージを持たなかったのを思い出す。ただそれが、母を日本の名所に連れて行ってあげることができなかったから菩提寺で展開したとなると、見方は少し変わる。

拝観料を納めて境内へ。そろそろ蓮の花が開き出す時季である。

「世の母はみな観世音花の春」という、耕三の句が書かれた石碑を見て、まず正面には五重塔がある。奈良・室生寺の五重塔を原作としたものというが、本家は宝飾も少なくもう少しシンプルだったように思う。

その両側には法宝蔵、僧宝蔵がある。これは四天王寺の金堂がモデルであるが、本尊はおらず宝物館となっている。

そして孝養門。建築にあたっては日光東照宮の実測図が使われている。耕三は当時文部省に1組だけあった図面を入手し、各部のサイズ比も合わせて10年がかりで完成させた。違いがあるとすれば装飾や塗装ということになるが、私も本家をそこまでじっくり見たことがないので、そういうものかと見る。浄土真宗の寺とはいいながら、観音像に不動明王像などさまざまな仏がいるものだなと思う。

正面には宇治の平等院鳳凰堂を模した本堂。現在前の舞台が工事中ということもあって中を見ることはできないが、左右の翼に当たる建物には釈迦如来と十一面観音像が安置されている。母の孝養のためとはいえ、この地にこれだけのものを建立するのは、どれだけの財があるのかとやはり呆れてしまう。

他にも大津の石山寺のそれを模した多宝塔、法隆寺の夢殿を模した八角円堂、聖徳太子にも擬せられる救世観音像などが出てくるが、ここまで来ると「もうええわ」という気になる。最近、西国や新西国の札所めぐりをしていて、それぞれの札所で読経したり歴史的な建物や仏像を見たりするのだが、耕三寺はやはりそれらの寺院とは異なる。手を合わせて仏に祈るというよりは、寺のテーマパーク・観光地にでも来たと割り切って見ることが良いように思う。

他には、千仏洞地獄峡がある。最初に地獄や六道の苦しみが人形や額で描かれ、これを抜けると数々の石仏が出迎えてくれる。千仏洞といいながら、実際には1000体以上あるのではという気がする。浄土真宗の寺院として見ると、阿弥陀如来以外の仏像が多くあり多少の違和感があるのだが、圧倒される。

まあ、このように全国の有名寺院をいろいろ模したところであるが、そのうちのいくつかの建物は登録有形文化財に指定されている。模倣にしても高い技術力を要するもので、それが認められたということだろう(ひねくれたことを言うと、パクリが国の公認になったということだが)。

ただ「耕三寺はパクリだけではない」ということだろうか、最近になってオリジナルの創作物が出てきた。「未来心の丘」というものである。こちらには初めて足を踏み入れる。世界的に活躍する彫刻家・杭谷一東(くえたに いっとう)氏の手によるもので、イタリアの大理石を持ち込んで制作した庭園である。大理石の白に太陽が反射してまぶしく感じる。

先ほどの寺院エリアは見て理解できるものだが、こちらは現代アートの世界。作品のコンセプトと言われてもピンと来るものではなく、苦手なジャンルである。一応、仏教護法の「十二天」をモチーフにしているとはいうが・・・。

ただ頂上まで上って周囲を見渡すと、周囲の島や海の景色が、(行ったことはないが)地中海のどこかを彷彿とさせる感じがして悪くない。日本のエーゲ海といえば岡山の牛窓だが、ここ瀬戸田もそれに負けず劣らずの風情である。

耕三寺見物はこのくらいにして、すぐ近くの平山郁夫美術館に向かう。ただ美術館には入らず、向かったのはその手前にある観光案内所。ここでレンタサイクルを利用することにする。料金は1日2000円であるが、うち1000円は保証金ということで、自転車の返却時に返還される。手続きを済ませると奥の車庫で「ここからこっちでお好きなものを選んでください」と言われる。ママチャリからスポーツタイプ、マウンテンバイク型まで揃っていて、ここは8段変速ギア、T字ハンドルのものを選ぶ。

とりあえず、愛媛県との県境である多々羅大橋を渡り、大三島を目指すことにする。これは一応「久しぶりに四国にも行った」というためであり、そこですぐに引き返して生口島の南半分も一周しようかと思う。

海沿いを走る。砂浜の水が透き通っていて心和む。この辺りは平坦で走りやすい。前方から、そして後方から本格的なサイクリストが頻繁に行き交う。チャリダーにとってはしまなみ海道は人気のスポットである(そういう人が私を見たら「スモウライダー」くらいにしか見えないかもしれない)。また外国人の姿もよく見るが、西洋系の方の割合が多いように思う。単に中国や韓国の人と日本人との区別がつきにくいのかもしれないが、自転車でのツーリングというのはヨーロッパ文化の色合いが強いのではないかと思う。

少し話がずれるが、今回訪れた広島の数少ないスポットにおいては、欧米人の姿は結構見かけたが、大阪の中心部のように中国語や韓国語が飛び交う・・・という光景は見られなかった。先の記事でも触れた新潮新書『広島はすごい』(日本経済新聞広島支局長 安西巧著)を帰宅後に読んだ中によると、広島を訪れる外国人についていえばアメリカ人やドイツ人の割合が東京や大阪に比べると多いのだとか。原爆が投下された「ヒロシマ」の現場に触れようという意識が欧米人の中で強いこともあるが、中国人のいわゆる「爆買い」ができるスポットがないことも要素なのだという(「中国」地方だから中国人はあまり来ない・・・わけではないか)。

しまなみ海道も、その「ヒロシマ」の延長線上で訪れる人が多いのかもしれない。まあ、最近大阪の中心部や京都に行って中国人観光客がうじゃうじゃいるのを鬱陶しく感じることが多いが、今回の広島行きはそうしたストレスを感じることがほとんどなかったのは良かった(野球には、心折られたけど・・・)。

海沿いのアートや、その向こうの「ひょっこりひょうたん島」の景色など見るうちに、前方に多々羅大橋が見えてきた。橋を渡るには手前から自転車専用の上り道を行く。真ん中の車線で上り下りが分けられている。ここはギアを落として上り詰める。

橋に差し掛かる。横は肩の高さくらいのフェンスがあるので落ちる心配はないのだが、高いところが苦手ということもあり結構ビビる。でもここまで来て渡らないわけにはいかないから、なるべく海のほうを見ないようにしてペダルを漕ぎ出す・・・。
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