まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

呉・大和ミュージアムとカープ列車

2014年06月14日 | 旅行記F・中国

8日の朝、広島から呉線で呉に向かった私。朝風呂と港の眺望を楽しんだ後に、大和ミュージアムを訪れる。ここを訪れるのは3回目であるが、今や呉の有名スポットである。

Dscn7203 広島の「平和」ということについて言えばどうしても原爆ということになるが、もちろん核兵器を使うというのはあってはならないことだし、世界平和を訴えるテーマとして原爆の悲劇というのは語り継がなければならない。ただその一方で、広島にはかつて大本営も置かれ、瀬戸内の天然の良港ということもあり、呉や江田島といった軍事拠点もあった。東には毒ガスの島・大久野島というのもある。最近ではそういうところへの歴史的関心も高くなっている。

Dscn7228 Dscn7226 ミュージアムのシンボルと言えるのがこの戦艦大和の10分の1スケールの模型である。アメリカとの戦争を見据え、圧倒的な物量を有するアメリカに対抗すべく、「質」に活路を見出そうとした日本海軍。当時の最先端技術を結集させ、その集大成として建造されたのが大和である。ただ、沖縄特攻作戦のために南下しているところをアメリカ艦載機の集中攻撃を受けて撃沈。これは海上戦の主役がかつてのような大砲を有する戦艦ではなく、空母と艦載機に移っていたということに乗り切れなかったこともある。まあそれだけアメリカ軍側に先見の明があったのだが・・・。

Dscn7211 展示室内では呉が軍港として発展する様子が詳しく紹介されている。その名が歴史の表舞台に出てくるのは明治になってからであるが、大陸への進出にあたり、攻められにくく守りやすい良港ということで目についたところ。海軍鎮守府、海軍工廠の設立で一気に栄え、軍港としての賑わいを見せた。

ただそのために、太平洋戦争の最後のほうでは大規模な空襲の被害を受けた。アメリカ軍が撮影した当時の映像が流れていたが、多くの死者を出し、燃料もなく動くこともできなかった戦艦や空母も空爆され、大きな鉄の塊の残骸が無残にも海上に浮かぶ場面もあった。

Dscn7216 そして、戦艦大和の最期である。大和とともに散った多くの兵士たちの名がパネルに書かれ、それぞれの手紙や遺書なども多く飾られている。こういう戦争関連の博物館、史料館を訪れていつも思うのが、当時の若い人たちの達筆さと語彙の豊富さである。まあ当時の日本語には文語的なものが多かったというのもあるが、特に学徒出身・・・それこそ旧制高、大学を出るような人の「教養」というのは今の人たちより豊かだったことがうかがえる。それはさておき、当時の人たちの「生きる覚悟、死ぬ覚悟」というもの、本心はどうだったかわからないにしても感じさせるものがある。

Dscn7223 その中で強調されたのが、大和の哨戒長だった臼淵大尉の「負けて目覚める事が最上の道だ」という言葉。これは後の創作ではないかという説もあるが、最先端の技術を持ちながらも、軍の精神の持ち方の誤りによって国を危うくしてしまったことの戒めである。確かに、日本は戦争に負け、その後は奇跡的な経済成長を遂げ、先進国の仲間入りを果たした。ただ一方で、またここに来てこの国の構造のひずみや勤続疲労も目立つようになってきている。東日本大震災、福島原発事故からの復興問題、エネルギー問題はまだ大きな影を落としている。

こういう局面を打破するのは・・・戦争ということになってしまうのかな。まさか21世紀のこの時代にどこかの国を植民地支配しようなどということはないにしても、国内経済の疲弊や活力の低下、周辺国との緊張関係というのも、どこか戦前の空気につながっていないか。昨今首相の口から出ている「積極的平和主義」とか「集団的自衛権」というのも、逆の意味でまた何かこの国を目覚めさせようということか。

さすがに展示物ではそこまでのことは触れておらず、戦争で壊滅的な被害を受けた呉も、戦後の混乱期を経て、結局は造船を中心とした重工業の街としての復興を成し遂げるところまでである。その混乱期の呉と広島を舞台にしたのがあの「仁義なき戦い」であるが、さすがに公的な博物館なのでそういうようなことには触れず・・・。

本当はもっといろいろなスポットを見学したかったところだが、球場にも向かわなければならないということで駅に戻る。広島行きの電車を待つが、広方面からの入線で流れてきたのは「宇宙戦艦ヤマト」の前奏。もちろん戦艦大和からの連想であるが、まさか軍艦マーチにするわけにもいかず、名作アニメとしてテーマ曲も有名な「宇宙戦艦ヤマト」である。これから電車に乗るのに気分が高まる。

Rscn7457 115系の8両編成で、前4両は黄色一色の広島塗装、そして後4両は真っ赤なカープ塗装である。これは阪神対広島戦かいな・・・(写真は到着後、広島駅で撮影)。ただ車内に入れば、「赤ヘルきっぷ」などの広告はあるが、シート自体はいたってシンプルである。内装まで徹底して野球にこだわっていたもので一番強烈だったのは、高知の土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線のタイガース列車だったかな・・・・。

Rscn7458 カープで「宇宙戦艦ヤマト」と来れば、2008年、旧広島市民球場の最終年を思い出す。まだCS出場に望みのあったカープは広島での公式戦最終戦にこの曲を流した。それは公式戦最後の遠征に、そしてCSを勝ち抜いて日本シリーズで「必ずここへ帰ってくる」という願いを込めてのものだったが、遠征先の横浜戦にやぶれてその願いはあっけなく断たれた。それは、本土から沖縄に向かう途中、本格的にアメリカ軍と一戦交える前に敵襲で撃沈された戦艦大和にダブらせてしまう。

Dscn7245 広島に到着すると向かうは駅ビルのアッセ。ここのお好み焼「麗ちゃん」でいただくのが広島来訪時の通例である。お好み焼屋が何軒か並ぶ中でも一番人気で、私が行った時は行列が駅ビルの階段まで伸びていた。カープファン、バファローズファンも入り乱れている。球場がまだ平和公園前にあった時は通過点のようだった広島駅だが、今の場所に移ってから駅ビルも大混雑である。ちなみに試合終了後の混雑はもっと大変だったことを付け加えておく。

Dscn7247 今回は夜行で出発、実質日帰りということだったが、また来年でも観戦に訪れる機会があれば、今度は県内のどこかでの宿泊を組み合わせてみたい。また楽しみである・・・・。

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