まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

能登半島地震に揺れた2024年正月

2024年01月12日 | ブログ

2024年は元日に発生した能登半島地震、2日に羽田空港の滑走路で発生した旅客機と海上保安庁の航空機の衝突事故という、何とも衝撃的な出来事から始まった。亡くなられた方、被災された方にはお悔やみ、お見舞い申し上げます。

元日の16時すぎの地震発生時、私は奈良県の橿原神宮前から近鉄南大阪線に乗車中で、電車の中で一斉にスマホのアラームが鳴り出し、何事かと動揺した。電車の中だと特に地震の揺れを感じることはなく、電車はしばらく徐行したものの安全確認できたとして通常運転に戻った。それでも、能登半島の地震で奈良や大阪にまでアラームが鳴るとは・・と思ったが、藤井寺の実家マンションに戻った際、この辺りでも結構揺れを感じたとのことだった。

テレビはどの局も地震特番、画面には「津波」「逃げて」の大きな字幕とともに、北陸や山陰の一部に大津波警報が出ていると報じられている。この時はまだ被害の状況もつかめておらず、テレビを見ても限られた定点カメラからの映像の繰り返し。正月どころではなく不安な思いである。

また北陸の交通も全面的にストップしたようで、先ほど京都駅で乗車案内を見た「サンダーバード」も、発車後に途中で運転取り止め、あるいは途中で立ち往生となったのかなと気になる。

そこに時折関西のスタジオからのニュースも入るが、山陰の豊岡や浜坂では大津波警報のため避難指示が出たところもあるという。先ほど乗った「きのさき5号」で城崎温泉、さらにその先に乗り継いだはいいが、避難を余儀なくされた方もいたかもしれない。北陸にせよ、山陰にせよ、ひょっとしたらこの年末年始に回ってから帰省することも一時考えていただけに、もしその場に居合わせていたらどうなっていたかと思う。

元日は夕食もそこそこにとりあえず横になる。

翌2日、大津波警報は解除されたものの、依然として余震、津波の危険への呼びかけが続く。もっとも、箱根駅伝は通常に中継され、サッポロビールをはじめとしたCMも入った。これで気が紛れたように思う。

その2日の夕方に発生したのが羽田空港の事故である。ちょうど夕方の地震関連のニュースを見ていたのだが、画面が急に羽田空港で炎上する航空機に切り替わった。

最初は、能登地震の影響で新たに発生した火災の映像かと思ったが、羽田空港設置のカメラのものだという。少しずつ状況が明らかになり、新千歳から羽田に到着したJALの旅客機が、被災地に救援物資を届ける海上保安庁の航空機と衝突。旅客機の乗客乗員が全員無事に脱出できたのは奇跡である(一方、海上保安庁の職員5名がこの事故で亡くなったのは悼まれる)。こちらはこちらで、帰省ラッシュにも大きな影響となった。

3日、ともかく広島に戻る・・・。

その能登半島地震、時間の経過とともにっ被害状況が明らかとなってきた。避難所に多くの人が身を寄せる一方で、まだ孤立している集落もあるし、安否がわからない方もまだいるという。復興まではかなりの時間がかかることだろう。能登に行ってどうのこうのとはいかないが、何らか、支援したいものである・・・。

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