まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第35番「明王院」~近畿三十六不動めぐり・35(血染めの赤不動)

2019年04月22日 | 近畿三十六不動

高野山だから大阪より冷えるかと思い、一枚羽織るものも持っていたが、21日の高野山は穏やかな天候。バスを降りて大勢の人が行き交うのを見ても、そのまま歩けそうな感じである。

これから向かう明王院は壇上伽藍に隣接しているということで、千手院橋のバス停からまずは金剛峯寺を目指す。駐車場では21日の弘法大師縁日として露店も出ている。

4月21日は統一地方選挙の後半戦。ここ高野山町も投票日当日だった。金剛峯寺の周りにもこうした選挙ポスターがある。調べたところでは定数10名のところ、14名が立候補である。さて町の人はどう選ぶか、金剛峯寺や塔頭寺院の住職にも選挙権があるのかな、誰に投票するのかなというのも気になる。・・・いやその前に、私の住む市でも選挙でしょうに。帰りしなに投票するんですよ。

大阪ではすっかり散った桜が、ここではちょうど見頃である。吉野のように桜が名物とはなってないようだが、それだけに意外に感じた。ちょうど正門前の両脇に枝垂れ桜が咲いていて、記念撮影のスポットになっていた。

今回は本殿の中はいいかなと、建物の外から般若心経のお勤めとする。扉には新元号「令和」の墨書が掲げられている。5月3~5日には春の結縁灌頂が行われるのだが、今回は「令和最初」ということか。記念に参加する人も多いんだろうな。

この後は根本大塔、金堂に向かい、こちらではそれぞれ中に入ってお勤めとする。また六角経蔵もぐるりと一回し。

さて、明王院である。壇上伽藍から中門(表側)はくぐらず、根本大塔の後ろにもう一本ある道のほうに出る。こちらも道沿いに塔頭寺院が並ぶが、行き交う人やクルマはぐっと減る。その中に「赤不動」「明王院」の看板や標石がある。

少し坂を上ると山門がある。山門といっても仁王像が立つ仰々しいものではなく、屋敷の門である。両側には仁王でも狛犬でもなく、猫のような動物が彫られている。それでも口の形は「あ・うん」だ。

寺というより屋敷の庭に来たようで、本堂は建物沿いにずっと奥にある。コンクリート造りの建物だ。

明王院は金剛峯寺の塔頭寺院でも初期からあったそうで、弘法大師が五大明王像を祀ったのが始めという。ただ、その後は「赤不動」が本尊となった。この赤不動は、青蓮院門跡の青不動、三井寺の黄不動と並ぶ日本三不動の一つとされている。彫刻ではなく画幅だが、これを描いたのは弘法大師の甥で、後の天台座主の智証大師円珍とされる。円珍が修行中に感得した不動明王の姿を絵にしたものだが、あまりのありがたさに円珍は自分の頭を岩にぶつけ、流れ出た血を絵の具に混ぜて描いたのだという。激しい。

赤不動は一時後醍醐天皇が吉野に祀っていて、後に戦乱での焼失を恐れて高野山に戻したという歴史もあるそうだ。明王院の建物は焼失もあって再建されたり新築されたりしたものばかりだが、赤不動はずっと守られているとのことだ。ちなみに赤不動の御開帳は年に1回、4月28日のみとのこと。年に一度の御開帳は青不動、黄不動と比べれば断然高い頻度だが、それがちょうど1週間後だったとは。まあ、私の場合いろいろ札所めぐりをしていても、いわゆる「見仏」にはそれほどこだわりがないようだ。図録とか、ネット上の画像でも別に構わないかと。この赤不動も、本堂の外陣に模写(額に入れたものを販売する、もとい授与するためのサンプル)があり、こんなものかと拝んだつもりになっている。

現在、高野山の明王院は近畿三十六不動めぐりの札所めぐりの一つとしてだけではなく、宿坊として知られているようだ。ネット検索でも赤不動よりもむしろ宿坊の記事のほうが多く、口コミ評判もよさそうだ。お値段は多少張るように感じたるが、壇上伽藍にも近いし結構オススメかと思う(高野山の宿坊といえば・・私もかなり前に一度だけ泊まったことがあるのだが、それだどこだったかとんと思い出せない)。

バインダー式の朱印をいただく。これまでは、紙の保護のためもあってバインダーの外側だけ持参し、いただいた朱印の紙は自宅でクリアファイルに入れて保管していたが、今回満願を迎えるに当たり、これまでの全部を札所番号順に綴じて持ってきた。

いよいよ、この朱印も残り一つである・・・。

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